雑感:アーカイブ(2)記事(51)~

(100)できる/できない:「いまさら見えても困ります!」―立岩真也の言説のワンポイントメモ―/2020年1月22日/本文
(99)「沈黙の作法」:肩を並べて「聴いて聴いて聴く」「待って待って待つ」、そこからしか始まらない―山折哲雄・柳美里著『沈黙の作法』読後メモ―/2020年1月9日/本文
(98)歴史的視点や哲学的思考を欠いた福祉教育:「福祉教育哲学」の必要性を問う―高久清吉著『哲学のある教育実践』再読メモ―/2019年12月12日/本文
(97)いじめ・愛国心・道徳教育:「道徳的価値ありきの、国家のための道徳教育」を問う―大森直樹著『道徳教育と愛国心』読後メモ―/2019年11月5日/本文
(96)戦争が始まる“臭い”がする:「愛国」「愛国心」に関するワンポイントメモ―将基面貴巳を読む―/2019年10月8日/本文
(95)芸術文化活動を通して“ゆるやかな絆”のなかに生きる人たち:「福祉文化」に関するワンポイントメモ―今中博之を読む―/2019年9月19日/本文
(94)「仕事」(カイシャ)と「世間」(ムラ):日本社会のしくみと生き方に関するワンポイントメモ―小熊英二を読む―/2019年9月15日/本文
(93)社会運動:「ふつう」を捨てて「わがまま」を言うこと―富永京子著『みんなの「わがまま」入門』読後メモ―/2019年9月1日/本文
(92)鳥居一頼のサロン(9):「書く」/2019年8月4日/本文
(91)「哀史」をつくる―姉歯暁著『農家女性の戦後史』読後メモ―/2019年8月3日/本文
(90)もうひとつの「共生」:一人ひとりが大切にされ、「もろとも」の関係性で生きるということ―折戸えとな著『贈与と共生の経済倫理学』読後メモ―/2019年7月19日/本文
(89)鳥居一頼のサロン(8):「福祉の授業の醍醐味」/2019年7月12日/本文
(88)鳥居一頼のサロン(7):「The End of JAPAN」/2019年7月8日/本文
(87)「生きづらさ」再考―一昔前と変わらぬ“いま”を考えるためのメモ―/2019年7月7日/本文
(86)鳥居一頼のサロン(6):「国道12号線」/2019年7月2日/本文
(85)「自己決定」と「自己責任」:いま改めてその虚飾と欺瞞について考える―小松美彦著『「自己決定権」という罠』と吉崎祥司著『「自己責任論」をのりこえる』の読後メモ―/2019年6月22日/本文
(84)鳥居一頼のサロン(5):「義理を果たす」「原則論の正体」/2019年6月19日/本文
(83)“死”とどう向き合うか、「生死の教育」を考えるために―大谷いづみと松田純のひとつの言説メモ―/2019年6月1日/本文
(82)鳥居一頼のサロン(4):「優しすぎる友よ」/2019年6月1日/本文
(81)共感≠善:共感は道徳的指針としては不適切である―ポール・ブルーム著『反共感論』読後メモ―/2019年5月15日/本文
(80)鳥居一頼のサロン(3):「助かるわ」/2019年4月20日/本文
(79)利他主義のあり方を問う:その「推進と懐疑」「誠意と傲慢」―ウィリアム・マッカスキル著『〈効果的な利他主義〉宣言!』とウィリアム・イースタリー著『傲慢な援助』の読後メモ―/2019年4月20日/本文
(78)鳥居一頼のサロン(2):新潟県聖籠町に集いし“スマイル”の仲間たち/2019年4月20日/本文
(77)「情けは人の為ならず」×「北風と太陽」:利他的利己主義教育をゆっくりと着実に展開するということ―山岸俊男を読む―/2019年4月8日/本文
(76)「読解と熟議」からの逃走:「感情と共感」によって嘘を受け入れ、分断をつくり、新たな「依存と従属」(「快」)を求める。そのなかに「自分の居場所」の幻想(共生)と現実(統制)を見る―嘘がまかり通る「ポスト」真実の時代を超えるためのメモ―/2019年3月22日/本文
(75)「人間尊重と社会正義」:「人間らしく生きるための経済学」を探究し、厳しくも痛快に語り、社会問題に真摯に取り組んだ“経済思想の巨人”―いま、改めて宇沢弘文を読む―/2019年3月5日/本文
(74)「ローカリズム」考:“百姓にだけはなるんじゃないぞ”の思考停止から脱却するために―内田樹・他『「農業を株式会社化する」という無理』読後メモ―/2019年2月18日/本文
(73)「怒りと希望」:社会に怒りラディカル(徹底的)に抗すること・目の前の一人を慮(おもんぱか)ること・社会的課題をデザインで解き希望に変えること―今中博之著『社会を希望で満たす働きかた』読後メモ―/2019年1月28日/本文
(72)「むち打ち症」:激変時代を生き抜くための原理(9+1)―伊藤穣一、ジェフ・ハウ著『9プリンシプルズ』読後メモ/“おもしろさの探究と創造”―/2019年1月19日/本文
(71)「冷たい社会」を「冷たい頭」で考える、そこには「厳しい闘い」と「本当の優しさ」がある:子ども・青年と大人の社会認識や市民性を形成するための愉快な“学び”について―タカツボ的思考からの脱却とネットワーク型思考の展開―/2019年1月12日/本文
(70)「“助けて”と言えない無縁社会」×「“違った意見”が言えない統制社会」:気がつけば民主主義が民主的な手続きによって内側から壊れている―奥田知志を読む―/2018年12月25日/本文
(69)「ひとりでボーっと生きてんじゃねーよ!」:幸せは“関係性の豊かさ”にあるという言説―ステファーノ・バルトリーニ著『幸せのマニフェスト』読後メモ―/2018年12月12日/本文
(68)「まちづくりと福祉教育」の「当事者」の立ち位置と姿勢に関するメモ―「当事者研究」(向谷地生良)と「2.5人称の視点」(柳田邦男)、「“熱い胸”と“冷たい頭”」(一番ヶ瀬康子)、そして「住民当事者研究」などをめぐって―/2018年11月27日/本文
(67)障がい者差別と生の思想:「自分の存在意義を問う」(「“ただ生きる”ことの保障」×「“よく生きる”ことの実現」×「“つながりのなかに生きる”ことの持続」)―野崎泰伸「生の無条件の肯定」思想についての福祉教育的視点からのメモ―/2018年11月3日/本文
(66)鳥居一頼のサロン(1):ボランティアという世界を生きて―いま、災害ボランティアについて思う―/2018年10月8日/本文
(65)大田堯×中村桂子:大田教育学の「生命の視点」に学ぶ―『百歳の遺言―いのちから「教育」を考える』読後メモ―/2018年9月16日/本文
(64)暗い谷間と怖い時代に生きた・生きる「ものいえぬ」農民の思い:怒り、悔しさ、叫び、そして祈り―佐藤藤三郎の『山びこ学校』と『まぼろしの村』の底流をなす“教育”と“村づくり”の思想―/2018年5月5日/本文
(63)大橋謙策「熊野古道(中辺路・伊勢路)紀行」(2018年4月19日)/2018年4月21日/本文
(62)文部科学省著『注文の多い料理店』:「レシピ」(学習指導要領)通りに作る「コース料理」(官製教育)は本当に美味しいか?―小針誠著『アクティブラーニング』読後メモ―/2018年4月15日/本文
(61)竹端寛:「枠組み外し」(概念くだき)×「学びの渦」(螺旋的発展)=「無理しない」地域づくり(ガチンコのまちづくり)―そして、そのためのいくつかの「ワークシート」―/2018年3月3日/本文
(60)福祉教育に関する概念図(10+2)―思考をおしゃれに視覚化することのすすめ―/2018年2月7日/本文
(59)引き続き「福祉教育」してもいいですか?―“福祉を哲学する”はじめの一歩:「世の光」(糸賀一雄)と「互酬性」(阿部志郎)、そして「博愛」(大橋謙策)/補遺:大橋謙策「最終講義」(レジュメ)(2010年3月13日)―/2018年1月25日/本文
(58)二項対立の思考:「分かりやすさ」の罠―仲正昌樹を再読する―/2017年12月25日/本文
(57)〇〇先生への手紙:「学校の地域化」「地域の学校化」と福祉教育研究の課題―“真田の郷”で考えたことども―/2017年12月5日/本文
(56)続・「対話」考:山口裕之を読む―「みんなちがって、みんないい」はどこまで許容できるのか―/2017年12月1日/本文
(55)『まちづくりの哲学』という本:「キキカン」と「希望」―読後メモ―/2017年11月15日/本文
(54)生き方をデザインする:「塑(そ)する」ことと「繋(つな)ぐ」こと―佐藤卓著『塑する思考』読後メモ―/2017年10月27日/本文
(53)改めて、田村明を読む―「まちづくり3部作」について―/2017年10月1日/本文
(52)「知的生産」:「知る」ことと「考える」こと―外山滋比古と千葉雅也の「勉強論」について―/2017年9月1日/本文
(51)福祉教育は“教育する”ことができるのか:「差別」の権利と「共生」の義務―宮寺晃夫著『教育の正義論』読後メモ―/2017年8月15日/本文