阪野 貢 のすべての投稿

阪野 貢/AIの外側に目を凝らす―生成AI時代の「まちづくりと市民福祉教育」への一視点―

〇生成AIの利活用は、教育・研究のさまざまな場面やプロセスにおいて急速に拡大しており、もはや課題は「使うか否か」だけでなく、「どのように組み込むか」へと移行していると言われる。具体的には、学校教育の制度設計というマクロな水準から、文献探索や論文執筆といった研究の中核をなすミクロな水準に至るまで、生成AIはさまざまな形で組み込まれつつある。この現状は、AIの利活用が一部の先進的な利用者にとどまる特殊な事象ではなく、教育・研究という営みのあり方そのものを問い直す、大きな転換点に差しかかっていることを示している。
〇今から10年ほど前、プロ棋士とAIの対決が話題となったことを思い出す。現在では、AIは棋士と対決する存在にとどまらず、棋力の向上を支える「研究パートナー」としても活用されているという。こうした変化には、まさに隔世の感がある。
〇また、仙台大学のAI教育研究チームが2025年3月に実施した全国調査によると、2025年の生成AI利用率は、学生全体で54.5%、大学生・大学院生では66.6%、教員では32.3%であった。学生は主に課題やレポートの作成、情報収集、翻訳に、教員は教材や授業資料の作成などに生成AIを利用している。こうした利用状況を踏まえ、生成AIを「学びを深める道具」として位置づけ、学習者がその出力を検証しながら活用できる環境を整備することの重要性が指摘されている。
〇筆者(阪野)自身、年齢的にも、またこれまでの教育・研究の経験からしても、生成AIにはなかなか馴染みにくいものがある。そんななかで、地元新聞の2026年9月26日朝刊の「文化」欄に掲載されていた、現象学者・村上靖彦の「AIの外側に目を凝らす」という記事が目に留まった。その内容の趣旨は、次のようなものである。

・AIは、膨大なデータをもとに、統計的に多く見られるパターンを提示する。しかし、一人ひとりの人間が生きてきた歴史や文脈には、統計的な傾向だけでは捉えきれない個別性や独自性がある。AIが示すこの限界は、逆説的に、人間の個別性を浮き彫りにする。

・出所者(刑務所を出た人)や生活困窮者など、社会から排除され、インターネットやスマートフォンの利用自体が困難な人々がいる。こうした人々の経験や思考は、そもそもデータ化され、蓄積される情報のなかに十分に反映されていない場合がある。すなわち、AIが利用するデータは、その収集や蓄積の過程において、社会的に優位な立場にある人々(「強者」)の経験や価値観を相対的に反映しやすく、社会的に排除されやすい人々の経験が十分に反映されないという問題を抱えている。

・AIは、統計的な推論によって、確度の高い選択肢や回答を提示する。その背後には、データに基づく統計的な処理やアルゴリズム(作業手順)がある。AIは強力なツールである一方、統計的な推論だけでは捉えきれない人間の個別の真実や矛盾が、その外側に残されることになる。

〇そして、村上はいう。「AIに聞けばすべてがわかるかのように思える時代だからこそ、AIの外側があるのではないかと目を凝らす」必要がある。「学ぶとはAIを活用する力であるだけでなく、そうした外側への視力を磨く訓練でもあろう。人間にはAIから排除された経験を探る力と、AIに頼らないことで見える世界がある」。この指摘は、「まちづくりと市民福祉教育」のあり方を探究するうえで、重要な視点を提示している。それは、AIの外側にある人々の経験や声を大切にするとともに、それらに真摯に向き合い、そこから学ぼうとする実践家や研究者自身の姿勢を問い直す視点である。
〇そのためには、「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究において、AIの活用を否定するのではなく、AIによる分析や推論には限界があり、既存のデータだけでは十分に捉えられない領域があることを自覚する必要がある。とりわけ、地域で暮らす人々の経験や声は、既存のデータだけでは十分に捉えきれないことがある。そのうえで、実際に地域に足を運び、地域住民と出会い、対話を重ね、ともに考え、行動する関係を築くことが求められる。
〇地域住民との関わりや共働は、「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究の基盤である。データには表れにくい生活の実相や、そこに潜む矛盾、葛藤、願いは、住民との対話や共働を重ねるなかで、少しずつ理解を深めていくことができる。また、そうした関わりを通して、実践家や研究者自身も、既存の知識や先入観を問い直し、地域の現実から学び続けることができる。
〇「AIの外側に目を凝らす」とは、まさに、「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究において、AIでは十分に捉えきれない人々の経験や地域の現実に目を向け、地域・住民との関わりのなかで学び続けることにほかならない。こうした学びの積み重ねが、地域・住民のあり方を問い直し、共働による「まちづくり」を構想し、実践していくことにつながるのである。

寺谷篤志/『「創発コミュニティ」の未来-智頭物語―』

From Grassroots to Algorithms: The Next Evolution of Community

From Grassroots to Algorithms: The Next Evolution of Community

Tales of Chizu
40 Years of Community Building: Practices & AI Analysis
Edited by Atsushi Teratani
How Whispers and Awareness Empower Communities.
40 Years of Community-Building in Practice and AI-Powered Analysis
I. Purpose of Compiling This Work in Five Volumes
An Emergence System Born Not from Genius, but from “Dialogue: Whispers & Realizations”
2. From a Mountain Village to an Urban Condominium
3. A Connection Between Chance and Necessity That Comes Full Circle After More Than 30 Years
II. A Review of Community-Building in Chizu Town and Condominium Self-Governance in Kyoto
What These Two Experiences Have Taught Us
① The Essence of the Problem Is the Same in a Depopulated Mountain Village and a Crowded Urban Condominium
② The “Environmental Attraction” of a Dialogue Space — the Kaya — Rather Than the Will of a Genius
③ The System Is Simple: Practical Benefits and Well-Being Can Emerge at the Same Time
The Human Model That Embodies Social Bonds and Networks
[Final Message from the AI Analysis]
Professor Sugiman’s Message
III. Trusting in the Power of Concepts and Images
IV. “From Doubt at Age 40 to Conviction at Age 78”
1. “Rounding” the Essence and Truth of Humanity — The Power of the Circle That Turned Doubt into Conviction
2. Establishing “Human Beings and Self-Governance” as a Temple — The Resolve to Live Through Community Self-Governance
3. Beyond the Doubts of Age 40: The “Seikai” at Age 78
Author and Editor Atsushi Teratani
Books and Publications

⇨Full Video (click here)

 

阪野 貢/苫野一徳著『教育の力』再読:「自由の相互承認」と「学びの個別化・協同化・プロジェクト化」を考える ―苫野一徳著『教育の力』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、教育哲学者である苫野一徳(とまのいっとく)の『教育の力』(講談社現代新書、2014年3月。以下[1])がある。[1]は、「平等か競争か」「ゆとりか教え込みか」「教育は子どものためか社会のためか」といった二項対立的な、不毛な教育論争を乗り越え、より「よい」教育の本質とその実現方法――各人の<自由>および社会における<自由の相互承認>の実質化を達成するための「教育」のあり方を提示する。苫野にあっては、「すべての子どもたちに<自由の相互承認>の感度を育むことを土台に、<自由>になれるための<教養=力能>を育むこと」(239ページ)。そして、より「よい」社会を形成していくための力を育てること、これが教育の「本質」である。
〇本稿では、[1]のなかから、苫野の言説を構成するいくつかの鍵概念をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

<自由>と<自由の相互承認>
わたしたち人間は、「生きたいように生きたい」という欲望、つまり<自由>への欲望を持っている。わたしたちは、自分が<自由>になるためには、他者もまた<自由>を求めているのだということを、お互いに承認し合う必要がある。これを<自由の相互承認>の原理という。(17、20ページ)/すなわち、<自由>とは、自らが<自由>に生きるためにこそ、他者の<自由>もまた承認する必要があるのだということを、徹底的に自覚するところにある。<自由の相互承認>を十分に自覚した上で、自らができるだけ生きたいように生きられること、これが<自由>の本質、<自由>に生きるということの本質である。(22ページ)

公教育と<教養=力能>
公教育は、すべての人びとが<自由>に生きるために必要な“力”、つまり<教養=力能>を育むことで、各人の<自由>を実質的に保障するものである。(23ページ)/すなわち、公教育とは、「各人の<自由>および社会における<自由の相互承認>の、<教養=力能>を通した実質化」。つまり公教育は、すべての子ども(人びと)に、<自由>に生きるための“力”を育むことを保障するものであると同時に、社会における<自由の相互承認>の土台となるべきものである。(24~25ページ)

教育政策と<一般福祉>
教育政策は、ある一部の人(子ども)たちだけの<自由>を促進し、そのことで他の人(子ども)たちの<自由>を侵害するものであってはならず、すべての人の<自由>を促進している時にのみ「正当」といえる。これが<一般福祉>の原理である。(31ページ)/(つまり、どんな教育政策も、一部の子ども(人)の自由だけを伸ばし、他の子どもの自由を犠牲にするものであれば正当化できない。すべての子どもの自由を促進する政策のみを「よい」とする判断基準・視座を<一般福祉>という。――引用者注)

知識基盤社会と「学力=学ぶ力」
現代は、モノの大量生産・大量交換が主流の産業社会から移行した、知識・情報・サービスが中心の、「知識基盤社会」である。(49~50ページ)/現代社会において求められる「学力」は、決められた細かな知識を忍耐強く“覚え込む力”よりは、必要に応じて必要な知識・情報を十全に自らのものとしていける「学び続ける力」である。(53~54ページ)/すなわち、現代の公教育が育成すべき「学力」の本質は、「学ぶ力」であり、「自ら学び続ける力」である。(58、61ページ)

「学びの個別化」と「学びの協同化」と「学びのプロジェクト化」
より「よい」学びのためには、学びの「個別化」と「協同化」と「プロジェクト化」の融合を図ることが必要である。(72ページ)/「学びの個別化」とは、一律的な学びではなく、自分の必要や興味・関心に基づいて自らのテーマを設定し、それぞれのペースで進める「自学自習」の学びをいう。「学びの協同化」とは、多様な子ども(他者)との対話や協働、教師陣の連携・協同による、相互の「学び合い」の学びをいう。「プロジェクト化」とは、自らの学習欲求や自らが設定した課題について、自ら思考し課題を探究・解決していく学びをいう。(85、93、113~116、122、125ページ)/学びのあり方・方法について、今、求められるのは、画一的・一斉型の学びから、「個別化」「協同化」「プロジェクト化」を基軸とした、これらの融合型としての学びへの転換である。(129ページ)

〇以上を要するに、苫野の『教育の力』は、<自由>と<自由の相互承認>を教育の根本理念に据え、その実質化のために<教養=力能>、とりわけ「学び続ける力」をすべての子どもに保障し、その具体的な学びのあり方として「個別化・協同化・プロジェクト化」の融合を構想したもの、である。
〇この(1)<自由>と<自由の相互承認>、(2)<一般福祉>、(3)<教養=力能>としての「学び続ける力」、(4)学びの「個別化・協同化・プロジェクト化」の融合、という一連の枠組みは、学校教育の理論であると同時に、住民が互いの<自由>を承認し合いながら共働的に「まちづくり」を進めるための、「市民福祉教育」の哲学としても読み替えることができる。苫野の教育論を学校の外へと拡張することは、「まち」そのものを、住民が学び合いながら自由に、生きたいように生きるための共存・共生の「場」として創り上げていくという、「まちづくりと市民福祉教育」の根本理念を哲学的に基礎づける試みとなり得る、といってよい。子ども・青年と高齢者、旧住民と新住民、事業者と生活者――それぞれの自由がぶつかり合う場だからこそ、<自由の相互承認>という感度が、「まちづくり<」の根本的な前提条件として求められる、のである。
〇こうした視座に立つとき、公教育の<教養=力能>論は、学校の枠を超えて「市民福祉教育」として読み替えることができる。すなわち「市民福祉教育」とは、すべての住民に<自由の相互承認>の感度を育むことを土台に、地域で他者と共に<自由>に生きるための力――福祉的リテラシーや合意形成の力、地域課題を学び続ける力などを育む営みとして定義し直せる。それは単に福祉の知識を伝達する教育ではなく、住民が互いの「生」のあり方を承認し合いながら、「まちづくり」を進めるための力を育む教育である。
〇学びのあり方についての言説も、「まちづくり」の実践に対応する。学びの個別化は、動員される参加ではなく、住民一人ひとりが自らの生活実態や関心から出発して地域に関わることに対応する。学びの協同化は、異なる世代・立場の住民同士、あるいは行政・社協・NPO・専門職との対話と協働(共働)による「学び合い」に対応し、地域包括ケアにおける多職種連携や多世代交流拠点はその実践の場そのものである。学びのプロジェクト化は、高齢化や孤立、空き家、防災といった地域課題を、住民自身が当事者として設定し、自ら探究し解決していく過程に対応する。すなわち、苫野が学校教育のために構想した学びの融合モデルは、その基本的な考え方を、住民主体の「まちづくり」の設計原理として読み替えることができる。
〇さらに、知識基盤社会論が示す「学び続ける力」という視座も重要である。地域が直面する課題は、住民それぞれに多様に現象化し、時代とともに変化し続ける問いである。従って、「まち」に求められているのも、住民自身が多角的に学び続け、地域を絶えず更新していく自己更新力に他ならない。
〇ただし、これらの「読み替え」には、筆者自身への問いとして留保しておくべき点がある。第1に、学校と地域社会とでは「強制性」の性質が異なり、この差を無視して転用してよいか。第2に、学校には教師という明確な権威・専門性を備えた主体が存在し、「協同化」はその教師陣の連携を含むものとして構想されているが、「まちづくり」において教師に相当する主体は誰なのか。第3に、学校教育には「学力」という(相対的に)共有された評価基準があるが、「まちづくり」における「成果」は何をもって測るのか。第4に、地域社会は学校のクラスのような同質的な年齢集団ではなく、世代・立場・利害の大きく異なる住民の集合であり、<自由の相互承認>は現実の利害対立にどこまで実効性を持つのか。これらに留意したい。

阪野 貢/大橋謙策著『そのときの出逢いが』を読んで―「民俗としての地域福祉」、その水脈と鉱脈―

〇筆者(阪野)が大橋謙策先生に、「私が出会った人―このこと、あのこと―」というタイトルの玉稿のご執筆をお願いしたのは、2025年5月11日付のメールである。その約4か月後の9月7日に、『「そのときの出逢いが」―私の生き方、考え方に影響を与えた人との出逢い―』(以下「本稿」)という玉稿を拝受した。早速、それを『大橋謙策研究/第10巻』としてアップさせていただくことにした。
〇今回の投稿で、ひとまずの「区切り」にしたい旨のご連絡をいただいたことから、改めて本稿を読み返してみた。読み進めながら筆者の脳裏に浮かんだのは、「水脈」と「鉱脈」という2つの比喩である。それは、かつて「岡村重夫の薫陶を受けた人々の幅広いつながりとその頂に位置する岡村社会福祉学の崇(たか)さ」(古川孝順)を比喩した「岡村山脈」とは、いささか異質のものである。地中を縦横に流れ、各地を潤しながら繋がり、広がっていく「水脈」としての人的ネットワークの豊かさ。そして、その流れの下に静かに、しかし確かに横たわり続けた、「社会教育と社会福祉」を貫く学際的な理論と実践の「鉱脈」。この2つが表裏一体となって、「大橋謙策」という一人の研究者・実践家の地域福祉論、「実践的研究」を形づくってきた様(さま)が、本稿から立体的に浮かび上がってくる。

1 水脈としての出逢い―全国に張り巡らされた実践のネットワーク―
〇本稿を貫く最大の特徴は、重複を除いても300〜350人程度の人物、150〜180か所程度の地域が登場するという、その数の多さである。そこには、全国各地の隅々にまで及ぶ、大橋先生の「関係人口」としての足跡が描かれている。注目すべきは、これらが単発の講演や研修における一時的な関わりではなく、多くが数年、時には40年にも及ぶ「バッテリー型研究」として継続されている点である。すなわち、島根県瑞穂町(現・邑南町)をはじめ、富山県氷見市、香川県琴平町などにおける実践や実践家との「出逢い」が、単なる人脈形成に留まらず、理論構築の現場的検証や新たな理論的課題・仮説の探索の場となっている。
〇また、大橋先生が関係人口として地域に関わる際、単に外部者として制度や施策を持ち込むのではなく、その地域固有の歴史や文化、住民の生活実態などを丹念に読み解き、民俗学が取り扱うような事象を丁寧に掘り起こし、分析の俎上に載せてこられた点も見逃せない。これは、上述の岡村が理念的ではあったものの、1976年に論じた「民俗としての福祉」( ⇨ 本文 )の実践的展開と言えよう。この地域理解の作法こそが、「バッテリー型研究」を単なる長期的な地域関与にとどめず、地域に根ざした理論構築たらしめている所以である。
〇同時に印象的なのは、恩師の小川利夫をはじめ、三浦文夫らとの協働、そして和田敏明らの畏友たちとの生涯にわたる交友である。それは、単なる縦の師弟関係でも、横の同僚関係でもない、時代を超えて人が人と関わり、それがまた新たな実践の場を生み出していく――この連鎖こそが「水脈」の名にふさわしい。相田みつをの「出逢い、そして感動……感動が人間を動かし、出逢いが人間を変えてゆく」という言葉が、本稿全体の通奏低音として響いている。

2 鉱脈としての学際研究―「社会教育と社会福祉」を貫く理論の一貫性―
〇もうひとつの読みどころは、こうした広範な水脈の下に、一貫して掘り進められてきた理論的な「鉱脈」の存在である。大橋先生の研究の出発点は、1960年代に芽生えた「社会教育と社会福祉の学際研究」という問題意識であった。この問題意識は、朝日訴訟と関わるなかでの、憲法第13条(幸福追求権)と第25条(生存権)の関係をめぐる若き日の発言に始まり、それが生涯を通じて一貫して深められていく。
〇福祉教育論、ボランティア論、地域福祉計画論、コミュニティソーシャルワーク論、ケアリングコミュニティ論、災害支援ソーシャルワーク論――これらは決して相互に切り離された研究テーマではない。いずれも「福祉でまちづくり」(「福祉はまちづくり」)という根底の思想を共有し、「求め」と「必要」を見極めながら地域社会の「合意」を形成していく、重層的な地域福祉論の展開として位置づけられる。また、「社会福祉プロパーの研究ではない」と酷評されながらも、日本地域福祉学会や日本福祉教育・ボランティア学習学会の創設、日本学術会議での「統合科学としての社会福祉学」の提起へと結実していく過程は、周辺から中心を切り拓いていく学問形成のダイナミズムそのものである。さらに、「自立と連帯の社会・地域づくり」をめざす「ボランティア活動の構造図」(1980年)の根底には「思想」(「博愛の精神」)が据えられているが、それは大橋先生の諸言説に通底する学際研究の原点をなすものでもある。
〇加えて、山梨県茅野市の保健福祉サービスセンターが後の地域包括支援センターのモデルとされたように、各地の先進的な制度的取り組みや地域現場における実践家らの「職人芸」的実践を、全国的なシステムとして昇華させていく手法は、大橋先生が常に強調される「研究と実践の往還」の理念そのものである。それは、鉱脈を掘り当てただけでなく、それを精錬し、社会全体に還元していく大橋先生の姿勢を象徴するものである。

3 水脈と鉱脈の往還―「民俗としての地域福祉」の実践・研究の流儀―
〇本稿を読んで改めて痛感したのは、「水脈」と「鉱脈」が決して別物ではなく、互いに浸透し合っている点である。全国各地の「出逢い」がなければ、理論は単なる抽象論に終わっていたであろう。逆に、一貫した学際的な理論的視座がなければ、無数の「出逢い」は単なる交遊録に終わっていたであろう。大橋先生自身が、1979年度から全社協が始めた「地域福祉活動指導員養成課程」での出逢いがなければ、「筆者の地域福祉研究は、空疎な、抽象的なものになっていたことは紛れもない」と率直に述べている通りである。
〇大橋先生は、80歳を超えてもなお、全国の社協や被災現場などへ東奔西走し続けている。「押しかけアドバイザー」「提案型コンサルタント」として、でもある。こうした主体的・積極的な姿勢は、地域福祉実践・研究における「関係人口」概念のひとつの体現でもある。同時にそれは、現場とどう向き合い続けるべきかという、地域福祉の研究者や実践家への厳しい問いかけでもある。
〇水脈は広く浅く流れるだけでは涸れてしまう。鉱脈は深く掘るだけでは地表に届かない。大橋先生が「民俗としての地域福祉」の実践・研究において、「水脈」と「鉱脈」の2つを絶えず往還し続けてきたところにこそ、その独自性と重みがある。
〇本稿を読み終えたとき、そこに見えてくるのは、単なる人生の回顧録ではない。「大橋謙策地域福祉論の形成と発展」を物語る、ひとつの研究史であり、実践史である。改めて、大橋先生の「実践的研究」「バッテリー型研究」の重さと広がりを感じ入る次第である。

おわりに―今後への期待―
〇なお、本稿は、戦後日本の地域福祉実践・研究史を知る一次資料として極めて高い資料的価値を持つ。しかし、それをどのように読解するかということについて、筆者の読解は、大橋先生への深い敬意が先立つあまり、賛辞に傾き、先生の実践・研究を無批判に肯定する論調になっている。そう評されることは承知している。
〇事実、本稿を丹念に読み返せば、実のところ「うまくいかなかった」という記述も随所に見出すことができる。「ふれあいのまちづくり事業の活動成果は、はかばかしくなかった」、「老人保健福祉計画の評価研究について、体系的な研究成果は打ち出せなかった」といった一節がそれである。こうした率直な自己言及が随所に挟み込まれていること自体、本稿の誠実さを示すものであろう。
〇大橋先生には、もしご負担でなければ、今後機会があれば、こうした不本意な結果に終わった経験について、いま一歩踏み込んだ分析をしていただければ幸いである。また、本稿に登場する数々の事項についても、外部資料や関係者・第三者の証言と照らし合わせながら、その歴史的背景や経緯をより重層的に跡づけていく作業が、今後求められよう。そうした地道な検証の積み重ねによってこそ、本稿の一次資料としての価値は、より確かな、揺るぎないものになっていくと考える。その意味で、本稿はまだ終わっていない――われわれにとって、ここから始まるのである。

老爺心お節介情報/第91号(2026年9月23日)

「老爺心お節介情報」第91号

〇皆さんお変わりありませんか。酷暑ともいえる夏が終わったら、秋雨前線の影響で晴れる間もなく9月が過ぎようとしています。
〇昨年は、金木犀の香りが漂うのが10月10日頃で異常気象かと思いましたが、今年は長雨のせいか、我が家の金木犀は9月20日には香りが漂い始めました。通常なら、金木犀が10月1日前後に咲いた後、銀木犀が1週間後に咲くのに、今年は同時に咲いています。やはり異常気象なのでしょうか。
〇9月は、各地のCSW研修と重層的支援体制整備事業の研修とで、秋田、佐賀、秋田、山形、岩手と飛び回っています。
〇秋田では、高速道路を使って北秋田市の鷹ノ巣から秋田へ戻る途中、線状降水帯の猛烈な雨に出逢い、“一寸先も見えない猛烈な雨”の中、高速道路を走らざるを得ず、交通事故に遭うのではないかとひやひやしながら身を委ねました。
〇山形・鶴岡市での研修では、実家が鶴岡の妻を帯同し、これが最後かもしれないねと言いながら、実家の墓参り、義兄の墓参り、義姉の墓参りを済ませ、鶴岡に在住している甥、姪を集めて楽しい懇談の機会を設けることができました。体の弱った妻は杖を突きながらの故郷への帰省の旅でしたが、“楽しかった、楽しかった”と喜んでくれました。

Ⅰ 2026年度社会福祉協議会活動全国会議で、筆者が「関係人口」として関わる二つの社会福祉協議会の活動が紹介されたーー山形県鶴岡市、長野県王滝村

 (鶴岡市の地域福祉を巡って)

〇鶴岡市は、2005年の平成の合併で1市5町村が合併し、人口14万3千人、東北地方で最も面積が広い市になった。
〇2026年現在では、人口は11万3千人で、人口減少率は20年間で20%減である。旧町村単位の地域によっては、人口減少率が40%を超えている。高齢化率は37・5%、一人暮らし高齢者数は5531人である。鶴岡市には35の社会福祉法人がある。
〇2026年9月8日に行われた2026年度社会福祉協議会活動全国会議で、鶴岡市社会福祉協議会生活支援課長の今野良一さんが、「都市部と人口減少地域が共存する地域における社協活動の展開」と題して、全体シンポジウムで報告された。
〇その報告には立ち会っていないが、シンポジウムで報告した内容の資料をメールで送って頂いて見た。その報告内容は、筆者が2026年3月に鶴岡で行った研修で問題提起させて頂いた内容とほぼ同じである。
〇それは、鶴岡市の地域福祉計画も鶴岡市社会福祉協議会の地域福祉活動計画も、鶴岡市全域での計画になっているが、これからは全市的計画と同時に、地域包括支援センター圏域ごと(11か所)の状況を踏まえて、圏域毎の計画を作成しないと「2040年問題」に対応できないという提言であった。
〇合併前の旧鶴岡市街地での住民の社会生活課題と合併前の旧町村の住民の社会生活課題の現れ方は量的にも、質的にも違いがあるので、それを反映させた解決の方向を示す計画にしないと駄目だという提起である。
〇今回、9月17日に行った研修では、市内に35ある社会福祉法人の地域貢献がこれからは重要になるし、「2040年問題」に向けての社会福祉法人の経営問題が深刻になることを提起したが、既にその兆候が表れていることが今回の研修で明らかになった。
〇筆者は、今回の研修で、第1に、都市部と人口減少地域が共存する鶴岡市にあっては、地域属性が違うので地域包括支援センター圏域ごとのデータに基づいて、きめ細かく圏域ごとの課題を整理する必要があること、第2には、旧町村地域ではできているワンストップサービスを、同じように旧市街でもワンストップ相談システムを構築できるかどうか、社協の力量が問われていること、第3には、旧市街の地域包括支援センターは社会福祉協議会だけが委託を受けているのではなく、施設社会福祉法人も委託をうけているので、それらの地域包括支援センターが全世代対応型の相談支援システムに転換できるかどうかということ、第4には、鶴岡市社会福祉協議会自体が特別養護老人ホームや障害者の施設の経営を行っており、その状況の中で、35ある社会福祉法人をまとめ、そのプラットホーム構築の役割を担い、社会福祉法人の地域貢献活動のリーダーシップを取れるかが今後の鶴岡市社会福祉協議会の大きな課題であると提起した。

(長野県木曽郡王滝村社会福祉協議会と木曽谷の持続可能な地域福祉を巡って)

〇2026年9月8日に行われた2026年度社会福祉協議会活動全国会議の全体シンポジウムに登壇した3つの社会福祉協議会の内、2つの社会福祉協議会に筆者は「関係人口」として関わっている。王滝村社会福祉協議会がその一つである。
〇長野県木曽郡王滝村をはじめとする木曽郡6町村は合わせても人口が2万3千人に届かない。2040年には人口が28%減少すると予測されている。
〇その中でも王滝村は人口631人、高齢化率71・4%で、如何に持続可能な地域福祉を推進できるのか、その課題は王滝村そのものが存続できるのかという課題と一体である。
〇長野県はこのような人口が2千人前後の小規模町村が数多くあり、県政の大きな課題の一つになっているし、長野県社会福祉協議会自体の課題でもある(人口3000人以下16村、県全体の市町村の21%、人口5000人以下の町村29町村、県全体の38%)。
〇長野県社会福祉協議会は、山間部の孤立化地域を抱える長野県内の小規模自治体において地域を支える人材確保の問題や福祉サービス提供の地域格差も生じていることから、2022年8月より開催したオンライン情報交換会を母体に、2025年4月に、『信州むらから福祉ネットワーク (略称) U‐2000 村ふくネット』を立ち上げた。
〇筆者は、その『U―2000村ふくネット』の準備会の取り組みやその前段で取り組まれた長野市中条地区(旧中条村、元長野県社会福祉協議会事務局長の小池正志氏の生誕地)の活性化プロジェクトから関わりを持ってきた。
〇中条地区プロジェクトは長野市への合併に伴い、社協事務局組織も長野市中央に統合一元されたことにより、周辺地域の地域力が大幅に減退する中で、中条地区を再度活性化させようとの旧中条村社会福祉協議会の黒岩秀美さんたちが取り組んでいる活動である。
〇2026年度社会福祉協議会活動全国会議で王滝村社会福祉協議会事務局長の中嶋素道さんが報告された内容は、これらの活動の延長上に位置づけられた活動の一端の報告である。
〇中嶋素道さんは、「木曽地域における連携と協働による持続可能な地域の基盤づくり」と題して報告したが、その報告要旨は「 木曽地域では、人口減少や少子高齢化の進行に伴い、医療・介護人材の不足、公共交通の縮小、買い物支援、地域文化の継承など、住民の暮らしを支える基盤の維持が大きな課題となっている。2020 年から2050 年にかけて地域人口は約49%減少すると推計されており、全国の中山間地域に共通する課題が顕在化している地域でもある。こうした状況に危機感を抱いた社会福祉協議会、社会福祉法人、NPO 法人等は、地域や分野の枠を超えた連携の必要性を共有し、新たな協働の仕組みづくりに取り組むこととなった。 住民主体の支え合い活動を支援する「地域支え合い会員」の創設や、町村社協役職員研修、人口2,000人未満の自治体社協による「U2000 情報交換会」などを通じて、地域内外のネットワークづくりを進めてきた。その積み重ねを基盤として、令和5 年12 月から関係団体による協議を重ね、令和7 年10 月より「みんなの木曽『Ⅹ(かけはし)』プロジェクト」を始動した。本プロジェクトは、人と人とのつながりを軸に、多機関・他分野協働による新たな連携の仕組みを構築し、機関や地域の垣根を超えた持続可能な地域づくりを推進するものである。平時からの多様なつながりを災害時にも生かしながら、木曽地域の未来を支える基盤づくりに取り組んでいる」という内容であった。
〇中嶋素道さんたちが取り組んでいる『X(かけはし)』は、「かけ算(×)」で、 困難を乗り越え、持続可能な地域づくりの未来へ続く「かけはし」を創造! すると言う思いで命名された。
〇そのために、①、「多様な団体や機関との協働」、②、町村の枠組みを超えた協働」、③、「行政と地域の協働」(福祉事業の連携体制づくり、「新たな協働」)、④、ひとが繋がり、共生による地域づくり――ⅰ)「福祉の心を育む」地域づくり(福祉教育、包摂できる地域づくり)、ⅱ)「多世代交流」、ⅲ)「障がい者が主役」の地域づくり、ⅳ)「移住者と地域の協働」、ⅴ)「身寄りがなくても安心」して暮らせる地域づくり、⑤、「みんなの拠点づくり」(地域の拠り所、居場所づくり) 、⑥、「地域の文化の継承」、「多文化共生」、⑦、「地域間交流」の促進 ⑧、地域で支える「こどもたちの未来」、⑨、持続可能で、元気な地域づくりを目指している。
〇その活動の理念は、「地域」は、「日本のこころ(文化)」のルーツであり、「小地域」をたいせつに守る取り組みは「効率化」では守られない。日本の豊かな『文化』を守り、育む取り組みを推進することである。
〇長野県木曽谷の『X(かけはし)』の実践は容易ではない。木曽郡にある特別養護老人ホームは松本・塩尻・木曽郡の広域組合立であり、介護保険は木曽郡6町村の広域組合という状況の中で、町村社会福祉協議会は各々の町村からの補助金に多くを委ね、経営されている状況の中で、各種の経営問題も含めて木曽谷の地域福祉を持続可能なシステムに改編できるか、大きな試練が立ちはだかっている。『X(かけはし)』には、それを乗り越えるエネルギーと活動が期待されている。その活動を心から応援し、その思いが実現することを心より祈念したい。
〇と同時に、それは今後の日本全国の縮図を先取した取り組みであり、その実現を考え、支援することは日本地域福祉学会としても、地域福祉研究を標榜する研究者にも課せられた課題である。
(2026年9月21日記)

Ⅱ 「その時の出逢いが」―2020年代

『「そのときの出逢いが」――私の生き方、考え方に影響を与えた人との出逢い』⑫

1 2020年代

(はじめに)

〇2020年3月に楽しい東北福祉大学大学院での研究指導を終え、退職した。
〇と同時に、1970年に東京大学大学院教育研究科修士課程を修了し、女子栄養大学に助手として採用され、大学教員生活が始まるが、それも50年間の大学教員生活を閉じることになった。
〇“使える研究者”になれるのであろうか、社会的に評価される研究者になれるのだろうか、恩師の小川利夫先生の教えを実現できるのだろうか“と日々悩み、家族にも迷惑を懸けながらの実践的研究にまい進した50年の日々が走馬灯のように蘇ってくる。
〇筆者の大学教員としての評価、「地域福祉と社会教育の学際的研究者」としての評価は関係の方々に委ねるしかないが、自分自身としては“もがき、苦しみ、葛藤”した日々であったが、いい大学教員生活、いい研究生活を送れたと感謝の念で一杯である。
〇家庭的には、ある日、“長女が我が家は母子家庭なの”と妻に言ったことを聞かされ、家庭生活を顧みない自分の研究生活を押し通せるか悩みはしたが、今となっては妻も、家族も“いい人生を送りましたね”と言ってくれているのが、何よりも嬉しいご褒美だと思っている。
〇筆者は、大学教員50年を祝うために、第3回の「四国歩き通しお遍路」に2020年4月に出発する。しかしながら、2019年から世界的に流行し始めた新型コロナ(COVID―19)のパンデミックで、途中、37番札所・高知県岩本寺で断念せざるを得ず、帰宅することになった。残された札所巡りは2021年4月に継続して、無事大窪寺で結願した。
〇筆者は、2023年10月26日に80歳を迎えた。後期高齢者は5歳ごとに体力が落ち、病気がちになると教えられて来たが、まさにその通りで80歳を迎える前(79歳時)の2022年3月14日に前立腺がんが発見された。この危機を乗り越えるのに足掛け4年掛かることになった。
〇それを乗り越えた2026年以降は、70歳代と同じように活発に活動できるようになり、全国各地のCSW研修で東奔西走する日々である。

➀ 第3回四国歩きお遍路・新型コロナ・「老爺心お節介情報」の発刊と中山道よろよろへとへと道中記

〇先に述べた通り、2020年4月2日、第3回四国歩きお遍路に出発した。前日の4月1日に(公財)テクノエイド協会の辞令交付を行い、幹部会を開催して、後を託して出発した。

遍路発ち ミツバツツジが 咲き誇る
見送りに 佇む妻や 沈丁花

〇歩きお遍路は、弘法大師と同行二人なので、一人で歩きながら、来し方を振り返り、自然との共生を楽しむ孤独な思索の時である。
〇これがとてもよく、歩き進めるほどに、自分の世俗の垢が取れ、五感の感覚も鋭くなっていくのが実感できる。バスや車で、ツアーを組んでの札所巡りには、この“贅沢な時間と空間”と“思索の時間”は確保されない。歩きながら、様々な事柄に思い巡らせる思索の時間は何物にも代えられない贅沢な喜びである。体は疲れるが、感覚は研ぎ澄まされていく。「お四国病」と言われるお遍路の魅力はこのことに尽きていると思っている。
〇今回のお遍路でも当然同行二人なので、一人で歩いていくのだけれど、いつからか自分の前後を歩く鹿児島の人と長崎の人とほぼ同じペースで歩き、挙句の果てに泊まる宿がいつも一緒になる。いつの間にか、親しく声を掛け合うようになり、宿では一緒に夕飯を食べ、お酒を飲むようになった。鹿児島の方は私より、一歳年上であるが、普段山歩きをしているとかで健脚である。弥次喜多道中よろしく、二人とは前になったり、後ろになったりと35番札所の清滝寺までは一緒だった。しかしながら、新型コロナの影響で、お遍路宿がほとんど閉まり、札所もお遍路さんを受け入れないとなり、お二人は出直すということで別れた。
〇私は行けるとこまで行こうと思って歩き続けたが、37番所札所で打ち止めをすることになった。それというのも、県外者立ち入り禁止の通達が出ているとのことで、岩本寺の先は進めなくなり、岩本寺から引き返すことになった。
〇予讃線窪川駅から高知駅経由、岡山駅経由で新幹線で帰途に就く。駅の売店も閉まっているところが多く、人との出逢い、接触を拒否する新型コロナの恐ろしさを改めて痛感する。
〇新型コロナが猛威を振るう中、本当に人との出逢い、交流がなくなり、閉塞・蟄居の状態となってしまった。これでは駄目だと思い、「老爺心お節介情報」を関係者に送りつけることにした。
〇「老爺心お節介情報」は、2020年5月20日に第1号が発刊された。約100名の関係者に私が勝手に、“老婆心”ではなく、“老爺心”からお節介情報を送ることにした。その評価は分からないが、2026年9月現在、90号まで発刊し続けている。
〇「老爺心お節介情報」の発刊の趣旨を第1号では以下のように述べている。

「私は、この3月で東北福祉大学大学院を退職しました。少し閑になるので、時々皆さんに一方的に、私が見て、読んで関心を持ち、皆さんと情報を共有しておいた方がいいと思われる情報を一方的に送ります。取捨選択して使ってください。
ただし、大学教員を辞めるということは、教育・研究上迫られて情報を集めるとか、その立場にいるから自然と情報が入ってくるとかということがなくなり、皆さんが職務上知り得ている以上には情報を把握していないかもしれません。まさに、私が知り得たレベルでの情報を独善的に取捨選択して、「お節介爺さん」として送り届けるものです」(2020年5月28日)

〇2020年4月の「歩きお遍路」は、結局、途中で打ち切らざるを得ない、いわゆる「区切り打ち」状況で終えたので、新型コロナが落ち着いたら岩本寺以降を歩き、結願したいと考えていた。
〇改めて、2021年4月2日から4月28日まで、岩本寺から歩き始めて、38番札所金剛福寺(足摺岬)から88番札所大窪寺まで27日掛けて歩くことができた。
〇「お四国病」に取り付かれたものの一人として、第4回目の四国歩きお遍路を目指していたが、後記するように前立腺がんが発見され、その治療に女性ホルモン療法を取り入れたせいか、足の筋力が落ち、踏ん張ることできなくなった。これでは、お遍路の“馬の背”と呼ばれる道を歩くことができず、“馬の背”から滑落して、遭難することも考えられるので、お遍路は諦めることにした。
〇その代わりと考えたのが中山道530キロを歩くことである。日本橋から京都3条大橋まで歩こうと考えて、2026年4月に挙行した。
〇しかしながら、初日から足裏にまめができ、日に日にそれが大きくなり、とうとう中山道の中間点を過ぎた木曽谷の妻籠宿でリタイアを余儀なくされた。
〇元長野県社会福祉協議会事務局長の小池正志さんはじめ、木曽谷の地域福祉を良くしようと頑張っている木曽郡内社会福祉協議会や社会福祉法人の方々がいろいろサポートしてくれたがリタイアせざるを得なかった。
〇年寄りの冷や水と言われるかもしれないが、2026年10月に、歩けなかった中山道の区間(長久保・大和橋~和田宿~和田峠登山口と馬籠宿~中津川宿)を歩き、できれば2027年4月に中山道・中津川宿から京都3条大橋までの残りを歩きたいと考えている。
〇「中山道よろよろへとへと道中記」は、阪野貢先生のブログに収録されているので関心のある方は御照覧ください。

➁ 79歳で前立腺がんの重粒子線治療

〇私は、70歳以降は職場の健康診断、あるいは任意の人間ドックも受診していない。その代わりと言ってはいけないのであろうが、痛風予防の服薬をしているので、その薬がなくなる際に、「かかりつけ医」で6か月ごとに血液検査をして、HbA1c,γ―GTP、血糖値、クレアチニン、コレステロールなどの検査を行っている。
〇2022年に入り、畏友の阪野貢先生の強い勧めがあったので、2022年3月に行った血液検査の際に、従来の項目に付け加えて前立腺がんの腫瘍マーカーの検査も入れてもらった。
〇前立腺がんの腫瘍マーカーは、70歳以上の人の正常基準値は4・0以下なのに、私の血液検査の結果は、15・4であった。かかりつけ医は、慶応大学系の稲城市民病院と自宅がある京王線若葉台駅の隣り駅にある日本医科大学を紹介し、すぐに受診して欲しいというという。
〇私は、日本医科大学を選択し、受診したら、やはり前立腺がんだという。改めて、MRI、CTスキャナー、骨シンチグラフィー検査、前立腺生検等の検査を受け、前立腺がんが確定した。幸い、前立腺以外へのがんの転移はなかった。
〇日本医科大学病院の医師の進めもあり、相鉄線の二俣川駅(自宅から1時間30分)にある神奈川県立がんセンターで重粒子線治療を受けることになった。
〇神奈川県立がんセンターでも同じような検査を行い、高リスク群で、ステージⅡという前立腺がんの診断が確定する。神奈川県立がんセンターでは、女性ホルモン治療はおこなわないので、日本医科大学病院で治療を受けた後に重粒子線治療を行うことになった。
〇神奈川県立がんセンターでの重粒子線治療は、2023年2月下旬から3月に掛けて、12回の照射が行われた。神奈川県立がんセンターは、小田急線、相鉄線を乗り継いで、自宅から約1時間30分掛かるが、照射はたったの15分もかからない。12日間通って、12回分の照射を受けた。照射後は90日間酒を飲むなと言われ、結局約100日間禁酒をすることになった。
〇前立腺がんの治療には苦痛を感じなかったが、100日間の禁酒は日々さみしいものであった。第2回の古希記念の四国歩きお遍路の際には禁酒を誓い、40日間酒を飲まずに通した。結願後の徳島での結願祝いの席でビールを飲んだが、まったく美味しくなく、早々に宴席を退出させて頂いた。しかしながら、前立腺がん治療に伴う禁酒期間100日後の解禁のビールはとても美味しかった。いまだその違いがどこからきているのか分からずにいる。
〇前立腺がんの治療後は女性ホルモン治療の影響で筋力が落ちると言われたが、まさにそれを実感する日々が続いた。医師に、女性ホルモンの影響だけでなく、80歳にもなれば、20代の人の筋力の3分の1になるのだから筋力が落ちて当たり前ですと言われたが、足に力が入らず、坂道は辛かった。意識して歩いて筋力の復活を試みてみたものの、回復は未だ道半ばである。
〇そんなこともあり、2025年7月からは、駅近くのスポーツジムに週1回は通い、ペダル踏み、ランニング、11種類のマシーンを使っての筋トレに励んでいる。筋力の増強には届かないものの、筋力維持にはつながっているのではないかと自分では思っている。特に背筋のトレーニングをしているせいか、姿勢がいいですねと言われることが多くなった。

➂ 寄稿した小稿――大学教員・研究者から後代の研究者・実践者へのメッセージ

〇大学の教員を辞めると原稿を書く機会が減少する。かつては、原稿が書けなくて呻吟したことが懐かしく思い出されるほど、原稿を書かなければという強迫観念から開放された。
〇また、大学の教員としての論文では、先行研究を踏まえて自分の論説を書くことが求められ、先行研究などの文献引用が厳しく求められていたが、退職後は自分の言葉で、できるだけ平易に文章を書けるように心掛けた。これも故小川利夫先生の教えで、年老いてからは自分の言葉で、平易に書くようにと言われてきたことを実行したことである。
〇第1の寄稿の機会は、日本社会事業大学専門職大学院教授であり、在宅医療を重視して認知症高齢者等の内科の診療所「つるかめ診療所」を開業している鶴岡浩樹先生からの依頼である。
〇鶴岡浩樹先生が、開業している医者向けに、社会福祉、ソーシャルワークのことを理解してもらう機会を作りたいということで、日本社会事業大学の現役の先生方を中心に、日本医事新報社から「福祉発。拝啓、お医者さま」という連載の企画を立てられ、筆者にも寄稿して欲しいということで書いたのが、「地域共生社会をめざすーケアリングコミュニティの形成」という小稿である(註 巻末資料・本号では省略)。
〇第2の寄稿は、筆者が、(公財)テクノエイド協会の理事長に就任したことにより、従来の社会福祉学会とは違う人々との出逢い、交流が始まるが、その一人が「シルバー産業新聞」を月刊で発行している株式会社シルバー産業新聞の社長をされている安田勝紀さんである。
〇ある時、安田社長から「シルバー産業新聞」に、“自立生活支援とケアマネジメント”という内容で寄稿して欲しいという依頼をうけたので、できれば12回の連載をさせて欲しいとお願いをした。その連載記事のタイトル一覧が以下の通りである。

「地域共生社会に向けた実践―自立生活支援とケアマネジメントの考え方」
第1回 「戦後第3の節目」としての地域共生社会政策とその求められる背景」(2012年1月10日号)
第2回 「救貧的福祉サービスからその人らしさの生活を支えるサービスへ」(2021年2月10日号)
第3回 「ナラティブ(人生の物語)を大切にする自立支援」(2021年3月10日号)
第4回 「求めと必要と合意に基づく支援」(2021年4月10日号)
第5回 「家族・地域の介護力、養育力の脆弱化とソーシャルサポートネットワークの必要性」(2021年5月10日号)
第6回 「国際生活機能分類(ICF)と自立生活支援」(2021年6月10日号)
第7回 「地域包括ケアの歴史的展開と地域社会生活支援」(2021年7月10日号)
第8回 「地域福祉に必要なシステムづくりと地域包括支援センターの原型」(2021年8月10日号)
第9回 「地域共生社会づくりに必要な新しい地域包括ケアシステムとコミュニティソーャルワーク」(2021年9月10日号)
第10回 「在宅福祉サービスと施設福祉サービスとの連結によるコミュニティケア」(2021年10月10日号)
第11回 「地域共生社会政策を推進する社会福祉法人の地域貢献」(2021年11月10日号)
第12回 「包括的・重層的支援と“上位計画”としての市町村地域福祉計画」(2021年12月10日号)

〇第3の寄稿は、日本社会福祉学会から、若手の研究者へのメッセージを寄稿して欲しいとのことで、2021年3月に「日本社会福祉学会ニュース第88号」に、「これからの社会福祉学に期待すること・社会福祉学研究方法と研究組織に関する小稿」を寄稿した。
〇そこでは、社会福祉学の性格は統合科学であり、哲学・価値に関わる部分、分析科学の部分、設計科学の部分、実践科学の部分、評価科学の部分から構成された構造を持っていること、研究組織論として、社会福祉学の教育・研究体制は多くの大学で講座制でなく、学科目制なので、それについての功罪を書いた。(註 巻末資料・本号では省略)
〇第4の寄稿は、日本社会福祉士会の機関紙「日本社会福祉士会ニュース200号」(2021年6月)に寄稿を頼まれ書いた。
〇タイトルは「これからの社会福祉士―地域共生社会政策と社会福祉士の役割」として書いた。
〇そこでは、①、社会福祉士は自らのアイデンティティをどこに乱しているのであろうか?②、社会福祉士が使用する用語と無意識のうちのパターナリズム及び救貧的社会福祉観、③、専門職団体としての社会福祉士集団の政策提言能力―社会的評価と個々人の力量、④、地域共生社会政策の具現化を左右するのは社会福祉士集団であるということを書かせて頂いた。(註 巻末資料・本号では省略)

➃ 書籍の刊行――研究者としての理論の集大成と地域福祉実践の体系化の支援

〇2022年4月に中央法規出版から『地域福祉とは何か』を出版した。
〇この本は、2020年3月に東北福祉大学大学院の仕事も終えた時、日本地域福祉研究所が編集発刊している雑誌『コミュニティソーシャルワーク』の編集長である田中英樹先生から、「地域福祉とは何か」を書いて欲しいと依頼され、雑誌『コミュニティソーシャルワーク』第26号(2020年)、第27号(2021年)に連載した。
〇それを基に、加筆修正して、2022年4月に中央法規から『地域福祉とは何か』として上梓した。慌ただしく発行したこともあり、索引が無く、二木立先生からお叱りを受けた。索引が掲載されたのは、第3刷りを発行する2025年3月である。
〇この本の出版で、私の地域福祉実践・研究の集大成ができたと思っている。1960年代から、「社会教育と地域福祉の学際研究」をしてきたが、その折々のエピソードも含めて『地域福祉とは何か』に収録できたので、満足感は大きかった。
〇ただ、裏付ける資料や文献をいちいち当たることができず執筆したので、誤りや年代の違い等あるのかもしれないが、それは後進のチェックに委ねることにして、一応「大橋謙策地域福祉理論の形成と発展」の下になる原型はできたと思っている。
〇その上で、この「その時の出逢いが」が『地域福祉とは何かを』を補完する資料になると思っている。
〇この他、筆者がアドバイザーを委嘱されたり、「関係人口」として長年関わり、「押しかけアドバイザー」的役割を果たしてきた富山県氷見市の地域福祉実践、宮崎県都城市の地域福祉実践を整理し、世に出すお手伝いをした。それが下記の本である。いずれも、筆者が監修するとともに、筆者自身もそれらの地域の地域福祉実践が社会的にみてどういう意義ある実践をしてきたかの解題的文章を載せている。
*『福来の挑戦―氷見市地域福祉実践40年のあゆみ』中央法規、2023年4月
*『自治公民館と社会福祉協議会が綾なす地域福祉実践-都城市社会福祉協議会の取り組み』ミネルヴァ書房、2026年7月
〇更には、新型感染症(SARZ)で、直前に中止になった2000年のアジア・太平洋ソーシャルワーク会議の開催準備を機に久しく厚誼が始まった、日本医療ソーシャルワーカー協会(MSW協会)の笹岡眞弓先生などと一緒にまとめた本がある。
〇宮城県石巻市での東日本大震災の被災者支援を日本医療ソーシャルワーカー協会(MSW協会)が石巻市の現地に支援事務所を構え、職員を常駐させ、10年間支援してきた1047ケースを分析する手伝いをすることになり、私も石巻市に足掛け3年通った。
〇その研究成果、報告書(下記)が、復興局から助成を頂き出版することができた。その本はその後中央法規から刊行・販売されている。
〇その報告書の監修を行うと同時に、筆者自身も「災害支援ソーシャルワーク」についての文章を書いている。
〇この本を同志社大学の立木茂雄先生(災害支援の在り方を社会学、社会福祉学の視点から研究し、多くの論文を書いている)から、“災害被災者支援における金字塔的業績”ではないかと過分のお褒めを頂いた。
*『東日本大震災被災者への10年間のソーシャルワーク支援―公益財団法人日本医療ソーシャルワーカー協会の相談支援1047ケースの実践報告』中央法規、2024年1月
〇災害支援ソーシャルワークの在り方は、先の号でも書いてきたが、2012年の厚生労働省の調査研究会以降、頓にその必要性と考え方を提唱してきた。
〇2024年1月1日に起きた能登半島地震・集中豪雨被災支援においても珠洲市、輪島市、穴水町を中心に調査させて頂き、石川県社会福祉協議会主催の被災者支援の振り返りのシンポジウムでも提案させて頂いた。また、石川県社会福祉協議会の能登半島地震・集中豪雨被災支援の報告書にも書かせて頂いた。
〇そのような中で、JVOADが穴水町の行政と社会福祉協議会との間で3者協定を結び、新たな災害被災支援の実践システムともいえる方法を確立してくれているので、その実践システムを広く世に問うという意味合いで、本として出版することにした。この本でも、筆者は監修の役割と同時に、「穴水モデル」ともいえる実践システムの意義と位置について小稿を書いている。
*『災害被災者支援の新たな実践システム・穴水モデル』ミネルヴァ書房、2027年刊行予定
〇同じように、全国の都道府県社会福祉協議会レベルで初めてのアドバイザーの役割を担った香川県社会福祉協議会の足掛け13年の足跡とそれに基づく香川県内市町社会福祉協議会の実践をまとめることを提案し、その本でも監修者と同時にアドバイザーとしてどのような思いでアドバイス、コンサルテーションをしてきたのかの小稿を書いている。これも下記のような形で上梓する予定である。
*『ニーズ対応型社会福祉協議会の実践・香川モデル』ミネルヴァ書房、2027年刊行予定

➄ 大学教員としての責務からの解放――傘寿に「大橋ゼミ50周年ホームカミングデー」(2023年10月28日・最終回)を開催

〇「大橋ゼミホームカミングデー」は平田富太郎学長に言われ、始めたイベントである。
〇2023年は大橋ゼミ50周年の節目の年で、「大橋ゼミホームカミングデー」を2023年10月26日の私が傘寿の誕生日を考えて行うことにした。いつも使用している東京・市ヶ谷の私学会館アルカディア市ヶ谷きで開催した。
〇この日は、2度目の帯状疱疹が目と頭に発症し、目を冷やしながらの催しであった。
〇この「大橋ゼミ50周年ホームカミングデー」で以下のような挨拶文を冊子に掲載した。
〇「大橋ゼミホームカミングデー」は、卒業生と会える楽しい日ではあるが、一方、大学教員として卒業生へのリカレント教育の一環としての意味も持っており、5年毎とはいえ結構緊張する日でもあった。
〇そんな思いを綴ったのが以下の挨拶文である。これで、大学教員としての責務から解放されるという思いと、卒業生と会う機会が少なくなるという一抹の寂しさがよぎった。

「大橋ゼミ50周年ホームカミングデー」挨拶文
●1989年、日本社会事業大学に赴任してから、15年を記念して第1回のホーミカミングデーを開催しました。
このホームカミングデーは、故平田冨太郎学長の提言です。平田富太郎学長は、単科大学としての日本社会事業大学は卒業生を大切にして、リカレント教育の一環として、ホームカミングデーをゼミ毎に開催すべきと強く要望されました。
●それは、私が1974年、日本社会事業大学に赴任する際、五味百合子先生、仲村優一先生から言われたことと同じです。
日本社会事業大学の教員は、個人の研究もさることながら、学生指導、学生への教育を大切にしてほしい旨の訓示が度々されました。
私は教員の大学教員の教務分担として、新任教員は学生委員会に所属させられ、学生教育の重要性を学べと言われました。
●恩師である小川利夫先生からは、厚生省(当時)から委託を受けている日本社会事業大学の立ち位置を考えたら、“単なる大学教員”に甘んじてはいけない。日本社会事業大学を代表して、日本社会福祉学会などで評価される研究者になれと諭されました。
●これらの教えを胸に、ある意味、家族を“犠牲”にして、日本社会事業大学で教育・研究に励んできました。
子どもたちは、父親と楽しい時間をどれだけ持つことができたのでしょうか、時には、学生の調査実習の際に、家族を連れて行き、家族は別行動してもらいながら、学生の調査実習の合宿指導を行いました。
家庭では妻に全てを任せ、妻に“明日は日曜日でしょ”と言われても、原稿書きがあるとか、文献を読まなくてはいけないからと言っては、家事もせず、子どもとの団らんの機会も多くは持てませんでした。
今となっては悔いは残りますが、私の研究、教育、実践に全面的に家族が協力してくれたお陰だと、妻と子どもに感謝の念で一杯です。心からお礼を伝えたいと思います。
●このような経緯があったからでしょうか、教員、研究者として日本社会事業大学の学長はもとより、日本社会福祉学会会長、日本学術会議会員、日本社会事業学校連盟会長をさせて頂きました。
結果として、日本社会事業大学の先生方からの教えに背くことなく、50年間の大学教員の責務を全うできました。
●研究者としての評価は後世に委ねなければなりませんが、研究業績を「著作集」として刊行するのではなく、ある意味、岡村重夫先生を見習った訳ではありませんが、大橋謙策理論の集大成ともいえる著作『地域福祉とは何かー哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク』を2022年4月に上梓できました。
●唯一ともいえる残された課題は、5年ごとに行ってきたホームカミングデーをいつ終結するかという課題です。
ホームカミングデーは単に、卒業生が集まり、懇親し、近況報告をするというものでは駄目で、ホームカミングデーはある意味リカレント教育の場でもあるので、教員が教え子に最先端の研究、理論、実践を自ら指し示す機会でなければならないと教えられました。
そのために、ホームカミングデーごとに、5年間の間に教員がどのような論文を書いたのか、どのような実践・研究をしたのかを卒業生に示し、卒業生の学びを促す機会でもなければならない儀式でもあります。
このことは、結構教員にとっては辛いタスクであり、儀式です。教員として、研究者として、“生きて”いなければ、“論文を書いて”いなければ、ホームカミングデーは単なる懇親の場になってしまいます。
大橋ゼミホームカミングデーの機会に、私が5年間書いた物の中から、数編を選んで資料集として冊子にし、参加者に配布すると同時に、この間お世話になった方々に配布してきたのも、研究者、教員として責務を果たしていますという“アリバイ証明”でもありました。
この作業は、結構辛いもので、論文を書ける時もあれば、書けない時もあります。コンスタントに実践し、研究し、論文にまとめるという作業はよほど意識して取り組んでいないと書けないものです。
政策や制度の解説的なものは、すぐ“時とともに色褪せて”しまうもので、5年経っても色褪せず、卒業生に読んでほしいというものを書き続けるということは、一つ一つの論文で、常に社会福祉実践、社会福祉理論における研究課題は何か、事象を分析する視点に従来にない鋭さがあるか、事象に流されずに、社会問題として構造的にとらえられているかなど、研究者、教員としての知見が常に問われることになります。まさに、教員、研究者として“生きているか”が問われることになります。
これらの作業をするためには、常に“アンテナを高く、広く張り”、情報収集に努め、何が社会福祉分野における理論課題なのかを考えていなければできない作業であります。
大学教員としての現役の時は、仕事がら必要な情報が“相手からもたらされる”という状況もありますが、国や自治体、あるいは各種団体の役職・委員を退任しているものにとって、これらの役職・委員就任で得られている情報を自らの手で、体系的に収集把握することは容易ではありません。
また、大学の教員、研究者として、各種学会での発表のオブリゲーションもなくなり、75歳以上で名誉会員に推挙されると、学会の理論研究をリードしようというモチベーションも下がり、研究範囲が狭隘になり、唯我独尊的になり、研究意欲も減退することになります。
●私は今年80歳になり、上記の役割を担うことができなくなってきています。5年毎のホームカミングデーをここで終結し、教員、研究者としてなすべきことの責務から開放され、一人の“老爺”として、気軽に、自分の思うところを発信したいと思うようになってきました。2020年から始めた「老爺心お節介情報」の発信はその一端です。
●ホームカミングデーは今回で8回目を迎えますが、この間のホームアカミングデーの開催にあたっては、多くの卒業生のご協力、ご支援があったから開催できました。
今回も、岡村英雄さん、田中裕美子さんはじめ多くのゼミの卒業生のご協力、ご支援を頂きました。すべての人の名前を記載できませんが、この紙上を借りて、ここに厚く感謝とお礼を申し上げます。
●私は、後2年、(公財)テクノエイド協会理事長、富山県福祉カエレッジ学長を担う予定ですが、研究者、大学教員としての責務は今回のホームカミングデーをもって終了とさせていただきます。
卒業生の皆様には、自立した、かつ自律した職業人として、日本社会事業大学の建学の精神を忘れることなく、仕事に励んで頂きたいと思います。
皆様のご健勝とご多幸を心より祈念しています。今日からは、教師、研究者ではなく、“年老いた恩師”として、末永く懇親、懇談できればと願っています。
(2023年9月1日記)

(「その時の出逢いが」の執筆を終えるに当たって)

〇人生にとって「その時の出逢いが」の最初は、母親であり、父親であろう。しかしながら、私には生後6か月余で死に別れた父親との「出逢い」の記憶は全くない。
〇1944年5月に父は徴兵されて出征した。後には30歳代そこそこの若い母親と5人の子供が残された。父は、1946年3月17日、抑留されたシベリアのチェレンホボという収容所で病死した。
〇私に残された父の思い出は、出征の際に撮った記念の家族写真だけである。生後6か月の母に抱かれた乳飲み子には思い出す父の面影はひとかけらも無ければ、夢にさえ出てこない存在である。
〇「靖国の母」となった母は、30歳代前半で、5人の子供を育てるのは容易ではなかった。それでも、我が家には、なぜか多くの人が出入りし、何かと母に相談を持ち掛けていた。傍目には、自分の家族が大変なのに、何で他人様の相談まで受けるのか不思議であった。
〇今にして思えば、時代のなせる業であったのだろうが、母は物質的には貧しかったが、精神的には豊かな人生を送っていたのだと思える。
〇筆者が結婚した1970年4月26日の朝、母は筆者を父の仏壇の前に座らせ、“人が出入りする家庭を創れ、お隣とお裾分けできる家庭を創れ”と訓示を垂れた。その時は、何を言っているのかと思ったが、これも今にして思えば大切な教えだったと胸に落ちる。
〇そんな母を支えてくれたのが2歳上の兄で、定時制高校に通いながら、家計を支えてくれた。
〇二人のお陰で、私は昼間の高校に通わせてもらい、大学も自分の志望通りに進学させてくれ、大学院まで進学する我がままを許してくれた。二人の支えがなければ、今の私はいない。二人には感謝あるのみである。
〇当時、イギリス等のヨーロッパに行くのには、アンカレッジ経由で飛んでいたが、ある時からシベリア上空を飛べるようになった。
〇1975年11月、ヨーロッパの調査研究の帰り、はじめてシベリア上空を飛んでくれた。その時、自然と口ずさむように浮かび、詠んだ短歌が以下の句である。

「父の死す 白きシベリア飛ぶ朝 思い乱れて涙こぼれる」
「垂乳根の 母に見せたし亡き父が 眠れるシベリアの朝」
「止めどなく 流るる涙口惜しく シベリアに果てし父を思えり」
「三十年の 昔に死せる父の胸に われの乳児の姿刻める哉」
「白き野に 凍えて死したる父親の 心はいかに妻子思いし」
「亡き父が 送りし軍事郵便の 古びてあれど涙に見たり」
「二人の乳児の親なれば 亡き父の悲しき心 いくばくか分からん」

〇傘寿も過ぎ、妻との金婚式も終え、この2026年8月には最後の家族旅行になるかもしれないと家族での北海道旅行もできた。
〇妻とは、毎日のように悔いのない、楽しい、嬉しい人生を送ることができたねと感謝の言葉が口に上る。いつ、“お迎えが来ても”悔いはないねと話をする日々である。
〇これからどのような人生、出逢いがあるのか分からないが、これからも「出逢い」を楽しみ、感動する人生を送りたいと願っている。
(2026年9月23日秋分の日に)

花房 愛/書評 (1) (2):阪野貢著『「まちづくりと市民福祉教育」の研究』

花房 愛/書評(1):
阪野貢著『「まちづくりと市民福祉教育」の研究』のひとつの功績
―主体的・自律的な市民が織りなす「まちづくり」の未来-

著者の阪野貢氏は、地域住民が自らの問題として地域の課題を捉え、他者と「共働」しながら解決を目指す「まちづくり」と「市民福祉教育」の融合を主張します。『「まちづくりと市民福祉教育」の研究』(⇨本編)は、従来の学校教育を中心とした「福祉教育」を、地域社会全体で展開される「市民福祉教育」へと拡張し、その理論的・実践的基盤を体系化した画期的な研究書です。

1. 「市民福祉教育」という独自概念の確立と体系化

従来の福祉教育は、学校教育における「心の教育」やボランティア学習、あるいは社会福祉協議会(社協)が主導する住民啓発といった、限定的な枠組みで語られることが多くありました。しかし著者は、これらを「市民福祉教育」という一段高いメタ概念へと再規定しました。

「市民福祉教育」としての再定位
単に「福祉(弱者支援や制度)について教える教育」ではなく、個人が「ただ人間であること」が持つ道徳的価値をお互いに認め合い、民主主義的な地域・社会を構成する一員(市民)として自律するための教育――「市民福祉教育」として位置づけました。福祉教育を、教育学や社会学、政治哲学が交差する「主体的市民形成の営み」へと拡張したことが第1の功績です。

理論と実践の往還・融合
福祉教育の現場では「方法論(どうやって体験させるか)」ばかりが先行し、その本質に迫る哲学的・歴史的な理論研究が不足していました。本書は、緻密な思想モデルを構築しつつも、実際の制度や地域計画との架け橋となる実証的分析を展開し、「理論と実践の往還」を見事に具現化しています。

2. 福祉教育の「思想的系譜」の歴史的解明

本書の卓越した功績の1つは、福祉教育の歴史の起源を単に戦後のボランティア運動(例:1970年代の「学童・生徒のボランティア活動普及事業」など)に求めるのではなく、明治期まで遡及してその思想的系譜を明らかにした点にあります。

明治後期の「地方改良運動」への着目
著者は、明治40年代以降の「地方改良運動」にみられる内務官僚・井上友一の「自治民育」活動や、教育現場における村田宇一郎の論考を精緻に分析しました。この時代に行われた敬老会活動や地区衛生組織化のプロセスには、住民同士の「体験、交流、共生」が含まれており、これらこそが日本における福祉教育の「遡及的原型」であることを突き止めました。

歴史の連続性の発見
国家主導の地域管理政策(地方改良運動)の側面を持ちながらも、その中から芽生えた「地域振興」や「自治の精神」が、現代のコミュニティに生きる市民の主体形成といかに通底しているかを解き明かしました。この歴史的・マクロ的な視座は、福祉教育研究にこれまでにない学問的厚みをもたらしました。

3. 変革の実践原理としての「循環モデル」の提示

本書が実務家(自治体職員、社協職員、NPO、地域活動家)や後進の研究者に支持されるであろう理由は、単なる抽象論にとどまらず、「まちづくりと自律的市民形成の循環モデル」を具体的な図表を用いて理論化した点にあります。

福祉による「まちづくり」の構造化
著者は、「市民福祉教育」がいかに計画化され、持続可能なコミュニティの基盤(まちづくり)として機能するかを実証的に解明しました。

【自律的市民形成とまちづくりの循環構造】

このモデルは、地域福祉計画やコミュニティ・ソーシャルワーク(CSW)の実践において、住民の「学び」がいかにして実際の「制度改革や地域変革」へ結びつくのかというメカニズムを可視化しました。

4. 哲学的・倫理的思考の導入

教育学や福祉学の議論で往々にして見落とされがちな「ケアの倫理」や「道徳哲学」を、まちづくりの中心へ据えたことも特筆すべき功績です。

「ただ人間であること」が持つ価値
能力主義や生産性至上主義が蔓延する現代社会に対し、著者は「人間がただ存在しているだけで尊い」という根源的な道徳的価値を提示します。市民福祉教育とは、他者の脆弱性(弱さや老い、障害)を認め合い、お互いを「自由で平等な個人」として尊重する民主主義の精神を、地域社会の中で日常的にトレーニングする場であると説きました。

文化的・芸術的視点からのアプローチ
単なるお堅い政策論や法制度論にとどまらず、地域の「福祉文化の創造」や芸術的感性が市民形成にもたらす影響についても言及しています。これにより、まちづくりが「義務」や「負担」から、住民自身の「生の豊かさ(QOL)」を高めるクリエイティブな活動へとアップデートされる理論的根拠が与えられました。

5. 現代社会への警鐘と「希望の書」としての二面性

本書の後半(特に最終章の第9章)では、少子高齢化、限界集落の増加、地域コミュニティの希薄化、そして自己責任論の台頭といった現代日本が直面する過酷な現実が容赦なく描かれています。

限界を引き受ける覚悟
一見すると「絶望の書」とも読めるほど、厳しい現状分析がなされていますが、著者はその限界を直視した上で、「なお、そこからいかに反転して希望を見出すか」を問いかけます。

絶望から希望への反転
地域のつながりが崩壊しつつあるからこそ、逆説的に「市民福祉教育」を通じた自律的市民のネットワーク形成が、ポスト資本主義・ポスト近代における新しい「共生と自治」のセーフティネットを創り出すのだという強いメッセージが込められています。この「限界を引き受けて、なお立ち向かう」姿勢は、混迷を極める現代の福祉関係者・地域住民にとって、精神的な灯台となる大きな功績です。

まとめ

阪野貢氏による『「まちづくりと市民福祉教育」の研究』は、「福祉教育を学校から地域・社会へ連れ出し、まちづくりの駆動エンジンとして再定義した」という点において、不朽の業績を遺したと言えます。歴史的分析から紡ぎ出された説得力、哲学的思考に裏打ちされた倫理観、そして実践現場で即使える循環モデルの提示は、理論と実践が乖離しがちであった従来の学問の垣根を取り払いました。誰もが排除されることなく、住み慣れた地域で豊かに暮らし続けられる社会(共生社会・福祉コミュニティ)をどう構築するかという問いに対し、本書はこれまでにない網羅的かつ精緻な「実践原理の航海図」を示したと言えます。

 

花房 愛/書評(2):
阪野貢著『「まちづくりと市民福祉教育」の研究』の評価と課題
―歴史研究・実践分析・理論構築をめぐって-

本書は、1980年前後から半世紀近くにわたり福祉教育研究に携わってこられた著者・阪野貢氏による、まさに研究人生の集大成というべき浩瀚な労作です。全9章・3部構成、500ページを超えるかと思われるその分量もさることながら、明治後期の地方改良運動から令和のAI・デジタル社会論までを射程に収める歴史的スパンの広さ、そして歴史研究と実践分析と理論構築を三位一体のものとして統合しようとする方法論的野心において、類書を見ない一冊です。(⇨本編)

 1. 歴史研究としての価値――埋もれた実践史の発掘

第1部・第2部にあたる第1章から第5章は、これまで断片的にしか語られてこなかった福祉教育の「戦前史・戦後初期史」を丹念に掘り起こす、実証研究として高い価値を持つ部分です。

第1章では、内務省主導の地方改良運動における「自治民育」の実践に福祉教育の遡及的原点を見出すという大胆な仮説が提示されます。害虫駆除や老人慰藉会といった一次史料の丹念な紹介・解題を通じて、明治期の官製教化運動のなかに今日の福祉教育に通じる「側面や要素」を析出する手つきは説得的です。第2章の郷土教育運動論、第3章の生活綴方教育運動における国分一太郎「1936年論文」の翻刻・解題も同様に、埋もれた史料に光を当てる労を惜しみません。特に国分の「社会事業的教師」概念を、単なる技術論ではなく「教育の公共性の再定義」として位置づけ、無着成恭『山びこ学校』へと至る戦前・戦後の「思想的伏流」を仮説的に提示する筆致には、歴史研究者としての著者の面目躍如たるものがあります。

第4章の徳島県・平岡国市による「子供民生委員」制度、第5章の神奈川県社会福祉研究普及校制度の検討も圧巻です。とりわけ後者において、神奈川県の行政主導型モデルと鳥取県八頭郡社協の民間主導型モデルとを対比させ、福祉教育に内在する「統治と変革」の二重構造を浮かび上がらせる分析視角は鋭いものがあります。福祉教育が「民主的な社会の形成者」の育成をめざしながら、同時に国家的秩序の再編に資する規律化の装置としても機能しうるという指摘は、本書全体を貫く批判的視座の要となっています。

2. 理論的架橋の試み――思想家たちの横断的接続

本書の真骨頂は、第3部(第6章以降)における理論的跳躍にあります。第6章では、玉野井芳郎の「地域主義」、田村明の「まちづくり」実践論、山崎亮の「コミュニティデザイン」技法、山下祐介の「地域学」という、時代も専門領域も異なる4人の言説を「思想・実践・技法・認識」という枠組みで横断的に接続し、「まちづくりと自律的市民形成の循環モデル」として構造化する試みがなされています。個別に論じられがちなこれら4つの潮流を、「コモンズ」という共通項でつなぎ、市民性教育の4つのプロセス(歴史の学び直し・自治の制度化・関係性の編み直し・批判的思考力の獲得)として統合する手際は鮮やかであり、まちづくり論の見取り図として貴重な貢献となっています。

第7章では、日本の福祉教育研究の泰斗・大橋謙策の理論を「福祉教育原理論」として再考し、その「社会福祉問題」「地域福祉の主体形成」「ケアリングコミュニティ」「博愛の精神」という鍵概念を丹念に読み解いています。そのうえで、原田正樹の「協同実践」「相互依存的自己実現」、そして著者自身の「まちづくりと市民福祉教育」概念、「協働」と「共働」の峻別といった独自の理論的発展を跡づけます。松岡広路による大橋批判(「未分化な学習者像」「批判的創造性の欠如」)を丁寧に紹介しつつ、大橋・原田・著者三者の理論的系譜を「歴史・哲学・原理」の階層構造として整理する第7章末尾の議論は、本書の理論的到達点のひとつといえるでしょう。

第8章では、狛江市社協の“あいとぴあカレッジ”という具体的事例に基づき、福祉教育の「計画化」プロセスを詳細に再構成しています。ボランティア活動推進委員会・企画小委員会・作業委員会という重層的な検討構造のなかで学習プログラムが練り上げられていく過程の記述は、単なる回顧録に留まらず、「See→Plan→Do→See」サイクルと「ヒト・モノ・カネ・シゴト」の4要素という汎用的な計画理論へと昇華されています。さらに終盤では、この1990年代のモデルをAI時代にどうアップデートするかという現代的課題にまで踏み込んでおり、著者の理論的射程の広さを窺わせます。

3. 現代的転回――「思いやり教育」批判の刃

最終第9章は、本書のなかでもっとも思想的に尖った部分です。従来の福祉教育が陥りがちであった、疑似体験・技術習得・訪問交流という3類型の「思いやり教育」を、支援する側の優越感を温存し、依存や弱さを否定する自立観を強化するものとして根本から問い直します。そのうえで、地域活動家・小松理虔の「共事者」概念(当事者でも部外者でもない「中途半端さ」を肯定する立場)と、牧師・奥田知志の「不可解性の受容」(理解しきれない他者と共に生きる思想)という同時代の実践思想を、いわば「教材」として理論に組み込んでいく手法は独創的です。

とりわけ「依存の権利化」という概念――熊谷晋一郎の「自立は依存先を増やすこと」という命題を、憲法13条・25条、障害者差別解消法の合理的配慮規定にまで接続し、依存を「市民の権利」として再定義する議論――は、本書全体を貫く問題提起の核心といってよいでしょう。「存在肯定→共働参加→相互依存→共生共創」という4段階モデルも、抽象論に終わらせず高齢者介護や地域福祉計画という具体的な政策文脈に落とし込んでおり、理論と実践の往還を志向する著者の姿勢が最後まで貫かれています。

4. 評価と課題

以上のように本書は、歴史実証研究としての厚み、理論構築の包括性、そして現代的課題への応答という三拍子が揃った、稀有な達成であると言えます。特に、断片化しがちな福祉教育研究の諸潮流を「歴史・哲学・原理」という循環構造のもとに統合しようとする一貫した方法論的信念は、随所に説得力をもって示されています。

とはいえ、いくつかの課題も指摘しておきたいと思います。第一に、前半の実証的な史料分析と、後半の理論的・思弁的な議論との間には、方法論上のトーンの落差があります。後半になるにつれて著者自身の思想的立場が色濃く前面に出て、やや宣言的・啓蒙的な性格を帯びていく点は、読者によって評価が分かれるところでしょう。第二に、“あいとぴあカレッジ”という1990年代初頭の一事例をもとにした計画化モデルの一般化可能性については、著者自身も「今後の課題」として認めている通り、他地域における比較検証がなお必要です。第三に、AIやデジタル技術への言及は意欲的ですが、やや図式的・楽観的に処理されている印象も否めず、より批判的な検討の余地が残されています。

しかしこれらは、本書の価値を大きく損なうものではなく、むしろ「なお開かれている」研究領域の広がりを示すものと捉えるべきでしょう。福祉教育・地域福祉・生涯学習・まちづくり論・地域共生社会論に関心を持つ研究者、実践者、行政関係者、社会福祉士やソーシャルワーカーを志す学生にとって、本書は避けて通れない参照点となるはずです。「哲学なき実践は凶器であり、実践なき哲学は遊戯である」という言葉に象徴されるように、理念と現場を往還し続けようとするその姿勢にこそ、本書がもたらす最大の知的刺激があると言えるでしょう。

田村禎章/「学ぶこと」から、ふくし文化を考える―田村禎章の「ふくし文化論」(1)―

社会福祉の専門教育に携わって、まもなく20年になります。

振り返れば、浅学非才な私をここまで育ててくださった恩師や同僚の皆さん、そして何より、私の話を聞き、ともに考え、ともに活動してくれた学生・生徒の皆さん、地域住民の皆さんに、あらためて感謝しています。私自身も、人との出会いのなかで学び、育てられてきたのだと思います。

いま、私が研究のなかで考えているのが「主体形成」と「ウェルビーイング」です。

少し難しい言葉ですが、「主体形成」とは、自分で考え、人と関わりながら、自ら行動していく力を育てていくこと。そして「ウェルビーイング」は、単に健康である、幸せであるということだけではなく、人とのつながりや、自分らしく暮らしていけることも含めた「よりよく生きること」と私は捉えています。

この二つを考えるうえでも、「学ぶ」ということは欠かせないのではないかと思っています。

最近、久しぶりに外国人の方々への介護福祉教育に関わる機会をいただきました。介護の現場では、多くの外国人材が働くようになっています。一方で、その人たちが継続して学べる環境については、まだまだ考えていかなければならないことがあります。

そこであらためて感じているのが、「人に依存する教育」だけでは限界があるということです。

もちろん、人が人に教えること、人と人とが直接関わることは大切です。しかし、先生がいなければ学べないのではなく、オンラインやデジタルも活用しながら、自分の生活のなかで学び、仲間同士でも学び合える。日常そのものが学びの場になる。そんな仕組みを、これからもっと考えていく必要があるのではないでしょうか。

人が学ぶ。人が育つ。そして、その人が周りの人や地域に働きかけていく。

もしかすると、その小さな循環のなかに、「主体形成」も「ウェルビーイング」も、そして「市民福祉教育」のこれからを考えるヒントもあるのかもしれません。

このエッセイ、「ふくし文化論」では、そんな日常のなかにある小さな出来事や出会いを手がかりに、人が学ぶこと、人と人とがつながること、そして、ともによりよく生きることについて、私なりに考えていきたいと思います。

 

 

鳥居一頼/鳥居一頼の世語り―(1)2019年7月17日~(983)2022年3月15日―


鳥居一頼の世語り:アーカイブ(1)

―「心守る詩」を書き続けること―


壊れそうなもろい心/傷つき病んだ心/哀しくてやりきれない心/悩みと不安に揺れる心/おもいを断ち切ろうとする心/見下され虐げられた心/許しがたい憤りの心/人は人によって心に大きなダメージを負う/だから/不条理に立ち向い/理不尽にあらがい/逆境を跳ね返し/夢をあきらめない/そして/ひたむきに愛に生きる/そんな心模様を描きたい/せめて一時でも心を癒やし励ましたい/あなたの心を守る詩を贈りたい/非力な私の揺るがぬおもいです/鳥居一頼

Kazuyori Torii talks about the world ―Keep writing “heart-protecting poems”―

A heart that seems to break/A heart that is wounded and sick/A sad and intolerable heart/A heart swayed by worries and anxiety/A heart that tries to cut off regrets/A despised and oppressed heart/A heart unforgivably resented/Damaged most by others/So/Confront irrationality/Resist un-reasonability/Repel adversity/Never give up on a dream/And/Live in love earnestly/I want to manifest such a state of mind/I want to heal and encourage my heart at least for a while/I want to give you a poem that protects your heart/I’m powerless, but I have an unwavering feeling/Author Kazuyori Torii


メビウスの帯/Möbius  Strip

男は醒めた頭で メビウスの帯を想像した
5時間は 飲んだろうか/5時間の語らいは 十数年の時空を超えた/ただ 彼の体力の限界を超えていたのかもしれない/互いに気遣いながらも 過ぎゆく時間に身を任せた
周到な段取りをして 札幌に飛んできた/会いたいという強固な意志と 一筋気の行動に/ただただ 驚嘆と感謝 そして平伏するしかない/でも疲弊していた身体は 正直に弱さを見せていた
男は 紙片でつくったテープをひねった/同世代の二人の歩んだ道は 別々だった/交わることは 数度しかなかった/だからいま 互いの道が一本の軌跡になったことは/奇跡なのだ
大学をリタイヤしてから ずいぶん経ったある日/突然メールが来た/つてを頼って探し当て コンタクトを求めてきた/去る者追わず 来る者拒まず/男は そうして生きてきた/躊躇なく 受け止めた
男は 輪に人差し指を走らせた/一本になった軌跡を なぞった/この1年 矢継ぎ早に仕掛けてきた/男は 求められるまま ためらうこともなく 書いた/子ども 教育 学校 福祉 政治 などなど/手当たり次第に 思い浮かぶまま 書き綴った/地方紙で連載していたコラムの規制は 全くない/自由な思考と志向 そして嗜好/文字数の制限もなく こころのおもむくままに 書き綴った
彼は いま二人で発信しているこのブログを/共働だと 同席した若い大学人に語った/しかし 男には 一本筋の通ったポリシーはない/それを許容する 彼の熱い懐で/悠々こころを遊ばせ 甘露を味わう
男は メビウスの帯を机上に置いた/人生の晩期に 至福の時を共有する同伴者の/一日も早いご回復を ただひたすら祈った

〔鳥居一頼/2019年11月28日書き下ろし。2019年12月1日アップ。初冬の来札に深い感謝と尊敬を込めて綴る〕


【 ブックレット 】

本ブログに投稿・収録された原稿のいくつかを、ひとつのテーマのもとに編集したものです。編集の都合上、加筆・修正した部分を除き、基本的には原文のまま掲載しています。

(5)鳥居一頼著『めんこいしょ』/2021年5月30日/本文
(4)鳥居一頼著『子らよ すこやかに』/2020年7月15日/本文
(3)鳥居一頼著『現代政治ことわざ誤用集』/2020年6月5日/本文
(2)鳥居一頼著『子どもを詩う―まっすぐなまなざし―』/2019年10月1日/本文
(1)鳥居一頼著『ふくしを詩う―ほころびを繕う―』/2019年10月1日/本文


【提言・アピール】

(4)緊急アピール➃/鳥居一頼・市民福祉教育研究所:怒髪冠を衝く(どはつかんむりをつく)―政府の日本学術会議会員任命拒否に屈してはならない/2020年10月8日/本文
(3)緊急アピール➂/鳥居一頼:検察庁法改正案に強く抗議。法治国家を揺るがすこんな政権、絶対許さない!/2020年5月11日/本文
(2)緊急アピール➁/鳥居一頼:「緊急事態宣言」、その貧しい政治判断/2020年4月7日/本文
(1)緊急アピール➀/鳥居一頼:赤木俊夫氏の奥様の英断に感謝。子どもたちに正義と事実を伝えたい!/2020年3月23日/本文

 


鳥居一頼の世語り:アーカイブ(2)

―(912)2022年1月1日~(983)2022年3月15日―


(983)始動/2022年3月15日/本文
(982)皆殺し宣言/2022年3月12日/本文
(981)3・11と核施設への攻撃/2022年3月11日/本文
(980)国を捨て逃亡するロシア人/2022年3月10日/本文
(979)朝日新聞朝夕刊の1面の見出し/2022年3月9日/本文
(978)足りない足りない/2022年3月8日/本文
(977)財産を守れオルガルヒ/2022年3月7日/本文
(976)戦争犯罪人を裁く/2022年3月6日/本文
(975)公認テロ行為/2022年3月5日/本文
(974)反戦の声を/2022年3月4日/本文
(973)夢織りし子らに/2022年3月3日/本文
(972)子どもと生きる/2022年3月2日/本文
(971)地獄を見る者へ/2022年3月1日/本文
(970)プーチンの誤算/2022年2月28日/本文
(969)ロシアの母へ/2022年2月27日/本文
(968)前に進め!あずましプラン/2022年2月26日/本文
(967)戦争反対の声をあげよ!/2022年2月25日/本文
(966)ロシア侵攻作戦決行/2022年2月24日/本文
(965)渇きを癒す/2022年2月23日/本文
(964)空間創造/2022年2月22日/本文
(963)風吹き雪巻く/2022年2月21日/本文
(962)一刻者にはなれない/2022年2月20日/本文
(961)again/2022年2月19日/本文
(960)祝いのバラの花/2022年2月18日/本文
(959)帰郷/2022年2月17日/本文
(958)解を求めて/2022年2月16日/本文
(957)ひとりよがり/2022年02月15日/本文
(956)釧路行きのチケット/2022年2月14日/本文
(955)広瀬爽彩さんを悼む/2022年2月13日/本文
(954)平野歩夢の怒り/2022年2月12日/本文
(953)憎悪と報復/2022年2月11日/本文
(952)第3回接種券がやってきた/2022年2月10日/本文
(951)陽陽介護/2022年2月9日/本文
(950)ドカ雪と保線区員/2022年2月8日/本文
(949)解決できない/2022年2月7日/本文
(948)今冬一番のドカ雪の朝/2022年2月6日/本文
(947)「希求」の発刊は生涯の想い出/2022年2月5日/本文
(946)18歳の子ども食堂/2022年2月4日/本文
(945)なぜ先生に従うのですか/2022年2月3日/本文
(944)歯車を動かす/2022年2月2日/本文
(943)理非曲直の世界/2022年2月1日/本文
(942)転がり落ちるように/2022年1月31日/本文
(941)わかった!/2022年1月30日/本文
(940)ステルスオミクロン日本上陸/2022年1月29日/本文
(939)乱読はいい/2022年1月28日/本文
(938)そろばん道路とエッセンシャルワーカー/2022年1月27日/本文
(937)27日全道にまん延防止等重点措置発令/2022年1月26日/本文
(936)コクワ酒の実を取り出す/2022年1月25日/本文
(935)18歳の決断/2022年1月24日/本文
(934)札幌市は3日連続900人上回る/2022年1月23日/本文
(933)退任の挨拶文/2022年1月22日/本文
(932)会えたらいいですね/2022年1月21日/本文
(931)次代へと福祉をつなぐ人となる/2022年1月20日/本文
(930)食と募金/2022年1月19日/本文
(929)文章をいじる/2022年1月18日/本文
(928)役立たずの人材論/2022年1月17日/本文
(927)トンガ沖で海底火山大噴火/2022年1月16日/本文
(926)ボランティアコーディネーターの現在地/2022年1月15日/本文
(925)ボランティアの勘違い/2022年1月14日/本文
(924)生かされて生きよ/2022年1月13日/本文
(923)雪が舞い風が吹く/2022年1月12日/本文
(922)ことばはわたし/2022年1月11日/本文
(921)変化を求めず/2022年1月10日/本文
(920)体力の限界/2022年1月9日/本文
(919)相談される人の心の貧しさ/2022年1月8日/本文
(918)訃報に心揺れる/2022年1月7日/本文
(917)第六波がやってきた/2022年1月6日/本文
(916)いまを書き描く/2022年1月5日/本文
(915)不満を評価に/2022年1月4日/本文
(914)民意17年の重み/2022年1月3日/本文
(913)学生諸君へ生きるを問う/2022年1月2日/本文
(912)若き君を謳う/2022年1月1日/本文


鳥居一頼の世語り:アーカイブ(3)

―(541)2021年1月1日~(911)2021年12月31日―


(911)へこたれず前に/2021年12月31日/本文
(910)人はみなただ者にあらず/2021年12月30日/本文
(909)コンパスの会集まる/2021年12月29日/本文
(908)外出と歩数/2021年12月28日/本文
(907)七つの感情/2021年12月27日/本文
(906)希求の初校正終える/2021年12月26日/本文
(905)防げないオミクロン株と沖縄海兵隊/2021年12月25日/本文
(904)たぎる情熱を/2021年12月24日/本文
(903)人生にどうケリをつけるのか/2021年12月23日/本文
(902)聞き流す力/2021年12月22日/本文
(901)がんばって塩野義!/2021年12月21日/本文
(900)引き受けられない悲しみ/2021年12月20日/本文
(899)研究所開設10周年を準備する/2021年12月19日/本文
(898)頼まれた代弁書/2021年12月18日/本文
(897)母と赤いかくまき/2021年12月17日/本文
(896)詩と代弁者/2021年12月16日/本文
(895)学生まちづくりに動く/2021年12月15日/本文
(894)折り合いを付ける/2021年12月14日/本文
(893)古い資料を捨てる/2021年12月13日/本文
(892)仕事納めとオミクロン株/2021年12月12日/本文
(891)共有の本質/2021年12月11日/本文
(890)連携という誤謬/2021年12月10日/本文
(889)依頼と変更/2021年12月9日/本文
(888)戦争ときずな計画/2021年12月8日/本文
(887)小さな社協の話を聞く/2021年12月7日/本文
(886)海陽丸と散歩と見守り/2021年12月6日/本文
(885)厄介な訪問者/2021年12月5日/本文
(884)町民から出された意見の仕分け/2021年12月4日/本文
(883)みんな与党になればいい?/2021年12月3日/本文
(882)おばんと漬物づくり/2021年12月2日/本文
(881)福祉の歴史を創るひとたち/2021年12月1日/本文
(880)札幌五輪誘致に反対する/2021年11月30日/本文
(879)旅の友老いる/2021年11月29日/本文
(878)オミクロン株の脅威/2021年11月28日/本文
(877)雪の朝/2021年11月27日/本文
(876)いまも生きる五せる/2021年11月26日/本文
(875)仕事を積み上げる/2021年11月25日/本文
(874)忍従を強いられる/2021年11月24日/本文
(873)手紙/2021年11月23日/本文
(872)二つ返事/2021年11月22日/本文
(871)月形町福祉でまちづくり町民フォーラム終える/2021年11月21日/本文
(870)月形町福祉でまちづくり町民フォーラム/2021年11月20日/本文
(869)フィルターはどう外すのか/2021年11月19日/本文
(868)冬将軍やっと来る/2021年11月18日/本文
(867)仕事で育てる/2021年11月17日/本文
(866)オロロン街道北上/2021年11月16日/本文 
(865)コロナ感染第6波に備えよ/2021年11月15日/本文 
(864)見え見えの魂胆/2021年11月14日/本文
(863)虚脱感が襲う/2021年11月13日/本文
(862)町民フォーラムの準備/2021年11月12日/本文
(861)学ばぬ者は/2021年11月11日/本文
(860)ノー天気/2021年11月10日/本文
(859)たったこれぽっち/2021年11月9日/本文
(858)コクワ酒を造る/2021年11月8日/本文
(857)為すことで事を成す/2021年11月7日/本文
(856)なまらいいBIGBOSS/2021年11月6日/本文
(855)上司のストレス/2021年11月5日/本文
(854)不気味な空気/2021年11月4日/本文
(853)人望を失う/2021年11月3日/本文
(852)尻に火が付く/2021年11月2日/本文
(851)投票所混んでました/2021年11月1日/本文
(850)矍鑠と生きる/2021年10月31日/本文
(849)無用の長物アベマスク/2021年10月30日/本文
(848)人を選ぼう/2021年10月29日/本文
(847)北海道に来るなら/2021年10月28日/本文
(846)改悛の情なし/2021年10月27日/本文
(845)毒が回る/2021年10月26日/本文
(844)自分を生きる/2021年10月25日/本文
(843)つまんない男です/2021年10月24日/本文
(842)懲らしめの一票/2021年10月23日/本文
(841)死を遠ざけてはならない/2021年10月22日/本文
(840)在庫一掃セールが始まった/2021年10月21日/本文
(839)いまさらながら/2021年10月20日/本文
(838)原油の高騰と北の暮らし/2021年10月19日/本文
(837)劣悪なトイレ/2021年10月18日/本文
(836)神父からのメール/2021年10月17日/本文
(835)負ける原因/2021年10月16日/本文
(834)団塊の世代の介護に備えを/2021年10月15日/本文
(833)つながりを結び直す/2021年10月14日/本文
(832)ONLINE授業の妙/2021年10月13日/本文
(831)団塊の世代の動向に注視せよ/2021年10月12日/本文
(830)個人商店と掛け売り/2021年10月11日/本文
(829)曖昧な空気が流れるいま/2021年10月10日/本文
(828)担当が交代する/2021年10月9日/本文
(827)大丈夫というフィルター/2021年10月8日/本文
(826)父と生産性の向上/2021年10月7日/本文
(825)黄門様お助けください/2021年10月6日/本文
(824)組閣と過老害疾患群/2021年10月5日/本文
(823)日程調整/2021年10月4日/本文
(822)長距離ドライブを楽しむ/2021年10月3日/本文
(821)第三者認証滞る/2021年10月2日/本文
(820)ボランティアってなにもの?/2021年10月1日/本文
(819)岸田文雄新総裁の厳しい船出/2021年9月30日/本文
(818)棚ざらし/2021年9月29日/本文
(817)道産子よ!試練の壁に耐えて立て/2021年9月28日/本文
(816)夢のかけらは映す/2021年9月27日/本文
(815)おひとりさまの支度/2021年9月26日/本文
(814)秋の彼岸法要/2021年9月25日/本文
(813)進軍ラッパが聞こえた/2021年9月24日/本文
(812)大言壮語のオンパレード/2021年9月23日/本文
(811)なぜか嬉しい/2021年9月22日/本文
(810)蚊帳の外/2021年9月21日/本文
(809)小さな願望/2021年9月20日/本文
(808)隗より始めよ/2021年9月19日/本文
(807)有言不実行/2021年9月18日/本文
(806)あずまし食堂オープン/2021年9月17日/本文
(805)青虫と大根の葉/2021年9月16日/本文
(804)おまえさんが嫌い/2021年9月15日/本文
(803)83歳が描く終活の里づくり/2021年9月14日/本文
(802)アベ化警戒発令中/2021年9月13日/本文
(801)涙は乾かない/2021年9月12日/本文
(800)キッズボランティアのその後/2021年9月11日/本文
(799)期待と信用/2021年9月10日/本文
(798)崩壊する思考/2021年9月9日/本文
(797)オリ・パラ閉幕にあたっての声明/2021年9月8日/本文
(796)試練を心に刻もう/2021年9月7日/本文
(795)新たな呪文/2021年9月6日/本文
(794)後ろ盾を失う/2021年9月5日/本文
(793)庶民願望/2021年9月4日/本文
(792)自民を変える風となるか/2021年9月3日/本文
(791)ドブに捨てる/2021年9月2日/本文
(790)前代未聞の歴史をつくろう/2021年9月1日/本文
(789)だからさっさと/2021年8月31日/本文
(788)だからなんなの/2021年8月30日/本文
(787)恥辱だらけの幕引き/2021年8月29日/本文
(786)自民党総裁選に願う/2021年8月28日/本文
(785)Welcome北海道/2021年8月27日/本文
(784)明かりを灯せ/2021年8月26日/本文
(783)道内も25日から3回目の緊急事態宣言/2021年8月25日/本文
(782)不作為な教育者たち/2021年8月24日/本文
(781)横浜市長選の先を見すえる/2021年8月23日/本文
(780)人間狩りが始まった/2021年8月22日/本文
(779)安倍チルドレンは戦々恐々/2021年8月21日/本文
(778)衆愚政治を阻止する/2021年8月20日/本文
(777)不退転の決意/2021年8月19日/本文
(776)カブール陥落/2021年8月18日/本文
(775)足し算引き算の世界/2021年8月17日/本文
(774)欲ばりません勝つまでは/2021年8月16日/本文
(773)敗戦後76年夏コロナ戦時体制を読む/2021年8月15日/本文
(772)オペレーションの問題/2021年8月14日/本文
(771)君臨した者の教訓/2021年8月13日/本文
(770)縄跳びした/2021年8月12日/本文
(769)お手軽挨拶/2021年8月11日/本文
(768)残酷な仕打ち/2021年8月10日/本文
(767)友のため息/2021年8月9日/本文
(766)暑さが過ぎれば/2021年8月8日/本文
(765)欲をかく/2021年8月7日/本文
(764)祝祭の後の反動/2021年8月6日/本文
(763)楽観主義の末路/2021年8月5日/本文
(762)夢のない新生活/2021年8月4日/本文
(761)IOCこそ政治である/2021年8月3日/本文
(760)冬期札幌五輪の招致反対/2021年8月2日/本文
(759)TOKYO4058/2021年8月1日/本文
(758)瓦解する統治/2021年7月31日/本文
(757)本音が聞こえた/2021年7月30日/本文
(756)五輪と同じ対策取りました/2021年7月29日/本文
(755)五輪下感染列島ジャパン/2021年7月28日/本文
(754)歪む線路/2021年7月27日/本文
(753)暑気払い/2021年7月26日/本文
(752)感染爆発は必ず起こる/2021年7月25日/本文
(751)太鼓を叩け/2021年7月24日/本文
(750)東京五輪開幕する/2021年7月23日/本文
(749)一粒の種/2021年7月22日/本文
(748)信じられる?/2021年7月21日/本文
(747)安心安全の呪文/2021年7月20日/本文
(746)北海道は熱暑です/2017年7月19日/本文
(745)教え子大井浩平君 NPO法人づくりに動く/2021年7月18日/本文
(744)5つのしない/2021年7月17日/本文
(743)リスクはあなたです/2021年7月16日/本文
(742)チャイニーズピープルです/2021年7月15日/本文
(741)子ども受難時代到来/2021年7月14日/本文
(740)持ち直すか はたまた崩れるか/2021年7月13日/本文
(739)来日は見合わせてください/2021年7月12日/本文
(738)企業の経営理念と政治献金/2021年7月11日/本文
(737)最初と最後の教え子/2021年7月10日/本文
(736)おちょくるな/2021年7月9日/本文
(735)IOC御用達ニッポン!/2021年7月8日/本文
(734)じいさん一言多い/2021年7月7日/本文
(733)大谷翔平選手に感動する/2021年7月6日/本文
(732)きょうは疲れました/2021年7月5日/本文
(731)政治家失言語録/2021年7月4日/本文
(730)報道の自由の侵害/2021年7月3日/本文
(729)選挙初めて行ってみようかな/2021年7月2日/本文
(728)若者はなにも知らない/2021年7月1日/本文
(727)いまさらやめられない/2021年6月30日/本文
(726)仲良くなる現象/2021年6月29日/本文
(725)卵は孵化するか/2021年6月28日/本文
(724)覚悟なき者たち/2021年6月27日/本文
(723)五輪へと駆り立てる/2021年6月26日/本文
(722)小さな抵抗/2021年6月25日/本文
(721)孤独なる生命と魂/2021年6月24日/本文
(720)考える・書く・読む・見る/2021年6月23日/本文
(719)紳士な手帳/2021年6月22日/本文
(718)1回目ワクチン接種終わる/2021年6月21日/本文
(717)進軍ラッパが耳につく/2021年6月20日/本文
(716)孤独酒/2021年6月19日/本文
(715)札幌で羆撃たれ哀れなり/2021年6月18日/本文
(714)やりたい放題/2021年6月17日/本文
(713)分かる瞬間がいい/2021年6月16日/本文
(712)宣言解除の吉兆か/2021年6月15日/本文
(711)バッターボックスに立つ/2021年6月14日/本文
(710)わたしに出会う/2021年6月13日/本文
(709)時を待つ/2021年6月12日/本文
(708)無言の抗議/2021年6月11日/本文
(707)お題目を唱える/2021年6月10日/本文
(706)記者は特ダネを狙う/2021年6月9日/本文
(705)出る杭であれ/2021年6月8日/本文
(704)心の五味のひとあじ/2021年6月7日/本文
(703)たかります/2021年6月6日/本文
(702)義を見てせざるは/2021年6月5日/本文
(701)主権侵害にはあたりません/2021年6月4日/本文
(700)怨嗟(えんさ)を生む/2021年6月3日/本文
(699)縁木求魚なことば/2021年6月2日/本文
(698)五輪に揺れる世相を見る/2021年6月1日/本文
(697)渇望/2021年5月31日/本文
(696)沈黙の価値/2021年5月30日/本文
(695)オリンピック愛ランド/2021年5月29日/本文
(694)虎からき狐に/2021年5月28日/本文
(693)禍福はあざなえる縄のごとし/2021年5月27日/本文
(692)今朝は快晴なり/2021年5月26日/本文
(691)粛々と待つだけ/2021年5月25日/本文
(690)ホラーの再演か/2021年5月24日/本文
(689)ルビをふった礼状/2021年5月23日/本文
(688)響き合う授業/2021年5月22日/本文
(687)授業がしたい/2021年5月21日/本文
(686)運動会の朝/2021年5月20日/本文
(685)ヤングケアラーの君へ/2021年5月19日/本文
(684)IT改革で国民統制します/2021年5月18日/本文
(683)心躍らぬ聖火リレー/2021年5月17日/本文
(682)小粒はピリッと…しない/2021年5月16日/本文
(681)年寄りの可愛い強欲さ/2021年5月15日/本文
(680)まあいいか/2012年5月14日/本文
(679)首をかける気概を/2021年5月13日/本文
(678)奪い合うより分かち合う/2021年5月12日/本文
(677)さざ波が人を殺す/2021年5月11日/本文
(676)どこの国に住んでいるのか/2021年5月10日/本文
(675)過ちは冒さない/2021年5月9日/本文
(674)おさな児に会えた/2021年5月8日/本文
(673)かわえげな(出雲弁)/2021年5月8日/本文
(672)覆水盆に返らず/2021年5月7日/本文
(671)力のある教師/2021年5月6日/本文
(670)好奇心で満たそう/2021年5月5日/本文
(669)五月の雨が降る/2021年5月4日/本文
(668)札幌感染拡大打つ手なし/2021年5月3日/本文
(667)静寂な世界/2021年5月2日/本文
(666)笑顔と感謝/2021年5月1日/本文
(665)とめられない!とまらない!/2021年4月30日/本文
(664)悪夢が甦る/2021年4月29日/本文
(663)太書きの万年筆/2021年4月28日/本文
(662)新任校長を祝う/2021年4月27日/本文
(661)世間に生きる/2021年4月26日/本文
(660)五輪どうしてもするの?/2021年4月25日/本文
(659)宮城葉子「肝愛(チムガナ)さぬ」(ウチナーグチ)/2021年4月25日/本文
(658)優しさの喪失/2021年4月24日/本文
(657)札幌も変異株に置き換わる/2021年4月23日/本文
(656)生きるを信じる/2021年4月22日/本文
(655)オーダー承ります/2021年4月21日/本文
(654)よろず相談承ります/2021年4月20日/本文
(653)お隣さんの足になる/2021年4月19日/本文
(652)求められて動く/2021年4月18日/本文
(651)解散選挙なんだ/2021年4月17日/本文
(650)何と穏やかなのでしょう/2021年4月16日/本文
(649)やればやったで笑えます/2021年4月15日/本文
(648)特別な人/2021年4月14日/本文
(647)狂気の狩りをする者たち/2021年4月13日/本文
(646)場当たり的な人生/2021年4月12日/本文
(645)心のかさぶた/2021年4月11日/本文
(644)涙もろくなる/2021年4月10日/本文
(643)為すべき事がある/2021年4月9日/本文
(642)欺瞞に宿る醜さ/2021年4月8日/本文
(641)米穀通帳と新しい生活/2021年4月7日/本文
(640)お見通し/2021年4月6日/本文
(639)旧套墨守の人たち/2021年4月5日/本文
(638)なれの果て/2021年4月4日/本文
(637)春になる/2021年4月3日/本文
(636)精彩なき聖火/2021年4月2日/本文
(635)高校での探究ごっこ/2021年4月1日/本文
(634)ついにきたか/2021年3月31日/本文
(633)ゆらぎを生きる/2021年3月30日/本文
(632)心ない世間/2021年3月29日/本文
(631)子どもと生きる/2021年3月28日/本文
(630)うなずき/2021年3月27日/本文
(629)聖火が走る/2021年3月26日/本文
(628)真剣なまなざし/2021年3月25日/本文
(627)バスに乗る/2021年3月24日/本文
(626)感染リバウンドの兆し/2021年3月23日/本文
(625)先の景色を見る/2021年3月22日/本文
(624)一筆啓上/2021年3月21日/本文
(623)正しく怒ろう/2021年3月20日/本文
(622)民生委員信条に生きる/2021年3月19日/本文
(621)ともに在る道/2021年3月18日/本文
(620)生き地獄をみる/2021年3月17日/本文
(619)後払い/2021年3月16日/本文
(618)夢を狩る/2021年3月15日/本文
(617)猿になりたい/2021年3月14日/本文
(616)ほほえみがえし/2021年3月13日/本文
(615)生まれてきた理由/2021年3月12日/本文
(614)遡上する鮭/2021年3月11日/本文
(613)虚心坦懐の境地/2021年3月10日/本文
(612)満席御礼/2021年3月9日/本文
(611)地力を引き出す/2021年3月8日/本文
(610)文春砲炸裂!/2021年3月7日/本文
(609)説教を垂れる/2021年3月6日/本文
(608)火事場の馬鹿力/2021年3月5日/本文
(607)この子はきっと政治家になる/2021年3月4日/本文
(606)傘寿プラスワン/2021年3月3日/本文
(605)信と不信/2021年3月2日/本文
(604)旅立ちの日/2021年3月1日/本文
(603)島根県知事の涙/2021年2月28日/本文
(602)かるいとおもい/2021年2月27日/本文
(601)続ミャンマー22222/2021年2月26日/本文
(600)気が緩む/2021年2月25日/本文
(599)気だるさの先に/2021年2月24日/本文
(598)ミャンマー22222/2021年2月23日/本文
(597)茶の間に居座る/2021年2月22日/本文
(596)想い出補正/2021年2月21日/本文
(595)穀潰し/2021年2月20日/本文
(594)解き放す/2021年2月19日/本文
(593)いかんよ!/2021年2月18日/本文
(592)ため息をつく/2021年2月17日/本文
(591)人望を集める/2021年2月16日/本文
(590)人を育てる/2021年2月15日/本文
(589)2・13地震通告/2021年2月14日/本文
(588)高校生とカーリング日本選手権/2021年2月13日/本文
(587)いっときの凪/2021年2月12日/本文
(586)この期に及んで/2021年2月11日/本文
(585)暇つぶし/2021年2月10日/本文
(584)夢のくず/2021年2月9日/本文
(583)北海道の集中対策期間の延長/2021年2月8日/本文
(582)平穏でありたい/2021年2月7日/本文
(581)手をつなぐ/2021年2月6日/本文
(580)極楽とんぼになりたい/2021年2月5日/本文
(579)17歳の塊を磨こう/2021年2月4日/本文
(578)言語道断の宴/2021年2月3日/本文
(577)封印された絶対/2021年2月2日/本文
(576)上級国民の3つの心得/2021年2月1日/本文
(575)桑原直子「や~らしかやろー」/2021年1月31日/本文
(574)威厳を羽織る/2021年1月31日/本文
(573)須々田秀美「めごいなぁ」/2021年1月30日/本文
(572)いずれにしても/2021年1月30日/本文
(571)散らかった頭/2021年1月29日/本文
(570)野間晴美「かいらしおすやろ?」/2021年1月29日/本文
(569)まずは1ヶ月の様子見/2021年1月28日/本文
(568)理念なき教師/2021年1月27日/本文
(567)ヘッドハンティングの功罪/2021年1月26日/本文
(566)銀の涙は舞う/2021年1月25日/本文
(565)小中高生440人自死する/2021年1月24日/本文
(564)夜明け前の闇をつく光に/2021年1月23日/本文
(563)するつもりはない/2021年1月22日/本文
(562)危険なホワイトアウト/2021年1月21日/本文
(561)志ある政治家は皆無か/2021年1月20日/本文
(560)もう無理でしょ/2021年1月19日/本文
(559)3兆円がぶっ飛ぶ/2021年1月18日/本文
(558)うなずき/2021年1月17日/本文
(557)初給料/2021年1月16日/本文
(556)Stop the Steal(票を盗むのを止めろ)/2021年1月15日/本文
(555)リスクファクターを取り除け/2021年1月14日/本文
(554)正義のお墨付き/2021年1月13日/本文
(553)教師とは雑用係である/2021年1月12日/本文
(552)カルトの呪縛を解き放す/2021年1月11日/本文
(551)丑年の年男/2021年1月10日/本文
(550)盛り下がるオリンピック/2021年1月9日/本文
(549)棟方梢「めごいべぇ」/2021年1月8日/本文
(548)逃げろ!/2021年1月8日/本文
(547)大地の子/2021年1月7日/本文
(546)お利口さん/2021年1月6日/本文
(545)逆なでする/2021年1月5日/本文
(544)蠹賊たち/2021年1月4日/本文
(543)つくられていく虚像/2021年1月3日/本文
(542)我是他非/2021年1月2日/本文
(541)撫でる力と愛でる力/2021年1月1日/本文


鳥居一頼の世語り:アーカイブ(4)

―(170)2020年1月1日~(540)2020年12月31日―


(540)大晦日の晩餐/2020年12月31日/本文
(539)間違えがわかるということ/2020年12月30日/本文
(538)子らが導く世界へ/2020年12月29日/本文
(537)私は何もの?/2020年12月28日/本文
(536)物見遊山の烏合の衆/2020年12月27日/本文
(535)金澤昌子「めんけべしゃ」/2020年12月26日/本文
(534)保坂美保子「めんけなぁ」/2020年12月26日/本文
(533)いまを一緒に考えたい/2020年12月26日/本文
(532)噛みしめる/2020年12月25日/本文
(531)裏切られた男/2020年12月24日/本文
(530)不変可変/2020年12月23日/本文
(529)貧すれば鈍する/2020年12月22日/本文
(528)我感知せず/2020年12月21日/本文
(527)去る人たち/2020年12月20日/本文
(526)誤解活用法の誤解/2020年12月19日/本文
(525)こころにトゲ/2020年12月18日/本文
(524)ときめきのとき/2020年12月17日/本文
(523)改革への道/2020年12月16日/本文
(522)コロナと失業と子どもの貧困/2020年12月15日/本文
(521)感情労働としくじり/2020年12月14日/本文
(520)運から見放される時がきた/2020年12月13日/本文
(519)漂流する民/2020年12月12日/本文
(518)夢織り人/2020年12月11日/本文
(517)もう泣かないで/2020年12月10日/本文
(516)自家製の干し魚/2020年12月9日/本文
(515)Gabriel Sayre、Healing a Lost Cause/December 8, 2020/本文
(514)さよならも言えずに/2020年12月8日/本文
(513)男は姑息な言葉で勝負する/2020年12月7日/本文
(512)背負い込んだ重さ/2020年12月6日/本文
(511)瓢箪から駒/2020年12月5日/本文
(510)愁眉を開く/2020年12月4日/本文
(509)明確なメッセージ/2020年12月3日/本文
(508)悪因悪果/2020年12月2日/本文
(507)雅量を示す/2020年12月1日/本文
(506)命を絶つ子たち/2020年11月30日/本文
(505)置いてきぼり/2020年11月29日/本文
(504)核の下のしるし/2020年11月28日/本文
(503)憎しみの果てに/2020年11月27日/本文
(502)つまずきの詩/2020年11月26日/本文
(501)大人の都合/2020年11月25日/本文
(500)心守詩(こころまもるうた)/2020年11月24日/本文
(499)生きたいという心/2020年11月23日/本文
(498)あだ花を咲かす/2020年11月22日/本文
(497)ただいまとおかえり/2020年11月21日/本文
(496)眼光紙背に徹す/2020年11月20日/本文
(495)唯々諾々/2020年11月19日/本文
(494)人を巻き込む/2020年11月18日/本文
(493)札幌はステージ4に/2020年11月17日/本文
(492)融通無碍でありたい/2020年11月16日/本文
(491)進化した暗殺者/2020年11月15日/本文
(490)結局のところ僕らみんなが米国人なのだから/2020年11月14日/本文
(489)乾いた笑い/2020年11月13日/本文
(488)先生って何もの?/2020年11月12日/本文
(487)カマラ・ハリスにアメリカの希望を見た/2020年11月11日/本文
(486)負けるはずはない/2020年11月10日/本文
(485)敗者に捧げる 『中庸』第23章/2020年11月9日/本文
(484)泣き寝入り/2020年11月8日/本文
(483)肥えたカメの末路/2020年11月7日/本文
(482)ハラハラドキドキ/2020年11月6日/本文
(481)眠れぬ夜は/2020年11月5日/本文
(480)民意の怖さ/2020年11月4日/本文
(479)法と秩序/2020年11月3日/本文
(478)指導という悪意/2020年11月2日/本文
(477)陰湿ないじめ/2020年11月1日/本文
(476)78億人の水と食料/2020年10月31日/本文
(475)模様眺め/2020年10月30日/本文
(474)男女ペアの訪問活動/2020年10月29日/本文
(473)マップづくりと新任民生委員/2020年10月28日/本文
(472)特別じゃない/2020年10月27日/本文
(471)辞められない止められない/2020年10月26日/本文
(470)凜として生きよ/2020年10月25日/本文
(469)清々しい朝/2020年10月24日/本文
(468)かばう/2020年10月23日/本文
(467)張り子の虎/2020年10月22日/本文
(466)持ちつ持たれつ/2020年10月21日/本文
(465)安倍政権の遺産/2020年10月20日/本文
(464)学芸会とシナリオづくり/2020年10月19日/本文
(463)笑顔の対価/2020年10月18日/本文
(462)利心/2020年10月17日/本文
(461)知ったかぶりの男/2020年10月16日/本文
(460)いやだな/2020年10月15日/本文
(459)とんがる/2020年10月14日/本文
(458)コロナ禍での新任研修/2020年10月13日/本文
(457)恐怖にひるまず/2020年10月12日/本文
(456)クラスター発生の要因/2020年10月11日/本文
(455)北海道はゴミ捨て場/2020年10月10日/本文
(454)不機嫌な者たち/2020年10月9日/本文
(453)踏み絵/2020年10月8日/本文
(452)青春の挫折/2020年10月7日/本文
(451)平均ってなに?/2020年10月6日/本文
(450)はがきの切手代/2020年10月5日/本文
(449)20億円で何が変わるか/2020年10月4日/本文
(448)車中泊/2020年10月3日/本文
(447)おとなの話に口を挟まない/2020年10月2日/本文
(446)十月の空と海/2020年10月1日/本文
(445)校正作業/2020年9月30日/本文
(444)夢のひとしずく/2020年9月29日/本文
(443)横綱不在場所/2020年9月28日/本文
(442)夢と現実のはざまで/2020年9月27日/本文
(441)秘密/2020年9月26日/本文
(440)きしみ/2020年9月25日/本文
(439)明日にララバイ/2020年9月24日/本文
(438)自己肯定感とは/2020年9月23日/本文
(437)負い目/2020年9月22日/本文
(436)絵はがきにしたためる/2020年9月21日/本文
(435)ラストシーン/2020年9月20日/本文
(434)自助・共助・公助/2020年9月19日/本文
(433)後ろめたさ/2020年9月18日/本文
(432)しょいっこじじいの悲哀/2020年9月17日/本文
(431)キャリーケースを押す/2020年9月16日/本文
(430)何のおもいもわかず/2020年9月15日/本文
(429)Congratulation!/2020年9月14日/本文
(428)ラブレター/2020年9月13日/本文
(427)ラブソング/2020年9月12日/本文
(426)夢なき政争/2020年9月11日/本文
(425)プッツン/2020年9月10日/本文
(424)和顔愛語地蔵の開眼/2020年9月9日/本文
(423)緊張と緩和/2020年9月8日/本文
(422)追い込む/2020年9月7日/本文
(421)おもえ うごけ かんじよう/2020年9月6日/本文
(420)学生を育てる/2020年9月5日/本文
(419)継ぐと継がせる/2020年9月4日/本文
(418)決まってるのに/2020年9月3日/本文
(417)挽歌を捧げる/2020年9月2日/本文
(416)あらがい動く/2020年9月1日/本文
(415)夏の終わりに/2020年8月31日/本文
(414)裸のこころ/2020年8月30日/本文
(413)ミスる/2020年8月29日/本文
(412)何をか求めん/2020年8月28日/本文
(411)ゆらぎ/2020年8月27日/本文
(410)名の下に/2020年8月26日/本文
(409)待ち明かす/2020年8月25日/本文
(408)くたびれる/2020年8月24日/本文
(407)リリーフ再登場/2020年8月23日/本文
(406)昼下がりの悪夢/2020年8月22日/本文
(405)老人ホームスタッフの心・意気/2020年8月21日/本文
(404)ワクチンの優先順位/2020年8月20日/本文
(403)食べ残し禁止令/2020年8月19日/本文
(402)したつもりやったつもり/2020年8月18日/本文
(401)責任感が強い/2020年8月17日/本文
(400)心の詩になる/2020年8月16日/本文
(399)北の空に南の空に/2020年8月15日/本文
(398)隔離と監禁/2020年8月14日/本文
(397)寂しいお盆/2020年8月13日/本文
(396)ペーパー教師誕生/2020年8月12日/本文
(395)きみがただいるだけで/2020年8月11日/本文
(394)トマトを食べた/2020年8月10日/本文
(393)歯の改修工事中/2020年8月9日/本文
(392)名より実を/2020年8月8日/本文
(391)SNSと落選運動/2020年8月7日/本文
(390)躍動する太陽の子/2020年8月6日/本文
(389)妖精さん/2020年8月5日/本文
(388)正直にある/2020年8月4日/本文
(387)みんなと同じじゃないといけないですか /2020年8月3日/本文
(386)ジャブジャブ/2020年8月2日/本文
(385)祈りの花火/2020年8月1日/本文
(384)夏の夜話/2020年7月31日/本文
(383)次の指導者を選ぼう/2020年7月30日/本文
(382)悪夢のアベノマスク/2020年7月29日/本文
(381)ここにいる/2020年7月28日/本文
(380)野暮ですか/2020年7月27日/本文
(379)あきた見あきた聞きあきた/2020年7月26日/本文
(378)風よ吹け/2020年7月25日/本文
(377)リスク・コミュニケーションの変質/2020年7月24日/本文
(376)憂鬱なアメリカ人/2020年7月23日/本文
(375)坂本大輔「一生現役」/2020年7月22日/本文
(374)長州と西郷隆盛/2020年7月21日/本文
(373)はたらく人の幸せ・不幸せ/2020年7月20日/本文
(372)書くことで世を歩く/2020年7月19日/本文
(371)骨太方針決定/2020年7月18日/本文
(370)遺言を綴る/2020年7月17日/本文
(369)心のありようを描く/2020年7月16日/本文
(368)黒と白/2020年7月15日/本文
(367)罪を犯し顔/2020年7月14日/本文
(366)イエスマンの叛逆(はんぎゃく)/2020年7月13日/本文
(365)恨み雨/2020年7月12日/本文
(364)鬼ごっこ/2020年7月11日/本文
(363)千載一遇の悪機/2020年7月10日/本文
(362)いままでというバイアス/2020年7月9日/本文
(361)不都合な人たち/2020年7月8日/本文
(360)老いの蹉跌(さてつ)/2020年7月7日/本文
(359)豪雨が暮らしと命を叩(はた)く/2020年7月6日/本文
(358)魚心あれば水心/2020年7月5日/本文
(357)無駄と断捨離/2020年7月4日/本文
(356)貶(おとし)めると墓穴を掘る/2020年7月3日/本文
(355)食材の宅配/2020年7月2日/本文
(354)気まぐれと輿論/2020年7月1日/本文
(353)1千万人感染 50万人死亡/2020年6月30日/本文
(352)バラード「夕餉(ゆうげ)」/2020年6月29日/本文
(351)地方自治の呪縛と冒涜/2020年6月28日/本文
(350)にわか雨と母/2020年6月27日/本文
(349)決められる政治のなれの果て/2020年6月26日/本文
(348)ひとつはひとつにあらず/2020年6月25日/本文
(347)「お政(まつ)りマンボ」/2020年6月24日/本文
(346)噴水に戯れる幼子/2020年6月23日/本文
(345)まていに生きる/2020年6月22日/本文
(344)君だけのうた/2020年6月21日/本文
(343)腐っても鯛/2020年6月20日/本文
(342)世界の感染者800万人超える/2020年6月19日/本文
(341)小さな音/2020年6月18日/本文
(340)東京アラッと/2020年6月17日/本文
(339)不登校どうする?/2020年6月16日/本文
(338)媚(こ)びよう/2020年6月15日/本文
(337)根比べ/2020年6月14日/本文
(336)丸投げ/2020年6月13日/本文
(335)コロナ禍で頑張る民生委員児童委員/2020年6月12日/本文
(334)バイト漬け/2020年6月11日/本文
(333)負けには賭けまい/2020年6月10日/本文
(332)バラード「男の子守唄」/2020年6月9日/本文
(331)暮らしが崩れる/2020年6月8日/本文
(330)社協が危ない/2020年6月7日/本文
(329)国の空約束~横田滋氏を追悼する/2020年6月6日/本文
(328)つながる つなぐ/2020年6月5日/本文
(327)現代政治ことわざ誤用集(その5)/2020年6月4日/本文
(326)現代政治ことわざ誤用集(その4)/2020年6月3日/本文
(325)バラード「この子よい子だ」/2020年6月2日/本文
(324)最後に褒められること/2020年6月2日/本文
(323)つなげよう/2020年6月1日/本文
(322)休校と学童保育の検証/2020年5月31日/本文
(321)現代政治ことわざ誤用集(その3)/2020年5月30日/本文
(320)餅とコロナ禍/2020年5月29日/本文
(319)壊すことと創ること/2020年5月28日/本文
(318)信ずる/2020年5月27日/本文
(317)こころは人を信じるためにある/2020年5月26日/本文
(316)コロナ禍から暮らしを護る/2020年5月25日/本文
(315)えがおでコロナにうちかとう/2020年5月24日/本文
(314)希望という名の花を咲かせよう/2020年5月23日/本文
(313)蟻の一穴/2020年5月22日/本文
(312)とんがることば/2020年5月22日/本文
(311)いまを描く/2020年5月21日/本文
(310)現代政治ことわざ誤用集(その2)/2020年5月20日/本文
(309)現代政治ことわざ誤用集(その1)/2020年5月19日/本文
(308)嘘つき/2020年5月18日/本文
(307)捨てると捨てられる/2020年5月17日/本文
(306)お疲れさん/2020年5月16日/本文
(305)無上なるもの/2020年5月15日/本文
(304)憤怒とことば/2020年5月14日/本文
(303)コロナ禍後の分断/2020年5月13日/本文
(302)雪隠詰め/2020年5月12日/本文
(301)からっぽの教室/2020年5月11日/本文
(300)母の日の朝/2020年5月10日/本文
(299)コロナ禍とSDGs/2020年5月9日/本文
(298)人はいつでも変わる/2020年5月8日/本文
(297)伝説の人となる/2020年5月7日/本文
(296)大阪人の本気度を示そう/2020年5月6日/本文
(295)子どもを粗末にしない共育/2020年5月5日/本文
(294)妖怪に取り憑かれた男/2020年5月4日/本文
(293)正しく生きよう/2020年5月3日/本文
(292)携帯が手放せない/2020年5月2日/本文
(291)道産の食と人を誇る/2020年5月1日/本文
(290)現代政治用語集/2020年4月30日/本文
(289)新人介護士たちよ/2020年4月29日/本文
(288)腰痛と老化準備学習/2020年4月28日/本文
(287)学費を稼ぐ/2020年4月27日/本文
(286)自然死/2020年4月26日/本文
(285)あんぽんたん/2020年4月25日/本文
(284)こころと身体のバランスを!/2020年4月24日/本文
(283)やってらんないよ/2020年4月23日/本文
(282)命を護る介護士たち/2020年4月22日/本文
(281)ものづくりへの冒涜/2020年4月21日/本文
(280)年寄りの反乱/2020年4月20日/本文
(279)アフリカの危機/2020年4月19日/本文
(278)民心と民力/2020年4月18日/本文
(277)退陣間近/2020年4月17日/本文
(276)幼児のいのち最優先/2020年4月16日/本文
(275)泣く子と寛容/2020年4月15日/本文
(274)倒れる前に/2020年4月14日/本文
(273)浮世離れ/やんなっちゃった/2020年4月13日/本文
(272)つばぜり合い/2020年4月12日/本文
(271)焼け石に水/2020年4月11日/本文
(270)茫然自失/2020年4月10日/本文
(269)中庸 第23章/2020年4月9日/本文
(268)辞められない/2020年4月8日/本文
(267)ちびるな/2020年4月7日/本文
(266)子どもたちが戻って来た/2020年4月6日/本文
(265)冤罪(えんざい)/2020年4月5日/本文
(264)現金支給/2020年4月4日/本文
(263)お恵みのマスク/2020年4月3日/本文
(262)無情な数字/2020年4月2日/本文
(261)約束の日~小学1年生を祝う/2020年4月1日/本文
(260)首都封鎖/2020年3月31日/本文
(259)母の命日/2020年3月30日/本文
(258)シナリオ「稼いで半人前」/2020年3月29日/本文
(257)舞台を創る/2020年3月28日/本文
(256)意気地なし/2020年3月27日/本文
(255)正義を貫く/2020年3月26日/本文
(254)水をさす/2020年3月25日/本文
(253)遺書に名前があるか?/2020年3月24日/本文
(252)反応と反動/2020年3月23日/本文
(251)聴覚の不思議さ/2020年3月22日/本文
(250)味覚の劣化/2020年3月21日/本文
(249)津久井やまゆり園死刑判決を考える/2020年3月20日/本文
(248)消費税10%撤廃!/2020年3月19日/本文
(247)二本の矢/2020年3月18日/本文
(246)東京オリンピック開催したい/2020年3月17日/本文
(245)学童保育の実態は/2020年3月16日/本文
(244)屋外での卒業式/2020年3月15日/本文
(243)法の専門家/2020年3月14日/本文
(242)沈黙の螺旋/2020年3月13日/本文
(241)18歳 躍動せよ!/2020年3月12日/本文
(240)自治会は地域の自治組織(自治会役員と民生委員 その2)/2020年3月11日/本文
(239)無報酬です(自治会役員と民生委員 その1)/2020年3月10日/本文
(238)信じる誰かがいる/2020年3月9日/本文
(237)未来志向(これからは)/2020年3月8日/本文
(236)春を告げる雪/2020年3月7日/本文
(235)死んだ男の残したものは/2020年3月6日/本文
(234)ツケを払わされる/2020年3月5日/本文
(233)逃れるつもりだ/2020年3月4日/本文
(232)長寿を祝う/2020年3月3日/本文
(231)ブラックスワンが飛ぶ/2020年3月2日/本文
(230)支持率ガタ落ち/2020年3月1日/本文
(229)街がすく/2020年2月29日/本文
(228)学童保育は対象外/2020年2月28日/本文
(227)闇鍋/2020年2月27日/本文
(226)見えしもの/2020年2月26日/本文
(225)変わり者/2020年2月25日/本文
(224)低い危機管理意識/2020年2月24日/本文
(223)法治国家/2020年2月23日/本文
(222)昇る朝日に/2020年2月22日/本文
(221)コネクティングルーム/2020年2月21日/本文
(220)強弁/2020年2月20日/本文
(219)うだうだと…/2020年2月19日/本文
(218)マチの銭湯物語/2020年2月18日/本文
(217)ペンギンさんのお通りだい!/2020年2月17日/本文
(216)ことの始まり/2020年2月16日/本文
(215)閣議決定/2020年2月15日/本文
(214)検察の検察たるを示せ/2020年2月14日/本文
(213)なりふり構わず/2020年2月13日/本文
(212)飛沫飛ぶ/2020年2月12日/本文
(211)ブリコルール/2020年2月11日/本文
(210)知の佇まい/2020年2月10日/本文
(209)アメリカの脆弱さ/2020年2月9日/本文
(208)雪の朝の訪問者/2020年2月8日/本文
(207)旧交を温める/2020年2月7日/本文
(206)16歳の少年/2020年2月6日/本文
(205)鵡川の若き語り部/2020年2月5日/本文
(204)つづきがつづく/2020年2月4日/本文
(203)老いの道半ば/2020年2月3日/本文
(202)国と民のこころ模様/2020年2月2日/本文
(201)世界を席巻するウイルス/2020年2月1日/本文
(200)ふくしの語り場/2020年1月31日/本文
(199)おちゃらかす/2020年1月30日/本文
(198)つながれ/2020年1月29日/本文
(197)ポジティブに ~石狩レポート(5)/2020年1月28日/本文
(196)自分のネットワークをつくろう/2020年1月27日/本文
(195)役者揃い ~石狩レポート(4)/2020年1月26日/本文
(194)気概を持って/2020年1月25日/本文
(193)お世話焼きさん ~石狩レポート(3)/2020年1月24日/本文
(192)お節介の御用聞き ~石狩レポート(2)/2020年1月23日/本文
(191)緊張と不安 ~石狩レポート(1)/2020年1月22日/本文
(190)新しい国づくり/2020年1月21日/本文
(189)同調圧力/2020年1月20日/本文
(188)高校生とボランティア/2020年1月19日/本文
(187)茶の間/2020年1月18日/本文
(186)拿捕(だほ)/2020年1月17日/本文
(185)不始末の始末/2020年1月16日/本文
(184)やめられない/2020年1月15日/本文
(183)1・17以降に備える/2020年1月14日/本文
(182)痛みなきゲーム/2020年1月13日/本文
(181)殺せ!/2020年1月12日/本文
(180)裁かれるわたし/2010年1月11日/本文
(179)美帆という名/2020年1月10日/本文
(178)若者を危険に晒す/2020年1月9日/本文
(177)一攫千金の夢/2020年1月8日/本文
(176)ふがいない/2020年1月7日/本文
(175)ふくしとは/2020年1月6日/本文
(174)金持ちは許される/2020年1月5日/本文
(173)下半身を鍛えよ/2020年1月4日/本文
(172)ことばに託す/2020年1月3日/本文
(171)言葉が枯れる/2020年1月2日/本文
(170)こころに地図を描こう/2020年1月1日/本文


鳥居一頼の世語り:アーカイブ(5)

―(1)2019年7月17日~(169)2019年12月31日―


(169)この子らに/2019年12月31日/本文
(168)民よ 世に恥じることなく誇り高く生きよう/2019年12月30日/本文
(167)指切りげんまん/2019年12月29日/本文
(166)食い物/2019年12月28日/本文
(165)20349/2019年12月27日/本文
(164)闇夜に走れ/2019年12月26日/本文
(163)キックオフの研修会/2019年12月25日/本文
(162)おもいをカタチに/2019年12月24日/本文
(161)民児協の担当です/2019年12月23日/本文
(160)おくれています/2019年12月22日/本文
(159)官僚劣化/2019年12月21日/本文
(158)歩みし跡に道はできる/2019年12月20日/本文
(157)政治屋さん/2019年12月19日/本文
(156)みみっちい/2019年12月18日/本文
(155)酒を呑む/2019年12月17日/本文
(154)ベテラン/2019年12月16日/本文
(153)担当です/2019年12月15日/本文
(152)スーパー・ジジババ/2019年12月14日/本文
(151)今年の漢字「令」/2019年12月13日/本文
(150)友だちごっこ/2019年12月12日/本文
(149)ひらがな/2019年12月11日/本文
(148)青い手帖/2019年12月10日/本文
(147)地域デビュー/2019年12月9日/本文
(146)こころ~小さな哲学者たち/2019年12月8日/本文
(145)いのち~小さな哲学者たち/2019年12月7日/本文
(144)鹿角レポート/2019年12月6日/本文
(143)世話焼き母ちゃん倒れた!/2019年12月5日/本文
(142)小坂レポート/2019年12月4日/本文
(141)心の距離感/2019年12月3日/本文
(140)日々是好日/2019年12月2日/本文
(139)メビウスの帯/2019年12月1日/本文
(138)授業する/2019年11月30日/本文
(137)支配する/2019年11月29日/本文
(136)長電話/2019年11月28日/本文
(135)いじめる教員/2019年11月27日/本文
(134)ひと儲け/2019年11月26日/本文
(133)こころざし/2019年11月25日/本文
(132)地域の子育て子守/2019年11月24日/本文
(131)放課後児童クラブの指導員/2019年11月23日/本文
(130)親の徳/2019年11月22日/本文
(129)恋詩(こいうた)/2019年11月21日/本文
(128)悲恋/2019年11月20日/本文
(127)夢詩(ゆめうた)/2019年11月19日/本文
(126)説明と言い訳/2019年11月18日/本文
(125)捜しもの/2019年11月17日/本文
(124)人生の棚卸し/2019年11月16日/本文
(123)消しゴム/2019年11月15日/本文
(122)朝の挨拶/2019年11月14日/本文
(121)何ものだ/2019年11月13日/本文
(120)晴れ舞台/2019年11月12日/本文
(119)Ok ブーマー!/2019年11月11日/本文
(118)風呂敷包み/2019年11月10日/本文
(117)子どもにも分かる嘘/2019年11月9日/本文
(116)幼児と車いす/2019年11月8日/本文
(115)二つの詩/2019年11月7日/本文
(114)習慣づける/2019年11月6日/本文
(113)水があう/2019年11月5日/本文
(112)顔/2019年11月4日/本文
(111)決心する/2019年11月3日/本文
(110)バック/2019年11月2日/本文
(109)秋深まる/2019年11月1日/本文
(108)自死からの目覚め/2019年10月31日/本文
(107)当てにする/2019年10月30日/本文
(106)学校で楽しく過ごす方法/2019年10月29日/本文
(105)妻の旅支度/2019年10月28日/本文
(104)始まり/2019年10月27日/本文
(103)みの字/2019年10月26日/本文
(102)欠片(かけら)/2019年10月25日/本文
(101)地域と学校のパイプ役になる/2019年10月24日/本文
(100)暁に舞う―妹琴代を追悼して―/2019年10月23日/本文
(99)本をつくる/2019年10月22日/本文
(98)そこなの(その2)/2019年10月21日/本文
(97)そこなの(その1)/2019年10月20日/本文
(96)ニッポン ガンバレ/2019年10月19日/本文
(95)階段/2019年10月18日/本文
(94)煎じ薬/2019年10月17日/本文
(93)故郷に帰る/2019年10月16日/本文
(92)富山の薬売り/2019年10月15日/本文
(91)次の人へ/2019年10月14日/本文
(90)道徳と教科書/2019年10月13日/本文
(89)ぼくらの先生じゃない(その2)/2019年10月12日/本文
(88)ぼくらの先生じゃない(その1)/2019年10月11日/本文
(87)おこぼれ/2019年10月10日/本文
(86)人間ではない/2019年10月9日/本文
(85)教員の劣化/2019年10月8日本文
(84)校長室の風景(その7) 「きずな夜学校」/2019年10月7日/本文
(83)校長室の風景(その6) 「押しかけた子どもたち」/2019年10月6日/本文
(82)校長室の風景(その5) 「ヒヤリング」/2019年10月5日/本文
(81)校長室の風景(その4) 「助けて!」/2019年10月4日/本文
(80)校長室の風景(その3) 「オープンザドア」/2019年10月3日/本文
(79)校長室の風景(その2) 「待遇」/2019年10月2日/本文
(78)校長室の風景(その1) 「待合室」/2019年10月1日/本文
(77)痛みは誰と分かち合うか/2019年9月30日/本文
(76)私にも……/2019年9月29日/本文
(75)「こぶとりじいさん」の真相/2019年9月28日/本文
(74)海苔巻き/2019年9月27日/本文
(73)スクハラ/2019年9月26日/本文
(72)変化と成長/2019年9月25日/本文
(71)中学生と脱輪/2019年9月24日/本文
(70)いのちあるものに力尽くして/2019年9月23日/本文
(69)シャケ(鮭)の遡上(そじょう)/2019年9月22日/本文
(68)こぶとりじいさん/2019年9月21日/本文
(67)かげふみ/2019年9月20日/本文
(66)拠り所(その4) 別れ/2019年9月19日/本文
(65)拠り所(その3) あがき/2019年9月18日/本文
(64)拠り所(その2) 夜の公園/2019年9月17日/本文
(63)拠り所(その1) 休み処/2019年9月16日/本文
(62)腰痛と整骨院/2019年9月15日/本文
(61)めんこいしょ/2019年9月14日/本文
(60)看取る/2019年9月13日/本文
(59)笑えない/2019年9月12日/本文
(58)三つのケア/2019年9月11日/本文
(57)香港の若者たち/2019年9月10日/本文
(56)「うさぎとかめ」の真実/2019年9月9日/本文
(55)トウモロコシ/2019年9月8日/本文
(54)二十歳の誕生日/2019年9月7日/本文
(53)十月 芝居の幕があく/2019年9月6日/本文
(52)うさぎとかめ/2019年9月5日/本文
(51)ことば遊び/2109年9月4日/本文
(50)群来(くき)/2019年9月3日/本文
(49)マチの公務員の三原則/2019年9月2日/本文
(48)夏の終わりに/2019年9月1日/本文
(47)冬春夏秋そして冬~少年の気づき/2019年8月31日/本文
(46)秋冬春夏そして秋~店のない地区/2019年8月30日/本文
(45)夏秋冬春そして夏~農家編/2019年8月29日/本文
(44)春夏秋冬そして春~ラジオ体操/2019年8月28日/本文
(43)お互い様の関係づくり/2019年8月27日/本文
(42)いい子ぶる/2019年8月26日/本文
(41)粗末にしない/2019年8月25日/本文
(40)心のやじろべえ/2019年8月24日/本文
(39)自分にありがとう/2019年8月23日/本文
(38)大丈夫だよ~こころを痛めた子どもたちへのメッセージ~/2019年8月22日/本文
(37)小さな幸せを希望に紡ぐわたしのまち登別/2019年8月21日/本文
(36)特権/2019年8月20日/本文
(35)冬春夏秋~漁村編/2019年8月19日/本文
(34)秋冬春夏~市街地編/2019年8月18日/本文
(33)夏秋冬春~酪農村編/2019年8月17日/本文
(32)春夏秋冬~商店街編/2019年8月16日/本文
(31)書く/2019年8月15日/本文
(30)二十五万円と銀婚式/2019年8月15日/本文
(29)空気が変わる/2019年8月14日/本文
(28)ひとりぼっち/2019年8月13日/本文
(27)たわごと/2019年8月12日/本文
(26)わたしがここで暮らす理由(わけ)/2019年8月11日/本文
(25)薬瓶/2019年8月10日/本文
(24)お母ちゃんの笑顔が見たい/2019年8月9日/本文
〈23〉きょう一番の 笑顔は だあれ?/2019年8月8日/本文
(22)リンゴ1個/2019年8月7日/本文
(21)かくれんぼ/2019年8月6日/本文
(20)小さな希望のともしびをかかげてください/2019年8月5日/本文
(19)おまえ、もう学校に来るな!/2019年8月4日/本文
(18)ほめる/2019年8月3日/本文
(17)あいつとおれ/2019年8月2日/本文
(16)子どもの遊び心とこっちょ/2019年8月1日/本文
(15)出発点/2019年7月31日/本文
(14)ありがとう/2019年7月30日/本文
(13)まっすぐな まなざし/2019年7月29日/本文
(12)見限られた8割の民たち/2019年7月28日/本文
(11)村の保健師さん/2019年7月28日/本文
(10)融和の心/2019年7月27日/本文
(9)15歳、いまここに立つ~旅立ちの青春賛歌~/2019年7月26日/本文
(8)ほころびを繕う/2019年7月25日/本文
(7)寄り合うということ/2019年7月24日/本文
(6)8月6日、子どもたちへ/2019年7月23日/本文
(5)民のために/2019年7月22日/本文
(4)熟老の断片:無言電話、焼酎と遺影、温泉を楽しむ、本音、養女、野暮用/2019年7月21日/本文
(3)きざし/2019年7月19日/本文
(2)群像~昭和・平成・令和を生きる人たち/2019年7月19日/本文
(1)きょうという日/2019年7月17日/本文


 

阪野 貢/限界を引き受けて、なお―『「まちづくりと市民福祉教育」の研究』へのリプライ―

〇この度は、拙著『「まちづくりと市民福祉教育」の研究』(私家版⇨本編)に対して、複数のブログ読者から、丁寧かつ率直な感想と評価、さらには批判的な指摘をお寄せいただいた。拙著に目を通し、その内容について真摯に論じていただいたことに衷心より感謝とお礼を申し上げたい。
〇本稿では、こうした評価や批判を踏まえながら、拙著におけるいくつかの論点について、筆者の意図と方法的立場を補足するとともに、そこから見えてきた今後の研究課題について述べたい。

1 歴史的「原型」の概念規定をめぐって
〇先ず、第1章および第2章に対して寄せられた、「拡大解釈で、かなり無理がある」との批判についてである。これは、地方改良運動や郷土教育運動における一部の活動をもって「福祉教育の一つの原型」と捉えることには、思想的・理念的・歴史的な無理があるのではないか、という指摘である。
〇これに対して、筆者が拙著において試みたのは、当時の教育・教化活動を今日の福祉教育と同一視することではない。むしろ強調したかったのは、当時の活動が「上からの義務としての自治」という性格を強く帯びていたのに対し、今日の福祉教育が本来立脚すべきものは「下からの権利としての自治」であり、両者はその思想的基盤において大きく異なる、という点である。したがって、筆者がそこに見出そうとしたのは、単純な思想的・制度的連続性ではない。本文中でも「歴史的性格を検討」し、「批判的継承」の必要性を論じている通り、一見した現象的な類似性の背後にある思想的な断絶を確認したうえで、その断絶を踏まえてなお、後の福祉教育につながりうる契機を歴史的に検討しようとしたのである。
〇もっとも、「遡及的原点」という語を用いるにせよ、ある歴史的実践を、何を基準として「原点」あるいは「原型」と位置づけるのかについては、より明確な概念的・歴史的基準を示す必要がある。この点において、今回の批判は、筆者自身が「原型」(斉藤利彦「地方改良運動と公民教育の成立」1983年)という概念の設定根拠をなお十分に精緻化できていなかったことを自覚する契機となった。歴史的実践のなかに今日の福祉教育につながる契機を見出すことと、そこに「原点」や「原型」が存在したと断定することとの間には、慎重な概念的操作が必要である。したがって今後は、「原点」や「原型」という文言を、歴史的実践のなかに何が継承可能な契機として存在したのか、また今日の福祉教育との間にどのような断絶があるのかを、より具体的に検証していくことが求められる。この点は、今回の批判を受け止めつつ、今後さらに検討を加えるべき課題として引き受けたい。

2 実践家の言説を思想的素材とすることの危うさと意義
〇次に、第9章において、小松理虔や奥田知志といった同時代の実践家の言説を、学術的な理論的素材として位置づけたことへの危惧についてである。これは、第7章で大橋謙策の「福祉教育原理論」を基軸として福祉教育論の系譜と課題を論じたことと、小松や奥田といった現場発の言説や思想を取り上げたこととを、学問的な厳密さという観点から同列に扱うことへの違和感であったと受け止めている。
〇この点もまた、筆者にとっては意図的な方法的選択であった。ただし、明確にしておきたいのは、学術的に体系化された理論と実践家の言説とを、その学問的地位において同列に扱おうとしたわけではない、ということである。筆者が意図したのは、両者を同じ「理論」として並列化することではなく、それぞれ異なる性格をもつ言説や思想を、今日の福祉教育を考えるための「思想的素材」として読み直すことであった。拙著で取り上げた国分一太郎の綴方教育も、小松のいう「共事者」も、奥田の実践と言説も、それぞれ異なる歴史的・社会的文脈に置かれている。しかし、それらを今日の福祉教育という問いから読み直すならば、既存の枠組みを問い直すための重要な思想的契機を見出しうると考えたのである。
〇もちろん、実践家の言説を思想的考察の素材として扱う以上、学術的な体系性や概念的整序をいかに確保するかという問題は残る。実践の言葉をそのまま思想として扱えば、概念の曖昧さや論理的飛躍を招く危険がある。その意味で、この方法には一定の「危うさ」があることを筆者も認識している。それでもなお、その危うさを引き受けようとしたのは、福祉教育を、教室や研究室の内部だけで完結する実践や理論としてではなく、地域や生活の現場において生成される実践と思想との往還のなかで捉え直したいと考えたからである。今後は、実証的資料、理論的・思想的言説、実践家の「語り」をそれぞれの性格に応じて区別し、そのうえで相互に照射させる読解の方法を、より明確に提示する必要があると考えている。

3 拙著全体を貫く理論的骨格と今後の課題
〇こうした問題意識から振り返ると、拙著全体を通じて筆者が追究しようとしたのは、市民福祉教育を歴史・原理・哲学という三つの次元から捉え、それらの構造的な連関を明らかにすることである。第1章と第2章では福祉教育の歴史的性格を検討し、第7章では福祉教育論の思想的系譜を整理し、そして第9章では、小松や奥田の言説を手がかりとしながら、依存や共生をめぐる哲学的な問い直しを試みた。歴史における断絶と連続、原理における体系と継承、哲学における当事者性と構造変革――この三つの次元は、それぞれ独立した論点ではなく、相互に参照し合うことによって初めて、「市民福祉教育」という営為の全体像が浮かび上がると考えたのである。
〇そして、この歴史・原理・哲学という三つの次元を、「まちづくり」という実践の場において接続・統合し、具体的な実践構造として示そうとしたのが、第6章から第9章にかけての議論である。第6章では「まちづくり」の構造モデルを描き、第7章での議論を第9章で「依存の権利化」「権利と構造変革の教育」へ、すなわち哲学的な問い直しへと接続することを試みた。この三つの章(第6章・第7章・第9章)を通して、「まちづくり」と「市民福祉教育」を別個の実践領域としてではなく、人びとの参加、関係形成、自治、相互依存、権利の実現をめぐる一連の実践として捉え直すこと。それが拙著全体の基本的な構想であった。第8章では、「市民福祉教育」がいかに計画化され、「まちづくり」の基盤として構造化されていったかを実証的に解明しようとした。それは、第6章・第7章・第9章で展開した理論・思想モデルに対し、実際の制度や地域計画との間をつなぐ実証的な架け橋として機能させることを意図したものである。
〇第6章を「本書の肝である」と評していただいたこと、第9章について「絶望の書にも読める内容であるが、その逆の希望の書でもあろう」と指摘していただいたことは、筆者にとって印象深いものである。また、第6章以降では、議論の図表化に努めたが、最も難儀したのは第6章の図2(「『まちづくり』と自律的市民形成の循環モデル」)である。それについては、「著者の考える市民福祉教育概念が図解的に理解できた」との評価をいただいた。そして、第9章の図2(「『まちづくりと市民福祉教育』のプロセス」)において、「依存の権利化」を中核に「存在肯定(在る)→共働参加(関わる)→相互依存(動く)→共生共創(創る)」という四つの実践的プロセスを提示した試みについても、独自の理論構築として受け止めていただいたことは、いずれも大きな励みとなった。拙著には多くの不十分さや論理矛盾が残されていると思われるが、そこに込めた構想の核心を読み取っていただいたように感じている。
〇もっとも、こうした評価によって、拙著が抱える方法論上の限界が解消されるわけではない。歴史的事実の連続性をどのような概念枠組みで捉えるのか。実践家の言説をいかなる学術的手続きによって思想的素材として位置づけるのか。そして、「まちづくり」と「市民福祉教育」との関係を、単なる実践上の接点としてではなく、存在肯定、共働参加、相互依存、共生共創という観点からどこまで理論的に捉えうるのか。これらは、今回の批判によって改めて浮かび上がった、今後掘り下げるべき課題である。

おわりに――批判を次の研究への契機として
〇「研究」は、完全に完成したかたちで終わるものではない。とりわけ、歴史と理論と実践を横断しようとする試みには、概念の曖昧さや方法論上の揺らぎがつきまとう。しかし、その限界を隠すのではなく、自らの研究の限界として引き受け、そこから次の問いを立ち上げていくこともまた、研究を続けていくうえでのひとつの姿勢であると考えている。拙著は「完成した理論」を提示したものというより、歴史と理論と実践をどのようにつなぎ、そこからどのような福祉教育の可能性を構想できるのかを探ったひとつの試論である。今回寄せていただいた批判や疑問は、その試論を擁護するために退けるべきものではなく、次の研究へと開いていくための重要な契機として受け止めている。今後とも、忌憚のないご意見やご批判をお寄せいただければ幸いである。

 

K.S./敬意と苦言のあいだ ―阪野貢著『「まちづくりと市民福祉教育」の研究』を読んで―

本稿は、50年来の旧友である阪野貢さんの『「まちづくりと市民福祉教育」の研究―その思想的系譜と変革の実践原理―』(市民福祉教育研究所、2026年6月。⇨ 本編)の書評的感想を綴ったものである。

第1章:明治後期の地方改良運動にみる「自治民育」の実践

本章では、福祉教育の原点を「地方自治」や「地域振興」の視点でみたとき、遡及的原点は明治40年代以後の「地方改良運動」にあるとしている。具体的には、井上友一の「自治民育」活動、その学校現場への波及としての村田宇一郎の所論が主に紹介されている。本書の中では比較的読みやすい章である。

著者は、結論としてこの時期における敬老会活動や地区衛生組織化活動の推進過程における体験活動や交流・共生、そしてその全体としての広報・教育活動の実際に、福祉教育の一つの原型(方向性で重なること)を見いだせるとしている。13頁には当時の郷土教育や敬老・清掃といった諸活動は今日の福祉教育に通ずる具体的な活動の雛形ともしている。しかし、本書の12頁では「福祉教育は福祉文化の創造や福祉のまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な住民(市民)の育成を図るための教育活動である」としている。また同頁では、「その活動は自立・共生・自治の意識に基づかなければならない」としている。著者自身が言うように地方自治や地域振興という方向性あるいは活動の現象的類似性があるとしても、それらをもって福祉教育の原型の一とするには、評者にはあまりにも思想的、理念的、歴史的にも無理があると感じさせられた。

農山魚村経済更生運動へ、そして戦時体制へと進む過程は、福祉教育というより、あえて研究史的に言えば社会教育の流れに位置付ける方が無難かなという感想を持った。

 第2章:昭和初期の郷土教育運動における「社会奉仕」の位相

本章は、本書の中では最も短く、検討テーマや結論も分かりやすく得心できることが多かった。本章では満州事変以後に起きてくる「郷土教育(運動)」を中心の具体例として検討されている。著者はその運動の中に科学的な地域社会の実態解明や地域改善に寄与する実践的志向があったとし、今日的な住民主体形成のあり方、福祉教育につながる萌芽が見られるとして評価している。

具体的には昭和恐慌下にあり、戦時体制の強化が進行する中での「社会事業や奉仕活動、公徳心の現状」を理解、把握するための調査活動が重視されたことなどが地域実態の、生活課題などの把握を目的とした現代の福祉教育につながるとし、その動きを現代の福祉教育の「まちづくり」や「地域に根差す教育実践」の基礎の形成につながる一つとして評価している。しかし、もちろんそれは市民福祉教育にとっては、(批判的に)学ぶべき歴史的教訓があるという認識を付け加えることは忘れていない。当然その認識の帰結として、今日の郷土愛やボランティア精神の強調は無批判な体制補完に陥る危うさがあるとして、そうではなく体制に対して批判的・主体的な「市民」の形成をめざす「まちづくり市民福祉教育」が目指す方向であると結んでいる。当然のことであろう。評者には郷土教育運動の活動の一部をもって福祉教育の先駆の一形態としてとらえることは、前章同様に拡大解釈でかなり無理があるかなと感じたところである。

第3章:戦間期における生活綴方教育運動にみる「社会事業的」教育実践

本章は、評者には最も興味深く読めた章である。福祉教育の原点を、大正デモクラシィー期の新教育運動か地方改運動の流れかという対立点の紹介の後、国分一太郎の生活綴方運動を社会事業的活動の視点から検討を加えているのが本章の主な内容である。

社会事業から厚生事業へと福祉行政が転換していくこの時期の過程は、わが国全体でみると、とりわけ児童の貧困化が進んだ時期でもある。その中にあって国分は自らの教師としての諸限界を感じながら、「社会政策的」な見地・実践を教師に求めていたことを著者は高く評価している。著者は、国分のそれは貧困問題等を教師の「教育の内面化」に矮小化することへの痛烈な批判でもあったとしている。つまりここでは著者は彼の実践を「子どもを『救済の対象』としてのみみる従来の人道主義的教員像を否定し、社会構造を共に変革する『連帯の主体』として捉え直そうとする、福祉教育における『主体形成論』の先駆的形態」(28頁)として、子どもたちにも現実生活を客観的・社会的・科学的に把握させることが肝要であるとするその視点を高く評価しているのである。

教育を閉鎖的な教室空間から解き放ち、地域社会の構造的課題へと接続、展開させることを目的とした著者の福祉教育論では当然高く評価できる点であろう。

さらに国分の「社会事業的教師」像の具体化を、「伴走者としての教師像」(32頁)としてみることができるのは戦後の現代に通ずるというのが著者の新たな捉え方である。その意味でも国分の所論・実践は高く評価されてよいものであろう。

しかしここでの著者の結論の一つは、教育科学研究会や戦後の無著成恭らの山びこ実践との継承、比較など(あるいは当事者(当時の児童)の証言などもふくめ)多面的な検討課題が残されているとされている。評者にはそれらをさらに深められるならばさらに現代に通ずる福祉教育の源流の意味が良く分かるように感じられる。さらに言えば、評者個人では、本章ではいわゆる大正期からの「新興教育運動」(=新教育の児童中心主義の教育改良運動に位置付けられる場合があるが、プロレタリアート運動教育論)との比較検討がなされていないことが課題と考えた。冒頭に新教育の野村芳兵衛の名前があるので余計そう感じられる。また、冒頭での著者のいきなりの国分一太郎の所説の紹介は、著者自身が前述の流れに対し、どういう立場なのか少し分かりにくいものになっている。

第4章:徳島県・平岡国市における「子供民生委員」制度にみる「民生村造り」

本章は戦後の福祉教育の源流の一つとして、戦後初期を中心とした平岡国市の「子供民生委員制度」の内容や理念等々を、平岡の生涯の経歴や活動歴を含め、新たな発掘資料などから詳述されている。またそれと対比される形で木谷宣弘らの「みつばち」運動もとり上げられている。具体的で分かりやすい章である。

平岡はその活動精神を5つ(平和、助け合い、尊敬、健康・勤勉、奉仕)とし、(45頁)、これらの活動は、子どもと大人、地域と学校、福祉と教育を限りなく接近させ、そのつながりの中で、「民生村造り」、すなわち現代的には福祉コミュニティーづくりを進めたという評価が著者からは成されている。子供民生委員活動は「這いまわる経験主義」の一例として、その後は教育界からは批判的に退けられていくが、その後の子ども会活動や初期社会科教育活動とのつながる過程が重要であり、その流れも本章では興味深く分析されている。

本章の「おわりに」では、子供民生委員活動から8つの大きな課題(意義)を抽出している(62頁~68頁)。その中では実践例としての「佐古プランの特徴」を現代につながる大きな意義として、特に子どもを通して社会を改造していこうという流れや、理科と社会の中心学習をコアとしたコアカリキュラムなどが触れられている。8つの課題ではとりわけ、①「生きる力」と何かという問いに対し、著者の「自分を生きる力」と「共に生きる力」の両面があるという考えは、今日の福祉関係者の共通概念(理解)にすべき重要な指摘と思われる。また、②として福祉教育ネットワーク、③福祉教育の指導主事やアドバイザー・サポーター、④情報提供と住民啓発・教育、⑤集団的実践主体の形成、福祉教育運動、⑥子ども会などの地域組織活動、⑦教育福祉の問題状況のそれへの取り組みの必要、⑧「市民」的資質の育、等を「今日の福祉教育実践や研究の課題」としている。これらの課題は大変であるが、ネットワークの形成の具体化にも触れられている本章は、この諸活動がその後の「市民福祉活動」につながる子ども期からの活動として、今日的評価としてもきわめて重要という指摘は当然に思われる。

この諸活動の歴史の中に、市民福祉教育運動につながるその萌芽がほとんどあるという著者の評価は妥当に思われるが、ネットワークには共通の価値認識が必要であるが、その認識は諸活動から結果的に(自然に)形成されるのか、価値観が共通するからネットワークが作られるのかは評者にはいまだに良く理解できない点である。

福祉や医療、人権活動等々の世界では、一人の力が地域や他のおおぜいの人全体を動かすという例が多いが、平岡国市もそうした一人であろう。評者には確かに、彼の理論・実践等をその歴史的・地理的制約や限界と共に、その先駆性は正当に評価して良いように思われた。

第5章:神奈川県と鳥取県八頭郡における福祉教育実践の成立と展開

本章では、神奈川県の社会福祉研究普及校制度や鳥取県八頭郡社会福祉協議会の活動が主に紹介されている。前章につながる福祉教育の歴史的研究の一環である。本章に関しては、評者も一時期神奈川県の通信制高校および専修学校に勤務していた時代があり、本章にとり上げられている神奈川県下の中・高校名等と共に「社会福祉研究普及校制度」は懐かしく思い出す制度である。この制度について著者は、「生徒は福祉活動への参加を通じて、自発的に相互扶助や博愛の精神を発揮する主体として形成されるが、この自発性そのものが制度的に設計されているのである」(79頁)と痛烈に批判的総括がなされているが、当時現場に近い所にいたものとしては、中学生、高校生には「思いやり」教育もそれなりに意味があるように感じて眺めていた記憶がある。ただもちろん、著者の言葉を借りれば、(官製の上からの)行政主導型の教育活動(しかも短期間・短時間)のそれはほとんど身につかない、内面化されない結果を生むということはその通りと思えることである。

一方で、鳥取県のそれは著者によれば、地域改善(地域開放)と人間形成を不可分のものとしてとらえ、教室内の閉鎖的な空間での知識の伝達に自己完結させるのではなく、地域社会の文脈に即した実践的課題の解決が、地域改善と人間形成を不可分のものとして構造化していたことが高く評価されている(83頁、86頁)。ちなみに、86頁の図1は、福祉教育に限らないが、教育(学校)における一般的な教師の立ち位置を示すものとして、教師(学校)と社会との緊張関係を示し、社会変革か社会統治かのどちらに自己の比重をかけるかが対比されていて分かりやすい。しかしそれは裏返せば、著者も言うように、教師の役割、力量がきわめて重要なポイントとなることも示しており、その関りにあいまいさや構造的な弱さも生むものととらえることができるものである。

いずれにせよ、これらの活動はのちの全国社会福祉協議会等による福祉教育の全国化(全年齢化)のさきがけになったことは言うまでも無い。

第6章:「まちづくり」言説の系譜と自律的市民の位相

著者の「まちづくり」概念と「市民福祉教育」の関連が構造的にわかりやすく明らかにされ、学ぶことが多い章である。ここではその説明として、玉野井芳郎、田村明、山崎亮、山下祐介の4人の所説の詳しい解説により、評者のような専門外の人間にも理解でき興味深かった。本章はこれら4人の言説を土台に、著者自身の「まちづくりと市民福祉教育」の概念とその理論的基盤を明示しようとした意欲的な章である。

4人の言説を一言でまとめれば、玉野井は新たな市民の再生、田村は市民政府の構想、山崎はコミュニティーデザインによる地域での人間関係の再構築、そして山下は地域学を地方消滅に対抗して創案したとされている。しかしこれらの4人の言説は、共通(一貫)して住民=与えられる存在から、市民=自律的に参加して自治を担う主体への転換を要請しているとし、「この主体形成のプロセスこそが、筆者が探究する『まちづくりと市民福祉教育」の根幹である」(92頁)と著者はまとめている。これらの丁寧な解説を読み、104頁の図2(「まちづくり」と自律的市民形成の循環モデル)をみると、著者の考える市民福祉教育概念が図解的に評者にも理解できたことはうれしい読後感である。

ちなみに著者によれば、玉野井は市民を国家に絡み取られた存在ではなく、地域での生活に責任を持つ生活者として措定され、地域はそれぞれの歴史と伝統を誇る自立した主体の集合体であるとまとめている。

田村は、「都市計画」から「まちづくり」というひらがなの概念を社会に定着させる役割を果たした人として紹介されている。そこではまちづくりは人間の共同生活の自治化を目指すものとして理解される。具体的は、モノ,シゴト、クラシ、シクミ、ルール、ヒトづくり、コト起こしの7つが展開されるというイメージであるとし、「市民政府は、市民参加の到着点でもある」(96頁)とされる。著者による理解は、こうしたまちづくりは究極のところ人づくりに行きつくと解される。

山崎のコミュニティーデザイン論の与えたその後のまちづくり、過疎の克服策、計画等々の策定過程や方法などの影響は今日でも大きいが、著者はこれを地域の課題を地域の人たちが解決するための場をつくることとし、箱もの行政ではなく、地域の人間関係の再編に構造転換させた人物として高く評価している。地域活動に楽しさをもとめた山崎の所論は、その後の今日までつづくいわゆるコンサル行政のあり方にも大きな影響をあたえるものであった(皮肉にもコンサルがさかえ、地域は消滅であるが)。

山下の地域学は、消滅可能性自治体論に対抗したものとしてよく知られている。著者によれば、地域の実像は生命、社会、歴史と文化からなるものとして認識され、地域は、相互扶助の構造と機能を持つ場であると認識される。国家ナショナリズムから地域ナショナリズムへの転換を説くとされている。当然そこには地域固有の(伝統的な)福祉文化がある。

著者は、4人(地域主義、まちづくり、コミュニティーデザイン、地域学)についてその限界と効用を丁寧にまとめている(103~104頁)。その通りと思われるが、では、というところで、104頁において、まちづくりと自立的市民形成の循環モデルが提示され、105頁においてその解説が示されている。評者には、著者の市民福祉教育論の考え方が本書中で一番よくわかる図であると感じた。円環状に結ばれるプロセスそのものが著者の言う「市民福祉教育の実態」であり、その中心冠の核において形成されるものこそが、自律的市民に他ならない、とする結論は評者のような門外漢にも理解できる。著者の考えが具体的(直観的)に理解できるレベルで説明された本章は、本書の肝であると感じられる。歴史研究的な部分を除き、抽象化されて分かりにくい著者の福祉教育論の見える形での具体化の一つである、と評者は高く評価したい。

第7章:福祉教育論の再考と現代的展望

本章は福祉教育論の概念や定義等について、大橋謙策、原田正樹、阪野貢の3人の論を中心に検討されている。いずれも地域福祉の主体形成を重視する立場は共通するが、著者は大橋の論を、「地域福祉計画策定主体、実践主体、利用主体、社会保障制度契約主体」の4つに課題を整理して考察し、大橋の福祉教育論への批判も含め詳しく紹介されている。原田については「協同実践」がその本質であるという理解であり、地域福祉の下位概念・従属概念ではないとすることに同意を示している。原田に関しては共に生きる、支えあうというその関係性や地域性が重視されるということがポイントであるとされる。

一方、大橋福祉教育論を継承する(したい)という著者の福祉教育論は、あくまで「市民福祉教育」論がその理念・方向性の根幹である。著者は、市民福祉教育を「福祉文化の創造や福祉のまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な市民の育成を図るための教育活動であり、その内容は、人権の尊厳と自由・平等・友愛の原理に立って、平和・民主主義・人権と、自立・共生・自治の思想のもとに構成され、その実践では、歴史的・社会的存在としての地域の社会福祉問題を素材にし、課題解決のための体験学習と共働活動を方法上の特質とする」(117~118頁)。としている。

大橋と共通する点や、句点(。)の少ない意味の取りにくい定義であり、大橋の福祉教育概念と重なる部分もあるが、独自のものである。著者のなかでは、協働は行政主導や専門化主導の枠組みの中での活動であるが、共働は市民が主体的・自立的に、対等な立場で互いに働きかけ、共に新たな価値を創造していく能動的な関係を意味するとされている(118頁)。

さらに、市民福祉教育は、理念・目的・目標、学習者、指導者・支援者、素材・教材、教育内容・方法、教育評価などによって構造化されるとしている。120頁の市民福祉教育の理念と構造を示す図1によれば、それは、定型教育、不定型教育、非定型教育、市民・文化活動(運動)に関連し、その統合・結節点的なものとしてイメージ化されている。121頁には、大橋、原田、阪野のそれぞれの「福祉教論の特質」が、定義の基軸、キーワード、学習の主眼、地域・社会観、実践のアプローチの5つの項目で整理されており、それぞれの特質が分かりやすく説明されている。

しかし一方で、著者は福祉教育の研究者としての3人に共通する志向性として、「地域福祉と福祉教育の不可分性と有機的連携」、「主体形成の重視と市民参加の促進」、「まちづくり・社会変革の推進と地域共生社会の実現」、「実践と理論の往還的関係の重視と実践研究の推進」がそれであるとしている(122頁)。門外漢の評者にはこうした理解が本当に正しいのかどうかの判断ができないが、この3人(著者も含む)は、学述的な系譜を形成しているとの自負はむしろ貴重であろう。

本章は、著者によれば、市民福祉教育を市民自治による社会変革モデルとして再定義したい(125頁)としたものであり、そのことの意欲には敬意を払いたい。

第8章:「まちづくりと市民福祉教育」の計画化と実践的展開

本章にとり上げられている狛江市での「あいとぴあカレッジ」が行われてい1990年代当時のことは、評者も、筆者やその後の報告などを通して聞き及んでいたことであり、記憶が鮮明である。今回、本章で改めて著者の当時の想いや体系的、献身的努力を知り、強く敬意を払う次第である。

あいとぴあカレッジは「地域福祉活動計画」の一部であるが、単発的な学習や実践ではなく、体系的な福祉教育実践という位置づけで、目的意識的に取り組まれたことが第一の大きな意義である。著者によれば福祉教育研究は、①実践事例の検討、②教育内容・方法、③地域福祉との関連の理論的研究、の3つに大別できるとされている。しかし、従来の研究ではいかにしてそれが「地域福祉計画」の中で構造化されるのか、さらに「計画過程」そのものの分析は十分ではなかったという問題意識を持っている。著者の問題意識には、計画化⇒そのプロセスの構造化⇒まちづくりへの具現化という一連の流れとして把握されるべきだということがある。

著者は、福祉教育は事業計画、施設整備計画、マンパワー計画、財政計画の4本の柱で構成されるとし、住民の生活実態、課題、住民の学習要求、学習機会の地域での提供状況などにふまえた上での「目標の明確化」が最も大事であるとする。あいとぴあカレッジでは事務局に企画小委員会や作業部会が設けられ、作業が進行していく様子が詳述されている。140頁には15回にわたったカレッジの学習テーマおよび学習内容が表として掲載されているが、総論、各論、方法論がまちづくり、その担い手づくりという方向に向けて、当時の時代背景の中で周到に準備されていたことがわかる。

評者はこの計画の実践過程を読み、今日ではなかなか実現が難しい状況があると感じた。例えば、公的機関が行う学習会では今日では実費徴収が通常だと思われるが、学習者から参加意識の醸成も含め4000円を徴収したという点や、15日間という長い期間であったにもかかわらず、年齢や属性がそれなりにばらけた30名という受講者数が確保できたこと、評価の観点は満足度等ではなく実際に普段の暮らしの中で変化を起こしたかなどであるとされていることなどがその例で、その独自性を高く評価したい。

著者は本章では、現代社会の福祉問題の多重化=制度的対応ではできない、あるいは制度自体が存在しない、SNSに代表される情報環境、学習環境の大きな変化にあった「福祉教育」の意味を問うている。確かに現代社会の大きな問題は、近年の格差の拡大をきっかけに、自己責任論の横行や関係性の断絶、偏見・差別という現状を生み、その結果、価値観そのものが人により異なることや、地域課題の解決のためのゴールをどこにするかなどの合意形成が難しくなってきているということがある。評者も、極論すれば、著者が自明に使う「基本的人権」、「平和」、「社会正義の実現」という言葉に内包される意味や共通認識が分かりにくくなっていることを認めざるを得ない。社会のあらゆる分野でいわゆる「暗黙知」「共通イメージ」ということが失われつつあり、そのことが「福祉教育論」の現代的共通理解の妨げになっていると感ずる一人である。

第9章:「まちづくりと市民福祉教育」が拓く新たな地平

本章は、今日における思いやり的な「福祉教育」の実践内容や現場の問題点を整理・克服し、新たなあり方を模索した章である。40年近くに渡り「福祉教育」の研究者の一人としてその分野をリードしてきた著者の現代の福祉教育への「絶望の書」にも読める内容であるが、その逆の希望の書でもあろう。著者はそれらの多くある課題を、①理論的課題、②実践的課題、③哲学的課題の3つに整理して論述している。

それらの内容は、著者の言葉を借りるならば、理論的課題には「自立は依存先を増やすこと」(熊谷晋一郎)という新たな福祉観との抵触、実践的課題では相変わらずの教室内での実践(学習中心)の限界、哲学的課題では従来からの単なる共感的学習にとどまり、地域そのものを変革するという主体形成の視点がないことなどがあげられている。

福祉における「依存と自立」の理論的課題や実践的課題を深めるために、本書では小松理虔をあげている。彼は東日本大震災を経験した中で得た当事者か否かという分け方ではなく、「中途半端さ」を認めた関係上での「共事者」という概念を提起する。(いわゆる最近よく使われる「関係人口」ではなく)地域にあってもこうした緩い関係による「地域共生社会」を構想していることを著者は評価している。哲学的課題については、奥田知志をあげている。奥田の問題意識は、現代では自己責任論のあげく「助けて」と気楽に言えない社会があるとし、「伴走型支援」として誰も一人にしないまちづくり、希望のまちづくり、「なんちゃって家族」のまちを目指していることなどを紹介している。著者はこれら二人(共事者の連帯,不可解性の受容)の交差点にこそ、まちづくりの新たな方向性がるとしている。著者によればそれは、自立から相互依存へ、さらにその依存の権利化をとなえ、慈恵的な思いやりでない闘争的な愛,共働的な愛の対置である。これができる社会が結果的に「インクルーシブ社会」になることは評者に首肯するところである。また、こうした相互のあり方を内実化させるために、著者は共感を大切にするが,その共感とは情緒的なものを超え、「他者に対して共に・関わり・関心を持ち続ける『共闘』意識の醸成である」と結論している(163頁)。

本章では他に、鯨岡峻の相互主体性も紹介されているが、関係性を上下でとらえるのではなく、それぞれが主体として機能する能動的な発展的な関係が説明されている。

 本章の「おわり」には、本書全体につながる結論として、まちづくりと市民福祉教育は「個人の内面を耕すという次元を超え、誰もが安心して依存し受援し合える地域共生社会を共創するための、自治的・共働的な社会変革の実践である」と結んでいる(171頁)。さらに173頁では、「教育の本質は、社会に厳然と存在する不条理や構造的課題を『生きた教材』として提示し、多様な価値観が交錯するなかで、『対話と共働』を継続させる場を保障することにある」ともしている。教師だけでなく、専門家、保護者、施設管理者等々に求められる視点でもあろう。

本書は、筆者が50年近く継続的にその実践・研究に携わってきた「まちづくりと市民福祉教育」の集大成である。福祉教育を支える歴史・哲学・原理の再考を狙いとした本書は、評者には正直なところかなり難解であった。しかし、福祉教育に関心のある者、福祉教育研究者、地域福祉の研究・実践に携わる研究者や行政マンには基本的知識としてぜひ読んで、部分的にも実践してもらいたい。