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阪野 貢/〈改稿〉「まちづくりと市民福祉教育」論―「権利と構造変革の教育」への道―

 


序

本書は、前著『「まちづくりと市民福祉教育」の研究―その思想的系譜と変革の実践原理―』(市民福祉教育研究所、2026年6月刊)の一部を再構成し、加筆・修正(改稿)を施したものである。

本書は、基本的には、大橋謙策の福祉教育論を「継承」しつつ、「まちづくりと市民福祉教育」の視点から福祉教育の原理と今後の「展開」を探究するものである。「地域共生社会」の実現が叫ばれるなかで、福祉教育は、ハウツーの提供に偏る一方で、その存立基盤をなす歴史・哲学・原理の探究を等閑視してきたのではないか。また「思いやり教育」に象徴されるように、個人の内面や善意に訴えるあまり、生きづらさを生み出す地域・社会の構造への問いを欠いてこなかったか。ここでは、こうした問題意識を基盤に据えている。

継承と展開については、それを一体のものとして捉えている。継承とは、大橋福祉教育論をそのまま受け継ぐことではない。大橋は、福祉教育を社会構造への問いを含む「実践科学」として位置づけた。松岡広路の批判にも向き合いながら大橋の原理論を読み直し、核心を今日の文脈で受け止め直すことが継承である。一方、展開とは、継承した原理を現代の課題に応じて押し広げることである。大橋が「福祉でまちづくり」(2010年代以降は「福祉はまちづくり」)を説いたように、福祉教育の原理は福祉や教育の領域内にとどまるものではない。継承のない展開は根無し草となり、展開のない継承は形骸化する。両者は相互に支え合うものである。

本書は、次の順序で構成されている。

第1章「戦後福祉教育の源流」では、1950年に創設された神奈川県の社会福祉研究普及校制度と、鳥取県八頭郡社会福祉協議会の普及校事業を取り上げる。ここで見出されるのは、行政や社協が枠組みを定めて社会福祉思想の普及を図る「統治」の側面である。一方で、学校や教員が地域生活課題に根ざし、民主的な地域・社会の形成主体の育成をめざす「変革」の側面も同時に併存していたという事実である。この「統治と変革の併存」は、本書全体を貫く視点となる。

第2章「福祉教育論の再考と現代的展望」では、大橋謙策の福祉教育論を再考の基軸に据える。「社会福祉問題」「地域福祉の主体形成」「ケアリングコミュニティ」「博愛の精神」を鍵概念として大橋理論を読み解き、松岡広路による批判、原田正樹による継承、そして筆者自身の「市民福祉教育」論の位置を確認する。

第3章「『まちづくり』言説の系譜と自律的市民の位相」では、玉野井芳郎の「地域主義」、田村明の「まちづくり」、山崎亮の「コミュニティデザイン」、山下祐介の「地域学」を、思想・実践・技法・認識の動態として交差させる。そこから、学びと実践が往還するなかで自律的市民が形成される循環モデルを提示し、市民性教育が市民福祉教育へと昇華される道筋を示す。

第4章「『まちづくりと市民福祉教育』が拓く新たな地平」では、小松理虔と奥田知志の言説を補助線として、「思いやり教育」から「権利と構造変革の教育」への転換を論じる。「依存の権利化」と、存在肯定から共生共創へと至る四つのステップが、その中心にある。

補論「“あいとぴあカレッジ”にみる『まちづくりと市民福祉教育』の計画化」では、1990年代の狛江市社会福祉協議会の実践を、第4章の枠組みに照らして検討する。そこで見えてくるのは、枠組みの完全な実証ではなく、住民主体の計画化がいかにして権利論・構造変革論へと展開しうるかという出発点である。

なお、本書が提示するのは、完成した体系ではなく、「道」の途上にある一つの見取り図である。読者のご批正をいただければ幸いである。

 目 次

序
第1章 戦後福祉教育の源流
   ―神奈川県と鳥取県八頭郡社協における福祉教育実践―
第2章 福祉教育論の再考と現代的展望
   ―大橋謙策の思想的源流から―
第3章 「まちづくり」言説の系譜と自律的市民の位相
   ―思想・実践・技法・認識のダイナミズム―
第4章 「まちづくりと市民福祉教育」が拓く新たな地平
   ―「思いやり教育」から「権利と構造変革の教育」への転換―
補 論 “あいとぴあカレッジ”にみる「まちづくりと市民福祉教育」の計画化
   ―第4章の枠組みを実践に照らして検討する―
終 章 到達点と課題
   ―「道」の途上で―

 


第1章
戦後福祉教育の源流
―神奈川県と鳥取県八頭郡社協における福祉教育実践―

はじめに

神奈川県は1950年に、中・高等学校生徒を対象として社会福祉への理解と関心を高め、家庭や地域社会への社会福祉思想の普及を図ることを目的として、「社会福祉研究普及校」制度を創設した。

本章の課題は、この制度の成立過程と展開を検討することを通して、戦後初期の福祉教育実践の特質を明らかにすることである。とりわけ、本制度が学校教育のなかでどのように位置づけられ、実践されたのか、また当時の道徳教育といかなる関係にあったのかを検討する。併せて、史料の制約から補助的な検討にとどまるが、同時期に展開された鳥取県八頭郡社会福祉協議会(以下、「八頭郡社協」)の取り組みを取り上げ、神奈川県の事例と対照することで、両制度の特質と相違を明らかにする。最後に、そこから浮かび上がる「統治と変革の併存」について論じる。なお、八頭郡社協については、制度そのものを指す場合は「八頭郡社協」、同社協が指定した普及校の一つである八東部中学校の実践を指す場合は「八東部中学校」と記して区別する。

福祉教育が、教育課程論の変遷や社会科教育、道徳教育、人権教育、総合的な学習(探究)の時間といった広範な教育史の文脈のなかで、いかに構造化され、また変質していったのか。これを明らかにするには、まず戦後初期における福祉教育実践の原初的な構造を解明することが肝要である。本章はそのためのひとつの試論である。

Ⅰ 戦後初期の時代状況と分析視角

1 社会福祉をめぐる状況
神奈川県の社会福祉研究普及校制度が創設された1950年は、敗戦による経済崩壊から、1949年のドッジ・ライン(デフレ政策)に伴う安定恐慌を経て、1950年の朝鮮戦争による特需ブームへと進み、量的にはほぼ戦前の水準にまで経済が復興しようとする時期であった。しかし、その拡大過程は、膨大な数の生活困窮者を沈殿・固定化させ、新たな低所得階層をも生み出した。この時期には、占領下で社会福祉の民主化政策が強力に展開され、いわゆる福祉三法体制が成立した。一方で、朝鮮戦争を機に再軍備が進み、「大砲かバターか」をめぐる議論が生じた。しかし、社会福祉の実態においては、その後しばらく理念が空転し、政策的に無力な状態が続いた。

2 社会科の成立と変遷
この時期、敗戦によって学校現場は深刻な打撃を受け、子どもも教師も虚脱と混乱のなかにあった。1947年に新学制が発足し、新設教科として「社会科」が誕生した。初期社会科は、1947年の学習指導要領(試案)に基づき、児童の生活経験を重視する「経験学習」から出発した。さらに、1951年の改訂を経て、現実の社会課題を主体的に追究する「問題解決学習」が展開された。しかし、「はいまわる経験主義」や学力低下といった批判を受け、1950年代半ば以降、知識の体系的な習得を重視する「系統学習」へと重点が移っていった。この変遷は、単なる指導法の変化にとどまらない。それは、「社会をつくり変える主体を育てるのか、既存の社会に適応する人材を育てるのか」という、民主主義の担い手の形成をめぐる国家の教育方針上の相克を象徴するものであった。

3 道徳教育の復活・強化と制度の創設
道徳教育をめぐっても、重要な動きがみられた。1950年、文部大臣天野貞祐は、学校行事における国旗掲揚および「君が代」斉唱を提唱し、愛国心教育の必要を説いた。天野はさらに、教育勅語に代わる道徳的基準の作成と、戦前の修身科に準じる道徳教科の特設を主張した。この「天野構想」をめぐっては、賛否が激しく対立した。その背景には、米ソ対立の深まりのなかで、共産主義に対抗し、国家社会に奉仕する国民を育成すべきだという認識があった。また、国民生活の混乱と人心の荒廃のもとで、青少年の非行・犯罪が急増するという事態もあった。1951年には教育課程審議会が「道徳教育振興に関する答申」を出し、それを受けて文部省が「道徳教育振興方策」を発表するなど、道徳教育の復活・強化が進められていった。

こうしたなかで神奈川県は、1950年に単独新規事業として社会福祉研究普及校制度を創設した。その理由は次のように述べられている。

また、制度創設のきっかけのひとつに、共同募金や歳末たすけあい運動に対する次のような批判があった。すなわち、それらの活動は「どちらかといえば、その目的が募集金品の量におかれ、その根本たる社会福祉事業への理解と協力、社会福祉思想の普及という面が軽くなりがちで、しかも運動の期間も一定の短時日に限られるためどうしても皮相的になりがち」である、というのがそれである(神奈川県,1964,p.2)。

4 分析視角と史料
こうした時代状況のなかで成立した二つの普及校制度を、本章では次の観点から検討し、対照する。すなわち、(1)制度の担い手と枠組み、(2)学校教育のなかでの位置づけ、(3)道徳教育との関係、(4)学校・教員の役割、(5)地域との関係と制度の継続・終焉、である。これらの観点から両制度の特質と相違を整理し、そのうえで、福祉教育に内在していた「統治」と「変革」の二つの側面について、Ⅳの最後で論じる。

なお、本章でいう「統治」は、行政や社協が枠組みを定め、学校を媒介に社会福祉思想を普及させ、社会の秩序形成に資する制度の働きのことである。ただしこれは、強制や教化と同義ではない。また「変革」とは、学校や教員が地域や社会のあり方を問い直す契機をもつことを指し、実際に社会の変革が達成されたことを意味しない。

主な史料は、神奈川県民生部社会福祉課編『社会福祉事業研究普及校10年のあゆみ』(1960年)および各年度の研究発表概要、八頭郡の社協と学校の資料である。いずれも行政・学校側の刊行物が中心で、生徒や教員の個人的記録は乏しい。これらの史料から確認できるのは、制度設計の意図と実施の外形であり、生徒の内面形成の実態ではない。この点を、本章の史料的限界としてあらかじめ断っておきたい。

Ⅱ 神奈川県の社会福祉研究普及校制度と福祉教育実践

1 制度の発足と拡大
社会福祉研究普及校制度は、当初「社会事業教育実施校」の名称で発足した。そこでは、担当教員の打合せ会や講習会、施設見学などを通じて、「社会事業教育実施要綱」の基本線に沿った福祉教育が展開された。1950年度には、試験的に都市部から公立中学校5校、公立高等学校4校、私立中・高等学校1校の計10校が指定された。指定期間は3カ年であった。指定は、公立学校は県教育庁、私立学校は県学事課が推薦し、それをもとに県民生部が各校の了解を得て行った。翌1951年度には農村部から5校(公立中学校3校、公立高等学校2校)が追加指定された。これにより、「県下各地に、社会福祉事業の理解、普及活動を指定校を中心として波及的に浸透させようとする方針が確立され全県的な意味をもって実施」されることになった(神奈川県,1960,p.3)。

また、1951年度には、制度の名称が「社会福祉事業研究普及校」、実施要綱が「社会福祉教育運営要綱」と改められ、1950年度指定校を除き指定期間は2カ年となった。この改称は、1951年の社会福祉事業法の制定と時期が重なっている。そこには、救済的・慈善的な「社会事業」観から、憲法第25条を基盤とする公的責任に立脚した「社会福祉」概念へと、教育現場の認識を移行させようとする行政側の政策的意図があったと解釈できる。

その後、名称は1967年度に「社会福祉研究普及校」と改められた。1973年度からは継続校制度(1カ年の指定延長)、1981年度からは小学校指定が加わった。そしてこの制度は、新規指定が中止される1998年度まで、およそ50年間継続実施された。表1-1は1960年度までの指定校数の推移を示したものである(阪野,1984,p.98)。

表1-1 指定校数の推移

なお、県は「社会福祉研究普及校補助金交付要綱」に基づき補助金を交付した。当初1校あたり年間1万円であった額は、1957年度に1万5,000円、1959年度に2万円に引き上げられている。

 2 研究発表会
1952年2月、1950・51年度にそれぞれ指定された普及校の「研究発表会」が、平塚市の江南高等学校で開催された。その目的は、各校の成果を発表し合い、これまでの歩みを振り返ることを通して、社会福祉思想の普及と社会連帯意識の向上に寄与することにあった。発表に際しては、民生部社会福祉課が中心となり、各校の発表概要を冊子にまとめている。発表校と題目は次のとおりである(神奈川県,1960,p.14)。

この発表会から、高等学校では主として「実践活動よりも社会保障等についての研究、地域社会福祉事業についての調査、研究等」が、中学校では主として「社会福祉の精神を各分野に導入して、広範囲な実践活動」が行われていることが明らかになった(神奈川県,1960,p.4)。これは、高等学校では社会保障制度などに関する知識・理解の側面が、中学校では実践を通じた体験的側面が、それぞれ重視されていたといえる。発達段階に応じた福祉教育のあり方が模索されていたのである。

3 運営要綱と道徳的意図
県民生部社会福祉課は、1960年3月、制度創設10周年を記念して『社会福祉事業研究普及校10年のあゆみ』(以下、『あゆみ』)を刊行した。そこでは、1950年から1952年を「制度の整備期」、1953年から1960年の「現在」までを「制度の確立期」と区分し、「制度の確立期」における「運営要綱」を記載している。それは次のとおりである(神奈川県,1960,pp.5-6)。

この運営要綱の「目的」では、「道徳的意図による社会福祉教育を実施する」という記述が注目される。ここでいう「道徳」とは、国家主義的な修身への回帰を求める保守的潮流と、新教育が掲げた民主的・主体的な公徳心の形成という、二つの異なる方向性が交錯する領域であった。県が掲げた「道徳的意図」に対し、学校側はこの制度に基づく福祉教育を「道徳教育乃至は公徳教育」として活用した。道徳教育の必要性が社会的に強く叫ばれていた当時、福祉教育は「博愛精神、青少年不良化防止、敬老精神の涵養等につとめ、大いに効果を挙げ本県教育関係者の注目を浴びる」ことになり、これは当初の想定を超える反響であった(神奈川県,1956,pp.3-4)。

この「道徳的意図」は、抽象的な徳目の教授にとどまらず、具体的な社会的実践を媒介として他者への配慮や社会的責任を体得させようとする点に特徴がある。すなわち、本制度における福祉教育は、体験活動を通じた価値形成を志向する実践的・体験的な道徳教育として位置づけることが可能である。

さらに運営要綱は、生徒を通じて家族に思想を浸透させ、「将来の明るい社会建設の基盤」とすることを明記している。「相互扶助精神」の涵養は、個人の道徳形成にとどまらず、戦後の社会づくりという課題と結びつけて構想されていたといえよう。ただし、これは運営要綱などの行政側史料から読み取れる制度の意図であり、生徒が実際にどのように受け止めたかは、本章の史料からは確認できない。

運営要綱の「対象」については、当初、県は高等学校の生徒のみを想定していたが、教育関係者との協議を踏まえて、「社会に対する正義感の目覚める中学生」をも対象に加えた(神奈川県,1960,p.2)。また、生徒を通じて、その家族への「啓蒙」を図ることも狙っていた。なお、小学校の生徒がこの制度の対象に加えられ、小・中・高等学校の一貫した継続性のある福祉教育実践が展開されるようになるのは、先述のように、およそ30年後の1981年度をまつことになる。また、その後の運営要綱で、家族(家庭)に加えて、「生徒を通して家庭及び地域への啓蒙をはかる」と「地域」が挿入されるのは1969・70年度以降のことである。これは、1970年前後から地域コミュニティ問題への関心が高まり、それへの取り組みが活発化したことと無関係ではあるまい。この時期、東京都社会福祉審議会答申「東京都におけるコミュニティ・ケアの進展について」(1969年)、中央社会福祉審議会答申「コミュニティ形成と社会福祉」(1971年)などが提出されている。

運営要綱の「実施方法」については、県民生部は、側面的な協力・支援にとどめ、各指定校に実情に応じた自主的・独創的な活動を促すことを基本方針とした。ただし、この姿勢は、学校の主体性の尊重というよりも、学校側の自律性に過度に依存したもの、いわば「学校まかせ」と捉えることもできる。

4 活動の内容
ここで、『あゆみ』に記載された「社会福祉事業研究普及校の活動状況」について、その枠組み(目次)を紹介しておく。それは、活動が「教科への導入」「ホームルーム指導」「実際活動」の各領域にわたっていたことを示すためである(神奈川県,1960,pp.19-119)。

以上のように、「全教科・全領域」にわたる福祉教育の展開は、福祉教育を特定教科に限定せず、学校教育全体のなかに内在化させようとする点で先駆的であった。すなわち、各教科に福祉教育の視点を導入し、知的関心と理解を促す「機能論」と、特別活動等の時間を活用して福祉教育を独自の活動領域として位置づける「領域論」の二つによって、学校教育への福祉教育の内在化が図られていた。ただし、この内在化は一方で、各教科における位置づけの曖昧さや、教育内容の断片化を招く可能性も孕んでいた。制度としては包括的であるがゆえに、実践の質が各学校や教員の力量に大きく依存する構造を有していたと考えられる。

5 評価と制度の構造的特質
普及校への「派遣講師」としてこの事業にかかわった瓜巣憲三(1960年当時、県国府実修学校長)は、『あゆみ』のなかで、普及校活動がはからずも道徳教育の役割を果たしたこと、教育機能を学校外に拡大せざるを得ないことから「学校の社会化」をもたらしたことを指摘する。そして、「実にこの10年間の間にのぞましい実績をあげて、教育と社会福祉事業は別のものではない、表裏一体をなす社会機能であるということをその実践によって立証し、そしてユニークな存在として社会事業界の注目を浴びるにいたった」と述べる。また、こうした成果をあげた理由として、「(1)本事業研究のために、学校経営および本来の教育活動を歪めないよう、とくに留意したこと。(2)社会事業精神の意識過剰を強く警戒したこと。(3)民生部社会福祉課と教育庁指導課とのチームワークがよくとれていたこと。(4)普及校にたいする指導は、あくまでも学校の自主性、主体性を重んじて側面から援助、助言の立場をとったこと。(5)歴代の指導主事に適任者を得たこと。(6)社会事業専門講師陣が豊富であったこと」などを挙げている(神奈川県,1960,pp.128-131)。

瓜巣が挙げる「学校経営および本来の教育活動を歪めない」という要因は、裏を返せば、福祉教育が既存の学校教育システムと摩擦を起こさないための「調整」が不可欠であったことを示唆している。すなわち、神奈川県の制度が長期にわたって継続した要因は、行政主導による制度の安定性と、学校現場の自主性・主体性という一見相反する要素が、「道徳教育」を介して均衡を保っていた点にあったと考えられる。この均衡が、その後およそ50年にわたる継続を可能にした構造的な要因であった。しかしこのことは、福祉教育実践が既存の学校教育の枠組みのなかで展開されるという条件を、制度に内在させることにもなったと考えられる。

いずれにせよ、敗戦後の「総スラム化現象」ともいわれた状態からやや立ち直りつつあったとはいえ、いまだ県民生活の混乱が続くなかで神奈川県が独自にこの制度を制定・実施したことは、先駆的であり、意欲的であったと評価することができる。もっとも、外面的な福祉活動への取り組みにとどまらず、生徒たちに内面的な思考を深め、思想を身につけさせることは、教員が真剣に取り組むほど、いっそう困難であったろうことは想像に難くない。そうしたなかで、この事業・活動が継続的に展開されたのは、熱意があり、資質や能力を備えた教員が存在し、しかもその教員や学校の自主性・主体性が重視されたことによるのであろう。それは、冒頭で述べた道徳教育の復活・強化の潮流のなかでの営みでもあった。

Ⅲ 鳥取県八頭郡社協の社会福祉事業普及校制度と福祉教育実践

1 制度の概要
神奈川県の社会福祉研究普及校事業に続き福祉教育事業を実施したのは、鳥取県の八頭郡社協である。1953年度から1955年度までのわずか3カ年、神奈川県の取り組みを参考に展開された「社会福祉事業普及校」事業がそれである。

八頭郡社協は、1952年12月に「社会福祉事業普及校設置の件」について協議し、先進地(神奈川県)視察、児童福祉部会での協議、事業計画の策定および予算編成などを経て、1953年6月に八東部中学校と三角中学校の2校を普及校に指定した。以後、指定した各校に年額1万円を助成し、福祉教育の促進を図った。

引き続き、八頭郡社協は、1954年度に八頭第一中学校と智頭中学校の2校、翌1955年度に中央中学校、池田中学校、中私都中学校、山形郷中学校の4校をそれぞれ社会福祉事業普及校に新規指定した。当時、八頭郡内には15校の中学校があったが、その過半数の8校で福祉教育の研究・実践が展開されたのである。

普及校では、「民主的社会人としての人格形成に中心をおき、地域社会の成員となる生徒の福祉意識高揚をはかっている。実践面では、子守り、託児所奉仕、農業手伝いなどの家庭や地域社会の生活に密着したものをはじめ、社会福祉施設などへの慰問なども校外活動として積極的にとりくまれた」(全社協,1982,p.439)。

2 八東部中学校の取り組み
八東部中学校では、指定を受けた後、「県社会福祉協議会や事務所の民生部、郡や村の係の人々、地域社会の民生委員の方々と、全職員で社会福祉に関する①法的研究(福祉三法を中心に)、②県郡村の社会福祉協議会の性格について、③普及校としてどのような事柄を指導すればよいか、④指定校に希望し要求されること、⑤研究するのにどんな文献があるか」などについて相互研究会を開催した。また、「社会福祉教育研究委員会」と名づけて8名の委員で専門部を組織し、研究活動を行った(鳥取県社協,1955)。併せて、先進地優良校の視察研究、県内地域社会施設の視察研究、研究会・研修会・講習会・諸大会への参加研究、研究発表会の開催、文献による研究(竹中勝男『社会福祉研究』関書院、牧賢一『社会福祉協議会読本』中央法規出版、黒木利克『社会福祉の指導と実務』時事通信社、高田正己『児童福祉法の解説と運用』時事通信社)、研究収録の作成などに取り組んだ(八東部中学校,1954a,p.2)。

とりわけ、教員が「社会福祉教育」に関する研究・研修活動に積極的かつ主体的に取り組み、『社会福祉読本』の編纂や「社会福祉に関する幻灯(スライド)」(第1集、第2集)の作成などを行ったことは、専門職としての自律性の具現化として特筆される。さらに、教員と生徒と地域住民の三者が一体になって福祉教育実践に取り組むことが、研究会の方針として掲げられていた点も注目されよう。

ちなみに、研究・研修活動のうち、視察研究については、2名の教員が神奈川県下の社会福祉研究普及校に赴いている。その『社会福祉教育普及校視察報告書』(1953年)によれば、視察先は栗田谷中学校、富士見中学校、秦野中学校、江陽中学校および神奈川県民生部社会福祉課であった。報告書では、各校の概要に加え、「研究組織」「研究問題の設定」「指導方針」「実施経過」「指導上の留意点」などについて報告されている。また、「研究課題」として、社会福祉の理念と児童福祉の関連性をはじめ、「4.普及教育の方法として如何にするか/①教科カリキュラムの編成、②特別カリキュラムの編成、③特別教育活動え(ママ)の導入、④総合的活動え(ママ)の展開/5.地域社会との関連をいかにするか」等が設定されている(勝連・松田,1953,pp.8-9)。

また、研究会活動を通しては、「本校の社会福祉教育」のあり方として以下の点が指摘されている。(1)先ず教師が社会福祉の精神を理解する、(2)職員と生徒と地域が一体となって学校全体活動として取り組む、(3)指導方法としては①知識の普及と理解の指導、②協力の態度養成、③行事および事業への参加実践指導を行う、等々がそれである(八東部中学校,1954a,p.2)。

『社会福祉読本』(B5判、63頁、ガリ版刷)は1954年に編集・刊行された。それは、「社会福祉が必要になったわけ」と「国家社会は社会福祉をどのように実現しようとしているか」の2部から構成されていた。その「目次」は次のとおりである(八東部中学校,1954b,目次)。

『社会福祉読本』は、「社会福祉が必要になったわけ」では、社会生活上の諸困難をはじめ、社会福祉の歴史、諸外国の社会福祉や社会保障、現代社会における社会福祉の必要性などについて記述している。「国家社会は社会福祉をどのように実現しようとしているか」では、人間の尊厳や社会正義について説き、社会福祉の制度や財政、社会福祉への参加・協力について述べている。その内容をみると、写真や図表、年表などをおよそ140点取り入れ、視覚的にも工夫が凝らされている。ただ、「副読本を社会科の時間に当てるかホーム・ルームの時間に当てるか未だ決定していない、年中行事がある度にホーム・ルームで利用しようかと考えている、正科の時間に入れることは職員の過重負担になりはしないかと思っている」(八東部中学校,1955,p.7)という教員の声から、その利用に苦慮したことが推察される。いずれにせよ、学校現場の教員の熱意や使命感、行動力に負うところが大きかったといえよう。

こうした教員の専門的で主体的かつ献身的な取り組みを支えていたのは何か。それは、単なる指定校としての活動を超え、学校が所在する地域の歴史的背景や住民が抱える課題を自分たちの課題として共有し、地域改善(地域開放)と人間形成を不可分なものとして捉える、人間の尊厳を重視する強い意志によるものであったと考えられる。すなわち、その実践を教室内に閉じ込めず、地域社会そのものを教育の「場」へと変容させたことは、教育の本質的な役割を再定義する先駆的な試みであり、変革的な教育モデルの端緒であったと評価できる。

3 事業の終了
この取り組みは1955年度の新規指定を最後に終了し、その後、八頭郡外の他地域へ波及することはなかった。その要因のひとつは、「1957年に県社協の機構改革に伴う郡社協の統合、1961年の廃止により、未だ市町村の社協組織が未整備な状況のもと、この経験を組織的に継承する力が県及び市町村の社協には蓄積されていなかった」ことにあると考えられる(牛田,年不詳,p.1)。

併せて、学校教育現場における教育観の転換も看過できない。当時、新教育の中核を担った社会科をめぐっては、そのあり方について激しい議論が交わされていた。中学校社会科においても、1956年2月に『中学校学習指導要領社会科編』が改訂され、さらに1958年10月には学習指導要領が全面改訂された。こうした改訂の過程を通じて、既述のように、社会科教育は、子どもの生活経験や問題解決の過程を重視する経験主義的な教育から、学問的な体系性や知識の習得を重視する系統主義的な教育へと重点を移していった。こうした「問題解決学習」から「系統学習」への転換――生活に根ざした福祉的実践よりも教科内容の伝達が優先された状況こそが、社会福祉事業普及校事業が短期間で終焉を迎えた歴史的背景のひとつと考えられる。

Ⅳ 戦後初期福祉教育実践の特質
―統治と変革の併存―

本章では、戦後初期の神奈川県における社会福祉研究普及校制度の成立過程を軸に、福祉教育の原初的形態とその特質について検討してきた。神奈川県の取り組みが行政主導による組織的アプローチであったのに対し、八頭郡社協の取り組みは、民間主導の地域密着型という特色をもっていたといえる。ただし、両者を単純に二分することはできない。ここでは神奈川県の制度の検討を中心に、八頭郡社協との対照も含めて、明らかになった点を整理しておくことにする。

(1)制度構想の背景と行政連携の先進性
社会福祉研究普及校制度は、戦後復興期という極めて不安定な社会情勢のなかで、単なる救済の論理ではなく、次代を担う県民の中堅に対する「相互扶助精神」という倫理的基盤の形成を目的として構想された。当時の経済的困窮や人心の荒廃に対し、教育の場から社会福祉思想の普及を試みた神奈川県の取り組みは、行政の福祉部門(民生部)と教育部門(教育庁)の連携によって支えられていた。これは、現代において重要性が指摘される「福祉と教育の連携」が、戦後初期にすでに一定の制度的形態をとっていたことを示している。これに対し、八頭郡社協の事業は、神奈川県の取り組みを参考に、社協が中学校を指定して助成するという形で始められた。担い手は行政ではなく民間の社協であり、制度を支える組織基盤が異なっていた。
(2)教育課程における包括的実践の展開
神奈川県の制度は、福祉教育を単なる知識理解にとどめず、教科教育・特別活動・校外活動を横断する「全教科・全領域」における包括的な実践として構想した。特に中学校では、机上の学習にとどまらず、施設見学、慰問、敬老活動などの実践活動を通じて、社会福祉の理念を体験的に理解させる教育が重視されていた。このように、社会福祉を特定の枠組みに限定せず、学校教育全体で展開しようとした先駆的なカリキュラム編成は、現代の総合的な学習(探究)の時間にも通じる要素をもつ。ただし、各教科における位置づけの曖昧さや、教育内容の断片化という課題も内包していた。八東部中学校では、教員自身が研究・研修活動に取り組むなかで『社会福祉読本』やスライドを作成するなど、教材づくりに主体的・積極的であった点が注目される。
(3)初期社会科の理念と福祉教育の位置
神奈川県と八頭郡社協の両事例は、初期社会科が経験主義から系統主義へと重点を移す時期に展開され、「問題解決学習」と「系統学習」の相克という教育思潮のもとに位置づけられる。『あゆみ』には、生活課題に根ざした活動とともに教科への単元設定や導入が記されており、生活に根ざした活動と知識理解の両方が意図されていたことがうかがえる。一方、八東部中学校の教員の声からは、『社会福祉読本』を社会科とホームルームのいずれに位置づけるかが、教員の側で定まらなかったことがわかる。福祉教育の教育課程上の位置づけは、制度として一律に定められてはおらず、各学校や各教員の判断に委ねられていたため、学校現場では確定しにくい状況にあったと解釈できる。
(4)道徳教育との連関と「内面化」の課題
神奈川県では、学校現場が本制度を「道徳的意図」を伴うものとして受容した事実は注目に値する。戦後の新教育が模索されるなかで、抽象的な公徳心ではなく、具体的実践を介することで生徒の内面的な規範意識の形成が企図されたといえる。本制度は、道徳教育が復活・強化される潮流のなかで、道徳教育の「実践的・体験的な側面」を補完する性格をもっていたと考えられる。これに対し、八東部中学校の取り組みでは、道徳教育との関係について、本章で用いた史料からは前面に出てこない。ただし両者とも、外面的な活動の定型化が内面的な思想形成と乖離する危うさを孕んでいたことは否定できず、この「実践と内面化の乖離」という課題は、現代の福祉教育やサービスラーニングなどにも通底する問いを投げかけている。
(5)学校や教員の主体性の尊重
神奈川県の制度は、行政主導であったが、実施方法では県が側面的な支援を行うにとどまり、各校の自主的・独創的な活動を促す方針がとられた。『あゆみ』に示された活動は、長欠生徒の解消運動、校内たすけあい運動、修学旅行貸付金制度など、学校内の生活課題に根ざしたものを含んでいた。また、瓜巣が、学校の主体性の尊重を成功要因に挙げていることも先述のとおりである。これらは、学校や教員が主体的・自発的に実践を展開する余地も制度のなかに確保されていたことを示唆する。ただし、この主体性が実際の実践内容にどこまで反映されたかは、史料の限界から確定できない。八東部中学校では、全職員による相互研究会や専門部の組織、視察研究、教材の作成などに自ら取り組んでおり、教員の主体性がより具体的に確認できる。
(6)地域再生に向けた「学校の社会化」
神奈川県の制度は、「学校の社会化」という側面を内包していた。生徒から家庭、そして地域社会へと社会福祉思想を波及させようとした企図は、学校を閉じた空間とせず、地域再生(まちづくり)の拠点として位置づけようとした試みであったといってよい。ただし、地域・住民が学校運営や教育内容に参画する関係性については明示的ではない。とはいえ、1977年度からスタートした国庫補助事業としての「学童・生徒のボランティア活動普及事業」(通称「社会福祉協力校」事業)の目的(学童・生徒を通じて家庭及び地域社会の啓発を図る)とは、理念上の類似がみられる。これに対し八東部中学校では、教員・生徒・地域住民の三者の一体化が研究会の方針に掲げられ、子守りや農業手伝いなど、地域生活に密着した活動が行われた。神奈川県が学校から地域への波及を構想したのに対し、八東部中学校では、ある面では地域の生活課題を起点に学校の福祉教育活動を組み立てようとした点が示唆的である。
(7)継続と終焉の相違
神奈川県の制度は、行政主導による制度の安定性と学校現場の自主性とが、「道徳教育」を介して均衡を保ったことで、およそ50年にわたり継続した。これに対し八頭郡社協の事業は、郡社協の統合・廃止に伴う組織的な継承力の欠如と、社会科が経験主義から系統主義へ移行するなかで、生活に根ざした実践が後退したことにより、1955年度の新規指定をもって終了し、他地域へ波及することもなかった。同じ時代の教育思潮のもとで、一方の制度が長期にわたって継続し、他方の制度が短期間で終焉を迎えたことは、両者の担い手と組織基盤の相違を示している。
(8)統治と変革の併存
神奈川県と八頭郡社協の両制度は、担い手や教育課程上の位置づけなどの点で異なる様相を示していたが、いずれも二つの方向を併せもっていた点は共通している。ひとつは、行政や社協が目的と枠組みを定め、指定・補助・研修を通じて学校を媒介に社会福祉思想を普及させる、広い意味での「統治」の側面である。もうひとつは、学校や教員の主体性を尊重し、生活課題に根ざした実践を通じて民主的な社会の形成者を育てる「変革」の側面である。この二つは両制度のいずれにも認められるが、神奈川県では「道徳的意図」を掲げた行政主導の枠組みが明瞭であり、八東部中学校では教員の研究・研修活動と地域に根ざした実践が前面に現れていた。ただし、両者は、「行政主導」対「地域主導」、あるいは「統治」対「変革」と単純に分けられるものではない。ともに両方の側面を併せもち、そのバランスと緊張のあり方が異なっていた、と捉えるべきである。

おわりに

本章の論述には、いくつかの限界がある。とりわけ、史料が行政・学校側の刊行物に偏り、生徒や教員の意識変容を直接的にたどることができていない。外面的な活動の反復が内面的な価値形成にどの程度結びついたかは、本章の史料では必ずしも明確ではない。こうした限界を踏まえたうえで、本章では、神奈川県と八頭郡社協の二つの普及校制度について、担い手、教育課程上の位置づけ、道徳教育との関係、教員・学校の役割、地域との関係、制度の継続と終焉などの観点から、その特質と相違を整理した。

以上の検討から、両制度は担い手や継続性を異にしながらも、ともに「統治」と「変革」の二つの方向を併せもっていたことが読み取れる。この「統治と変革の併存」という視点は、今日の地域共生社会や地域福祉計画、住民主体のまちづくりなど、「まちづくりと市民福祉教育」へと連なる歴史的源流を考えるうえで、重要な論点となる。

このように、福祉教育は、社会の秩序形成に資する働きをもつと同時に、その枠組みのなかで人びとが社会のあり方を問い直す契機ともなりうる。重要なのは、福祉教育の歴史を実践の広がりや活動内容の変化として捉えるだけでなく、そこにおいて、どのような担い手を育成し、どのような社会を形成しようとする意図があったのかという観点から問い直すことである。本章でいう「民主的な社会の形成者」は、地域や社会のあり方に主体的に関わる「市民」に通じるものである。こうした歴史的経験を踏まえ、福祉教育を、既存の社会への適応にとどまることなく、地域生活課題を社会的な問題として捉え、他者とともに地域や社会のあり方を問い直し、その変革に主体的・自律的に参加(参集、参与、参画)する市民を育む営みとして捉え直すことが求められる。ここに、「まちづくりと市民福祉教育」の歴史的・理論的基盤を見出すことができる。それは、福祉教育を個人の意識や態度の形成に限定せず、市民の主体形成を通して地域のあり方や社会の仕組みを問い直し、その変革に結びつけていく教育として構想することに他ならない(図1-1参照)。

図1-1 統治と変革の併存

 

引用・参考文献
(1)牛田昭(年不詳)『鳥取県における福祉教育の歩み』鳥取県社会福祉協議会。
(2)勝連益隆・松田豊(1953)『社会福祉教育普及校視察報告書』八東部中学校。
(3)神奈川県(1956)『昭和31年度 社会福祉事業研究普及校研究発表概要』。
(4)神奈川県(1964)『昭和38・39年度 社会福祉事業研究普及校研究発表概要』。
(5)神奈川県民生部社会福祉課編(1960)『社会福祉事業研究普及校10年のあゆみ』神奈川県。
(6)阪野貢(1984)『社会福祉教育論序説』相川書房。
(7)全国社会福祉協議会三十年史刊行委員会編(1982)『全国社会福祉協議会三十 年史』全国社会福祉協議会。
(8)鳥取県社会福祉協議会(1955)『志あわせへ』(機関紙)第15号。
(9)八東部中学校(1954a)『本校の社会福祉教育研究収録Ⅲ―社会福祉教育研究会要項―』。
(10)八東部中学校(1954b)『社会福祉読本』。
(11)八東部中学校(1955)「社会福祉教育研究会報告メモ」(B4判罫紙)。

【初出】
「神奈川県における福祉教育実践の展開」「鳥取県八頭郡における福祉教育実践の展開」『戦後初期福祉教育実践史の研究』角川学芸出版、2006年4月、101〜152頁を改題し加筆修正したものである。

 


第2章
福祉教育論の再考と現代的展望
―大橋謙策の思想的源流から―

 はじめに

「福祉教育」の実践と研究はこれまで、一面では、子どもと高齢者、健常者と障がい者、ICIDH(国際障害分類)とICF(国際生活機能分類)、排除と包摂、対立と共生、などの二項対立的な分かりやすさのなかで論じられ、取り組まれてきた。その際、「協同実践」(参加者が相互に学び合う関係性)の重要性が指摘されながらも、主体と客体の関係性を前提にしがちであった。しかも、包摂や共生を概念的・抽象的に思考・理解することにとどまり、日常の地域生活場面においてその感覚化や生活化、行動化を促すことに必ずしも主体的・積極的であったとはいえない。

そして、「我が事・丸ごと」の「地域共生社会」の実現が叫ばれるようになって久しいが、包摂や共生が未だ「お守り言葉」(鶴見俊輔)として使用されている感がある。それは、人々を思考停止に陥らせたり、ある種の刷り込みを可能にする恐れがある。その要因や背景については、(1)福祉教育がその存立基盤となる原理論や思想・哲学への探究を等閑視してきたこと。(2)福祉教育の実践科学としての側面、すなわちハウツーや手法の提供に偏重してきたこと。(3)福祉教育がその固有性や自律性を十分に追究せず、学習内容や方法が確固たるものになっていないこと。(4)福祉教育が「政治」(福祉政治と教育政治)と対峙せず、「政治的リテラシー」(政治的判断力や批判力)についてほとんど言及してこなかったこと、などを挙げることができる。

その結果、福祉教育は、政府・行政主導による福祉・教育改革の推進が図られるなかで、以前にも増して統制的で定型化された実践活動となりつつある。その弊害は、筆者が耳にする次のような声にも顕著に表れている。すなわち、「他地域の実践事例を見聞しても、以前のように『ワクワク感』が湧かなくなってきた」「福祉教育が学校や地域の現場の課題やニーズに即した形で十分な進展を見せているとはいい難い」「現場実践と研究活動は不可分であり、両者の往還関係を構築することが肝要であるが、両者の間に乖離が生じている」などの指摘がそれである。

そういうなかで、いま求められるのは、歴史的視点や哲学的思考を重視しながら、福祉教育の原理論を探究し、福祉教育とは「そもそも何か」、それは「いかにあるべきか」、「いかに取り組むべきか」を、混迷する現場のリアリティや実践と切り結びながら、本質的・根源的に問い直すことである。

そこで本章では、日本における福祉教育研究の草分けであり、泰斗でもある大橋謙策の「福祉教育論」を再考の基軸に据え、その解説的考察を通して「大橋福祉教育論」の継承と新たな福祉教育論展開の課題や方向性を見出すことを目的とする。

Ⅰ 「大橋福祉教育論」の思想的基盤と理論構造

福祉教育とは、「憲法13条、25条等に規定された人権を前提にして成り立つ平和と民主主義社会を作りあげるために、歴史的にも、社会的にも疎外されてきた社会福祉問題を素材として学習することであり、それらとの切り結びを通して社会福祉制度、活動への関心と理解をすすめ、自らの人間形成を図りつつ社会福祉サービスを受給している人々を、社会から、地域から疎外することなく、共に手をたずさえて豊かに生きていく力、社会福祉問題を解決する実践力を身につけることを目的に行われる意図的な活動」と規定することができる。

1 福祉教育の概念規定
これは、周知の通り、福祉教育の「原理論」と評される大橋謙策による福祉教育の概念規定である(全社協・全国ボランティア活動振興センター「学校外における福祉教育のあり方と推進―福祉教育研究委員会中間報告―」1983年9月、15頁)。40年以上も前のものであるが、今日においてもしばしば引用される。この概念規定以外にも、「福祉教育とは何か」について論考したものは複数、捉え方によっては多数あるが、大橋のそれがよく援用される。それは、「人権」や「平和と民主主義」といった普遍的な理念や価値に基礎をおいた理念型の定義であり、また包括的で汎用性が高いことに起因するといってよい。具象的な定義はその解釈を狭くするが、抽象的な定義はその抽象度によって解釈を広げ、読み手の洞察によって解釈を深めることができる。そうした点で、この定義は多くの人が「使える」、多くの人にとって「使いやすい」ものになっているのであろう。

周知のように、全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センターが1980年9月、「福祉教育研究委員会」(委員長・大橋謙策)を設置し、翌1981年11月に「福祉教育の理念と実践の構造―福祉教育のあり方とその推進を考える―」について研究の中間成果を報告した。委員会の設置は、全国各地で福祉教育実践の進展が図られ、学校における福祉教育のあり方について一定の理論的整理が求められるようになってきたことへの対応であった。次いで、1982年9月に第2次の「福祉教育研究委員会」(委員長・大橋謙策)が設置され、翌1983年9月に「学校外における福祉教育のあり方と推進」と題する中間報告がなされた。

大橋の福祉教育の定義は、第1次ではなく、「第2次福祉教育研究委員会」(在京研究委員会)報告のなかで論述されている。そこではまた、次のように述べられている。「社会教育行政における福祉教育の促進には二つの視点が『車の両輪』としてなければならない。第一は、国民が社会福祉問題を学習し、それへの関心と理解を促進させる福祉教育活動の促進であり、第二には、今日の社会福祉問題の中心的課題を担っている障害者、高齢者の社会教育(学習、文化、スポーツ活動)の促進である」(15頁)というのがそれである。後者(「第二」)に関してはさらに、「今日の社会福祉サービスの主たる対象である障害者、高齢者の学習、文化、スポーツ活動を豊かに促進させることが、国民の障害者観、老人観を変え、ひいては社会福祉観を変えて、ともに生きていく街づくりをすすめる上で重要」(16頁)であるとされた。

ところで、大橋のこの概念規定は、全国社会福祉協議会の「第2次福祉教育研究委員会」報告以前の1982年3月、神奈川県の「ともしび運動促進研究会」(委員長・大橋謙策)が編集し、「ともしび運動をすすめる県民会議」が発行した『ともしび運動促進研究会中間報告』で述べられている(4頁)。「ともしび運動」は、当時の長洲一二県知事の提唱によって、1976年10月から展開された行政・県民協働の福祉コミュニティづくり(自立と連帯のまちづくり)運動である。具体的には、「障害者の自立促進を」「おとしよりに生きがいを」「連帯感にあふれた地域社会づくり」などをその目標とし、「『ともしび運動』によって進められるべき課題の第一は “福祉教育の促進” である」(4頁)とされた。

以上を要するに、大橋の福祉教育論については、一面では「子ども・青年の発達(の歪み)」を軸に体系化された教育論としても評価されるが、併せて高齢者や障がい者の「社会教育の促進」や「福祉コミュニティの形成」との関わりで福祉教育を捉える研究の視座に注目しないと、その定義や言説を読み解くことはできないということである。

 1)福祉教育と「社会福祉問題」
冒頭に記した大橋の福祉教育の概念規定について、その構成要素を弁別すると次のようになる。(1)憲法第13条、第25条等に基づく人権思想をベースにする。(2)歴史的・社会的存在としての社会福祉問題を素材とする。(3)社会福祉問題との切り結びを通して、社会福祉制度や活動への関心と理解を進める。(4)社会福祉問題を解決する実践力を身につけるために、実践に基づく体験学習を重視する。(5)「自立と連帯の社会・地域づくり」の主体形成を図る、などがそれである。

大橋の概念規定における鍵概念のひとつは「社会福祉問題」である。大橋は、1981年2月に刊行された吉田久一編『社会福祉の形成と課題』(川島書店)所収の論文「高度成長と地域福祉問題―地域福祉の主体形成と住民参加―」で、高度経済成長期以降、「社会福祉問題の国民化と地域化」(大橋,1986,pp.3-11)が進んでいる。そうしたなかで、地域の社会福祉問題を解決するためには、それができる「住民の形成とネットワークづくり、とりわけそこにおける住民参加の問題」が重要であり焦眉の課題である、とする(大橋,1981,p.238)。そのうえで、地域福祉の主体形成のための福祉教育の必要性と、福祉行政の「地方分権主義」への転換を図り、地方自治体が自律性をもって「地域社会福祉計画」を住民参加のもとに策定することの必要性を指摘している。

福祉教育が学習素材とする「社会福祉問題」、とりわけ高度経済成長期以降のそれは、大橋にあっては「戦前の大河内一男の社会政策と社会事業という整理や戦後の孝橋正一の社会問題と社会的問題という整理でも、包含できない課題として創出されてきた」。公害・環境問題と外的な生活破壊、過疎問題と家庭破壊、過密問題と生活の共同的集団的再生産機能の減退と不安定化、合理化・機械化による生活リズムの破壊や老人福祉問題の深刻化などが、「従来の問題にくわえてあらわれてきた」ものである(大橋,1981,pp.231-234)。

地域住民のこれらの具体的な生活破壊の「状況」については、簡潔明瞭にカテゴライズしても、また他の領域や次元の「状況」で説明するだけではその本質に迫ることはできない。社会福祉問題の分析は、それを現代社会の仕組みと運動法則によって必然的に生み出される歴史的・構造的な「社会問題」として、社会科学的に捉えることによってはじめて可能となる。そうした分析のうえで、その問題解決に向けて、批判的・論理的かつ創造的に思考・判断・実践する「力」の育成・向上をいかにして図るか。そのための福祉教育実践の具体的展開について検討することが求められる。

この点を別言すれば、福祉教育における「社会福祉問題」の本質は、社会構造に起因する歴史的側面と、個々の住民が直面する具体的な地域生活上の課題という、重層的な視点から把握されなければならない、ということである。

以下に、長文にわたるが、上記の論文から「福祉教育と地域福祉の主体形成」に関する記述を抜粋(引用)する。これにより、大橋の「福祉教育の理念と実践の構造」についてその言説の基本的部分(論理的特質)を概観・俯瞰することができる。

 2)福祉教育と「地域福祉の主体形成」
大橋は、岡本栄一によって「住民の主体形成と参加志向の地域福祉論」と評されるように、「地域福祉の主体形成」を重視する。その点について、大橋は、著書『地域福祉の展開と福祉教育』において、「地域福祉の主体形成のしかたと主体として形成されるべき力量には、次のような7つのことが考えられる」とした。(1)社会福祉に関する情報提供による関心と理解の深化。(2)地域福祉計画策定への参加と政策立案能力。(3)社会福祉行政のレイマンコントロール(政治や行政の一部を一般市民に委ねること――引用者注)。(4)社会福祉施設運営への参加。(5)意図的、計画的な福祉教育の推進。(6)地域の社会福祉サービスへの参加(ボランティア活動)による体験化と感覚化。(7)社会福祉問題をかかえた当事者の組織化と当事者のピア(仲間、peer)としての援助、がそれである(大橋,1986,p.46)。その後、大橋は、この「地域福祉の主体形成」(「住民の主体形成」)の7つの「枠組み」を整理し、「『地域福祉の主体』形成には、4つの課題がある」として、4つの主体形成の枠組みを提示する。すなわち、(1)地域福祉計画策定主体の形成、(2)地域福祉実践主体の形成、(3)社会福祉サービス利用主体の形成、(4)社会保険制度契約主体の形成、である(大橋,1995,pp.75-82)。それは同時に、福祉教育の課題でもある。

この大橋の4つの主体形成については、7つから4つにきれいに整理・集約されたゆえにか、4つの側面が並列的に理解されがちで、その内的・構造的な相互関連性の把握を困難にしている。主体としての「住民」は、基本的には労働主体と(労働以外の)生活主体の統一的存在であろうが、政治主体・経済主体・文化主体であり、また地域の自治主体や変革・創造主体でもある。「住民」はこれらの側面を重層構造的にもつ存在である。地域の自治主体や変革・創造主体に関していえば、住民主体の社会福祉問題の解決や「自立と連帯の社会・地域づくり」を推進するためには、個人的主体形成のみならず集合行為主体や運動主体の形成が必要かつ重要となる。こうしたことを踏まえたうえで、地域福祉(住民)の主体形成を促進する福祉教育実践の内容や方法について具体的に検討することが肝要となる。

 3)福祉教育と「ケアリングコミュニティ」
大橋の福祉教育論の基底に「ケアリングコミュニティ論」(大橋,2014)がある。「ケアリングコミュニティ」(caring community)とは、看護の領域で用いられてきたケアリング(「世話をする」「面倒を見る」「思いやる」といった行動)の考え方をコミュニティにまで広げて展開しようという考え方である。

大橋のケアリングコミュニティ論を大胆に要約すれば、次のようになる。(1)人間存在の本質に「ケアする」「ケアされる」関係性がある。(2)ケアは自己実現を図ることに関わる営みである。(3)ケアの考え方の構成要素として「6つの自立」がある(①労働的自立・経済的自立、②精神的・文化的自立、③身体的・健康的自立、④生活技術的・家政管理的自立、⑤社会関係的・人間関係的自立、⑥自律的意見表出的・契約的自立)。(4)ケアリングコミュニティをつくる考え方を「コミュニティソーシャルワーク」という。(5)ケアリングコミュニティの実現には「地域福祉の4つの主体形成」(前述)が重要になる。(6)地域福祉の「主体形成に向けての学習」が必要である、がそれである。これらのうち、特に(6)の「地域福祉の主体形成に向けての学習」について、大橋は次のように述べている。

大橋が指摘するように、「主体形成」や市民活動は自然発生的なものではなく、それに向けての目的意識的な「学習」が不可欠である。地域福祉の主体形成は、筆者の整理によれば以下のサイクル(プロセス)を辿る。それは、(1)地域住民が地域の社会福祉問題を発見する・気づくことから始まる。(2)その問題や課題を「ひとごと」ではなく「じぶんごと」として認識する。(3)それを「みんなごと」として共有し、共通認識を深める。(4)その問題や課題の本質について、みんなで理解を深める。(5)組織的かつ変革的・創造的に課題解決を図ることのできる「力」を獲得する。(6)それを具体的・現実的に行使する。そして(7)その過程を振り返り(リフレクション)、(8)そこから得た知見をもとに次の新たなアプローチを試みる。こうしたサイクルによる主体形成ができなければ、福祉を学ぶことやボランティア活動は単なる「善行」にとどまり、無批判的で体制適応・順応的な住民主体を形成することにもなる。また、主体形成の強調は、その一方で国や行政の責任や役割の矮小化、地域住民への「丸投げ」を招くことにもなる。福祉教育が「両刃の剣」となり得る点については、常に留意を必要とする。

 4)福祉教育と「博愛の精神」
大橋は、『新訂 社会福祉入門』(放送大学教育振興会、2008年3月)において、住民と行政との関係についてこういう。それは、「上下の関係で捉えるのではなく、住民の自立と連帯を前提にし、対等の立場で問題解決を図る新たな社会哲学、社会システムが求められ、社会福祉のような歴史的に国の『社会の制度』として発展してきたものも従来にない発想が求められている」。そして、次の3つの「思想」を取り上げる。(1)フランスの近代市民革命の際にうたわれた「博愛」の思想(「自由」と「平等」を担保する「博愛」)。(2)ノーマライゼーションやソーシャルインクルージョンといった思想(「社会的包摂」)。(3)自分たちで相互扶助組織をつくり、対応しようとする考え方(「協同組合方式」)、がそれである(大橋,2008,pp.28-30)。

そして大橋は、ソーシャルワークの根底にある価値観について次のようにいう。「ソーシャルワークを展開する際の価値の1つは、人間性を尊重し、社会正義と公正を守ることであり、人々の自由と平等を保障することであるが、それらを標榜すればするほど、人々が社会的にも、個人的にも“博愛”という社会の神聖な責務を遂行することが求められる。(中略)そのうえで、伝統的な意識と行動を尊重しつつも、新たな社会システムに必要な価値、意識として“博愛”の精神の涵養とそれを推進する福祉教育が求められる」(大橋,2008,p.227)。ここで強調されるのは、戦後日本の教育や社会システムが「自由」と「平等」の追求に偏り、3本目の柱である「博愛」を看過してきたという視点である。それゆえに、現代社会において人間性を回復させるためには、「博愛の精神」を育む福祉教育の充実が不可欠となるのである。「大橋福祉教育論」のポイントのひとつである。

ここで併せて、「博愛」に関して、次の諸点にも留意しておきたい。(1)フランス革命は、新興の「ブルジョワジー」(有産階級、中産階級)による革命である。(2)その理念は「自由・平等・友愛」であり、「自由・平等・博愛」ではない。(3)「自由」は多様性を保障する一方、放置すればアナーキズム(無政府主義)に行き着く。(4)「平等」は、突き詰めれば全体主義や共産主義となり、不自由を生む。(5)「友愛」は友を愛する理念であり、他の宗教や民族を除外する可能性がある。(6)「博愛」には、「慈善」と同様に、階級差別的な意味合いがある、などである(中川・適菜, 2017, pp.35,98)。

こうした歴史的・思想的な限界が指摘されるなかで、大橋の「博愛の精神」の涵養という主張は、単なる倫理的な呼びかけにとどまらない。大橋は、日本の文化的・歴史的背景、とりわけ閉鎖性や儒教的な排除の論理が福祉の理念形成に及ぼす影響を見据え、その克服に向けて「博愛」という普遍的価値を福祉教育の根幹に据えようとしたのである。これは、福祉教育を知識や技術・技能の伝達、あるいは個人の意識変革に限定せず、社会の文化や規範を問い直し、構造的な差別や排除に抗する「価値観の変革」をめざすものといえる。

このような価値観の変革は、「博愛」を単なる善意や慈善的な援助の精神として捉えるのではなく、他者との関係や社会のあり方を問い直す原理として捉えることによって、具体的な意味をもつ。「博愛の精神」が歴史的な排他性を克服する可能性は、他者への善意や慈善的な援助を促すこと自体にあるのではない。むしろ、援助する側とされる側を固定的に区分する関係を問い直し、誰もが対等な人格として認められる社会をめざす点にある。すなわち、他者の生活上の困難を個人の責任に帰すのではなく、社会全体で共有すべき課題として捉えることである。このように博愛を捉え直すことは、差異を理由とする排除の克服に向けて、共に生きる社会を築くための倫理的基盤となる。

2 「大橋福祉教育論」批判
以上が、「社会福祉問題」「地域福祉の主体形成」「ケアリングコミュニティ」「博愛の精神」などの鍵概念を中心にみた「大橋福祉教育論」の概括である。こうした大橋の言説に対してこれまで、「地域福祉と福祉教育」を説く地域福祉や福祉教育の研究者からの系統的な批判はあまりみられない。それは、大橋の言説が一定の理論体系を作りあげていることによるが、大橋のそれが「福祉教育原理論」として前提され、そのうえで立論されていることにもよるといってよい。そういうなかで、生涯学習やESD(持続可能な開発のための教育)の研究者である松岡広路が、論文「福祉教育・ボランティア学習とESDの関係性」(日本福祉教育・ボランティア学習学会『研究紀要』第14号、2009年11月)において、大橋の言説に批判的考察を加えている。

松岡の大橋批判は、大橋の福祉教育の定義は「汎用的であるがゆえに、同時に、脆弱性を併せもっている」。「脆弱性を項目化すると、<未分化な学習者像>、<社会福祉活動の内実の曖昧さ>、<楽観的な社会形成ビジョン>、<教育概念の曖昧さ>と約言できる」(松岡,2009,p.13)、というものである。そして、松岡は、「脆弱性の高い『福祉教育』の定義に基づいてしまうと、時代の大きな物語に押し流され、重要と思われる要素が外延化され、体制的要素を内包とする対象化(理論化)と実践化が、当然のごとく進んでいく。福祉教育が、現実と理想の拮抗関係の中に位置することを意識し、従来の枠組みを等閑視しないという批判的な姿勢を保つことが、今まさに重要である」(松岡,2009,p.16)として、「批判的創造性」の観点の必要性と重要性を説いている。松岡の批判は必ずしも、「大橋福祉教育論」をその理論的体系化の過程も視野に入れて、総合的・体系的に行うものにはなっていない。とはいえ、「社会的・福祉的課題の解決に不可欠な『批判的創造性』が、実践における学びの目標・内容(いわゆる『学びのベクトル』)から排除されている」(松岡,2009,p.16)という指摘は、首肯されるところである。

いま少し具体的にいえば、「未分化な学習者像」という松岡の批判は、大橋にあっては、社会福祉問題の解決やケアリングコミュニティの形成についての言及が先行するあまり、学習者を単に「子ども・青年・成人」という属性で定義・議論するにとどまり、学習主体としての具体性や固有性が等閑視されているという指摘であろう。また、「批判的創造性」の欠如という批判は、福祉教育は本来、学習者が自己の価値観を揺さぶられ、既存の社会構造に疑問を抱き、社会変革を志向するという、「内的な変容」を伴うべきものである。その点の言及を大橋に期待しているのであろう。

いずれにせよ、こうした批判的視座は、未来(あす)の社会変革をめざすだけではない。現在(いま)の生活実態を直視し、現実的で具体的な地域生活課題の解決に根ざしてこそ、実践はその脆弱性を克服し、真に持続可能な深化を遂げるのである。

Ⅱ 「大橋福祉教育論」の継承と理論的展開

1 原田正樹の福祉教育論―「協同実践」と「相互実現的自立」をめぐって―
「大橋福祉教育論」の正統な発展的継承者に原田正樹がいる。原田は、地域福祉の主体形成に関わる地域福祉実践研究法について考察し、その理論化・体系化を図っている。その著作『地域福祉の基盤づくり―推進主体の形成―』(中央法規出版、2014年10月)は、大橋の前記の著作『地域福祉の展開と福祉教育』の「今日的な続編でありたい」とするものでもある。福祉教育については、原田は、福祉教育の理論と実践の乖離を指摘し、それを克服するために、学際的・総合的かつ実践的なアプローチによって福祉教育の新たな理念の構築と実践構造の再検討を進める。原田にあっては、「共に生きること、共に学び合うこと」は、福祉教育が大切にしてきた・大切にすべきメッセージである。加えて、原田の、全社協主催の「全国福祉教育推進委員会」などでの取り組みは特筆されるべきものである。

ここで、原田の福祉教育論を素描する。原田にあっては、地域ぐるみの福祉教育が必要かつ重要となるなかで、「地域福祉を推進するための福祉教育とは、平和と人権を基盤にした市民社会の担い手として、社会福祉について協同で学びあい、地域における共生の文化を創造する総合的な活動」である(福祉教育推進検討委員会(委員長・大橋謙策)『社会福祉協議会における福祉教育推進検討委員会報告書』全国社会福祉協議会、2005年11月、5頁)。

この規定における鍵概念のひとつ、すなわち原田福祉教育論のそれは「協同実践」である。原田はいう。「福祉教育における『協同実践』においては、専門的な知識や技術の伝達ではなく、福祉の魅力や難しさをみんなで考える。その時には、子ども同士だけではなく、福祉教育実践に関わる大人も含めて相互の学び合いが必要になってくる」(原田,2022,p.66)。さらにそれは、学校や地域だけでなく、また障がい者や高齢者、地域のボランティアだけでなく、さまざまな関係者や関係機関・団体を福祉教育に巻き込み、「サービスラーニング」の視点による福祉教育実践を協同実践として成立させるための組織(「福祉教育推進プラットフォーム」)やコーディネーター(「福祉教育推進員」)を求める。また、その実践については、「内省」(かえりみて見直すこと)し「省察」(ふりかえり考えめぐらすこと)する効果的・総合的かつ創造的なふりかえり(「リフレクション」)を不可欠とする。

原田福祉教育論のもうひとつの鍵概念に「相互実現的自立」「相互依存的自己実現」がある。これは、人間の脆弱性を前提としたうえで、個人の自立や自己実現だけでなく、それを乗り越え、関係性のなかで互いに支え合いながらより良く生きること、社会全体の「共に生きる力」の育成を図ることをめざす視点である。すなわちそれは、福祉教育は地域福祉の下位概念・従属概念ではなく、個人の福祉意識を変革させ(「貧困的な福祉観の再生産」の克服)、地域を変革する力の育成を図る営為である、という主張に通底するものである。要するに、「相互実現的自立」「相互依存的自己実現」という概念は、超少子高齢人口減少問題をはじめ多様で複雑な福祉課題を抱える現代社会において、従来の自立支援の限界を乗り越え、より包括的で持続可能な地域社会を構築するための新たなパラダイムを提供するものである。

この点を別言すれば、原田は、その主著『地域福祉の基盤づくり』で、「地域福祉を福祉教育によって支えあうことができる社会、ケアリングコミュニティをどう構築していくことができるかを問うことが『地域福祉の基盤づくり』である」(「はじめに」)という。これは、福祉教育と地域福祉が単なる補完関係ではなく、相互に影響し合い、変革を促すダイナミックな関係にあることを示唆するものである。すなわち、福祉教育は地域変革の主体化を図り、個人の意識変革を促す一方で、地域福祉の実践はその意識変革をさらに深化させるのである。そして、ここでいう「ケアリングコミュニティ」とは、原田にあっては、「共に生き、相互に支え合うことができる地域」のことである。それは、地域福祉の基盤づくりである。そのためには、共に生きるという価値を大切にし、実際に地域で相互に支え合うという行為が営まれ、必要なシステムが構築されることを不可欠とする。

こうした原田の言説において、「協同実践」は、地域福祉の住民主体形成を説く大橋の主体形成論に、パートナーシップや共創的な意味合いを強めたものである。「相互実現的自立」「相互依存的自己実現」は、大橋が説く「地域自立生活支援の体制づくり」を継承しつつ、その理念を「その体制のなかで誰もが頼り合い支え合う関係づくり」へと深化・発展させたものである、といえよう。

2 阪野貢の福祉教育論―「まちづくりと市民福祉教育」と「共働活動」をめぐって―
筆者も、「大橋福祉教育論」を継承する立場の一人である(少なくとも筆者はそう認識している)。筆者は、福祉教育の歴史研究を基盤にしながら、大橋の福祉教育論を継承し発展させつつ、「まちづくりと市民福祉教育」という概念を提示してその理論化・体系化を図ってきた。そのひとつの集大成でもある『市民福祉教育の探究―歴史・理論・実践―』(みらい、2009年10月)は、従来の学校福祉教育や地域を基盤とした福祉教育の枠を超え、「まちづくり」とそのための「市民性教育」(市民的資質・能力の育成)をめざす福祉教育、すなわち「市民福祉教育」のあり方を探究したものである。

そこにおいて筆者は、「市民福祉教育」を次のように規定する。「市民福祉教育とは、福祉文化の創造や福祉のまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な市民の育成を図るための教育活動であり、その内容は、人間の尊厳と自由・平等・友愛の原理に立って、平和・民主主義・人権と、自立・共生・自治の思想のもとに構成され、その実践では、歴史的・社会的存在としての地域の社会福祉問題を素材にし、課題解決のための体験学習と共働活動を方法上の特質とする」(阪野,2009,pp.70-71)。

すなわち、市民福祉教育は、「人間の尊厳」「自由・平等・友愛」「平和・民主主義・人権」といった普遍的な人間観と社会観に基づいている。また、現代社会において子どもと大人、障がい者や高齢者などすべての人々の「自立・共生・自治」が問われるなかで、「まちづくり」に参加(参集、参与、参画)する主体的・自律的な「市民」の育成を図る市民福祉教育の重要性を認識し指摘する。それは、「ふくし」は社会的支援を要求する・必要とする人や専門家だけの問題ではなく、市民一人ひとりの日常生活(「ふだんの くらしの しあわせ」)と社会全体の平和・安寧・福祉(「みんなが、満足していて、楽しいこと」)に関わる普遍的な課題であるという視点・視座に基づくものである。それはまた、大橋が指摘する「博愛」の欠如や社会の閉鎖性といった問題意識を、より普遍的な市民社会の形成という視点から継承・発展させるものでもある。なお、ここで、「福祉」をあえて「ふくし」と平仮名で表記するのは、それが専門的な制度やサービスにとどまらず、住民一人ひとりの日常的な実感(感覚化・生活化)に根ざしたものであることを強調するためである。

また筆者は、「福祉文化」の概念を、一番ヶ瀬康子の言説を引用し「福祉の文化化」と「文化の福祉化」が統合されたものとして捉える。前者は、社会福祉は質・量ともに豊かで快適な人間らしい生活を保障するものであること、後者は、障がい者や高齢者を含むすべての人々が文化創造の担い手であることを含意する。そのうえで、「福祉」が単なるサービス提供や社会的支援にとどまらず(憲法第25条)、人々の生活そのものを豊かに快適にし(憲法第13条)、社会全体の文化、人間の豊かな感性と創造性を育む福祉文化として根付かせるべきものであると主張する。これはまさに、憲法25条の生存権のみならず、13条の幸福追求権の重要性を説く大橋の「福祉原理」と通底する・共鳴するものである。

いまひとつ筆者は、「協働」(collaboration)と「共働」(co-action)の概念を明確に区別し、「対抗」から「共働」へのプロセスを支援学の視点から提示して市民自治とまちづくりの立ち位置とプロセスを考察してきた。「協働」は往々にして、行政主導や専門家主導の枠組みのなかで行われる「協力」に近いニュアンスをもつ。それに対して「共働」は、市民が主体的・自律的に、対等な立場で互いに働きかけ、共に新たな価値を創造していく能動的な関係性を意味すると考える。この区別は、単に市民を行政の活動に「参加させる」だけでなく、市民自身が「主体」として福祉を「創りあげる」という、市民参加(参画)の質的向上への強い志向性を示すものである。これは、福祉教育が市民のエンパワメントを通じて、真の市民社会を構築するための重要な手段(「思想的武器」)となる・ならなければならないという思想に基づくものである。なお、「共働」を平易に換言すれば、市民や行政、専門家などが同じ土俵(水平的な場)を新たに創ってそこに上がり、相互信頼に基づく対等な関係のもとで共通のゴールに向かって同じ汗を流すこと、といえる。

この「共働」は、既存の枠組みを追認する「協調」とも異なる。それは、現状の矛盾や不条理に対する「対抗」を不可欠な起点とする。すなわち、「共働」とは、現実の課題に真摯に向き合い、論理的に対抗し、民主的な熟議を重ねることで、既存の枠組みを乗り越えるエネルギーを獲得していくプロセスに他ならない。この過程こそが市民自治を形成する本質であり、地域変革の原動力となるのである。
以上のような思想的背景をもつ「市民福祉教育の理念と構造」は、管見によると図2-1のように整理される。ここでの要点は次の通りである。

図2-1 市民福祉教育の理念と構造

(1)市民福祉教育は、当初から福祉教育そのものを目的として実施される事業・活動である①「福祉教育事業」(意図的・直接的営為)と、福祉教育そのものを第一の目的としてはいないが、結果的に福祉教育事業・活動になる②「福祉教育機能」(非意図的・間接的営為)に分けられる。市民福祉教育ではこの2つの側面の推進を重視する。

(2)教育の形態は一般的には、①「定型教育」、②「不定型教育」、③「非定型教育」の3つに大別される。市民福祉教育においては、これらに加えて、日常生活上の市民・文化活動(運動)などが展開されるなかで生じる教育的営為として④「市民・文化活動(運動)等」を考えることができる。これは、非意図的・間接的、あるいは偶発的な学びを含むものである。同時に、それは単なる知識の習得にとどまらず、参加者が社会創造や変革のプロセスを実体験として学習していく点に特質がある。

(3)市民福祉教育(福祉教育事業)は、①理念・目的・目標、②学習者、③指導者・支援者、④素材・教材、⑤教育内容・方法、⑥教育評価などによって構造化される。教育は、その理念や目的・目標の明確化なくして、学習者の主体的・創造的な学習活動や指導者の意欲的・積極的な指導は促進されず、その成果を期待することはできない。そこから、教育の「理念・目的・目標」は、市民福祉教育の構造を成す重要な内部要素であり、「理念・目的・目標」「学習者」「指導者・支援者」「素材・教材」などは、相互に作用・影響し合い、相乗効果を生み出すものとして存在する。

ひるがえって、(4)市民福祉教育を広義に捉えるならば、その根底にある「形成」「学習」「教育」をめぐる概念そのものを再検討する必要がある。形成(広義の教育)は、人間が地域・社会生活の営為そのものによって「形づくられる」過程である。この形成は学習なしには成り立たず、学習は形成に不可欠な営為として位置づけられる。一方、教育(狭義)とは、組織的・体系的な制度のもとで展開される目的意識的な過程を指す。勝田守一が「学習のないところに教育はない」「教育とは学習の指導である」と述べたように(勝田,1990,pp.149-150)、教育と学習は密接不可分である。したがって、形成とは教育と学習の相互作用(共鳴や葛藤)が生み出す、動的な自己変革のプロセスであるといえる。

図2-2は、市民福祉教育の領域(構成要素)とその連関性を視覚化したものである。市民福祉教育は、これら4つの領域(教育形態)を重層的に包摂し、相互に連関し合うひとつの総体として構成される。

図2-2 市民福祉教育の領域

図2-3は、市民福祉教育の構造を可視化したものである。ここでは、市民福祉教育が意図的なプログラム(福祉教育事業)と地域・社会生活のなかでの学び(福祉教育機能)の両面から構成され、両者が「形成」「学習」「教育」という3つのプロセスを介して、相互に規定し合いながら動的に連動していることを示している。

図2-3 市民福祉教育の構造(相互作用モデル)

以上の考察を踏まえ、大橋と原田の理論と筆者の福祉教育論における特質を対照させると、表2-1の通り整理できる。

表2-1 大橋謙策、原田正樹、阪野貢の福祉教育論の特質

Ⅲ 福祉教育の現代的課題と創造的継承

 「大橋福祉教育論」の特質は、それが単なる個人の意識改革や情操教育にとどまるものではなく、社会構造への問い直しを含む「実践科学」としての枠組みをもつものである。今日、地域共生社会の実現が叫ばれるなかで、福祉教育は「頼り合い、分かち合い、支え合う」担い手の育成という狭隘な枠組みに回収されつつある。そういうなかで、大橋が強調する「博愛の精神」は、人間の尊厳を保障する社会システムそのものを変革する「力」を内包するものであり、そうでなければならない。

また、松岡による「大橋福祉教育論」への批判、とりわけ「未分化な学習者像」や「批判的創造性の欠如」は、福祉教育が学習素材論に偏重し、学習主体論への言及が必ずしも十分なものではないという指摘である。この批判は、福祉教育が単なる体制適応・順応や動員の手段として機能するリスクを孕んでいることを意味するものでもある。そこで筆者の管見では、(1)福祉教育の学習者は、個々人が抱える生活課題を地域・社会構造の課題へと連結し普遍化させるプロセスを通して、生活主体や政治主体である「市民」として再規定されることが肝要となる。(2)学習素材である「社会福祉問題」については、固定的な対象・素材として捉えるのではなく、それに対する「対抗」や「共働」のプロセスに位置づけるべきである。そこに「批判的創造性」が醸成され活用されることになる。さらに松岡が批判する(3)「教育概念の曖昧さ」については、福祉教育は単なる体験学習やその手法(ハウツー)の提供ではなく、原田がいうリフレクション(省察)を通して、市民自治を形成するプロセスが重視されなければならない。これらによって、冒頭に記した現場の閉塞感を打破し、実践の「ワクワク感(ダイナミズム)」を取り戻すことができるのである。

原田が説く「協同実践」についていえば、それは、複数の人間が地域の社会福祉問題について共有化し、共通認識を形成し、それぞれの立場の違いを大切にしながら、問題解決に向けての、双方向的な「学び合う関係性」「学びの関係づくり」(原田)を大切にした実践方法である、と理解できる。しかし、協同実践の構造や性質をはじめ協同実践が生みだす効果やそれを成功させるための方法や条件などについては、これまで必ずしも理論的かつ具体的に言及・議論されてきたとはいえない。そこで例えば、協同実践であっても、実践そのものは基本的には一人ひとりの人間のなかで営まれる。そこから、協同実践のあり方について検討する際には、一人ひとりの実践(個別性)といろいろな人たちとの実践(協同性、共同性)、そしていろいろな内容や方法の実践(多様性)という視点が必要かつ重要となる。実践の協同(共同)性を強調するあまり、その個別性とそれに基づく多様性を軽視することがあってはならない。

こうした批判的視座を共有しつつも、大橋と原田、そして筆者の福祉教育論は、基底において共通の志向性を有している。すなわち、「地域福祉と福祉教育の不可分性と有機的連携」「主体形成の重視と市民参加の促進」「まちづくり・社会変革の推進と地域共生社会の実現」「実践と理論の往還的関係の重視と実践研究の推進」といった視座である。これらは、断絶した個別の研究ではなく、相互に影響し合い、継続的に取り組まれ、学術的な系譜を形成してきたといえる。しかし、残された課題は多い。それを本章の「はじめに」で指摘した問題意識に立ち返り、根源的な理念から具体的な地域実践へと昇華させていく階層的なプロセスとして整理・体系化すると、表2-2のようになる。また、その内容は以下の通りである。

表2-2 「まちづくりと市民福祉教育」の課題の階層構造

(1)核心化(根源の探究):人間存在の再定義と深遠な哲学性の探究
大橋の「博愛の精神」や原田の「相互実現的自立」「相互依存的自己実現」、筆者が提唱する「まちづくりと市民福祉教育」といった理念は、福祉教育が単なる知識や技術・技能の伝達にとどまらず、地域変革(まちづくり)や社会全体の価値観の変革、人間のあり方を問い直す哲学的な営為であるという深遠な視点を提供する。これは、福祉教育の意義を再認識するうえでも重要であり、根源的な探究を必要とする。すなわち、福祉教育は、支援・受援という固定的な役割を超越し、共生社会の構成員としての「人間存在」を再定義することを迫られる。そして、福祉教育を根源的な思想教育として捉え直すことは、混迷する現代社会において、人間としての尊厳をいかに守り抜き、連帯や共働の哲学をいかに構築するかという、最も本質的な探究へと繋がっていくのである。
(2)構造化(理論の構築):多角的視座による福祉教育理論の再構築
福祉教育学界では、教育方法・技術論的な観点からの研究は盛んであるが、福祉教育の本質に迫る理論的・歴史的論考はいまだに少ない。そうした福祉教育研究の現状と課題、その背景(要因)を明らかにするとともに、福祉教育実践・研究の新たな展開の方向性と可能性を探ることが、いま、改めて問われている。具体的には、先駆的な実践や思想がいかに形成され、変容してきたかを辿ることで現代的課題の根源を浮き彫りにする。格差や排除の社会構造のなかで、福祉教育が果たすべき連帯や共働の機能を再定義する。教える・教えられるという二元論を脱し、多様な背景や生を営む人々との対話を通じて共生の本質を理論化する、などがそれである。それらに応えるためには、多面的・多角的な視座に基づく福祉教育理論の構築や刷新に関する総合的な研究が求められる。
(3)架橋化(理論と実践の往還):理論と実践の融合に向けた「バッテリー型実践・研究」の推進
福祉教育ではこれまで、一面では理念が高尚すぎたり、概念が抽象的・情感的すぎたりすることで実践への落とし込みが難しいという課題が指摘されてきた。この課題を克服し、実践の場で生きた理論を構築するための有効なアプローチに、大橋がいう「バッテリー型実践・研究」(研究者と実践家との協働研究方法)がある。これは、研究者が客観的な視点から分析を行う一方で、実践家は主観的な現場感覚と個別の事象への洞察を持ち寄り、両者が対等なパートナーシップのもとで理論と実践の往還を繰り返す動態的な方法論である。このプロセスを通じて、理論は現場の事実によって検証・洗練され、実践は理論的な裏付けを得ることで普遍性をもつモデルへと体系化される。このように、学問的探究と現場の変革を地続きのものとして捉え直すことで、福祉教育は単なる情操教育の枠を超え、誰もが当事者として参画する社会変革のプロセスへと進化することになる。
(4)止揚化(時代への最適化):AI・新グローバル時代における新次元の展開
AI、デジタル技術の進展や気候変動・貧困・紛争といったグローバルな社会課題は、従来の福祉のあり方や教育の枠組みを大きく変えつつある。こうしたなかで、福祉教育には、AI時代におけるデジタル技術を活用した新たな学習方法をどう開発するか、また、新グローバル時代(多極化と相互依存)における異文化間理解をどう促進するかが問われる。とりわけAIについては、アルゴリズム(自動的・形式的な手順)による最適解の提示が、葛藤を伴う合意形成のプロセスを省略させ、思考停止や体制順応型の主体形成を促す危うさがあり、高度なリテラシーが求められる。逆にいえば、だからこそ対面での「共働」を通じた合意形成のプロセスが肝要となるのである。例えば、AIがデータに基づいて提示する「最短・最適ルート」の効率性をあえて保留し、寄り道や遠回りから生じる偶然の出会いのなかにこそ、効率性には還元できない人間存在の深遠な意味を見出す視点が必要である。
ここでいう「止揚」とは、従来の福祉教育の蓄積を保持しつつ、新たな時代条件のなかで一段高い次元へと引き上げることをいう。
(5)変革化(社会の共創):多様なアクターとの連携とソーシャルアクション機能の強化
福祉教育は単なる学習活動にとどまるものではない。福祉教育は、個々の地域生活課題を社会全体の課題として捉え直し、その社会を変革していくための「思想的武器」とならなければならない。そのためには、福祉関係者のみならず、企業、NPO、行政、教育機関といった多様な主体(アクター)との重層的な連携を深めることが不可欠となる。その連携においては、福祉の専門性を軸にしつつ、異分野の知見を融合させる「プラットフォーム型」のモデルが求められる。こうした多様なアクターとの共働は、福祉教育に新たな視点をもたらし、市民一人ひとりが「自分事」として社会課題に向き合う土壌を耕すことになる。さらに、福祉教育による学びや気づきを、単なる「個人の感想」で終わらせるのではなく、制度の不備を是正するための政策提言や、困難を抱える人々の声を可視化する権利擁護(アドボカシー)へと結実させていく必要がある。

なお、これらの5項目は、単線的・段階的に進行するものではない。根源的な理念の探究、理論の構築、実践との往還、時代的課題への対応、社会変革への展開が相互に作用し合う、循環的かつ重層的な課題構造として捉えられる。この点に留意しておく必要がある。

では、これらの視点・枠組みは、実際の福祉教育の現場にどのような変容をもたらすか。この5項目を、例えば「車椅子体験」という具体的な福祉教育活動に照射してみると、こうである。それは、従来の枠組みを解体し、真の意味で社会変革を志向する「新たな車椅子体験を創り出す」試みに他ならない。

車椅子体験に参加する障がい者は、単なる「講師」ではなく、筆者がいう「共働」の「パートナー」として位置づけられる。参加する子どもや障がい者は、段差という物理的障壁に直面した際、それを個人の心身機能の欠損に帰属させるのではない。大橋の「博愛」や原田の「相互依存」の理念に基づき、解消すべき課題は「社会の側」にあることを認識する。この活動には、社協職員等の専門職や地域活動家が参画し、大橋のいう「バッテリー型実践・研究」の手法を導入する。これにより、参加者の主観的な意識変革や発見された個別の困りごとを、地域全体の共通課題へと「翻訳」することが可能となる。さらに、その調査過程では、AIやデジタル技術を積極的に利活用して、歩行空間の危険性や安全性、利便性を客観的にデータ化・評価し、例えばバリアフリーマップや行政への要望書などを作成する。その際、AIが導き出す「合理的な移動」を目的化するのではなく、車椅子を利用するパートナーと共にあえて時間をかけて地域を歩くという非効率的なプロセスのなかで、身体を通じた気づきや共感的な対話を深めていく。そして、これらのエビデンスを基に行政や関係機関へ政策提言を行い、具体的なソーシャルアクションを展開していく。このように、従来の車椅子体験が陥りがちであった「利用者の不便さを知る」「善意を喚起する」という同情的な理解の枠組みを超え、参加者一人ひとりが地域共生社会を共創する主体へと変革するのである。

おわりに
-「まちづくりと市民福祉教育」の地平と今後の展望-

本章の主張のひとつは、大橋が唱える「博愛による価値変革」、原田が提唱する「相互依存的な関係変革」、そして筆者が主張する「市民自治による社会変革」を統合・昇華させ、「市民福祉教育」を真の「社会変革モデル」として再定義することにある。これは、単なる知識の伝達や「福祉の心」の醸成といった既存の枠組みを超え、市民としてのリテラシー(批判的創造性)を研ぎ澄ます「動態的な融合プロセス」の構築を意味する。ここで立ち現れるのは、構造的な課題の解決に向けて既存の社会システムを問い直し、自律的にデザインし直す「変革主体」としての市民像である。それは、「ふだんの くらしの しあわせ」を自らの手で紡ぎ出す、子どもから大人までを包摂する存在に他ならない。

こうした「社会変革」を確固たる社会体系として根付かせるためには、福祉教育そのものの学問的基盤を問い直す作業が不可欠である。しかし、昨今の福祉教育における実践や研究の動向を見渡すと、一抹の危機感を禁じ得ない。その根底にあるのは、福祉教育を支える「歴史・哲学・原理」という三位一体の洞察が等閑視されているのではないか、という懸念である。具体的には、例えば、福祉教育は「いかなる歴史的・社会的背景によって生み出されたのか」「いかなる変遷を経て今日に至ったのか」など、その歩みについて検証してきたか(歴史)。「福祉教育とはいかなる教育的営為か」「共生の本質とは何か」など、根源的な問いを設定しそれに応答してきたか(哲学)。「人と人の繋がりはいかにして形成されるのか」「地域社会のエンパワメントはどのようなプロセスで生じるのか」など、そのメカニズムの理論化を図ってきたか(原理)、等々についてである。

本来、これらは独立したパーツではない。「歴史」から「哲学」が析出され、その「哲学」が実践の「原理」を導き、「原理」に基づいた実践が次なる「歴史」を創り出す。この循環的な連動性(構造)こそが、福祉教育を単なる手法に留めず、学問たらしめる生命線(条件・要諦)である。

本章の主題に据えた「福祉教育論の再考と現代的展望」とは、単なる学術的な回顧にとどまるものでも、根拠のない理想を語るものでもない。それは、真に持続可能な豊かな地域共生社会を市民が自律的・主体的にデザインし直すための、科学的で哲学的な営みである。既存の枠組みを超えた新たな理論構築と、現場に即した多角的な実践展開、そして「まちづくりと市民福祉教育」の新たな地平を切り拓く今後の研究に期待したい。

その探究の途上において、常に立ち返るべき座標軸(指針)がある。研究や実践の現場でしばしば語られる、次のような言葉がそれである。「実践は歴史によって創られ、理論は歴史によって試される」「実践のない理論は空虚であり、理論のない実践は盲目である」「哲学なき実践は凶器であり、実践なき哲学は遊戯である」。さらには、「独りで歩めば速いが、共に歩めば遠くまで行ける」「地球規模で考え、足元から行動せよ」といった言葉もその指針に他ならない。

引用・参考文献
(1)大橋謙策(1981)「高度成長と地域福祉問題―地域福祉の主体形成と住民参加―」吉田久一編『社会福祉の形成と課題』川島書店。
(2)大橋謙策(1986)『地域福祉の展開と福祉教育』全国社会福祉協議会。
(3)大橋謙策(1995)『地域福祉論』放送大学教育振興会。
(4)大橋謙策(2008)『新訂 社会福祉入門』放送大学教育振興会。
(5)大橋謙策編著(2014)『ケアとコミュニティ―福祉・地域・まちづくり―』ミネルヴァ書房。
(6)大橋謙策(2022)『地域福祉とは何か―哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク』中央法規出版。
(7)勝田守一(1990)『能力と発達と学習』国土社。
(8)阪野貢ほか編著(1998)『福祉教育論―「共に生きる力」を育む教育実践の創造―』北大路書房。
(9)阪野貢監修、新崎国広ほか編著(2006)『福祉教育のすすめ―理論・歴史・実践―』ミネルヴァ書房。
(10)阪野貢(2009)『市民福祉教育の探究―歴史・理論・実践―』みらい。
(11)中川淳一郎・適菜収(2017)『博愛のすすめ』講談社。
(12)原田正樹(2009)『共に生きること 共に学びあうこと―福祉教育が大切にしてきたメッセージ―』大学図書出版。
(13)原田正樹(2014)『地域福祉の基盤づくり―推進主体の形成―』中央法規出版。
(14)原田正樹(2022)『福祉教育の理論と実践方法―共に生きる力を育むために―』全国社会福祉協議会。
(15)松岡広路(2006)『生涯学習論の探究』学文社。
(16)松岡広路(2009)「福祉教育・ボランティア学習とESDの関係性」『研究紀要』第14号、日本福祉教育・ボランティア学習学会。

 


 第3章
「まちづくり」言説の系譜と自律的市民の位相
―思想・実践・技法・認識のダイナミズム―

はじめに

日本社会における「まちづくり」という営為は、高度経済成長がもたらした深刻な産業公害や都市問題、地域社会の崩壊などに対する異議申し立てとして、1960年代後半から70年代にかけて本格化した。かつての都市計画は、「中央」による画一的な国土開発(ハード・モノづくり)を主眼としていた。それに対し、平仮名で表記される「まちづくり」は、そこに暮らす「生活者」の視点から、人間らしい生活環境の回復をめざす運動として生み出された。

しかし、今日、まちづくりをめぐる状況は一層の複雑さを増している。少子高齢化の進展に伴う「限界集落」の頻出、2014年の「増田レポート」に端を発した「地方消滅」論の席巻、さらには格差社会の固定化による地域連帯の希薄化など、地域・社会は内側と外側の双方から崩壊の危機に直面している。こうしたなかで、まちづくりは単なる環境整備の域を超え、人口減少という所与の条件を受け入れつつ、いかにして住民の生活の質を充実させるかという「縮充」(山崎,2016)への挑戦が叫ばれて久しい。

本章が考察の対象とするのは、こうした半世紀に及ぶ「まちづくり」の底流に流れる「思想」と「方法」の系譜である。具体的には、1970年代に内発的発展論の「地域主義」を説いた経済学者・玉野井芳郎、「まちづくり」という言葉を一般に広めた、自治体プランニングの草分けである田村明、現代の「コミュニティデザイン」を牽引するコミュニティデザイナーの山崎亮、そして「地域学」の構築を試みる社会学者・山下祐介、これら4人の言説を相互に交差・対比させる。

「まちづくり」という概念が多義的である理由は、それが「思想」(あるべき姿)であり、「実践」(変えるための活動)であり、それを支える「技法」(実務的・技術的な手段)、同時に「認識」(現実をどう捉えるか)でもあるという多面的な性質をもつからに他ならない。

玉野井が提唱した「地域主義」は、市場経済的な「市民社会」を突き抜け、自然や生態系と共生する「新たな市民」の再生を説く、根源的な「思想」を提示した。一方、田村は、横浜市における行政改革を通じ、まちづくりを「市民の政府」による地域経営の「実践」へと結実させ、制度的・構造的な基盤を整備した。さらに、山崎は「コミュニティデザイン」という「技法」を用い、モノをつくらないデザイナーとして、人と人の関係性を編み直すプロセスを確立した。そして山下は、「地方消滅」という国家的言説の罠を暴き、足元の生活基盤を学び直す「地域学」を、中央集権に対する抵抗としての「認識」運動として位置づけたのである。

これら4人の言説は、時代背景こそ異なるものの、一貫して「住民」(与えられる存在)から「市民」(自律的に参加し自治を担う主体)への転換を要請している。この主体形成のプロセスこそが、筆者が探究する「まちづくりと市民福祉教育」の根幹である。

福祉教育の原理を問うことは、福祉教育が「何を、誰のために、どのような社会をめざして」行われるのかを問うことである。それは同時に、「市民とは誰か」「共に生きるとは何か」といった、実践のなかで自明視されがちな問いを、その前提にまで遡って問い直す哲学的な営みでもある。この問いに関していえば、大橋福祉教育論は「福祉でまちづくり」(2010年代以降は「福祉はまちづくり」)を説き、福祉教育を地域福祉の主体形成と不可分のものとして位置づけてきた。とすれば、福祉教育の原理は、福祉や教育の領域内に閉じ込めることなく、「まち」と「市民」をめぐる思想・実践・認識の系譜のなかで検討されなければならない。本章が「まちづくり」言説を辿るのは、そのためである。

ひるがえって、これまでの「まちづくり」論は、都市計画論、コミュニティデザイン論、地域社会学など、それぞれの領域で個別に議論されがちであった。しかし、それらが内包する主体形成のプロセスを包括的に捉えた議論は必ずしも十分とはいえない。そこで本章では、玉野井、田村、山崎、山下の言説を再読・整理し、「思想・実践・技法・認識」の動態として相互に接続・対照させることで、地域・住民が拓き、創る「まちづくりと市民福祉教育」の理論的基盤を明示することを目的とする。

別言すれば、本章における「思想・実践・技法・認識」の4区分は、各論者の理論を固定的に分類するためのものではなく、まちづくりにおける自律的市民形成の契機を比較・分析するために筆者が設定した分析枠組みである。したがって、各論者の議論はそれぞれの区分に限定されるものではなく、相互に重なり合い、補完し合う多層的なものとして捉える。本章の課題は、これらの言説を自律的市民の形成という共通の観点から再構成することによって、まちづくり論と市民福祉教育論を接続する理論的可能性と、その限界を明らかにすることにある。

Ⅰ 玉野井芳郎と「地域主義」の思想

1970年代は、日本社会にとって決定的な転換点であった。1955年から1973年まで続いた高度経済成長は国民生活に物質的な豊かさをもたらしたが、その一方で、深刻な公害問題の発生、過疎・過密の激化、そして伝統的な地域コミュニティの解体などの「ひずみ」を引き起こした。また、経済合理性と中央集権的な資源配分が優先されるなかで、各地の「自然・歴史・風土」は収奪の対象となり、住民の地域に対する帰属意識は希薄化の一途を辿っていた。このような状況下で、経済学者・思想家である玉野井芳郎が提唱した「地域主義(regionalism)」は、単なる地方振興の策ではなく、近代西欧的な価値観や市場経済システムそのものに対する根源的な「知の組み替え」を迫るものであった。その思想の核心的な特徴は、次の諸点に見出される。

1 エコロジーと「生活づくり」
玉野井の地域主義において最も独創的な点は、経済システムの基盤に「エコロジー(生態学)」を据えたことにある。玉野井にあっては、「現存の社会・経済システムに自然・生態系を導入することは、社会システムに〝地域主義〟を導入することにひとしい」(玉野井,1978,p.60)のである。近代経済学が、自然環境を「外部経済」として系の外側に置いたのに対し、大気、水、土壌といった生態系こそが、人間の生存と生産を規定する不可欠な「コモンズ(共有財・共有圏)」である。

この視点に立てば、地域主義における「地域」とは、単なる行政区分としての空間ではなく、空間的な「地域性」と時間的な「季節性」によって特徴づけられる「人間の生活=生産の場所」(玉野井,1979,p.10)である。こうした地域主義は地域共同体の構築をめざすが、その本質的な課題は、市場原理に主導された「ものづくり」から、生命の再生産を優先する「生活づくり」への価値転換を図ることにある(玉野井ほか,1978,p.9)。これらの認識は、現代の「サステナビリティ(持続可能性)」の議論を先取りする先見性を備えている。

 2 「内発的地域主義」の理念
玉野井は、国が権力と資金によって地方を牽引しようとする「官製地域主義(上からの地域主義)」に対し、明確な限界を指摘した。中央からの画一的な資源投入は、むしろ地域の混乱と荒廃を招くというのである。これに対置されたのが「内発的地域主義(下からの地域主義)」である。

「内発的地域主義」は、「地域に生きる生活者たちがその自然・歴史・風土を背景に、その地域社会または地域の共同体にたいして一体感をもち、経済的自立性をふまえて、みずからの政治的・行政的自律性と文化的独自性を追求することをいう」(玉野井,1979,p.19)。ここでいう「経済的自立」とは、閉鎖的な経済自給を指しているのではない。土地、水、労働という生存の基本要素を地域単位での共同性と自立性として確保し、資本の論理(市場)による無制限な浸食を制御しようとするものである。また、「政治的・行政的自律」は住民自治の強調を意味し、「一体感」は地域というトータルな人間活動の場への能動的な帰属を意味している。

こうした玉野井の「内発的地域主義」は、後年のコモンズ論と接続することで、その理論的射程をより明確に捉えることができる。アメリカの生態学者ギャレット・ハーディン(Garrett Hardin)は1968年、「コモンズの悲劇」――共有資源は各人の利己的利用によって必然的に荒廃するという命題――を提起した。これに対しアメリカの政治学者エレノア・オストロム(Elinor Ostrom)は、世界各地の実証研究を通じて、住民自身が資源やその利用者について明確な境界を設定したり、地域的な条件との調和を図ったりすること(「コモンズの8つの設計原理」)によって、コモンズは国家の管理や市場化(私有化)に頼らずとも持続的に維持し得ることを示した(オストロム,2022)。玉野井が説く「内発的地域主義」における住民の共同性・自立性の追求は、この住民自身によるコモンズの自主的協治という発想を、日本の地域社会の文脈において先駆的に提示したものと位置づけることができる。

3 「開かれた共同体」と住民中心主義
玉野井は、地域主義の議論が陥りやすい「閉鎖的な共同体主義」への批判に対し、明確に「開かれた共同体」を掲げた。「わたしたちのまち」を代表する市町村は、「『下から上へ』の情報の流れを根幹とする開かれた行政システムの基礎単位となるべきもの」(玉野井,1979,p.124)である。とはいえ、地域間の横の繋がりを重視するこのモデルは、中央を否定して無政府状態をつくりだすものではない。むしろ、自立した諸地域が中央を「あるべき姿へと復位させる」試みなのである(玉野井,1979,p.17)。

また玉野井は、自治体行政と住民の関係についても、「住民への行政参加」という主客転倒の論理を提示した(玉野井,1979,p.119)。これは、行政が設けた枠組みに住民が参加する「行政への住民参加」ではなく、住民の自律的な活動のなかに、行政が「資源」として介入していくという、徹底した住民中心主義の表明であった。

4 「新たな市民」の再生と社会変革
玉野井の思想がめざした地平は、単なる地域の存続ではなく、地域主義を通じた新たな人間像の構築であった。それは、「市場経済的『市民社会』を突きぬけた地平に登場するであろう新たな『市民』(Bürger)の再生」である(玉野井,1977,p.ⅲ)。
近代の「市民」は、抽象的な権利と義務を背負う「国家の一員」として規定されがちであるが、玉野井のいう「市民」は、具体的な地域の風土に根ざし、そこで展開される生産と生活に責任をもつ「生活者」である。この「市民」は、非政治的な市民文化の勃興を担う主体であり、その市民が地域共同体を実践的に構築していく過程こそが、玉野井のいう社会変革の本質であった。

5 「地域分権」と「諸地域の時代」
玉野井にあっては、「地方分権」は「地域分権」、「地方の時代」は「諸地域の時代」と言い換えられなければならない。単数の「地方」は、常に「国」を頂点としたピラミッド構造における末端という上下関係を示唆する。これに対し、複数の個性として語られる「地域」は、それぞれの歴史と伝統を誇る自律した主体の集合体である(玉野井,1979,pp. 14-15)。

この「諸地域の時代」において、玉野井が実効性を期待したのが自治体独自の「憲章」や「条例」の制定であった。たとえ形式上は法律の下位規範であっても、「何が地域の生活者=住民にとって真に共通の利益となるべきものであるかを自分自身の手で書くということは、法律にまさるとも劣ることのない『よきしきたり』をうちたてることを意味する」。これが「自治体の自己革新」である、と玉野井は説く(玉野井,1979,p.38)。これは2000年代以降に広がる「自治基本条例」の制定運動を20年以上先取りした、極めて先駆的な制度論であった。

以上、玉野井が説いた「地域主義」は、公害反対運動や生活環境を守る住民運動に対し、強力な理論的・思想的バックボーンを提供した。一方で、その議論が多分に「規範的(べき論)」であったため、後の研究者からは実証的分析の欠如や方法論の不明確さを指摘されることにもなった。しかし、玉野井が残した「ものづくりから生活づくりへ」という転換、そして「地域に生きる生活者」を主体とする共同体構築の視座は、現代のまちづくり論において色褪せることはない。以下で詳述する田村明の実践、あるいは山崎亮のコミュニティデザイン、山下祐介の地域学という系譜は、玉野井が遺したこの地域主義の思想を、いかにして具体的な「社会の仕組み」へと結実させるか、その過程として捉えることができよう。

Ⅱ 田村明と「まちづくり」の実践

玉野井が地域主義を「思想」として打ち立てた同時期に、行政の内部から都市のあり方を根本的に変革しようとした人物がいた。それが田村である。田村は、建築家や行政官という枠組みを超え、自らを「都市プランナー」「自治体プランナー」と称した。田村が1960年代後半から横浜市で展開した実践は、それまでの「都市計画」という官僚主導のハードウェア整備に対し、住民の主体的関与を前提とした「まちづくり」という平仮名の概念を社会に定着させる決定的な役割を果たした。田村にとって「まちづくり」とは、単なる建設行政ではない。それは「一定の地域に住む人々が、自分たちの生活を支え、便利に、より人間らしく生活してゆくための共同の場をいかにつくるかということである」。その「共同の場」こそが「まち」である(田村,1987,pp.52-53)。

ここで、近代日本を規定してきた「都市計画」と、田村らが主唱した「まちづくり」の概念的相違を概括的に整理しておくことにする。従来の「都市計画」は、国家や行政が主導し、法律(都市計画法等)に基づき、インフラ整備や用途地域設定を行うハードウェアのコントロールを主眼としていた。そこでは住民は計画の客体であり、開発による利便性の享受者、あるいは立ち退き等の補償対象に過ぎなかった。これに対し、平仮名で開かれた「まちづくり」は、土地や建物の物理的配置にとどまらず、そこに展開される生活空間の持続性を、住民自らが主体となって形成していくプロセスのデザインである。つまり、都市計画が「空間の機能的秩序化」をめざすのに対し、まちづくりは「人間の共同生活の自治化」をめざすのである(表3-1参照。西村,2007,p.7)。

表3-1 まちづくりと日本型都市計画のアプローチの違い

1 「共同の場」としての「まち」の構造
田村によれば、こうした「まち」の構築対象は、物理的な(1)モノづくり、にとどまらず、(2)シゴトづくり、(3)クラシづくり、(4)シクミづくり、(5)ルールづくり、(6)ヒトづくり、そして(7)コトおこし(イベントを起こす)、の7つをあげることができる。これを別の切り口から考えると、(a)機能づくり、(b)個性づくり、(c)魅力づくり、(d)活力づくり、(e)意識づくり、(f)イメージづくり、となる(田村,1987,p.54)。

また、田村は、「まちづくり」の「つくる」という意味について、「見えるまちづくり(ハード)」と「見えないまちづくり(ソフト)」の不即不離の関係として捉えた。さらに田村は、無用な開発を抑制する「つくらない/つくらせない」こともまた、まちづくりの重要な構成要素であると説き、自然保全や歴史的遺産の破壊阻止に論理的根拠を与えたのである(田村,1987,p.87)。この点は特筆に値する。

2 まちづくりの基本理念
田村にあっては、「まちづくり」は「共同の場」を市民が共同してつくりあげていくことであるが、その「共同の場」は、(1)共同空間、(2)共同施設、(3)共同システム、(4)共同サービス、(5)共同イベント、(6)共同文化、などの総称である。これらの「共同の場」をつくる際には、次のような基本理念をもってのぞむことが必要となる。(1)トータルの理念(まちは、個々ばらばらではなく、全体としてひとつである)。(2)システムの理念(まちは、複雑な要素が相互に絡みあい関係しあっている)。(3)共有環境の理念(まちは、市民の共有の空間であり環境である)。(4)市民共用・共益の理念(まちは、特定の人々のためではなく、市民全体に利用され、その共同利益のためにある)。(5)市民共存・共生の理念(まちは、多数の異なる人々が矛盾をもちつつも、互いの相違を認めあって生活する場である)。(6)市民協働・共責の理念(まちは、一人の手ではなく、市民の共同作業により、共同責任でつくられるものである)。(7)市民共感・共愛の理念(まちは、市民が共通した誇りと愛情をもてるものである)。(8)相互交流の理念(まちは、市民相互はもちろん、他の多くの人々、外国の人々を含めた交流の場である)。(9)内発性の理念(まちは、他からの強制ではなく、市民や自治体の自発的な発想と行動を主力にしてつくられるものである)、がそれである(田村,1987,pp.121-122)。

田村は、こうした「まちづくり」観に基づき、単なる都市整備の枠を超え、住民自らが「共同の場」を主体的に形成し維持していくための具体的な実践プロセスを、行政の内部から構築したのである。

3 市民参加の階梯と「協働」
田村は、「まちづくりと市民参加」についてこういう。「『まちづくり』には、市民が主導し協働して行うルートが重要である」。「行政の都合による市民参加は、『みせかけ』あるいは『宥(なだ)めすかし』という意味になりかねない」。「市民協働の動きが活性化することは、市民が市民としての自覚をもって自治体を他治体から本来の市民政府へと変えてゆく動きになろう」。「市民政府は、市民参加の到達点でもある」(田村,1999,pp.158-159)。

すなわち、田村にあっては、市民参加は単なる「意見聴取」の儀礼ではない。田村は、アメリカの都市計画家シェリー・アーンスタイン(Sherry Arnstein)が1969年に発表した8つの「市民参加の階梯」を参考に、「市民参加の理論的9段階」の参加モデルを提示した(図3-1参照。鈴木,2016,pp.134-141)。このモデルにおいて重要視されたのは、行政への「住民参加」ではなく、住民の自発的活動への「行政参加」という、主客を転倒させた協働のあり方である。これは玉野井の地域主義とも深く共鳴する視点であり、行政を「市民の事務局」(田村,2006,p.55)として再定義する試みであった。

図3-1 田村明の市民参加の段階論

4 市民自治の思想と「市民の政府」論
田村の理論の頂点にあるのが「市民の政府」論である。「市民の」政府とは、「政府が市民の所有物である」という意味である(田村,2006,p.74)。すなわち、田村は、自治体を単なる「国の下請け機関」や「中央の出先機関」とみなす従来の地方自治観(「官治」)を真っ向から否定した。田村が理想としたのは、市民が自立・自律して自らの政府を所有し、運営する「民治」(田村,2006,p.85)の場としての自治体である(「官治」から「民治」へ)。

田村は「市民の政府」が成立するための条件として、外部条件(中央統制や関与の排除、財政自主権の確立)、内部条件(市民の参画、情報公開、説明責任の遂行、政策立案の自主的能力)、そして市民条件(市民の信頼、共同意識、市民としての自己責任)の3層を挙げた(田村,2006,p.75)。特に「市民の」という所有格を強調したのは、住民が自治体を「お上」ではなく「自分たちの所有物」として認識することを求めたためである。この徹底した自治の精神は、後に全国の自治体に広がる「自治基本条例(自治体の憲法)」の先駆的モデルとなるのである。

以上、田村が説いた「まちづくり」論は、「まちづくり」のプランナーとしての豊富な経験(横浜市における行政経験)と全国各地の実践例の検証に基づいた、帰納的で未来志向型の思考によるものである。とともに、多様な地域現場の歴史的風土や文化を踏まえた、総合的な発想による、市民主導・市民主体の「まちづくり」論である。それは、地方自治(「市民の政府」)の問題として論じられる。
田村の言説を要約すれば、まちづくりとは「ヒトづくり」に行き着く。どれほど優れた「モノ」や「シクミ」を整えても、それを使いこなし、共同責任を負う「市民」がいなければ、「まち」は持続しない。田村が横浜で闘い、著作を通じて説き続けたのは、自律した市民が都市の未来(あす)を展望し、創造的な意志をもって主体的に「まち」に関わる姿であった。玉野井が思想として描いた「新たな市民」は、田村の実践によって「自律的市民」という具体的な主体として顕在化したのである。この市民主体をいかに組織化し、地域の課題解決に繋げていくか、その手法のひとつが、山崎が説く「コミュニティデザイン」である。

Ⅲ 山崎亮と「コミュニティデザイン」の技法

2000年代以降、急速な人口減少と少子高齢化、さらには地方自治体の財政難に直面するなかで、既存の「ハコモノ行政」は限界を露呈する。そこに登場したのが、山崎が提唱する「コミュニティデザイン」である。山崎は、自らを「モノをつくらないデザイナー」と定義する。その仕事は、広場や建物の形状を設計することではなく、「地域の課題を、地域の人たちが解決するための場をつくる」ことにある。これは、まちづくりのパラダイムを「施設(ストック)」の完成から、そこを使いこなす「人間関係(フローとネットワーク)」の構築へと決定的にシフトさせた。コミュニティデザインとは、いわば地域の人間関係を観察し、地域資源を掘り起こし、住民自らが課題を乗り越えるための「しくみ」をデザインする方法の体系である。コミュニティデザイナーは、地域の課題を住民自らが解決するための「場」をデザインするファシリテーターである。

 1 コミュニティデザインの4段階
山崎にあっては、コミュニティデザインの方法は、基本的には次の4段階によって進められる。第1段階は「ヒアリング」、第2段階は「ワークショップ」、第3段階は「チームビルディング」、第4段階は「活動支援」である(山崎,2012,pp.180-195)。

第1段階:ヒアリング(情報の深掘り)
単なるアンケート調査ではなく、地域のキーマンや「面白い活動」をしている個人の話を直接聴くことで、目に見えない地域の人間関係や資源を可視化する。
第2段階:ワークショップ(課題の共有と拡散)
ブレーンストーミングやワールドカフェなどの手法を用い、水平的な対話の場を創出する。ここで重要なのは「正しい結論」を出すことではなく、多様な意見が混ざり合い、住民同士の「共感」が生まれるプロセスそのものである。
第3段階:チームビルディング(主体の組織化)
出されたアイデアを実現するために、誰が何を担うのかを決定し、実行チームを構築する。この際、リーダーシップをデザイナーが振るうのではなく、住民が自発的に役割を引き受けるよう促す。
第4段階:活動支援(伴走と自立)
チームの初動期を支えつつ、徐々にデザイナーの介入を減らしていく。最終的にデザイナーがいなくなっても、住民たちが自立して活動を継続できる状態(自律的運営)がゴールとなる。

こうしたプロセスを実践するうえで、コミュニティデザイナーには次のような能力が求められることになる。「他人の感情を読み取る能力」「人の話をしっかり聴く能力」「相手の意図や思考を理解する能力」「社会のしくみを知る能力」という4つの「読み取り能力」と、そのうえでどう行動するかという能力、すなわち「相手と同調する能力」「自分の意図を効果的に説明する能力」「他者に影響を与える能力」「人々の関心に応じて行動する能力」の4つの能力、がそれである(山崎,2012,pp.219-220)。

 2 「縮充社会」における参加の論理
山崎の言説における重要なキーワードのひとつに、「縮充」がある。これは、人口や税収が「縮小」しながらも、地域の営みや住民の生活が「充実」していく状態をいう(山崎,2016,p.17)。この縮充を実現するための最大のエンジンが、主体的・創造的な活動を行う「市民」の「参加」である。 参加には、「参加」→「参画」→「協働」(コラボレーション)の発展性がある(山崎,2016,p.68)。この参加を確かなものにし、課題解決の道を開くのは、地域現場での「学び」である。「地域の活動に参加して、人と人とのつながりのなかで体験し、発見し、感動し、共感しながら知恵を会得することに勝る教育はない」(山崎,2016,p.355)、と山崎はいう。

そして、行政への住民参加(住民活動の原動力)には、「住民がやりたいこと」「住民ができること」「行政が求めていること」の3つがある。この3つの輪が重なるところに、縮充の時代に求められる「参加」「参画」「協働」のヒントがある(山崎,2016,p.146)。山崎によれば、この3つの輪を「自分がやりたいこと」「自分にできること」「社会が求めていること」と書き換えれば、人生を傾けて取り組める活動を探り当てることができるのである(山崎,2016,p.426)。

また、山崎は、「楽しさなくして参加なし」「参加なくして未来なし」と断言する(山崎,2016,pp.18-19)。「楽しさ」は参加型社会の重要なキーワードである。かつての住民運動が「反対」や「防衛」という悲壮感を伴う正義感に支えられていたのに対し、山崎が説く参加は「楽しさ(喜び)」を原動力とする。どんなに正しい取り組みであっても、つまらなければ継続しない。活動そのものが個人の生活や人生を豊かにし、他者との交流と協働のなかに価値を見出せる「活動」へと発展したとき、「参加」は社会変革の有効な手段となるのである。

こうした山崎の「縮充」という捉え方と軌を一にする概念として、小滝敏之による「縮減社会」の言説が挙げられる。小滝は、人口減少に伴う「縮減社会」の到来を単なる量的縮小として捉えるのではなく、その背景にある社会の質的変化と、それに対抗するための「地域自治・生活者自治」の理念を歴史的・理論的に論述する。

小滝はいう。縮減社会について論じるにあたって危惧すべきは、質的縮減の側面である。すなわち、家族機能や地域における共助機能の縮減であり、社会的連帯やコミュニティ意識の縮減である。こうした地域社会をどうしていくのか、どう変えていくのかを決める主役は、政治家や行政官などではなく、地域社会の生活者住民に他ならない。地域で暮らす生活者住民(小さき民)の「内発性と自治」こそが、自らの基盤である地域社会を守り育てていく根幹である(「生活者自治」)。共助や連帯の精神を再生・創造するのは、中央や地方の政府の権限や責務以上に、住民自身の責務であり、生活者住民の主体的努力と自治意識である(小滝,2016,pp.133,188)。

この生活者住民の生活世界を考えていくにあたっては、「他律」対「自律」、「統治」対「自治」、「競争」対「協力」という対立図式ではなく、また一方的に「自律」や「自治」の優位性を説くのみではなく、最終的には、「他律」と「自律」の両立・共存をめざし得る「相互律(アレロノミー)」の観点が必要となってくる(小滝,2016,pp.ⅵ-ⅶ)。

以上のように、山崎が提示したコミュニティデザインや小滝が理論化した「生活者自治」の思想は、玉野井や田村が追求した「地域主義」や「市民自治」を、現代の「縮小・縮減の時代」においていかにして「充実」へと転換させるかという、ひとつの回答である。 「縮充する時代の行方には、正解もなければゴールもない。『学び』というインプットと『活動』というアウトプットを、つねに市民が繰り返している状態にこそ大きな意味がある」(山崎,2016,p.440)と、山崎は結論づける。まちづくりは終わりのないプロセスである。このプロセスにおいて形成される「活動する市民」のあり様が次の山下によって問われる。

 Ⅳ 山下祐介の「地域学」と抵抗の認識論

 人口の高齢化によって「限界集落」はいずれ消滅する、とその危機が声高に叫ばれるようになったのは2007年頃からである。2014年、増田寛也らによるいわゆる「増田レポート」が公表され、「地方消滅」という言葉が日本中を席捲した。若年女性人口の減少率を指標に、2040年までに全国の約半数の自治体が消滅の危機に瀕するという予測は、地方自治体にパニックに近い衝撃を与えた。

そうしたなかで山下は、「高齢化によって消滅した集落」はなく、「限界集落」問題はいわば「つくられた」ものである。増田レポートが説く「極点社会」(大都市圏に人々が凝集し、高密度のなかで生活している社会)におけるひとつの道筋である「選択と集中」は、国家の繁栄のために地方(地域)や農家の切り捨てに帰結する。地方消滅の “警鐘” にこそ地方消滅の “罠” がある、としてそのレポートが孕む欺瞞性を暴いた。以後、山下は、この国家的プロジェクトに抗うために、住民が自らの地域を「消滅するもの」としてではなく、「生き続けてきた場所」として捉え直す、根本的な「認識の転換」が必要であると説く。そして、生身の人間の暮らしや個々の地域の歴史や現在の実像を明らかにし、そこからの学びの作業を通して「地域学」を描くのである。

1 「地域の殻」と地域を捉える3つの層
山下にあっては、地域は人間の生存の基盤であり、「足もとの地域を知ることが、自分を知ることにつながる」。自分の足元にある地域について学ぶこと、それが「地域学」である(山下,2021,p.11)。山下が提唱する「地域学」の核心は、地域をひとつの「殻」として捉える視座にある。この殻は、外部(国家や市場)からの過度な干渉を遮断し、内部の生命活動を守るための防壁である。近代化の過程で、地域はこの殻を剥ぎ取られ、国家という巨大なシステムのなかに直接組み込まれてしまった。その結果、地域特有の知恵や慣習、自治の能力は「非効率」として切り捨てられた。山下は、「地域の殻を破らせまいと補修し、地域を外側の圧力から守り、内側の体制を固める運動」が地域学(「抵抗としての地域学」)である、と主張する(山下,2021,p.301)。それは閉鎖的な排除ではなく、自らの生活基盤を自ら決定するという「自己決定権」の奪還に他ならない。

そして山下は、地域の実像を、「生命」「社会」「歴史と文化」の3つの切り口(認識の層)から捉える(山下,2021,p.11)。「生命」では、環境社会学の視点・視座から、地域を、一定の環境のなかで育まれる生命の営み(生態)として切り出す。地域は人間が食べて寝て、生命を維持する基盤であり、生命の再生産の場である。「社会」では、農村社会学や都市社会学、家族社会学の視点から、地域を、そこで展開される人々の集団の営みとして描き出す。地域は、相互扶助の構造と機能をもつ場である。「歴史と文化」では、歴史社会学や文化社会学などの視点から、地域を、連綿と続く歴史と文化の蓄積の営みのなかに見出す。地域は時間的・空間的なつながりによって確立される場である。これら3層の認識を深める方法が「地域学」であり、それは「上(中央)」からの統計値に依存しない、自律的な知の構築である。

2 学校教育の分岐点と「地域学」の意義
山下は、学校教育のあり方が「国家・国際競争への貢献」と「地域社会の継承」という二項対立の分岐点にあることを指摘し、真の学びの意義を問い直す。現代の学校では、国際競争に勝ち抜くための経済的・生産的戦力となる国家人や国際人の育成が最優先され、地域社会の視点が軽視されている。学校は単なる人材供給装置である以上に、一人ひとりが自律的な人生を送れるよう「人としての成熟」を促す場であるべきである。人々の暮らしが地域と国家の双方で成り立っている以上、地域を担う人材を育てることは学校にとって不可欠な役割である(山下,2021,pp.287-288)。

教育が「国家・国際社会への人材供給」に偏るなかで、山下が提唱する「地域学」は、「抽象的な言語や普遍的な理論を学ぶものではなく、具体的な時空にいる私を、地域のうちに “生きているもの”として浮かび上がらせ、見定めていく、そんな学びの作業である」(山下,2021,p.16)。

3 国家ナショナリズムから地域ナショナリズムへ
現在の日本社会では、弱者批判や地方の切り捨て、挙国一致体制の強化を容認するような、全体主義的・専制主義的な言説が広がっている。しかし、国家とは本来、地域の現実や国民の力によって「下から」形成されるべきものであり、排除や分裂を伴う国家体制は危うい(山下,2021,p.295)。

国家と個人の関係のみを重視する「ナショナリズム(国家主義)」には根本的な欠陥がある。一方で、国家そのものを否定しようとする、超個人主義=脱国家主義的な「コスモポリタニズム(世界市民主義)」も、現実的な解決策にはなり得ない。両者には、人々が実際に生活を営む基盤である「地域」という視点が欠落しているからである(山下,2021,pp.296-297)。

危険な一国ナショナリズムの暴走を食い止め、社会を変革する鍵は、コスモポリタニズムではなく、国家の内部に「地域主義(地域ナショナリズム)」を確立することにある。地域という具体的な現場から国家を捉え直すことで、現在の閉塞した国家体制を克服できるのである(山下,2021,pp.297-298)。

山下の地域学は、「認識」の主権を取り戻すことを迫る。国・中央が決めた「消滅」のカウントダウンに従うのか、それとも足元の土に根ざした「生存」の物語を紡ぎ直すのか、である。山下の説く「抵抗」とは、暴力的な拒絶ではなく、自らの足元の地域について知ること、考えることに基づく自治の表明である。国家と個人の二極化が招く全体主義的な危うさを回避するためには、抽象的な世界市民をめざすのではなく、地に足のついた「地域の自律」こそが、不健全なナショナリズムへの有効な対抗手段になるのである。

ここで、山下が提唱する「地域学」の認識運動を、より住民の日常的な実践へと引き寄せた先駆的試みとして、吉本哲郎や結城登美雄らによる「地元学」の言説を交差させておく必要がある。吉本らの「地元学」は、「ないものねだり」の地域づくりから「あるもの探し」への転換を提唱し、住民自らが地域の自然、文化、そして人々の「暮らしの技」を「聞き書き」等によって調査・再発見していく活動である(吉本,2008。結城,2009)。これは山下のいう「生命・社会・歴史と文化」の3つの層を、行政や研究者の統計データとしてではなく、住民自身が五感を使って身体化していく「土着の認識運動」に他ならない。とりわけ、地域の高齢者がもつ生活の知恵や歴史に「地域の資源」として光を当てるプロセスは、高齢者を単なる「福祉の客体(要介護者)」から「地域の主体・表現者」へと反転させる。このように、「地域学」が提示するマクロな抵抗の認識論は、「地元学」というミクロな生活現場の技法を媒介することによって、住民自らが主体的・能動的に取り組む持続可能な地域づくり(コミュニティデザイン)の実践へと接続されるのである。

Ⅴ 「まちづくり」と自律的市民形成の循環モデル
―「楽しさ」と「抵抗」が拓く「ふくし」―

1 4つの理論の限界と統合
以上のように、従来の「まちづくり」研究は、多様な領域において蓄積されてきた。しかし、その多くは個別領域ごとの議論にとどまり、相互の理論的接続は必ずしも十分ではなかったといえる。玉野井らによって提唱された「地域主義」論は、1970年代を中心にひとつのブームを巻き起こしたが、その後はいわれるほどの進展はみせなかった。その要因のひとつは、地域共同体が消滅していくなかで、また現実の中央集権的な行政システムのなかで、いかにして「地域主義」の実現を図るかという方法論が必ずしも明確ではなかったことにあった。

田村らによって論究されてきた「まちづくり」論は、都市計画論や地域計画論を中心に展開される傾向が強く、土地利用、景観形成、インフラ整備、制度設計といった「空間管理」の問題に重点が置かれてきた。住民参加や協働の重要性が指摘されているものの、行政計画への参加手法として位置づけられるに留まり、「地域を担う主体がいかに形成されるのか」という市民形成の問題については十分に掘り下げられているとはいえない。

一方、山崎らによって展開される「コミュニティデザイン」論は、人口減少社会における地域再生の具体的方法論として大きな影響力をもってきた。ワークショップ、対話、チームビルディングなどを通じて住民参加を促し、地域課題の解決を図るその実践は、従来のハード中心型のまちづくりを転換する重要な契機となった。しかしその反面、参加を促進する技法やファシリテーションの側面に議論が集中しやすく、その実践を支える思想的・政治的基盤、あるいは主体形成論との接続については十分に理論化されているとは言い難い。

また、山下らによる「地域学」論は、「地方消滅」論への批判や、地域を足元から学び直す認識運動として重要な意義をもっている。地域を「生命」「社会」「歴史と文化」の重層的空間として捉えるその視座は、中央集権的な地域認識を問い直す強力な批判性を有している。しかし、地域学論においても、その学びがどのように地域自治や実践的市民形成へと接続されるのかという教育的・組織論的視点は、なお十分に展開されているとはいえない。

このように、これら4人に代表される「地域主義」「まちづくり」「コミュニティデザイン」「地域学」に関する言説は、それぞれ固有の領域において多大な成果を蓄積してきた。しかしその一方で、地域を支える自律的市民の形成という核心的な共通の課題に対しては、部分的なアプローチに留まり、包括的・横断的に論じる視座は必ずしも十分ではなかったといえる。そこで、4人の言説を単なる個別の理論としてではなく、「思想/玉野井」「実践/田村」「技法/山崎」「認識/山下」という相互補完的な要素として捉え直し、その動的な結びつきに焦点を当てて整理する。これにより、それぞれの立論展開の限界を互いに補い合いながら市民形成を促す「『まちづくり』と自律的市民形成の循環モデル」(図3-2参照)として構造化することが可能となる。 

図3-2 「まちづくり」と自律的市民形成の循環モデル

2 循環モデルの具体的な構造
まず、外円(外層)は、玉野井が提唱した「地域主義」である。これは、地域の自然・風土・生命の再生産を支える思想であり、すべての営みが立脚する「基盤」を象徴している。この基盤の上に位置する中円(中層)は、田村が説いた「まちづくり」である。これは、市民が主体的かつ共同的に「実践(活動)」を展開する「土俵」であり、学びや実践が一時的な流行に終わらず、自治の制度化を志向する枠組みを意味している。そして、この自治の円環内部で展開される2つの動的な矢印が、本章の核心である。左側の上昇する矢印は、山下が説く「地域学」による「インプット(認識・学び)」のプロセスである。地域の方向性(行方)や持続可能性(持続)、消滅の是非(限界)などに抗う「知」を構築する。一方、右側の下降する矢印は、山崎が提示した「コミュニティデザイン」による「アウトプット(実践・活動)」のプロセスである。ワークショップなどを通じて関係性を編み、具体的な課題解決を形にする。

この「学び」と「実践」が、自治の土俵の上で絶えず往復し、円環状に結ばれるプロセスそのものが、筆者の提唱する「市民福祉教育」の実体である。そして、この絶え間ない循環の「核(中心)」において形成されるものこそが、自らの生と地域を自律的に構築する主体としての「自律的市民」に他ならない。

また、この循環モデルにおいて、4人の言説を底流で結びつける共通のキーワードは「コモンズ」である。玉野井の「生態系」、田村の「共同の場」、山崎の「関係性」、山下の「地域の殻」は、いずれも国家や市場に囲い込まれない「地域社会の共有財」に他ならない。本モデルが示す自治の円環とは、住民自らがこのコモンズを共同で管理・運営していくプロセスである。すなわち「自律的市民」とは、共有財への能動的な責任を引き受け、その維持発展を担う主体として定義されよう。

同時に、これら4人の言説は、時代背景やアプローチこそ異なるものの、その深部において「自律的主体の形成」と「地域の再生」という共通の地平をめざしている。玉野井が求めた「新たな市民」は、市場経済の抽象的な個人を超え、エコロジーと風土に根ざした「生活者」であった。その思想を受け、田村は行政の内部から「市民の政府」を提唱し、住民が自治の責任を負うための具体的な制度的枠組みを提示した。さらに山崎は、縮充社会という現代的課題に対し、「コミュニティデザイン」という手法を用いて、楽しさを媒介とした「関係性の再構築」を実現した。そして山下は、国家主導の「消滅論」という認識の罠を暴き、足元からの「地域学」を抵抗の知として再定義したのである。これら4人に共通するのは、地域を単なる「管理の対象」や「サービスの享受場所」とみなす客体化を拒絶し、そこを「人間が自らの生を自律的に構築する舞台」として奪還しようとする強烈な意志である。

本章で探究する「まちづくりと市民福祉教育」は、これら4人の言説が交差する点に立ち上がる、新たな教育・実践のパラダイムである。それは、既存の学校教育や福祉制度の枠内で行われる「知識の伝達」ではない。市民福祉教育とは「自分たちの暮らしの幸せを、自分たちの手で創り出すための知識と技能を、地域という現場での実践を通じて学び合うプロセス」そのものである。

山下が説く「地域学」というインプットの場と、山崎が説く「コミュニティデザイン」の場が、田村が整えた「自治の制度」の上で円環状に結ばれるとき、住民は「教えられる存在」から、自らの生活圏をデザインする「市民」へと脱皮する。この「学び」と「実践」の不断の往復こそが、市民福祉教育の本質に他ならない。

3 本モデルがめざす実践と「ふくし」
現代日本が直面する人口減少や資源の制約は、一見すると「福祉の後退」を意味するように見える。しかし、本章が考察してきた言説を補助線に引けば、それは一面では、真の「ふくし」へ立ち返る好機であると捉え直すこともできる。外部資本や公的制度に過度に依存するのではなく、地域にある未利用の資源を「発見」し(山下)、住民同士の「関係性を編み直し」(山崎)、それを支える「自治のルールを創設」し(田村)、その営みのなかに「自然との共生という倫理」を組み込む(玉野井)。このプロセスは、経済的な拡大を至上命題としてきた近代モデルからの決別であり、豊かさの質を「縮充」へと転換させる試みである。

「まちづくりと市民福祉教育」がめざす地平は、誰かに守られるだけの弱者を見出し支援する場所ではない。互いの弱さを認め合いながら、ともに「共同の場」(コモンズ)を創造・運営していく強さをもった市民・主体を育む場所である。そこでは、住民一人ひとりが自らの足元を学び直し、住民同士が対話を重ね、みんなで小さな実践を積み重ねることによって共通認識や信頼関係(ネットワーク)という土台を築くことが肝要となる。「まちづくり」とは終わりのない学びと実践のプロセスである。

「楽しさ」と「抵抗」を胸に、自律的な市民が「ふだんの くらしの しあわせ」を語り合い、形にしていく。その連鎖・共働の先に、消滅することのない、持続可能な地域社会への道筋が開かれるのではないか。ただし、ここまでの議論は、4人の言説を「まちづくり」の側から再構成し、学びと実践が往還するモデルとして提示したにとどまる。このモデルの核に置いた「自律的市民」は、いかなる教育的契機を通して形成されるのか。それは、なぜ「市民福祉教育」として捉え直されるのか。次のⅥでは、これらの問いを市民性教育の観点から検討する。

Ⅵ 「まちづくり」における市民性教育の諸位相
―市民性教育から市民福祉教育への昇華―

1 市民性教育の展開と限界
「市民福祉教育」は、突如として現れた固有の教育実践ではない。それは、近代以降の国家・社会が要請してきた「市民性教育(シチズンシップ教育)」のパラダイム転換と、本章で系譜化した「まちづくり」言説のダイナミズムが交差する地平において見出せる実践的学問領域である。その際の市民性教育とは、民主的な社会の一員として主体的に生きるために必要な資質や能力(「市民性」)の育成・形成を図る教育をいう。ここで、本モデルの核となる「自律的市民」の形成プロセスを教育学的な側面からさらに精緻化するために、市民性教育の現代的位相について論究しておくことにする。

従来の日本社会における市民性教育(あるいは学校教育における公民教育、主権者教育)は、多分に国家ナショナリズムの補完や既存の法秩序の維持を前提とした「良き国民」の育成に主眼が置かれてきた。そこでの理想像は、国家が定めた法や制度の仕組みをその求めに応じて正しく認識し、与えられた権利と義務を適正に行使する「従順で秩序を乱さない主体」であり、社会の構造的課題に批判的に介入し、それを主体的に変革していくような能動性はむしろ抑制される傾向にあった。山下が厳しく批判したように、現代の学校教育が「国家・国際競争への人材供給装置」へと純化し、地域社会の継承という視点を切り捨てていくプロセスは、まさにこの「上からの市民性教育」の最たる例であるといえる。

しかし、1990年代以降のグローバル化の進展や市場原理の徹底化、さらには少子高齢化に伴う地域コミュニティの機能不全などによって、こうした近代型の他律的な市民性教育の限界が露呈している。国家という単一の枠組みや行政の施策だけでは捉えきれない、格差の固定化や社会的孤立といった複合的課題に直面するなかで、「アクティブ・シチズンシップ(能動的市民性)」を育む教育への転換が強く叫ばれるようになっている。思考を停止した従順な市民ではなく、社会問題の構造的原因を批判的に分析し社会変革をめざす市民の育成がそれである。

2 4人の言説における市民性の内包
このアクティブ・シチズンシップの要請は、本章で系譜化してきた4人の「まちづくり」言説の深部に内包されていた市民像と共鳴する。すなわち、「まちづくり」のこれまでの歩みは、そのまま市民性教育がその対象を「学校」という閉ざされた空間から「地域・生活現場」という開かれた空間へと拡張し、その質を「他律的な制度学習」から「自律的な実践学習」へと深化させてきたプロセスとして再定義することができるのである。

4人の言説を「市民性」の観点から再読すると、そこに明確な主体形成の契機を見出すことができる。第1に、玉野井の「地域主義」が求めた市場経済的市民社会を突き抜けた地平に位置する「新たな市民」とは、抽象的な権利義務の背後にある「国家の一員」ではない。それは、地域の自然・歴史・風土という具体の生活世界に責任をもつ「地域生活者としての市民」の復権であった。第2に、田村が「市民の政府」論で展開した「民治」の思想は、自治体を「お上」や「他治体」から自分たちの所有物へと奪還する運動であった。それは、行政の客体としての住民を、自らルールやシクミを創設し自治の経営を担う市民、すなわち「統治主体としての市民」へと反転させる実践的シチズンシップの提示であった。第3に、山崎の「コミュニティデザイン」は、ワークショップやチームビルディングという対話の手法を通じて、個人の「楽しさ(喜び)」を原動力としながら、それを公共的な課題解決への連帯へと接続する「関係性の教育技法」を確立した。そこに描き出されるのは、他者と結びつき行動する「連帯・共働する市民」である。そして第4に、山下の「地域学」は、「地方消滅」という国家的プロジェクトが孕む欺瞞性を暴き、足元の生身の暮らしや歴史から「知」を再構築する市民性教育のあり方を明示した。それは、与えられた言説を疑い、足もとから知を編み直す「批判的探究者としての市民」の提示であった。このように、4人の言説はそれぞれ、市民性教育が備えるべき「風土の思想」「制度への参画」「関係性の実践」「批判的認識」という不可欠な構成要素を、まちづくりの文脈において精緻に体現しているのである。

3  自律的市民を形成する4つのプロセス
では、これら4つの要素を統合した「まちづくりにおける市民性教育」は、いかなる構造によって住民を「自律的市民」へと変容させ、本章の主題である「市民福祉教育への昇華」を成し遂げるのだろうか。その根底やプロセスには、住民が主体的・創造的な「市民」へと生まれ変わるための、次のような「教育的契機」が存在する。そしてそれは、住民が主体的に向き合う「教育の内容」と、その学びや変容を保障する具体的な学習・実践プロセスである「教育の方法」が有機的に一体化することで機能する。以下では、教育内容と教育方法が不可分に結びついた「教育的契機(内容と方法)」として4つのプロセスを整理する。

第1は、地域の歴史や住民の地域生活の知恵・技術を学び直すプロセスである。これは単なる過去の回顧ではなく、玉野井のいう「風土に根ざした生活世界」の回復を通じて、近代化の過程で剥奪されかけた地域の自律性と、そこに生きる固有の「生」の価値を再発見するプロセスに他ならない。第2は、田村が提示したルールや仕組みを通じた自治の制度化のプロセスである。住民自らが条例制定などの制度構築に主体的に関わり、「社会は自分たちの手で変えられる」という自治能力を高めることで、一過性の活動ではない持続可能な自治システムを確立する。第3は、山崎のコミュニティデザインが実践する、対話を通じた社会的連帯(ソーシャル・キャピタル)の醸成プロセスである。孤立を排し、住民同士がフラットに共感し共働する場(公共圏)を創り出すことで、希薄化した地域社会のつながりを編み直していく。第4は、山下の地域学や吉本らの地元学にみる、政治的リテラシーと批判的思考力の獲得プロセスである。地域の危機を運命として受動的に受け容れるのではなく、その構造的背景を問い直し、提示された言説に依存せず足もとから知を編み直す。それによって、住民自身が地域の課題を自分事として捉え返し、主体的に関与する市民へと成長する契機となる(表3-2参照)。

表3-2 4人の言説と昇華される市民像

これら4つの教育的契機(内容と方法)、すなわち「地域の歴史や生活世界の学び直し」「自治の制度化への参画」「関係性の編み直し」「批判的思考力の獲得」は、孤立したものではなく、相互に関連し合いながら連動している。この有機的な連動のプロセスにおいて、「住民」は単なる地域社会の構成員から、自らの地域生活世界を自律的に統治する「市民」へと変容する。そしてこの自律的市民による地域社会の創造が、まさに「ふくし=ふだんの  くらしの  しあわせ」を根底から支える「市民福祉教育」の地平へと接続され、高次へと昇華される。すなわち、これら4つの教育的契機(内容と方法)の有機的な連動プロセスそのものが、市民福祉教育の核心的な内容と実践的な論理を担保する強固なフレームワークを形づくるのである。

したがって、市民福祉教育とは、地域に生きる人々が地域生活世界を起点として自治・連帯・批判的思考を往還しながら「ふくし」を共働創造していくための主体形成の営みである。すなわち、市民福祉教育は、市民性教育が育成してきた主体形成を継承しつつ、その目的を民主社会への参加から地域生活世界の「ふくし」の創造へと拡張するものである。その意味において、市民性教育は市民福祉教育へと昇華されるのである。

なお、ここでいう「自律的市民」は、大橋が主体形成論の到達点として示した「市民」「公民」としての力量(地方自治体のあり方に参画し、「博愛」と「社会契約主体」を身につけて行動できる主体)と、基底において重なる。大橋は、主体形成は自然発生的に生じるものではなく、「主体形成に向けての学習」が必要であると説いた。本章の循環モデルにおける学びと実践の往還は、この学習の場を「まち」という現場で描き直したものと言える。ただし、両者の出発点は異なる。大橋の主体形成論が、社会福祉問題の解決を起点とし、福祉の領域から出発したのに対し、本章のモデルは、地域の自然・歴史・風土という生活世界そのものを起点として、思想・実践・技法・認識の交差から構成されたものである。したがって、本章は大橋の主体形成論を「まち」の全体へと開く試みであると同時に、別の入口から同じ地点、すなわち自律的市民の形成に至る道筋を示すものでもある。両者の重なりと差異を確認することは、福祉教育の原理を福祉の領域の内と外の双方から問い直す作業に他ならない。

おわりに

本章では、玉野井の「思想」、田村の「実践」、山崎の「技法」、山下の「認識」を交差させ、学びと実践が自治の土俵の上で往還するなかで自律的市民が形成される「まちづくりと自律的市民形成の循環モデル」を提示した。このモデルは、従来個別に論じられてきた「まちづくり」言説を、自律的市民の形成という一点で接続する試みであり、市民性教育が市民福祉教育へと昇華される道筋を示すものである。

このモデルを机上の空論に終わらせず、実際の地域社会で機能させるためには、今後いくつかの重要な課題に対応することが求められよう。ひとつは、「まちづくり」の活動や担い手の固定化を防ぐために、いかにして多様な市民を巻き込み、連携・共働していくかという点である。一部の層に依存しない、多様な主体が緩やかにつながる仕組みづくりが不可欠となる。いまひとつは、住民の主体性・自律性を引き出し、それを側面から支える「伴走型」の支援体制をいかに確立するか、である。行政や専門職には、主導ではなく、市民の力をいかに引き出し、共働するかという役割転換が求められる。今後は、これらの課題を踏まえ、SNSを用いた多様な主体のネットワーク化や、AIの利活用による地域課題の可視化や効率的な伴走支援など、デジタル技術の進展に伴う時代変化に対応した持続可能な仕組みへとこのモデルをアップデートしていく必要がある。

本章のモデルが核に据えた「自律的市民」は、他者の弱さや依存とどのように向き合い、「生きづらさ」を生み出す社会構造をどう編み直していくのか。この問いは、次章「『まちづくりと市民福祉教育』が拓く新たな地平」において、「思いやり教育」から「権利と構造変革の教育」への転換として検討する。

引用・参考文献
(1)小滝敏之(2016)『縮減社会の地域自治・生活者自治―その時代背景と改革理念―』第一法規。
(2)鈴木伸治編(2016)『今、田村明を読む―田村明著作選集―』春風社。
(3)玉野井芳郎(1977)『地域分権の思想』東洋経済新報社。
(4)玉野井芳郎(1978)『エコノミーとエコロジー』みすず書房。
(5)玉野井芳郎(1979)『地域主義の思想』農山漁村文化協会。
(6)玉野井芳郎・清成忠男・中村尚司編(1978)『地域主義―新しい思潮への理論と実践の試み―』学陽書房。
(7)田村明(1987)『まちづくりの発想』岩波新書。
(8)田村明(1999)『まちづくりの実践』岩波新書。
(9)田村明(2006)『「市民の政府」論―「都市の時代」の自治体学―』生活社。
(10)西村幸夫編(2007)『まちづくり学―アイディアから実現までのプロセス―』朝倉書店。
(11)山崎亮(2012)『コミュニティデザインの時代―自分たちで「まち」をつくる―』中公新書。
(12)山崎亮(2016)『縮充する日本―「参加」が創り出す人口減少社会の希望―』PHP研究所。
(13)山下祐介(2021)『地域学入門』ちくま新書。
(14)結城登美雄(2009)『地元学からの出発―この土地を生きた人びとの声に耳を傾ける』農山漁村文化協会。
(15)吉本哲郎(2008)『地元学をはじめよう』岩波ジュニア新書。
(16) エレノア・オストロム、原田禎夫・齋藤暖生・嶋田大作訳(2022)『コモンズのガバナンス―人びとの協働と制度の進化―』晃洋書房。

 


第4章
「まちづくりと市民福祉教育」が拓く新たな地平
―「思いやり教育」から「権利と構造変革の教育」への転換―

はじめに

「福祉教育」の実践と研究はいま、大きな転換期を迎えている。従来の福祉教育は、ともすれば高齢者や障がい者に対する福祉の心の育成を図ろうと、子どもたちの個人の内面や道徳心に訴えかける「思いやり教育」に重きが置かれてきた。また、福祉教育活動が、(1)高齢や障害による不自由や困難についての疑似体験や、(2)車椅子利用者や視覚障がい者などの生活を支援するためのガイドヘルプ技術の習得、(3)福祉施設などに暮らす高齢者や障がい者との訪問・交流活動、という3つの形態に限定されがちであった。そこには、少なくとも3つの深刻な課題が見出される。

第1の理論的課題は、「依存を否定する自立観の超克」である。福祉教育は「支援する側の優越感」(思いやりが思いあがり)を育むことになり、高齢者や障がい者の「依存する権利」や「自立は依存先を増やすこと」(熊谷,2012)という考え方を不可視化させていないか、という点である。 第2の実践的課題は、「まちづくりとの乖離の解消」である。福祉教育は教室内での知識学習や一過性の体験学習にとどまり、日常生活が営まれる地域・社会そのものを変革しようとする志向性が脆弱である、という点である。そして第3の哲学的課題は、「主体変革としての教育観の確立」である。福祉教育を単なる知識や技術・技能の習得や情動的な共感教育に終わらせるのではなく、学習者が地域・社会の課題を自らの問題として捉え直し、地域・社会を創り変える主体(変革主体)へと成長していくプロセスを、いかなる人間観や教育観(理念的・哲学的な根拠)に基づいて構築していくべきか、という点である。

これら3つの課題は、個別に存在するものではない。新しい自立観という「理論」を携え、地域・社会の変革という「実践」を積み重ねるプロセスを経て、子どもから大人までを含む地域住民は、真の変革主体という「哲学」を体現する主体へと成長を遂げる。すなわち、「まちづくりと市民福祉教育」を一体的に捉えるための分析枠組み(視座)こそが、地域共生社会を共創する鍵となる。ここでいう「まちづくり」とは、単なるインフラの整備やハード面の構築を指すのではない。その「まち」に住む人々が互いの権利をどのように認め合い、どのようなルールで共に暮らすかという地域共生社会の設計そのものである。一方、「市民福祉教育」とは、単なる知識や技術・技能の習得ではなく、その設計に主体的・自律的に参加(参集・参与・参画)するための自治力と共生力を育成するための教育的営為をいう。つまり、教育によって市民のパラダイムの転換を図ることは、暮らしの社会的基盤や共生の作法を書き換えることを意味し、それが結果として地域・社会の仕組み(構造)の変革を促すのである。

そこでまず、1980年前後から「福祉で町づくり」を説き、福祉教育とボランティア活動のあり方を追究してきた大橋謙策の言説の原点に立ち返り、2010年代以降は「福祉はまちづくり」の時代にあることを認識することが肝要となる。そして、そこでは、「市民福祉教育はまちづくりの基盤であり、まちづくりは市民福祉教育の実践の場である」という考え方が重要になる。すなわち、「まちづくり」と「市民福祉教育」は、車の両輪の関係にある。前者は、誰もが排除されない仕組み(ハード・ソフト)を構築する営みである。後者は、その仕組みを動かし、更新する主体(市民)を育む営みである。そして、両者を媒介するのは、学習を個人の内面に留めず、地域の変革へと開いていく「学習の外化(社会化)」の概念である。従来の福祉教育は学校の子どもたちを中心とした領域に留まりがちであったのに対し、本章が提起するモデルは、単なる社会参加ではなく、地域・社会の不条理や生活課題そのものを生きた教材とし、その解決のプロセス(まちづくり)そのものを学習過程として位置づける点にその構造的な特質を見出すのである。

なお、本章が批判の対象とする「思いやり教育」は、大橋福祉教育論そのものではない。大橋の理論は、社会福祉問題の構造的把握と主体形成を核とする点で、むしろ「権利と構造変革の教育」の先駆をなす。批判の対象は、その理論の一面(体験学習や交流活動)のみが流通し、定型化された実践の総体である。

本章では、文献研究(文献解釈・思想分析)を通じて、「まちづくりと市民福祉教育」の理論的再定位を試みる。具体的には、下記の2人の著作を一次資料とし、中心的な概念についてその語義や文脈、背景を総合的に解釈し、それを手がかりに思想の構造的特質を抽出する。その際の観点とし、①人間の弱さや依存をどのように捉えているか、②他者との関係性をいかに構築しようとしているか、③個人の抱える困難を社会的な課題へと転換する契機をどこに見出しているか、④その思想が地域社会の仕組みや主体形成にどのような示唆を与えるか、という4つを設定する。そのうえで、両者の言説を横断的に分析し、共通する問題意識や理論構造を明らかにする。とともに相互補完的な関係性を抽出することを通して、「市民福祉教育」を「まちづくり」と一体的に捉えるための分析視角を構築したい。

2冊を取り上げる理由は、①被災地と困窮者支援という性質の異なる現場から、②同時期(2025年)に、③依存・関係性・共生を主題とする著作として刊行されており、異なる文脈から共通の構造を見出しうるかを検討できる点にある。なお、両書は研究書ではなく実践者の語りである。そのため本章は、これらを理論の実証資料としてではなく、従来の自立観や共感観を問い直す「思想的教材」(Ⅲ参照)として扱う。本章が導く知見は、一般化が可能な結論ではない。この限界を補うため、本書では、第1章で戦後福祉教育の歴史的源流を、第2・3章で大橋福祉教育論とまちづくり言説の系譜を検討し、補論で一つの実践事例を本章の枠組みから読み直している。本章の枠組みは、2冊の読解のみによってではなく、これらの歴史的・思想的・実践的な検討との往還のなかで位置づけられる。それでもなお、本章の成果は、今後の事例研究や聞き取り調査によって検証されるべき仮説的な分析枠組みである。

別言すれば、本章の課題は、従来の「思いやり教育」が、現代社会の構造的課題(生産性、自己責任論)を補完・温存してきた側面がないかを批判的に検討し、これに代わる「権利と構造変革の教育」(一人ひとりの尊厳を守り、そのために社会を編み直す教育)としての可能性を提示することにある。ここでいう「構造変革」とは、単なる政治・行政主導の「改革」という名のシステム変更にとどまらない。それは、生きづらさを抱える当事者をはじめ、住民、専門家、行政などの多様な主体が、権利としての参加を草の根から実践し、社会の仕組みを主体的に再構築していく意識的・関係的「変革」のプロセスを指す。また、本章でいう「共働」とは、協力・協同・協働とは異なり、対等な主体が差異を保ったまま、水平的な関係のもとで相互に働きかけ合うことをいう。

なお、これまでの福祉教育研究が積み残してきた「情緒的共感への偏重」や「当事者性の固定化」(支援・受援の固定化)という2つの空白に対し、2人の思想が有効なオルタナティブを提示している点に、本章で両者を検討する意義がある。両者の思想は、特異なフィールド(被災地、困窮者支援)から生まれたものであるが、そこには「自己責任論」や「関係性の断絶」といった現代社会共通の構造的課題が露呈している。本章では、こうした課題を乗り越える視座として、小松理虔の「共事者の連帯」、奥田知志の「不可解性の受容」に注目する。

・小松理虔著『小名浜ピープルズ』里山社、2025年5月。
・奥田知志著『わたしがいる あなたがいる なんとかなる―「希望のまち」のつくり
かた』西日本新聞社、2025年8月。

Ⅰ 小松理虔:共事者の連帯
―「中途半端さ」と「共事者」が“弱い紐帯の強み”を生む―

ここでは、「はじめに」提示した「まちづくりとの乖離の解消」という実践的課題に対し、小松の「共事者」概念がいかなる回答を提示し得るかについて検討する。

[思想的分析]
地域活動家である小松が描くのは、2021年、つまり東日本大震災から10年を経た後の小名浜で生きる人たち(「小名浜ピープルズ」)と「ぼく」(小松)が交わした生の声、すなわちリアリティである。そこで小松が問いかけるのは、今後も、どこかで起こりうる災害や出来事を、いかにして「自分事」として捉え、関わっていくことができるか(小松,2025,p.183)、という点である。

小松が使用する言葉に「中途半端さ」と「共事者」がある。「中途半端さ」についていえば、こうである。小松にあっては、東日本大震災で直接的な被害を免れたものの、被災地に住む者として当事者というレッテル(「被災地でがんばっている男性」)を貼られ、そのことが中途半端な当事者としての葛藤であった。そのような状況下で、地元でのさまざまな活動や人々との関わりを通して、この「中途半端さ」を否定するのではなく、それを受け容れ、むしろそこに意味を見出すようになる。すなわち、当事者と非当事者との間で揺れ動く存在を肯定的に認める。しかし、その立ち位置は、当事者でも専門家でもないという中途半端で曖昧なものである。またそれゆえに、それは多様な視点から物事を捉え、異なる立場の人々を結びつけ、新たな価値や役割(「新たな世界」)を生み出す。その存在を小松は「共事者」と名付ける。

「共事者」とは、「当事者の周囲にいて、関心を寄せたり、興味をもったり、事の推移を見守ったりしている。つまり『事を共に』する」人のことである(小松,2025,p.177)。小松はいう。「被災者とは言えないけど被災地に生きている。被災地に生きているわけではないけどその土地に思いを寄せている。被災とは別の、でも似たような悲しみや苦しみを感じている。そんな『中途半端な人たち』が、ぼくたちの身近なところにたくさんいるということを忘れてはいけない」(小松,2025,p.18)。

このように、小松が提唱する「中途半端さ」とは、ある出来事において直接的な当事者ではないものの、無関係でもないという複雑で曖昧な立ち位置にある状態を指す。葛藤を経て紡がれた「共事者」の概念は、当事者か非当事者(部外者、傍観者)かという二項対立を超え、より多角的で多様な「当事者性」や「共事者性」を認める視点・視座を提供する。小松はまた、当事者に完全には「寄り添えない」ことを自覚したうえで、なお関わり続ける姿勢を重視する。

[実践的意義]
この「中途半端さ」を肯定する視点・視座は、「まちづくり」において大きな意味をもつ。それは、特定の専門家や一部の熱心な地域活動家だけでなく、それぞれが抱える「中途半端さ」や「曖昧さ」を認め合い、緩やかな連帯や共感のネットワーク――マーク・グラノヴェッター(Mark Granovetter)がいう「弱い紐帯の強み」を構築しようとするなかで「事を共にする」という、新たなコミュニティ形成のあり方を提示する。これは、ロバート・パットナム(Robert Putnam)が説いた、異なる属性をもつ人々をつなぎ、互酬性の規範を醸成する「橋渡し型」の社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)の現代的な再構築に他ならない(パットナム,2006)。そして、関わり続けることが、社会的分断を溶かす基盤となる。

小松の言葉は、市民福祉教育においても、次の3点で重要な意味をもつ。第1に、「中途半端さ」を否定せず受け容れて意味づけることは、自己肯定感の醸成につながる。第2に、「共事者」という立ち位置は、他者への無関心を乗り越え、「事を共にする」連携・協働の姿勢を促す。第3に、「寄り添えなさ」を認めることは、他者理解の限界を自覚しつつ、継続的な傾聴と対話を通じて他者と向き合う態度の習得につながる。

一方で、小松の言説にはひとつの限界も見て取れる。それは、個々人の内面的な変容や緩やかなネットワーク形成に重きを置くあまり、既存の不当な権力構造や硬直化した制度と具体的に対峙し、それらを変革していくための「政治的運動論」としての側面が弱い点である。

Ⅱ 奥田知志:不可解性の受容
―「不可解性の受容」と「なんとかなる」が“希望のまち”を創る―

ここでは、「はじめに」提示した「主体変革としての教育観の確立」という哲学的課題に関し、不可解な他者を受容することこそが主体のあり方を根底から変容させるという奥田の視座から、その理論的含意を明らかにする。

[思想的分析]
奥田は、生活困窮者(ホームレス等)に対して、信仰(神学)に支えられた深い洞察とそれに基づく個別的で包括的かつ持続的な「人生支援」を行っている。奥田の有名な言葉に、「自己責任論の社会が私たちから奪ったものがある。それは『助けて』という一言である」(奥田,2012,p.37)がある。奥田は先に記した本で、その活動の歩みから、支援の現場で培われた思想・哲学、そして誰も取り残さない「まち」をめざす未来への提言までを綴る。それは、北九州市の特定危険指定暴力団の本部事務所の跡地という「怖いまち」の象徴だった場所を、「なんとかなる」「希望のまち」に再生する物語である。

奥田が指摘するまでもなく、いま、孤立と分断、困窮と格差、偏見と差別が常態化している。自己責任や身内の責任が必要以上に強要され、「助けて」といえない人が増えている。自分の利得のみを優先させる「自分病」(奥田,2025,p.79)が蔓延している。そのような構造的な問題を抱える現代社会にあって、奥田が理事長を務める認定NPO法人「抱樸(ほうぼく)」では、人と人との横の「つながり」を大切にし、「出会いから看取りまで」という伴走型支援を実施してきた。そしていま、「誰もひとりにしない」まち、「なんちゃって家族」のまち、「助けて」といえるまち、の実現をめざして、(「なんとかする」ではなく)「なんとかなる」を合言葉(モットー・哲学)に「希望のまち」プロジェクトの推進を図っている。奥田はいう。「『希望のまち』は、『縦の成長』を羨望しつつも『横の成長』で共存するまちでありたい」(奥田,2025,p.235)。

「誰もひとりにしない」まちは、経済的困窮(ハウスレス)だけでなく、社会的孤立(ホームレス)の解消を最大の目標とする(奥田,2025,p.174)。「なんちゃって家族」のまちは、家族機能を社会化し、他人同士が緩やかに関わり合う新しい共同の暮らしを創る場をめざす(奥田,2025,pp.224-226)。「助けて」といえるまちは、誰もが互いに「助けて」といえる相互扶助・支援の関係性が機能する社会の実現をめざす(奥田,2025,p.240)。そして、「希望のまち」は、「助ける」と「助けられる」という営みが「いいかげん(ちょうど良い加減)」になるなかで創られ、どんな人も取り残すことのない「地域共生社会」をいう(奥田,2025,p.245)。

その「地域共生社会」について奥田は次のようにいう。長文にわたるが、その思想の核心に関わる部分であるため、引用しておきたい。これは奥田からの愛あるメッセージであり、奥田の確かな覚悟である。

奥田にあっては、人はその複雑さゆえに、互いの存在を完全に理解するには限界がある。人を安易に二項対立的に分類したり、ある概念に押し込めることはできない。それぞれが、それぞれの違いを認め合い、理解できないそれぞれの部分も受け容れることが真の共生の基盤となる。

[実践的意義]
この考え方を市民福祉教育の観点から捉え直せば、真の共生を実現するための市民福祉教育は、この「不可解性」を学ぶ教育でなければならない。その目的は、自分にとって「不可解」な他者を排除せず、その存在を尊重できる市民的資質・能力を育成すること(市民性形成)にある。これは、「多様性」や「共生」を表面上・抽象的に語る姿勢を超え、生きづらさが社会構造的に常態化している現実と対峙することにつながる。そして、この「不可解性の受容」を出発点として、誰もが生きやすい土壌を地域に耕し、構造的な変革としての「まちづくり」を推進することが、いま、真に求められているのである。「対峙」とはただ向き合うことだけではない。自分をつくり変え(再構築)、「まち」をつくり変える(再設計)、創造のプロセスをいう。

奥田はいま、「誰もひとりにしないまち」の実現をめざして、「希望のまち」づくりを進める。建物・施設としての「希望のまち」は、救護施設や交流スペースなどの複合的な機能を内包しながら、「地域の中に施設がある。施設の中に地域がある」(奥田,2025,p.259)という、日常に開かれた空間をめざすものである。この「まち」の重要な機能は、「なんちゃって家族」の関係性の創出であり、「助けて」といい合えるコミュニティを地域に根差した日常の生活圏で構築することにある。この思想は、特別な活動ではなく、誰もが孤立しない何気ない日常を創り出すことにある。この点を市民福祉教育に落とし込むならば、そのための教育的営為は、特定の施設・機関や活動のなかだけにあるのではなく、日常の生活圏全体を学びのフィールドとして、みんなの生涯にわたる「ふだんの くらし」のなかでこそ育まれるべきものである。

また、奥田がいう「なんとかなる」は、無責任・無批判な楽観論ではない。また、「なんとかする」という自己完結的な責任論でもない。それは、「わたしがいる、あなたがいる」から「なんとかなる」という、他者への信頼を基盤とし、人と人との関係性(「つながり」)のなかで共同体的な問題解決を志向するものである。市民福祉教育の文脈では、市民一人ひとりが困難に直面した際に、自己責任論に陥ることなく、誰かとつながっていれば「なんとかなる」と信じられる地域的な安心感を醸成する営みといえる。この安心感こそが、誰もが「助けて」といえる「希望のまち」(みんながつながるまち)を築く土台となるのである。

一方で、奥田の主張は、キリスト教的隣人愛に由来する個人的な倫理観や精神的紐帯に依拠した理論構成という側面が強く、一定の限界を抱えている。それは、個人の献身的な支援を美化し、本来行政が担うべき公的扶助の不備を看過させる恐れなしとしない点である。

ここで、小松の提示する「共事者の連帯」と奥田の説く「不可解性の受容」の関連性について一言しておきたい。これら両概念の交差点にこそ、本章がめざす「構造変革」の真髄があるからである。

従来の福祉教育における「共感」は、相手を「理解できる存在」として前提に置いてきた。しかし、奥田が指摘するように、他者は本質的に「不可解」な存在である。この「分からなさ」に直面したとき、多くの市民は自らを門外漢や部外者の枠に閉じ込め、当事者との間に境界線を引いてしまう。ここで、小松の「共事者」概念が補助線として機能する。

「共事者」とは、中途半端なまま、未完成なまま「事を共にする」主体である。相手を完全に理解(コントロール)できないという「不可解性」を絶望の理由にするのではなく、むしろ「分からないからこそ、隣で共に居続ける」という、積極的な保留の姿勢へと転換させるのである。

この両者が結合することで、市民福祉教育は「思いやり」という情緒的満足を脱し、不可解な他者と共に、理不尽な構造(「まち」)を書き換えるという共創の実践へと昇華される。それは、互いの「不全」(弱さ・分からなさ)を排除せず、むしろそれを紐帯として、既存の生産主義や能力主義を至上命題とする社会構造を揺さぶる「不全の連帯」の創出に他ならない。この「弱さ」「分からなさ」を抱えたままの連帯こそが、自己責任論を解体し、真の地域共生社会を支える構造変革のエネルギーとなるのである。

すなわち、小松の「共事者」は、当事者と非当事者の境界を揺さぶり、曖昧な立場にある人々が地域課題に関わり続けるための実践的な契機を示している。これに対して、奥田の「不可解性の受容」は、他者を完全には理解できないという人間存在の根源的な限界を認め、そのうえで関係性を築くための倫理的・哲学的な基盤を示している。本章では、前者を関与の契機、後者を関係形成の基盤として捉え、両者を相互補完的に位置づけるのである。

Ⅲ パラダイムシフトと「構造変革」の推進
―「自立」の解体と「依存の権利化」による共生社会の再設計―

1 思想的教材と「権利と構造変革の教育」
教育には、学習者の認識を進化させるための「教材」が欠かせない。本章で小松と奥田の言説を取り上げるのは、それらが単なる体験談にとどまらず、従来の社会通念(自立の定義や共感の限界)を揺さぶり、自己変革を迫る「思想的教材」となるからである。これは、パウロ・フレイレ(Paulo Freire)が『被抑圧者の教育学』(新訳版、亜紀書房、2011年)で提示した、教育者が学習者に知識を一方的に注入する「銀行型教育」からの脱却と、現実を批判的に捉え直し変革を試みる「問題提起型教育」への転換という志向性を、現代の福祉教育において具現化しようとする試みでもある。また、かつて玉野井芳郎が「地域主義」において提唱した、中央集権的な生産性至上主義から生活圏の自律を取り戻そうとする思想的営為を、現代の福祉教育の文脈で発展的に継承するものでもある。

また、本章において「当事者性」を強調する意図は、単に相手の立場に立って同情したり、思いやったりする感情移入の促進ではない。当事者の発する「助けて」という声を、個人の困りごとを超えて社会の不備を告発する権利の訴え、すなわち「構造的欠陥の証言」として捉え直し、教材化することにある。こうした教材化による認識の進化こそが、従来の「自立」概念を解体し、「相互依存」へと再構築するパラダイムシフト(枠組みの転換)の契機となるのである。

そして、この転換を実践へと接続し、社会構造に働きかける学習デザインを、本章では「権利と構造変革の教育」として提唱する。そのフィールドは学校に限定されない。主たるフィールドは、住民自治組織や社協、NPO、福祉施設、企業・事業者、そして行政などが、地域社会という枠組みのなかで共に学び合う「プラットフォーム」である。そこでの主体は、子どもから大人までを含む地域住民のみならず、社会福祉協議会のコミュニティソーシャルワーカーやNPOスタッフ、福祉施設職員、医師・看護師、行政職員、そして教員といった専門職たちである。彼らには、「教える側」という特権的な立場を脱ぎ捨て、自らも地域の不条理に直面する「共事者」として、住民と共に課題を教材化することが求められる。なお、「共事者」は、小松においては、当事者の周囲にあって関心を寄せ、事を共にする人々を指す概念である(小松,2025,p.177)。本章はこの概念を、専門職や教育行政、さらには学習者一般にまで拡張して用いている。この拡張は小松自身の議論ではなく、本章の理論的な再定義であり、「中途半端さ」を引き受けたまま、地域の不条理に責任をもって関与し続ける主体という含意に着目したものである。

以上を踏まえて、ここで重要なのは、専門職が単なる伴走者にとどまるのではなく、「専門性をもった共事者」として、地域住民が抱く生きづらさ(不条理)を権利へと「翻訳」し社会化する「アドボカシー」(権利擁護、代弁)の機能を果たすことである。併せて、それと並行して、他者の権利擁護のみならず、専門職自身が抱える「生きづらさ」を社会化していく「専門職によるセルフ・アドボカシー」の実践も不可欠となる。

そこで以下では、こうした教材化の実践が、従来の「自立」概念をいかに「相互依存」へと再構築し、「当事者性」の捉え方を「構造変革」へとつなげていくのか、そのパラダイムシフトの諸相を明らかにする。なお、以下のパラダイムシフトは、いずれも確定した理論ではなく、今後の実証的検討に開かれた仮説的な視座であることをあらためて断っておきたい。今後は、異なる属性・地域・課題を対象とした複数の事例研究や、当事者への聞き取り調査などを通じて、本モデルの妥当性や適用可能性を実証的に検証していく必要がある。

2 自立から相互依存へ
上述の小松と奥田の言説を横断的に分析すると、そこには「自立」を至上命題とする近代的人間像を根本的に覆す、新たな教育哲学的基盤が立ち現れる。小松は、「中途半端さ」を否定するのではなく、そこに新しい価値が見出されると説く。奥田は、「非効率・非生産的」とされる人々の「生」のなかにこそ人間の根源的な尊厳があると説く。これらに通底するのは、個の「弱さ」や「依存」を排除するのではなく、むしろそれを他者とつながるための不可欠な「紐帯」と捉え直す思想である。これは生産主義の原理や自己責任の論理へのアンチテーゼであり、社会のあり方を「自立」から「相互依存的な共生」へと組み替える試みといえる。

ここで重要となるのが、「依存の権利化」という視点である。従来の福祉教育が、依存を「克服すべき課題」あるいは「温情的に受け入れられるべき状態」と見なしてきたのに対し、本章が提唱するモデルでは、他者に頼り、委ねることを人間存在の本質に根ざした普遍的な「権利」として再定義する。熊谷が説くように、「自立は依存先を増やすこと」であるならば、多様な依存先を社会のなかに確保することはもはや個人の努力の問題ではなく、社会が保障すべき正当な権利となる。すなわち、この「依存の権利化」は、憲法13条の個人の尊厳(自己決定権)と25条の生存権の趣旨に照らして根拠づけうるものである。そして、障害者差別解消法の7条および8条が規定する「合理的配慮」を単なる義務的・受動的な対応ではなく、誰もが相互に依存し合える地域共生社会を構築するための構造的・能動的な権利へと発展させるものである。ただし、「依存の権利」が現行の法解釈において確立しているわけではなく、本章の主張は立法論的・規範的な性格をもつことを断っておきたい。

この「依存の権利化」は、大橋謙策の主体形成論の延長上に位置づけられる。大橋は、地域福祉の主体として「社会福祉サービス利用主体」「社会保険制度契約主体」の形成を挙げ、サービスを権利として利用し、契約する主体の必要性を指摘した(大橋,1995)。これは、支援を受けることを恩恵ではなく権利として捉える視点である。本章は、この「利用・契約の主体」を、さらに「依存すること自体を権利として行使し、その保障を社会に求める主体」へと展開しようとするものである。

さらに、大橋福祉教育論を継承する原田正樹も、この方向を一歩進めている。原田は、人間の脆弱性を前提としたうえで、個人の自立や自己実現にとどまらず、関係性のなかで互いに支え合いながらより良く生きることをめざす「相互実現的自立」「相互依存的自己実現」を提起した(原田,2022)。それは、従来の自立支援の限界を乗り越え、「共に生きる力」を社会全体で育むための視点であり、依存を克服すべき欠如とはみなさない点で、本章の「依存の権利化」と問題意識を共有している。ただし、原田の議論は、依存を前提とする関係性や学び合いのあり方に力点があり、依存すること自体を権利として位置づけ、その保障を国家や社会に求めるところまでは、必ずしも明示されていない。本章は、この点を「権利」の水準へと展開しようとするものである。

その「依存の権利」を行使する対象は、第一義的には国家や行政であるが、同時に、依存を「自己責任」として切り捨てない地域社会の「承認の作法」をも包含する。制度的サービスと地域住民との関係的な依存を往還させ、それらを個人の引け目ではなく、「市民の権利」として位置づける。これを教育の核に据えることによって、学習者は支援を必要とする人々を「同情や善意」の客体ではなく、共に権利を行使し、日常を創り合う主体として認識し直すことになるのである。すなわち、「依存の権利」の保障は、個人の善意や人間関係のみに委ねられるのではなく、公的制度と地域社会の双方によって支えられる必要があるのである。

3 「思いやり」から「共働的な愛」へ
ここにおいて教育は、単なる知識や技術・技能を獲得する手段ではなく、他者の弱さや依存に呼応し合う「関係性の技法」として捉え直されることになる。この技法の根底にあるべきは、現状を追認することにとどまる静的で慈恵的な「思いやり」ではない。それは、他者の尊厳を阻害する不条理な社会構造に対峙し、生きづらさを抱える人々と共にその構造を編み直そうとする、動的で変革的な実践としての「愛」、すなわちフレイレが説いた抑圧者からの解放を志向する「闘争的な愛」である。

この私的で情緒的な感情である「思いやり」を、社会的な連帯を伴う共働的な「愛」へと高めることが、教育の公共性を担保する原動力となる。この「闘争的な愛」「共働的な愛」が向けられるべき、教育現場における象徴的かつ具体的な対象のひとつに、障害の有無や能力の多寡によって学習の場を分断してきた「分離教育」がある。この制度的格差・差別を批判的に検討し、誰もが「共に在り、共に学び、共に育つ」ことを前提としたインクルーシブ教育へと再編していく。この実践的なプロセス(「思いやり」から「共働的な愛」へ)が、社会の構造的不条理を変革する「市民福祉教育」の論理を支える不可欠な要素として組み込まれなければならない。

4 専門家支配と「共関」
さらに小松と奥田の言説に通底するのは、専門家が非専門家を導くという教育構造への懐疑、すなわち専門家支配からの脱却である。小松は、専門家ではなく、当事者の周囲にいて個人的な「好き」の感情や「面白がり」の精神を基盤にして、地域課題に興味・関心をもつ「共事者」の大切さを説く。奥田は、専門家によってプログラム化された支援以上に、「助けて」といえる関係性や「伴走者」としてのあり方について説く。これらは専門的な知識や技術・技能によって対象者を操作するのではなく、教育の核に、対等な関係性のなかで実現する「相互」を据えているのである。

この「相互」のあり方を実質化させる内面的な契機として、いまひとつ「共感」がある。「まちづくり」において「共感」は不可欠な要素である。それは、単なる感情的な同調ではなく、地域・社会に生きる主体の「多様性」を前提とする。そして、それらを排除せずに「共働」するための関係形成の基盤である。そのため「まちづくり」においては、効率的な課題解決や安易な合意形成を目的化するのではなく、互いの「わからなさ」を尊重し合い、差別を考える習慣(作法)を身に付け、その文化化を図って地域に根付かせることが重要となる。市民福祉教育は、他者を「わかる」ためではなく、他者との差異を抱えたまま、それでも共に生きるための知識や技法、価値観を育む営みである。この教育は、「まちづくり」の前提条件であり、その過程そのものである。

ここで、「多様性」という言葉の危うさについて言及しておきたい。岩渕功一(2025)が指摘するように、現在の「多様性」の語りは、しばしばマジョリティ側の論理に変質し、マジョリティによる、マジョリティのための「免罪符」と化している側面がある。それは、社会に構造化された差別や不平等を解消する取り組みを封じ込め、後景化・後退させるような作用をもたらしかねない。つまり、無批判な多様性の尊重や奨励は、結果として差別や不平等を再生産し、マジョリティによる包摂と管理を強化することにつながる(岩渕,2025,p.42)。真の多様性とは、単なる個別性の尊重にとどまるものではない。それは構造化された差別を直視し、無意識にその構造に加担している「特権的な自分」を認識する実践である。したがって、「まちづくりと市民福祉教育」に求められるのは、情緒的な「共感」を超え、他者に対して共に・関わり・関心を持ち続ける「共関」意識の醸成である(岩渕,2025,p.130)。

5 当事者性と構造変革
この「共関」を単なる他者への関心にとどめず、自らの問題として自覚し、社会変革への責任を具体化していくうえで重要な概念として、「当事者性」がある。これは、単に問題に直面しているという事実を指すだけではない。その問題への関わり方や主体的な意識のあり方を質的に表現する概念である。例えば、障がい者やその家族は第一義的な当事者であるが、「障害の社会モデル」の視点に立てば、障害は社会構造や環境が生み出す不全(社会的不備、障壁)である。したがって、社会を構成するすべての個人がその問題の当事者であり、等しく責任を引き受けるべき存在となる。しかし、この「すべての人が当事者である」という普遍化は、各々が固有の視点・視座をもつ異なる存在であるという「他者性」の認識を欠いてはならない。当事者性と他者性の両義性を認識することで、安易な同情や画一的な共感の押し付けを排し、異質な他者との対等な関係性における深い相互理解が可能となるのである。

ここでさらに、「当事者性」と「他者性」に併せて、鯨岡峻が提唱する「相互主体性」に言及しておきたい(鯨岡,2006)。鯨岡にあっては、相互主体性とは、複数の主体(個人)が互いを単なる客体(対象)としてではなく、「私」と「あなた」が主体として存在することを認め合い、影響し合い、共に変革していく能動的で発展的な関係性をいう。その関係性が深まる過程を通して、「私」と「あなた」が共に新たな主体性を形成し、「私は私」という閉塞的な主体から「私は私たち」という開放的な関係性へと開かれることになる。この視点を福祉教育に適用すれば、例えば子どもと障がい者の交流活動は、主体(子ども)が客体(障がい者)を「知る・支援する」といった一方的な働きかけの対立的なモデルを脱し、双方が主体性を持ち、互いを尊重し合い、共に学び、共に生きる地域・社会を築いていくための重要なアプローチとなる。

上述の「当事者性」「他者性」「相互主体性」の概念は、三位一体となって市民福祉教育を支える概念であることに留意したい。すなわち、市民福祉教育は、個人の意識改革(当事者性の深化)のみならず、他者との関係性の質的向上(相互主体性の構築)を経て、社会構造の変革へと連動していくべきものである。

こうした認識に立てば、改めて、従来の福祉教育が個人の内面や道徳心に訴える「思いやり教育」に傾きがちであったことの限界がより鮮明に浮き彫りになる。個人の善意のみに依拠するアプローチは、既存の社会構造を補完・温存させ、かえって「助ける側(強者)」と「助けられる側(弱者)」の分断を固定化しかねない。市民福祉教育は、単なる「思いやり」や「優しさ」を教えること(学習の内面化)にとどまるのではなく、「まち」に暮らす他者の不可侵の尊厳(権利)に触れる際の、緊張感を学ぶ場であるべきである。すなわち、市民福祉教育は、個人の「弱さ」やさまざまな「依存」を人間存在の普遍的な姿として捉え直す。そして、その条件のままに生きられるよう地域・社会の基礎構造的な「分母」(生産性の原理、自己責任の論理)を問い直す。そのなかで、新しい価値観を創造する「権利と構造変革の教育」(学習の外化)へと転換していくことが求められるのである(図4-1参照)。ここでいう「外化」とは、学習を個人の内面に蓄積するにとどめず、地域・社会の課題解決や制度の変革へと開くことをいう。

図4-1 「思いやり教育」から「権利と構造変革の教育」へ

別言すれば、市民福祉教育がめざす構造変革とは、奥田がいう「助けて」といえる関係性が個人の勇気に依存するのではなく、地域の仕組み(構造)として保障される状態を創出することに他ならない。それは、行政主導によるシステムの改編や単なる個人の意識の改革ではなく、教育的実践を通して地域・社会の「分母」を書き換えていく草の根の民主主義的な社会変革である。それは、具体的には、(1)個人の生きづらさを自己責任にせず、社会の不備として地域課題へと押しあげる「可視化・共有化」、(2)当事者と住民が対等に話し合い、地域のルールや支援のあり方を共に決め直す場を日常のなかに創る「対話化・民主化」、(3)既存の制度に頼るだけでなく、互いの弱さを認め合い、共に助け合える新たな居場所や仕組みを草の根から実践する「行動化・共働化」、などによって駆動する。それを通じて住民(学習者)は社会の「受け手」から、地域・社会の文脈を書き換える「創り手」へと変革するのである。

すなわち、構造変革は、必ずしも既存の制度や組織を全面的に改編することだけを意味するものではない。日常生活における意思決定への参加の機会を広げること、当事者の声が地域の政策や制度に反映される仕組みを整えること、さらには、支援する側と支援される側を固定化してきた慣行や価値観を問い直すことも、その重要な一部をなす。すなわち、構造変革とは、制度・組織・関係性・価値観の各側面に働きかけ、人々の尊厳と権利が実質的に保障される地域社会へと再編していく過程をいうのである。

6 両義性とリフレクション
以上を要するに、市民福祉教育とは、(1)「思いやり」という内面的なアプローチから脱却し、生産性の原理や自己責任の論理に基づく社会構造を問い直す権利意識を育むこと。(2)小松がいう誠実な葛藤を指針として、情動的な「共感」を論理的・多元的な思考と連携させ、誰もが安心して依存できる「まち」を再設計すること。(3)奥田がいう「わたしがいる、あなたがいる、なんとかなる」という確信を、個人の内面的な感情に留めるのではなく、地域の「構造」そのものに根付かせること。この構造変革こそが「ふだんの くらしの しあわせ」を真に支える土台となる。こうしたパラダイムの転換を提示することが、「まちづくりと市民福祉教育」の本質に他ならない。

なお、(2)と(3)の議論に関しては、それが内包する両義性について留意したい。確かに、「中途半端さ」や「なんとかなる」といった寛容や楽観は、包摂社会を構想するうえで重要な契機となり得る。しかしその一方で、これらは責任の所在や立場の境界を曖昧化させるリスクを孕んでいる。小松がいう「共事者」は、単なる(共感的な)傍観にとどまる懸念を生み、奥田がいう「なんとかなる」は、構造的課題に対する批判精神や組織的な共働への意志を希薄化させる恐れがある。それゆえに、このリスクを回避し、真の構造変革に結びつけるためのプロセス、すなわち「曖昧な善意」を社会変革に向けた「共働意識」へと昇華させていくプロセスを必要とする。

では、いかにしてこのリスクをコントロールし、プロセスを実質化させるのか。そこには、「省察的対話(リフレクション)」の導入という教育学的な手続きが不可欠となる。具体的には、単に「共事者」として寄り添う体験に終始するのではなく、その関わりのなかで生じた「割り切れなさ」や「自身の特権性」を批判的に振り返る場を設定することである。学習者は、自身の「曖昧な善意」が既存の構造的な差別や不平等を温存させていないかを問い直す。この自己との対峙を学習過程の核心に据えることで、単なる情緒的な連帯を、社会の理不尽に対する自覚的な「共働意識」へと練り上げることが可能となる。この「問い」の継続こそが、無批判な楽観論を退け、真の構造変革へと向かう教育的営為の核心をなすのである。

具体的に言えば、ここでいうリフレクションは、単に活動後の感想や反省を記録することではない。自分は誰の立場から課題を捉えていたのか、誰の声を聴き取れずにいたのか、自らの関わりが既存の力関係を再生産していなかったか、そして、次にどのような行動や仕組みの改善につなげることができるかを問い直す営みである。このような省察と実践の往還を通して、学習者は自らの認識と行動を更新し、他者と共に地域社会を変革する主体へと成長していくのである。

ここで、以上で取りあげた2人の思想を「まちづくりと市民福祉教育」に引き寄せて整理すると、およそ次のようになろう(表4-1参照)。小松と奥田は、フィールドやアプローチを異にするが、両者の思想には「弱さ」や「依存」を肯定し、孤立を防ぎ、地域共生社会を創るという共通の底流があるのである。

表4-1 小松理虔と奥田知志の思想比較

Ⅳ 持続可能な「まちづくりと市民福祉教育」の展開
―「依存の権利化」を具現化する4つの実践的プロセス―

本章では、小松と奥田の2人による言説を補助線にして、「まちづくりと市民福祉教育」の新たな視点・視座について検討してきた。これらの論考を横断的に捉え直すと、これまでの福祉教育観を転回させる必要性が浮かびあがってくる。そこで、ここでは、小松(「共事者の連帯」)と奥田(「不可解性の受容」)の思想を昇華し、「依存を権利として承認する教育」へと至る構造的モデルを提示する。そして、「はじめに」掲げた3つの課題に対応させる形で、新たな福祉教育の地平を展望したい。

1 理論的転回(3つのパラダイムシフト)
「まちづくりと市民福祉教育」は、これまでの福祉教育に、単に新たな知識や技術・技能を付け加える教育的営為ではない。それは、社会を支える「当たり前」というルールそのものを書き換えるそれであり、以下の点において、従来の福祉教育観を昇華し、新たな次元へと導く役割を担う。

第1の理論的課題である「依存を否定する自立観の超克」についてである。これまでの福祉教育は、高齢者や障がい者を弱者として、一方的な「思いやりの客体」として固定化してきた。人間は本質的に依存的な存在であり、真の自立とは「孤立した自立」ではなく、「相互依存的な自立」である。「まちづくりと市民福祉教育」は、個人の「弱さ」を固有のものとして認め、その依存を権利として保障する社会理論へと脱皮しなければならない。「依存の権利化」という視点は、決定的なパラダイムシフトをもたらす。

第2の実践的課題である「まちづくりとの乖離の解消」についてである。まちづくりと福祉教育の乖離は、小松の「共事者」の概念によって解消される。また、小松の「中途半端な」自分を肯定する視点は、子どもから大人までを含む地域住民(市民)を「まちづくり」の主体へと変革させる。この主体変革こそが、多様な主体による多層的な地域ガバナンスを構築する原動力となる。「まちづくりと市民福祉教育」は、学校の「内」や学校の「外」の地域・社会で学ぶものではなく、地域・社会というフィールドの「文脈」を書き換える実践そのものとして再定義される必要がある。

第3の哲学的課題である「主体変革としての教育観の確立」についてである。それは、奥田が説く「不可解性の受容」によって結実する。共生とは、単に相手を理解し共感することによるのではなく、「わたしがいる、あなたがいる」ことによって「なんとかなる」という信頼の関係性の構築である。「まちづくりと市民福祉教育」は、生産性や能力によって人間の価値を測る優生思想的な力学を否定する。そして、自己を「助ける/助けられる」という二項対立的な関係から解放し、地域・社会の「分母」そのものを組み替える「変革主体」へと再規定する教育に切り替えていかなければならない。

2 実践的プロセス(4つのステップ)
「まちづくりと市民福祉教育」は、この理論的視座を地域社会において具現化するために、従来の「思いやり教育」の枠組みを超え、社会構造そのものを書き換える営為へと深化を遂げる。

この構造変革への歩みは、表4-2および図4-2に示す通り、「存在肯定(在る)」→「共働参加(関わる)」→「相互依存(動く)」→「共生共創(創る)」へと至る4段階のプロセスとして体系化される。それは、個人の抱える「生きづらさ」を単なる個人的な問題に留めず、社会構造への「問い」へと転換し、他者との関係性を編み直し、新たな社会のあり方を構想する具体的なロードマップである。なお、この4段階は、既存の発達段階論や実証研究から導かれたものではなく、小松と奥田の思想の読解から、本章が試論として設定した分析上の整理である。段階の順序は固定的なものではなく、後述のとおり、各ステップを往還しながら深化することを想定している。

また、この4段階の進展を捉えるにあたっては、学習者の内面的な意識の変化だけでなく、具体的な関係性や行動、地域の仕組みにどのような変化が生じたかを併せて確認する必要がある。例えば、「存在肯定」では当事者の声や生活上の困難を否定せずに受け止めているか、「共働参加」では立場の異なる人々が対等に意見を交わしているか、「相互依存」では援助を求め、援助を受けることが権利として認識されているか、「共生共創」では住民の意思が地域のルールや制度の改善に反映されているか、といった点が確認の手がかりとなる。

表4-2は、小松と奥田の言説における用語と、「思いやり教育」と「権利と構造変革の教育」における用語を各ステップに対応させて整理したものである。

表4-2 小松理虔と奥田知志の言説と「思いやり教育」と
「権利と構造変革の教育」の構造

図4-2に示すプロセスは、単なる直線的な進歩ではなく、ステップ(1)から(4)を往還しながら深化する「螺旋状の成長」をモデル化したものである。特にステップ(3)の「相互依存」において、自立を「依存を排除すること」ではなく「他者に依存する権利」として再定義・内面化したとき、初めてステップ(4)の「共生共創」は、マジョリティによる一方的な主導を脱し、双方向的な共働による「まちづくり」へと高められ、結実するのである。

図4-2 「まちづくりと市民福祉教育」のプロセス

ステップ(1)存在肯定(在る):発見と価値観の再構成
存在をありのままに受け容れることは、単なる現状肯定にとどまらない。個人が抱える「生きづらさ」や「特性」を、克服し排除すべきマイナスの課題として捉えるのではない。むしろそれを、社会のあり方や構造的な欠陥を厳しく問い直すものとして再認識し、無意識のうちに内面化している効率性や生産性という価値観を根本から揺さぶるプロセスである。
ここでは、小松が提唱する「中途半端さ」という人間の本質を寛容に受け容れることが求められる。同時に、奥田が説く「助けて」という一言を、弱さの露呈ではなく、他者と共働して社会を編み直すための「新たな価値」や「希望」として見出すことで、硬直化した自己と社会を再定義していく。そのステップである。それは、「そのままのあなたでいい」という全肯定のメッセージへとつながる。
ステップ(2)共働参加(関わる):共働と関係性の再構築
共働は、互いの「中途半端さ」や「曖昧さ」を、正すべき欠点として否定するのではない。個々人が抱える不可避なものとして、それを丸ごと認め合うことが出発点となる。自分とは異なる背景をもつ他者と、答えのない問いに対して多元的な視点で思考を深め合い、共に試行錯誤しながら、共働の経験を通じて分断された関係性を編み直していくプロセスである。
ここでは、小松が提唱する「寄り添えなさ」を認めることで、相手を自分の管理下や理解の枠に当てはめようとする独善的な支援の構図を打ち破ることになる。また、奥田が説く「わたしがいる、あなたがいる」という、個と個がそのままの姿で対峙し、互いの存在を等身大に認め合う相互承認の関係へと踏み出していく。そのステップである。それは、「できることから一緒にやればいい」という連帯の姿勢に象徴される。
ステップ(3)相互依存(動く):自立と依存の再定義
他者に依存することは、人間の尊厳に根ざしたひとつの豊かな生き方である。ここでの「真の自立」とは、一人で抱え込むことではなく、むしろ頼れる依存先を増やし、分散させることをいう。そして、「他者に依存する権利」はすべての人に等しく備わっていることを学習し、自分と他者の双方の尊厳を尊重する感性を養う。それを通して、一面では「困ったときはお互いさま」という情緒的で恣意的な(あるいは互酬性に縛られた)互助を超えていくプロセスである。
ここでは、小松のいう「事を共にする」という実践を通じ、依存を肯定することで、奥田が説く「なんとかなる」という抽象的な希望が、確信を伴った実感へと変わる。そしてその実感を、具体的な支え合いの実践へとつなげていく。そのステップである。それは、「困ったときは助け合えばいい」という権利の承認に帰結する。
ステップ(4)共生共創(創る):共創と地域生活の再編成
共生は、理解できない他者や自分とは異なる属性をもつ存在を排除するのではなく、その差異を抱えたまま共に生き、互いに頼り合い・支え合うことをいう。その循環のなかで、「わたしがいる、あなたがいる、なんとかなる」と確信できる「希望のまち(みんながつながるまち)」を、他人事(ひとごと)とせず、市民一人ひとりが主体となって共に創りあげていくプロセスである。
ここでは、小松が提唱する、既存の枠組みを超えた「新たな世界」を具体的に構想する。そして、依存を自立の対極ではなく、「生の基盤」として捉え直すことで、奥田が説く孤立のない「希望のまち」を現実のものとして構築していく。そのステップである。それは、「あしたをみんなで創っていこう」という希望の宣言となる。

これら4つのステップを地域における「高齢者介護」に落とし込むと、以下のようになる。(1)要介護高齢者を憐憫の対象としての弱者、あるいは排除すべき課題とみるのではなく、その存在をありのままに受け容れる。ここでは、介護をめぐる「生きづらさ」を社会構造への問いとして発見する視座が重要となる。(2)介護を専門職だけの閉ざされた領域に留めず、地域住民がそれぞれの「中途半端さ」(できる範囲のこと)を持ち寄って、ケアを介した他者との関係性を編み直す。これは、専門職任せのケアから、専門職と市民が対等なパートナーとして共に創り上げる「ケアの市民化(共働)」への試みである。(3)頼ることを自立の喪失ではなく、尊厳ある生き方として肯定する。「依存を権利化」することで、要介護状態になっても地域で生き続けることを保障する感性を養う。(4)要介護状態の有無に関わらず、相互依存を基盤とした共同体意識を醸成し、相互扶助が内面化された地域社会を再構築する。

なお、いうまでもなく「ケアの市民化」は、専門職による専門的なケアや行政の公的責任を地域住民に代替させることを意味するものではない。むしろ、専門職の専門性と公的サービスの役割を適切に位置づけたうえで、住民が意思決定や地域生活の形成に主体的に参加することを重視するものである。専門職と住民がそれぞれの役割を尊重しながら共働することによって、専門的支援と日常的な支え合いとが相互に補完し合う地域社会を構築することが可能となるのである。

こうした営みは、介護を単なる「管理」や「解決」の対象から解き放ち、誰もが互いの弱さを認め合いながら共生する「福祉はまちづくり」(大橋)の実践そのものである。大橋が提起するこの命題を「権利と構造変革」の観点から捉え直せば、個人の困りごとを社会全体が向き合うべき課題として「外化(社会化)」していくプロセスに他ならない。その一連の過程を教育学的な論理として体系化することに、「まちづくりと市民福祉教育」を探究する歴史的・社会的意義を見出すことができる。

このように、「まちづくりと市民福祉教育」には、これらのステップを単なる理念としてではなく、プロセスとして共有し、日々の暮らしのなかで市民が主体的に体現できるよう、その学びと気づきの機会をデザインしていく役割が求められるのである。

いまひとつ、行政が策定する「地域福祉計画」などが単なるサービスの供給計画(「分子」)から、地域・社会全体の「分母」を書き換える実践へと進化するプロセスを描くと、こうなろう。(1)計画の策定にあたって、子どもから大人までを含む地域住民が抱える「生きづらさ」や「声なき声」を社会の構造的欠陥の証言としてありのままに受け容れ、可視化する。(2)計画の策定を専門職や一部の協力者に限定せず、多様な住民が行政などと「事を共にする」関係性を、策定プロセスそのものに組み込む。(3)支援・受援の固定化を招く従来の自立支援観を解体し、住民が他者に頼ることを尊厳ある生き方(権利)として肯定し合える仕組みを計画の根幹に据える。(4)単なる施設の整備や予算の配分(「分子」の調整)にとどまらず、誰もが「助けて」といい合える関係性を制度(構造)として保障し、住民一人ひとりが地域の文脈を書き換える変革主体として機能する社会をデザインする。

このように、自治体の地域福祉計画は、管理のための文書から、多様な住民が「共事者」として地域の文脈を書き換え、地域の未来を共創するための社会変革のロードマップへと再規定されるのである。この再規定を実現する原動力こそが、市民福祉教育に他ならない。「地域福祉計画策定のプロセスは福祉教育の実践過程である」「地域福祉は福祉教育ではじまり、福祉教育でおわる」といわれる所以であり、市民福祉教育が「まちづくり」の基盤であることの証左である。

おわりに
―市民福祉教育の再定位と今後の課題―

最後に、これまでの議論を総括し、本章で提示した「権利と構造変革の教育」の理論的到達点を、実践的な文脈に即して確認しておきたい。それは、単に他者への情緒的な理解を深める学習活動を指すのではない。それは、生産性の原理や自己責任の論理の、既存の地域・社会を規定する「分母」を問い直し、人間の「依存」(他者に委ねること)と「受援」(助けを受けること)を権利として再定義するプロセスである。ここでの教育的営為とは、学習者が「共事者」として地域の不条理や他者の不可解性に直面し、その葛藤を糧に、差別や排除の構造を温存する社会システムを草の根から創り変えていく「変革主体」へと自己を再構築することを指す。すなわち、「思いやり」から「共働的な愛」へ、「思いやり教育」から「権利と構造変革の教育」へ、その転換において、注視すべきは学習のベクトルの質的変化である。前者が、学習者の内面に働きかけ、道徳的な「同情や善意」を求める「内面化のベクトル」であるのに対し、後者は、個人の気づきを地域の不条理の発見へとつなげ、具体的な社会制度やルールの変革へと向かわせる「外化のベクトル」を有するのである。このベクトルの転換こそが、教育を既存の秩序を維持する役割から、社会の構造そのものを変革する営為へと転換させる鍵となる。「まちづくりと市民福祉教育」は、個人の内面を耕すという次元を超え、誰もが安心して依存し受援し合える地域共生社会を共創するための、自治的・共働的な社会変革の実践である。

なお、本章で提示した理論的枠組みは、あくまでも分析視角の提示に留まっている。特に、その根拠を小松と奥田の2つの事例に依拠している点は、本モデルの一般化の可能性を制約する限界であることを重ねて断っておきたい。今後はこの枠組みを用い、「まちづくりと市民福祉教育」の具体的な実践を分析することで、子どもから大人までを含む地域住民が「思いやりの主体」から「構造変革の主体」へと自己を再規定していくプロセスを実証的に明らかにする必要がある。特に、学習者が「共事者」としての葛藤を経て、いかにして「依存の権利化」に向けた社会的・政治的認識を高めていくのか。また、社会構造を問い直すためのアドボカシーや政策提言にどう関わっていくのか。これらの検証を通じ、「構造変革」という抽象的概念を、教育によって駆動される具体的な「社会設計の作法(メソッド)」へと具現化していくこと。それこそが、本研究が切り拓くべき次なる地平である。

その検証にあたっては、学校教育における福祉教育、地域福祉計画の策定過程、住民主体の地域活動、専門職と住民との共働実践など、異なる場面を対象とした事例研究が考えられる。その際、4段階のプロセスがどのように現れ、どの段階で停滞や葛藤が生じ、どのような条件によって次の段階へと展開するのかを比較検討することが重要となる。こうした検証を積み重ねることで、本章が提示した分析枠組みの有効性と限界を明らかにし、その理論的な精緻化を図ることができるのである。

さらにいえば、「権利と構造変革の教育」モデルの実効性について、例えば次のような課題が残されている。ひとつは、教育現場における「評価」の困難性である。内面的な道徳心とは異なり、社会構造の変革という長期的かつ多因子による事象を、いかに教育的成果として測定するかという方法論の確立である。具体的には、リフレクション・ログ(振り返りの記録)の質的分析を通じて、学習者の語彙が「情緒的な共感」から「社会構造への批判」へと変容するプロセスを評価指標として定式化することも考えられる。その際、個々人が抱える固有の課題を権利の主張へとつなげるアドボカシーの展開や、共通の課題をもつ人々が連帯して集団的な力を組織し社会に働きかける「コミュニティ・オーガナイジング」の成立過程を、「学び」が社会変革の「力」へと結実した「実践的成果」として評価体系に組み込む視点も有効であろう。

いまひとつは、学校という公教育の場において、既存の社会構造を批判的に問い直す「変革主体」の育成が、学習指導要領や行政的枠組みといかなる緊張関係のなかで共存し得るかという点である。これについては、それを「対立」としてではなく、学校教育等の既存システムの再定義を促すための創造的な摩擦として位置づけることが重要となる。教育現場において、社会の不条理を所与の条件として受け入れさせるのではなく、それを変革すべき教材として提示することは、「主権者教育」としての「まちづくりと市民福祉教育」の本来の姿である。

すなわち、「市民福祉教育」は、「まちづくり」のための単なる地域貢献活動やボランティア活動、そのためのサービスラーニングにとどまるものではない。主権者・政治主体としての子どもの社会参加の促進と政治的リテラシー(政治的判断力や批判力)の育成・向上を図る教育をいう。それは、地域の課題を通じて地域政治や地域行政のあり方などについて学び、考えることから始まる。そのためには、学校を地域に開き、多様な人々や組織・機関などとネットワークを形成し、共働する場(プラットフォーム)とすることが肝要となる。それを通して、「市民」としての資質・能力の育成(市民性教育)が図られ、地域の課題解決に向けて具体的に働きかけていく政治的運動としての「まちづくり」が展開されることになる。それは、人権と思想・信条の自由(人権教育)を前提とした、「対話と共働」の運動である。

また、教育行政や関係機関についても、単なる管理・指導の主体にとどまるのではなく、地域が抱える不条理を市民と共に担う「共事者」へとその役割を再定義し、相互補完的なガバナンスへと転換していくことが求められる。とりわけ学校は、教育基本法1条が謳う「平和で民主的な国家及び社会の形成者」を育む場であり、学校教育法21条が示す「主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度」を養う場である。それゆえに、子どもから地域の大人までの市民が構造的な地域生活課題に向き合い、「連帯と共働」を通じて解決を模索する、地域共生社会の「ハブ」(結節点)ないし「プラットフォーム」としての機能を十全に果たすことが期待される。そこでは、当然のことながら、教員の専門性のあり方も問い直されることになる。

ここでいう教育の専門性とは、教育現場における「政治的中立性」の真義を問い直すものでもある。それは、特定の党派や政治団体(政党政治)への加担を排することであり、政治という社会的営為に対する沈黙や回避を意味するものではない。むしろ、安易に「中立」を標榜して沈黙することは、社会に潜む不条理や既存の抑圧構造を追認し、結果として現状維持に加担してしまうリスクを孕んでいる。教育の本質は、社会に厳然と存在する不条理や構造的課題を「生きた教材」として提示し、多様な価値観が交錯するなかで「対話と共働」を継続させる場を保障することにある。教員に求められるのは、中立という名の思考停止に陥ることでも、特定のイデオロギーを注入することでもない。自らも地域社会の一員であり、市民の一人であるという自覚を持ち、自らの価値観を絶対視することなく、子どもをはじめ地域住民や多様な専門職、行政などと共に社会を編み直すための「市民的作法」を探究し続ける。その謙虚で理性的な構えこそが、主権者教育としての市民福祉教育を担う教員の新たな専門性として確立されなければならない。これは、地域課題を自分事として捉え直す政治的リテラシーの育成・向上を図る「まちづくりと市民福祉教育」において、極めて重要な課題である。

併せて、この「変革主体」としての専門性の再定義は、教員という職種に限定されるものではない。ソーシャルワーカーもまた、そのアイデンティティの根幹に「社会変革」を据えた、数少ない専門職のひとつである。国際ソーシャルワーカー連盟(IFSW)と国際ソーシャルワーク教育学校連盟(IASSW)が2014年7月に採択した「ソーシャルワーク専門職のグローバル定義」は、ソーシャルワークを次のように規定している。「ソーシャルワークは、社会変革と社会開発、社会的結束、および人々のエンパワメントと解放を促進する、実践に基づいた専門職であり学問である」、がそれである。また、この規定の趣旨は、2020年6月に改定(採択)された日本社会福祉士会の「社会福祉士の倫理綱領」、その前文においても明文化されている。

すなわち、ソーシャルワーカーにとって、社会変革を促すことは、業務上の付随的な機能ではなく、専門職としての存在理由そのものに位置づけられているのである。この点で、教員が「主権者教育」を通じて子どもを「変革主体」へと育てる役割を担うのだとすれば、ソーシャルワーカーは自らが直接「変革主体」として、排除され孤立した人々との関わりのなかで社会そのものを問い直し、その改良と変化を促進する存在として位置づけられるのである。

この意味において、教員とソーシャルワーカーはともに、対象となる人々(子ども、クライエント)を「支援される客体」としてではなく、地域の不条理に共に向き合い、社会を編み直していく変革の当事者・共働者として位置づけ直そうとする点で、その専門性の核心を共有しているといえる。この共有された専門性は、単なる理念にとどまらず、「まちづくり」の具現化を図るに際して、教員とソーシャルワーカーの連携と共働のあり方において厳しく問われるのである。

以上のように、本章で提示した「権利と構造変革の教育」は、福祉教育を個人の内面的な意識や態度の形成に限定せず、地域社会における権利の保障と関係性の再構築、さらには社会の仕組みの変革へと展開するための理論的枠組みである。その実現には、当事者、住民、専門職、行政が、それぞれの立場や役割を尊重しながら、地域の課題を共に引き受け、解決の過程を共有することが求められる。市民福祉教育を「まちづくり」の基盤として再定位することは、誰もが支えられると同時に支える主体でもある地域共生社会を構想し、実現していくための重要な課題なのである。

引用・参考文献
(1)岩渕功一(2025)『多様性とどう向き合うか―違和感から考える』岩波新書。
(2) 大橋謙策(1995)『地域福祉論』放送大学教育振興会。
(3)奥田知志(2012)『「助けて」と言おう』日本キリスト教団出版局。
(4)奥田知志(2025)『わたしがいる あなたがいる なんとかなる―「希望のまち」のつくりかた』西日本新聞社。
(5)鎌田華乃子(2020)『コミュニティ・オーガナイジング―ほしい未来をみんなで創る5つのステップ』英治出版。
(6)鯨岡峻(2006)『ひとがひとをわかるということ―間主観性と相互主体性』ミネルヴァ書房。
(7)熊谷晋一郎(2012)「自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと」(インタビュー/鎌田晋明、編集/脇田真也)『TOKYO人権』第56号、東京都人権啓発センター。
(8)小松理虔(2025)『小名浜ピープルズ』里山社。
(9)志水宏吉ほか編著(2025)『社会関係資本を活かした学校づくり―事例とデータでみる子どもたちの「つながり」―』ミネルヴァ書房。
(10)玉野井芳郎(1979)『地域主義の思想』農山漁村文化協会。
(11)中島康晴(2019)『「出逢い直し」の地域共生社会―ソーシャルワークにおけるこれからの「社会変革」のかたち』(上巻・下巻)批評社。
(12)原田正樹(2022)『福祉教育の理論と実践方法―共に生きる力を育むために―』全国社会福祉協議会。
(13)ロバート・D・パットナム、柴内康文訳(2006)『孤独なボウリング』柏書房。
(14)ベル・フックス、里見実監訳、朴和美・堀田碧・吉原令子訳(2023)『学ぶことは、とびこえること―自由のためのフェミニズム教育』ちくま学芸文庫。
(15)パウロ・フレイレ、里見実訳(2001)『希望の教育学』太郎次郎社エディタス。
(16)パウロ・フレイレ、三砂ちづる訳(2011)『被抑圧者の教育学』(新訳版)亜紀書房。

 


補論
“あいとぴあカレッジ”にみる「まちづくりと市民福祉教育」の計画化
―第4章の枠組みを実践に照らして検討する―

はじめに 

第4章で提示した「権利と構造変革の教育」は、小松理虔と奥田知志の言説を補助線とした分析視角であり、いまだ仮説的な視座にとどまっている。そこで本補論では、この視座に実践的な裏づけを与えるべく、東京都狛江市社会福祉協議会(以下、社協)の“あいとぴあカレッジ”(1991年開講)を事例として取りあげ、「まちづくりと市民福祉教育」がいかに計画化され、構造化されていったのかを検討する。

本補論における研究手法は事例研究であり、地域福祉活動計画「あいとぴあ推進計画」(1990年3月策定)の立案過程と実施過程に関する一次資料(会議記録、事業計画書、学習プログラム等)を分析の対象とする。ただし、あらかじめ2点を断っておかねばならない。第1に、筆者は当時の計画策定と実践に関与した当事者であり、記述には立場性による制約がある。第2に、本事例は1990年代の単一事例であり、第4章の概念との対応づけは、あくまで現在の視点からの再解釈である。当時の計画者が「共事者」や「依存の権利化」といった概念を用いていたわけではない。それゆえ、以下では、当時の事実(Ⅰ~Ⅲ)と、現在の視点からの再解釈(Ⅳ)とを区別して述べることとする。

Ⅰ 事例の概要と計画の論理

“あいとぴあ”とは、7万市民の“であい”“ふれあい”“ささえあい”を示す3つの“あい”とユートピア(理想郷)の合成語であり、市民が主体となって進める「福祉のまちづくり」の基本精神を表す。計画の策定は、1988年7月の第1回運営委員会から始まり、1990年3月に社協の基本計画として承認された。その重点事業として構想されたのが、“あいとぴあカレッジ”である。基礎課程第1期(前期)は1991年5月9日のオリエンテーションで幕を開け、1992年度からはカウンセリング、ホームヘルプ、手話の3コースによる実務課程が加わった。基礎課程は2000年度の第11期まで続き、修了者は累計209名を数える。その後、2002年度の地域版、2004年度から2009年度のマネジメントコースを経て、2018年度からは市委託事業の「福祉カレッジ」へと継承されている。

この実践の基底には、福祉教育計画をめぐる独自の論理があった。第1は、計画の内容が、事業計画(シゴト)、施設整備計画(モノ)、マンパワー計画(ヒト)、財政計画(カネ)の4つから構成され、基本をなすのは事業計画であるという点である。第2は、計画の手順である。通常の「Plan→Do→See」では、福祉教育計画は空論化し、画餅に帰しやすい。そこで、現状分析を起点とする「See→Plan→Do→See」の循環が採られた。なかでも計画の「心臓部分」とされたのが、目標の明確化である。第3は、住民の「学習要求」(学びたい)と「学習必要」(学ぶべき)の区別である。両者は福祉教育というフィルターを通して優先度がつけられ、事業化される。学習必要のみで立案すれば、住民に強制感や疎外感を与えることになるとされた。そして第4は、策定の主体が、あくまで地域住民である点である。ただし、住民に計画策定の力量が乏しいという現実に照らし、社協が住民の主体性を損なわないよう専門的に助言・援助する中核的役割を担うこととされた。

Ⅱ 立案過程にみる住民参加と合意形成

“あいとぴあカレッジ”の事業計画と学習プログラムは、多層的な委員会構造のなかで練りあげられた。1990年8月、学識経験者、ボランティア、住民団体、福祉施設、地域産業、教育機関、行政、社協の関係者27名からなるボランティア活動推進委員会が設置された。幅広い分野に参加を求めたのは、各委員の分野での働きかけを通じて、“あいとぴあ”市民運動の拡大と深化を期待したからである。小・中・高等学校の校長や教頭、教育委員会の参加は、学校における福祉教育推進の契機ともなった。もっとも、委員が多人数であったこともあり、推進委員会は実質的には承認機関にとどまった。積極的な協議の場となったのは、その下に置かれた企画小委員会(10名)と、さらにその内部に設けられた作業委員会(学識経験者と社協職員の4名)であった。作業委員会は通算4回開かれ、ブレイン・ストーミングの討議法によって、事業計画や学習プログラムの基礎的作業を担った。

企画小委員会は1990年9月から1991年2月にかけて4回開催され、そこで確認された原則が、カレッジの性格を決定づけた。第1回では、住民が寄り合って創るカレッジであるという点が再確認され、講師は市内の人材に求めること、学習資料は地域の生の資料による手づくりとすること、会場は小学校の空き教室を活用して「下駄履き」で参加できるようにすることが決められた。第2回では、学習者自身が運営に関われる「運営委員会」の設置が検討され、聴講生制度は「つまみ食い学習」では福祉のまちづくりを担えないとの考えから見送られた。第3回では、講師が自らの内面をさらけ出すことへの戸惑いが提示されたが、講師は生きざまを語ることで学習者に素材を提供し、同時に自らも住民として自己実現を図るのだという理念が、あらためて確認された。こうして、計画案は作業委員会、企画小委員会、推進委員会のあいだを幾度となく往復し、1991年2月の第3回推進委員会で、ほぼ原案通りに決定をみたのである。この過程は、各委員にとって学習と自己実現や自己変革の場でもあった。

Ⅲ 学習プログラムの編成と実施

学習プログラムの立案にあたっては、(1)「はじめに学習者ありき」という認識に立ち、学習者を地域生活主体として捉えること、(2)プログラムを単なる日程表ではなく、学習者の意欲を高める手づくりのものとすること、(3)学習を地域生活に発して地域生活に帰すものとすること、(4)立案の過程そのものを福祉教育とみなすこと、の4点が留意された。ただし、住民に対する学習要求調査は実施されておらず、中心的な学習者の想定も行われなかった。この点は、当時のプログラムの限界として明記しておかねばならない。

学習目標、すなわち学習プログラム全体のねらいは、表補論-1のように設定された。

表補論-1 “あいとぴあカレッジ”の学習目標

学習内容は、福祉のまちづくりを歴史的・社会的に学ぶ「総論」、現実の個々の生活に即して学ぶ「各論」、まちづくりのための具体的な方法や技術・技能を習得する「方法論」の3部から成っていた。学習テーマは、「児童家庭福祉」「高齢者福祉」「障がい者福祉」といった制度的区分ではなく、「あなたは一人で子どもを育てられますか」「あなたの老後の暮らしは誰がみますか」「あなたにとって障害者の問題はひとごとですか」のように、日常の言葉で個人に問いかけるものとされた。また、「楽しい仲間とティータイム~施設見学・交流活動~」も設定された。

学習方法は、講義、討議、実習を中心に、見学、話し合い、発表を取り入れ、学習者の主体的・能動的な活動を促した。講師24名は、著名度や専門度を優先せず、市内でまちづくりの実践や運動に参加する一般住民が登用され、その講話は、学習を方向づけるものではなく、学習者の自主的な学習を誘発する話題提供として位置づけられた。また、社会福祉系大学院生3名がチューター(学習援助者)として配置され、講師への依存を減らす役割を担った。

カレッジの運営体制にも、主体形成への配慮が貫かれていた。学習は第1期(5〜8月)と第2期(10〜2月)に分けて各15回、毎週木曜日の夜に、小学校の図書室で行われた。定員30名を15名ずつ2グループ、7〜8名ずつ4班に分け、班長4名が運営委員会に参加し、8名の学習者が広報委員会で学級通信を編集した。受講料は3,000円とし、これによって参加責任を明確にするとともに、10回以上の出席者には修了証を授与した。1991年5月9日、第1期の学習者は定員の30名を数えた。男性6名、女性24名で、40歳代と50歳代が6割を占め、主婦を中心に教員、学生、施設職員など多様であった。出席率は体験活動と公開講演を除き90%前後の高率を示し、28名が修了した。修了後には、修了者主催の「卒業記念パーティー」が催され、交流や学習、ボランティア活動を行う自主的なグループ「一期生の会」が発足している。

Ⅳ 第4章の枠組みから読み直す
―権利論・構造変革論への展開可能性―

 以上の点を、第4章の枠組みに引き寄せて読み直せば、次のような対応を見出すことができる。ただし、これらは現在の視点からの再解釈であり、当時の計画者が意図していた内容そのものではない。また、対応の強さは項目ごとに異なる点に留意したい。

最も明確に対応するのは、計画過程そのものが学習過程であったという点である。複数の委員会は、住民参加と合意形成の場であると同時に、各委員にとって学習と自己実現・自己変革の場でもあった。これは、第4章で述べた「地域福祉計画策定のプロセスは福祉教育の実践過程である」という命題を、実践の側から支持するものといえる。ただし、この点を裏づける直接の根拠は、作業委員会・企画小委員会での討議の経過と、委員の変容を記した当時の社協事務局の記録に限られる。個々の委員の認識がどのように変化したかを示す記録(委員の感想や後年の聞き取りなど)は乏しく、ここでの「学習と自己変革」は、討議の往復と合意形成の過程から読み取った解釈にとどまる。

また、学習者を班活動や運営委員会、広報委員会の担い手とし、「一期生の会」の発足にまで至った経緯は、学習者が社会の「受け手」から地域の「創り手」へと変わる契機を、仕組みとして組み込んでいたことを示している。もっとも、示されているのは仕組みの存在であり、学習者が実際にどこまで「創り手」へ変容したかは、「一期生の会」の発足という一事実から推測するほかない。

次に、専門家支配からの距離である。著名度や専門度による講師選定を避け、住民の生きざまを語る講師と、それを聴く学習者という「語りと傾聴」の関係を軸に据えたことは、専門家が非専門家を導くという教育構造への懐疑に通じる。社協職員を住民の主体性を引き出す側面的な援助者と位置づけたことも、第4章でいう「専門性をもった共事者」の姿と部分的に重なる。ただし、これは理念上の位置づけに関する対応であり、運営の実態において社協職員がどのように振る舞ったかを示す記録は、本稿では確認していない。

さらに注目したいのは、学習テーマの設定である。「あなたは一人で子どもを育てられますか」「あなたの老後の暮らしは誰がみますか」という問いは、制度的な区分を離れ、生活上の困難を個人の責任に閉じず、「誰がみるのか」という社会的な問いとして提示している。これは、個人の生きづらさを自己責任にせず、社会の不備として地域課題へと押しあげる「可視化・共有化」の萌芽と読むことができる。根拠となるのは、学習テーマの文言と、その設定の意図を述べた企画小委員会の記録である。また、講師が自らの苦労や悩みを語り、それを学習者が聴くという場は、困難を「語ってよいもの」「共有してよいもの」とする関係性を育んだ可能性がある。第4章でいえば、「助けて」といえる関係性の素地にあたる。ただし、講師の戸惑いが企画小委員会で提示されたことは、こうした場が自明に成立したのではなく、語ることへの抵抗を乗り越える過程を要したことを示している。

加えて、運営委員会や広報委員会、班活動は、計画やルールを共に決める経験を学習者にもたらした。そこでの議論や葛藤、合意形成は、「当事者と住民が対等に話し合い、地域のルールや支援のあり方を共に決め直す」という「対話化・民主化」の小さな実践であった可能性がある。「一期生の会」の発足は、学習が集団的な行動へと展開し、「行動化・共働化」へ向かう端緒であった。ここでも、運営委員会における実際の議論の内容を示す記録が必要であり、現段階では、仕組みが設けられていたという事実から、その可能性を指摘するにとどまる。

もっとも、これらはいずれも萌芽の段階にとどまる。当時のプログラムは、困難を社会的な問いとして提示したものの、それを「権利」として明示し、制度や構造の変革へと結びつける学習課題までは組み込んでいなかった。「依存」を権利として位置づける視点や、行政・制度への働きかけ(アドボカシーや政策提言)に至る回路も、設計されていたとはいえない。また、第4章の4つのステップ(存在肯定→共働参加→相互依存→共生共創)についても、事例のなかでは「存在肯定」から「共働参加」にあたる局面が中心であり、「相互依存」「共生共創」の段階に達したかどうかは、現時点の資料からは確認できない。

ここで、第4章の枠組みに必ずしも収まらない事実にも目を向けておかねばならない。第1に、推進委員会が実質的には承認機関にとどまり、実質的な協議が下部の小委員会、とりわけ学識経験者と社協職員からなる作業委員会に委ねられたこと。第2に、住民が計画策定の主体であるとされながら、住民に策定の力量が乏しいという現実から、社協が中核的・先導的役割を担わざるをえなかったこと。第3に、学習要求調査が行われず、住民の学習要求が十分に把握されないまま、専門職や関係者の側で学習プログラムが構想されたこと、などである。これらは、「住民主体」という理念と、専門職・社協主導という現実とのあいだに緊張があったことを示している。

この緊張は、本事例の瑕疵として退けるべきものではなく、むしろ第4章の枠組みにとって重要な論点を提供する。第4章では、専門職は「教える側」という特権的な立場を脱ぎ捨て、「専門性をもった共事者」として住民と課題を教材化することが求められる、と述べた。しかし、住民の力量が育っていない段階で、専門職が「住民主体」を標榜しながら実質的に主導することがある。その主導は、住民の主体性を引き出す「触媒」にもなりうるし、「曖昧な善意」のもとで住民を既存の枠組みに導く「専門家支配」にもなりうる。この両義性を見分けるには、第4章が示した「省察的対話(リフレクション)」、すなわち、専門職自身が自らの特権性や「割り切れなさ」を批判的に振り返る場が必要となる。“あいとぴあカレッジ”では、講師の戸惑いを企画小委員会の場で確認し合ったことは、その萌芽的な試みであったとも読める。しかし、専門職の主導性そのものを問い直す場が組み込まれていたかどうかは確認できない。住民主体の理念と専門職主導の現実との緊張を、隠すのではなく学習の対象として引き受けること、これが、計画化の土台のうえに権利論・構造変革論を重ねていくための前提となる。

このことは、本事例の限界であると同時に、第4章の枠組みが事例に対して提示する課題でもある。すなわち、計画化と学習過程の構造化という土台のうえに、(1)生活課題を権利の問題として学ぶ内容の導入、(2)学習成果を制度・施策への提言や地域ルールの見直しへ接続する回路の設計、(3)「依存」を肯定し合う関係性を学習の核に据えること、(4)専門職の主導性を省察する場の組み込みを重ねていくことで、「住民主体の計画化」は「権利と構造変革の教育」へと展開しうる。この意味で、“あいとぴあカレッジ”は、第4章の枠組みを完全に実証する事例というより、その枠組みへと発展させていくための出発点として位置づけられる。

おわりに

本補論は、第4章の仮説的な視座に対し、計画化の過程という実践的な側面から、一定の裏づけを与えようとしたものである。しかし、その限界も明らかである。事例は30年以上前の単一事例であり、一般化はできない。修了後の行動変容を追跡するデータも乏しく、「一期生の会」の発足以上の成果を示すことはできない。そのうえ、筆者自身が当事者であることによる偏りも免れない。今後の課題は多岐にわたるが、ここでは、そのうち主なものを3点指摘しておきたい。第1に、現代の他地域の実践との比較や、当時の関係者や地域住民への聞き取りによる追跡的検証を通じて、第4章の枠組みを実証的に検討すること。第2に、計画化の土台のうえに、地域共生社会論・権利論・構造変革論の学習をいかに組み込むかを探ること。第3に、住民主体の理念と専門職主導の現実との間にある緊張関係を明らかにし、その関係を住民と専門職がともに問い直し、住民主体の「まちづくり」につなげていくための学習のあり方を探究することである。

【初出】
Ⅰ~Ⅲの各節は、「地域における福祉教育の計画と学習プログラム」『日本の地域福祉』第5巻、日本地域福祉学会、1992年3月、84~106頁を要約・再構成したものである。

 


終 章
到達点と課題
―「道」の途上で―

本書は、大橋謙策の福祉教育論の「継承」と「展開」を基本的な視座に据え、「まちづくりと市民福祉教育」の原理と今後の可能性を、歴史的・理論的・実践的な観点から探究してきた。その出発点にあったのは、二つの問題意識である。第1に、福祉教育は、ハウツーや手法の提供に偏り、その存立基盤をなす歴史・哲学・原理の探究を等閑視してこなかったか。第2に、「思いやり教育」に象徴されるように、個人の内面や善意に訴えるあまり、生きづらさを生み出す地域・社会の構造への問いを欠いてこなかったか、がそれである。

継承とは、大橋福祉教育論をそのまま受け継ぐことではなく、その核心、すなわち社会構造への問いを含む「実践科学」としての福祉教育を、今日の文脈で受け止め直すことである。展開とは、継承した原理を、福祉や教育の領域の外へも、現代の課題に応じて押し広げることである。第1章の歴史的源流から、第2章の原理、第3章のまちづくり言説、第4章の権利と構造変革、補論の計画化へと至る検討は、継承と展開を一体のものとして進めようとした試みである。

第1章では、戦後初期の神奈川県と鳥取県八頭郡社協の福祉教育制度・事業を検討し、福祉教育が当初から「統治」と「変革」の両側面を併せもっていたと考えられることを述べた。第2章では、大橋福祉教育論を4つの鍵概念から読み直し、松岡広路の批判や原田正樹の継承にも向き合いながら、「歴史・哲学・原理」の循環的連動が福祉教育を学問たらしめる条件であることを示した。第3章では、玉野井芳郎、田村明、山崎亮、山下祐介の言説を交差させ、学びと実践が往還するなかで自律的市民が形成される循環モデルを提示し、市民性教育が市民福祉教育へと昇華される道筋を示した。第4章では、小松理虔と奥田知志の言説を補助線に、「依存の権利化」と4つのステップを軸として、「思いやり教育」から「権利と構造変革の教育」への転換を論じた。補論では、1990年代の“あいとぴあカレッジ”を第4章の枠組みから読み直し、住民主体の計画化が権利論・構造変革論へ展開しうる出発点を見出した。

以上の検討を通して明らかになったのは、次の点である。福祉教育は、社会の秩序形成に資する働きをもつと同時に、人々が社会のあり方を問い直す契機ともなりうる。したがって、福祉教育を、既存の社会に適応するための教育や、他者への善意・思いやりを育む教育に限定してはならない。地域生活課題を社会的・構造的な問題として捉え、他者とともに地域や社会のあり方を問い直し、その変革に主体的・自律的に参加する市民を育成・形成する営みとして、再定位されなければならない。その原理は、福祉や教育の領域内にとどまらず、「まち」と「市民」をめぐる思想・実践・認識の系譜のなかで検討される必要がある。

もっとも、本書が提示したのは完成した理論体系ではなく、各章で断ったとおり、仮説的な見取り図である。残された課題は、次の5点に整理できる。

第1に、史料と事例の限界を超える実証的研究の蓄積である。第1章は行政・学校側の刊行物に依拠しており、生徒や教員の意識変容までは確認できていない。第4章の枠組みは、小松と奥田の著作の読解に基づく分析視角にすぎず、4つのステップも思想の読解から設定した試論である。補論は30年以上前の単一事例であり、筆者自身が当事者であるという偏りも免れない。今後は、戦後初期から現代に至る福祉教育の歴史的研究を、より多様な地域や実践に即して深める必要がある。併せて、学校、社協、地域組織、行政、NPOなどが関わる実践を対象に、複数の事例研究、当事者・関係者への聞き取り、他地域との比較を行い、学習者の認識や行動はどう変容するのか、住民の主体形成はどう進むのか、制度や仕組みへの働きかけはいかなる過程で生じるのかを明らかにしなければならない。

第2に、大橋福祉教育論の継承と理論的精緻化である。松岡の批判、とりわけ学習主体論の弱さへの応答は、本書でも方向を示したにとどまる。学習者を「市民」として具体的に捉え直し、「批判的創造性」を学びの目標・内容にどう組み込むかを理論化しなければならない。併せて、自律的市民の形成と「依存の権利化」との関係、市民自治と社会構造の変革との関係を明確にし、循環モデルや4つのステップの有効性と限界を、理論と実践の双方から検討することが求められる。

第3に、循環モデルの実効性である。活動や担い手の固定化をいかに防ぎ、多様な市民をいかに巻き込むか。行政や専門職が主導するのではなく、住民の主体性を引き出す「伴走型」へと役割を転換できるか。また、SNSやAIなどのデジタル技術、グローバル化といった現代社会の変化に対応する、新たな学習・実践の方法も開発する必要がある。その際には、アルゴリズム(自動的・形式的な手順)による最適解が合意形成の葛藤を省略し、思考停止や体制順応を招く危うさへの警戒とリテラシーが不可欠となる。効率性や合理性では捉えきれない人間の尊厳、関係性、対話、共働の意味を、問い続けなければならない。

第4に、「権利と構造変革の教育」の評価と制度的条件である。社会構造の変革は長期的で多因子の成果であり、これを教育的成果としてどう評価するかが問われる。リフレクション・ログの質的分析や、アドボカシー、コミュニティ・オーガナイジングの成立過程を評価に組み込む視点は示したが、方法の確立には至っていない。また、「依存の権利」は現行の法解釈で確立したものではなく、本書の主張は立法論的・規範的な性格をもつ。学校教育においては、学習指導要領との緊張のなかで、変革主体の育成と教員の専門性(政治的中立性の真義)をどう両立させるかが問われる。

第5に、専門職の役割と専門性への省察である。補論が示したように、専門職が住民主体を標榜しながら実質的に主導するという緊張は、住民の主体性を引き出す「触媒」にも、住民を既存の枠組みに導く「専門家支配」にもなりうる。この両義性を直視し、専門職が住民とともに課題を発見し、学び合い、社会を編み直す「共事者」としていかに関わるのかを探究する必要がある。そのためには、専門職自身の主導性や特権性を学習の対象として引き受ける省察的対話の場を、実践と研究の双方に組み込まなければならない。

これらの課題は、それぞれ独立して存在するものではない。歴史的な検証から思想や哲学を問い直し、それを理論として構造化し、具体的な実践を通して検証・修正し、さらに新たな社会的課題に応答していく。課題は、こうした循環的かつ重層的な探究のなかに位置づけられる。ここに、本書が重視してきた理論と実践の往還の意味がある。

「まちづくりと市民福祉教育」は、特定の教育方法や実践モデルを提示し、各地に普及させようとするものではない。それぞれの地域に固有の歴史や生活課題を出発点に、多様な人々が対話と共働を重ねながら、自らの地域や社会のあり方を問い直し、創り変えていく。そのための思想的・理論的な基盤を提供しようとするものである。そこでは、継承と展開、統治と変革、個人と社会、学びと実践、支援と依存といった、一見対立するようにみえる諸要素を単純に二分せず、その間に生じる緊張や相互作用を引き受けることが重要となる。

序で述べたように、継承のない展開は根無し草となり、展開のない継承は形骸化する。本書の試みもまた、大橋福祉教育論を継承しながら、新たな地平を切り拓こうとする途上の営みである。その道筋は決して直線的なものではなく、地域の現実に向き合い、他者とともに考え、試み、振り返り、また歩み出す。その繰り返しのなかにこそ、市民が主体となって「ふだんの くらしの しあわせ」を創り出す可能性がある。

「実践は歴史によって創られ、理論は歴史によって試される」。本書は、その往還の途上にある一つの見取り図にすぎない。この「道」は、検証され、修正され、歩み継がれていかなければならない。ご批正を乞う次第である。

 


 

〈改稿〉「まちづくりと市民福祉教育」論
―「権利と構造変革の教育」への道―

発 行:2026年11月1日
著 者:阪野 貢
発行者:田村禎章・三ツ石行宏
発行所:市民福祉教育研究所

 


老爺心お節介情報/第92号(2026年10月18日)

「老爺心お節介情報」第92号

〇皆様お変わりありませんでしょうか。ようやく天気も安定し、秋晴れの日々が続きます。
〇今号は、10月13日か15日まで歩いた「中山道よろよろへとへと道中記・中編」がメインです。
〇それ以外では、10月5日に石川県穴水町を訪ねてきました。ミネルヴァ書房から来年『災害被災者支援の新しい実践システム・穴水モデル』を刊行しますが、その編集会議に出席してきました。今回は初めて能登空港を使いました。機上から見える能登半島はまさに山々でした。帰りは電車を使いました。
〇穴水モデルと銘打つ被災者支援の新しい実践システムは、これからの社会福祉協議会の災害支援の在り方を大きく見直すことの必要性を提起した内容になっています。穴水町での夜の懇親会には吉村光輝町長も参加してくれ、大いに話が盛り上がりました。
(2026年10月18日記)

中山道六十九次
よろよろへとへと道中記
中 編
(和田宿、須原宿~野尻宿、大妻籠~馬籠宿、馬籠宿~中津川宿)

2026年10月13日~15日

(はじめに)
〇2026年4月に行った「中山道歩き」は残念ながら、足裏のまめの悪化で妻籠宿で中断した。
〇今回も小池正志さんのサポートとコーディネートで、前回歩き残した長久保宿の大和橋から和田宿を経て、和田峠の入り口までの区間と須原宿から野尻宿までの区間、そして大妻籠から馬籠宿を経て中津川宿までの踏破ができた。心から感謝とお礼を申しあげたい。
〇初めから区間を決めての区切り打ちをしていないので、歩き損ねたこの区間を歩くことは、バスの便もなく、かつ電車の便も悪く、多くのサポーターがいないと実現できないコース取りであった。
〇小池正志さんの呼びかけで、長久保宿の大和橋から和田宿を経て、和田峠の入り口までの区間は、萱津公子さん(元長野大学教授、現上田市社会福祉協議会会長)が車を出してくれてサポートしてくれたし、木曽路は杉村信子さんが車でサポートしてくれたことで4月に歩けなかった中山道の道を歩くことができ、日本橋から中津川宿まで一応歩いたことになった。この紙上を借りて、改めて3人に厚く感謝とお礼を申し上げたい。

(10月13日、長野快晴、長久保宿・大和橋~和田峠登山口入口・10キロ1万8千歩)

〇10月13日、小雨の降る中、午前5時50分に家を出発。新宿・大宮駅経由で上田駅に午前9時01分に着く。
〇前日まで、何故か佐久平駅に迎えに来てくれるという認識が私の頭を“占領”していて、前日の夜、待ち合せ場所は長野新幹線戦上田駅だということを漸く納得、理解できた。なぜ、佐久平駅と思い込んでいたのかは不明だが、小池正志さんのメールで気づかされてもらい、事なきを得た。
〇上田駅には、長野市役所に勤めている市原綾子さん、市原武琉さん親子が迎えに出てくれていた。今日の中山道歩きにお付き合いしてくれるとのこと心強い。
〇迎えに来てくれていた小池正志さんの車で、4月にスキップした長久保宿の大和橋まで連れて行ってもらい、そこから市原親子と歩き始める。大和橋には萱津公子さんも車で来てくれていて、お二人は和田峠に向かい、小池さんの車を和田峠に停め、小池さんは萱津さんの車に同乗して、和田宿を歩いている我々一行に合流するという段取りである。
〇長野県民歌「信濃の国」の歌詞に謳われてい4つの平の一つ、佐久平は秋晴れで、歩くのには少し暑いくらいである4月の時に社会福祉法人木曽社会福祉事業協会の田上理事長から頂いた木曽ヒノキの笠を被り歩き始める。
〇和田宿は羽田孜元総理の出身地であり、お墓もある。羽田家は、日本の地域福祉に関わる人脈の一つである。

(註)羽田孜さんの父親は、松田甚次郎の本を出版した羽田書店の社長・経営者で、後に衆議院議員を務めた羽田武嗣朗氏である。
松田甚次郎は、宮沢賢治の教え子で、宮沢賢治の考えを実践したと言われる山形県稲舟村鳥越(現新庄市)に農村隣保館を建設(1933年)し、その実践を『土に叫ぶ』(初版1938(昭13)年)、『続 土に叫ぶ』(初版1942(昭和17)年)として上梓する。その出版社が羽田書店であった。
松田甚次郎の実践は、戦後の地域福祉の戦前的遺産の一つであると言われている。

〇和田宿を歩きながら、市原武琉さんとは“人生如何に生きるか”、“自分探し”とはどういうものか等話しながら歩く。市原武琉さんは、通信制の大学の1年生だということなので、時間を有効に使って本を読み、各地を歩く喜びと大切さについて話をする。お母さんの市原綾子さんも、青森県浅虫温泉の出身なのに各地を歩いて自分探しをしたのだから、武琉さんも国内外を歩いて見分を広めた方がいいという話をしながらの道中であった。
〇途中、「杉の屋」で昼食休憩。かつ丼ともり蕎麦半分を注文するも、かつ丼のボリュウムがあり、全てを食べられず。
〇和田峠の上り口に就き、車はどこに停めたのと聞くと峠に停めたとのこと。私は、4月に登り口から峠を越えて下諏訪まで歩いているので、萱津さんの車に小池さんが乗り、峠に停めてある小池さんの車を取りに行ってもらった。
〇和田峠の上り口で、萱津さんとはお別れをして塩尻に向かう。萱津さんがいなかったら、この交通不便な和田宿を歩けなかったし、和田峠口から木曽谷への移動も困難であった。萱津さんに心から感謝とお礼を申し上げたい。
〇長野市へ帰るという市原親子を塩尻駅で降ろし、一路木曽谷に向かう。木曽谷の宿泊所・寝覚めのホテルには4時40分に着く。ひと風呂浴びて、碁を打っていると懇親会の関係者からの呼び出し。碁は打掛にして懇親会場に向かう。
〇懇親会場の坂下家に着くと、木曽谷の町村社会福祉協議会の事務局長たちと長野県社会福祉協議会の面々が顔を揃えていた(木曽郡の大桑村の社会福祉協議会の事務局長のみ欠席)。参加者は、王滝村社協の中島素道事務局長、木曽町社協の鈴村謙司事務局長、上松町社協の武居秀臣事務局長、木祖村社協の永島博之事務局長、南木曽町社協の麻生正道事務局長に加え、社会福祉法人木曽社会福祉事業協会田上昭彦理事長、鈴木正信事務局長、更に長野県社会福祉協議会まちづくりボランティアセンター林部多美子さん、須野原一彌さん、青柳與昌さん、地元のかけはしプロジェクトのメンバーの杉村信子さんで、小池正志さんと私を加えて13人の盛大な懇親会になった。
〇懇親が始まる前に、今年の8月1日~2日に、愛媛県宇和島市で行われた第23回四国地域福祉実践セミナーで報告された高知県佐川町NPO法人元気村の実践と徳島県美馬市のNPO法人こやだいらの地域住民限定のNPO法人による地域支え合い活動(移送サービス、生活支援サービス等)の実践をスライドで見てもらい、木曽谷でも同じような取り組みをする必要性を説明した。
〇懇親会がたけなわの頃、隣室で行われていた懇親会に出席していた村田広司上松町長が顔を見せてくれ、木曽谷の地域福祉の今後について少し話をした。ほぼ、同一の見解をお持ちの様で、いろいろご協力頂きたいとお願いをした。
〇ホテルに戻り、打掛の碁を再開、この碁は勝ったものの、その後も含め3日間で2勝2敗の打ち分けとなった。

(10月14日午前、雨、須原宿~野尻宿、7キロ、1万2千歩)

〇朝から雨の中、車で野尻駅まで行き、8時21分の電車に乗り、須原駅にて下車。須原駅には、今日同行する木曽谷の王滝村、木祖村、上松町の社協局長の他に、工業デザイナ-で木曽町に移住してきた下木修一郎夫妻、10年間地域おこし協力隊で活動し、現在は王滝村社会福祉協議会で「プロジェクトかけはし」の事務局を担っている倉橋孝四郎さん、上松町社協の尾崎陽子さん、木祖村社協の湯川壮公さん、杉村信子さんも待っていてくれ、小池正志さん、私を含めて総勢11人の中山道歩きである。
〇大桑村須原宿在住の杉村信子さんがガイドを兼ねて先導してくれ、歩き始める。
〇途中、木祖村社会福祉協議会の永島局長に木材のことを聞くと、現在切り出している木材は戦後初期に植林した80年ものだという。カラ松の板を中に、木目のきれいな杉板を表面に加工した合板が売れているということでした。
〇臨済宗妙心寺派の定勝寺の大きな伽藍や奇麗な庭園も案内してもらう。
〇途中、大桑村社協の事務所が近くにあるというので、表敬訪問した。丁度、社協会長が出勤日とかでご挨拶をした。大桑村社協の隣には、社協経営のデイサービスセンターがあり、利用定員30名のところ、現在登録者は80名で稼働しているとのことでした。
〇大桑村の道の駅で小休憩を取り、丸い団子の五平餅を皆で頂いた。胡桃みそ味の美味しい五平餅だった。私は、この大桑村から下伊那の飯田市に抜ける大平峠で、草鞋型の五平餅を食べ、とても美味しかった記憶があるせいか、なにか団子の五平餅には違和感がある。4月に食べた馬籠宿での五平餅も団子だった。
〇野尻宿は、木曽11宿の中でも奈良井宿についで街並みが長い宿場だったということであるが、大火で面影はない。それでも、外敵を防ぐために「七曲り」という地形は実感できた。
〇野尻宿で杉村さん、尾崎さん、下木夫人、小池さんを除いた他の人とは別れる。杉村さんの先導で、妻籠宿のはずれの蕎麦やに向かい昼食を摂る。
〇昼食後、大妻籠まで送って貰い、下木夫人、尾崎さん、私の3人で馬籠宿目指して中山道を歩く。杉村さんと小池さんは、車を馬籠峠に移動し、そこから我々に合流するという段取りである。

(10月14日午後、曇り、大妻龍~馬龍宿、6・5キロ、1万歩)

〇大妻籠から旧中山道に入り、昔ながらの石畳などを歩く。すれ違う人は外国からのインバウンドの方ばかり。
〇途中、一石栃白木改場所跡のところに出る。木曽地方は平地がなく、田んぼがないので、年貢米の変わりに、「木年貢」という制度があり、かつ住民にはコメが支給されたという。それだけ、木曽の木材は重宝されていたので、木曽五木(ヒノキ、サワラ、アスナロ、コウヤマキコウ、ネズコ)という木材が無断で搬出されないよう「白木改め場」があったという。この改め場所は後に落合宿に移されたようであるが、妻籠宿から馬籠宿に抜ける途中にその跡地があった。
〇その跡地の傍に、熊の捕獲用の罠が設置されており、熊の出没があることがわかった。旧中山道のところどころに鐘が設置されていて、道行く人が鳴らせるようになっていたが、それはどうも“飾り”ではなく、本当にクマ除けの鐘だったようである。
〇馬籠峠は標高790メートルで、この峠以降は馬籠宿に向かって下り坂である。
〇馬籠峠で杉村信子さん、下木夫人、尾崎さんと別れ、小池さんが車を停めてあるという馬籠宿の駐車場に向かう。歩いてすぐという話であったが、どうしてどうして結構山を下ることになる。4時前に車を止めてある馬籠宿の入り口の駐車場に着く。それから一路土岐市へむかう。
〇中央高速道路のスマートインターチェンジの神坂インターから乗るといいと杉村信子さんに教えられていたとの事だが、カーナビは下道を案内し、結局中央高速道路には中津川 インターから乗ることになった。それでも、土岐市のルートイン土岐に5時過ぎに着き、ひと風呂浴びて着替えをすることができた。ルートイン土岐には、長野県社会福祉協議会まちづくりボランティアセンター所長・長峰夏樹さんが電車で駆けつけてくれていた。長峰所長は、翌日木曽社会福祉事業協会の田上理事長と相談があるとのことで参加してくれた。
〇岐阜県の関係者との懇談会は、土岐駅近くの「美濃寿司」に設定されていた。中部学院大学の人間福祉学部長、通信教育部長の飯尾良英先生がホテルまで迎えに来てくれて会場に行く。飯尾良英先生とは先生が岐阜県社会福祉協議会に勤めていた時代からの付き合いであるが、それでもお会いするのは30年振りくらいであろうか。
〇懇親会場には、元中部学院大学の阪野貢先生、現教員の宮嶋淳先生(日本社会事業大学大学院で高橋重宏先生の下で学位取得)、同じく佐甲学先生(元全社協民生部長)と田村禎章先生(東海学院大学講師、阪野貢先生の教え子)の計8名の懇親であった。阪野貢先生とはメールでのやりとりは頻繁にあるが、先生曰く、会うのは10年振りだという。また、宮嶋先生と会うのも20年振りくらいで、本当に懐かしい顔ぶれとの懇親になった。とても美味しい料理でお酒も進み、あっという間に時間が過ぎてしまった。

(10月15日、快晴、馬籠宿~中津川宿、10キロ、1万7千歩)

〇朝、7時に食事を摂り、出発までの時間小池さんと囲碁を打つ。
〇朝8時30分にホテルを出発。今度は中央高速道路の神坂スマートインターで降りることができ、馬籠宿の妻籠宿よりの入り口に9時20分過ぎに着く。そこで降ろしてもらい、一人歩き始める。
〇馬籠宿は4月の時には足が痛かったけど、2度と来られないかもしれないと無理して歩いた宿場である。明治時代に大火にあっているので、妻籠宿のような風情はない。それでも藤村記念館を覗いたり、外敵を守る枡形の地形を見たりして馬籠宿を抜ける。
〇馬籠宿から落合宿までの旧中山道は、のどかな里山の道を歩いたり、十曲峠の杉林の中の石畳み道(約900メートル)を歩いたりと、昔の旅人が味わったであろう風情ある道の一人歩きを楽しんだ。道で出合う外国人も少なく、ゆったりと下り坂を歩く。
〇落合宿も大火にあったとのことであるが、大火後加賀藩から贈られた本陣の門は保存状態も良く残っていた(本陣そのものは修理中であった)。
落合宿からは国道を行くのかと考えていたが、旧中山道が良く保存されており、ところどころ国道で分断されていて分かりづらいところもあったが、中津川宿まで続いていた。
〇落合宿から中津川宿までは、下り坂だけかと思いきや、標高差60~70mはあるであろう丘があり、その丘の勾配がかなりきつい。その丘が3つくらいある。落合宿をかなり過ぎた急こう配の坂の途中で、地元の人に中津川宿までどのくらいですかと聞くと約25分もあれば行くだろうという。ところがあにはからんや約1時間かかった。
〇中津川宿には午後1時に着く。食事をするところを探すが、多くの飲食店が休みの日とかで閉まっている。ハンバーガーを食べさせるお店が開いていたので入ったが、客は外国人ばかり。照り焼きバーガーを食べた。美味しかったが高かった。
〇中津川駅1時50分の電車に乗り、塩尻駅、八王子駅、橋本駅経由で午後6時30分に無事帰宅する。

(おわりに)
〇今回の3日間の歩きで、漸く日本橋から中津川宿まで繋がことができた。中山道530キロのうち、約330キロを歩いたことになる。残りは、約200キロで、一日15キロのペースで歩いたとして、約14日間で歩ける計算である。
〇自宅近くの毎日の散歩で1万歩、約7キロを歩いていることを考えれば、例え15キロほどのリュックを背負っていたとしても15キロの行程は無理なく歩けそうである。要は、旧中山道が整備されているかどうか、また適当なところにホテルがあるかどうかが問題である。できれば、体調を整えて、来春4月には京三条大橋まで歩きたいものである。
(2026年10月18日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(阪野貢、市民福祉教育研究所で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。
阪野貢先生のブログには、「大橋謙策の福祉教育論」というコーナーがあり、その「アーカイブ(1)著書」の中に、阪野貢先生が編集された「大橋謙策の電子書籍」があります。この書籍(大橋謙策研究第1巻~第10巻)は、ブログのフロントページ、右サイドバーの下段にも表示されています。 大橋謙策のメールアドレスは、 <o.kensak@outlook.jp> です。







阪野 貢/AIの外側に目を凝らす―生成AI時代の「まちづくりと市民福祉教育」への一視点―

〇生成AIの利活用は、教育・研究のさまざまな場面やプロセスにおいて急速に拡大しており、もはや課題は「使うか否か」だけでなく、「どのように組み込むか」へと移行していると言われる。具体的には、学校教育の制度設計というマクロな水準から、文献探索や論文執筆といった研究の中核をなすミクロな水準に至るまで、生成AIはさまざまな形で組み込まれつつある。この現状は、AIの利活用が一部の先進的な利用者にとどまる特殊な事象ではなく、教育・研究という営みのあり方そのものを問い直す、大きな転換点に差しかかっていることを示している。
〇今から10年ほど前、プロ棋士とAIの対決が話題となったことを思い出す。現在では、AIは棋士と対決する存在にとどまらず、棋力の向上を支える「研究パートナー」としても活用されているという。こうした変化には、まさに隔世の感がある。
〇また、仙台大学のAI教育研究チームが2025年3月に実施した全国調査によると、2025年の生成AI利用率は、学生全体で54.5%、大学生・大学院生では66.6%、教員では32.3%であった。学生は主に課題やレポートの作成、情報収集、翻訳に、教員は教材や授業資料の作成などに生成AIを利用している。こうした利用状況を踏まえ、生成AIを「学びを深める道具」として位置づけ、学習者がその出力を検証しながら活用できる環境を整備することの重要性が指摘されている。
〇筆者(阪野)自身、年齢的にも、またこれまでの教育・研究の経験からしても、生成AIにはなかなか馴染みにくいものがある。そんななかで、地元新聞の2026年9月26日朝刊の「文化」欄に掲載されていた、現象学者・村上靖彦の「AIの外側に目を凝らす」という記事が目に留まった。その内容の趣旨は、次のようなものである。

・AIは、膨大なデータをもとに、統計的に多く見られるパターンを提示する。しかし、一人ひとりの人間が生きてきた歴史や文脈には、統計的な傾向だけでは捉えきれない個別性や独自性がある。AIが示すこの限界は、逆説的に、人間の個別性を浮き彫りにする。

・出所者(刑務所を出た人)や生活困窮者など、社会から排除され、インターネットやスマートフォンの利用自体が困難な人々がいる。こうした人々の経験や思考は、そもそもデータ化され、蓄積される情報のなかに十分に反映されていない場合がある。すなわち、AIが利用するデータは、その収集や蓄積の過程において、社会的に優位な立場にある人々(「強者」)の経験や価値観を相対的に反映しやすく、社会的に排除されやすい人々の経験が十分に反映されないという問題を抱えている。

・AIは、統計的な推論によって、確度の高い選択肢や回答を提示する。その背後には、データに基づく統計的な処理やアルゴリズム(作業手順)がある。AIは強力なツールである一方、統計的な推論だけでは捉えきれない人間の個別の真実や矛盾が、その外側に残されることになる。

〇そして、村上はいう。「AIに聞けばすべてがわかるかのように思える時代だからこそ、AIの外側があるのではないかと目を凝らす」必要がある。「学ぶとはAIを活用する力であるだけでなく、そうした外側への視力を磨く訓練でもあろう。人間にはAIから排除された経験を探る力と、AIに頼らないことで見える世界がある」。この指摘は、「まちづくりと市民福祉教育」のあり方を探究するうえで、重要な視点を提示している。それは、AIの外側にある人々の経験や声を大切にするとともに、それらに真摯に向き合い、そこから学ぼうとする実践家や研究者自身の姿勢を問い直す視点である。
〇そのためには、「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究において、AIの活用を否定するのではなく、AIによる分析や推論には限界があり、既存のデータだけでは十分に捉えられない領域があることを自覚する必要がある。とりわけ、地域で暮らす人々の経験や声は、既存のデータだけでは十分に捉えきれないことがある。そのうえで、実際に地域に足を運び、地域住民と出会い、対話を重ね、ともに考え、行動する関係を築くことが求められる。
〇地域住民との関わりや共働は、「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究の基盤である。データには表れにくい生活の実相や、そこに潜む矛盾、葛藤、願いは、住民との対話や共働を重ねるなかで、少しずつ理解を深めていくことができる。また、そうした関わりを通して、実践家や研究者自身も、既存の知識や先入観を問い直し、地域の現実から学び続けることができる。
〇「AIの外側に目を凝らす」とは、まさに、「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究において、AIでは十分に捉えきれない人々の経験や地域の現実に目を向け、地域・住民との関わりのなかで学び続けることにほかならない。こうした学びの積み重ねが、地域・住民のあり方を問い直し、共働による「まちづくり」を構想し、実践していくことにつながるのである。

寺谷篤志/『「創発コミュニティ」の未来-智頭物語―』

From Grassroots to Algorithms: The Next Evolution of Community

From Grassroots to Algorithms: The Next Evolution of Community

Tales of Chizu
40 Years of Community Building: Practices & AI Analysis
Edited by Atsushi Teratani
How Whispers and Awareness Empower Communities.
40 Years of Community-Building in Practice and AI-Powered Analysis
I. Purpose of Compiling This Work in Five Volumes
An Emergence System Born Not from Genius, but from “Dialogue: Whispers & Realizations”
2. From a Mountain Village to an Urban Condominium
3. A Connection Between Chance and Necessity That Comes Full Circle After More Than 30 Years
II. A Review of Community-Building in Chizu Town and Condominium Self-Governance in Kyoto
What These Two Experiences Have Taught Us
① The Essence of the Problem Is the Same in a Depopulated Mountain Village and a Crowded Urban Condominium
② The “Environmental Attraction” of a Dialogue Space — the Kaya — Rather Than the Will of a Genius
③ The System Is Simple: Practical Benefits and Well-Being Can Emerge at the Same Time
The Human Model That Embodies Social Bonds and Networks
[Final Message from the AI Analysis]
Professor Sugiman’s Message
III. Trusting in the Power of Concepts and Images
IV. “From Doubt at Age 40 to Conviction at Age 78”
1. “Rounding” the Essence and Truth of Humanity — The Power of the Circle That Turned Doubt into Conviction
2. Establishing “Human Beings and Self-Governance” as a Temple — The Resolve to Live Through Community Self-Governance
3. Beyond the Doubts of Age 40: The “Seikai” at Age 78
Author and Editor Atsushi Teratani
Books and Publications

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阪野 貢/苫野一徳著『教育の力』再読:「自由の相互承認」と「学びの個別化・協同化・プロジェクト化」を考える ―苫野一徳著『教育の力』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、教育哲学者である苫野一徳(とまのいっとく)の『教育の力』(講談社現代新書、2014年3月。以下[1])がある。[1]は、「平等か競争か」「ゆとりか教え込みか」「教育は子どものためか社会のためか」といった二項対立的な、不毛な教育論争を乗り越え、より「よい」教育の本質とその実現方法――各人の<自由>および社会における<自由の相互承認>の実質化を達成するための「教育」のあり方を提示する。苫野にあっては、「すべての子どもたちに<自由の相互承認>の感度を育むことを土台に、<自由>になれるための<教養=力能>を育むこと」(239ページ)。そして、より「よい」社会を形成していくための力を育てること、これが教育の「本質」である。
〇本稿では、[1]のなかから、苫野の言説を構成するいくつかの鍵概念をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

<自由>と<自由の相互承認>
わたしたち人間は、「生きたいように生きたい」という欲望、つまり<自由>への欲望を持っている。わたしたちは、自分が<自由>になるためには、他者もまた<自由>を求めているのだということを、お互いに承認し合う必要がある。これを<自由の相互承認>の原理という。(17、20ページ)/すなわち、<自由>とは、自らが<自由>に生きるためにこそ、他者の<自由>もまた承認する必要があるのだということを、徹底的に自覚するところにある。<自由の相互承認>を十分に自覚した上で、自らができるだけ生きたいように生きられること、これが<自由>の本質、<自由>に生きるということの本質である。(22ページ)

公教育と<教養=力能>
公教育は、すべての人びとが<自由>に生きるために必要な“力”、つまり<教養=力能>を育むことで、各人の<自由>を実質的に保障するものである。(23ページ)/すなわち、公教育とは、「各人の<自由>および社会における<自由の相互承認>の、<教養=力能>を通した実質化」。つまり公教育は、すべての子ども(人びと)に、<自由>に生きるための“力”を育むことを保障するものであると同時に、社会における<自由の相互承認>の土台となるべきものである。(24~25ページ)

教育政策と<一般福祉>
教育政策は、ある一部の人(子ども)たちだけの<自由>を促進し、そのことで他の人(子ども)たちの<自由>を侵害するものであってはならず、すべての人の<自由>を促進している時にのみ「正当」といえる。これが<一般福祉>の原理である。(31ページ)/(つまり、どんな教育政策も、一部の子ども(人)の自由だけを伸ばし、他の子どもの自由を犠牲にするものであれば正当化できない。すべての子どもの自由を促進する政策のみを「よい」とする判断基準・視座を<一般福祉>という。――引用者注)

知識基盤社会と「学力=学ぶ力」
現代は、モノの大量生産・大量交換が主流の産業社会から移行した、知識・情報・サービスが中心の、「知識基盤社会」である。(49~50ページ)/現代社会において求められる「学力」は、決められた細かな知識を忍耐強く“覚え込む力”よりは、必要に応じて必要な知識・情報を十全に自らのものとしていける「学び続ける力」である。(53~54ページ)/すなわち、現代の公教育が育成すべき「学力」の本質は、「学ぶ力」であり、「自ら学び続ける力」である。(58、61ページ)

「学びの個別化」と「学びの協同化」と「学びのプロジェクト化」
より「よい」学びのためには、学びの「個別化」と「協同化」と「プロジェクト化」の融合を図ることが必要である。(72ページ)/「学びの個別化」とは、一律的な学びではなく、自分の必要や興味・関心に基づいて自らのテーマを設定し、それぞれのペースで進める「自学自習」の学びをいう。「学びの協同化」とは、多様な子ども(他者)との対話や協働、教師陣の連携・協同による、相互の「学び合い」の学びをいう。「プロジェクト化」とは、自らの学習欲求や自らが設定した課題について、自ら思考し課題を探究・解決していく学びをいう。(85、93、113~116、122、125ページ)/学びのあり方・方法について、今、求められるのは、画一的・一斉型の学びから、「個別化」「協同化」「プロジェクト化」を基軸とした、これらの融合型としての学びへの転換である。(129ページ)

〇以上を要するに、苫野の『教育の力』は、<自由>と<自由の相互承認>を教育の根本理念に据え、その実質化のために<教養=力能>、とりわけ「学び続ける力」をすべての子どもに保障し、その具体的な学びのあり方として「個別化・協同化・プロジェクト化」の融合を構想したもの、である。
〇この(1)<自由>と<自由の相互承認>、(2)<一般福祉>、(3)<教養=力能>としての「学び続ける力」、(4)学びの「個別化・協同化・プロジェクト化」の融合、という一連の枠組みは、学校教育の理論であると同時に、住民が互いの<自由>を承認し合いながら共働的に「まちづくり」を進めるための、「市民福祉教育」の哲学としても読み替えることができる。苫野の教育論を学校の外へと拡張することは、「まち」そのものを、住民が学び合いながら自由に、生きたいように生きるための共存・共生の「場」として創り上げていくという、「まちづくりと市民福祉教育」の根本理念を哲学的に基礎づける試みとなり得る、といってよい。子ども・青年と高齢者、旧住民と新住民、事業者と生活者――それぞれの自由がぶつかり合う場だからこそ、<自由の相互承認>という感度が、「まちづくり<」の根本的な前提条件として求められる、のである。
〇こうした視座に立つとき、公教育の<教養=力能>論は、学校の枠を超えて「市民福祉教育」として読み替えることができる。すなわち「市民福祉教育」とは、すべての住民に<自由の相互承認>の感度を育むことを土台に、地域で他者と共に<自由>に生きるための力――福祉的リテラシーや合意形成の力、地域課題を学び続ける力などを育む営みとして定義し直せる。それは単に福祉の知識を伝達する教育ではなく、住民が互いの「生」のあり方を承認し合いながら、「まちづくり」を進めるための力を育む教育である。
〇学びのあり方についての言説も、「まちづくり」の実践に対応する。学びの個別化は、動員される参加ではなく、住民一人ひとりが自らの生活実態や関心から出発して地域に関わることに対応する。学びの協同化は、異なる世代・立場の住民同士、あるいは行政・社協・NPO・専門職との対話と協働(共働)による「学び合い」に対応し、地域包括ケアにおける多職種連携や多世代交流拠点はその実践の場そのものである。学びのプロジェクト化は、高齢化や孤立、空き家、防災といった地域課題を、住民自身が当事者として設定し、自ら探究し解決していく過程に対応する。すなわち、苫野が学校教育のために構想した学びの融合モデルは、その基本的な考え方を、住民主体の「まちづくり」の設計原理として読み替えることができる。
〇さらに、知識基盤社会論が示す「学び続ける力」という視座も重要である。地域が直面する課題は、住民それぞれに多様に現象化し、時代とともに変化し続ける問いである。従って、「まち」に求められているのも、住民自身が多角的に学び続け、地域を絶えず更新していく自己更新力に他ならない。
〇ただし、これらの「読み替え」には、筆者自身への問いとして留保しておくべき点がある。第1に、学校と地域社会とでは「強制性」の性質が異なり、この差を無視して転用してよいか。第2に、学校には教師という明確な権威・専門性を備えた主体が存在し、「協同化」はその教師陣の連携を含むものとして構想されているが、「まちづくり」において教師に相当する主体は誰なのか。第3に、学校教育には「学力」という(相対的に)共有された評価基準があるが、「まちづくり」における「成果」は何をもって測るのか。第4に、地域社会は学校のクラスのような同質的な年齢集団ではなく、世代・立場・利害の大きく異なる住民の集合であり、<自由の相互承認>は現実の利害対立にどこまで実効性を持つのか。これらに留意したい。

阪野 貢/大橋謙策著『そのときの出逢いが』を読んで―「民俗としての地域福祉」、その水脈と鉱脈―

〇筆者(阪野)が大橋謙策先生に、「私が出会った人―このこと、あのこと―」というタイトルの玉稿のご執筆をお願いしたのは、2025年5月11日付のメールである。その約4か月後の9月7日に、『「そのときの出逢いが」―私の生き方、考え方に影響を与えた人との出逢い―』(以下「本稿」)という玉稿を拝受した。早速、それを『大橋謙策研究/第10巻』としてアップさせていただくことにした。
〇今回の投稿で、ひとまずの「区切り」にしたい旨のご連絡をいただいたことから、改めて本稿を読み返してみた。読み進めながら筆者の脳裏に浮かんだのは、「水脈」と「鉱脈」という2つの比喩である。それは、かつて「岡村重夫の薫陶を受けた人々の幅広いつながりとその頂に位置する岡村社会福祉学の崇(たか)さ」(古川孝順)を比喩した「岡村山脈」とは、いささか異質のものである。地中を縦横に流れ、各地を潤しながら繋がり、広がっていく「水脈」としての人的ネットワークの豊かさ。そして、その流れの下に静かに、しかし確かに横たわり続けた、「社会教育と社会福祉」を貫く学際的な理論と実践の「鉱脈」。この2つが表裏一体となって、「大橋謙策」という一人の研究者・実践家の地域福祉論、「実践的研究」を形づくってきた様(さま)が、本稿から立体的に浮かび上がってくる。

1 水脈としての出逢い―全国に張り巡らされた実践のネットワーク―
〇本稿を貫く最大の特徴は、重複を除いても300〜350人程度の人物、150〜180か所程度の地域が登場するという、その数の多さである。そこには、全国各地の隅々にまで及ぶ、大橋先生の「関係人口」としての足跡が描かれている。注目すべきは、これらが単発の講演や研修における一時的な関わりではなく、多くが数年、時には40年にも及ぶ「バッテリー型研究」として継続されている点である。すなわち、島根県瑞穂町(現・邑南町)をはじめ、富山県氷見市、香川県琴平町などにおける実践や実践家との「出逢い」が、単なる人脈形成に留まらず、理論構築の現場的検証や新たな理論的課題・仮説の探索の場となっている。
〇また、大橋先生が関係人口として地域に関わる際、単に外部者として制度や施策を持ち込むのではなく、その地域固有の歴史や文化、住民の生活実態などを丹念に読み解き、民俗学が取り扱うような事象を丁寧に掘り起こし、分析の俎上に載せてこられた点も見逃せない。これは、上述の岡村が理念的ではあったものの、1976年に論じた「民俗としての福祉」( ⇨ 本文 )の実践的展開と言えよう。この地域理解の作法こそが、「バッテリー型研究」を単なる長期的な地域関与にとどめず、地域に根ざした理論構築たらしめている所以である。
〇同時に印象的なのは、恩師の小川利夫をはじめ、三浦文夫らとの協働、そして和田敏明らの畏友たちとの生涯にわたる交友である。それは、単なる縦の師弟関係でも、横の同僚関係でもない、時代を超えて人が人と関わり、それがまた新たな実践の場を生み出していく――この連鎖こそが「水脈」の名にふさわしい。相田みつをの「出逢い、そして感動……感動が人間を動かし、出逢いが人間を変えてゆく」という言葉が、本稿全体の通奏低音として響いている。

2 鉱脈としての学際研究―「社会教育と社会福祉」を貫く理論の一貫性―
〇もうひとつの読みどころは、こうした広範な水脈の下に、一貫して掘り進められてきた理論的な「鉱脈」の存在である。大橋先生の研究の出発点は、1960年代に芽生えた「社会教育と社会福祉の学際研究」という問題意識であった。この問題意識は、朝日訴訟と関わるなかでの、憲法第13条(幸福追求権)と第25条(生存権)の関係をめぐる若き日の発言に始まり、それが生涯を通じて一貫して深められていく。
〇福祉教育論、ボランティア論、地域福祉計画論、コミュニティソーシャルワーク論、ケアリングコミュニティ論、災害支援ソーシャルワーク論――これらは決して相互に切り離された研究テーマではない。いずれも「福祉でまちづくり」(「福祉はまちづくり」)という根底の思想を共有し、「求め」と「必要」を見極めながら地域社会の「合意」を形成していく、重層的な地域福祉論の展開として位置づけられる。また、「社会福祉プロパーの研究ではない」と酷評されながらも、日本地域福祉学会や日本福祉教育・ボランティア学習学会の創設、日本学術会議での「統合科学としての社会福祉学」の提起へと結実していく過程は、周辺から中心を切り拓いていく学問形成のダイナミズムそのものである。さらに、「自立と連帯の社会・地域づくり」をめざす「ボランティア活動の構造図」(1980年)の根底には「思想」(「博愛の精神」)が据えられているが、それは大橋先生の諸言説に通底する学際研究の原点をなすものでもある。
〇加えて、山梨県茅野市の保健福祉サービスセンターが後の地域包括支援センターのモデルとされたように、各地の先進的な制度的取り組みや地域現場における実践家らの「職人芸」的実践を、全国的なシステムとして昇華させていく手法は、大橋先生が常に強調される「研究と実践の往還」の理念そのものである。それは、鉱脈を掘り当てただけでなく、それを精錬し、社会全体に還元していく大橋先生の姿勢を象徴するものである。

3 水脈と鉱脈の往還―「民俗としての地域福祉」の実践・研究の流儀―
〇本稿を読んで改めて痛感したのは、「水脈」と「鉱脈」が決して別物ではなく、互いに浸透し合っている点である。全国各地の「出逢い」がなければ、理論は単なる抽象論に終わっていたであろう。逆に、一貫した学際的な理論的視座がなければ、無数の「出逢い」は単なる交遊録に終わっていたであろう。大橋先生自身が、1979年度から全社協が始めた「地域福祉活動指導員養成課程」での出逢いがなければ、「筆者の地域福祉研究は、空疎な、抽象的なものになっていたことは紛れもない」と率直に述べている通りである。
〇大橋先生は、80歳を超えてもなお、全国の社協や被災現場などへ東奔西走し続けている。「押しかけアドバイザー」「提案型コンサルタント」として、でもある。こうした主体的・積極的な姿勢は、地域福祉実践・研究における「関係人口」概念のひとつの体現でもある。同時にそれは、現場とどう向き合い続けるべきかという、地域福祉の研究者や実践家への厳しい問いかけでもある。
〇水脈は広く浅く流れるだけでは涸れてしまう。鉱脈は深く掘るだけでは地表に届かない。大橋先生が「民俗としての地域福祉」の実践・研究において、「水脈」と「鉱脈」の2つを絶えず往還し続けてきたところにこそ、その独自性と重みがある。
〇本稿を読み終えたとき、そこに見えてくるのは、単なる人生の回顧録ではない。「大橋謙策地域福祉論の形成と発展」を物語る、ひとつの研究史であり、実践史である。改めて、大橋先生の「実践的研究」「バッテリー型研究」の重さと広がりを感じ入る次第である。

おわりに―今後への期待―
〇なお、本稿は、戦後日本の地域福祉実践・研究史を知る一次資料として極めて高い資料的価値を持つ。しかし、それをどのように読解するかということについて、筆者の読解は、大橋先生への深い敬意が先立つあまり、賛辞に傾き、先生の実践・研究を無批判に肯定する論調になっている。そう評されることは承知している。
〇事実、本稿を丹念に読み返せば、実のところ「うまくいかなかった」という記述も随所に見出すことができる。「ふれあいのまちづくり事業の活動成果は、はかばかしくなかった」、「老人保健福祉計画の評価研究について、体系的な研究成果は打ち出せなかった」といった一節がそれである。こうした率直な自己言及が随所に挟み込まれていること自体、本稿の誠実さを示すものであろう。
〇大橋先生には、もしご負担でなければ、今後機会があれば、こうした不本意な結果に終わった経験について、いま一歩踏み込んだ分析をしていただければ幸いである。また、本稿に登場する数々の事項についても、外部資料や関係者・第三者の証言と照らし合わせながら、その歴史的背景や経緯をより重層的に跡づけていく作業が、今後求められよう。そうした地道な検証の積み重ねによってこそ、本稿の一次資料としての価値は、より確かな、揺るぎないものになっていくと考える。その意味で、本稿はまだ終わっていない――われわれにとって、ここから始まるのである。

老爺心お節介情報/第91号(2026年9月23日)

「老爺心お節介情報」第91号

〇皆さんお変わりありませんか。酷暑ともいえる夏が終わったら、秋雨前線の影響で晴れる間もなく9月が過ぎようとしています。
〇昨年は、金木犀の香りが漂うのが10月10日頃で異常気象かと思いましたが、今年は長雨のせいか、我が家の金木犀は9月20日には香りが漂い始めました。通常なら、金木犀が10月1日前後に咲いた後、銀木犀が1週間後に咲くのに、今年は同時に咲いています。やはり異常気象なのでしょうか。
〇9月は、各地のCSW研修と重層的支援体制整備事業の研修とで、秋田、佐賀、秋田、山形、岩手と飛び回っています。
〇秋田では、高速道路を使って北秋田市の鷹ノ巣から秋田へ戻る途中、線状降水帯の猛烈な雨に出逢い、“一寸先も見えない猛烈な雨”の中、高速道路を走らざるを得ず、交通事故に遭うのではないかとひやひやしながら身を委ねました。
〇山形・鶴岡市での研修では、実家が鶴岡の妻を帯同し、これが最後かもしれないねと言いながら、実家の墓参り、義兄の墓参り、義姉の墓参りを済ませ、鶴岡に在住している甥、姪を集めて楽しい懇談の機会を設けることができました。体の弱った妻は杖を突きながらの故郷への帰省の旅でしたが、“楽しかった、楽しかった”と喜んでくれました。

Ⅰ 2026年度社会福祉協議会活動全国会議で、筆者が「関係人口」として関わる二つの社会福祉協議会の活動が紹介されたーー山形県鶴岡市、長野県王滝村

 (鶴岡市の地域福祉を巡って)

〇鶴岡市は、2005年の平成の合併で1市5町村が合併し、人口14万3千人、東北地方で最も面積が広い市になった。
〇2026年現在では、人口は11万3千人で、人口減少率は20年間で20%減である。旧町村単位の地域によっては、人口減少率が40%を超えている。高齢化率は37・5%、一人暮らし高齢者数は5531人である。鶴岡市には35の社会福祉法人がある。
〇2026年9月8日に行われた2026年度社会福祉協議会活動全国会議で、鶴岡市社会福祉協議会生活支援課長の今野良一さんが、「都市部と人口減少地域が共存する地域における社協活動の展開」と題して、全体シンポジウムで報告された。
〇その報告には立ち会っていないが、シンポジウムで報告した内容の資料をメールで送って頂いて見た。その報告内容は、筆者が2026年3月に鶴岡で行った研修で問題提起させて頂いた内容とほぼ同じである。
〇それは、鶴岡市の地域福祉計画も鶴岡市社会福祉協議会の地域福祉活動計画も、鶴岡市全域での計画になっているが、これからは全市的計画と同時に、地域包括支援センター圏域ごと(11か所)の状況を踏まえて、圏域毎の計画を作成しないと「2040年問題」に対応できないという提言であった。
〇合併前の旧鶴岡市街地での住民の社会生活課題と合併前の旧町村の住民の社会生活課題の現れ方は量的にも、質的にも違いがあるので、それを反映させた解決の方向を示す計画にしないと駄目だという提起である。
〇今回、9月17日に行った研修では、市内に35ある社会福祉法人の地域貢献がこれからは重要になるし、「2040年問題」に向けての社会福祉法人の経営問題が深刻になることを提起したが、既にその兆候が表れていることが今回の研修で明らかになった。
〇筆者は、今回の研修で、第1に、都市部と人口減少地域が共存する鶴岡市にあっては、地域属性が違うので地域包括支援センター圏域ごとのデータに基づいて、きめ細かく圏域ごとの課題を整理する必要があること、第2には、旧町村地域ではできているワンストップサービスを、同じように旧市街でもワンストップ相談システムを構築できるかどうか、社協の力量が問われていること、第3には、旧市街の地域包括支援センターは社会福祉協議会だけが委託を受けているのではなく、施設社会福祉法人も委託をうけているので、それらの地域包括支援センターが全世代対応型の相談支援システムに転換できるかどうかということ、第4には、鶴岡市社会福祉協議会自体が特別養護老人ホームや障害者の施設の経営を行っており、その状況の中で、35ある社会福祉法人をまとめ、そのプラットホーム構築の役割を担い、社会福祉法人の地域貢献活動のリーダーシップを取れるかが今後の鶴岡市社会福祉協議会の大きな課題であると提起した。

(長野県木曽郡王滝村社会福祉協議会と木曽谷の持続可能な地域福祉を巡って)

〇2026年9月8日に行われた2026年度社会福祉協議会活動全国会議の全体シンポジウムに登壇した3つの社会福祉協議会の内、2つの社会福祉協議会に筆者は「関係人口」として関わっている。王滝村社会福祉協議会がその一つである。
〇長野県木曽郡王滝村をはじめとする木曽郡6町村は合わせても人口が2万3千人に届かない。2040年には人口が28%減少すると予測されている。
〇その中でも王滝村は人口631人、高齢化率71・4%で、如何に持続可能な地域福祉を推進できるのか、その課題は王滝村そのものが存続できるのかという課題と一体である。
〇長野県はこのような人口が2千人前後の小規模町村が数多くあり、県政の大きな課題の一つになっているし、長野県社会福祉協議会自体の課題でもある(人口3000人以下16村、県全体の市町村の21%、人口5000人以下の町村29町村、県全体の38%)。
〇長野県社会福祉協議会は、山間部の孤立化地域を抱える長野県内の小規模自治体において地域を支える人材確保の問題や福祉サービス提供の地域格差も生じていることから、2022年8月より開催したオンライン情報交換会を母体に、2025年4月に、『信州むらから福祉ネットワーク (略称) U‐2000 村ふくネット』を立ち上げた。
〇筆者は、その『U―2000村ふくネット』の準備会の取り組みやその前段で取り組まれた長野市中条地区(旧中条村、元長野県社会福祉協議会事務局長の小池正志氏の生誕地)の活性化プロジェクトから関わりを持ってきた。
〇中条地区プロジェクトは長野市への合併に伴い、社協事務局組織も長野市中央に統合一元されたことにより、周辺地域の地域力が大幅に減退する中で、中条地区を再度活性化させようとの旧中条村社会福祉協議会の黒岩秀美さんたちが取り組んでいる活動である。
〇2026年度社会福祉協議会活動全国会議で王滝村社会福祉協議会事務局長の中嶋素道さんが報告された内容は、これらの活動の延長上に位置づけられた活動の一端の報告である。
〇中嶋素道さんは、「木曽地域における連携と協働による持続可能な地域の基盤づくり」と題して報告したが、その報告要旨は「 木曽地域では、人口減少や少子高齢化の進行に伴い、医療・介護人材の不足、公共交通の縮小、買い物支援、地域文化の継承など、住民の暮らしを支える基盤の維持が大きな課題となっている。2020 年から2050 年にかけて地域人口は約49%減少すると推計されており、全国の中山間地域に共通する課題が顕在化している地域でもある。こうした状況に危機感を抱いた社会福祉協議会、社会福祉法人、NPO 法人等は、地域や分野の枠を超えた連携の必要性を共有し、新たな協働の仕組みづくりに取り組むこととなった。 住民主体の支え合い活動を支援する「地域支え合い会員」の創設や、町村社協役職員研修、人口2,000人未満の自治体社協による「U2000 情報交換会」などを通じて、地域内外のネットワークづくりを進めてきた。その積み重ねを基盤として、令和5 年12 月から関係団体による協議を重ね、令和7 年10 月より「みんなの木曽『Ⅹ(かけはし)』プロジェクト」を始動した。本プロジェクトは、人と人とのつながりを軸に、多機関・他分野協働による新たな連携の仕組みを構築し、機関や地域の垣根を超えた持続可能な地域づくりを推進するものである。平時からの多様なつながりを災害時にも生かしながら、木曽地域の未来を支える基盤づくりに取り組んでいる」という内容であった。
〇中嶋素道さんたちが取り組んでいる『X(かけはし)』は、「かけ算(×)」で、 困難を乗り越え、持続可能な地域づくりの未来へ続く「かけはし」を創造! すると言う思いで命名された。
〇そのために、①、「多様な団体や機関との協働」、②、町村の枠組みを超えた協働」、③、「行政と地域の協働」(福祉事業の連携体制づくり、「新たな協働」)、④、ひとが繋がり、共生による地域づくり――ⅰ)「福祉の心を育む」地域づくり(福祉教育、包摂できる地域づくり)、ⅱ)「多世代交流」、ⅲ)「障がい者が主役」の地域づくり、ⅳ)「移住者と地域の協働」、ⅴ)「身寄りがなくても安心」して暮らせる地域づくり、⑤、「みんなの拠点づくり」(地域の拠り所、居場所づくり) 、⑥、「地域の文化の継承」、「多文化共生」、⑦、「地域間交流」の促進 ⑧、地域で支える「こどもたちの未来」、⑨、持続可能で、元気な地域づくりを目指している。
〇その活動の理念は、「地域」は、「日本のこころ(文化)」のルーツであり、「小地域」をたいせつに守る取り組みは「効率化」では守られない。日本の豊かな『文化』を守り、育む取り組みを推進することである。
〇長野県木曽谷の『X(かけはし)』の実践は容易ではない。木曽郡にある特別養護老人ホームは松本・塩尻・木曽郡の広域組合立であり、介護保険は木曽郡6町村の広域組合という状況の中で、町村社会福祉協議会は各々の町村からの補助金に多くを委ね、経営されている状況の中で、各種の経営問題も含めて木曽谷の地域福祉を持続可能なシステムに改編できるか、大きな試練が立ちはだかっている。『X(かけはし)』には、それを乗り越えるエネルギーと活動が期待されている。その活動を心から応援し、その思いが実現することを心より祈念したい。
〇と同時に、それは今後の日本全国の縮図を先取した取り組みであり、その実現を考え、支援することは日本地域福祉学会としても、地域福祉研究を標榜する研究者にも課せられた課題である。
(2026年9月21日記)

Ⅱ 「その時の出逢いが」―2020年代

『「そのときの出逢いが」――私の生き方、考え方に影響を与えた人との出逢い』⑫

1 2020年代

(はじめに)

〇2020年3月に楽しい東北福祉大学大学院での研究指導を終え、退職した。
〇と同時に、1970年に東京大学大学院教育研究科修士課程を修了し、女子栄養大学に助手として採用され、大学教員生活が始まるが、それも50年間の大学教員生活を閉じることになった。
〇“使える研究者”になれるのであろうか、社会的に評価される研究者になれるのだろうか、恩師の小川利夫先生の教えを実現できるのだろうか“と日々悩み、家族にも迷惑を懸けながらの実践的研究にまい進した50年の日々が走馬灯のように蘇ってくる。
〇筆者の大学教員としての評価、「地域福祉と社会教育の学際的研究者」としての評価は関係の方々に委ねるしかないが、自分自身としては“もがき、苦しみ、葛藤”した日々であったが、いい大学教員生活、いい研究生活を送れたと感謝の念で一杯である。
〇家庭的には、ある日、“長女が我が家は母子家庭なの”と妻に言ったことを聞かされ、家庭生活を顧みない自分の研究生活を押し通せるか悩みはしたが、今となっては妻も、家族も“いい人生を送りましたね”と言ってくれているのが、何よりも嬉しいご褒美だと思っている。
〇筆者は、大学教員50年を祝うために、第3回の「四国歩き通しお遍路」に2020年4月に出発する。しかしながら、2019年から世界的に流行し始めた新型コロナ(COVID―19)のパンデミックで、途中、37番札所・高知県岩本寺で断念せざるを得ず、帰宅することになった。残された札所巡りは2021年4月に継続して、無事大窪寺で結願した。
〇筆者は、2023年10月26日に80歳を迎えた。後期高齢者は5歳ごとに体力が落ち、病気がちになると教えられて来たが、まさにその通りで80歳を迎える前(79歳時)の2022年3月14日に前立腺がんが発見された。この危機を乗り越えるのに足掛け4年掛かることになった。
〇それを乗り越えた2026年以降は、70歳代と同じように活発に活動できるようになり、全国各地のCSW研修で東奔西走する日々である。

➀ 第3回四国歩きお遍路・新型コロナ・「老爺心お節介情報」の発刊と中山道よろよろへとへと道中記

〇先に述べた通り、2020年4月2日、第3回四国歩きお遍路に出発した。前日の4月1日に(公財)テクノエイド協会の辞令交付を行い、幹部会を開催して、後を託して出発した。

遍路発ち ミツバツツジが 咲き誇る
見送りに 佇む妻や 沈丁花

〇歩きお遍路は、弘法大師と同行二人なので、一人で歩きながら、来し方を振り返り、自然との共生を楽しむ孤独な思索の時である。
〇これがとてもよく、歩き進めるほどに、自分の世俗の垢が取れ、五感の感覚も鋭くなっていくのが実感できる。バスや車で、ツアーを組んでの札所巡りには、この“贅沢な時間と空間”と“思索の時間”は確保されない。歩きながら、様々な事柄に思い巡らせる思索の時間は何物にも代えられない贅沢な喜びである。体は疲れるが、感覚は研ぎ澄まされていく。「お四国病」と言われるお遍路の魅力はこのことに尽きていると思っている。
〇今回のお遍路でも当然同行二人なので、一人で歩いていくのだけれど、いつからか自分の前後を歩く鹿児島の人と長崎の人とほぼ同じペースで歩き、挙句の果てに泊まる宿がいつも一緒になる。いつの間にか、親しく声を掛け合うようになり、宿では一緒に夕飯を食べ、お酒を飲むようになった。鹿児島の方は私より、一歳年上であるが、普段山歩きをしているとかで健脚である。弥次喜多道中よろしく、二人とは前になったり、後ろになったりと35番札所の清滝寺までは一緒だった。しかしながら、新型コロナの影響で、お遍路宿がほとんど閉まり、札所もお遍路さんを受け入れないとなり、お二人は出直すということで別れた。
〇私は行けるとこまで行こうと思って歩き続けたが、37番所札所で打ち止めをすることになった。それというのも、県外者立ち入り禁止の通達が出ているとのことで、岩本寺の先は進めなくなり、岩本寺から引き返すことになった。
〇予讃線窪川駅から高知駅経由、岡山駅経由で新幹線で帰途に就く。駅の売店も閉まっているところが多く、人との出逢い、接触を拒否する新型コロナの恐ろしさを改めて痛感する。
〇新型コロナが猛威を振るう中、本当に人との出逢い、交流がなくなり、閉塞・蟄居の状態となってしまった。これでは駄目だと思い、「老爺心お節介情報」を関係者に送りつけることにした。
〇「老爺心お節介情報」は、2020年5月20日に第1号が発刊された。約100名の関係者に私が勝手に、“老婆心”ではなく、“老爺心”からお節介情報を送ることにした。その評価は分からないが、2026年9月現在、90号まで発刊し続けている。
〇「老爺心お節介情報」の発刊の趣旨を第1号では以下のように述べている。

「私は、この3月で東北福祉大学大学院を退職しました。少し閑になるので、時々皆さんに一方的に、私が見て、読んで関心を持ち、皆さんと情報を共有しておいた方がいいと思われる情報を一方的に送ります。取捨選択して使ってください。
ただし、大学教員を辞めるということは、教育・研究上迫られて情報を集めるとか、その立場にいるから自然と情報が入ってくるとかということがなくなり、皆さんが職務上知り得ている以上には情報を把握していないかもしれません。まさに、私が知り得たレベルでの情報を独善的に取捨選択して、「お節介爺さん」として送り届けるものです」(2020年5月28日)

〇2020年4月の「歩きお遍路」は、結局、途中で打ち切らざるを得ない、いわゆる「区切り打ち」状況で終えたので、新型コロナが落ち着いたら岩本寺以降を歩き、結願したいと考えていた。
〇改めて、2021年4月2日から4月28日まで、岩本寺から歩き始めて、38番札所金剛福寺(足摺岬)から88番札所大窪寺まで27日掛けて歩くことができた。
〇「お四国病」に取り付かれたものの一人として、第4回目の四国歩きお遍路を目指していたが、後記するように前立腺がんが発見され、その治療に女性ホルモン療法を取り入れたせいか、足の筋力が落ち、踏ん張ることできなくなった。これでは、お遍路の“馬の背”と呼ばれる道を歩くことができず、“馬の背”から滑落して、遭難することも考えられるので、お遍路は諦めることにした。
〇その代わりと考えたのが中山道530キロを歩くことである。日本橋から京都3条大橋まで歩こうと考えて、2026年4月に挙行した。
〇しかしながら、初日から足裏にまめができ、日に日にそれが大きくなり、とうとう中山道の中間点を過ぎた木曽谷の妻籠宿でリタイアを余儀なくされた。
〇元長野県社会福祉協議会事務局長の小池正志さんはじめ、木曽谷の地域福祉を良くしようと頑張っている木曽郡内社会福祉協議会や社会福祉法人の方々がいろいろサポートしてくれたがリタイアせざるを得なかった。
〇年寄りの冷や水と言われるかもしれないが、2026年10月に、歩けなかった中山道の区間(長久保・大和橋~和田宿~和田峠登山口と馬籠宿~中津川宿)を歩き、できれば2027年4月に中山道・中津川宿から京都3条大橋までの残りを歩きたいと考えている。
〇「中山道よろよろへとへと道中記」は、阪野貢先生のブログに収録されているので関心のある方は御照覧ください。

➁ 79歳で前立腺がんの重粒子線治療

〇私は、70歳以降は職場の健康診断、あるいは任意の人間ドックも受診していない。その代わりと言ってはいけないのであろうが、痛風予防の服薬をしているので、その薬がなくなる際に、「かかりつけ医」で6か月ごとに血液検査をして、HbA1c,γ―GTP、血糖値、クレアチニン、コレステロールなどの検査を行っている。
〇2022年に入り、畏友の阪野貢先生の強い勧めがあったので、2022年3月に行った血液検査の際に、従来の項目に付け加えて前立腺がんの腫瘍マーカーの検査も入れてもらった。
〇前立腺がんの腫瘍マーカーは、70歳以上の人の正常基準値は4・0以下なのに、私の血液検査の結果は、15・4であった。かかりつけ医は、慶応大学系の稲城市民病院と自宅がある京王線若葉台駅の隣り駅にある日本医科大学を紹介し、すぐに受診して欲しいというという。
〇私は、日本医科大学を選択し、受診したら、やはり前立腺がんだという。改めて、MRI、CTスキャナー、骨シンチグラフィー検査、前立腺生検等の検査を受け、前立腺がんが確定した。幸い、前立腺以外へのがんの転移はなかった。
〇日本医科大学病院の医師の進めもあり、相鉄線の二俣川駅(自宅から1時間30分)にある神奈川県立がんセンターで重粒子線治療を受けることになった。
〇神奈川県立がんセンターでも同じような検査を行い、高リスク群で、ステージⅡという前立腺がんの診断が確定する。神奈川県立がんセンターでは、女性ホルモン治療はおこなわないので、日本医科大学病院で治療を受けた後に重粒子線治療を行うことになった。
〇神奈川県立がんセンターでの重粒子線治療は、2023年2月下旬から3月に掛けて、12回の照射が行われた。神奈川県立がんセンターは、小田急線、相鉄線を乗り継いで、自宅から約1時間30分掛かるが、照射はたったの15分もかからない。12日間通って、12回分の照射を受けた。照射後は90日間酒を飲むなと言われ、結局約100日間禁酒をすることになった。
〇前立腺がんの治療には苦痛を感じなかったが、100日間の禁酒は日々さみしいものであった。第2回の古希記念の四国歩きお遍路の際には禁酒を誓い、40日間酒を飲まずに通した。結願後の徳島での結願祝いの席でビールを飲んだが、まったく美味しくなく、早々に宴席を退出させて頂いた。しかしながら、前立腺がん治療に伴う禁酒期間100日後の解禁のビールはとても美味しかった。いまだその違いがどこからきているのか分からずにいる。
〇前立腺がんの治療後は女性ホルモン治療の影響で筋力が落ちると言われたが、まさにそれを実感する日々が続いた。医師に、女性ホルモンの影響だけでなく、80歳にもなれば、20代の人の筋力の3分の1になるのだから筋力が落ちて当たり前ですと言われたが、足に力が入らず、坂道は辛かった。意識して歩いて筋力の復活を試みてみたものの、回復は未だ道半ばである。
〇そんなこともあり、2025年7月からは、駅近くのスポーツジムに週1回は通い、ペダル踏み、ランニング、11種類のマシーンを使っての筋トレに励んでいる。筋力の増強には届かないものの、筋力維持にはつながっているのではないかと自分では思っている。特に背筋のトレーニングをしているせいか、姿勢がいいですねと言われることが多くなった。

➂ 寄稿した小稿――大学教員・研究者から後代の研究者・実践者へのメッセージ

〇大学の教員を辞めると原稿を書く機会が減少する。かつては、原稿が書けなくて呻吟したことが懐かしく思い出されるほど、原稿を書かなければという強迫観念から開放された。
〇また、大学の教員としての論文では、先行研究を踏まえて自分の論説を書くことが求められ、先行研究などの文献引用が厳しく求められていたが、退職後は自分の言葉で、できるだけ平易に文章を書けるように心掛けた。これも故小川利夫先生の教えで、年老いてからは自分の言葉で、平易に書くようにと言われてきたことを実行したことである。
〇第1の寄稿の機会は、日本社会事業大学専門職大学院教授であり、在宅医療を重視して認知症高齢者等の内科の診療所「つるかめ診療所」を開業している鶴岡浩樹先生からの依頼である。
〇鶴岡浩樹先生が、開業している医者向けに、社会福祉、ソーシャルワークのことを理解してもらう機会を作りたいということで、日本社会事業大学の現役の先生方を中心に、日本医事新報社から「福祉発。拝啓、お医者さま」という連載の企画を立てられ、筆者にも寄稿して欲しいということで書いたのが、「地域共生社会をめざすーケアリングコミュニティの形成」という小稿である(註 巻末資料・本号では省略)。
〇第2の寄稿は、筆者が、(公財)テクノエイド協会の理事長に就任したことにより、従来の社会福祉学会とは違う人々との出逢い、交流が始まるが、その一人が「シルバー産業新聞」を月刊で発行している株式会社シルバー産業新聞の社長をされている安田勝紀さんである。
〇ある時、安田社長から「シルバー産業新聞」に、“自立生活支援とケアマネジメント”という内容で寄稿して欲しいという依頼をうけたので、できれば12回の連載をさせて欲しいとお願いをした。その連載記事のタイトル一覧が以下の通りである。

「地域共生社会に向けた実践―自立生活支援とケアマネジメントの考え方」
第1回 「戦後第3の節目」としての地域共生社会政策とその求められる背景」(2012年1月10日号)
第2回 「救貧的福祉サービスからその人らしさの生活を支えるサービスへ」(2021年2月10日号)
第3回 「ナラティブ(人生の物語)を大切にする自立支援」(2021年3月10日号)
第4回 「求めと必要と合意に基づく支援」(2021年4月10日号)
第5回 「家族・地域の介護力、養育力の脆弱化とソーシャルサポートネットワークの必要性」(2021年5月10日号)
第6回 「国際生活機能分類(ICF)と自立生活支援」(2021年6月10日号)
第7回 「地域包括ケアの歴史的展開と地域社会生活支援」(2021年7月10日号)
第8回 「地域福祉に必要なシステムづくりと地域包括支援センターの原型」(2021年8月10日号)
第9回 「地域共生社会づくりに必要な新しい地域包括ケアシステムとコミュニティソーャルワーク」(2021年9月10日号)
第10回 「在宅福祉サービスと施設福祉サービスとの連結によるコミュニティケア」(2021年10月10日号)
第11回 「地域共生社会政策を推進する社会福祉法人の地域貢献」(2021年11月10日号)
第12回 「包括的・重層的支援と“上位計画”としての市町村地域福祉計画」(2021年12月10日号)

〇第3の寄稿は、日本社会福祉学会から、若手の研究者へのメッセージを寄稿して欲しいとのことで、2021年3月に「日本社会福祉学会ニュース第88号」に、「これからの社会福祉学に期待すること・社会福祉学研究方法と研究組織に関する小稿」を寄稿した。
〇そこでは、社会福祉学の性格は統合科学であり、哲学・価値に関わる部分、分析科学の部分、設計科学の部分、実践科学の部分、評価科学の部分から構成された構造を持っていること、研究組織論として、社会福祉学の教育・研究体制は多くの大学で講座制でなく、学科目制なので、それについての功罪を書いた。(註 巻末資料・本号では省略)
〇第4の寄稿は、日本社会福祉士会の機関紙「日本社会福祉士会ニュース200号」(2021年6月)に寄稿を頼まれ書いた。
〇タイトルは「これからの社会福祉士―地域共生社会政策と社会福祉士の役割」として書いた。
〇そこでは、①、社会福祉士は自らのアイデンティティをどこに乱しているのであろうか?②、社会福祉士が使用する用語と無意識のうちのパターナリズム及び救貧的社会福祉観、③、専門職団体としての社会福祉士集団の政策提言能力―社会的評価と個々人の力量、④、地域共生社会政策の具現化を左右するのは社会福祉士集団であるということを書かせて頂いた。(註 巻末資料・本号では省略)

➃ 書籍の刊行――研究者としての理論の集大成と地域福祉実践の体系化の支援

〇2022年4月に中央法規出版から『地域福祉とは何か』を出版した。
〇この本は、2020年3月に東北福祉大学大学院の仕事も終えた時、日本地域福祉研究所が編集発刊している雑誌『コミュニティソーシャルワーク』の編集長である田中英樹先生から、「地域福祉とは何か」を書いて欲しいと依頼され、雑誌『コミュニティソーシャルワーク』第26号(2020年)、第27号(2021年)に連載した。
〇それを基に、加筆修正して、2022年4月に中央法規から『地域福祉とは何か』として上梓した。慌ただしく発行したこともあり、索引が無く、二木立先生からお叱りを受けた。索引が掲載されたのは、第3刷りを発行する2025年3月である。
〇この本の出版で、私の地域福祉実践・研究の集大成ができたと思っている。1960年代から、「社会教育と地域福祉の学際研究」をしてきたが、その折々のエピソードも含めて『地域福祉とは何か』に収録できたので、満足感は大きかった。
〇ただ、裏付ける資料や文献をいちいち当たることができず執筆したので、誤りや年代の違い等あるのかもしれないが、それは後進のチェックに委ねることにして、一応「大橋謙策地域福祉理論の形成と発展」の下になる原型はできたと思っている。
〇その上で、この「その時の出逢いが」が『地域福祉とは何かを』を補完する資料になると思っている。
〇この他、筆者がアドバイザーを委嘱されたり、「関係人口」として長年関わり、「押しかけアドバイザー」的役割を果たしてきた富山県氷見市の地域福祉実践、宮崎県都城市の地域福祉実践を整理し、世に出すお手伝いをした。それが下記の本である。いずれも、筆者が監修するとともに、筆者自身もそれらの地域の地域福祉実践が社会的にみてどういう意義ある実践をしてきたかの解題的文章を載せている。
*『福来の挑戦―氷見市地域福祉実践40年のあゆみ』中央法規、2023年4月
*『自治公民館と社会福祉協議会が綾なす地域福祉実践-都城市社会福祉協議会の取り組み』ミネルヴァ書房、2026年7月
〇更には、新型感染症(SARZ)で、直前に中止になった2000年のアジア・太平洋ソーシャルワーク会議の開催準備を機に久しく厚誼が始まった、日本医療ソーシャルワーカー協会(MSW協会)の笹岡眞弓先生などと一緒にまとめた本がある。
〇宮城県石巻市での東日本大震災の被災者支援を日本医療ソーシャルワーカー協会(MSW協会)が石巻市の現地に支援事務所を構え、職員を常駐させ、10年間支援してきた1047ケースを分析する手伝いをすることになり、私も石巻市に足掛け3年通った。
〇その研究成果、報告書(下記)が、復興局から助成を頂き出版することができた。その本はその後中央法規から刊行・販売されている。
〇その報告書の監修を行うと同時に、筆者自身も「災害支援ソーシャルワーク」についての文章を書いている。
〇この本を同志社大学の立木茂雄先生(災害支援の在り方を社会学、社会福祉学の視点から研究し、多くの論文を書いている)から、“災害被災者支援における金字塔的業績”ではないかと過分のお褒めを頂いた。
*『東日本大震災被災者への10年間のソーシャルワーク支援―公益財団法人日本医療ソーシャルワーカー協会の相談支援1047ケースの実践報告』中央法規、2024年1月
〇災害支援ソーシャルワークの在り方は、先の号でも書いてきたが、2012年の厚生労働省の調査研究会以降、頓にその必要性と考え方を提唱してきた。
〇2024年1月1日に起きた能登半島地震・集中豪雨被災支援においても珠洲市、輪島市、穴水町を中心に調査させて頂き、石川県社会福祉協議会主催の被災者支援の振り返りのシンポジウムでも提案させて頂いた。また、石川県社会福祉協議会の能登半島地震・集中豪雨被災支援の報告書にも書かせて頂いた。
〇そのような中で、JVOADが穴水町の行政と社会福祉協議会との間で3者協定を結び、新たな災害被災支援の実践システムともいえる方法を確立してくれているので、その実践システムを広く世に問うという意味合いで、本として出版することにした。この本でも、筆者は監修の役割と同時に、「穴水モデル」ともいえる実践システムの意義と位置について小稿を書いている。
*『災害被災者支援の新たな実践システム・穴水モデル』ミネルヴァ書房、2027年刊行予定
〇同じように、全国の都道府県社会福祉協議会レベルで初めてのアドバイザーの役割を担った香川県社会福祉協議会の足掛け13年の足跡とそれに基づく香川県内市町社会福祉協議会の実践をまとめることを提案し、その本でも監修者と同時にアドバイザーとしてどのような思いでアドバイス、コンサルテーションをしてきたのかの小稿を書いている。これも下記のような形で上梓する予定である。
*『ニーズ対応型社会福祉協議会の実践・香川モデル』ミネルヴァ書房、2027年刊行予定

➄ 大学教員としての責務からの解放――傘寿に「大橋ゼミ50周年ホームカミングデー」(2023年10月28日・最終回)を開催

〇「大橋ゼミホームカミングデー」は平田富太郎学長に言われ、始めたイベントである。
〇2023年は大橋ゼミ50周年の節目の年で、「大橋ゼミホームカミングデー」を2023年10月26日の私が傘寿の誕生日を考えて行うことにした。いつも使用している東京・市ヶ谷の私学会館アルカディア市ヶ谷きで開催した。
〇この日は、2度目の帯状疱疹が目と頭に発症し、目を冷やしながらの催しであった。
〇この「大橋ゼミ50周年ホームカミングデー」で以下のような挨拶文を冊子に掲載した。
〇「大橋ゼミホームカミングデー」は、卒業生と会える楽しい日ではあるが、一方、大学教員として卒業生へのリカレント教育の一環としての意味も持っており、5年毎とはいえ結構緊張する日でもあった。
〇そんな思いを綴ったのが以下の挨拶文である。これで、大学教員としての責務から解放されるという思いと、卒業生と会う機会が少なくなるという一抹の寂しさがよぎった。

「大橋ゼミ50周年ホームカミングデー」挨拶文
●1989年、日本社会事業大学に赴任してから、15年を記念して第1回のホーミカミングデーを開催しました。
このホームカミングデーは、故平田冨太郎学長の提言です。平田富太郎学長は、単科大学としての日本社会事業大学は卒業生を大切にして、リカレント教育の一環として、ホームカミングデーをゼミ毎に開催すべきと強く要望されました。
●それは、私が1974年、日本社会事業大学に赴任する際、五味百合子先生、仲村優一先生から言われたことと同じです。
日本社会事業大学の教員は、個人の研究もさることながら、学生指導、学生への教育を大切にしてほしい旨の訓示が度々されました。
私は教員の大学教員の教務分担として、新任教員は学生委員会に所属させられ、学生教育の重要性を学べと言われました。
●恩師である小川利夫先生からは、厚生省(当時)から委託を受けている日本社会事業大学の立ち位置を考えたら、“単なる大学教員”に甘んじてはいけない。日本社会事業大学を代表して、日本社会福祉学会などで評価される研究者になれと諭されました。
●これらの教えを胸に、ある意味、家族を“犠牲”にして、日本社会事業大学で教育・研究に励んできました。
子どもたちは、父親と楽しい時間をどれだけ持つことができたのでしょうか、時には、学生の調査実習の際に、家族を連れて行き、家族は別行動してもらいながら、学生の調査実習の合宿指導を行いました。
家庭では妻に全てを任せ、妻に“明日は日曜日でしょ”と言われても、原稿書きがあるとか、文献を読まなくてはいけないからと言っては、家事もせず、子どもとの団らんの機会も多くは持てませんでした。
今となっては悔いは残りますが、私の研究、教育、実践に全面的に家族が協力してくれたお陰だと、妻と子どもに感謝の念で一杯です。心からお礼を伝えたいと思います。
●このような経緯があったからでしょうか、教員、研究者として日本社会事業大学の学長はもとより、日本社会福祉学会会長、日本学術会議会員、日本社会事業学校連盟会長をさせて頂きました。
結果として、日本社会事業大学の先生方からの教えに背くことなく、50年間の大学教員の責務を全うできました。
●研究者としての評価は後世に委ねなければなりませんが、研究業績を「著作集」として刊行するのではなく、ある意味、岡村重夫先生を見習った訳ではありませんが、大橋謙策理論の集大成ともいえる著作『地域福祉とは何かー哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク』を2022年4月に上梓できました。
●唯一ともいえる残された課題は、5年ごとに行ってきたホームカミングデーをいつ終結するかという課題です。
ホームカミングデーは単に、卒業生が集まり、懇親し、近況報告をするというものでは駄目で、ホームカミングデーはある意味リカレント教育の場でもあるので、教員が教え子に最先端の研究、理論、実践を自ら指し示す機会でなければならないと教えられました。
そのために、ホームカミングデーごとに、5年間の間に教員がどのような論文を書いたのか、どのような実践・研究をしたのかを卒業生に示し、卒業生の学びを促す機会でもなければならない儀式でもあります。
このことは、結構教員にとっては辛いタスクであり、儀式です。教員として、研究者として、“生きて”いなければ、“論文を書いて”いなければ、ホームカミングデーは単なる懇親の場になってしまいます。
大橋ゼミホームカミングデーの機会に、私が5年間書いた物の中から、数編を選んで資料集として冊子にし、参加者に配布すると同時に、この間お世話になった方々に配布してきたのも、研究者、教員として責務を果たしていますという“アリバイ証明”でもありました。
この作業は、結構辛いもので、論文を書ける時もあれば、書けない時もあります。コンスタントに実践し、研究し、論文にまとめるという作業はよほど意識して取り組んでいないと書けないものです。
政策や制度の解説的なものは、すぐ“時とともに色褪せて”しまうもので、5年経っても色褪せず、卒業生に読んでほしいというものを書き続けるということは、一つ一つの論文で、常に社会福祉実践、社会福祉理論における研究課題は何か、事象を分析する視点に従来にない鋭さがあるか、事象に流されずに、社会問題として構造的にとらえられているかなど、研究者、教員としての知見が常に問われることになります。まさに、教員、研究者として“生きているか”が問われることになります。
これらの作業をするためには、常に“アンテナを高く、広く張り”、情報収集に努め、何が社会福祉分野における理論課題なのかを考えていなければできない作業であります。
大学教員としての現役の時は、仕事がら必要な情報が“相手からもたらされる”という状況もありますが、国や自治体、あるいは各種団体の役職・委員を退任しているものにとって、これらの役職・委員就任で得られている情報を自らの手で、体系的に収集把握することは容易ではありません。
また、大学の教員、研究者として、各種学会での発表のオブリゲーションもなくなり、75歳以上で名誉会員に推挙されると、学会の理論研究をリードしようというモチベーションも下がり、研究範囲が狭隘になり、唯我独尊的になり、研究意欲も減退することになります。
●私は今年80歳になり、上記の役割を担うことができなくなってきています。5年毎のホームカミングデーをここで終結し、教員、研究者としてなすべきことの責務から開放され、一人の“老爺”として、気軽に、自分の思うところを発信したいと思うようになってきました。2020年から始めた「老爺心お節介情報」の発信はその一端です。
●ホームカミングデーは今回で8回目を迎えますが、この間のホームアカミングデーの開催にあたっては、多くの卒業生のご協力、ご支援があったから開催できました。
今回も、岡村英雄さん、田中裕美子さんはじめ多くのゼミの卒業生のご協力、ご支援を頂きました。すべての人の名前を記載できませんが、この紙上を借りて、ここに厚く感謝とお礼を申し上げます。
●私は、後2年、(公財)テクノエイド協会理事長、富山県福祉カエレッジ学長を担う予定ですが、研究者、大学教員としての責務は今回のホームカミングデーをもって終了とさせていただきます。
卒業生の皆様には、自立した、かつ自律した職業人として、日本社会事業大学の建学の精神を忘れることなく、仕事に励んで頂きたいと思います。
皆様のご健勝とご多幸を心より祈念しています。今日からは、教師、研究者ではなく、“年老いた恩師”として、末永く懇親、懇談できればと願っています。
(2023年9月1日記)

(「その時の出逢いが」の執筆を終えるに当たって)

〇人生にとって「その時の出逢いが」の最初は、母親であり、父親であろう。しかしながら、私には生後6か月余で死に別れた父親との「出逢い」の記憶は全くない。
〇1944年5月に父は徴兵されて出征した。後には30歳代そこそこの若い母親と5人の子供が残された。父は、1946年3月17日、抑留されたシベリアのチェレンホボという収容所で病死した。
〇私に残された父の思い出は、出征の際に撮った記念の家族写真だけである。生後6か月の母に抱かれた乳飲み子には思い出す父の面影はひとかけらも無ければ、夢にさえ出てこない存在である。
〇「靖国の母」となった母は、30歳代前半で、5人の子供を育てるのは容易ではなかった。それでも、我が家には、なぜか多くの人が出入りし、何かと母に相談を持ち掛けていた。傍目には、自分の家族が大変なのに、何で他人様の相談まで受けるのか不思議であった。
〇今にして思えば、時代のなせる業であったのだろうが、母は物質的には貧しかったが、精神的には豊かな人生を送っていたのだと思える。
〇筆者が結婚した1970年4月26日の朝、母は筆者を父の仏壇の前に座らせ、“人が出入りする家庭を創れ、お隣とお裾分けできる家庭を創れ”と訓示を垂れた。その時は、何を言っているのかと思ったが、これも今にして思えば大切な教えだったと胸に落ちる。
〇そんな母を支えてくれたのが2歳上の兄で、定時制高校に通いながら、家計を支えてくれた。
〇二人のお陰で、私は昼間の高校に通わせてもらい、大学も自分の志望通りに進学させてくれ、大学院まで進学する我がままを許してくれた。二人の支えがなければ、今の私はいない。二人には感謝あるのみである。
〇当時、イギリス等のヨーロッパに行くのには、アンカレッジ経由で飛んでいたが、ある時からシベリア上空を飛べるようになった。
〇1975年11月、ヨーロッパの調査研究の帰り、はじめてシベリア上空を飛んでくれた。その時、自然と口ずさむように浮かび、詠んだ短歌が以下の句である。

「父の死す 白きシベリア飛ぶ朝 思い乱れて涙こぼれる」
「垂乳根の 母に見せたし亡き父が 眠れるシベリアの朝」
「止めどなく 流るる涙口惜しく シベリアに果てし父を思えり」
「三十年の 昔に死せる父の胸に われの乳児の姿刻める哉」
「白き野に 凍えて死したる父親の 心はいかに妻子思いし」
「亡き父が 送りし軍事郵便の 古びてあれど涙に見たり」
「二人の乳児の親なれば 亡き父の悲しき心 いくばくか分からん」

〇傘寿も過ぎ、妻との金婚式も終え、この2026年8月には最後の家族旅行になるかもしれないと家族での北海道旅行もできた。
〇妻とは、毎日のように悔いのない、楽しい、嬉しい人生を送ることができたねと感謝の言葉が口に上る。いつ、“お迎えが来ても”悔いはないねと話をする日々である。
〇これからどのような人生、出逢いがあるのか分からないが、これからも「出逢い」を楽しみ、感動する人生を送りたいと願っている。
(2026年9月23日秋分の日に)

花房 愛/書評 (1) (2):阪野貢著『「まちづくりと市民福祉教育」の研究』

花房 愛/書評(1)
阪野貢著『「まちづくりと市民福祉教育」の研究』のひとつの功績
―主体的・自律的な市民が織りなす「まちづくり」の未来-

著者の阪野貢氏は、地域住民が自らの問題として地域の課題を捉え、他者と「共働」しながら解決を目指す「まちづくり」と「市民福祉教育」の融合を主張します。『「まちづくりと市民福祉教育」の研究』(⇨本編)は、従来の学校教育を中心とした「福祉教育」を、地域社会全体で展開される「市民福祉教育」へと拡張し、その理論的・実践的基盤を体系化した研究書です。

1. 「市民福祉教育」という独自概念の確立と体系化

従来の福祉教育は、学校教育における「心の教育」やボランティア学習、あるいは社会福祉協議会(社協)が主導する住民啓発といった、限定的な枠組みで語られることが多くありました。しかし著者は、これらを「市民福祉教育」というメタ概念へと再規定しました。

「市民福祉教育」としての再定位
単に「福祉(弱者支援や制度)について教える教育」ではなく、個人が「ただ人間であること」が持つ道徳的価値をお互いに認め合い、民主主義的な地域・社会を構成する一員(市民)として自律するための教育――「市民福祉教育」として位置づけました。福祉教育を、教育学や社会学、政治哲学が交差する「主体的市民形成の営み」へと捉え直した点が第1の功績です。

理論と実践の往還・融合
福祉教育の現場では「方法論(どうやって体験させるか)」ばかりが先行し、その本質に迫る哲学的・歴史的な理論研究が不足していました。本書は、緻密な思想モデルを構築しつつも、実際の制度や地域計画との架け橋となる実証的分析を展開し、「理論と実践の往還」を試みています。

2. 福祉教育の「思想的系譜」の歴史的解明

本書の功績のひとつは、福祉教育の歴史の起源を単に戦後のボランティア運動(例:1970年代の「学童・生徒のボランティア活動普及事業」など)に求めるのではなく、明治期まで遡及してその思想的系譜を明らかにした点にもあります。

明治後期の「地方改良運動」への着目
著者は、明治40年代以降の「地方改良運動」にみられる内務官僚・井上友一の「自治民育」活動や、教育現場における村田宇一郎の論考を精緻に分析しました。この時代に行われた敬老会活動や地区衛生組織化のプロセスには、住民同士の「体験、交流、共生」が含まれており、これらを日本における福祉教育のひとつの起源として位置づけています。

歴史の連続性の発見
国家主導の地域管理政策(地方改良運動)の側面を持ちながらも、その中から芽生えた「地域振興」や「自治の精神」が、現代の地域コミュニティに生きる市民の主体形成といかに通底しているかを考察しました。この歴史的・マクロ的な視座は、福祉教育研究に学問的厚みをもたらしています。

3. 変革の実践原理としての「循環モデル」の提示

本書が実務家(自治体職員、社協職員、NPO、地域活動家)や後進の研究者に参照されるであろう理由は、単なる抽象論にとどまらず、「まちづくりと自律的市民形成の循環モデル」を具体的な図表を用いて理論化した点にあります。

福祉による「まちづくり」の構造化
著者は、「市民福祉教育」がいかに計画化され、持続可能な地域コミュニティの基盤(まちづくり)として機能するかを実証的に解明しました。

【自律的市民形成とまちづくりの循環構造】

このモデルは、地域福祉計画やコミュニティ・ソーシャルワーク(CSW)の実践において、住民の「学び」がいかにして実際の「制度改革や地域変革」へ結びつくのかというメカニズムを可視化しました。

4. 哲学的・倫理的思考の導入

教育学や福祉学の議論で往々にして見落とされがちな「ケアの倫理」や「道徳哲学」を、まちづくりの議論へ取り入れたことも特徴的な点です。

「ただ人間であること」が持つ価値
能力主義や生産性至上主義が蔓延する現代社会に対し、著者は「人間がただ存在しているだけで尊い」という根源的な道徳的価値を提示します。市民福祉教育とは、他者の脆弱性(弱さや老い、障害)を認め合い、お互いを「自由で平等な個人」として尊重する民主主義の精神を、地域社会の中で日常的にトレーニングする場であると説きました。

文化的・芸術的視点からのアプローチ
単なる政策論や法制度論にとどまらず、地域の「福祉文化の創造」や芸術的感性が市民形成にもたらす影響についても言及しています。これにより、まちづくりが「義務」や「負担」から、住民自身の「生の豊かさ(QOL)」を高めるクリエイティブな活動へとアップデートされる理論的根拠が与えられました。

5. 現代社会への警鐘と「希望の書」としての二面性

本書の後半(特に最終章の第9章)では、少子高齢化、限界集落の増加、地域コミュニティの希薄化、そして自己責任論の台頭といった現代日本が直面する過酷な現実が描かれています。

限界を引き受ける覚悟
一見すると「絶望の書」とも読めるほど、厳しい現状分析がなされていますが、著者はその限界を直視した上で、「なお、そこからいかに反転して希望を見出すか」を問いかけます。

絶望から希望への反転
地域のつながりが崩壊しつつあるからこそ、逆説的に「市民福祉教育」を通じた自律的市民のネットワーク形成が、ポスト資本主義・ポスト近代における新しい「共生と自治」のセーフティネットを創り出すのだというメッセージが込められています。この「限界を引き受けて、なお立ち向かう」姿勢は、混迷を極める現代の福祉関係者・地域住民にとって、ひとつの指針となる役割を果たしています。

まとめ

阪野貢氏による『「まちづくりと市民福祉教育」の研究』は、「福祉教育を学校から地域・社会へ連れ出し、まちづくりの駆動エンジンとして再定義した」という点において、重要な足跡を記したと言えます。歴史的分析から導き出された論理、哲学的思考に裏打ちされた倫理観、そして実践現場で活用できる循環モデルの提示は、理論と実践が乖離しがちであった従来の学問の垣根を緩和する試みとなっています。誰もが排除されることなく、住み慣れた地域で豊かに暮らし続けられる社会(共生社会・福祉コミュニティ)をどう構築するかという問いに対し、本書は手堅く精緻な「実践原理の道しるベ」を示しています。

 

花房 愛/書評(2)
阪野貢著『「まちづくりと市民福祉教育」の研究』の評価と課題
―歴史研究・実践分析・理論構築をめぐって-

本書は、1980年前後から半世紀近くにわたり福祉教育研究に携わってこられた著者・阪野貢氏による、研究の集大成というべき労作です。全9章・3部構成、500ページを超えるかと思われるその分量もさることながら、明治後期の地方改良運動から令和のAI・デジタル社会論までを射程に収める歴史的スパンの広さ、そして歴史研究と実践分析と理論構築を三位一体のものとして統合しようとする方法論的アプローチにおいて、非常に力の入った一冊となっています。(⇨本編)

 1. 歴史研究としての価値――埋もれた実践史の発掘

第1部・第2部にあたる第1章から第5章は、これまで断片的にしか語られてこなかった福祉教育の「戦前史・戦後初期史」を丹念に掘り起こす、実証研究として評価できる部分です。

第1章では、内務省主導の地方改良運動における「自治民育」の実践に福祉教育の遡及的原点を見出すという仮説が提示されます。害虫駆除や老人慰藉会といった一次史料の丹念な紹介・解題を通じて、明治期の官製教化運動のなかに今日の福祉教育に通じる「側面や要素」を析出する手つきは説得的です。第2章の郷土教育運動論、第3章の生活綴方教育運動における国分一太郎「1936年論文」の翻刻・解題も同様に、埋もれた史料に光を当てる労を惜しみません。特に国分の「社会事業的教師」概念を、単なる技術論ではなく「教育の公共性の再定義」として位置づけ、無着成恭『山びこ学校』へと至る戦前・戦後の「思想的伏流」を仮説的に提示する筆致には、歴史研究を重視する著者の姿勢が窺えます。

第4章の徳島県・平岡国市による「子供民生委員」制度、第5章の神奈川県社会福祉研究普及校制度の検討も充実しています。とりわけ後者において、神奈川県の行政主導型モデルと鳥取県八頭郡社協の民間主導型モデルとを対比させ、福祉教育に内在する「統治と変革」の二重構造を浮かび上がらせる分析視角は的確です。福祉教育が「民主的な社会の形成者」の育成をめざしながら、同時に国家的秩序の再編に資する規律化の装置としても機能しうるという指摘は、本書全体を貫く批判的視座となっています。

2. 理論的架橋の試み――思想家たちの横断的接続

本書の特徴は、第3部(第6章以降)における理論的な整理にもあります。第6章では、玉野井芳郎の「地域主義」、田村明の「まちづくり」実践論、山崎亮の「コミュニティデザイン」技法、山下祐介の「地域学」という、時代も専門領域も異なる4人の言説を「思想・実践・技法・認識」という枠組みで横断的に接続し、「まちづくりと自律的市民形成の循環モデル」として構造化する試みがなされています。個別に論じられがちなこれら4つの潮流を、「コモンズ」という共通項でつなぎ、市民性教育の4つのプロセス(歴史の学び直し・自治の制度化・関係性の編み直し・批判的思考力の獲得)として統合する手際は鮮やかであり、まちづくり論の全体像を把握するうえで有益な貢献となっています。

第7章では、日本の福祉教育研究の泰斗・大橋謙策の理論を「福祉教育原理論」として再考し、その「社会福祉問題」「地域福祉の主体形成」「ケアリングコミュニティ」「博愛の精神」という鍵概念を丹念に読み解いています。そのうえで、原田正樹の「協同実践」「相互依存的自己実現」、そして著者自身の「まちづくりと市民福祉教育」概念、「協働」と「共働」の峻別といった独自の理論的発展を跡づけます。松岡広路による大橋批判(「未分化な学習者像」「批判的創造性の欠如」)を丁寧に紹介しつつ、大橋・原田・著者三者の理論的系譜を「歴史・哲学・原理」の階層構造として整理する第7章末尾の議論は、本書の理論的到達点のひとつといえるでしょう。

第8章では、狛江市社協の“あいとぴあカレッジ”という具体的事例に基づき、福祉教育の「計画化」プロセスを詳細に再構成しています。ボランティア活動推進委員会・企画小委員会・作業委員会という重層的な検討構造のなかで学習プログラムが練り上げられていく過程の記述は、単なる回顧録に留まらず、「See→Plan→Do→See」サイクルと「ヒト・モノ・カネ・シゴト」の4要素という汎用的な計画理論へと昇華されています。さらに終盤では、この1990年代のモデルをAI時代にどうアップデートするかという現代的課題にまで言及しており、著者の理論的関心の広さを窺わせます。

3. 現代的転回――「思いやり教育」批判の刃

最終第9章は、本書のなかでも課題提起が明確な部分です。従来の福祉教育が陥りがちであった、疑似体験・技術習得・訪問交流という3類型の「思いやり教育」を、支援する側の優越感を温存し、依存や弱さを否定する自立観を強化するものとして根本から問い直します。そのうえで、地域活動家・小松理虔の「共事者」概念(当事者でも部外者でもない「中途半端さ」を肯定する立場)と、牧師・奥田知志の「不可解性の受容」(理解しきれない他者と共に生きる思想)という同時代の実践思想を、いわば「教材」として理論に組み込んでいく手法は独創的です。

とりわけ「依存の権利化」という概念――熊谷晋一郎の「自立は依存先を増やすこと」という命題を、憲法13条・25条、障害者差別解消法の合理的配慮規定にまで接続し、依存を「市民の権利」として再定義する議論――は、本書全体を貫く問題提起の核心といってよいでしょう。「存在肯定→共働参加→相互依存→共生共創」という4段階モデルも、抽象論に終わらせず高齢者介護や地域福祉計画という具体的な政策文脈に落とし込んでおり、理論と実践の往還を志向する著者の姿勢が最後まで貫かれています。

4. 評価と課題

以上のように本書は、歴史研究の蓄積、理論構築の包括性、そして現代的課題への応答という三拍子が揃った、手堅い論文集であると言えます。特に、断片化しがちな福祉教育研究の諸潮流を「歴史・哲学・原理」という循環構造のもとに統合しようとする一貫した姿勢は、随所に示されています。

とはいえ、いくつかの課題も指摘しておきたいと思います。第一に、前半の実証的な史料分析と、後半の理論的・思弁的な議論との間には、方法論上のトーンの落差があります。後半になるにつれて著者自身の思想的立場が色濃く前面に出て、やや宣言的・啓蒙的な性格を帯びていく点は、読者によって評価が分かれるところでしょう。第二に、“あいとぴあカレッジ”という1990年代初頭の一事例をもとにした計画化モデルの一般化可能性については、著者自身も「今後の課題」として認めている通り、他地域における比較検証がなお必要です。第三に、AIやデジタル技術への言及は意欲的ですが、やや図式的・楽観的に処理されている印象も否めず、より批判的な検討の余地が残されています。

しかしこれらは、本書の持つ価値を損なうものではなく、むしろ今後の研究領域の広がりを示すものと捉えられます。福祉教育・地域福祉・生涯学習・まちづくり論・地域共生社会論に関心を持つ研究者、実践者、行政関係者、社会福祉士やソーシャルワーカーを志す学生にとって、本書は有用な参照点となるでしょう。「哲学なき実践は凶器であり、実践なき哲学は遊戯である」という言葉に象徴されるように、理念と現場を往還し続けようとするその姿勢にこそ、本書の持つ学術的意義があると言えます。

田村禎章/「学ぶこと」から、ふくし文化を考える―田村禎章の「ふくし文化論」(1)―

社会福祉の専門教育に携わって、まもなく20年になります。

振り返れば、浅学非才な私をここまで育ててくださった恩師や同僚の皆さん、そして何より、私の話を聞き、ともに考え、ともに活動してくれた学生・生徒の皆さん、地域住民の皆さんに、あらためて感謝しています。私自身も、人との出会いのなかで学び、育てられてきたのだと思います。

いま、私が研究のなかで考えているのが「主体形成」と「ウェルビーイング」です。

少し難しい言葉ですが、「主体形成」とは、自分で考え、人と関わりながら、自ら行動していく力を育てていくこと。そして「ウェルビーイング」は、単に健康である、幸せであるということだけではなく、人とのつながりや、自分らしく暮らしていけることも含めた「よりよく生きること」と私は捉えています。

この二つを考えるうえでも、「学ぶ」ということは欠かせないのではないかと思っています。

最近、久しぶりに外国人の方々への介護福祉教育に関わる機会をいただきました。介護の現場では、多くの外国人材が働くようになっています。一方で、その人たちが継続して学べる環境については、まだまだ考えていかなければならないことがあります。

そこであらためて感じているのが、「人に依存する教育」だけでは限界があるということです。

もちろん、人が人に教えること、人と人とが直接関わることは大切です。しかし、先生がいなければ学べないのではなく、オンラインやデジタルも活用しながら、自分の生活のなかで学び、仲間同士でも学び合える。日常そのものが学びの場になる。そんな仕組みを、これからもっと考えていく必要があるのではないでしょうか。

人が学ぶ。人が育つ。そして、その人が周りの人や地域に働きかけていく。

もしかすると、その小さな循環のなかに、「主体形成」も「ウェルビーイング」も、そして「市民福祉教育」のこれからを考えるヒントもあるのかもしれません。

このエッセイ、「ふくし文化論」では、そんな日常のなかにある小さな出来事や出会いを手がかりに、人が学ぶこと、人と人とがつながること、そして、ともによりよく生きることについて、私なりに考えていきたいと思います。

 

 

鳥居一頼/鳥居一頼の世語り―(1)2019年7月17日~(983)2022年3月15日―


鳥居一頼の世語り:アーカイブ(1)

―「心守る詩」を書き続けること―


壊れそうなもろい心/傷つき病んだ心/哀しくてやりきれない心/悩みと不安に揺れる心/おもいを断ち切ろうとする心/見下され虐げられた心/許しがたい憤りの心/人は人によって心に大きなダメージを負う/だから/不条理に立ち向い/理不尽にあらがい/逆境を跳ね返し/夢をあきらめない/そして/ひたむきに愛に生きる/そんな心模様を描きたい/せめて一時でも心を癒やし励ましたい/あなたの心を守る詩を贈りたい/非力な私の揺るがぬおもいです/鳥居一頼

Kazuyori Torii talks about the world ―Keep writing “heart-protecting poems”―

A heart that seems to break/A heart that is wounded and sick/A sad and intolerable heart/A heart swayed by worries and anxiety/A heart that tries to cut off regrets/A despised and oppressed heart/A heart unforgivably resented/Damaged most by others/So/Confront irrationality/Resist un-reasonability/Repel adversity/Never give up on a dream/And/Live in love earnestly/I want to manifest such a state of mind/I want to heal and encourage my heart at least for a while/I want to give you a poem that protects your heart/I’m powerless, but I have an unwavering feeling/Author Kazuyori Torii


メビウスの帯/Möbius  Strip

男は醒めた頭で メビウスの帯を想像した
5時間は 飲んだろうか/5時間の語らいは 十数年の時空を超えた/ただ 彼の体力の限界を超えていたのかもしれない/互いに気遣いながらも 過ぎゆく時間に身を任せた
周到な段取りをして 札幌に飛んできた/会いたいという強固な意志と 一筋気の行動に/ただただ 驚嘆と感謝 そして平伏するしかない/でも疲弊していた身体は 正直に弱さを見せていた
男は 紙片でつくったテープをひねった/同世代の二人の歩んだ道は 別々だった/交わることは 数度しかなかった/だからいま 互いの道が一本の軌跡になったことは/奇跡なのだ
大学をリタイヤしてから ずいぶん経ったある日/突然メールが来た/つてを頼って探し当て コンタクトを求めてきた/去る者追わず 来る者拒まず/男は そうして生きてきた/躊躇なく 受け止めた
男は 輪に人差し指を走らせた/一本になった軌跡を なぞった/この1年 矢継ぎ早に仕掛けてきた/男は 求められるまま ためらうこともなく 書いた/子ども 教育 学校 福祉 政治 などなど/手当たり次第に 思い浮かぶまま 書き綴った/地方紙で連載していたコラムの規制は 全くない/自由な思考と志向 そして嗜好/文字数の制限もなく こころのおもむくままに 書き綴った
彼は いま二人で発信しているこのブログを/共働だと 同席した若い大学人に語った/しかし 男には 一本筋の通ったポリシーはない/それを許容する 彼の熱い懐で/悠々こころを遊ばせ 甘露を味わう
男は メビウスの帯を机上に置いた/人生の晩期に 至福の時を共有する同伴者の/一日も早いご回復を ただひたすら祈った

〔鳥居一頼/2019年11月28日書き下ろし。2019年12月1日アップ。初冬の来札に深い感謝と尊敬を込めて綴る〕


【 ブックレット 】

本ブログに投稿・収録された原稿のいくつかを、ひとつのテーマのもとに編集したものです。編集の都合上、加筆・修正した部分を除き、基本的には原文のまま掲載しています。

(5)鳥居一頼著『めんこいしょ』/2021年5月30日/本文
(4)鳥居一頼著『子らよ すこやかに』/2020年7月15日/本文
(3)鳥居一頼著『現代政治ことわざ誤用集』/2020年6月5日/本文
(2)鳥居一頼著『子どもを詩う―まっすぐなまなざし―』/2019年10月1日/本文
(1)鳥居一頼著『ふくしを詩う―ほころびを繕う―』/2019年10月1日/本文


【提言・アピール】

(4)緊急アピール➃/鳥居一頼・市民福祉教育研究所:怒髪冠を衝く(どはつかんむりをつく)―政府の日本学術会議会員任命拒否に屈してはならない/2020年10月8日/本文
(3)緊急アピール➂/鳥居一頼:検察庁法改正案に強く抗議。法治国家を揺るがすこんな政権、絶対許さない!/2020年5月11日/本文
(2)緊急アピール➁/鳥居一頼:「緊急事態宣言」、その貧しい政治判断/2020年4月7日/本文
(1)緊急アピール➀/鳥居一頼:赤木俊夫氏の奥様の英断に感謝。子どもたちに正義と事実を伝えたい!/2020年3月23日/本文

 


鳥居一頼の世語り:アーカイブ(2)

―(912)2022年1月1日~(983)2022年3月15日―


(983)始動/2022年3月15日/本文
(982)皆殺し宣言/2022年3月12日/本文
(981)3・11と核施設への攻撃/2022年3月11日/本文
(980)国を捨て逃亡するロシア人/2022年3月10日/本文
(979)朝日新聞朝夕刊の1面の見出し/2022年3月9日/本文
(978)足りない足りない/2022年3月8日/本文
(977)財産を守れオルガルヒ/2022年3月7日/本文
(976)戦争犯罪人を裁く/2022年3月6日/本文
(975)公認テロ行為/2022年3月5日/本文
(974)反戦の声を/2022年3月4日/本文
(973)夢織りし子らに/2022年3月3日/本文
(972)子どもと生きる/2022年3月2日/本文
(971)地獄を見る者へ/2022年3月1日/本文
(970)プーチンの誤算/2022年2月28日/本文
(969)ロシアの母へ/2022年2月27日/本文
(968)前に進め!あずましプラン/2022年2月26日/本文
(967)戦争反対の声をあげよ!/2022年2月25日/本文
(966)ロシア侵攻作戦決行/2022年2月24日/本文
(965)渇きを癒す/2022年2月23日/本文
(964)空間創造/2022年2月22日/本文
(963)風吹き雪巻く/2022年2月21日/本文
(962)一刻者にはなれない/2022年2月20日/本文
(961)again/2022年2月19日/本文
(960)祝いのバラの花/2022年2月18日/本文
(959)帰郷/2022年2月17日/本文
(958)解を求めて/2022年2月16日/本文
(957)ひとりよがり/2022年02月15日/本文
(956)釧路行きのチケット/2022年2月14日/本文
(955)広瀬爽彩さんを悼む/2022年2月13日/本文
(954)平野歩夢の怒り/2022年2月12日/本文
(953)憎悪と報復/2022年2月11日/本文
(952)第3回接種券がやってきた/2022年2月10日/本文
(951)陽陽介護/2022年2月9日/本文
(950)ドカ雪と保線区員/2022年2月8日/本文
(949)解決できない/2022年2月7日/本文
(948)今冬一番のドカ雪の朝/2022年2月6日/本文
(947)「希求」の発刊は生涯の想い出/2022年2月5日/本文
(946)18歳の子ども食堂/2022年2月4日/本文
(945)なぜ先生に従うのですか/2022年2月3日/本文
(944)歯車を動かす/2022年2月2日/本文
(943)理非曲直の世界/2022年2月1日/本文
(942)転がり落ちるように/2022年1月31日/本文
(941)わかった!/2022年1月30日/本文
(940)ステルスオミクロン日本上陸/2022年1月29日/本文
(939)乱読はいい/2022年1月28日/本文
(938)そろばん道路とエッセンシャルワーカー/2022年1月27日/本文
(937)27日全道にまん延防止等重点措置発令/2022年1月26日/本文
(936)コクワ酒の実を取り出す/2022年1月25日/本文
(935)18歳の決断/2022年1月24日/本文
(934)札幌市は3日連続900人上回る/2022年1月23日/本文
(933)退任の挨拶文/2022年1月22日/本文
(932)会えたらいいですね/2022年1月21日/本文
(931)次代へと福祉をつなぐ人となる/2022年1月20日/本文
(930)食と募金/2022年1月19日/本文
(929)文章をいじる/2022年1月18日/本文
(928)役立たずの人材論/2022年1月17日/本文
(927)トンガ沖で海底火山大噴火/2022年1月16日/本文
(926)ボランティアコーディネーターの現在地/2022年1月15日/本文
(925)ボランティアの勘違い/2022年1月14日/本文
(924)生かされて生きよ/2022年1月13日/本文
(923)雪が舞い風が吹く/2022年1月12日/本文
(922)ことばはわたし/2022年1月11日/本文
(921)変化を求めず/2022年1月10日/本文
(920)体力の限界/2022年1月9日/本文
(919)相談される人の心の貧しさ/2022年1月8日/本文
(918)訃報に心揺れる/2022年1月7日/本文
(917)第六波がやってきた/2022年1月6日/本文
(916)いまを書き描く/2022年1月5日/本文
(915)不満を評価に/2022年1月4日/本文
(914)民意17年の重み/2022年1月3日/本文
(913)学生諸君へ生きるを問う/2022年1月2日/本文
(912)若き君を謳う/2022年1月1日/本文


鳥居一頼の世語り:アーカイブ(3)

―(541)2021年1月1日~(911)2021年12月31日―


(911)へこたれず前に/2021年12月31日/本文
(910)人はみなただ者にあらず/2021年12月30日/本文
(909)コンパスの会集まる/2021年12月29日/本文
(908)外出と歩数/2021年12月28日/本文
(907)七つの感情/2021年12月27日/本文
(906)希求の初校正終える/2021年12月26日/本文
(905)防げないオミクロン株と沖縄海兵隊/2021年12月25日/本文
(904)たぎる情熱を/2021年12月24日/本文
(903)人生にどうケリをつけるのか/2021年12月23日/本文
(902)聞き流す力/2021年12月22日/本文
(901)がんばって塩野義!/2021年12月21日/本文
(900)引き受けられない悲しみ/2021年12月20日/本文
(899)研究所開設10周年を準備する/2021年12月19日/本文
(898)頼まれた代弁書/2021年12月18日/本文
(897)母と赤いかくまき/2021年12月17日/本文
(896)詩と代弁者/2021年12月16日/本文
(895)学生まちづくりに動く/2021年12月15日/本文
(894)折り合いを付ける/2021年12月14日/本文
(893)古い資料を捨てる/2021年12月13日/本文
(892)仕事納めとオミクロン株/2021年12月12日/本文
(891)共有の本質/2021年12月11日/本文
(890)連携という誤謬/2021年12月10日/本文
(889)依頼と変更/2021年12月9日/本文
(888)戦争ときずな計画/2021年12月8日/本文
(887)小さな社協の話を聞く/2021年12月7日/本文
(886)海陽丸と散歩と見守り/2021年12月6日/本文
(885)厄介な訪問者/2021年12月5日/本文
(884)町民から出された意見の仕分け/2021年12月4日/本文
(883)みんな与党になればいい?/2021年12月3日/本文
(882)おばんと漬物づくり/2021年12月2日/本文
(881)福祉の歴史を創るひとたち/2021年12月1日/本文
(880)札幌五輪誘致に反対する/2021年11月30日/本文
(879)旅の友老いる/2021年11月29日/本文
(878)オミクロン株の脅威/2021年11月28日/本文
(877)雪の朝/2021年11月27日/本文
(876)いまも生きる五せる/2021年11月26日/本文
(875)仕事を積み上げる/2021年11月25日/本文
(874)忍従を強いられる/2021年11月24日/本文
(873)手紙/2021年11月23日/本文
(872)二つ返事/2021年11月22日/本文
(871)月形町福祉でまちづくり町民フォーラム終える/2021年11月21日/本文
(870)月形町福祉でまちづくり町民フォーラム/2021年11月20日/本文
(869)フィルターはどう外すのか/2021年11月19日/本文
(868)冬将軍やっと来る/2021年11月18日/本文
(867)仕事で育てる/2021年11月17日/本文
(866)オロロン街道北上/2021年11月16日/本文 
(865)コロナ感染第6波に備えよ/2021年11月15日/本文 
(864)見え見えの魂胆/2021年11月14日/本文
(863)虚脱感が襲う/2021年11月13日/本文
(862)町民フォーラムの準備/2021年11月12日/本文
(861)学ばぬ者は/2021年11月11日/本文
(860)ノー天気/2021年11月10日/本文
(859)たったこれぽっち/2021年11月9日/本文
(858)コクワ酒を造る/2021年11月8日/本文
(857)為すことで事を成す/2021年11月7日/本文
(856)なまらいいBIGBOSS/2021年11月6日/本文
(855)上司のストレス/2021年11月5日/本文
(854)不気味な空気/2021年11月4日/本文
(853)人望を失う/2021年11月3日/本文
(852)尻に火が付く/2021年11月2日/本文
(851)投票所混んでました/2021年11月1日/本文
(850)矍鑠と生きる/2021年10月31日/本文
(849)無用の長物アベマスク/2021年10月30日/本文
(848)人を選ぼう/2021年10月29日/本文
(847)北海道に来るなら/2021年10月28日/本文
(846)改悛の情なし/2021年10月27日/本文
(845)毒が回る/2021年10月26日/本文
(844)自分を生きる/2021年10月25日/本文
(843)つまんない男です/2021年10月24日/本文
(842)懲らしめの一票/2021年10月23日/本文
(841)死を遠ざけてはならない/2021年10月22日/本文
(840)在庫一掃セールが始まった/2021年10月21日/本文
(839)いまさらながら/2021年10月20日/本文
(838)原油の高騰と北の暮らし/2021年10月19日/本文
(837)劣悪なトイレ/2021年10月18日/本文
(836)神父からのメール/2021年10月17日/本文
(835)負ける原因/2021年10月16日/本文
(834)団塊の世代の介護に備えを/2021年10月15日/本文
(833)つながりを結び直す/2021年10月14日/本文
(832)ONLINE授業の妙/2021年10月13日/本文
(831)団塊の世代の動向に注視せよ/2021年10月12日/本文
(830)個人商店と掛け売り/2021年10月11日/本文
(829)曖昧な空気が流れるいま/2021年10月10日/本文
(828)担当が交代する/2021年10月9日/本文
(827)大丈夫というフィルター/2021年10月8日/本文
(826)父と生産性の向上/2021年10月7日/本文
(825)黄門様お助けください/2021年10月6日/本文
(824)組閣と過老害疾患群/2021年10月5日/本文
(823)日程調整/2021年10月4日/本文
(822)長距離ドライブを楽しむ/2021年10月3日/本文
(821)第三者認証滞る/2021年10月2日/本文
(820)ボランティアってなにもの?/2021年10月1日/本文
(819)岸田文雄新総裁の厳しい船出/2021年9月30日/本文
(818)棚ざらし/2021年9月29日/本文
(817)道産子よ!試練の壁に耐えて立て/2021年9月28日/本文
(816)夢のかけらは映す/2021年9月27日/本文
(815)おひとりさまの支度/2021年9月26日/本文
(814)秋の彼岸法要/2021年9月25日/本文
(813)進軍ラッパが聞こえた/2021年9月24日/本文
(812)大言壮語のオンパレード/2021年9月23日/本文
(811)なぜか嬉しい/2021年9月22日/本文
(810)蚊帳の外/2021年9月21日/本文
(809)小さな願望/2021年9月20日/本文
(808)隗より始めよ/2021年9月19日/本文
(807)有言不実行/2021年9月18日/本文
(806)あずまし食堂オープン/2021年9月17日/本文
(805)青虫と大根の葉/2021年9月16日/本文
(804)おまえさんが嫌い/2021年9月15日/本文
(803)83歳が描く終活の里づくり/2021年9月14日/本文
(802)アベ化警戒発令中/2021年9月13日/本文
(801)涙は乾かない/2021年9月12日/本文
(800)キッズボランティアのその後/2021年9月11日/本文
(799)期待と信用/2021年9月10日/本文
(798)崩壊する思考/2021年9月9日/本文
(797)オリ・パラ閉幕にあたっての声明/2021年9月8日/本文
(796)試練を心に刻もう/2021年9月7日/本文
(795)新たな呪文/2021年9月6日/本文
(794)後ろ盾を失う/2021年9月5日/本文
(793)庶民願望/2021年9月4日/本文
(792)自民を変える風となるか/2021年9月3日/本文
(791)ドブに捨てる/2021年9月2日/本文
(790)前代未聞の歴史をつくろう/2021年9月1日/本文
(789)だからさっさと/2021年8月31日/本文
(788)だからなんなの/2021年8月30日/本文
(787)恥辱だらけの幕引き/2021年8月29日/本文
(786)自民党総裁選に願う/2021年8月28日/本文
(785)Welcome北海道/2021年8月27日/本文
(784)明かりを灯せ/2021年8月26日/本文
(783)道内も25日から3回目の緊急事態宣言/2021年8月25日/本文
(782)不作為な教育者たち/2021年8月24日/本文
(781)横浜市長選の先を見すえる/2021年8月23日/本文
(780)人間狩りが始まった/2021年8月22日/本文
(779)安倍チルドレンは戦々恐々/2021年8月21日/本文
(778)衆愚政治を阻止する/2021年8月20日/本文
(777)不退転の決意/2021年8月19日/本文
(776)カブール陥落/2021年8月18日/本文
(775)足し算引き算の世界/2021年8月17日/本文
(774)欲ばりません勝つまでは/2021年8月16日/本文
(773)敗戦後76年夏コロナ戦時体制を読む/2021年8月15日/本文
(772)オペレーションの問題/2021年8月14日/本文
(771)君臨した者の教訓/2021年8月13日/本文
(770)縄跳びした/2021年8月12日/本文
(769)お手軽挨拶/2021年8月11日/本文
(768)残酷な仕打ち/2021年8月10日/本文
(767)友のため息/2021年8月9日/本文
(766)暑さが過ぎれば/2021年8月8日/本文
(765)欲をかく/2021年8月7日/本文
(764)祝祭の後の反動/2021年8月6日/本文
(763)楽観主義の末路/2021年8月5日/本文
(762)夢のない新生活/2021年8月4日/本文
(761)IOCこそ政治である/2021年8月3日/本文
(760)冬期札幌五輪の招致反対/2021年8月2日/本文
(759)TOKYO4058/2021年8月1日/本文
(758)瓦解する統治/2021年7月31日/本文
(757)本音が聞こえた/2021年7月30日/本文
(756)五輪と同じ対策取りました/2021年7月29日/本文
(755)五輪下感染列島ジャパン/2021年7月28日/本文
(754)歪む線路/2021年7月27日/本文
(753)暑気払い/2021年7月26日/本文
(752)感染爆発は必ず起こる/2021年7月25日/本文
(751)太鼓を叩け/2021年7月24日/本文
(750)東京五輪開幕する/2021年7月23日/本文
(749)一粒の種/2021年7月22日/本文
(748)信じられる?/2021年7月21日/本文
(747)安心安全の呪文/2021年7月20日/本文
(746)北海道は熱暑です/2017年7月19日/本文
(745)教え子大井浩平君 NPO法人づくりに動く/2021年7月18日/本文
(744)5つのしない/2021年7月17日/本文
(743)リスクはあなたです/2021年7月16日/本文
(742)チャイニーズピープルです/2021年7月15日/本文
(741)子ども受難時代到来/2021年7月14日/本文
(740)持ち直すか はたまた崩れるか/2021年7月13日/本文
(739)来日は見合わせてください/2021年7月12日/本文
(738)企業の経営理念と政治献金/2021年7月11日/本文
(737)最初と最後の教え子/2021年7月10日/本文
(736)おちょくるな/2021年7月9日/本文
(735)IOC御用達ニッポン!/2021年7月8日/本文
(734)じいさん一言多い/2021年7月7日/本文
(733)大谷翔平選手に感動する/2021年7月6日/本文
(732)きょうは疲れました/2021年7月5日/本文
(731)政治家失言語録/2021年7月4日/本文
(730)報道の自由の侵害/2021年7月3日/本文
(729)選挙初めて行ってみようかな/2021年7月2日/本文
(728)若者はなにも知らない/2021年7月1日/本文
(727)いまさらやめられない/2021年6月30日/本文
(726)仲良くなる現象/2021年6月29日/本文
(725)卵は孵化するか/2021年6月28日/本文
(724)覚悟なき者たち/2021年6月27日/本文
(723)五輪へと駆り立てる/2021年6月26日/本文
(722)小さな抵抗/2021年6月25日/本文
(721)孤独なる生命と魂/2021年6月24日/本文
(720)考える・書く・読む・見る/2021年6月23日/本文
(719)紳士な手帳/2021年6月22日/本文
(718)1回目ワクチン接種終わる/2021年6月21日/本文
(717)進軍ラッパが耳につく/2021年6月20日/本文
(716)孤独酒/2021年6月19日/本文
(715)札幌で羆撃たれ哀れなり/2021年6月18日/本文
(714)やりたい放題/2021年6月17日/本文
(713)分かる瞬間がいい/2021年6月16日/本文
(712)宣言解除の吉兆か/2021年6月15日/本文
(711)バッターボックスに立つ/2021年6月14日/本文
(710)わたしに出会う/2021年6月13日/本文
(709)時を待つ/2021年6月12日/本文
(708)無言の抗議/2021年6月11日/本文
(707)お題目を唱える/2021年6月10日/本文
(706)記者は特ダネを狙う/2021年6月9日/本文
(705)出る杭であれ/2021年6月8日/本文
(704)心の五味のひとあじ/2021年6月7日/本文
(703)たかります/2021年6月6日/本文
(702)義を見てせざるは/2021年6月5日/本文
(701)主権侵害にはあたりません/2021年6月4日/本文
(700)怨嗟(えんさ)を生む/2021年6月3日/本文
(699)縁木求魚なことば/2021年6月2日/本文
(698)五輪に揺れる世相を見る/2021年6月1日/本文
(697)渇望/2021年5月31日/本文
(696)沈黙の価値/2021年5月30日/本文
(695)オリンピック愛ランド/2021年5月29日/本文
(694)虎からき狐に/2021年5月28日/本文
(693)禍福はあざなえる縄のごとし/2021年5月27日/本文
(692)今朝は快晴なり/2021年5月26日/本文
(691)粛々と待つだけ/2021年5月25日/本文
(690)ホラーの再演か/2021年5月24日/本文
(689)ルビをふった礼状/2021年5月23日/本文
(688)響き合う授業/2021年5月22日/本文
(687)授業がしたい/2021年5月21日/本文
(686)運動会の朝/2021年5月20日/本文
(685)ヤングケアラーの君へ/2021年5月19日/本文
(684)IT改革で国民統制します/2021年5月18日/本文
(683)心躍らぬ聖火リレー/2021年5月17日/本文
(682)小粒はピリッと…しない/2021年5月16日/本文
(681)年寄りの可愛い強欲さ/2021年5月15日/本文
(680)まあいいか/2012年5月14日/本文
(679)首をかける気概を/2021年5月13日/本文
(678)奪い合うより分かち合う/2021年5月12日/本文
(677)さざ波が人を殺す/2021年5月11日/本文
(676)どこの国に住んでいるのか/2021年5月10日/本文
(675)過ちは冒さない/2021年5月9日/本文
(674)おさな児に会えた/2021年5月8日/本文
(673)かわえげな(出雲弁)/2021年5月8日/本文
(672)覆水盆に返らず/2021年5月7日/本文
(671)力のある教師/2021年5月6日/本文
(670)好奇心で満たそう/2021年5月5日/本文
(669)五月の雨が降る/2021年5月4日/本文
(668)札幌感染拡大打つ手なし/2021年5月3日/本文
(667)静寂な世界/2021年5月2日/本文
(666)笑顔と感謝/2021年5月1日/本文
(665)とめられない!とまらない!/2021年4月30日/本文
(664)悪夢が甦る/2021年4月29日/本文
(663)太書きの万年筆/2021年4月28日/本文
(662)新任校長を祝う/2021年4月27日/本文
(661)世間に生きる/2021年4月26日/本文
(660)五輪どうしてもするの?/2021年4月25日/本文
(659)宮城葉子「肝愛(チムガナ)さぬ」(ウチナーグチ)/2021年4月25日/本文
(658)優しさの喪失/2021年4月24日/本文
(657)札幌も変異株に置き換わる/2021年4月23日/本文
(656)生きるを信じる/2021年4月22日/本文
(655)オーダー承ります/2021年4月21日/本文
(654)よろず相談承ります/2021年4月20日/本文
(653)お隣さんの足になる/2021年4月19日/本文
(652)求められて動く/2021年4月18日/本文
(651)解散選挙なんだ/2021年4月17日/本文
(650)何と穏やかなのでしょう/2021年4月16日/本文
(649)やればやったで笑えます/2021年4月15日/本文
(648)特別な人/2021年4月14日/本文
(647)狂気の狩りをする者たち/2021年4月13日/本文
(646)場当たり的な人生/2021年4月12日/本文
(645)心のかさぶた/2021年4月11日/本文
(644)涙もろくなる/2021年4月10日/本文
(643)為すべき事がある/2021年4月9日/本文
(642)欺瞞に宿る醜さ/2021年4月8日/本文
(641)米穀通帳と新しい生活/2021年4月7日/本文
(640)お見通し/2021年4月6日/本文
(639)旧套墨守の人たち/2021年4月5日/本文
(638)なれの果て/2021年4月4日/本文
(637)春になる/2021年4月3日/本文
(636)精彩なき聖火/2021年4月2日/本文
(635)高校での探究ごっこ/2021年4月1日/本文
(634)ついにきたか/2021年3月31日/本文
(633)ゆらぎを生きる/2021年3月30日/本文
(632)心ない世間/2021年3月29日/本文
(631)子どもと生きる/2021年3月28日/本文
(630)うなずき/2021年3月27日/本文
(629)聖火が走る/2021年3月26日/本文
(628)真剣なまなざし/2021年3月25日/本文
(627)バスに乗る/2021年3月24日/本文
(626)感染リバウンドの兆し/2021年3月23日/本文
(625)先の景色を見る/2021年3月22日/本文
(624)一筆啓上/2021年3月21日/本文
(623)正しく怒ろう/2021年3月20日/本文
(622)民生委員信条に生きる/2021年3月19日/本文
(621)ともに在る道/2021年3月18日/本文
(620)生き地獄をみる/2021年3月17日/本文
(619)後払い/2021年3月16日/本文
(618)夢を狩る/2021年3月15日/本文
(617)猿になりたい/2021年3月14日/本文
(616)ほほえみがえし/2021年3月13日/本文
(615)生まれてきた理由/2021年3月12日/本文
(614)遡上する鮭/2021年3月11日/本文
(613)虚心坦懐の境地/2021年3月10日/本文
(612)満席御礼/2021年3月9日/本文
(611)地力を引き出す/2021年3月8日/本文
(610)文春砲炸裂!/2021年3月7日/本文
(609)説教を垂れる/2021年3月6日/本文
(608)火事場の馬鹿力/2021年3月5日/本文
(607)この子はきっと政治家になる/2021年3月4日/本文
(606)傘寿プラスワン/2021年3月3日/本文
(605)信と不信/2021年3月2日/本文
(604)旅立ちの日/2021年3月1日/本文
(603)島根県知事の涙/2021年2月28日/本文
(602)かるいとおもい/2021年2月27日/本文
(601)続ミャンマー22222/2021年2月26日/本文
(600)気が緩む/2021年2月25日/本文
(599)気だるさの先に/2021年2月24日/本文
(598)ミャンマー22222/2021年2月23日/本文
(597)茶の間に居座る/2021年2月22日/本文
(596)想い出補正/2021年2月21日/本文
(595)穀潰し/2021年2月20日/本文
(594)解き放す/2021年2月19日/本文
(593)いかんよ!/2021年2月18日/本文
(592)ため息をつく/2021年2月17日/本文
(591)人望を集める/2021年2月16日/本文
(590)人を育てる/2021年2月15日/本文
(589)2・13地震通告/2021年2月14日/本文
(588)高校生とカーリング日本選手権/2021年2月13日/本文
(587)いっときの凪/2021年2月12日/本文
(586)この期に及んで/2021年2月11日/本文
(585)暇つぶし/2021年2月10日/本文
(584)夢のくず/2021年2月9日/本文
(583)北海道の集中対策期間の延長/2021年2月8日/本文
(582)平穏でありたい/2021年2月7日/本文
(581)手をつなぐ/2021年2月6日/本文
(580)極楽とんぼになりたい/2021年2月5日/本文
(579)17歳の塊を磨こう/2021年2月4日/本文
(578)言語道断の宴/2021年2月3日/本文
(577)封印された絶対/2021年2月2日/本文
(576)上級国民の3つの心得/2021年2月1日/本文
(575)桑原直子「や~らしかやろー」/2021年1月31日/本文
(574)威厳を羽織る/2021年1月31日/本文
(573)須々田秀美「めごいなぁ」/2021年1月30日/本文
(572)いずれにしても/2021年1月30日/本文
(571)散らかった頭/2021年1月29日/本文
(570)野間晴美「かいらしおすやろ?」/2021年1月29日/本文
(569)まずは1ヶ月の様子見/2021年1月28日/本文
(568)理念なき教師/2021年1月27日/本文
(567)ヘッドハンティングの功罪/2021年1月26日/本文
(566)銀の涙は舞う/2021年1月25日/本文
(565)小中高生440人自死する/2021年1月24日/本文
(564)夜明け前の闇をつく光に/2021年1月23日/本文
(563)するつもりはない/2021年1月22日/本文
(562)危険なホワイトアウト/2021年1月21日/本文
(561)志ある政治家は皆無か/2021年1月20日/本文
(560)もう無理でしょ/2021年1月19日/本文
(559)3兆円がぶっ飛ぶ/2021年1月18日/本文
(558)うなずき/2021年1月17日/本文
(557)初給料/2021年1月16日/本文
(556)Stop the Steal(票を盗むのを止めろ)/2021年1月15日/本文
(555)リスクファクターを取り除け/2021年1月14日/本文
(554)正義のお墨付き/2021年1月13日/本文
(553)教師とは雑用係である/2021年1月12日/本文
(552)カルトの呪縛を解き放す/2021年1月11日/本文
(551)丑年の年男/2021年1月10日/本文
(550)盛り下がるオリンピック/2021年1月9日/本文
(549)棟方梢「めごいべぇ」/2021年1月8日/本文
(548)逃げろ!/2021年1月8日/本文
(547)大地の子/2021年1月7日/本文
(546)お利口さん/2021年1月6日/本文
(545)逆なでする/2021年1月5日/本文
(544)蠹賊たち/2021年1月4日/本文
(543)つくられていく虚像/2021年1月3日/本文
(542)我是他非/2021年1月2日/本文
(541)撫でる力と愛でる力/2021年1月1日/本文


鳥居一頼の世語り:アーカイブ(4)

―(170)2020年1月1日~(540)2020年12月31日―


(540)大晦日の晩餐/2020年12月31日/本文
(539)間違えがわかるということ/2020年12月30日/本文
(538)子らが導く世界へ/2020年12月29日/本文
(537)私は何もの?/2020年12月28日/本文
(536)物見遊山の烏合の衆/2020年12月27日/本文
(535)金澤昌子「めんけべしゃ」/2020年12月26日/本文
(534)保坂美保子「めんけなぁ」/2020年12月26日/本文
(533)いまを一緒に考えたい/2020年12月26日/本文
(532)噛みしめる/2020年12月25日/本文
(531)裏切られた男/2020年12月24日/本文
(530)不変可変/2020年12月23日/本文
(529)貧すれば鈍する/2020年12月22日/本文
(528)我感知せず/2020年12月21日/本文
(527)去る人たち/2020年12月20日/本文
(526)誤解活用法の誤解/2020年12月19日/本文
(525)こころにトゲ/2020年12月18日/本文
(524)ときめきのとき/2020年12月17日/本文
(523)改革への道/2020年12月16日/本文
(522)コロナと失業と子どもの貧困/2020年12月15日/本文
(521)感情労働としくじり/2020年12月14日/本文
(520)運から見放される時がきた/2020年12月13日/本文
(519)漂流する民/2020年12月12日/本文
(518)夢織り人/2020年12月11日/本文
(517)もう泣かないで/2020年12月10日/本文
(516)自家製の干し魚/2020年12月9日/本文
(515)Gabriel Sayre、Healing a Lost Cause/December 8, 2020/本文
(514)さよならも言えずに/2020年12月8日/本文
(513)男は姑息な言葉で勝負する/2020年12月7日/本文
(512)背負い込んだ重さ/2020年12月6日/本文
(511)瓢箪から駒/2020年12月5日/本文
(510)愁眉を開く/2020年12月4日/本文
(509)明確なメッセージ/2020年12月3日/本文
(508)悪因悪果/2020年12月2日/本文
(507)雅量を示す/2020年12月1日/本文
(506)命を絶つ子たち/2020年11月30日/本文
(505)置いてきぼり/2020年11月29日/本文
(504)核の下のしるし/2020年11月28日/本文
(503)憎しみの果てに/2020年11月27日/本文
(502)つまずきの詩/2020年11月26日/本文
(501)大人の都合/2020年11月25日/本文
(500)心守詩(こころまもるうた)/2020年11月24日/本文
(499)生きたいという心/2020年11月23日/本文
(498)あだ花を咲かす/2020年11月22日/本文
(497)ただいまとおかえり/2020年11月21日/本文
(496)眼光紙背に徹す/2020年11月20日/本文
(495)唯々諾々/2020年11月19日/本文
(494)人を巻き込む/2020年11月18日/本文
(493)札幌はステージ4に/2020年11月17日/本文
(492)融通無碍でありたい/2020年11月16日/本文
(491)進化した暗殺者/2020年11月15日/本文
(490)結局のところ僕らみんなが米国人なのだから/2020年11月14日/本文
(489)乾いた笑い/2020年11月13日/本文
(488)先生って何もの?/2020年11月12日/本文
(487)カマラ・ハリスにアメリカの希望を見た/2020年11月11日/本文
(486)負けるはずはない/2020年11月10日/本文
(485)敗者に捧げる 『中庸』第23章/2020年11月9日/本文
(484)泣き寝入り/2020年11月8日/本文
(483)肥えたカメの末路/2020年11月7日/本文
(482)ハラハラドキドキ/2020年11月6日/本文
(481)眠れぬ夜は/2020年11月5日/本文
(480)民意の怖さ/2020年11月4日/本文
(479)法と秩序/2020年11月3日/本文
(478)指導という悪意/2020年11月2日/本文
(477)陰湿ないじめ/2020年11月1日/本文
(476)78億人の水と食料/2020年10月31日/本文
(475)模様眺め/2020年10月30日/本文
(474)男女ペアの訪問活動/2020年10月29日/本文
(473)マップづくりと新任民生委員/2020年10月28日/本文
(472)特別じゃない/2020年10月27日/本文
(471)辞められない止められない/2020年10月26日/本文
(470)凜として生きよ/2020年10月25日/本文
(469)清々しい朝/2020年10月24日/本文
(468)かばう/2020年10月23日/本文
(467)張り子の虎/2020年10月22日/本文
(466)持ちつ持たれつ/2020年10月21日/本文
(465)安倍政権の遺産/2020年10月20日/本文
(464)学芸会とシナリオづくり/2020年10月19日/本文
(463)笑顔の対価/2020年10月18日/本文
(462)利心/2020年10月17日/本文
(461)知ったかぶりの男/2020年10月16日/本文
(460)いやだな/2020年10月15日/本文
(459)とんがる/2020年10月14日/本文
(458)コロナ禍での新任研修/2020年10月13日/本文
(457)恐怖にひるまず/2020年10月12日/本文
(456)クラスター発生の要因/2020年10月11日/本文
(455)北海道はゴミ捨て場/2020年10月10日/本文
(454)不機嫌な者たち/2020年10月9日/本文
(453)踏み絵/2020年10月8日/本文
(452)青春の挫折/2020年10月7日/本文
(451)平均ってなに?/2020年10月6日/本文
(450)はがきの切手代/2020年10月5日/本文
(449)20億円で何が変わるか/2020年10月4日/本文
(448)車中泊/2020年10月3日/本文
(447)おとなの話に口を挟まない/2020年10月2日/本文
(446)十月の空と海/2020年10月1日/本文
(445)校正作業/2020年9月30日/本文
(444)夢のひとしずく/2020年9月29日/本文
(443)横綱不在場所/2020年9月28日/本文
(442)夢と現実のはざまで/2020年9月27日/本文
(441)秘密/2020年9月26日/本文
(440)きしみ/2020年9月25日/本文
(439)明日にララバイ/2020年9月24日/本文
(438)自己肯定感とは/2020年9月23日/本文
(437)負い目/2020年9月22日/本文
(436)絵はがきにしたためる/2020年9月21日/本文
(435)ラストシーン/2020年9月20日/本文
(434)自助・共助・公助/2020年9月19日/本文
(433)後ろめたさ/2020年9月18日/本文
(432)しょいっこじじいの悲哀/2020年9月17日/本文
(431)キャリーケースを押す/2020年9月16日/本文
(430)何のおもいもわかず/2020年9月15日/本文
(429)Congratulation!/2020年9月14日/本文
(428)ラブレター/2020年9月13日/本文
(427)ラブソング/2020年9月12日/本文
(426)夢なき政争/2020年9月11日/本文
(425)プッツン/2020年9月10日/本文
(424)和顔愛語地蔵の開眼/2020年9月9日/本文
(423)緊張と緩和/2020年9月8日/本文
(422)追い込む/2020年9月7日/本文
(421)おもえ うごけ かんじよう/2020年9月6日/本文
(420)学生を育てる/2020年9月5日/本文
(419)継ぐと継がせる/2020年9月4日/本文
(418)決まってるのに/2020年9月3日/本文
(417)挽歌を捧げる/2020年9月2日/本文
(416)あらがい動く/2020年9月1日/本文
(415)夏の終わりに/2020年8月31日/本文
(414)裸のこころ/2020年8月30日/本文
(413)ミスる/2020年8月29日/本文
(412)何をか求めん/2020年8月28日/本文
(411)ゆらぎ/2020年8月27日/本文
(410)名の下に/2020年8月26日/本文
(409)待ち明かす/2020年8月25日/本文
(408)くたびれる/2020年8月24日/本文
(407)リリーフ再登場/2020年8月23日/本文
(406)昼下がりの悪夢/2020年8月22日/本文
(405)老人ホームスタッフの心・意気/2020年8月21日/本文
(404)ワクチンの優先順位/2020年8月20日/本文
(403)食べ残し禁止令/2020年8月19日/本文
(402)したつもりやったつもり/2020年8月18日/本文
(401)責任感が強い/2020年8月17日/本文
(400)心の詩になる/2020年8月16日/本文
(399)北の空に南の空に/2020年8月15日/本文
(398)隔離と監禁/2020年8月14日/本文
(397)寂しいお盆/2020年8月13日/本文
(396)ペーパー教師誕生/2020年8月12日/本文
(395)きみがただいるだけで/2020年8月11日/本文
(394)トマトを食べた/2020年8月10日/本文
(393)歯の改修工事中/2020年8月9日/本文
(392)名より実を/2020年8月8日/本文
(391)SNSと落選運動/2020年8月7日/本文
(390)躍動する太陽の子/2020年8月6日/本文
(389)妖精さん/2020年8月5日/本文
(388)正直にある/2020年8月4日/本文
(387)みんなと同じじゃないといけないですか /2020年8月3日/本文
(386)ジャブジャブ/2020年8月2日/本文
(385)祈りの花火/2020年8月1日/本文
(384)夏の夜話/2020年7月31日/本文
(383)次の指導者を選ぼう/2020年7月30日/本文
(382)悪夢のアベノマスク/2020年7月29日/本文
(381)ここにいる/2020年7月28日/本文
(380)野暮ですか/2020年7月27日/本文
(379)あきた見あきた聞きあきた/2020年7月26日/本文
(378)風よ吹け/2020年7月25日/本文
(377)リスク・コミュニケーションの変質/2020年7月24日/本文
(376)憂鬱なアメリカ人/2020年7月23日/本文
(375)坂本大輔「一生現役」/2020年7月22日/本文
(374)長州と西郷隆盛/2020年7月21日/本文
(373)はたらく人の幸せ・不幸せ/2020年7月20日/本文
(372)書くことで世を歩く/2020年7月19日/本文
(371)骨太方針決定/2020年7月18日/本文
(370)遺言を綴る/2020年7月17日/本文
(369)心のありようを描く/2020年7月16日/本文
(368)黒と白/2020年7月15日/本文
(367)罪を犯し顔/2020年7月14日/本文
(366)イエスマンの叛逆(はんぎゃく)/2020年7月13日/本文
(365)恨み雨/2020年7月12日/本文
(364)鬼ごっこ/2020年7月11日/本文
(363)千載一遇の悪機/2020年7月10日/本文
(362)いままでというバイアス/2020年7月9日/本文
(361)不都合な人たち/2020年7月8日/本文
(360)老いの蹉跌(さてつ)/2020年7月7日/本文
(359)豪雨が暮らしと命を叩(はた)く/2020年7月6日/本文
(358)魚心あれば水心/2020年7月5日/本文
(357)無駄と断捨離/2020年7月4日/本文
(356)貶(おとし)めると墓穴を掘る/2020年7月3日/本文
(355)食材の宅配/2020年7月2日/本文
(354)気まぐれと輿論/2020年7月1日/本文
(353)1千万人感染 50万人死亡/2020年6月30日/本文
(352)バラード「夕餉(ゆうげ)」/2020年6月29日/本文
(351)地方自治の呪縛と冒涜/2020年6月28日/本文
(350)にわか雨と母/2020年6月27日/本文
(349)決められる政治のなれの果て/2020年6月26日/本文
(348)ひとつはひとつにあらず/2020年6月25日/本文
(347)「お政(まつ)りマンボ」/2020年6月24日/本文
(346)噴水に戯れる幼子/2020年6月23日/本文
(345)まていに生きる/2020年6月22日/本文
(344)君だけのうた/2020年6月21日/本文
(343)腐っても鯛/2020年6月20日/本文
(342)世界の感染者800万人超える/2020年6月19日/本文
(341)小さな音/2020年6月18日/本文
(340)東京アラッと/2020年6月17日/本文
(339)不登校どうする?/2020年6月16日/本文
(338)媚(こ)びよう/2020年6月15日/本文
(337)根比べ/2020年6月14日/本文
(336)丸投げ/2020年6月13日/本文
(335)コロナ禍で頑張る民生委員児童委員/2020年6月12日/本文
(334)バイト漬け/2020年6月11日/本文
(333)負けには賭けまい/2020年6月10日/本文
(332)バラード「男の子守唄」/2020年6月9日/本文
(331)暮らしが崩れる/2020年6月8日/本文
(330)社協が危ない/2020年6月7日/本文
(329)国の空約束~横田滋氏を追悼する/2020年6月6日/本文
(328)つながる つなぐ/2020年6月5日/本文
(327)現代政治ことわざ誤用集(その5)/2020年6月4日/本文
(326)現代政治ことわざ誤用集(その4)/2020年6月3日/本文
(325)バラード「この子よい子だ」/2020年6月2日/本文
(324)最後に褒められること/2020年6月2日/本文
(323)つなげよう/2020年6月1日/本文
(322)休校と学童保育の検証/2020年5月31日/本文
(321)現代政治ことわざ誤用集(その3)/2020年5月30日/本文
(320)餅とコロナ禍/2020年5月29日/本文
(319)壊すことと創ること/2020年5月28日/本文
(318)信ずる/2020年5月27日/本文
(317)こころは人を信じるためにある/2020年5月26日/本文
(316)コロナ禍から暮らしを護る/2020年5月25日/本文
(315)えがおでコロナにうちかとう/2020年5月24日/本文
(314)希望という名の花を咲かせよう/2020年5月23日/本文
(313)蟻の一穴/2020年5月22日/本文
(312)とんがることば/2020年5月22日/本文
(311)いまを描く/2020年5月21日/本文
(310)現代政治ことわざ誤用集(その2)/2020年5月20日/本文
(309)現代政治ことわざ誤用集(その1)/2020年5月19日/本文
(308)嘘つき/2020年5月18日/本文
(307)捨てると捨てられる/2020年5月17日/本文
(306)お疲れさん/2020年5月16日/本文
(305)無上なるもの/2020年5月15日/本文
(304)憤怒とことば/2020年5月14日/本文
(303)コロナ禍後の分断/2020年5月13日/本文
(302)雪隠詰め/2020年5月12日/本文
(301)からっぽの教室/2020年5月11日/本文
(300)母の日の朝/2020年5月10日/本文
(299)コロナ禍とSDGs/2020年5月9日/本文
(298)人はいつでも変わる/2020年5月8日/本文
(297)伝説の人となる/2020年5月7日/本文
(296)大阪人の本気度を示そう/2020年5月6日/本文
(295)子どもを粗末にしない共育/2020年5月5日/本文
(294)妖怪に取り憑かれた男/2020年5月4日/本文
(293)正しく生きよう/2020年5月3日/本文
(292)携帯が手放せない/2020年5月2日/本文
(291)道産の食と人を誇る/2020年5月1日/本文
(290)現代政治用語集/2020年4月30日/本文
(289)新人介護士たちよ/2020年4月29日/本文
(288)腰痛と老化準備学習/2020年4月28日/本文
(287)学費を稼ぐ/2020年4月27日/本文
(286)自然死/2020年4月26日/本文
(285)あんぽんたん/2020年4月25日/本文
(284)こころと身体のバランスを!/2020年4月24日/本文
(283)やってらんないよ/2020年4月23日/本文
(282)命を護る介護士たち/2020年4月22日/本文
(281)ものづくりへの冒涜/2020年4月21日/本文
(280)年寄りの反乱/2020年4月20日/本文
(279)アフリカの危機/2020年4月19日/本文
(278)民心と民力/2020年4月18日/本文
(277)退陣間近/2020年4月17日/本文
(276)幼児のいのち最優先/2020年4月16日/本文
(275)泣く子と寛容/2020年4月15日/本文
(274)倒れる前に/2020年4月14日/本文
(273)浮世離れ/やんなっちゃった/2020年4月13日/本文
(272)つばぜり合い/2020年4月12日/本文
(271)焼け石に水/2020年4月11日/本文
(270)茫然自失/2020年4月10日/本文
(269)中庸 第23章/2020年4月9日/本文
(268)辞められない/2020年4月8日/本文
(267)ちびるな/2020年4月7日/本文
(266)子どもたちが戻って来た/2020年4月6日/本文
(265)冤罪(えんざい)/2020年4月5日/本文
(264)現金支給/2020年4月4日/本文
(263)お恵みのマスク/2020年4月3日/本文
(262)無情な数字/2020年4月2日/本文
(261)約束の日~小学1年生を祝う/2020年4月1日/本文
(260)首都封鎖/2020年3月31日/本文
(259)母の命日/2020年3月30日/本文
(258)シナリオ「稼いで半人前」/2020年3月29日/本文
(257)舞台を創る/2020年3月28日/本文
(256)意気地なし/2020年3月27日/本文
(255)正義を貫く/2020年3月26日/本文
(254)水をさす/2020年3月25日/本文
(253)遺書に名前があるか?/2020年3月24日/本文
(252)反応と反動/2020年3月23日/本文
(251)聴覚の不思議さ/2020年3月22日/本文
(250)味覚の劣化/2020年3月21日/本文
(249)津久井やまゆり園死刑判決を考える/2020年3月20日/本文
(248)消費税10%撤廃!/2020年3月19日/本文
(247)二本の矢/2020年3月18日/本文
(246)東京オリンピック開催したい/2020年3月17日/本文
(245)学童保育の実態は/2020年3月16日/本文
(244)屋外での卒業式/2020年3月15日/本文
(243)法の専門家/2020年3月14日/本文
(242)沈黙の螺旋/2020年3月13日/本文
(241)18歳 躍動せよ!/2020年3月12日/本文
(240)自治会は地域の自治組織(自治会役員と民生委員 その2)/2020年3月11日/本文
(239)無報酬です(自治会役員と民生委員 その1)/2020年3月10日/本文
(238)信じる誰かがいる/2020年3月9日/本文
(237)未来志向(これからは)/2020年3月8日/本文
(236)春を告げる雪/2020年3月7日/本文
(235)死んだ男の残したものは/2020年3月6日/本文
(234)ツケを払わされる/2020年3月5日/本文
(233)逃れるつもりだ/2020年3月4日/本文
(232)長寿を祝う/2020年3月3日/本文
(231)ブラックスワンが飛ぶ/2020年3月2日/本文
(230)支持率ガタ落ち/2020年3月1日/本文
(229)街がすく/2020年2月29日/本文
(228)学童保育は対象外/2020年2月28日/本文
(227)闇鍋/2020年2月27日/本文
(226)見えしもの/2020年2月26日/本文
(225)変わり者/2020年2月25日/本文
(224)低い危機管理意識/2020年2月24日/本文
(223)法治国家/2020年2月23日/本文
(222)昇る朝日に/2020年2月22日/本文
(221)コネクティングルーム/2020年2月21日/本文
(220)強弁/2020年2月20日/本文
(219)うだうだと…/2020年2月19日/本文
(218)マチの銭湯物語/2020年2月18日/本文
(217)ペンギンさんのお通りだい!/2020年2月17日/本文
(216)ことの始まり/2020年2月16日/本文
(215)閣議決定/2020年2月15日/本文
(214)検察の検察たるを示せ/2020年2月14日/本文
(213)なりふり構わず/2020年2月13日/本文
(212)飛沫飛ぶ/2020年2月12日/本文
(211)ブリコルール/2020年2月11日/本文
(210)知の佇まい/2020年2月10日/本文
(209)アメリカの脆弱さ/2020年2月9日/本文
(208)雪の朝の訪問者/2020年2月8日/本文
(207)旧交を温める/2020年2月7日/本文
(206)16歳の少年/2020年2月6日/本文
(205)鵡川の若き語り部/2020年2月5日/本文
(204)つづきがつづく/2020年2月4日/本文
(203)老いの道半ば/2020年2月3日/本文
(202)国と民のこころ模様/2020年2月2日/本文
(201)世界を席巻するウイルス/2020年2月1日/本文
(200)ふくしの語り場/2020年1月31日/本文
(199)おちゃらかす/2020年1月30日/本文
(198)つながれ/2020年1月29日/本文
(197)ポジティブに ~石狩レポート(5)/2020年1月28日/本文
(196)自分のネットワークをつくろう/2020年1月27日/本文
(195)役者揃い ~石狩レポート(4)/2020年1月26日/本文
(194)気概を持って/2020年1月25日/本文
(193)お世話焼きさん ~石狩レポート(3)/2020年1月24日/本文
(192)お節介の御用聞き ~石狩レポート(2)/2020年1月23日/本文
(191)緊張と不安 ~石狩レポート(1)/2020年1月22日/本文
(190)新しい国づくり/2020年1月21日/本文
(189)同調圧力/2020年1月20日/本文
(188)高校生とボランティア/2020年1月19日/本文
(187)茶の間/2020年1月18日/本文
(186)拿捕(だほ)/2020年1月17日/本文
(185)不始末の始末/2020年1月16日/本文
(184)やめられない/2020年1月15日/本文
(183)1・17以降に備える/2020年1月14日/本文
(182)痛みなきゲーム/2020年1月13日/本文
(181)殺せ!/2020年1月12日/本文
(180)裁かれるわたし/2010年1月11日/本文
(179)美帆という名/2020年1月10日/本文
(178)若者を危険に晒す/2020年1月9日/本文
(177)一攫千金の夢/2020年1月8日/本文
(176)ふがいない/2020年1月7日/本文
(175)ふくしとは/2020年1月6日/本文
(174)金持ちは許される/2020年1月5日/本文
(173)下半身を鍛えよ/2020年1月4日/本文
(172)ことばに託す/2020年1月3日/本文
(171)言葉が枯れる/2020年1月2日/本文
(170)こころに地図を描こう/2020年1月1日/本文


鳥居一頼の世語り:アーカイブ(5)

―(1)2019年7月17日~(169)2019年12月31日―


(169)この子らに/2019年12月31日/本文
(168)民よ 世に恥じることなく誇り高く生きよう/2019年12月30日/本文
(167)指切りげんまん/2019年12月29日/本文
(166)食い物/2019年12月28日/本文
(165)20349/2019年12月27日/本文
(164)闇夜に走れ/2019年12月26日/本文
(163)キックオフの研修会/2019年12月25日/本文
(162)おもいをカタチに/2019年12月24日/本文
(161)民児協の担当です/2019年12月23日/本文
(160)おくれています/2019年12月22日/本文
(159)官僚劣化/2019年12月21日/本文
(158)歩みし跡に道はできる/2019年12月20日/本文
(157)政治屋さん/2019年12月19日/本文
(156)みみっちい/2019年12月18日/本文
(155)酒を呑む/2019年12月17日/本文
(154)ベテラン/2019年12月16日/本文
(153)担当です/2019年12月15日/本文
(152)スーパー・ジジババ/2019年12月14日/本文
(151)今年の漢字「令」/2019年12月13日/本文
(150)友だちごっこ/2019年12月12日/本文
(149)ひらがな/2019年12月11日/本文
(148)青い手帖/2019年12月10日/本文
(147)地域デビュー/2019年12月9日/本文
(146)こころ~小さな哲学者たち/2019年12月8日/本文
(145)いのち~小さな哲学者たち/2019年12月7日/本文
(144)鹿角レポート/2019年12月6日/本文
(143)世話焼き母ちゃん倒れた!/2019年12月5日/本文
(142)小坂レポート/2019年12月4日/本文
(141)心の距離感/2019年12月3日/本文
(140)日々是好日/2019年12月2日/本文
(139)メビウスの帯/2019年12月1日/本文
(138)授業する/2019年11月30日/本文
(137)支配する/2019年11月29日/本文
(136)長電話/2019年11月28日/本文
(135)いじめる教員/2019年11月27日/本文
(134)ひと儲け/2019年11月26日/本文
(133)こころざし/2019年11月25日/本文
(132)地域の子育て子守/2019年11月24日/本文
(131)放課後児童クラブの指導員/2019年11月23日/本文
(130)親の徳/2019年11月22日/本文
(129)恋詩(こいうた)/2019年11月21日/本文
(128)悲恋/2019年11月20日/本文
(127)夢詩(ゆめうた)/2019年11月19日/本文
(126)説明と言い訳/2019年11月18日/本文
(125)捜しもの/2019年11月17日/本文
(124)人生の棚卸し/2019年11月16日/本文
(123)消しゴム/2019年11月15日/本文
(122)朝の挨拶/2019年11月14日/本文
(121)何ものだ/2019年11月13日/本文
(120)晴れ舞台/2019年11月12日/本文
(119)Ok ブーマー!/2019年11月11日/本文
(118)風呂敷包み/2019年11月10日/本文
(117)子どもにも分かる嘘/2019年11月9日/本文
(116)幼児と車いす/2019年11月8日/本文
(115)二つの詩/2019年11月7日/本文
(114)習慣づける/2019年11月6日/本文
(113)水があう/2019年11月5日/本文
(112)顔/2019年11月4日/本文
(111)決心する/2019年11月3日/本文
(110)バック/2019年11月2日/本文
(109)秋深まる/2019年11月1日/本文
(108)自死からの目覚め/2019年10月31日/本文
(107)当てにする/2019年10月30日/本文
(106)学校で楽しく過ごす方法/2019年10月29日/本文
(105)妻の旅支度/2019年10月28日/本文
(104)始まり/2019年10月27日/本文
(103)みの字/2019年10月26日/本文
(102)欠片(かけら)/2019年10月25日/本文
(101)地域と学校のパイプ役になる/2019年10月24日/本文
(100)暁に舞う―妹琴代を追悼して―/2019年10月23日/本文
(99)本をつくる/2019年10月22日/本文
(98)そこなの(その2)/2019年10月21日/本文
(97)そこなの(その1)/2019年10月20日/本文
(96)ニッポン ガンバレ/2019年10月19日/本文
(95)階段/2019年10月18日/本文
(94)煎じ薬/2019年10月17日/本文
(93)故郷に帰る/2019年10月16日/本文
(92)富山の薬売り/2019年10月15日/本文
(91)次の人へ/2019年10月14日/本文
(90)道徳と教科書/2019年10月13日/本文
(89)ぼくらの先生じゃない(その2)/2019年10月12日/本文
(88)ぼくらの先生じゃない(その1)/2019年10月11日/本文
(87)おこぼれ/2019年10月10日/本文
(86)人間ではない/2019年10月9日/本文
(85)教員の劣化/2019年10月8日本文
(84)校長室の風景(その7) 「きずな夜学校」/2019年10月7日/本文
(83)校長室の風景(その6) 「押しかけた子どもたち」/2019年10月6日/本文
(82)校長室の風景(その5) 「ヒヤリング」/2019年10月5日/本文
(81)校長室の風景(その4) 「助けて!」/2019年10月4日/本文
(80)校長室の風景(その3) 「オープンザドア」/2019年10月3日/本文
(79)校長室の風景(その2) 「待遇」/2019年10月2日/本文
(78)校長室の風景(その1) 「待合室」/2019年10月1日/本文
(77)痛みは誰と分かち合うか/2019年9月30日/本文
(76)私にも……/2019年9月29日/本文
(75)「こぶとりじいさん」の真相/2019年9月28日/本文
(74)海苔巻き/2019年9月27日/本文
(73)スクハラ/2019年9月26日/本文
(72)変化と成長/2019年9月25日/本文
(71)中学生と脱輪/2019年9月24日/本文
(70)いのちあるものに力尽くして/2019年9月23日/本文
(69)シャケ(鮭)の遡上(そじょう)/2019年9月22日/本文
(68)こぶとりじいさん/2019年9月21日/本文
(67)かげふみ/2019年9月20日/本文
(66)拠り所(その4) 別れ/2019年9月19日/本文
(65)拠り所(その3) あがき/2019年9月18日/本文
(64)拠り所(その2) 夜の公園/2019年9月17日/本文
(63)拠り所(その1) 休み処/2019年9月16日/本文
(62)腰痛と整骨院/2019年9月15日/本文
(61)めんこいしょ/2019年9月14日/本文
(60)看取る/2019年9月13日/本文
(59)笑えない/2019年9月12日/本文
(58)三つのケア/2019年9月11日/本文
(57)香港の若者たち/2019年9月10日/本文
(56)「うさぎとかめ」の真実/2019年9月9日/本文
(55)トウモロコシ/2019年9月8日/本文
(54)二十歳の誕生日/2019年9月7日/本文
(53)十月 芝居の幕があく/2019年9月6日/本文
(52)うさぎとかめ/2019年9月5日/本文
(51)ことば遊び/2109年9月4日/本文
(50)群来(くき)/2019年9月3日/本文
(49)マチの公務員の三原則/2019年9月2日/本文
(48)夏の終わりに/2019年9月1日/本文
(47)冬春夏秋そして冬~少年の気づき/2019年8月31日/本文
(46)秋冬春夏そして秋~店のない地区/2019年8月30日/本文
(45)夏秋冬春そして夏~農家編/2019年8月29日/本文
(44)春夏秋冬そして春~ラジオ体操/2019年8月28日/本文
(43)お互い様の関係づくり/2019年8月27日/本文
(42)いい子ぶる/2019年8月26日/本文
(41)粗末にしない/2019年8月25日/本文
(40)心のやじろべえ/2019年8月24日/本文
(39)自分にありがとう/2019年8月23日/本文
(38)大丈夫だよ~こころを痛めた子どもたちへのメッセージ~/2019年8月22日/本文
(37)小さな幸せを希望に紡ぐわたしのまち登別/2019年8月21日/本文
(36)特権/2019年8月20日/本文
(35)冬春夏秋~漁村編/2019年8月19日/本文
(34)秋冬春夏~市街地編/2019年8月18日/本文
(33)夏秋冬春~酪農村編/2019年8月17日/本文
(32)春夏秋冬~商店街編/2019年8月16日/本文
(31)書く/2019年8月15日/本文
(30)二十五万円と銀婚式/2019年8月15日/本文
(29)空気が変わる/2019年8月14日/本文
(28)ひとりぼっち/2019年8月13日/本文
(27)たわごと/2019年8月12日/本文
(26)わたしがここで暮らす理由(わけ)/2019年8月11日/本文
(25)薬瓶/2019年8月10日/本文
(24)お母ちゃんの笑顔が見たい/2019年8月9日/本文
〈23〉きょう一番の 笑顔は だあれ?/2019年8月8日/本文
(22)リンゴ1個/2019年8月7日/本文
(21)かくれんぼ/2019年8月6日/本文
(20)小さな希望のともしびをかかげてください/2019年8月5日/本文
(19)おまえ、もう学校に来るな!/2019年8月4日/本文
(18)ほめる/2019年8月3日/本文
(17)あいつとおれ/2019年8月2日/本文
(16)子どもの遊び心とこっちょ/2019年8月1日/本文
(15)出発点/2019年7月31日/本文
(14)ありがとう/2019年7月30日/本文
(13)まっすぐな まなざし/2019年7月29日/本文
(12)見限られた8割の民たち/2019年7月28日/本文
(11)村の保健師さん/2019年7月28日/本文
(10)融和の心/2019年7月27日/本文
(9)15歳、いまここに立つ~旅立ちの青春賛歌~/2019年7月26日/本文
(8)ほころびを繕う/2019年7月25日/本文
(7)寄り合うということ/2019年7月24日/本文
(6)8月6日、子どもたちへ/2019年7月23日/本文
(5)民のために/2019年7月22日/本文
(4)熟老の断片:無言電話、焼酎と遺影、温泉を楽しむ、本音、養女、野暮用/2019年7月21日/本文
(3)きざし/2019年7月19日/本文
(2)群像~昭和・平成・令和を生きる人たち/2019年7月19日/本文
(1)きょうという日/2019年7月17日/本文