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阪野 貢/「やまゆり園事件10年」:なぜ殺されなければならなかったのか?―「内なる差別」と共生社会の欺瞞、そして福祉教育の虚構―

〇筆者(阪野)が購読している新聞の2026年7月26日付社説、「やまゆり園事件10年:内なる差別に向き合おう」を読み、私たちのなかに潜む無意識の偏見や差別、優生思想、それらを乗り越えるための公私の施策や取り組み、そして「福祉教育」のあり方などについて、改めて考えさせられた。(⇨参照
〇事件から10年という節目を迎えるいま、被害者家族や施設職員、あるいは支援者の想いはいかばかりか。政府が進める障がい者の地域移行の施策は、実際にどこまで進展しているのか。また、障がい者との「共生」という考え方は、学校や地域・社会に定着してきたのか。とりわけ知的障害や精神障害をもつ人々は、置き去りにされてきたのではないか。そして、これまでの福祉教育は、無意識の偏見を解消するのに有効に機能してこなかったのではないか。偏見や差別の克服は教育だけでなく、社会全体で取り組むべき課題であり、学校における福祉教育に過大な期待を寄せてきた面はなかっただろうか。その学校教育としての福祉教育は、全教科・全領域での展開や、人権教育・道徳教育・平和教育などとの連携に十分な関心を払ってこなかったのではないか――。
〇こうした問いを友人や知人に投げかけたところ、さっそく熱量のこもった2通の回答をいただいた。それぞれの視点から見えてくる福祉教育の現状と課題、そして展望についての一文を、ここに紹介させていただきます(読みやすさを整えるため、文章の構成と語句を一部修正しています)。

【社説】
やまゆり園事件10年―内なる差別に向き合おう
「不幸な存在」と勝手に決めつけられ、命を奪われた重度障害の人たちの鎮魂を願わずにはいられない。相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年に起きた入所者19人殺害事件から10年がたった。
事件の記憶が薄れつつある一方、人間の命に優劣をつけて「劣った遺伝子」を後世に残さないとする西洋の優生思想が形を変えて日本の社会に色濃く残る。
ユダヤ人や障害者、同性愛者らを迫害した戦前のナチス・ドイツに多大な影響を与えた優生思想は、「重度障害者はお金と時間を奪う不幸の元だから、必要ない」と凶行に及んだ植松聖死刑囚の発想に通じる。
経済合理性を重視する社会では、生産性や能力の高さで人の価値を測る風潮がはびこり、インターネットの空間は障害者を「役に立たない」「支援は税金の無駄遣い」などとする中傷であふれる。忌まわしい優生思想と地続きだ。
国は、障害者が施設から地域での生活に移行することを推進している。だが現実は、知的・精神障害者向けグループホームなどの新設に近隣住民が反対し、事業者側と対立する「施設コンフリクト」も少なくない。
偏見や差別は、誰もが大なり小なり持ち得る。障害者は不幸なのか。なぜ障害者に恐れを感じるのか。 一人一人が「内なる偏見や差別」に向き合えば、障害や能力主義に対する見方が変わるきっかけになるだろう。
人の価値を経済指標の一つに過ぎない生産性と結びつけるのは、理屈が通らない。仮に生産性で決まるのなら、乳幼児や失業者、寝たきりの人らも価値がないことになる。司法から社会に不要とされたも同然の植松死刑囚も、その一人にくくられよう。
国は障害者権利条約の批准に伴い、障害者の人権を守るための法整備を進めてきたが、福祉施設・事業所における虐待事案は増加し続けている。厚生労働省の調査では24年度に1267件と過去最多を更新し、被害者は2010人に上った。
多くの現場は慢性的な人手不足に悩まされている。職員が心身ともに疲弊し、感情の抑制が利かなくなって虐待に至るのも増加要因の一つだ。
障害福祉事業者の不正受給も拡大の一途をたどっている。指導監督権限を持つ自治体の対応は追い付いていない。ほぼ税金で賄われる障害福祉の総費用は25年度で約4兆3千億円。福祉の理念よりも利益優先の事業者の参入を招いた。
障害者向けグループホーム大手運営会社「恵」が、利用者から食材費を過大に徴収するなどしていたのは「経済的虐待」の典型といえる。
24年施行の改正障害者差別解消法は、障害者の困り事に無理のない範囲で対応する「合理的配慮」を企業に義務付けている。だが障害者への配慮や差別解消に関する研修に取り組む企業は少ない。内閣府の調査では未実施の企業が8割に上る。浸透は不十分と言わざるを得ない。
植松死刑囚が「共生社会を目指すのは間違っている」と言ったのは、差別解消をうわべだけで語る社会の欺瞞を肌で感じていたからではないか。
障害がない人本位に最適化された社会のありようを自分事として見つめ直す。それが共生社会の実現へ一歩踏み出すことにつながる。

【毛見さん】
正直に言うと、この社説を読んで少し落ち込んだ。相模原の事件からもう10年か、という感慨と同時に、自分たちは本当に何か変わったのだろうか、という疑問が拭えなかった。経済合理性、SNS上の中傷、施設コンフリクト、虐待の増加など、記事に挙がっている問題は、どれも社会の歪みの表れであると同時に、たぶん自分自身の心の中にもある何かを映し出しているのだと思う。
こうした問題に向き合うには、これまでのような福祉教育のやり方では正直足りないのではないか、と感じている。以下、思うところを書いてみたい。
まず、今の福祉教育がどうなっているかだが、学校では車椅子体験やブラインドウォーク、当事者を招いての講話といったものが定番になっている。企業でも、障害者差別解消法の施行以降、人権研修やダイバーシティ研修が少しずつ増えてきた。これ自体は悪いことではないし、一定の効果もあったはずだ。
ただ、課題も多い。
一つは、体験学習がどうしても「かわいそう」という同情で終わってしまうことだ。車椅子体験は障害の不便さを一瞬感じさせてはくれるが、下手をすると「障害者は大変で気の毒な存在」「自分は恵まれている」という優越感を裏で強めてしまう。これでは対等な関係を築くどころか、逆効果になりかねない。
もう一つは、学校で学んだ知識が実社会に出た途端に役に立たなくなることだ。内閣府の調査では、差別解消に向けた研修をやっていない企業が8割にのぼるという。学校を出れば、そこはネット上の「税金の無駄」的な言説が渦巻く世界で、教室で学んだことなど簡単に押し流されてしまう。
それから、これは自戒を込めて書くのだが、「生産性」という物差しを子どもの頃から無意識に刷り込まれている、という点も見過ごせない。テストの点数や効率で評価される日々を送っていれば、「福祉教育で優しさを学びました」くらいでは、その根っこにある能力主義的な価値観はびくともしない。
では、これからどうすればいいのか。
一番大事なのは、他人を「学ぶ」教育から、自分自身の中にある恐れや抵抗感を見つめ直す教育への転換だと思う。「なぜ自分は障害者に対してどこか身構えてしまうのか」「自分自身も『役に立たなければ』というプレッシャーに怯えていないか」、こういうことを、対話を通じてじっくりほぐしていく場が必要だ。植松の考え方を「自分とは無縁の異常者の妄想」として切り捨てるのは簡単だが、そこで思考を止めてはいけない気がする。
あと、障害を個人の問題として見る「医学モデル」ではなく、社会の側に障壁があるとする「社会モデル」の視点も、もっと当たり前に教えられるべきだろう。生産性で人を測る発想自体、健常者中心に社会が作られていることの結果でしかないのだから。
一回きりのイベントではなく、日常的に多様な人と関わり続けることも欠かせない。グループホーム建設への反対運動の背景には、結局のところ「よく知らないもの」への漠然とした不安があるのだと思う。子どもの頃から重度障害のある人と共に過ごす経験こそが、一番の土台になるのではないか。
最後に、福祉やケアの仕事の価値をどう捉え直すか、という点も避けて通れない。虐待の増加も人手不足も、結局「ケアという仕事」を社会が軽く見ていることの裏返しだと思う。経済的な生産性だけを「貢献」とみなす社会通念に対して、他者をケアすること、ただ生きていることそのものの尊さを、教育の核に据え直す必要がある。
やまゆり園の事件が突きつけたのは、口では差別解消と言いながら、裏では効率や能力で人を選別し続ける社会の欺瞞だったのだと思う。この欺瞞を超えるための福祉教育は、「障害者に優しくしましょう」という道徳の授業であってはならない。自分たちが知らないうちに飲み込んでしまっている優生思想や能力主義から、自分自身を解き放つための教育でなければ、意味がないと思う。
障害のあるなしにかかわらず、誰もがそのままで存在を肯定される社会へ。自分の中の差別から目をそらさず、問い続けることこそが、犠牲になった方々への一番の弔いになるのではないか。10年が経った今もなお、能力主義や優生思想は形を変えて残っている。ネット上の心ない言葉も、地域の施設コンフリクトも、現場の虐待の増加も、結局は私たちの中にある「内なる差別」の表れなのだと思う。植松の言葉を単なる異端者の妄言として片付けず、健常者中心に組まれた社会の歪みとして受け止め直すこと。そこから始めるしかないのだろう。

【加藤さん】
10年、という数字をどう受け止めればいいのか、よくわかりません。19人の命が奪われたあの事件から、もう10年が経ったのか。それとも、まだ10年しか経っていないのか。
事件のことを思い出すたびに、私は、いつも同じところで立ち止まります。植松死刑囚の言葉を「特殊な異常者の妄想」として片付けてしまえば、話は簡単です。でも、本当にそれでいいのだろうか。彼の言葉に、どこかで頷いてしまう自分がいないだろうか――そこから目をそらさずにいたい、といつも思うのです。
福祉教育とは何か。教科書的に言えば、障害や高齢、貧困といった困難を抱える人々への理解を深め、共に生きる社会を目指す教育、ということになるのでしょう。学校では総合学習や道徳の時間を通じて、障害理解の授業やボランティア体験、施設との交流などが積み重ねられてきました。障害者権利条約や差別解消法の考え方を受けて、インクルーシブ教育という言葉も、以前よりずっと身近になりました。障害者を「守られる存在」から「共に社会をつくる一員」へ――この意識の転換は、確かに前進してきたと思います。
けれども、意識の面でどれだけ言葉が整っても、学校という仕組みそのものは、今なお障害の有無で子どもを分ける「別学」「分離」を前提にしたままです。理念と現実の間には、まだ大きな溝が横たわっている。そのことを、私たちはどれだけ自覚できているでしょうか。
いくつか、心に引っかかっていることを書いてみます。
車椅子体験や高齢者疑似体験。あれは確かに、何かを感じるきっかけにはなります。でも、あの一度きりの体験が、「障害者はいつも助けてもらう側の人」という思い込みを、かえって刷り込んでしまってはいないでしょうか。本当に必要なのは、障害のある人自身の暮らしや思いに、日々のなかで触れ続けること。そして、障害というものが個人の内側にあるのではなく、社会との関係のなかで作られているのだと、体で分かっていくことなのだと思います。
それに、学校で何を学んでも、卒業して社会に出た途端、その学びが宙に浮いてしまうことはないでしょうか。内閣府の調べでは、合理的配慮の研修を行っていない企業が、実に8割にのぼるといいます。教室のなかでどれだけ丁寧に育てた感覚も、その先に受け皿がなければ、簡単に忘れられていく。福祉教育は、子どもたちだけのものではなく、企業や自治体、地域に暮らす大人たち全員の、生涯にわたる学びとして組み直す必要があるのではないでしょうか。
もう一つ、見過ごせないのは、障害者を取り巻く現実そのものが、まだ十分に知られていないということです。福祉施設での虐待は過去最多を更新し続けています。その背後には、慢性的な人手不足と、疲弊しきった職員の姿があります。不正受給や、いわゆる経済的虐待も後を絶ちません。福祉教育というものが、障害への理解にとどまらず、こうした制度の歪みや現場の苦しさにまで踏み込み、「その制度を支える一市民として、自分に何ができるのか」を考えさせるものであってほしい、と願わずにいられません。
では、これから先の福祉教育は、どこに向かえばいいのでしょうか。
まず、「かわいそうだから助ける」という慈善のまなざしを、手放すべきです。目指すべきは、すべての人の権利を守るという意味での人権教育への転換だと思います。障害者は支援を受けるだけの存在ではなく、自らの意思で社会に関わっていく、一人の市民なのですから。この視点に立って初めて、「生産性」という物差しで人の価値を測ろうとすること自体を、問い直せるのだと思います。
そのうえで、特別な機会ではなく、当たり前の日常のなかで関わり合う時間を増やしていくこと。同じ教室で学び、同じ町で暮らし、同じ職場で働く――そういう積み重ねのなかでこそ、「特別な存在」という眼差しは、少しずつ薄れていくものだと思います。偏見の多くは、結局「知らない」ことから生まれるのですから。
そして最後に、これが一番重要なことですが――自分自身のなかにある差別に、気づき、自覚し続けることです。差別は、決して他人だけの問題ではありません。誰の中にも、無意識のうちに能力や生産性で人を測ってしまったり、自分と違うものに不安を覚えたりする瞬間があります。それを恥じて隠すのではなく、「なぜ自分はそう感じたのか」「その感じ方は、誰かを傷つけていないか」と、問い続けること。福祉教育とは、知識を授ける営みである以上に、自分自身を絶えず省みる営みなのだと、私は思います。
やまゆり園の事件は、一人の犯人だけが抱えていた特殊な問題ではなかった。社会のなかに潜んでいた優生思想や能力主義を、私たちの前に映し出した鏡だったのだと思います。だからこそ、この出来事を風化させてはいけない。「命の価値は、生産性で決まるものではない」という、当たり前のはずのことを、これから先の世代へも手渡し続けなければならないと思います。
福祉教育とは、障害者について学ぶための教育、というよりも、自分自身の価値観を問い直し、多様な人々が互いを尊重しながら生きていく社会をつくるための教育なのだと、改めて感じています。一人ひとりが、自分のなかの差別と向き合い続けること。遠回りに見えても、それこそが、この事件を二度と繰り返さないための、確かな道になるのではないでしょうか。こんなことをいま、改めて思っています。

〇毛見さんの回答では、「能力主義」「社会モデル」「内なる差別」が強調されている。加藤さんのそれでは、「学校教育」「生涯学習」「人権教育」が注目されている。2人の考えに共通しているのは、これまでの福祉教育が陥りがちであった「車椅子体験などの一時的な同情」や「差別はいけませんという道徳的スローガン」の限界を厳しく見つめ直している点である。
〇すなわち、福祉教育は、障がい者と関わることによる「感動」や「思いやり」にすり替えることで、無意識の偏見を覆い隠してきたのではないか。車椅子体験などの「アトラクション化」によって、社会構造の問題や構造的な排除を「個人の道徳心」に回収してきたのではないか、という問い直しである。
〇人間の価値を生産性で測る社会構造(経済合理性を重視する社会)のなかで、私たち一人ひとりが抱く「不気味さ」や「恐れ」といった「内なる差別」の存在を隠さず直視すること。そして、「何ができるか(Doing)」ではなく、「ただそこに生きていること(Being)」を尊重し合う人間観に立脚すること。 福祉教育とは、障がい者や高齢者に対する「思いやりの心」を育むための教育にとどまらず、多層的・多角的なアプローチを通じて社会構造そのものについて批判的に言及し、同時に自分自身の人間性を問い直していく、実践的で持続的・総合的な営みである。
〇すなわち、福祉教育とは、社会のあり方や私たち自身の価値観を問い直し、「生産性によって人の価値は決まらない」という人権の理念を社会全体で共有していくための教育に他ならない。その点において、福祉教育は、効率や能力主義に偏りがちな現代教育の原点を問い直し、すべての人の「命」と「生」が保証され、「尊厳」を持って豊かに共に生きられる社会を拓く「学びの基盤」として位置づけられるべきであると、改めて強く認識させられた。
〇「福祉教育」の実践と研究はいまだ道半ばである、と言って立ち止まっている暇はない。福祉教育の実践と研究とは、社会の歪みを告発し、すべての人の命を護り、生を肯定し、人間としての尊厳を無条件に認め合うための、根源的な社会変革のエネルギーそのものでなければならない。したがって、福祉教育は、障害のある人やその家族を支援や学びの対象として捉えるだけでなく、自らの経験や思いを発信し、地域社会のあり方を共に考え創り上げる主体として位置づけることが重要となる。障がい者本人やその家族の声に学び、その参加(参集、参与、参画)を通じて実践を進めることが、共生社会の実現につながるのである。
〇重ねて強調しておきたい。福祉教育とは、「支援する側」と「支援される側」という固定した関係を超えて、誰もが他者との関係性のなかで生きる存在であることを学び直し、人間の価値を生産性ではなく存在そのものに見出す社会、人間の尊厳を基盤とした共生社会を構築するための批判的・共働的実践である。

阪野 貢/中村哲の「平和」考:「平和とは戦争がないことではない」 ―「人間とは命であり、自然と人、人と人の関係性のなかにしか生きられない存在である」―

〇筆者(阪野)の手もとに、中村哲に関する本が4冊ある(それしかない)。
(1)中村哲『中村哲 思索と行動―「ペシャワール会報」現地活動報告集成[上]1983~2001―』(ペシャワール会、2023年6月。以下[1])。
(2)中村哲『中村哲 思索と行動―「ペシャワール会報」現地活動報告集成[下]2002~2019―』(ペシャワール会、2024年6月。以下[2])。
(3)中村哲『天、共に在り―アフガニスタン三十年の闘い―』(NHK出版、2013年10月。以下[3])。
(4)山岡純一郎『炎と水―中村哲と名もなき人たちの旅―』(集英社、2026年2月。以下[4])。
〇[1]では、1983年のハンセン病治療から始まり、2000年の大干ばつによる人々の飢えと苦しみ、多数の幼児の死に直面して「百の診療所より一本の用水路」と唱え、命の水を引く灌漑事業を決断するに至るまでの軌跡(1983年〜2001年)が記されている(「ペシャワール会報」1号(1983年12月)~70号(2001年12月))。[2]では、 クナール河からの大用水路(マルワリード用水路)の建設、過酷な政治情勢や治安の悪化、そして2019年12月に凶弾に倒れる直前までの、中村の真骨頂である悪戦苦闘の「行動力」が克明に記されている(「ペシャワール会報」71号(2002年4月)~142号・号外(2019年12月))。[3]は、中村の、生前の最後の著作である。中村はいう。「現地三十年の体験を通して言えることは、私たちが己の分限を知り、誠実である限り、天の恵みと人のまごころは信頼に足るということです」(5ページ)。「あらゆる人の営みが、自然と人、人と人の和解を探る以外、我々が生き延びる道はないであろう」(246ページ)。[4]は、35年以上にわたり医療支援と灌漑事業(用水路建設)に命を捧げた偉人・中村の信念と足跡、そして彼と出会い、共に関わった「名もなき人たち」の営みを多角的に描いた評伝である。
〇中村は、「平和とは実体であり、観念の問題ではない」([2]332ページ)。「平和とは消極的なものではありません。それは戦争以上に忍耐と努力、強さが要ります。『平和』は、私たちの祖先が血を流して得た結論の筈です。弱い者に拳を振り上げて絶叫するのは、人として卑怯かつ下劣な行為です」([2]74ページ)という。中村が「好む言葉」に「一隅を照らす」([1]254ページ)がある。そして中村は、「私たちの事業は『小さくとも美しい』、『空砲ではなく実弾』〔引用者注:理念より行動を。議論より実のある支援を〕をモットーに進められてきました」([1]300ページ)という。
〇本稿では、[1]と[2]を中心に、留意すべき「平和」や「人間のあり方」についての言説を抽出し、その思想的な核(コア)のいくつかをメモっておくことにする(見出しは筆者)。

「重荷を負いあって生きる」という支援の原点-批判への答弁-
私がパキスタン行きの意志表明をするに当たり、日本では多くの人々の協力・激励と共に、批判もいただきました。(中略)これらの批判を要約すれば、
➀国内でもすべきことは沢山あるのに、なぜ外国までわざわざ出かけようとするのか。
➁現地には現地のやり方があり、彼らが自力で解決すべきで、外国人が親切の押し売りをするのは疑問である。
➂援助は現地の依頼心を助長し、独立性をうばう。
➃現地なりに安定した「平和な」生活を、近代的医療援助は破壊する。
というものであった。その他、極端な意見の中には、「帝国主義の手先である」とか、「人口増加に手をかして貧困を助長する」とかいうものまでありました。また、意地のわるい見方には、「自分の野心やロマンを美化するものだ」というものもあります。(中略)
先ず強調しておきたいことは、人は何処にあっても、どんな立場にあっても、夫々(それぞれ)のやり方で、夫々の重荷を負いあって生きてゆくように召されているという事実であります。これが私たちの出発点であり、くりかえし、たちかえってゆくべき共通点であります。そして、それはあらゆる立場、あらゆる国境を超えて全ての人間に及ぼされるものであります。(中略)
第二に、今日の日本の繁栄に限らず、全ての「繁栄」と名のつくものは、弱者の犠牲の上に築かれてきたことを否定するものはいますまい。悲しいまでに徹底したこの構造は、今日緩和されるどころか、明らかには意識されにくい形で強化されているというのが現状であります。(中略)その中にある私たちが、「自立更生が原則である」といって自ら何もしなければ、それは結局「人のことまでそうかまっておれるか」という態度の別の表現でしかないことがしばしばであります。
第三に、「近代化」というのは発展途上国においては、過去の日本と同様、今や押しとどめることのできない滔々(とうとう)たる歴史の流れであります。「平和なアジアの山村」というのは、われわれの頭の中にある一種の郷愁の産物でしかありません。「近代化」は私たちの想像をはるかにこえて、大規模な形で破壊的に進行している。問題は、いかに良き近代化を彼らと共に模索しあってゆくかということにあります。(中略)われわれの「援助」が「お恵み」ではなく、自助を助けるものであるべきことはいうまでもありません。
ついでに、医療援助が人口増加に手をかして貧困を助長するとか、社会矛盾を隠蔽(いんぺい)するものだとかいう批判について一言。世界最大の医療援助団体たるWHO(世界保健機関)の係官すら、「われわれがそれほどの力をもつことができたら!」というのが嘆きであるのが現実なのです。
最後にもう一度、それでもなお私たちは重荷を負いあい、支えあって生きるという姿勢を捨てるべきではありません。世界が金と力で動かされ、利己主義や敵意、我執(がしゅう)や妬(ねた)みで満ちているとはいえ、この世界をかろうじて破滅から守っているのは、このような「支えあう」という善意の努力かも知れません。([1]17~18ページ)

「哀れな人々に愛の手を」の傲慢 ―共に生きるということ―
ペシャワール会の活動は1992年を以て10年目に入る。(中略)
この間、国際化の声の高まりの中で、ある時は誉めそやされ、ある時は無関心の壁に泣き、ある時は心ない批評に耐え、我々如き取るに足らない一市民団体がよくここまで支えられて来たものだと思う。支える者も、支えられる者も、それぞれの思いを込めて活動に参加してきたに違いない。だが我々は、ただの一度も「哀れな人々に愛の手を」という美辞を並べなかった。それは、現地も日本も大方の者が、支えることによって自らも支えられるという単純な真理に気づいていたからである。([1]230ページ)

「希望」は事実を見据える努力のなかにある―静かで確かな覚悟―
希望や平和もまた、血や汗を流し、身を削って得られるものである。
日本もまた、この17年でずいぶん変化した。現地とは違うが、もっと根深い混乱に陥っているように見えて仕方がない。「人間に本当に希望はあるか」という基本的な問いを我々は共有している。漠たる不安や虚無感がはびこる中で、お手軽な解決策を説く大小の方法や権威に、我々はこと欠かない。人々がやすやすと、これらの餌食になる事情はどこでも、いつでも、同じである。それが政治スローガンであろうと、健康を約束する怪しげな知恵であろうと、幸福と自由を保証する何かの教えであろうと、名利や所有への没入であろうと、享楽による忘我の技術であろうと、科学技術への楽天的な信仰であろうと、同じことである。まして、巧妙な宣伝技術で消費欲をあおり、物質的欲望に耽溺(たんでき)させなければ回転できない経済構造など、見かけ倒しのフィクションである。
だまされてはいけない。希望は、決して捏造(ねつぞう)された思いこみや、野放図な自由の幻覚の中にはない。それは世の常とする虚構を超えて、不安の運動に左右されず、人間と自然の事実を見据えようとする努力の中にある。怪しげな偽りが跳梁(ちょうりょう)する時代の奔流の中で私たちのささやかな活動に何かの意味があるとすれば、困難の上に小さいが確かな憩いの場を築き、見捨てられた人々に慰めを与えてきた、そのことであろう。それによって、自分たちも希望と慰めを得てきたのである。([1]385~386ページ)

「平和は軍事力では達成できない」という教訓―平和憲法の危機―
狂気の時代である。グローバリズムが国際暴力主義と結合して、面妖(めんよう)な世情になってしまった。(中略)
滅びた「正義」に、別の「正義」がとって代わる。時には、「民主主義」や「平和」の仮面をかぶって戦争が正当化される。(中略)私たちは、いとも簡単に市民社会だとか、市民運動だとかを語るが、途上国の一般大衆には先ずもって「市民権」がないことを報告しておきたい。(中略)
平和を語るに消極的な日本の民心を眺めるとき、漠然と「生活と身を守る戦争なら‥‥‥」という無力感と不安が忍び込んでいるのを観る。戦後、日本の民心を正気に連れ戻してきたのは、我々の先人たちの無数の血の犠牲、その記憶たる戦争体験であった。日本は加害者であり、同時に被害者でもあった。そして、その限りにおいて、日本は「平和」の発言者たり得たのである。今まさに、先人の犠牲の結実たる平和憲法の改正が、現実の虚像に基づいて大した抵抗もなく受け入れられようとしているのは、耐え難いことである。(中略)
平和は軍事力で達成できないことを私たちは見てきた。(中略)敵は吾々の内にある。([2]100~101ページ)

「何をすべきか」と「何をしてはいけないか」、その相克―名誉ある孤立-
よく「日本だけが何もしないで良いのか。国際的な孤児になる」ということを耳にします。だが、今熟考すべきは、「先ず、何をしたらいけないか」です。「徳は孤ならず、必ず隣あり」(引用者注:孔子の言葉。正しい行いや道徳を身につけている人は、孤立することはなく、必ず理解し協力してくれる仲間(隣人)が現れるものであると言います。目先の利を離れ、和を唱えて孤立するなら、それは「名誉ある孤立」であり、世界の人々の良心に力強く訴え、真に国民を守る力、平和への国際貢献となるでありましょう。その時、私たちはアジア民衆の友であり、平和日本の国民であることに、胸を張ることができるでしょう。([2]150ページ)

「正気と人間らしさを保つ」ために―欲望と偏見を越える、ひとすじの祈り―
アフガニスタンで起きた出来事から今の世界を眺めるとき、世界は末期的状態にさしかかっているようにさえ見えます。無差別の暴力は過去の自分たちの姿です。敵は外にあるのではありません。私たちの中に潜む欲望や偏見、残虐性が束になるとき、正気を持つ個人が消え、主語のない狂気と臆病が力を振るうことを見てきました。
このような状況だからこそ、人と人、人と自然の和解を訴え、私たちの事業も営々と続けられます。ここは祈りを込め、道を探る以外にありません。祈りがその通りに実現するとは限りませんが、それで正気と人間らしさを保つことはできます。([2]375ページ)

「死んでも撃ち返すな」という信念―「信頼」こそが安全保障―
1992年、ダラエヌール診療所が襲撃されたとき、「死んでも撃ち返すな」と、報復の応戦を引き止めたことで信頼の絆を得、後々まで私たちと事業を守った。戦場に身をさらした兵士なら、発砲しない方が勇気の要ることを知っている。(中略)
私たちPMS(平和医療団・日本)の安全保障は、地域住民との信頼関係である。こちらが本当の友人だと認識されれば、地元住民が保護を惜しまない。
そして、「信頼」は一朝にして築かれるものではない。利害を超え、忍耐を重ね、裏切られても裏切り返さない誠実さこそが、人々の心に触れる。それは、武力以上に強固な安全を提供してくれ、人々を動かすことができる。私たちにとって、平和とは理念ではなく現実の力なのだ。私たちは、いとも容易に戦争と平和を語りすぎる。武力行使によって守られるものとは何か、そして本当に守るべきものとは何か、静かに思いをいたすべきかと思われる。([3]244ページ)

〇以上の言説は、戦乱と干ばつ、飢餓に苦しむアフガニスタンで展開されたものである。そこに通底するのは、「病気どころではない。まず生きておれ!」([1]416ページ)という愚直な 「命」(いのち)と「生」(せい)の肯定であり、「人間とは命であり、自然と人、人と人の関係性のなかにしか生きられない存在である」という、冷徹に現実を見つめた人間観、そして平和観である。そこでは、武器による防衛力や軍事力ではなく、地域住民と利害を超えて築きあげた「信頼こそが安全保障」に他ならないとされる。それは、人間は単独で完結する孤立した存在ではなく、他者と「重荷を負いあう関係性」において初めて人間たり得るという思想に他ならない。
〇従ってそれは、単に「人と人はつながって支えあおう」という情緒的なスローガンとは一線を画す。「他人様を助けることは何かを捨てることです。与えるとは自分の何かを失うことです」([1]127ページ)。自らの内にある欲望や偏見、そして他者の犠牲のうえに成り立つ「偽りの繁栄」の構造を厳しく自覚したうえで、なおも国境や立場を超えて互いに命を支えあうという「静かで確かな覚悟」である。自然と人、人と人との生々しい現実(事実)を凝視するなかで、お互いが「支え、支えられる」という人間の原点に立ち返ること――それこそが、狂気に満ちた世界のなかで正気と人間らしさを保ち、真の平和と希望を紡ぎ出すひとすじの道である。「支え合い」とは、「相手の立場を理解し、そのために心を砕く事」([1]177ページ)である。中村の言葉はこう教えてくれる。
〇別言すれば、中村が取り組んだNGO活動や平和への言説は、(1)「構造的な視点」の獲得:「人道支援」や「命の尊厳」といった情緒的・表層的な綺麗ごとではなく、現代の繁栄は弱者のうえに築かれているという社会構造を直視すること。(2)「内なる狂気」への内省:戦争の原因は、外部(他国や悪人)にあるのではなく、「私たちの内にある欲望や偏見、残虐性」が束になったものであるとする内省的なアプローチ。(3)「正気を保つための営為」としての支援:彼らの活動は、単なる「困っている人を助けるボランティア」ではなく、「人間が人間として正気で生きるための根源的な営み」であるという認識。(4)「共に生きる」ことへの覚悟:現代社会に溢れる形骸化した「絆」や「共生」という言葉と決定的・根源的に異なる、自らの身を削り、痛みを覚えながらも「共に生きる」ということについての「静かで確かな覚悟」、などが提示されているといえる。

付記
〇筆者の手もとに、批評家・作家である東浩紀の著書『平和と愚かさ』(ゲンロン、2025年12月)がある。そこで東は、「平和の本質は戦争をしないことにあるのではない。戦力を放棄することにあるのでもない。戦争について考えないことが許されていることにある」(22~23ページ)と指摘する。
〇一般に「平和」とは、命の危険や生活の保障、あるいは国家の存亡といった深刻な事態を心配することなく、安心して日常生活を送ることのできる状態を指す。これに対して、東のいう「愚かさ」とは、知性や判断力の欠如を意味するのではなく、そうした深刻な問題を日常的に意識せずに暮らせる状態を指す。別言すれば、人々が戦争や国家の危機について考えずに日々の生活を営めることこそが、「愚かでいられる状態」なのである。
〇こうしてみると、「平和」と「愚かさ」は、一見相反する概念のように思えるが、実は表裏一体の関係にあることがわかる。愚かであること(=深刻な問題を考えずに済むこと)が許容される状態こそが平和であり、平和であるからこそ人は愚かでいられるのである。こうした東の逆説的な視点は、単なる言葉遊びではなく、現代の平和観を問い直すひとつの見解として興味深い。付記しておく。

大橋謙策/大橋謙策研究 第11巻:中山道 六十九次 よろよろへとへと道中記

 

 































 

大橋謙策研究 第11巻
中山道 六十九次 よろよろへとへと道中記

発 行:2026年4月30日
著 者:大橋謙策
発行者:田村禎章、三ツ石行宏
発行所:市民福祉教育研究所

 


阪野 貢/「つながり」を基盤とした市民福祉教育の展望 ―志水宏吉・ほか編著『社会関係資本を活かした学校づくり』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、志水宏吉・中村瑛仁・若槻健編著『社会関係資本を活かした学校づくり―事例とデータでみる子どもたちの「つながり」―』(ミネルヴァ書房、2025年6月。以下[1])と志水宏吉・若槻健編『「つながり」を生かした学校づくり』(東洋館出版社、2017年3月。以下[2])がある。「社会関係資本」(social capital)の概念を用いて、[1]では、子どもと子ども・教師・学級・家庭・地域との「つながり」を生かした学校づくりについて、事例調査と統計分析を通して実証的に探究する。[2]では、なぜ「つながり」が「学び」の充実につながるのか、「つながり」をどのように育んでいくか、学校は周囲との「つながり」をどのように生かせばよいか、等を20校の事例研究を通して明らかにする。その際、2007年に実施された「全国学力・学習状況調査」に依拠して導き出された、「離婚率」「不登校率」「持ち家率」の3つの要因による「つながり」の格差が学力の格差を生む、という言説がひとつの前提になっている。そして、これら[1]と[2]に共通する結論は、子どもたちを取り巻く「社会関係資本」=「つながり」を豊かにすれば、子どもたちの育ちや学びをよりよいものにする可能性が高まる([1]227ページ)、ということである。「つながり」こそが子どもを育てるのである([2]6ページ)」。
〇図1は、学校づくりに関する3つのタイプの社会関係資本(「つながり」)を示したものである([2]16~17、19ページ)。「きずな型」([1]では「絆型」と表記)は「内輪のつながり・結束の強さ」、「架け橋型」(同「橋渡し型」)は「外部とのつながり・風通しのよさ」といえる。ともに、主として「横の関係」で成立するものである。「結合型」(同「連結型」)は、学校の外部の専門家や専門機関などとの「つながり」を示すものであり、「縦あるいは斜めの関係」において成り立つタイプである([1]11~12ページ)。

図1 社会関係資本の3つのタイプと「つながり」

 

〇ここで、例によって我田引水的であるが、「まちづくりと市民福祉教育」に留意しながら、[1]と[2]の言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「つながり」は学校内の「格差」を乗り越えるための資源である
家庭や個人が持つ資源は、経済資本、文化資本、そして社会関係資本という3つで把握することができる。経済資本(お金や財産)は、家庭の間に著しい格差があり、子どもたちは「豊かな家」や「貧しい家」に生まれ育つことになる。文化資本とは、親の学歴や教育観(教育というものを大事に考える姿勢・態度)から成り立つものであり、現代にはここにも大きな格差が生じている。それに対して社会関係資本は、独自の、大きな力を発揮するポテンシャル(潜在能力、可能性)を有している。子どもたちの間に存在する経済的・文化的不均衡を是正する力をもつものが、「社会関係資本=つながり」である。([1]224ページ)

地域を巻き込んだ学校づくりは子どもの「一般的信頼」と「外つながり志向」や「共生意識」を高める
学校づくりにおいては、子どもの身近な他者への信頼(「安心」)とともに、見知らぬ人も含む、幅広い他者への信頼(「一般的信頼」)にも着目することが重要である。([1]144ページ)/一般的信頼は、特定の他者との「つながり」によって育まれるが、特に地域の人たちとの「つながり」や教師との「つながり」が重要な要因となる。また、一般的信頼が育まれることによって、身内で固まるばかりでなく、外の世界に飛び出して、誰とでも交流しようとする志向性(「外つながり志向」が生まれる。加えて、多様な他者と共に生きているという感覚(「共生意識」)も高まる。([1]147~148ページ)

学校と地域の「つながり」が子どもの「レジリエンス」や「ウェルビーイング」を高める
地域との「つながり」が高い学校では、子どもの「レジリエンス」だけではなく、学校における「ウェルビーイング」も高い傾向にある。「レジリエンス(resilience)」とは、「心の柔軟性」などと訳され、さまざまな生活上の課題に粘り強く、柔軟に取り組む資質を指す。一方で、心の「回復力」とも解釈され、失敗した時や困難に直面した時に、その「ショックから回復し、状況に適応していく力」としても捉えられる。「レジリエンスが高い」とは、それらの課題や困難に柔軟に対応し、乗り越える力が大きいことを意味する。([1]199ページ)/「ウェルビーイング」とは、子どもが学校生活を含め日常生活を安心して過ごせている状態をいう。([1]202ページ)。

教師間の「つながり」(チーム指導と支援)が子どもの自尊感情やウェルビーイングを高める
教師が互いに連携・協働して、個々の生徒の状況について情報を共有しアセスメントを行ったり、学校内外の多職種と連携・協働することによって、教員集団の多様な生徒の課題・ニーズに対する感度(共振性)が高まる。こうした教職員の「チーム」としての実践は、子どもに対する集団指導と個別支援の「歯車を合わせる」ことになる。その結果、学校組織内での教師間の「つながり」が強まり、ひいては子どもの自尊感情やウェルビーイングを下支えすることになる。([1]55~56ページ)。

「つながり」は子どもの学びを豊かにするとともに市民性の涵養を促す
人と人との「つながり」なくしては、人は決して育たない。人の「学び」は、基本的に人と人との「かかわり」のなかで生じる。([2]13ページ)/社会経済文化的背景が厳しく、抱える困難が大きな「しんどい」子や地域にとって、「つながり」は決定的に重要である。([2]261ページ)/教師の役割は「つなぐこと」である。([2]256ページ)/学校と学校外の「つながり」の(「連携」ではなく)「協働」モデルは、保護者・地域の多様な思いや校種間の教育観の違いを取り込むことで学校文化を多様で子どもたちにとってより安心して育ち、豊かに学ぶものへと変容させる可能性に開かれている。([2]259ページ)/仲間を大切にすること、仲間をつくる力といった「つながり」は、「仲間とつながる力」「市民として社会を担い、社会をよくしていく力」といった市民性(シティズンシップ)の中核をなすものである。また、異年齢で交流したり、地域社会で学ぶことも市民性の涵養を促してくれる。([2]265ページ)

〇「社会関係資本」(以下、「SC」と略す)については、アメリカの政治学者パットナム(Robert D.Putnam)の研究が知られている。パットナムは、1993年に出版した『哲学する民主主義』(河田潤一訳、NTT出版、2001年3月。原題Making Democracy Work:「民主主義を機能させる」)において、SCを次のように定義した。「調整された諸活動を活発にすることによって社会の効率性を改善できる、信頼、規範、ネットワークといった社会組織の特徴」(河田潤一訳、206~207ページ)、がそれである。要するに、SCは、人々の協調行動を活発にすることによって、社会の効率を高める働きをする社会的な関係をいう。そして、その内実・構成要素は「信頼」「規範」「ネットワーク」の3つである。具体的に言えば、人々の協調行動を活発にする「ネットワーク」(つながり)と、そこから生まれる互酬性の「規範」(お互いさまの支え合い)、そして知らない人を含んだ人々に対する一般的な「信頼」(信じあう心)が、SCを形成するのである。
〇すなわち、いろいろな人々同士が社会的に豊かにつながり(ネットワーク)、それに基づいて互いに信頼しあい(信頼)、“お互いさま”という思いから互いに支え合うこと(互酬性の規範)によって地域・社会の諸問題が解決され、より良い統治が進み、豊かな地域・社会が創り出される、という論理である。
〇志水らは、パットナムのSC論によれば、「ネットワーク」(つながり)に焦点化して論理の展開を図る。その際、底流に流れるのは、スイスの心理学者ピアジェ(Jean Piaget)の学習観(「学びは個人の頭のなかで起こる」)ではなく、学びは他者との共同的な活動を通じた社会的なプロセスであるとするロシアの心理学者ヴィゴツキー(Lev S. Vygotsky)の学習観(「学びは人と人との間で起こる」)である([2]12~15ページ)。
〇志水らによる一連の研究は、子どもを取り巻く「つながり」が、家庭の経済資本や文化資本の格差を乗り越え、子どもたちの育ちや学びを支える決定的な資源であることを実証している。ここで示された「きずな型」「架け橋型」「結合型」という3つの「つながり」の様態は、学校教育の枠組みを越え、「まちづくりと市民福祉教育」の核心とも深く共鳴するものである。
〇「ふくし」(「ふだんの、くらしの、しあわせ」)を支える基盤は、「つながり」である。志水らによると、地域との「つながり」を持つ子どもは「一般的信頼」や「共生意識」が高い傾向にある。これは、特定の身内だけで固まる閉鎖的な互助(「きずな型」)に留まらず、多様な他者と出会い、認め合う「風通しのよさ(「架け橋型」)」が、子どもの市民性を育んでいることを示唆している。市民福祉教育の本質は、単なる「思いやりの心」の育成やボランティア活動の体験ではなく、こうした多様な「つながり」のなかで「共に生きる作法」を学び、自らのウェルビーイングと地域のそれを形作っていくプロセスにある。
〇特に注目すべきは、「つながり」が子どもの「レジリエンス」を高めるという点である。現代社会において、子どもたちが直面する困難は複雑化している。しかし、学校が地域と「つながり」、教師や学校外の専門家、地域住民などが「結合型」のネットワークを構築することで、子どもは失敗しても立ち直れる「心の回復力」を得ることができる。この「受容される安心感」こそが、市民としての自律を支えるのである。
〇今後の「まちづくり」においては、学校を、地域社会の「つながり」を醸成するひとつの「ハブ」(結節点)として再定義する必要がある。教師の役割が「つなぐこと」であるのと同様に、市民福祉教育の推進者もまた、子どもと地域、あるいは困難を抱える人たちと社会資源とを編み直す「コネクター(接続者)」でなければならない。
〇「つながり」こそが子どもを育て、「つながり」こそが地域を再生し、「まちづくり」を進める。子どもたちが学校という枠を越えて、地域の多様な大人たちと関わる。そのなかで、「自分も社会の一員であり、誰かの『ふくし』に寄与できる」という実感を積み重ねる。そのプロセスこそが、真の意味での市民性の涵養である。そこに、社会変革・社会戦略としての「まちづくりと市民福祉教育」が位置づくのである。

阪野 貢/「多様性」の功罪:「共関」(≠共感)と「協繋」(≠連帯)をめぐって― 岩渕功一著『多様性とどう向き合うか』のワンポイントメモ―

国家として政策・法整備をしっかり進めて、差別や不平等を解消するための施策、法的地位の改正、差異の承認と多文化社会の構想を育むための市民教育などに国レベルで取り組むことは喫緊の課題である。(下記[1]71ページ)

〇筆者(阪野)の手もとに、岩渕功一著『多様性とどう向き合うか―違和感から考える―』(岩波新書、2025年12月。以下[1])がある。「多様性」という言葉やそれを尊重し奨励する言説や態度に、耳ざわりのいい・居心地のよい「共生」「共存」の物語を感じるが、どこか違和感を覚える。[1]は、「多様性」が既存の差別や不平等を隠すための免罪符になっていないかを問い、その言葉の欺瞞を暴きながら、他者との真の共生のための思考の枠組みを提示する。その際、岩渕の立論は、「多様性の尊重と奨励は、社会の中心に位置するマジョリティによって価値判断され管理される対象として存在している。多様性の語りは、マジョリティの/による/のためのものである」(14、15ページ)という認識を基点に置く。こうした状況が社会に組み込まれた(構造化・制度化された)差別や不平等を再生産し、マジョリティによる包摂と管理をもたらしている、と説くのである。
〇あえて先に結論を引くならば、岩渕のメッセージはこうである。「多様性を奨励する語りが問題なのは、あたかも多様性をめぐる問題が解決したかのように、あるいは多様性の奨励によって問題が解決するかのように語られることにある。(中略)多様性の奨励をめぐるさまざまな経験や違和感に目を向けて、耳を傾けて、構造化・制度化された差別・不平等の複雑な作用に向き合いながら、それを乗り越えていく方途をモヤモヤ感やしんどさと付き合いながら、さまざまな人たちと共に考えて話し合うことで、少しずつ自分を、周りの人との関係を、そして社会を共に変えていくことを目指すべきではないか。」(174ページ)。
〇本稿では、例によって恣意的であるが、次の4点についてメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

封じ込めと後景化:多様性の尊重と奨励は、社会に組み込まれている差別や不平等に向き合って解消する取り組みを封じ込め、後景化・後退させるような作用をもたらしている
多様性は文化的にも経済的にも有益で、生産的で、調和的で、豊かさをもたらすと肯定的なものとして語られるようになり、差異をめぐる差別と不平等の問題は挑戦的で、分断的で、否定的なものとみなされてしまいがちである。/多様性をめぐる問題を真剣に考えるのなら、差異をめぐるあらゆる差別、不平等、周縁化、生きづらさの問題に正面から向き合い、その解消に取り組むことは急務である。(中略)さまざまな企業、政府、自治体、教育機関、国際機関、NGO/NPOが多様性を尊重して受け入れ、活かすことが組織・社会のパフォーマンスの向上にとって重要だとしてその奨励・推進を謳っているが、制度化・構造化された不平等、格差、差別といった根源的な現実の問題が後景に追いやられてしまい、その問題の解消に継続して取り組んでいく必要を見失わせてはいないのか注視して検証することが求められる。(47ページ)

構造化の理解:多様性とは単なる個性の尊重ではなく、構造化された差別や不平等を直視し、それを自分ごととして捉え、その解消に向けて取り組む実践である
差別や不平等が社会の仕組みに組み込まれたものであることを理解すれば、多様性を奨励する取り組みに抱いていた自らの違和感に対して、これまでとは異なる見方ができるようになるのではないか。(118ページ)/多様性の尊重と受け入れの根幹にあるのは、差異をめぐる差別と不平等の解消であること。同じ社会に生きている人たちが何らかの差別や不平等を被っているとすれば、それは自分とは切り離されたものではあり得ないこと。それに疑問を呈して解消することは誰もが関わる社会全体の問題であること。それは個人の思いやりや優しさだけでは解消できないこと。そして、その解消は誰をもより生きやすくすること。/こうした発想の転換をすることで、社会における多様性をめぐる差別や不平等の問題を自分とは関係のない他人ごとであると認識するのではなく、それに関与したり対話しようとしたりする姿勢が育まれていく。構造化の理解は、他の人たちが経験している問題を自分ごととして捉えて、より能動的に関わっていくことを促してくれるのである。(118~119ページ)

共感から共関へ:社会変革にとって重要なのは、単に他者に対する共感力を持つことだけでなく、他者の苦難や生きづらさに自分自身も関与していることを認めることである
差別や生きづらさが社会で構造化されているとすれば、少なくとも同じ社会で生を営んでいる自分もそれに関わっており、不公正に対して異議を唱えて是正する務めがあると自覚することである。他者の苦難や生きづらさを自分ごととして考えるには、それをもたらしている社会のあり方とその変革には、その社会で生きる自分自身も意識する、しないにかかわらず、関わっていることを認識することが欠かせないのである。それは共感力を、誰もが共に関わっているという「共関」意識に結びつけることを意味する。(130ページ)/自分と異なる他者の感情や経験を理解し想像しようとする共感力は大切であるが、それに加えて、歴史的・社会的な文脈の中で構築されてきた他者が被る差別・不平等に対しての、同じ社会の一員である自分の関わりという軸を入れ込むことで、社会で構造化された問題に対する当事者意識とその是正に向けて、自分ごととして継続的に考えていくことを促す共関意識が芽生えてくるのではないか。(131ページ)

連帯から協繋へ:自分の経験とは異なる他者の差別や生きづらさに向き合い、同じではない当事者として支え合うためには、「学びひらき」と緩やかな「協繋」が求められる
社会において知らぬ間に布置されてきた自己と他者の不均衡で分断された関係性に気づき、批判的に向き合い、他者との関係性を自覚的に編み直し、より包含的で対話的な自己と他者の共生のあり方を模索する学びのあり方(プロセス)を「学びひらき」という。この学びひらきは、社会横断的な連帯につながる(136ページ)/(差別や不平等によって)分断化された状況に抗うには、多様な差別や生きづらさの経験をつないで互いの生きやすさを保証し合う在り方を模索する必要がある。(137ページ)/(それは連帯につながるが)連帯というと強い政治的あるいは苦難や利害を共有する集団の団結・結束を思い浮かべるかもしれない。しかし、今より求められているのは多様な生のあり方を肯定して、誰もが=自分も生きやすいように社会のあり方を共に変えていくことに向けた、差異を横断するしなやかな連帯である。(138ページ)/その意味ではむしろ「協繋(きょうけい)」という言い方が適切かもしれない。(中略)協繋は異なる価値観を持つ人々が、社会における不公正や不正義にともに抗うために対等な関係で関わり合うことである。(中略)少なくとも、いかなる差別に対しても理不尽でおかしいと向き合おうとすることである。(138~139ページ)

〇最後に、例によって、以上の言説を「まちづくりと市民福祉教育」に引き寄せて一言しておきたい。ひとつは、「まちづくりと市民福祉教育」の根幹にある「共感」の本質的転換についてである。「まちづくりと市民福祉教育」において、高齢者や障がい者が直面する差別や生きづらさに単に情緒的な「共感」を寄せ、抽象的に「共生」を語るだけでは不十分である。その困難を生み出している社会構造や慣習に対し、無意識のうちに自分自身も加担しているという「当事者性」の自覚こそが不可欠である。こうした「共関(共に、関わり、関心を持つ)」意識を促す教育的営為こそが、岩渕の提唱する「学びひらき」の実践に他ならない。社会構造のなかに自分自身を位置づけ直すことで、高齢者や障がい者と共に社会を変革しようとする能動的な姿勢が初めて立ち現れるのである。
〇いまひとつは、「連帯」の質的転換についてである。「まちづくりと市民福祉教育」において、これまでの連帯は往々にして等質な集団による「同質性の連帯」に留まり、排他的な側面を持っていた(同質性による排除)。また、具体的な実践を伴わないまま、抽象的・理念的に「自立と連帯」のまちづくりについて説くこと(手垢のついたスローガン)に終始してきた感は否めない。今後は、異なる背景を持つ人々が共生する「異質性の連帯」へと、その質的転換を図る必要がある。岩渕が説く「協繋」こそが、異なる価値観を持つ人々が対等に関わり合い、共に社会の不公正に抗う「まちづくり」のための基盤となるのである。

阪野 貢/「5つの物語」再考―「共感の論理」の再構築と「構造変革の教育」への昇華―

〇本稿は、『5つの物語:その思想とメッセージと覚悟―「思いやり教育」から「権利と構造変革の教育」へ―』2025年12月15日/本編、の補遺である。

「共事者」という視点:当事者と傍観者のあいだ
〇人はしばしば、ある事柄に対して当事者か非当事者(部外者、傍観者)かという二項対立に陥りがちである。当事者でなければ口を出してはいけないという自制や、当事者ではないことへの後ろめたさが、人々の関わりを阻害してしまうことも少なくない。小松理虔は、震災の被災地でありながら直接の被害が少なかった福島県いわき市小名浜での出来事や活動から、「中途半端さ」や「共事者」という概念を提唱する。この概念は、特定の専門家や熱心な活動家だけでなく、曖昧な立ち位置にいる多くの市民が「事を共にする」可能性を示唆するものである。自分自身の中途半端さを引き受け、当事者の傍らで関心を寄せ続ける「弱いつながり」こそが、強固な分断を溶かし、多様な人々を結びつける新しいコミュニティ(地域共生社会)の基盤となるのである。ほどよい距離感で関わり続ける「関心の継続」にこそ、新しいコミュニティの可能性があると言えるのである。

「依存」の再定義:依存を豊かにする編集術
〇白石正明や上野千鶴子の言説が示す通り、自立とは「依存先を分散し、豊かにすること」である。これを実現するためには、渡邉雅子が提唱する「多元的思考」を駆使し、現代社会を構成する「経済」「政治」「法技術(法、規範)」「社会」の異なる論理を柔軟に使い分けながら、目の前の困難を個人的な問題から社会的な「編集」(白石)の対象へと転記していく作業が求められる。また、梅川由紀が論じる「ゴミ屋敷問題」にみられるように、社会規範から逸脱した「傾き」を排除せず、その個別の文脈を尊重しながら周りの環境や構成を変える・整えるという作業・行為が肝要となる。そして、小松が説くように、「だれかの悲しみのよそ者」であることを自覚し、その「寄り添えなさ」に向き合いながら細い糸を手繰(たぐ)り寄せるように社会を編み直していくのである。

「共感の論理」の再構築:不可解性の受容
〇奥田知志が提唱する「不可解性」の受容は、他者理解を根底から覆す。人はお互いが「共感不可能」のなかに生きていることを認めることが、真の共生の出発点である。「あなたを完全には理解できないが、共にここにいる」のである。また、小松が説く「共事者」のように、中途半端で曖昧な関わりを許容する緩やかなネットワークを地域に張り巡らすことが肝要となる。このネットワークのなかで、人々は「支援者/被支援者」という二分法的な立場を脱却し、共に事にあたる『共事者』へと変容する。そこでは、「助けること」と「助けられること」が循環し、「受援」が特別な弱さではなく、共生のための作法として共有される。また、渡邉が言う「共感の論理」は、単なる同一化(かわいそうに思うこと)ではなく、相手の背景にある異なる論理を理解しようとする「多元的思考」と表裏一体のものである。それは情動に終わらず、誰もが「助けて」と言い合える社会の土壌を育み、一人ひとりが守られているという確かな安心感へと昇華されるのである。

「構造変革の教育」への昇華:市民福祉教育の視座
〇従来の「福祉教育」は、ともすれば個人の内面や道徳心に訴えかける「思いやり教育」に重きが置かれてきた。しかし、個人の善意のみに依拠するアプローチは、現状の社会構造を温存させ、かえって「助ける側(強者)」と「助けられる側(弱者)」の分断を固定化する危うさを孕んでいる。
〇渡邉が説く「共感的利他主義」(共感に基づく利他主義)は、相手の苦しみや悲しみを「自分ごと」として感じて手を差し伸べる、日本的な倫理観に基づく行動原理である。これは、辺見庸が吐露した「ケアされる側の激しい憤り」とセットで考えられなければならない。「明るいの反対はなーに?」という無邪気な問いかけが、一人の人間の尊厳を「かれらなんか」という枠に押し込める暴力となり得るのである。そこで、辺見がまた指摘した街角の「オババ」に対する無知や無関心を問い直し、不可視化された存在を地域という文脈のなかに再構成(編集)する知性が必要となる。
〇「市民福祉教育」は、単なる「思いやり」や「優しさ」を教えるのではなく、「まち」に暮らす他者の不可侵の尊厳(権利)に触れる際の、震えるような緊張感を教える場であるべきである。すなわち、市民福祉教育は、個人の「弱さ」やさまざまな「依存」を人間存在の普遍的な姿として捉え直す。そして、その条件のままに生きられるよう、白石がいう社会の「分母」(生産性至上主義、自己責任論)を問い直す。そのなかで、新しい価値観を創造する「構造変革の教育」へと昇華させる必要がある。
〇別言すれば、市民福祉教育とは、地域に潜在する「弱さ」を「輝き」に変えるための「社会の編集術」(白石)を習得するプロセスである。 「思いやり」という内面的なアプローチから脱却し、エイジズムや能力主義という社会構造を問い直す権利意識を育むこと。辺見の痛切な叫びや小松の誠実な葛藤を指針として、情動的な「共感」を論理的な「多元的思考」と連携させ、誰もが安心して依存できる「希望のまち(みんながつながるまち)」(奥田)を再設計すること。 「わたしがいる、あなたがいる、なんとかなる」という確信を、個人の心ではなく地域の「構造」のなかに根付かせること。この構造変革こそが「ふだんの くらしの しあわせ」(阪野)を支える土台となる。こういった新たな「視座」を提示することが、「まちづくりと市民福祉教育」の本質であると言えよう。

備考
2026年1月4日、タイトル『5つの物語:その思想とメッセージと覚悟―「思いやり教育」から「権利と構造変革の教育」へ―』を、『草稿「ふだんの くらしの しあわせ」それを編み直す7つの視座―「思いやり教育」から「権利と構造変革の教育」へ―』に変更した。

阪野 貢/「不可解性の受容」に基づく「なんとかなる」「希望のまち」づくりの社会哲学―奥田知志著『わたしがいる あなたがいる なんとかなる』のワンポイントメモ―

「生きる意味のない “いのち”」なんて、あってたまるもんか

〇筆者(阪野)はかつて、本ブログに<雑感>(70)「“助けて”と言えない無縁社会」×「“違った意見”が言えない統制社会」:気がつけば民主主義が民主的な手続きによって内側から壊れている―奥田知志を読む―/2018年12月25日/本文 をアップした。今回、久しぶりに、奥田知志の新刊『わたしがいる あなたがいる なんとかなる―「希望のまち」のつくりかた―』(西日本新聞社、2025年8月。以下[1])を読んだ。
〇奥田は、北九州市において、30年以上にわたり生活困窮者支援の最前線に立ち続けてきた。[1]は、その活動の歩みから、支援の現場で培われた思想・哲学、そして誰も取り残さない「まち」をめざす未来への提言までを綴った随筆を集成したものである。それは、北九州市の特定危険指定暴力団の本部事務所の跡地という「怖いまち」の象徴だった場所を、「なんとかなる」「希望のまち」に再生する物語である。
〇いま、孤立と分断、困窮と格差、偏見と差別が常態化している。自己責任や身内の責任が必要以上に強要され、「助けて」と言えない人が増えている。自分だけ良ければいいという「自分病」(79ページ)が蔓延している。そんな構造的な問題を抱える現代社会にあって、奥田が理事長を務める認定NPO法人「抱樸(ほうぼく)」では、人と人との横の「つながり」を大切にし、「出会いから看取りまで」という伴走型支援を実施してきた。そしていま、「誰もひとりにしない」まち、「なんちゃって家族」のまち、「助けて」と言えるまち、の実現をめざして、(「なんとかする」ではなく)「なんとかなる」を合言葉(モットー・哲学)に「希望のまち」プロジェクトの推進を図っている。奥田は言う。「『希望のまち』は、『縦の成長』を羨望しつつも『横の成長』で共存するまちでありたい」(235ページ)。
〇「誰もひとりにしない」まちは、「ハウスレス(経済的困窮)」のみならず「ホームレス(社会的孤立)」の解消を最大の目標とする(174ページ)。「なんちゃって家族」のまちは、「家族機能の社会化」によって、家族でもなんでもない赤の他人が温かく緩やかにつながって日常を共に過ごす新しい家族の形を築く場をめざす(224~226ページ)。「助けて」と言えるまちは、誰もが「助けて」と言え、「助けて」と言われる相互扶助・支援や相互実現の関係性が機能する社会の実現をめざす(240ページ)。そして、「希望のまち」は、「助ける」と「助けられる」という営みが「いいかげん(ちょうど良い加減)」になるなかで創られ、どんな人も取り残すことのない「地域共生社会」を言う(245ページ)。
〇その「地域共生社会」について奥田はこう言う。それは奥田からの愛あるメッセージであり、奥田の確かな覚悟である。

われわれは、お互いが「共感不可能」の中に生きている。それを認めることが「共生」の始まりだ。いわば「共感不可能性の共感」である。/今、世界は「わかりやすさ」を軽薄に求めているように見える。「敵か味方か」「白人か有色人種か」。性的マイノリティーを侮辱し、多様性を否定し、他の民族や文化をヘイトする。「意味のないいのちと意味のあるいのち」と簡単に言う。「わかりやすい分類」は「分断」に過ぎない。/「別の人間」が「別の人間」として共存する。そのとき「別の人間である」あなたを尊重し、出会いを喜ぶことができるか。「わかりにくさ」、つまり「不可解性への耐性」が今求められている。それこそが相互豊穣の契機となる。/抱樸が創る「希望のまち」は「別の人間」が集まる場所。「別人」であることを喜べる場所。自分は自分のまま生きていてよい場所。わかりにくいが、面白い場所。(中略)そんなまちを創りたい。(267~268ページ)

〇およそ以上が、奥田の主張・言説のひとつのポイントである。それを、「まちづくりと市民福祉教育」に引き寄せて一言(別言)しておきたい。
〇奥田にあっては、人はその複雑さゆえに、互いの存在を完全に理解するには限界がある。人を安易に二項対立的に分類したり、ある概念に押し込めることはできない。それぞれが、それぞれの違いを認め合い、理解できないそれぞれの部分も受け入れることが真の「共生」の土台となる。この考え方を市民福祉教育の観点から捉え直せば、真の共生を実現するための市民福祉教育は、この「不可解性」を学ぶ教育でなければならない。その目的は、自分にとって「不可解」な他者を排除せず、その存在を尊重できる市民的資質・能力を育成すること(市民性形成)にある。これは、「多様性」や「共生」を表面上・抽象的に語る姿勢を超え、生きづらさが社会構造的に常態化している現実と対峙することに繋がる。そして、この「不可解性の受容」を出発点として、誰もが生きやすい土壌を地域に耕し、構造的な変革としての「まちづくり」を推進することが、いま、真に求められているのである。「対峙」とはただ向き合うことだけではない。自分をつくり変え(再構築)、まちをつくり変える(再設計)、「創造のプロセス」を言う。
〇奥田はいま、「誰もひとりにしないまち」の実現をめざして、「希望のまち」づくりを進める。建物・施設としての「希望のまち」は、救護施設や交流スペースなどの複合的な機能を内包しながら、「地域の中に施設がある。施設の中に地域がある」(259ページ)という、日常に開かれた空間をめざすものである。この「まち」の重要な機能は、「なんちゃって家族」の関係性の創出であり、「助けて」と言い合えるコミュニティを地域に根差した日常の生活圏で構築することにある。この思想は、特別な活動ではなく、誰もが孤立しない何気ない日常を創り出すことにある。この点を市民福祉教育に落とし込むならば、そのための教育的営為(市民福祉教育)は、特定の施設・機関や活動のなかだけにあるのではなく、日常の生活圏全体を学びのフィールドとして、みんなの生涯にわたる “ふだんのくらし” のなかでこそ育まれるべきものである。
〇また、奥田が言う「なんとかなる」は、無責任・無批判な楽観論ではない。また、「なんとかする」という自己完結的な責任論でもない。それは、「わたしがいる あなたがいる」から「なんとかなる」という、他者への信頼を基盤とし、人と人との関係性(「つながり」)のなかで共同体的な問題解決を志向するものである。市民福祉教育の文脈では、市民一人ひとりが困難に直面した際に、自己責任論に陥ることなく、誰かとつながっていれば「なんとかなる」と信じられる地域的な安心感を醸成する営みと言える。この安心感こそが、誰もが「助けて」と言える「希望のまち」(みんながつながるまち)を築く土台となるのである。

補遺
本ブログの<雑感>(235)に、新美一志/福祉教育における「当事者性」と「相互主体性」に関する一考察―松岡広路、阪野貢、鯨岡峻の言説をめぐって―/2025年6月22日/本文 がアップされている。併せて参照されたい。

阪野 貢/「ごみ屋敷」考:「ごみは、人がごみと認識したときにごみになる。」―梅川由紀著『ごみと暮らしの社会学』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、梅川由紀著『ごみと暮らしの社会学―モノとごみの境界を歩く―』(青弓社、2025年5月。以下[1])がある。[1]では、ごみを単なる解決すべき環境「問題」としてではなく、日常生活に密着した「生活文化」として捉える(「問題としてのごみの研究」から「生活文化としてのごみの研究」へ)。そのうえで、「現代日本の都市部に住む人々にとって、家庭から排出されるごみはどのような存在なのか」を明らかにする(27ページ)。具体的には、「ごみとモノの境界がどこにあるのか、時代によってその境界がどう揺れ動いてきたのか、ごみとモノの価値の違いとは何なのか」などについて、多くの雑誌や資料の分析、ごみ屋敷におけるフィールドワークを通して論述する(カバーそで)。
〇その際、梅川にあっては、モノには、「機能的価値」、「心情的価値」、「可能性的価値」という3つの価値が存在する。「機能的価値」とは「モノがもつ機能面に対する価値」(279ページ)、「心情的価値」とは「モノに与えた個人的な思い出や意味に対する価値」(281ページ)、「可能性的価値」とは「モノを所有することで得られるだろう未来の可能性に対する価値」(282ページ)をいう。モノは、この「3つの価値のいずれか、あるいは複数の価値をもつ対象(物品)」である。一方、ごみは、「モノの3つの価値を失ったもの、あるいは価値を放棄した対象(物品)」である(293ページ)。そして、梅川は、「モノとごみの間に存在し、完全にモノやごみとは言いきれない、あいまいな価値をもつ状態」(54ページ)、別言すれば「モノの3つの価値の一部を有し、一部を失った対象(物品)」(293ページ)として「マージナルな対象(物品)」というカテゴリーを想定する。それは要するに、モノとごみとの曖昧な境界領域(マージナル)に存在する中古品やリユース品などである。
〇また、梅川は[1]で、高度経済成長期の生活様式の変化によってごみと人間の関係、ごみとモノの境界がどのように変化したか、その社会的プロセスを追究する。例えば、掃除機の普及によって、掃除の仕方が「掃き出す」から「吸い取る」へ変わり、チリやホコリがごみとして意識されるようになる。その背景には、住宅構造の変化などがある。冷蔵庫の普及によって、食品を「冷やす」だけでなく「保管」することが可能になり、買いすぎや作りすぎなどによる余剰品を生み出すことになる。その背景には、食の洋風化や女性のライフスタイルの変化、マイカーの普及などがある(181ページ)。また、プラスチック製品の普及によって、モノの「古さ、汚れ、傷」を「味や風合い」ではなく劣化と捉え、使い捨ての行動を加速させることになる(210ページ)。その背景には、大量生産・大量消費の経済システムの確立や、耐久性よりも利便性や衛生・清潔を重視する社会意識の変化などがある。
〇続いて梅川は、こうしたモノとごみの境界が曖昧になり、モノの価値を放棄できない人々が抱える問題として、「ごみ屋敷」問題に焦点を当てて論を展開する。すなわちこうである。1968年には存在していたと考えられるごみ屋敷という現象が、大きく社会問題化したのは2006年頃からである(221ページ)。その問題性については、①防災・防犯機能の低下、②ごみなどの不法投棄の誘発、③火災の発生の誘発、④土壌汚染や水質汚濁のおそれ、⑤病害虫・悪臭の発生、⑥風景・景観の悪化、などが指摘されている(辻山幸宣。224~225ページ)。
〇ごみ屋敷の住人にとって、堆積された物品はごみではなく、上述の心情的価値や可能性的価値を放棄できずにいるマージナルな対象(物品)であるケースが多い。現代社会は物質的な豊かさと情報過多を特徴とし、物品やサービスの効率的な消費や短期間での更新(アップグレード)が絶えず求められる。その結果、たとえそのモノに潜在的な価値が残っていたとしても「価値を放棄する能力」(断捨離や整理能力)が社会的な規範として強く求められている(291~292ページ)。従って現代社会では、ごみ屋敷に堆積するこうしたマージナルな対象を「廃棄物=ごみ」と見なし、公的な介入による処分を促す。また、そのような合理的な行動をとることが「ふつう」と理解され、社会の機能維持に不可欠な規範として作用するのである(294ページ)。
〇すなわち、ごみ屋敷の住人は、現代社会の支配的な価値観(社会規範)、すなわちモノとごみを厳密に区別し(「モノとごみの二極化」303ページ)、廃棄することを前提とする消費社会に対して対抗的に応答する人である。その人がモノの価値を放棄できない要因は、社会的孤立やセルフ・ネグレクト(自己放任)といった生活上の課題、精神疾患(「ためこみ症」)や認知機能の低下などが複合的に絡み合って生じている(226~232ページ)。そして、この問題のより深い背景には、現代社会が抱える大量生産・大量廃棄の構造的な問題が横たわっており、ごみ屋敷は社会のひずみが個人に表れた現象として理解されるべきである。
〇およそ以上が、梅川の主張・言説のひとつのポイントである。ここから、ごみ屋敷の問題は、単なる個人的な迷惑行為ではなく、また単に「ごみを片づける」という表層的な対処に留まるものではない。そこには、その住人の価値観を尊重し、生活に寄り添いながら、生活支援や精神的ケア、地域とのつながりの再構築などを図る「福祉的対応」(238~239ページ)が不可欠となる。そして、持続可能で実効性のあるそのような支援を地域全体で実現するためには、「まちづくりと市民福祉教育」の視点・視座が重要となる。すなわち、「ごみ屋敷」問題は、地域社会全体で支え合うべき「まちづくり」の課題である。とともに、モノとごみに対する社会意識(すなわち生活文化)を変革し、住人に対する偏見やスティグマの解消を図って地域共生社会の基盤を築くための「市民福祉教育」の課題でもあるのである。

阪野 貢/追補・上野千鶴子「老い」論の深層―辺見庸著『コロナ時代のパンセ』のワンポイントメモ―

〇本稿は、<雑感>(248)阪野 貢/アンチ・アンチエイジングの思想が示す「老い」論―上野千鶴子著『アンチ・アンチエイジングの思想――ボーヴォワール『老い』を読む』(みすず書房、2025年4月)のワンポイントメモ―/2025年10月24日/本文、の追補である。
〇筆者(阪野)の手もとに、芥川賞作家・ジャーナリストである辺見 庸(へんみ・よう)の本『コロナ時代のパンセ――戦争法からパンデミックまで7年間の思考』(毎日新聞出版、2021年4月。以下[1])がある。[1]は、「戦争法」(安保法制)から新型コロナウイルスのパンデミックに至る、「人倫の根源が抜け落ちた危機の7年間」(帯)の時代を辺見が凝視し、その疑いを鋭い思索(パンセ)として綴ったエッセイ集である。
〇ここでは、<雑感>(248)の追補として、[1]から、おのれの無知と無関心を問う「オババと革命」、おのれがケアされる哀しみについて吐露する「西瓜のビーチボール」、そのエッセイの一節をメモっておく(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

不可視化される「オババ」:無知と無関心を問う
駅近くをあるいていると、よく蓬髪短躯(ほうはつたんく)の老婦人をみかける。わたしはかのじょを心のなかで(失礼ながら)オババと呼んでいるのだが、見かけよりはよほど若いのかもしれない。ゴム草履を履き、襤衣(らんい)ながらも、背筋をぴんとのばしてスタスタと忙しげにどこかへとむかっている。その姿をみるたび、ああ、きょうは元気そうだなとホッとする。どうじに、さまざまな感情が胸に渦巻く。このひとの塒(ねぐら)はどこなのだろう。どうやって生活しているのか。身よりはないのか。支援者はいるのだろうか‥‥‥。そして、はっと気づく。オババにかんするそうした疑問が、わたしにとって、ほんとうは、けっして切実ではないことに。/すれちがい、ワンブロックもあるかぬうちに、わたしはかのじょのことをあらかた忘れているのである。だいいち、わたしはかのじょの面立(おもだ)ちをまったくおぼえていない。声も知らない。名前も知らない。そして、かのじょについてなにも知らないことが、わたしの気分をなにがなし〝楽〟にしているのかもしれないと心づく。(170ページ)/わたしはオババを知らない。目をあわせたこともない。かのじょを天才的だとおもったことはある。快も不快も、わたしになんらの印象ものこさない。その身のこなしと目差し、気息(きそく)において、けだし天才的ではないかと。ちがう! わたしがかのじょの名前はおろか面差(おもざ)しも知らないのは、よくよくおもえば、わたしがかのじょを正視せず、なにも問うたことがないからだった。(172ページ)

〇辺見は、まちなかで見かける「オババ」に対し、その存在や生活を「切実ではないこと」として遠ざけ、無知と無関心によって自分が精神的に〝楽〟になっていることを自覚する。この個人的な無知や無関心は、上野が批判する「アンチエイジンの思想」の根底にある、「老い」や「弱者」を意識的に排除・遮断する現代社会の構造を、個人の内面レベルで反映したものと言える。

抵抗する「ビーチボール」:ケアされる哀しみ
介護老人保健施設に通いはじめて1カ月、目も気持ちもずいぶん慣れてきた。/施設にあっては他者の発見より、おのれを見なおすことのほうが多いかもしれない。総合着座体操というプログラムがあって、わたしのような通所者と諸症状のひかくてき重い車椅子の高齢入所者がいっしょになって着座したままラジオ体操などの運動をする。先日はラジオ体操のあと、西瓜の模様のビーチボールをつかい、女性指導員が意外なトレーニングをはじめた。なにかの童謡を口ずさみながらリズミカルに歩きまわり、ビーチボールを参加者に手わたして問う。「冷たいの反対はなーに?」。ビーチボールを持たされたおばあちゃんが嬉々として答える。「あったかい!」。「あたりい!」と指導員。/わたしはドキドキする。西瓜のビーチボールがこちらに回ってくるのではないか。いや、まさかそんなことはあるまい、と自己内問答。まさか点‥‥‥の根拠には<わたしは〝かれら〟とちがうのだから>があった。思わずハッとする。このばあいの〝かれら〟は、かれらなんか・・・・・・という区別か差別のニュアンスが滲(にじ)んでいたからだ。なんということだ!じぶんに舌打ちする。心がざわざわする。(中略)西瓜のビーチボールがわたしの膝にのせられた。<脳トレ質問>がだされる。/「明るいの反対はなーに?」/胸のなかに鉄の玉ができて、焼けるほど熱くなる。まっ赤になって胸のなかでゴロゴロ転がる。われながらたまげる。激怒しているのだ、わたしは。明るいという形容詞の反対はなにかとためらいもなく問うあなたは、わたしをかれらなんか・・・・・・といっしょにしているのだな。なんという無礼! 目が焔(ほむら)を噴(ふ)いた。/わたしはじぶんの怒りのはげしさにだじろぐ。にしても、なぜこんなにも憤るのか?おそらく、認知症と混同されたことだけではない。ここにかれらなんか・・・・・・といっしょにいること、そうせざるをえない心身の老い。それに焦っているじぶん。そして、どうしようもなく末枯(すが)れてゆくなりゆきをまだ諦観できないじぶんにいらだって、かれらなんか・・・・・・とじぶんを懸命に区別しようとし、同時に、他人にも区別してもらいたがったのである。目がうるんでくる。風景が掠(かす)れる。(199~201ページ)。

〇辺見は、「老い」を生きる自分が個としての尊厳を失い、「かれらなんか」として十把一絡げに同じ要介護者として扱われる屈辱に激しく抵抗する。この「老い」に伴う不安や主体性の喪失感の赤裸々な吐露こそ、上野の「アンチ・アンチエイジングの思想」、すなわち「老い」の否定的な意味合いを転換しその価値を肯定することの重要性を力強く裏付けるものと言える。

〇以上踏まえ、一言したい。辺見が描く「オババ」に対する無知と無関心と、「老い」に伴う尊厳の喪失への抵抗に対して、「老い」を自分の生の一部として能動的に捉え、主体的な生の課題として引き受ける意識や姿勢を育むことが肝要となる。そして、自己の尊厳を守り抜く主体的な生き方を可能にするため、「老い」についての社会的・思想的な学びを求め深めることが求められる。これは、「市民福祉教育」の重要な教育内容のひとつとして位置づけられるべきである。特に、「老い」を生きる高齢者自身が、これまでありがちであった福祉教育の一方的な客体(思いやりの対象)としてではなく、自己の重要な学習課題として「老い」に主体的に向き合う側面は、市民福祉教育の根幹をなす教育内容として確立されるべきであろう。