「雑感」カテゴリーアーカイブ

阪野 貢/「自由の実践としての教育」と「学びの共同体」を考えるために ―ベル・フックス著『学ぶことは、とびこえること』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、ベル・フックス著、里見実監訳、朴和美・堀田碧・吉原令子訳『学ぶことは、とびこえること―自由のためのフェミニズム教育』(原題:Teaching to Transgress, Education as the Practice of Freedom, 1994。ちくま学芸文庫、2023年5月。以下[1])がある。[1]は、アメリカの批評家・フェミニスト理論家であるベル・フックス(bell hooks)による教育論のエッセイ集である。フックスは、パウロ・フレイレの『被抑圧者の教育学』( ⇨ 参照 )の影響を受けつつ、教育とは教師による一方的な情報・知識の伝達・注入(「銀行型教育」)ではなく、抑圧的な構造(人種・階級・ジェンダー)を超えていく営為(「自由の実践としての教育」)であり、教師と学生が互いに主体として、双方向的に関わり合いながら(「関与の教育」)、全人的な成長・発達をめざす営為である、と説く。
〇本稿では、[1]のなかから、フックスの言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「学びの共同体」と「わくわく」感:授業は学生と教師の共同作業である
授業は刺激的な場でなければならない。絶対に退屈な場であってはならない。(18ページ)/刺激的な学びを創造するためには、そこで語られている内容が刺激的であるだけでは、まだ十分ではない。教室という場はひとつの共同体であるから、「わくわく」を生み出す能力は、わたしたちがお互いに関心をもちあうこと、相互の声に耳を傾け合うこと、他者の存在を認め合うことと、深く関わり合っている。(中略)教師が一人ひとりの存在を真に大切に思わなければならない。クラスにいる全員が授業のダイナミズムに関係しており、みんながそれに寄与しているのだという認識がなくてはならない。このみんなの寄与が、資源なのだ。この資源を有効に活かせば、学生たちはどんな授業においても、開かれた「学びの共同体」をつくりだす能力を自ら高めていくのだ。(20~21ページ)

「自由の実践としての教育」と「越境」:教育は既存の境界を越え、自由を実践する営みである
長年にわたって授業という場は、学ぶというよりも他人を出し抜くための踏み台として教育を利用しようとする教師や学生たちによって、さんざんに蝕(むしば)まれてきた。(中略)わたしたちのだれもが精神と心を開き、通念のとばり(既成の考え方や常識が、その先にある知を覆い隠している、仕切りとなる垂れ幕――引用者注)を越えた知に迫り、思考し、さらに再思考し、新たなヴィジョンを創出していくことを願いながら教える。この越境を可能にする教え――境界を逸脱し、それを踏み越えていく精神のこの運動こそが、教育を自由にする実践なのだ。(28ページ)

「関与の教育」と「告白」:教師もまた自らを語り、さらけ出す存在である
教育が自由の実践である以上、分かち合い、告白を求められるのは一方的に学生だけであってよいはずはない。関与の教育学(教師も学生も、知識を一方的に伝達・受容するだけの関係ではなく、互いに全人格(知性・身体・精神)をもって主体的に授業に関わり、共に学び合い、成長していこうとする教育――引用者注)は、単に学生のエンパワーメントだけを追い求めているのではない。ホリスティック(全人的――引用者注)な学びの方式を使った授業は、その授業を通して、教師が成長しエンパワーされる場でもあるはずだ。(中略)教師が自らの経験を授業で語るということは、つまりは、すべてを知りつくした沈黙の尋問者として振る舞う可能性を放棄するということなのだ。教師がまずリスクを負って自分の経験を告白し、それを学問的な議論と関連づけることで、経験というものが学問の理解を高め、興味深いものにするかを示すならば、そのことでしばしば豊穣な学びが生まれてくる。でもそのためには、教師は授業のなかでもっと傷つきやすい存在になること、心とからだと魂の全体をさらす存在として、学生たちの前に立つことを求められる。(46~47ページ)

「多文化主義の教育」と「差異」:教室内の多様性は学びの資源であり、教育を問い直す出発点である
(人種・階級・ジェンダーなどの差異による――引用者注)多文化的な集団では、ときとして、それぞれに違った学び方や認識方法があり、それを受け入れなければならないことを、教師も学生も思い知らされる。/考え方を変えることは、教師にとって難しいように、学生にとっても難しい。(77ページ)/多文化主義の立場に身をおくと、教育に携わる者は、知識がこれまでどんなに狭い枠組みのなかで教えられたり学ばれたりしてきたかを、いやでも自覚せざるをえなくなる。ありとあらゆる種類の偏向を受け入れ、維持してきた、その共犯者が自分自身であることに気づかざるをえなくなる。学生たちは、知ることの前に立ちふさがっている障壁を突破したいと熱心に望んでいる。既存の知識を問い直す批判的な精神、惰性に逆らう知的探求の論理に、すすんで自らを委ねたいと欲している。多文化的世界の認識をふまえたラディカルな教育変革を、わたしたち教育者がしたそのときに、学生は、自分たちが希求し、また当然享受してしかるべき教育を、手にできるだろう。わたしたちは自由に表現できる空気を、意識を変える授業を、創り出すことができるだろう。それこそが、真に開放的人間教育の神髄なのである。(81~82ページ)

〇いささか牽強付会で(けんきょうふかい)はあるが、フックスの以上の言説を「まちづくりと市民福祉教育」の文脈に読み替えてみると、次のようになろうか。そこには、地域を「学びの場」として捉え直すためのいくつかの示唆が見えてくる。すなわち、まちづくりとは単に地域の施設や環境を整備することではなく、そこに暮らす人びとが互いに学び合い、関わり合いながら、自分たちの地域のあり方を問い直し、新たな関係と未来を創っていく教育的営為でもあるのである。
〇第1に、「学びの共同体」の思想は、まちづくりにおける住民参加の理念に通底する。授業が刺激的な場であるためには、内容の充実だけでは不十分であり、教室にいる全員が互いに関心を持ち合い、その存在を認め合うことが必要である、とフックスはいう。これはまちづくりにおいても同じであろう。まちづくりを「わくわく」する営みにするのは、行政や専門家が用意した計画そのものではなく、そこに暮らす住民一人ひとりがこのまちの担い手であると認識し、互いの声に耳を傾け合う関係性である。住民の存在と関与そのものが、まちづくりの資源なのである。
〇第2に、「越境」の思想は、行政や専門家と住民のあいだに引かれてきた境界線を問い直す視座を与えてくれる。授業という場が、学ぶことより他人を出し抜くことの道具として蝕まれてきたように、まちづくりや市民福祉教育の現場においてもまた、支援者と受援者、専門家と素人という固定的な役割分担によって、相互に学び合いながら新たな関係をつくる可能性が狭められてきたのではないか。既成の枠組みを越え、共に新たなヴィジョンを創り出していく実践こそが、「自由の実践としての教育」であり、市民福祉教育のめざすところである。
〇第3に、「告白」の思想は、専門家・支援者の側にも自己開示や、自らの弱さ・脆さを隠さない開かれた姿勢を求める。フックスは、教師がすべてを知りつくした沈黙の尋問者であることをやめ、自らの経験を語る存在になることを説く。まちづくりと市民福祉教育の現場においても、支援する側が一方的に支援を与える立場に留まり続けるのではなく、自らも弱さや迷いを抱えた一人の住民として認識することが求められる。専門家が持つ専門知と住民が持つ生活知という価値が対等に響き合う、相補的なパートナーシップが構築されてはじめて、共働としての「関与の教育」が始まるのである。
〇第4に、「差異」の思想は、地域社会の多様性をそのまま、まちの資源として捉え直す視点を与えてくれる。年齢、障害の有無、国籍、生活背景などの差異ある住民が集う地域は、フックスのいう多文化的な教室と重なり合う側面がある。それぞれの差異を問題や障壁としてではなく、まちを豊かにする資源として受け止め、既存の枠組みを問い直す姿勢、すなわち「多文化主義の教育」の実践こそが、真に開かれた「まちづくりと市民福祉教育」の神髄であろう。

〇フックスの「自由の実践としての教育」は、学校という場だけに閉じられた・限定された教育論ではない。人びとが共に生き、共に学び、共に地域・社会を創っていくための実践論である。「学びの共同体」「越境」「告白」「差異」という4つの視点は、「まちづくりと市民福祉教育」を、行政や専門家が住民に提供するものとしてではなく、住民、専門家、行政などが互いに学び合いながら、共に地域・社会を創っていく「開かれた学びの場」として捉え直す手がかりになる。すなわち、学校や施設だけが教育の場なのではなく、「まち」そのものが、人びとが出会い、関わり、学び合いながら現状を批判的に捉え直し、共に社会変革を促していく創造的な営みの場、「学びの共同体」となり得るのである。

阪野 貢/「コモンズ」基礎考 ―オストロムの「8つの設計原理」と李妍焱の「市民的コモンズ」についてのワンポイントメモ―

「まちづくりと市民福祉教育」は、地域の空間や資源を共同で利用・管理するだけでなく、その共同実践(共働)を通じて人と人との関係性や市民性を共有資源として形成・蓄積していく、重層的なコモニングの過程として捉えることができる。

〇「コモンズ(commons)」(共有資源)への関心を呼び起こすひとつのきっかけとなったものに、斎藤幸平の『人新世の「資本論」』(集英社新書、2020年9月)がある。斎藤はいう。「〈コモン〉とは、社会的に人々に共有され、管理されるべき富のことを指す」。「〈コモン〉は、市場原理主義のように、あらゆるものを商品化するのでもなく、かといって、ソ連型社会主義のようにあらゆるものの国有化を目指すのでもない。第三の道としての〈コモン〉は、水や電力、住居、医療、教育といったものを公共財として、自分たちで民主主義的に管理することを目指す」(141ページ)。そして、「無限の経済成長ではなく、大地=地球を〈コモン〉として持続可能に管理すること」(190ページ)によって初めて、「マルクスが最晩年に目指したコミュニズム、(すなわち)平等で持続可能な脱成長型経済」(195ページ)が実現する。要するに、斎藤にあっては、資本主義によって解体されてしまった〈コモン〉を再建する「脱成長コミュニズム」――つまり国家主導・統制ではなく、市民が協同で〈コモン〉を共有し民主的に管理する社会こそが、「持続可能で公正な社会」の実現を可能にするのである。( ⇨ 参照 )
〇こうした「コモン(common)の議論は、より広く「コモンズ」をめぐる議論の一部として位置づけることができる。ただし、そこには系譜の異なる二つの流れがあることに注意しておきたい。ひとつは、斎藤のようにマルクス主義の系譜に立ち、資本主義批判・脱成長論として〈コモン〉を、「こうあるべき」であるというように規範的に語る思想的な議論である。もうひとつは、森林や漁場、入会地(いりあいち)や牧草地などの伝統的な自然資源から、市場(私)と国家(公)の二元論を超えて人々が協同で管理・運営する生活基盤や資源まで、その実態を実証的・制度分析的に解明しようとする研究の系譜である。
〇両者は問題意識(資本主義批判/制度の実証分析)を異にするが、いずれも「市場か国家か」という二項対立に収まらない共有・協働の可能性を探る点で通底している。前者の斎藤の議論におけるコモンは、「資本の論理から切り離し、市民が自治的に管理する共有資源」である。後者において主導的な役割を果たしたのが、アメリカの政治学者・制度派経済学者のエレノア・オストロム(Elinor Ostrom、1933~2012)である。彼女は、『コモンズのガバナンス(Governing the Commons)』(1990)などにおいて、コモンズが国家による管理や私有化に頼らずとも、利用者自身の自主的なルール形成によって持続的に運営され得ること、すなわち国家による一元的管理や私有化だけでは捉えきれない、利用者による自己統治の可能性を実証的に示し、2009年にノーベル経済学賞を受賞した。
〇コモンズについては、みんなが自由に使えば誰もが自分の利益を優先して資源を使い尽くしてしまうという「コモンズの悲劇」(ギャレット・ハーディン、1968年)が語られてきた。それに対してオストロムは、世界各地の現場(地域社会)を調査・分析し、長期にわたって安定してコモンズを維持しているコミュニティが実際に存在すること、そしてそこには共通してみられる制度上の特徴があることを見出し、それを「コモンズの8つの設計原理」として整理・提示した。
〇ここで、筆者(阪野)の手もとにある、エレノア・オストロム著、原田禎夫・齋藤暖生・嶋田大作訳『コモンズのガバナンス―人びとの協働と制度の進化―』(晃洋書房、2022年12月。以下[1])から、いわゆる「オストロムの8原理」についてメモっておくことにする(抜き書き。小見出しの括弧内と「すなわち」以下は筆者)。資本の論理から切り離し、市民が自治的に管理する共有の富

オストロムの「コモンズの8つの設計原理」
1.  明確な境界(資源と利用者の範囲が明確であること)
資源ユニットを利用する権利をもつ個人や世帯は、共的資源の境界と同様に、明確に区分されていること。(107ページ)
すなわち、資源の範囲と、それを利用できる人の範囲が明確であること。
2.  地域的な条件と調和したルール(ルールが地域の条件に適合していること)
時間、場所、技術および/または資源ユニットの量を規制する占用ルールは、地域の条件に、そして労働や資材の提供および/または費用負担を定めた供給ルールと調和したものであること。(108ページ)
すなわち、資源を利用する際のルールや、資源を維持管理するための負担のルールが、その土地の自然的・社会的条件(気候、地形、慣習など)や、利用によって得られる便益と負担との関係に配慮されていること。
3.  集合的選択への参画(利用者がルールづくりに参加できること)
運用ルールの影響を受ける人が、ルールの修正に参加できること。(109ページ)
すなわち、資源を実際に利用する人が、外部から一方的にルールを課されるのではなく、ルールの決定や変更そのものに加わることができること。
4.  監視(資源と利用状況に対する監視が適切に行われること)
監視役は、共的資源の状況や占用者の行動を積極的に監視し、占用者に対する説明責任を負っているか、自身もまた占用者であること。(110ページ)
すなわち、資源がどのような状態にあるのか、利用者がどのように資源を利用しているのかを、利用者自身または利用者に対して責任を負う者が把握する仕組みがあること。
5.  段階的な制裁(違反に対して段階的な制裁があること)
占用者が運用ルールに違反したとき、他の占用者、または占用者に説明責任を負う役員、あるいはその両方によって、(違反の深刻さと状況に応じて)段階的に制裁を科されると見込まれていること。(110ページ)
すなわち、ルール違反に対して、いきなり厳罰を科すのではなく、違反の深刻さや頻度に応じて段階的に罰則が重くなるという制裁があること。
6.  紛争解決メカニズム(紛争を身近な場所で解決する仕組みがあること)
占用者や役員は、地域の話し合いの場に低費用かつ迅速にアクセスでき、占用者間、あるいは占用者と役員の間に生じた紛争を解決できること。(117ページ)
すなわち、利用者同士、あるいは利用者と管理者の間でトラブルが起きた際、低コストかつ迅速に解決できる場(仕組み)が用意されていること。
7.  組織化における最低限の権利の承認(自治が外部から認められていること)
外部の政府権力が、占用者自らの制度づくりの権利を侵害しないこと。(118ページ)
すなわち、利用者が自分たちでルールを定め、組織化する権利を、政府などの外部の権威が一定程度認め、保障していること。
8.  入れ子状の組織(多層的な組織によって統治されること)
占用、提供、監視、実効化、紛争解決およびガバナンスが、入れ子状(多重構造――引用者注)に組織化されて行われていること。(119ページ)
すなわち、大規模なコモンズの場合、末端の小規模な地域組織からより広域の組織までが複数のレベルにわたって重層的に組織され、相互に連携していること。

〇この8つの設計原理は、オストロムによれば推論的な示唆に留まり、あらゆるコモンズへ適用すべき必要条件や一律の公式ではない。むしろ、持続的で自己統治的なコモンズの事例に観察される共通パターンを示したものである。すなわち、コモンズは、外部からの強制的な管理か、あるいは民営化かという二者択一ではなく、利用者が自分たちでルールをつくり、監視し、違反には段階的に対応し、紛争を解決する、という仕組みを持つことによって資源を長期的・共同的に維持する自己統治の可能性を持っているのである。

〇もう一冊、筆者の手もとに、李妍焱(リ・ヤンヤン)著『市民的コモンズとは何か―理論と実践者との対話―』(ミネルヴァ書房、2025年3月。以下[2])がある。李は[2]において、「市民」や「市民社会」、「コモンズ」などの議論をレビューし、また事例研究を通して、社会変革の仕組みとなる「市民的コモンズ」の概念の構築をめざす。
〇李にあっては、「市民」とは、「他者や社会、公共的な事柄と豊かにつながる生き方をする個々人」、「一種の『市民的センス』を自然に身に纏(まと)っている人」(2~3ページ)、「自分にとっての義務や経済的利益にとらわれることなく、社会的・公共的な事柄に参加する人々」(66ページ)である。その意味で、「市民とは、人間と社会がもつべき新しい価値観を意識し、一定の市民的資質を持って、所属するコミュニティにおいて主体的に実践する者であり、かつコミュニティ内に限定されないフラットでオープンな感覚を持ち合わせている存在である」(67ページ)と定義されることになる。それは、表1のように整理される(68ページ)。

表1「市民性」を物語る諸項目

〇次に、「市民社会」(「市民セクター」)について、李は次のように言う。「➀何らかの共有される課題やテーマに対して、自らの価値観と思いに基づき多様な様式で取り組む多様な人々の、➁(所有ではなく)共有と協同によって成り立つネットワーク、組織やつながり方、および➂その実践内容と構築した仕組み、といった『実体』を指し示す内容だけではなく、➃このような人々による問題提起や思潮とその社会的インパクトの側面も含めたい」(13ページ)。それは、表2のように整理される(14ページ)。

表2「市民社会」(「市民セクター」)の概念

〇そして李は、地縁的な共同体が自然資源を共同管理する「伝統的コモンズ」と、知識やデジタル領域にまで対象を広げた「新しいコモンズ」についての議論を俯瞰し、その系譜の整理を踏まえて「市民的コモンズ」について定義する。すなわち、市民的コモンズとは、「具体的な資源を媒介とするコモニーングの過程であり、多様な目的を持った多様な人々が関わり、オープンなコミュニティづくりによってエンクロージャーに抵抗し、市場システムで切り捨てられてきた価値の再構築を行い、自生する社会秩序を志向する協治の仕組みである」(152、226ページ)。
〇この定義を構成要素に分解すると、➀モノや空間などの何らかの「資源」があること、➁その資源を共同で利用するだけでなく、新たな資源やその価値を共創すること(コモニーング)、➂同じ目的を持つ人だけでなく、立場を超えた多様な人が参加すること、➃仲間内に囲い込むこと(エンクロージャー)を避け、新たな参加者を受け入れること、➄市場では価値がないとされたものを、市民が再評価すること、➅行政などが上から管理するのではなく、市民の協同実践によって秩序を形成すること、になろう。ここでは、コモンズ(共有資源)という状態・対象よりは「コモニング(commoning)」([2]では「コモーニング(communing)」と表記)、すなわち具体的な資源を媒介として、人々が共同でその利用・管理・価値づけ・関係の形成を行い、新たなコモンズと社会秩序を形成している実践・プロセスそのものが重視される。

〇以上のコモンズ論を「まちづくりと市民福祉教育」に引き寄せて一言する。例えば、商店街の空き店舗を利活用した居場所づくり、空き家を活用した住民の交流拠点づくり、あるいは地域のサロン活動を通じた住民同士の関係づくりなどがある。こうした実践は、単に物理的な空間を再生・活用する「まちづくり」の活動に留まらない。それは、いわば「空間的コモンズ」を形成・再生する実践であると同時に、そこへの参加や協働を通して、共感力や対等性、行動力などの市民性(表1参照)が育まれ、それらが住民同士の関係のなかで共有され、蓄積されていく「関係的コモンズ」を形成する実践でもある。公共的な空間をつくる過程と、住民同士の支え合いや学び合いの関係を育てる過程とは、同じ実践のなかで相互に結びつきながら進行しており、空間をつくることが人と人との関係をつくり、その関係がまた空間を支え、育てていく――ここに、「空間的コモンズ」と「関係的コモンズ」の相互作用を見ることができる。
〇したがって、「まちづくり」と「市民福祉教育」を二分して捉えるのではなく、「まちづくりと市民福祉教育」という不可分で一体的な実践として捉えることが重要になる。「まちづくり」が地域の公共的な空間や資源をつくり出す営みであるとすれば、「市民福祉教育」は、その営みへの参加と協働を通して人と人との関係性や市民性を育て、それらを地域の共有財産として蓄積していく営みである。両者は別々のものではなく、コモンズをつくり、育て、次の実践へとつないでいくひとつのプロセスとして理解することができるのである。
〇その点について、牽強付会(けんきょうふかい)ではあるが、オストロムの「8つの原理」を「まちづくりと市民福祉教育」の文脈に読み替えてみると、例えば次のようになろうか。1(明確な境界)は、地域の課題や資源とともに、担い手の範囲を明確にする。2(地域的な条件と調和したルール)は、地域の歴史や文化、生活実態を重視する。3(集合的選択への参画)は、子どもや高齢者、障がい者など多様な住民が参加し、共働する。6(紛争解決メカニズム)は、住民間のトラブルは当事者同士で話し合い、解決する。8(入れ子状の組織)は、自治会や地区・市町村社協、行政などと重層的に連携し、支え合う。ただ、当然のことながら、「8つの原理」を無批判的に読み替えることには限界がある。1については、都市の地域社会では流動性が高く、明確な「境界」(範囲)を設定することは困難である。2については、「地域の条件」をめぐって新旧住民間で認識のズレが生じうる。3については、住民の高齢化や担い手不足が進む地域では、「集合的選択への参加」は難しい。6については、「紛争解決」の方法や内容が住民間の力関係に左右されうる。8については、「重層性」が縦割り構造に陥りやすく、末端組織の自律性が損なわれる懸念がある。留意したい。

阪野 貢/阪野貢の経歴と研究業績:「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究の系譜―1973年4月~2023年12月―

阪野貢の経歴と研究業績
「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究の系譜
―1973年4月~2023年12月―

宝仙学園短期大学保育科  専任講師・助教授・教授(1973年4月~1997年3月)
中部学院大学人間福祉学部人間福祉学科  教授(1997年4月~2013年3月)
中部学院大学大学院人間福祉学研究科 教授(2003年4月~2013年3月)
NHK「社会福祉セミナー」講師(福祉教育等担当)(1997年8月~2009年1月)
皇學館大学大学院社会福祉学研究科 非常勤講師(2002年4月~2011年3月)
福井県立大学大学院看護福祉学研究科 非常勤講師(2003年4月~2021年3月)
文教大学生活科学研究所  客員研究員(2013年4月~2021年3月)
市民福祉教育研究所  主宰(2012年6月25日~2020年12月31日)
市民福祉教育研究所  顧問(2021年1月1日~)
日本福祉教育・ボランティア学習学会  名誉会員(2023年11月4日~)

※学歴・職歴と主な学会活動、社会活動及び「福祉教育」関連の著書・論文




附記
「『市民福祉教育』として構築し、推進することが求められている」(この人に聞く⑬)
日本福祉教育・ボランティア学習学会監修『ふくしと教育』通巻14号 大学図書出版、2013年2月、38~41ページ。



(2023年12月31日現在)

阪野 貢/「コミュニタリアニズム」基礎考 ―菊池理夫のコミュニタリアニズム論のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとには、日本におけるコミュニタリアニズム研究の第一人者である菊池理夫の著作・論考が3点ある(それしかない)。すなわち、①「日本におけるコミュニタリアニズムの可能性」(広井良典・小林正弥編著『コミュニティ―公共性・コモンズ・コミュニタリアニズム―』勁草書房、2010年1月。以下[1])、②『現代のコミュニタリアニズムと「第三の道」』(風行社、2004年3月。以下[2])、③『日本を甦らせる政治思想―現代コミュニタリアニズム入門―』(講談社現代新書、2007年1月。以下[3])、がそれである。
〇コミュニタリアニズム(communitarianism:共同体主義・共同体論)とは、人間は本来、家族や地域・社会などのコミュニティ(共同体)のなかで生きる存在であり、コミュニティの伝統や価値観によってはじめて自己を形成しうる、とする思想的立場である。それは、個人の自由や権利を何よりも優先するリベラリズム(liberalism:自由主義)の説く「負荷なき自我」(社会や歴史から切り離された、完全に自由で孤立した個人)という人間観を批判し、歴史や文化、家族や地域・社会との関係性のなかで自己を形成する「状況づけられた自我」を再評価する点に大きな特徴がある。
〇菊池は、[1][2][3]において、1980年代にアメリカの政治哲学・公共哲学として登場したコミュニタリアニズムに関する議論を網羅的かつ批判的に検討する。そのうえで、日本では、コミュニタリアニズムが全体主義的あるいは懐古主義的な思想として理解されがちであることを指摘し、そうした誤解や偏見に満ちた批判に応えるために「現代のコミュニタリアニズム」論を展開する。そこで菊池は、「現代の政治理論、政治思想のなかで、普通の人々の『つながり』を重視し、エリートの政治ではない、身近で日常的な民主主義の政治を根拠づけるのがコミュニタリアニズムである」([3]8ページ)と再定義する。菊池において、こうしたコミュニタリアニズムが理想とする社会は、完全なかたちで実現しうるものではないが、それでもなおめざすに値する「実行可能なユートピア」([2]298ページ)である。
〇そこで、本稿では、[1][2][3]のなかから、ひとまず(1)「現代のコミュニタリアニズム」、(2)その核心をなす「共通善」、(3)「コミュニティ」、そして(4)「公共の福祉」の4点をめぐって、菊池の言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者。一部語尾変換)。

「共通善の政治学・政策学」としての「現代のコミュニタリアニズム」
現代のコミュニタリアニズムとは、共通の文化や伝統などを前提としながら、自由で、平等な成員(メンバー)が原則として全員がともに熟議し、共通の利益・共通の目的を実現するために参加する自治的で、民主的なコミュニティを重視し、そのようなコミュニティの実現・維持のための政策を掲げる政治思想・公共哲学といえる。それは一言でいえば、「共通善の政治学・政策学」である。([1]94~95ページ)/現代コミュニタリアニズムは、何よりも個人の自由や権利の追求が「私益」と変わらず、政治が利益集団政治になっている傾向を批判し、「共益」(共通善)を実現するための政治・政策を追求するものである。([1]95ページ)

現代のコミュニタリアニズムは、決して保守主義的なものではなく、経済的思考が強い現在のなかで、政治的なものを再興し、普通の人々が政治的に行動すること、すべきこととはどのようなことかを訴えた、その意味では民主主義を哲学的に基礎づける実践哲学としての政治哲学・公共哲学といえるであろう。([2]163ページ)

「共通善の政治学」としてのコミュニタリアニズムにおいては、「共」としての「コミュニティ」のなかで私的で特殊な利益を追求するのではなく([3]56ページ―引用者注)、民主主義的なコミュニティのメンバーがおたがいに助け合いながら、「共通善」を熟議して追求する「自治」が政治の実践である。([3]54ページ)

「連帯・相互扶助・参加」としての「共通善」
「共通善」は個人的な特定の利益ではなく、コミュニティのメンバーすべてに関し、ともに実現する共通の利益でもあり、「個人と個人のつながりや絆」をもたらす価値でもある。現代のコミュニタリアン(共同体主義者―引用者注)はコミュティの価値として、友愛や信頼などに基づく「連帯」、たがいに助け合う「相互扶助」、共通の目標を実現するために公共的活動に携わる「参加」などを重視している。この点で、「共通善」とは、コミュニティの成員(メンバー)全員が原則として「相互扶助」のために「連帯」し、「参加」して、全員の「共通の利益」(共益)としての「福祉」をめざすためのものである。([1]100ページ)

ソーシャル・キャピタル論と現代のコミュニタリアニズムは同根にある。政治的コミュニティでの政治参加や相互扶助を基礎づける「共通善」は、「ソーシャル・キャピタル」(相互利益のための調整と協力を容易にする、ネットワーク、規範、社会的信頼のような社会的特徴を表す概念)と呼ぶこともできる。([3]82、83ページ)

開放的・多元的な政治組織体としての「コミュニティ」
政治制度としては、コミュニタリアニズムは、基本的には国家や市場の役割を否定しないものの、何よりも「コミュニティ」を重視する。([3]52ページ)/「コミュニティ」とは、その成員の「共通善」を前提として形成されるとともに、その成員がともに「共通善」の実現を目的としていく人間の政治組織体である。/この点で、コミュニタリアンが主張する「共通善」、コミュニティの政治的価値とは、まず連帯(友愛)、相互扶助、政治参加、自治などである。このような政治的価値を強調することは、政治参加を強制し、個人の自由を侵害するものであるという、とりわけ価値中立的リベラルからの批判がある。([3]54ページ)/(この批判に対し―引用者注)現代のコミュニタリアニズムは、政治的価値に対して価値中立性を主張することが、実際には官僚主義や司法主義、国家のエリート支配になると批判する。([3]56ページ)

現代のコミュニタリアニズムは、個人の権利や自由を尊重し、コミュニティも閉鎖的でも、排他的でもなく、むしろ多様なコミュニティの存在を認め、その成員や各コミュニティの平等性や成員の政治参加、熟議を重視する民主主義的なものであり、その点で多くは保守主義的なものではなく、むしろリベラル・コミュニタリアンであり、「左派」ないしは「中道左派」的な性格を持ち、実際の政策にも影響を与えうるプラグマチックなものである。(中略)現在の「コミュニティ」とは決して生まれながら自然に帰属するものだけでなく、自己選択によって自発的に加入する集団も、つまり「アソシエーション」も含んで主張されている。([2]223~224ページ)

【注】「中道左派」としてのコミュニタリアン

現代のコミュニタリアニズムは(コミュニティへの帰属について―引用者注)個人が自己決定できることを否定しない。そのようなコミュニティのなかで、まず「自我」が作られていくのであり、そこから自らが帰属するコミュニティの伝統、歴史を自覚し、尊重することによって、それに対する参加か責務、またその成員の相互扶助が生まれてくると主張する。(中略)しかし、このことは伝統をすべて肯定することでもなく、参加や責務を強制することでもない。そして、このような「自我」によってコミュニティは形成され、その成員全体の「共通善」の実現に向かっていく。この点でも、現在のコミュニティはアソシエーションでもある。([2]224ページ)

現代のコミュニタリアンの地方分権化の主張、「補完性の原理」(身近な組織で解決し、不可能な場合のみ上位が補完するという基本原理―引用者注)は、中央主導の官僚主義をただし、また何よりも個人により身近な組織に権限を移譲して、より自治としての民主主義的社会を実現していくためのものである。([3]162ページ)

憲法第12条にみる共通善としての「公共の福祉」
現代のコミュニタリアンは基本的に個人の自由と権利をリベラル同様に重視する。個人の自由と権利は「共通善」である。([3]198ページ)/日本国憲法は現代のコミュニタリアンがいう意味での「共通善」を重視している。第12条の「国民は、これ「自由と権利」を濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」は、いわゆる「マッカーサー憲法草案」のほぼそのままの訳であり、「公共の福祉」の原語は「共通善」(common good)である。(中略)保守派も、リベラルも「公共の福祉」と「権利」を対立させる点で間違っており、この12条は「国民は個人の自由や権利をいつも公共の福祉のために用いなければならない」と、個人の自由や権利がつねに「公共の福祉」のために存在していることを述べているのである。このことが正しく理解されれば、現在の日本に見られる傾向、つまり個人の自由や権利が自分の利益と同じものとなって、自己利益追求が絶対的に正しいものとされることや、国民全員の利益、福祉が軽視されることはなくなるであろう。([1]105ページ、[3]199ページ)

【注】憲法第12条、第13条
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
Article 12.  The freedoms and rights guaranteed to the people by this Constitution shall be maintained by the constant endeavor of the people, who shall refrain from any abuse of these freedoms and rights and shall always be responsible for utilizing them for the public welfare.

第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

Article 13.  All of the people shall be respected as individuals.Their right to life, liberty, and the pursuit of happiness shall, to the extent that it does not interfere with the public welfare, be the supreme consideration in legislation and in other governmental affairs.

【注】「公共の福祉」とコミュニタリアニズム
「公共の福祉」は、現在の有力説では、人権相互間に生じる矛盾・衝突を公平に調整するための原理(人権相互調整の原理)として理解されている。これに対し、菊池の解釈は、現代における過度な権利主張を批判し、コミュニティ全体の利益や秩序を重視するコミュニタリアン的な発想を取り入れた独自の見解であり、一般的な憲法学説とは異なる。また、「公共の福祉」が英語の“common good” に由来するという理解も一般的ではない。憲法の現行英訳においては、一貫して“the public welfare” が用いられている。

〇以上の「コミュニタリアニズム」の思想は、「まちづくり」という実践の場において具体的な意味を持つ。従来の行政主導型の都市計画や地域振興策は、住民を単なるサービスの受け手として扱いがちであった。しかし、コミュニタリアニズムの視点に立てば、まちづくりとは住民自身が「参加」の主体となって、それぞれが抱える地域生活課題について共通の言語で「対話」し、「コミュニティ全体のための政治的参加や政治的熟議」([2]66ページ)を通じて地域の共通善を模索し実現していく営みである。すなわち、住民が互いの価値観の違いを認めながら、共に暮らす地域社会の現状と課題について語り合い、将来を展望するプロセスそのものが、「連帯」と「相互扶助」を育むのである。ここで重要なのは、これらの実践が特定の伝統や価値観への強制ではなく、菊池のいう「開かれた共同体」=アソシエーションとしての性格を持つ点である。

〇さらに、コミュニタリアニズムは「市民福祉教育」の理念とも深く結びつく。それは、福祉を単に行政による給付やサービスの提供に限定するのではなく、市民一人ひとりがコミュニティの一員として互いに支え合う「責任と能力」を育む教育として再定位する必要がある。菊池の思想に基づけば、福祉とは一方的に「与えられるもの」ではなく、共通善の実現に向けて市民が主体的・自律的に関わり合いながら共働で作り上げていく営みである。学校教育や生涯学習の場において、他者への配慮、公共への参加、熟議の態度を育成することは、持続可能な地域社会を支える市民を育てる基盤となる。
〇以上、菊池の3点の著作・論考から「現代のコミュニタリアニズム」「共通善」「コミュニティ」「公共の福祉」という4つの鍵概念を抜き出し、それぞれの相互関係を確認した。菊池のコミュニタリアニズム論は、リベラリズム批判にとどまらず、憲法解釈や「まちづくりと市民福祉教育」といった実践的な場面にまで接続しうる射程の広さを持つ。今後は、こうした鍵概念が具体的な「まちづくりと市民福祉教育」のプログラムのなかでどのように具現化されうるかを、事例に即して検討していく必要があろう。

付記
「20世紀にできた政治イデオロギー(主義主張)区分」を2軸の現代版に一部加筆修正すると、下図(未定稿)のようになろうか。

出所:筆者作成。縦軸=社会軸、横軸=経済軸。

「中道」は、4象限のいずれにも極端に偏らない座標上の位置を示すものであり、政治思想としての「リベラリズム」を指すものではない。リベラリズムは、「大きな政府」を志向する社会的自由主義・福祉国家論から、「小さな政府」を志向する新自由主義まで、時代や文脈によって多様な立場を含む多義的な概念であるため、図の特定の象限に一義的に対応させることはできない。

「共産主義」は、生産手段の公有化と計画経済を通じて平等な社会の実現をめざす立場であり、国家による経済管理と社会統制を強く志向する点で、図の左上(権威主義・国家管理)に位置づけた。

「ファシズム」を点線で囲んだのは、2軸モデルへの位置づけが他の3類型(共産主義・社会民主主義・リバタリアニズム)ほど一義的ではないことを示すためである。ファシズムは私的資本を温存したまま国家目的のために経済を統制する点で、生産手段の公有化を志向する共産主義とは経済構造上の性格が異なる。

「リバタリアニズム」は、経済的自由(市場重視)と個人的自由(国家からの不干渉)の双方を最大限に尊重する立場であり、しばしば「自由至上主義」と訳される。図の右下に位置づけたのは、経済軸において国家介入を最小化する市場重視の立場を取ると同時に、社会軸においても国家による統制を排し個人の自由を最大限尊重する立場を取るためである。

「社会民主主義」は、市場経済の枠組みを維持しつつ、累進課税や社会保障を通じた再分配によって格差是正と福祉国家の実現をめざす立場であり、図の左下(民主的変革/市場・再分配の併用)に位置づけた。

阪野 貢/「やまゆり園事件10年」:なぜ殺されなければならなかったのか?―「内なる差別」と共生社会の欺瞞、そして福祉教育の虚構―

〇筆者(阪野)が購読している新聞の2026年7月26日付社説、「やまゆり園事件10年:内なる差別に向き合おう」を読み、私たちのなかに潜む無意識の偏見や差別、優生思想、それらを乗り越えるための公私の施策や取り組み、そして「福祉教育」のあり方などについて、改めて考えさせられた。(⇨参照)
〇事件から10年という節目を迎えるいま、被害者家族や施設職員、あるいは支援者の想いはいかばかりか。政府が進める障がい者の地域移行の施策は、実際にどこまで進展しているのか。また、障がい者との「共生」という考え方は、学校や地域・社会に定着してきたのか。とりわけ知的障害や精神障害をもつ人々は、置き去りにされてきたのではないか。そして、これまでの福祉教育は、無意識の偏見を解消するのに有効に機能してこなかったのではないか。偏見や差別の克服は教育だけでなく、社会全体で取り組むべき課題であり、学校における福祉教育に過大な期待を寄せてきた面はなかっただろうか。その学校教育としての福祉教育は、全教科・全領域での展開や、人権教育・道徳教育・平和教育などとの連携に十分な関心を払ってこなかったのではないか――。
〇こうした問いを友人や知人に投げかけたところ、さっそく熱量のこもった2通の回答をいただいた。それぞれの視点から見えてくる福祉教育の現状と課題、そして展望についての一文を、ここに紹介させていただきます(読みやすさを整えるため、文章の構成と語句を一部修正しています)。

【社説】
やまゆり園事件10年―内なる差別に向き合おう
「不幸な存在」と勝手に決めつけられ、命を奪われた重度障害の人たちの鎮魂を願わずにはいられない。相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年に起きた入所者19人殺害事件から10年がたった。
事件の記憶が薄れつつある一方、人間の命に優劣をつけて「劣った遺伝子」を後世に残さないとする西洋の優生思想が形を変えて日本の社会に色濃く残る。
ユダヤ人や障害者、同性愛者らを迫害した戦前のナチス・ドイツに多大な影響を与えた優生思想は、「重度障害者はお金と時間を奪う不幸の元だから、必要ない」と凶行に及んだ植松聖死刑囚の発想に通じる。
経済合理性を重視する社会では、生産性や能力の高さで人の価値を測る風潮がはびこり、インターネットの空間は障害者を「役に立たない」「支援は税金の無駄遣い」などとする中傷であふれる。忌まわしい優生思想と地続きだ。
国は、障害者が施設から地域での生活に移行することを推進している。だが現実は、知的・精神障害者向けグループホームなどの新設に近隣住民が反対し、事業者側と対立する「施設コンフリクト」も少なくない。
偏見や差別は、誰もが大なり小なり持ち得る。障害者は不幸なのか。なぜ障害者に恐れを感じるのか。 一人一人が「内なる偏見や差別」に向き合えば、障害や能力主義に対する見方が変わるきっかけになるだろう。
人の価値を経済指標の一つに過ぎない生産性と結びつけるのは、理屈が通らない。仮に生産性で決まるのなら、乳幼児や失業者、寝たきりの人らも価値がないことになる。司法から社会に不要とされたも同然の植松死刑囚も、その一人にくくられよう。
国は障害者権利条約の批准に伴い、障害者の人権を守るための法整備を進めてきたが、福祉施設・事業所における虐待事案は増加し続けている。厚生労働省の調査では24年度に1267件と過去最多を更新し、被害者は2010人に上った。
多くの現場は慢性的な人手不足に悩まされている。職員が心身ともに疲弊し、感情の抑制が利かなくなって虐待に至るのも増加要因の一つだ。
障害福祉事業者の不正受給も拡大の一途をたどっている。指導監督権限を持つ自治体の対応は追い付いていない。ほぼ税金で賄われる障害福祉の総費用は25年度で約4兆3千億円。福祉の理念よりも利益優先の事業者の参入を招いた。
障害者向けグループホーム大手運営会社「恵」が、利用者から食材費を過大に徴収するなどしていたのは「経済的虐待」の典型といえる。
24年施行の改正障害者差別解消法は、障害者の困り事に無理のない範囲で対応する「合理的配慮」を企業に義務付けている。だが障害者への配慮や差別解消に関する研修に取り組む企業は少ない。内閣府の調査では未実施の企業が8割に上る。浸透は不十分と言わざるを得ない。
植松死刑囚が「共生社会を目指すのは間違っている」と言ったのは、差別解消をうわべだけで語る社会の欺瞞を肌で感じていたからではないか。
障害がない人本位に最適化された社会のありようを自分事として見つめ直す。それが共生社会の実現へ一歩踏み出すことにつながる。

【毛見さん】
正直に言うと、この社説を読んで少し落ち込んだ。相模原の事件からもう10年か、という感慨と同時に、自分たちは本当に何か変わったのだろうか、という疑問が拭えなかった。経済合理性、SNS上の中傷、施設コンフリクト、虐待の増加など、記事に挙がっている問題は、どれも社会の歪みの表れであると同時に、たぶん自分自身の心の中にもある何かを映し出しているのだと思う。
こうした問題に向き合うには、これまでのような福祉教育のやり方では正直足りないのではないか、と感じている。以下、思うところを書いてみたい。
まず、今の福祉教育がどうなっているかだが、学校では車椅子体験やブラインドウォーク、当事者を招いての講話といったものが定番になっている。企業でも、障害者差別解消法の施行以降、人権研修やダイバーシティ研修が少しずつ増えてきた。これ自体は悪いことではないし、一定の効果もあったはずだ。
ただ、課題も多い。
一つは、体験学習がどうしても「かわいそう」という同情で終わってしまうことだ。車椅子体験は障害の不便さを一瞬感じさせてはくれるが、下手をすると「障害者は大変で気の毒な存在」「自分は恵まれている」という優越感を裏で強めてしまう。これでは対等な関係を築くどころか、逆効果になりかねない。
もう一つは、学校で学んだ知識が実社会に出た途端に役に立たなくなることだ。内閣府の調査では、差別解消に向けた研修をやっていない企業が8割にのぼるという。学校を出れば、そこはネット上の「税金の無駄」的な言説が渦巻く世界で、教室で学んだことなど簡単に押し流されてしまう。
それから、これは自戒を込めて書くのだが、「生産性」という物差しを子どもの頃から無意識に刷り込まれている、という点も見過ごせない。テストの点数や効率で評価される日々を送っていれば、「福祉教育で優しさを学びました」くらいでは、その根っこにある能力主義的な価値観はびくともしない。
では、これからどうすればいいのか。
一番大事なのは、他人を「学ぶ」教育から、自分自身の中にある恐れや抵抗感を見つめ直す教育への転換だと思う。「なぜ自分は障害者に対してどこか身構えてしまうのか」「自分自身も『役に立たなければ』というプレッシャーに怯えていないか」、こういうことを、対話を通じてじっくりほぐしていく場が必要だ。植松の考え方を「自分とは無縁の異常者の妄想」として切り捨てるのは簡単だが、そこで思考を止めてはいけない気がする。
あと、障害を個人の問題として見る「医学モデル」ではなく、社会の側に障壁があるとする「社会モデル」の視点も、もっと当たり前に教えられるべきだろう。生産性で人を測る発想自体、健常者中心に社会が作られていることの結果でしかないのだから。
一回きりのイベントではなく、日常的に多様な人と関わり続けることも欠かせない。グループホーム建設への反対運動の背景には、結局のところ「よく知らないもの」への漠然とした不安があるのだと思う。子どもの頃から重度障害のある人と共に過ごす経験こそが、一番の土台になるのではないか。
最後に、福祉やケアの仕事の価値をどう捉え直すか、という点も避けて通れない。虐待の増加も人手不足も、結局「ケアという仕事」を社会が軽く見ていることの裏返しだと思う。経済的な生産性だけを「貢献」とみなす社会通念に対して、他者をケアすること、ただ生きていることそのものの尊さを、教育の核に据え直す必要がある。
やまゆり園の事件が突きつけたのは、口では差別解消と言いながら、裏では効率や能力で人を選別し続ける社会の欺瞞だったのだと思う。この欺瞞を超えるための福祉教育は、「障害者に優しくしましょう」という道徳の授業であってはならない。自分たちが知らないうちに飲み込んでしまっている優生思想や能力主義から、自分自身を解き放つための教育でなければ、意味がないと思う。
障害のあるなしにかかわらず、誰もがそのままで存在を肯定される社会へ。自分の中の差別から目をそらさず、問い続けることこそが、犠牲になった方々への一番の弔いになるのではないか。10年が経った今もなお、能力主義や優生思想は形を変えて残っている。ネット上の心ない言葉も、地域の施設コンフリクトも、現場の虐待の増加も、結局は私たちの中にある「内なる差別」の表れなのだと思う。植松の言葉を単なる異端者の妄言として片付けず、健常者中心に組まれた社会の歪みとして受け止め直すこと。そこから始めるしかないのだろう。

【加藤さん】
10年、という数字をどう受け止めればいいのか、よくわかりません。19人の命が奪われたあの事件から、もう10年が経ったのか。それとも、まだ10年しか経っていないのか。
事件のことを思い出すたびに、私は、いつも同じところで立ち止まります。植松死刑囚の言葉を「特殊な異常者の妄想」として片付けてしまえば、話は簡単です。でも、本当にそれでいいのだろうか。彼の言葉に、どこかで頷いてしまう自分がいないだろうか――そこから目をそらさずにいたい、といつも思うのです。
福祉教育とは何か。教科書的に言えば、障害や高齢、貧困といった困難を抱える人々への理解を深め、共に生きる社会を目指す教育、ということになるのでしょう。学校では総合学習や道徳の時間を通じて、障害理解の授業やボランティア体験、施設との交流などが積み重ねられてきました。障害者権利条約や差別解消法の考え方を受けて、インクルーシブ教育という言葉も、以前よりずっと身近になりました。障害者を「守られる存在」から「共に社会をつくる一員」へ――この意識の転換は、確かに前進してきたと思います。
けれども、意識の面でどれだけ言葉が整っても、学校という仕組みそのものは、今なお障害の有無で子どもを分ける「別学」「分離」を前提にしたままです。理念と現実の間には、まだ大きな溝が横たわっている。そのことを、私たちはどれだけ自覚できているでしょうか。
いくつか、心に引っかかっていることを書いてみます。
車椅子体験や高齢者疑似体験。あれは確かに、何かを感じるきっかけにはなります。でも、あの一度きりの体験が、「障害者はいつも助けてもらう側の人」という思い込みを、かえって刷り込んでしまってはいないでしょうか。本当に必要なのは、障害のある人自身の暮らしや思いに、日々のなかで触れ続けること。そして、障害というものが個人の内側にあるのではなく、社会との関係のなかで作られているのだと、体で分かっていくことなのだと思います。
それに、学校で何を学んでも、卒業して社会に出た途端、その学びが宙に浮いてしまうことはないでしょうか。内閣府の調べでは、合理的配慮の研修を行っていない企業が、実に8割にのぼるといいます。教室のなかでどれだけ丁寧に育てた感覚も、その先に受け皿がなければ、簡単に忘れられていく。福祉教育は、子どもたちだけのものではなく、企業や自治体、地域に暮らす大人たち全員の、生涯にわたる学びとして組み直す必要があるのではないでしょうか。
もう一つ、見過ごせないのは、障害者を取り巻く現実そのものが、まだ十分に知られていないということです。福祉施設での虐待は過去最多を更新し続けています。その背後には、慢性的な人手不足と、疲弊しきった職員の姿があります。不正受給や、いわゆる経済的虐待も後を絶ちません。福祉教育というものが、障害への理解にとどまらず、こうした制度の歪みや現場の苦しさにまで踏み込み、「その制度を支える一市民として、自分に何ができるのか」を考えさせるものであってほしい、と願わずにいられません。
では、これから先の福祉教育は、どこに向かえばいいのでしょうか。
まず、「かわいそうだから助ける」という慈善のまなざしを、手放すべきです。目指すべきは、すべての人の権利を守るという意味での人権教育への転換だと思います。障害者は支援を受けるだけの存在ではなく、自らの意思で社会に関わっていく、一人の市民なのですから。この視点に立って初めて、「生産性」という物差しで人の価値を測ろうとすること自体を、問い直せるのだと思います。
そのうえで、特別な機会ではなく、当たり前の日常のなかで関わり合う時間を増やしていくこと。同じ教室で学び、同じ町で暮らし、同じ職場で働く――そういう積み重ねのなかでこそ、「特別な存在」という眼差しは、少しずつ薄れていくものだと思います。偏見の多くは、結局「知らない」ことから生まれるのですから。
そして最後に、これが一番重要なことですが――自分自身のなかにある差別に、気づき、自覚し続けることです。差別は、決して他人だけの問題ではありません。誰の中にも、無意識のうちに能力や生産性で人を測ってしまったり、自分と違うものに不安を覚えたりする瞬間があります。それを恥じて隠すのではなく、「なぜ自分はそう感じたのか」「その感じ方は、誰かを傷つけていないか」と、問い続けること。福祉教育とは、知識を授ける営みである以上に、自分自身を絶えず省みる営みなのだと、私は思います。
やまゆり園の事件は、一人の犯人だけが抱えていた特殊な問題ではなかった。社会のなかに潜んでいた優生思想や能力主義を、私たちの前に映し出した鏡だったのだと思います。だからこそ、この出来事を風化させてはいけない。「命の価値は、生産性で決まるものではない」という、当たり前のはずのことを、これから先の世代へも手渡し続けなければならないと思います。
福祉教育とは、障害者について学ぶための教育、というよりも、自分自身の価値観を問い直し、多様な人々が互いを尊重しながら生きていく社会をつくるための教育なのだと、改めて感じています。一人ひとりが、自分のなかの差別と向き合い続けること。遠回りに見えても、それこそが、この事件を二度と繰り返さないための、確かな道になるのではないでしょうか。こんなことをいま、改めて思っています。

〇毛見さんの回答では、「能力主義」「社会モデル」「内なる差別」が強調されている。加藤さんのそれでは、「学校教育」「生涯学習」「人権教育」が注目されている。2人の考えに共通しているのは、これまでの福祉教育が陥りがちであった「車椅子体験などの一時的な同情」や「差別はいけませんという道徳的スローガン」の限界を厳しく見つめ直している点である。
〇すなわち、福祉教育は、障がい者と関わることによる「感動」や「思いやり」にすり替えることで、無意識の偏見を覆い隠してきたのではないか。車椅子体験などの「アトラクション化」によって、社会構造の問題や構造的な排除を「個人の道徳心」に回収してきたのではないか、という問い直しである。
〇人間の価値を生産性で測る社会構造(経済合理性を重視する社会)のなかで、私たち一人ひとりが抱く「不気味さ」や「恐れ」といった「内なる差別」の存在を隠さず直視すること。そして、「何ができるか(Doing)」ではなく、「ただそこに生きていること(Being)」を尊重し合う人間観に立脚すること。 福祉教育とは、障がい者や高齢者に対する「思いやりの心」を育むための教育にとどまらず、多層的・多角的なアプローチを通じて社会構造そのものについて批判的に言及し、同時に自分自身の人間性を問い直していく、実践的で持続的・総合的な営みである。
〇すなわち、福祉教育とは、社会のあり方や私たち自身の価値観を問い直し、「生産性によって人の価値は決まらない」という人権の理念を社会全体で共有していくための教育に他ならない。その点において、福祉教育は、効率や能力主義に偏りがちな現代教育の原点を問い直し、すべての人の「命」と「生」が保証され、「尊厳」を持って豊かに共に生きられる社会を拓く「学びの基盤」として位置づけられるべきであると、改めて強く認識させられた。
〇「福祉教育」の実践と研究はいまだ道半ばである、と言って立ち止まっている暇はない。福祉教育の実践と研究とは、社会の歪みを告発し、すべての人の命を護り、生を肯定し、人間としての尊厳を無条件に認め合うための、根源的な社会変革のエネルギーそのものでなければならない。したがって、福祉教育は、障害のある人やその家族を支援や学びの対象として捉えるだけでなく、自らの経験や思いを発信し、地域社会のあり方を共に考え創り上げる主体として位置づけることが重要となる。障がい者本人やその家族の声に学び、その参加(参集、参与、参画)を通じて実践を進めることが、共生社会の実現につながるのである。
〇重ねて強調しておきたい。福祉教育とは、「支援する側」と「支援される側」という固定した関係を超えて、誰もが他者との関係性のなかで生きる存在であることを学び直し、人間の価値を生産性ではなく存在そのものに見出す社会、人間の尊厳を基盤とした共生社会を構築するための批判的・共働的実践である。

阪野 貢/中村哲の「平和」考:「平和とは戦争がないことではない」 ―「人間とは命であり、自然と人、人と人の関係性のなかにしか生きられない存在である」―

〇筆者(阪野)の手もとに、中村哲に関する本が4冊ある(それしかない)。
(1)中村哲『中村哲 思索と行動―「ペシャワール会報」現地活動報告集成[上]1983~2001―』(ペシャワール会、2023年6月。以下[1])。
(2)中村哲『中村哲 思索と行動―「ペシャワール会報」現地活動報告集成[下]2002~2019―』(ペシャワール会、2024年6月。以下[2])。
(3)中村哲『天、共に在り―アフガニスタン三十年の闘い―』(NHK出版、2013年10月。以下[3])。
(4)山岡純一郎『炎と水―中村哲と名もなき人たちの旅―』(集英社、2026年2月。以下[4])。
〇[1]では、1983年のハンセン病治療から始まり、2000年の大干ばつによる人々の飢えと苦しみ、多数の幼児の死に直面して「百の診療所より一本の用水路」と唱え、命の水を引く灌漑事業を決断するに至るまでの軌跡(1983年〜2001年)が記されている(「ペシャワール会報」1号(1983年12月)~70号(2001年12月))。[2]では、 クナール河からの大用水路(マルワリード用水路)の建設、過酷な政治情勢や治安の悪化、そして2019年12月に凶弾に倒れる直前までの、中村の真骨頂である悪戦苦闘の「行動力」が克明に記されている(「ペシャワール会報」71号(2002年4月)~142号・号外(2019年12月))。[3]は、中村の、生前の最後の著作である。中村はいう。「現地三十年の体験を通して言えることは、私たちが己の分限を知り、誠実である限り、天の恵みと人のまごころは信頼に足るということです」(5ページ)。「あらゆる人の営みが、自然と人、人と人の和解を探る以外、我々が生き延びる道はないであろう」(246ページ)。[4]は、35年以上にわたり医療支援と灌漑事業(用水路建設)に命を捧げた偉人・中村の信念と足跡、そして彼と出会い、共に関わった「名もなき人たち」の営みを多角的に描いた評伝である。
〇中村は、「平和とは実体であり、観念の問題ではない」([2]332ページ)。「平和とは消極的なものではありません。それは戦争以上に忍耐と努力、強さが要ります。『平和』は、私たちの祖先が血を流して得た結論の筈です。弱い者に拳を振り上げて絶叫するのは、人として卑怯かつ下劣な行為です」([2]74ページ)という。中村が「好む言葉」に「一隅を照らす」([1]254ページ)がある。そして中村は、「私たちの事業は『小さくとも美しい』、『空砲ではなく実弾』〔引用者注:理念より行動を。議論より実のある支援を〕をモットーに進められてきました」([1]300ページ)という。
〇本稿では、[1]と[2]を中心に、留意すべき「平和」や「人間のあり方」についての言説を抽出し、その思想的な核(コア)のいくつかをメモっておくことにする(見出しは筆者)。

「重荷を負いあって生きる」という支援の原点-批判への答弁-
私がパキスタン行きの意志表明をするに当たり、日本では多くの人々の協力・激励と共に、批判もいただきました。(中略)これらの批判を要約すれば、
➀国内でもすべきことは沢山あるのに、なぜ外国までわざわざ出かけようとするのか。
➁現地には現地のやり方があり、彼らが自力で解決すべきで、外国人が親切の押し売りをするのは疑問である。
➂援助は現地の依頼心を助長し、独立性をうばう。
➃現地なりに安定した「平和な」生活を、近代的医療援助は破壊する。
というものであった。その他、極端な意見の中には、「帝国主義の手先である」とか、「人口増加に手をかして貧困を助長する」とかいうものまでありました。また、意地のわるい見方には、「自分の野心やロマンを美化するものだ」というものもあります。(中略)
先ず強調しておきたいことは、人は何処にあっても、どんな立場にあっても、夫々(それぞれ)のやり方で、夫々の重荷を負いあって生きてゆくように召されているという事実であります。これが私たちの出発点であり、くりかえし、たちかえってゆくべき共通点であります。そして、それはあらゆる立場、あらゆる国境を超えて全ての人間に及ぼされるものであります。(中略)
第二に、今日の日本の繁栄に限らず、全ての「繁栄」と名のつくものは、弱者の犠牲の上に築かれてきたことを否定するものはいますまい。悲しいまでに徹底したこの構造は、今日緩和されるどころか、明らかには意識されにくい形で強化されているというのが現状であります。(中略)その中にある私たちが、「自立更生が原則である」といって自ら何もしなければ、それは結局「人のことまでそうかまっておれるか」という態度の別の表現でしかないことがしばしばであります。
第三に、「近代化」というのは発展途上国においては、過去の日本と同様、今や押しとどめることのできない滔々(とうとう)たる歴史の流れであります。「平和なアジアの山村」というのは、われわれの頭の中にある一種の郷愁の産物でしかありません。「近代化」は私たちの想像をはるかにこえて、大規模な形で破壊的に進行している。問題は、いかに良き近代化を彼らと共に模索しあってゆくかということにあります。(中略)われわれの「援助」が「お恵み」ではなく、自助を助けるものであるべきことはいうまでもありません。
ついでに、医療援助が人口増加に手をかして貧困を助長するとか、社会矛盾を隠蔽(いんぺい)するものだとかいう批判について一言。世界最大の医療援助団体たるWHO(世界保健機関)の係官すら、「われわれがそれほどの力をもつことができたら!」というのが嘆きであるのが現実なのです。
最後にもう一度、それでもなお私たちは重荷を負いあい、支えあって生きるという姿勢を捨てるべきではありません。世界が金と力で動かされ、利己主義や敵意、我執(がしゅう)や妬(ねた)みで満ちているとはいえ、この世界をかろうじて破滅から守っているのは、このような「支えあう」という善意の努力かも知れません。([1]17~18ページ)

「哀れな人々に愛の手を」の傲慢 ―共に生きるということ―
ペシャワール会の活動は1992年を以て10年目に入る。(中略)
この間、国際化の声の高まりの中で、ある時は誉めそやされ、ある時は無関心の壁に泣き、ある時は心ない批評に耐え、我々如き取るに足らない一市民団体がよくここまで支えられて来たものだと思う。支える者も、支えられる者も、それぞれの思いを込めて活動に参加してきたに違いない。だが我々は、ただの一度も「哀れな人々に愛の手を」という美辞を並べなかった。それは、現地も日本も大方の者が、支えることによって自らも支えられるという単純な真理に気づいていたからである。([1]230ページ)

「希望」は事実を見据える努力のなかにある―静かで確かな覚悟―
希望や平和もまた、血や汗を流し、身を削って得られるものである。
日本もまた、この17年でずいぶん変化した。現地とは違うが、もっと根深い混乱に陥っているように見えて仕方がない。「人間に本当に希望はあるか」という基本的な問いを我々は共有している。漠たる不安や虚無感がはびこる中で、お手軽な解決策を説く大小の方法や権威に、我々はこと欠かない。人々がやすやすと、これらの餌食になる事情はどこでも、いつでも、同じである。それが政治スローガンであろうと、健康を約束する怪しげな知恵であろうと、幸福と自由を保証する何かの教えであろうと、名利や所有への没入であろうと、享楽による忘我の技術であろうと、科学技術への楽天的な信仰であろうと、同じことである。まして、巧妙な宣伝技術で消費欲をあおり、物質的欲望に耽溺(たんでき)させなければ回転できない経済構造など、見かけ倒しのフィクションである。
だまされてはいけない。希望は、決して捏造(ねつぞう)された思いこみや、野放図な自由の幻覚の中にはない。それは世の常とする虚構を超えて、不安の運動に左右されず、人間と自然の事実を見据えようとする努力の中にある。怪しげな偽りが跳梁(ちょうりょう)する時代の奔流の中で私たちのささやかな活動に何かの意味があるとすれば、困難の上に小さいが確かな憩いの場を築き、見捨てられた人々に慰めを与えてきた、そのことであろう。それによって、自分たちも希望と慰めを得てきたのである。([1]385~386ページ)

「平和は軍事力では達成できない」という教訓―平和憲法の危機―
狂気の時代である。グローバリズムが国際暴力主義と結合して、面妖(めんよう)な世情になってしまった。(中略)
滅びた「正義」に、別の「正義」がとって代わる。時には、「民主主義」や「平和」の仮面をかぶって戦争が正当化される。(中略)私たちは、いとも簡単に市民社会だとか、市民運動だとかを語るが、途上国の一般大衆には先ずもって「市民権」がないことを報告しておきたい。(中略)
平和を語るに消極的な日本の民心を眺めるとき、漠然と「生活と身を守る戦争なら‥‥‥」という無力感と不安が忍び込んでいるのを観る。戦後、日本の民心を正気に連れ戻してきたのは、我々の先人たちの無数の血の犠牲、その記憶たる戦争体験であった。日本は加害者であり、同時に被害者でもあった。そして、その限りにおいて、日本は「平和」の発言者たり得たのである。今まさに、先人の犠牲の結実たる平和憲法の改正が、現実の虚像に基づいて大した抵抗もなく受け入れられようとしているのは、耐え難いことである。(中略)
平和は軍事力で達成できないことを私たちは見てきた。(中略)敵は吾々の内にある。([2]100~101ページ)

「何をすべきか」と「何をしてはいけないか」、その相克―名誉ある孤立-
よく「日本だけが何もしないで良いのか。国際的な孤児になる」ということを耳にします。だが、今熟考すべきは、「先ず、何をしたらいけないか」です。「徳は孤ならず、必ず隣あり」(引用者注:孔子の言葉。正しい行いや道徳を身につけている人は、孤立することはなく、必ず理解し協力してくれる仲間(隣人)が現れるものである)と言います。目先の利を離れ、和を唱えて孤立するなら、それは「名誉ある孤立」であり、世界の人々の良心に力強く訴え、真に国民を守る力、平和への国際貢献となるでありましょう。その時、私たちはアジア民衆の友であり、平和日本の国民であることに、胸を張ることができるでしょう。([2]150ページ)

「正気と人間らしさを保つ」ために―欲望と偏見を越える、ひとすじの祈り―
アフガニスタンで起きた出来事から今の世界を眺めるとき、世界は末期的状態にさしかかっているようにさえ見えます。無差別の暴力は過去の自分たちの姿です。敵は外にあるのではありません。私たちの中に潜む欲望や偏見、残虐性が束になるとき、正気を持つ個人が消え、主語のない狂気と臆病が力を振るうことを見てきました。
このような状況だからこそ、人と人、人と自然の和解を訴え、私たちの事業も営々と続けられます。ここは祈りを込め、道を探る以外にありません。祈りがその通りに実現するとは限りませんが、それで正気と人間らしさを保つことはできます。([2]375ページ)

「死んでも撃ち返すな」という信念―「信頼」こそが安全保障―
1992年、ダラエヌール診療所が襲撃されたとき、「死んでも撃ち返すな」と、報復の応戦を引き止めたことで信頼の絆を得、後々まで私たちと事業を守った。戦場に身をさらした兵士なら、発砲しない方が勇気の要ることを知っている。(中略)
私たちPMS(平和医療団・日本)の安全保障は、地域住民との信頼関係である。こちらが本当の友人だと認識されれば、地元住民が保護を惜しまない。
そして、「信頼」は一朝にして築かれるものではない。利害を超え、忍耐を重ね、裏切られても裏切り返さない誠実さこそが、人々の心に触れる。それは、武力以上に強固な安全を提供してくれ、人々を動かすことができる。私たちにとって、平和とは理念ではなく現実の力なのだ。私たちは、いとも容易に戦争と平和を語りすぎる。武力行使によって守られるものとは何か、そして本当に守るべきものとは何か、静かに思いをいたすべきかと思われる。([3]244ページ)

〇以上の言説は、戦乱と干ばつ、飢餓に苦しむアフガニスタンで展開されたものである。そこに通底するのは、「病気どころではない。まず生きておれ!」([1]416ページ)という愚直な 「命」(いのち)と「生」(せい)の肯定であり、「人間とは命であり、自然と人、人と人の関係性のなかにしか生きられない存在である」という、冷徹に現実を見つめた人間観、そして平和観である。そこでは、武器による防衛力や軍事力ではなく、地域住民と利害を超えて築きあげた「信頼こそが安全保障」に他ならないとされる。それは、人間は単独で完結する孤立した存在ではなく、他者と「重荷を負いあう関係性」において初めて人間たり得るという思想に他ならない。
〇従ってそれは、単に「人と人はつながって支えあおう」という情緒的なスローガンとは一線を画す。「他人様を助けることは何かを捨てることです。与えるとは自分の何かを失うことです」([1]127ページ)。自らの内にある欲望や偏見、そして他者の犠牲のうえに成り立つ「偽りの繁栄」の構造を厳しく自覚したうえで、なおも国境や立場を超えて互いに命を支えあうという「静かで確かな覚悟」である。自然と人、人と人との生々しい現実(事実)を凝視するなかで、お互いが「支え、支えられる」という人間の原点に立ち返ること――それこそが、狂気に満ちた世界のなかで正気と人間らしさを保ち、真の平和と希望を紡ぎ出すひとすじの道である。「支え合い」とは、「相手の立場を理解し、そのために心を砕く事」([1]177ページ)である。中村の言葉はこう教えてくれる。
〇別言すれば、中村が取り組んだNGO活動や平和への言説は、(1)「構造的な視点」の獲得:「人道支援」や「命の尊厳」といった情緒的・表層的な綺麗ごとではなく、現代の繁栄は弱者のうえに築かれているという社会構造を直視すること。(2)「内なる狂気」への内省:戦争の原因は、外部(他国や悪人)にあるのではなく、「私たちの内にある欲望や偏見、残虐性」が束になったものであるとする内省的なアプローチ。(3)「正気を保つための営為」としての支援:彼らの活動は、単なる「困っている人を助けるボランティア」ではなく、「人間が人間として正気で生きるための根源的な営み」であるという認識。(4)「共に生きる」ことへの覚悟:現代社会に溢れる形骸化した「絆」や「共生」という言葉と決定的・根源的に異なる、自らの身を削り、痛みを覚えながらも「共に生きる」ということについての「静かで確かな覚悟」、などが提示されているといえる。

付記
〇筆者の手もとに、批評家・作家である東浩紀の著書『平和と愚かさ』(ゲンロン、2025年12月)がある。そこで東は、「平和の本質は戦争をしないことにあるのではない。戦力を放棄することにあるのでもない。戦争について考えないことが許されていることにある」(22~23ページ)と指摘する。
〇一般に「平和」とは、命の危険や生活の保障、あるいは国家の存亡といった深刻な事態を心配することなく、安心して日常生活を送ることのできる状態を指す。これに対して、東のいう「愚かさ」とは、知性や判断力の欠如を意味するのではなく、そうした深刻な問題を日常的に意識せずに暮らせる状態を指す。別言すれば、人々が戦争や国家の危機について考えずに日々の生活を営めることこそが、「愚かでいられる状態」なのである。
〇こうしてみると、「平和」と「愚かさ」は、一見相反する概念のように思えるが、実は表裏一体の関係にあることがわかる。愚かであること(=深刻な問題を考えずに済むこと)が許容される状態こそが平和であり、平和であるからこそ人は愚かでいられるのである。こうした東の逆説的な視点は、単なる言葉遊びではなく、現代の平和観を問い直すひとつの見解として興味深い。付記しておく。

大橋謙策/大橋謙策研究 第11巻:中山道 六十九次 よろよろへとへと道中記

 

 































中山道  六十九次
よろよろへとへと道中記
中 編
(和田宿、須原宿~野尻宿、大妻籠~馬籠宿、馬籠宿~中津川宿)

2026年10月13日~15日

〇2026年4月に行った「中山道歩き」は残念ながら、足裏のまめの悪化で妻籠宿で中断した。
〇今回も小池正志さんのサポートとコーディネートで、前回歩き残した長久保宿の大和橋から和田宿を経て、和田峠の入り口までの区間と須原宿から野尻宿までの区間、そして大妻籠から馬籠宿を経て中津川宿までの踏破ができた。心から感謝とお礼を申しあげたい。
〇初めから区間を決めての区切り打ちをしていないので、歩き損ねたこの区間を歩くことは、バスの便もなく、かつ電車の便も悪く、多くのサポーターがいないと実現できないコース取りであった。
〇小池正志さんの呼びかけで、長久保宿の大和橋から和田宿を経て、和田峠の入り口までの区間は、萱津公子さん(元長野大学教授、現上田市社会福祉協議会会長)が車を出してくれてサポートしてくれたし、木曽路は杉村信子さんが車でサポートしてくれたことで4月に歩けなかった中山道の道を歩くことができ、日本橋から中津川宿まで一応歩いたことになった。この紙上を借りて、改めて3人に厚く感謝とお礼を申し上げたい。

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(10月13日、長野快晴、長久保宿・大和橋~和田峠登山口入口・10キロ1万8千歩)

〇10月13日、小雨の降る中、午前5時50分に家を出発。新宿・大宮駅経由で上田駅に午前9時01分に着く。
〇前日まで、何故か佐久平駅に迎えに来てくれるという認識が私の頭を“占領”していて、前日の夜、待ち合せ場所は長野新幹線戦上田駅だということを漸く納得、理解できた。なぜ、佐久平駅と思い込んでいたのかは不明だが、小池正志さんのメールで気づかされてもらい、事なきを得た。
〇上田駅には、長野市役所に勤めている市原綾子さん、市原武琉さん親子が迎えに出てくれていた。今日の中山道歩きにお付き合いしてくれるとのこと心強い。
〇迎えに来てくれていた小池正志さんの車で、4月にスキップした長久保宿の大和橋まで連れて行ってもらい、そこから市原親子と歩き始める。大和橋には萱津公子さんも車で来てくれていて、お二人は和田峠に向かい、小池さんの車を和田峠に停め、小池さんは萱津さんの車に同乗して、和田宿を歩いている我々一行に合流するという段取りである。
〇長野県民歌「信濃の国」の歌詞に謳われてい4つの平の一つ、佐久平は秋晴れで、歩くのには少し暑いくらいである4月の時に社会福祉法人木曽社会福祉事業協会の田上理事長から頂いた木曽ヒノキの笠を被り歩き始める。
〇和田宿は羽田孜元総理の出身地であり、お墓もある。羽田家は、日本の地域福祉に関わる人脈の一つである。

(註)羽田孜さんの父親は、松田甚次郎の本を出版した羽田書店の社長・経営者で、後に衆議院議員を務めた羽田武嗣朗氏である。
松田甚次郎は、宮沢賢治の教え子で、宮沢賢治の考えを実践したと言われる山形県稲舟村鳥越(現新庄市)に農村隣保館を建設(1933年)し、その実践を『土に叫ぶ』(初版1938(昭13)年)、『続 土に叫ぶ』(初版1942(昭和17)年)として上梓する。その出版社が羽田書店であった。
松田甚次郎の実践は、戦後の地域福祉の戦前的遺産の一つであると言われている。

〇和田宿を歩きながら、市原武琉さんとは“人生如何に生きるか”、“自分探し”とはどういうものか等話しながら歩く。市原武琉さんは、通信制の大学の1年生だということなので、時間を有効に使って本を読み、各地を歩く喜びと大切さについて話をする。お母さんの市原綾子さんも、青森県浅虫温泉の出身なのに各地を歩いて自分探しをしたのだから、武琉さんも国内外を歩いて見分を広めた方がいいという話をしながらの道中であった。
〇途中、「杉の屋」で昼食休憩。かつ丼ともり蕎麦半分を注文するも、かつ丼のボリュウムがあり、全てを食べられず。
〇和田峠の上り口に就き、車はどこに停めたのと聞くと峠に停めたとのこと。私は、4月に登り口から峠を越えて下諏訪まで歩いているので、萱津さんの車に小池さんが乗り、峠に停めてある小池さんの車を取りに行ってもらった。
〇和田峠の上り口で、萱津さんとはお別れをして塩尻に向かう。萱津さんがいなかったら、この交通不便な和田宿を歩けなかったし、和田峠口から木曽谷への移動も困難であった。萱津さんに心から感謝とお礼を申し上げたい。
〇長野市へ帰るという市原親子を塩尻駅で降ろし、一路木曽谷に向かう。木曽谷の宿泊所・寝覚めのホテルには4時40分に着く。ひと風呂浴びて、碁を打っていると懇親会の関係者からの呼び出し。碁は打掛にして懇親会場に向かう。
〇懇親会場の坂下家に着くと、木曽谷の町村社会福祉協議会の事務局長たちと長野県社会福祉協議会の面々が顔を揃えていた(木曽郡の大桑村の社会福祉協議会の事務局長のみ欠席)。参加者は、王滝村社協の中島素道事務局長、木曽町社協の鈴村謙司事務局長、上松町社協の武居秀臣事務局長、木祖村社協の永島博之事務局長、南木曽町社協の麻生正道事務局長に加え、社会福祉法人木曽社会福祉事業協会田上昭彦理事長、鈴木正信事務局長、更に長野県社会福祉協議会まちづくりボランティアセンター林部多美子さん、須野原一彌さん、青柳與昌さん、地元のかけはしプロジェクトのメンバーの杉村信子さんで、小池正志さんと私を加えて13人の盛大な懇親会になった。
〇懇親が始まる前に、今年の8月1日~2日に、愛媛県宇和島市で行われた第23回四国地域福祉実践セミナーで報告された高知県佐川町NPO法人元気村の実践と徳島県美馬市のNPO法人こやだいらの地域住民限定のNPO法人による地域支え合い活動(移送サービス、生活支援サービス等)の実践をスライドで見てもらい、木曽谷でも同じような取り組みをする必要性を説明した。
〇懇親会がたけなわの頃、隣室で行われていた懇親会に出席していた村田広司上松町長が顔を見せてくれ、木曽谷の地域福祉の今後について少し話をした。ほぼ、同一の見解をお持ちの様で、いろいろご協力頂きたいとお願いをした。
〇ホテルに戻り、打掛の碁を再開、この碁は勝ったものの、その後も含め3日間で2勝2敗の打ち分けとなった。

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(10月14日午前、雨、須原宿~野尻宿、7キロ、1万2千歩)

〇朝から雨の中、車で野尻駅まで行き、8時21分の電車に乗り、須原駅にて下車。須原駅には、今日同行する木曽谷の王滝村、木祖村、上松町の社協局長の他に、工業デザイナ-で木曽町に移住してきた下木修一郎夫妻、10年間地域おこし協力隊で活動し、現在は王滝村社会福祉協議会で「プロジェクトかけはし」の事務局を担っている倉橋孝四郎さん、上松町社協の尾崎陽子さん、木祖村社協の湯川壮公さん、杉村信子さんも待っていてくれ、小池正志さん、私を含めて総勢11人の中山道歩きである。
〇大桑村須原宿在住の杉村信子さんがガイドを兼ねて先導してくれ、歩き始める。
〇途中、木祖村社会福祉協議会の永島局長に木材のことを聞くと、現在切り出している木材は戦後初期に植林した80年ものだという。カラ松の板を中に、木目のきれいな杉板を表面に加工した合板が売れているということでした。
〇臨済宗妙心寺派の定勝寺の大きな伽藍や奇麗な庭園も案内してもらう。
〇途中、大桑村社協の事務所が近くにあるというので、表敬訪問した。丁度、社協会長が出勤日とかでご挨拶をした。大桑村社協の隣には、社協経営のデイサービスセンターがあり、利用定員30名のところ、現在登録者は80名で稼働しているとのことでした。
〇大桑村の道の駅で小休憩を取り、丸い団子の五平餅を皆で頂いた。胡桃みそ味の美味しい五平餅だった。私は、この大桑村から下伊那の飯田市に抜ける大平峠で、草鞋型の五平餅を食べ、とても美味しかった記憶があるせいか、なにか団子の五平餅には違和感がある。4月に食べた馬籠宿での五平餅も団子だった。
〇野尻宿は、木曽11宿の中でも奈良井宿についで街並みが長い宿場だったということであるが、大火で面影はない。それでも、外敵を防ぐために「七曲り」という地形は実感できた。
〇野尻宿で杉村さん、尾崎さん、下木夫人、小池さんを除いた他の人とは別れる。杉村さんの先導で、妻籠宿のはずれの蕎麦やに向かい昼食を摂る。
〇昼食後、大妻籠まで送って貰い、下木夫人、尾崎さん、私の3人で馬籠宿目指して中山道を歩く。杉村さんと小池さんは、車を馬籠峠に移動し、そこから我々に合流するという段取りである。

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(10月14日午後、曇り、大妻龍~馬龍宿、6・5キロ、1万歩)

〇大妻籠から旧中山道に入り、昔ながらの石畳などを歩く。すれ違う人は外国からのインバウンドの方ばかり。
〇途中、一石栃白木改場所跡のところに出る。木曽地方は平地がなく、田んぼがないので、年貢米の変わりに、「木年貢」という制度があり、かつ住民にはコメが支給されたという。それだけ、木曽の木材は重宝されていたので、木曽五木(ヒノキ、サワラ、アスナロ、コウヤマキコウ、ネズコ)という木材が無断で搬出されないよう「白木改め場」があったという。この改め場所は後に落合宿に移されたようであるが、妻籠宿から馬籠宿に抜ける途中にその跡地があった。
〇その跡地の傍に、熊の捕獲用の罠が設置されており、熊の出没があることがわかった。旧中山道のところどころに鐘が設置されていて、道行く人が鳴らせるようになっていたが、それはどうも“飾り”ではなく、本当にクマ除けの鐘だったようである。
〇馬籠峠は標高790メートルで、この峠以降は馬籠宿に向かって下り坂である。
〇馬籠峠で杉村信子さん、下木夫人、尾崎さんと別れ、小池さんが車を停めてあるという馬籠宿の駐車場に向かう。歩いてすぐという話であったが、どうしてどうして結構山を下ることになる。4時前に車を止めてある馬籠宿の入り口の駐車場に着く。それから一路土岐市へむかう。
〇中央高速道路のスマートインターチェンジの神坂インターから乗るといいと杉村信子さんに教えられていたとの事だが、カーナビは下道を案内し、結局中央高速道路には中津川 インターから乗ることになった。それでも、土岐市のルートイン土岐に5時過ぎに着き、ひと風呂浴びて着替えをすることができた。ルートイン土岐には、長野県社会福祉協議会まちづくりボランティアセンター所長・長峰夏樹さんが電車で駆けつけてくれていた。長峰所長は、翌日木曽社会福祉事業協会の田上理事長と相談があるとのことで参加してくれた。
〇岐阜県の関係者との懇談会は、土岐駅近くの「美濃寿司」に設定されていた。中部学院大学の人間福祉学部長、通信教育部長の飯尾良英先生がホテルまで迎えに来てくれて会場に行く。飯尾良英先生とは先生が岐阜県社会福祉協議会に勤めていた時代からの付き合いであるが、それでもお会いするのは30年振りくらいであろうか。
〇懇親会場には、元中部学院大学の阪野貢先生、現教員の宮島淳先生(日本社会事業大学大学院で高橋重宏先生の下で博士の学位取得)、同じく佐甲学先生(元全社協民生部長)と田村禎章先生(東海学院大学講師、阪野貢先生の教え子)の計8名の懇親であった。阪野貢先生とはメールでのやりとりは頻繁にあるが、先生曰く、会うのは10年振りだという。また、宮島先生と会うのも20年振りくらいで、本当に懐かしい顔ぶれとの懇親になった。とても美味しい料理でお酒も進み、あっという間に時間が過ぎてしまった。

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(10月15日、快晴、馬籠宿~中津川宿、10キロ、1万7千歩)

〇朝、7時に食事を摂り、出発までの時間小池さんと囲碁を打つ。
〇朝8時30分にホテルを出発。今度は中央高速道路の神坂スマートインターで降りることができ、馬籠宿の妻籠宿よりの入り口に9時20分過ぎに着く。そこで降ろしてもらい、一人歩き始める。
〇馬籠宿は4月の時には足が痛かったけど、2度と来られないかもしれないと無理して歩いた宿場である。明治時代に大火にあっているので、妻籠宿のような風情はない。それでも藤村記念館を覗いたり、外敵を守る枡形の地形を見たりして馬籠宿を抜ける。
〇馬籠宿から落合宿までの旧中山道は、のどかな里山の道を歩いたり、十曲峠の杉林の中の石畳み道(約900メートル)を歩いたりと、昔の旅人が味わったであろう風情ある道の一人歩きを楽しんだ。道で出合う外国人も少なく、ゆったりと下り坂を歩く。
〇落合宿も大火にあったとのことであるが、大火後加賀藩から贈られた本陣の門は保存状態も良く残っていた(本陣そのものは修理中であった)。
落合宿からは国道を行くのかと考えていたが、旧中山道が良く保存されており、ところどころ国道で分断されていて分かりづらいところもあったが、中津川宿まで続いていた。
〇落合宿から中津川宿までは、下り坂だけかと思いきや、標高差60~70mはあるであろう丘があり、その丘の勾配がかなりきつい。その丘が3つくらいある。落合宿をかなり過ぎた急こう配の坂の途中で、地元の人に中津川宿までどのくらいですかと聞くと約25分もあれば行くだろうという。ところがあにはからんや約1時間かかった。
〇中津川宿には午後1時に着く。食事をするところを探すが、多くの飲食店が休みの日とかで閉まっている。ハンバーガーを食べさせるお店が開いていたので入ったが、客は外国人ばかり。照り焼きバーガーを食べた。美味しかったが高かった。
〇中津川駅1時50分の電車に乗り、塩尻駅、八王子駅、橋本駅経由で午後6時30分に無事帰宅する。

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〇今回の3日間の歩きで、漸く日本橋から中津川宿まで繋がことができた。中山道530キロのうち、約330キロを歩いたことになる。残りは、約200キロで、一日15キロのペースで歩いたとして、約14日間で歩ける計算である。
〇自宅近くの毎日の散歩で1万歩、約7キロを歩いていることを考えれば、例え15キロほどのリュックを背負っていたとしても15キロの行程は無理なく歩けそうである。要は、旧中山道が整備されているかどうか、また適当なところにホテルがあるかどうかが問題である。できれば、体調を整えて、来春4月には京三条大橋まで歩きたいものである。

 

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大橋謙策研究 第11巻
中山道 六十九次 よろよろへとへと道中記

発 行:2026年4月30日
著 者:大橋謙策
発行者:田村禎章、三ツ石行宏
発行所:市民福祉教育研究所

 


阪野 貢/「つながり」を基盤とした市民福祉教育の展望 ―志水宏吉・ほか編著『社会関係資本を活かした学校づくり』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、志水宏吉・中村瑛仁・若槻健編著『社会関係資本を活かした学校づくり―事例とデータでみる子どもたちの「つながり」―』(ミネルヴァ書房、2025年6月。以下[1])と志水宏吉・若槻健編『「つながり」を生かした学校づくり』(東洋館出版社、2017年3月。以下[2])がある。「社会関係資本」(social capital)の概念を用いて、[1]では、子どもと子ども・教師・学級・家庭・地域との「つながり」を生かした学校づくりについて、事例調査と統計分析を通して実証的に探究する。[2]では、なぜ「つながり」が「学び」の充実につながるのか、「つながり」をどのように育んでいくか、学校は周囲との「つながり」をどのように生かせばよいか、等を20校の事例研究を通して明らかにする。その際、2007年に実施された「全国学力・学習状況調査」に依拠して導き出された、「離婚率」「不登校率」「持ち家率」の3つの要因による「つながり」の格差が学力の格差を生む、という言説がひとつの前提になっている。そして、これら[1]と[2]に共通する結論は、子どもたちを取り巻く「社会関係資本」=「つながり」を豊かにすれば、子どもたちの育ちや学びをよりよいものにする可能性が高まる([1]227ページ)、ということである。「つながり」こそが子どもを育てるのである([2]6ページ)」。
〇図1は、学校づくりに関する3つのタイプの社会関係資本(「つながり」)を示したものである([2]16~17、19ページ)。「きずな型」([1]では「絆型」と表記)は「内輪のつながり・結束の強さ」、「架け橋型」(同「橋渡し型」)は「外部とのつながり・風通しのよさ」といえる。ともに、主として「横の関係」で成立するものである。「結合型」(同「連結型」)は、学校の外部の専門家や専門機関などとの「つながり」を示すものであり、「縦あるいは斜めの関係」において成り立つタイプである([1]11~12ページ)。

図1 社会関係資本の3つのタイプと「つながり」

 

〇ここで、例によって我田引水的であるが、「まちづくりと市民福祉教育」に留意しながら、[1]と[2]の言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「つながり」は学校内の「格差」を乗り越えるための資源である
家庭や個人が持つ資源は、経済資本、文化資本、そして社会関係資本という3つで把握することができる。経済資本(お金や財産)は、家庭の間に著しい格差があり、子どもたちは「豊かな家」や「貧しい家」に生まれ育つことになる。文化資本とは、親の学歴や教育観(教育というものを大事に考える姿勢・態度)から成り立つものであり、現代にはここにも大きな格差が生じている。それに対して社会関係資本は、独自の、大きな力を発揮するポテンシャル(潜在能力、可能性)を有している。子どもたちの間に存在する経済的・文化的不均衡を是正する力をもつものが、「社会関係資本=つながり」である。([1]224ページ)

地域を巻き込んだ学校づくりは子どもの「一般的信頼」と「外つながり志向」や「共生意識」を高める
学校づくりにおいては、子どもの身近な他者への信頼(「安心」)とともに、見知らぬ人も含む、幅広い他者への信頼(「一般的信頼」)にも着目することが重要である。([1]144ページ)/一般的信頼は、特定の他者との「つながり」によって育まれるが、特に地域の人たちとの「つながり」や教師との「つながり」が重要な要因となる。また、一般的信頼が育まれることによって、身内で固まるばかりでなく、外の世界に飛び出して、誰とでも交流しようとする志向性(「外つながり志向」が生まれる。加えて、多様な他者と共に生きているという感覚(「共生意識」)も高まる。([1]147~148ページ)

学校と地域の「つながり」が子どもの「レジリエンス」や「ウェルビーイング」を高める
地域との「つながり」が高い学校では、子どもの「レジリエンス」だけではなく、学校における「ウェルビーイング」も高い傾向にある。「レジリエンス(resilience)」とは、「心の柔軟性」などと訳され、さまざまな生活上の課題に粘り強く、柔軟に取り組む資質を指す。一方で、心の「回復力」とも解釈され、失敗した時や困難に直面した時に、その「ショックから回復し、状況に適応していく力」としても捉えられる。「レジリエンスが高い」とは、それらの課題や困難に柔軟に対応し、乗り越える力が大きいことを意味する。([1]199ページ)/「ウェルビーイング」とは、子どもが学校生活を含め日常生活を安心して過ごせている状態をいう。([1]202ページ)。

教師間の「つながり」(チーム指導と支援)が子どもの自尊感情やウェルビーイングを高める
教師が互いに連携・協働して、個々の生徒の状況について情報を共有しアセスメントを行ったり、学校内外の多職種と連携・協働することによって、教員集団の多様な生徒の課題・ニーズに対する感度(共振性)が高まる。こうした教職員の「チーム」としての実践は、子どもに対する集団指導と個別支援の「歯車を合わせる」ことになる。その結果、学校組織内での教師間の「つながり」が強まり、ひいては子どもの自尊感情やウェルビーイングを下支えすることになる。([1]55~56ページ)。

「つながり」は子どもの学びを豊かにするとともに市民性の涵養を促す
人と人との「つながり」なくしては、人は決して育たない。人の「学び」は、基本的に人と人との「かかわり」のなかで生じる。([2]13ページ)/社会経済文化的背景が厳しく、抱える困難が大きな「しんどい」子や地域にとって、「つながり」は決定的に重要である。([2]261ページ)/教師の役割は「つなぐこと」である。([2]256ページ)/学校と学校外の「つながり」の(「連携」ではなく)「協働」モデルは、保護者・地域の多様な思いや校種間の教育観の違いを取り込むことで学校文化を多様で子どもたちにとってより安心して育ち、豊かに学ぶものへと変容させる可能性に開かれている。([2]259ページ)/仲間を大切にすること、仲間をつくる力といった「つながり」は、「仲間とつながる力」「市民として社会を担い、社会をよくしていく力」といった市民性(シティズンシップ)の中核をなすものである。また、異年齢で交流したり、地域社会で学ぶことも市民性の涵養を促してくれる。([2]265ページ)

〇「社会関係資本」(以下、「SC」と略す)については、アメリカの政治学者パットナム(Robert D.Putnam)の研究が知られている。パットナムは、1993年に出版した『哲学する民主主義』(河田潤一訳、NTT出版、2001年3月。原題Making Democracy Work:「民主主義を機能させる」)において、SCを次のように定義した。「調整された諸活動を活発にすることによって社会の効率性を改善できる、信頼、規範、ネットワークといった社会組織の特徴」(河田潤一訳、206~207ページ)、がそれである。要するに、SCは、人々の協調行動を活発にすることによって、社会の効率を高める働きをする社会的な関係をいう。そして、その内実・構成要素は「信頼」「規範」「ネットワーク」の3つである。具体的に言えば、人々の協調行動を活発にする「ネットワーク」(つながり)と、そこから生まれる互酬性の「規範」(お互いさまの支え合い)、そして知らない人を含んだ人々に対する一般的な「信頼」(信じあう心)が、SCを形成するのである。
〇すなわち、いろいろな人々同士が社会的に豊かにつながり(ネットワーク)、それに基づいて互いに信頼しあい(信頼)、“お互いさま”という思いから互いに支え合うこと(互酬性の規範)によって地域・社会の諸問題が解決され、より良い統治が進み、豊かな地域・社会が創り出される、という論理である。
〇志水らは、パットナムのSC論によれば、「ネットワーク」(つながり)に焦点化して論理の展開を図る。その際、底流に流れるのは、スイスの心理学者ピアジェ(Jean Piaget)の学習観(「学びは個人の頭のなかで起こる」)ではなく、学びは他者との共同的な活動を通じた社会的なプロセスであるとするロシアの心理学者ヴィゴツキー(Lev S. Vygotsky)の学習観(「学びは人と人との間で起こる」)である([2]12~15ページ)。
〇志水らによる一連の研究は、子どもを取り巻く「つながり」が、家庭の経済資本や文化資本の格差を乗り越え、子どもたちの育ちや学びを支える決定的な資源であることを実証している。ここで示された「きずな型」「架け橋型」「結合型」という3つの「つながり」の様態は、学校教育の枠組みを越え、「まちづくりと市民福祉教育」の核心とも深く共鳴するものである。
〇「ふくし」(「ふだんの、くらしの、しあわせ」)を支える基盤は、「つながり」である。志水らによると、地域との「つながり」を持つ子どもは「一般的信頼」や「共生意識」が高い傾向にある。これは、特定の身内だけで固まる閉鎖的な互助(「きずな型」)に留まらず、多様な他者と出会い、認め合う「風通しのよさ(「架け橋型」)」が、子どもの市民性を育んでいることを示唆している。市民福祉教育の本質は、単なる「思いやりの心」の育成やボランティア活動の体験ではなく、こうした多様な「つながり」のなかで「共に生きる作法」を学び、自らのウェルビーイングと地域のそれを形作っていくプロセスにある。
〇特に注目すべきは、「つながり」が子どもの「レジリエンス」を高めるという点である。現代社会において、子どもたちが直面する困難は複雑化している。しかし、学校が地域と「つながり」、教師や学校外の専門家、地域住民などが「結合型」のネットワークを構築することで、子どもは失敗しても立ち直れる「心の回復力」を得ることができる。この「受容される安心感」こそが、市民としての自律を支えるのである。
〇今後の「まちづくり」においては、学校を、地域社会の「つながり」を醸成するひとつの「ハブ」(結節点)として再定義する必要がある。教師の役割が「つなぐこと」であるのと同様に、市民福祉教育の推進者もまた、子どもと地域、あるいは困難を抱える人たちと社会資源とを編み直す「コネクター(接続者)」でなければならない。
〇「つながり」こそが子どもを育て、「つながり」こそが地域を再生し、「まちづくり」を進める。子どもたちが学校という枠を越えて、地域の多様な大人たちと関わる。そのなかで、「自分も社会の一員であり、誰かの『ふくし』に寄与できる」という実感を積み重ねる。そのプロセスこそが、真の意味での市民性の涵養である。そこに、社会変革・社会戦略としての「まちづくりと市民福祉教育」が位置づくのである。

阪野 貢/「多様性」の功罪:「共関」(≠共感)と「協繋」(≠連帯)をめぐって― 岩渕功一著『多様性とどう向き合うか』のワンポイントメモ―

国家として政策・法整備をしっかり進めて、差別や不平等を解消するための施策、法的地位の改正、差異の承認と多文化社会の構想を育むための市民教育などに国レベルで取り組むことは喫緊の課題である。(下記[1]71ページ)

〇筆者(阪野)の手もとに、岩渕功一著『多様性とどう向き合うか―違和感から考える―』(岩波新書、2025年12月。以下[1])がある。「多様性」という言葉やそれを尊重し奨励する言説や態度に、耳ざわりのいい・居心地のよい「共生」「共存」の物語を感じるが、どこか違和感を覚える。[1]は、「多様性」が既存の差別や不平等を隠すための免罪符になっていないかを問い、その言葉の欺瞞を暴きながら、他者との真の共生のための思考の枠組みを提示する。その際、岩渕の立論は、「多様性の尊重と奨励は、社会の中心に位置するマジョリティによって価値判断され管理される対象として存在している。多様性の語りは、マジョリティの/による/のためのものである」(14、15ページ)という認識を基点に置く。こうした状況が社会に組み込まれた(構造化・制度化された)差別や不平等を再生産し、マジョリティによる包摂と管理をもたらしている、と説くのである。
〇あえて先に結論を引くならば、岩渕のメッセージはこうである。「多様性を奨励する語りが問題なのは、あたかも多様性をめぐる問題が解決したかのように、あるいは多様性の奨励によって問題が解決するかのように語られることにある。(中略)多様性の奨励をめぐるさまざまな経験や違和感に目を向けて、耳を傾けて、構造化・制度化された差別・不平等の複雑な作用に向き合いながら、それを乗り越えていく方途をモヤモヤ感やしんどさと付き合いながら、さまざまな人たちと共に考えて話し合うことで、少しずつ自分を、周りの人との関係を、そして社会を共に変えていくことを目指すべきではないか。」(174ページ)。
〇本稿では、例によって恣意的であるが、次の4点についてメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

封じ込めと後景化:多様性の尊重と奨励は、社会に組み込まれている差別や不平等に向き合って解消する取り組みを封じ込め、後景化・後退させるような作用をもたらしている
多様性は文化的にも経済的にも有益で、生産的で、調和的で、豊かさをもたらすと肯定的なものとして語られるようになり、差異をめぐる差別と不平等の問題は挑戦的で、分断的で、否定的なものとみなされてしまいがちである。/多様性をめぐる問題を真剣に考えるのなら、差異をめぐるあらゆる差別、不平等、周縁化、生きづらさの問題に正面から向き合い、その解消に取り組むことは急務である。(中略)さまざまな企業、政府、自治体、教育機関、国際機関、NGO/NPOが多様性を尊重して受け入れ、活かすことが組織・社会のパフォーマンスの向上にとって重要だとしてその奨励・推進を謳っているが、制度化・構造化された不平等、格差、差別といった根源的な現実の問題が後景に追いやられてしまい、その問題の解消に継続して取り組んでいく必要を見失わせてはいないのか注視して検証することが求められる。(47ページ)

構造化の理解:多様性とは単なる個性の尊重ではなく、構造化された差別や不平等を直視し、それを自分ごととして捉え、その解消に向けて取り組む実践である
差別や不平等が社会の仕組みに組み込まれたものであることを理解すれば、多様性を奨励する取り組みに抱いていた自らの違和感に対して、これまでとは異なる見方ができるようになるのではないか。(118ページ)/多様性の尊重と受け入れの根幹にあるのは、差異をめぐる差別と不平等の解消であること。同じ社会に生きている人たちが何らかの差別や不平等を被っているとすれば、それは自分とは切り離されたものではあり得ないこと。それに疑問を呈して解消することは誰もが関わる社会全体の問題であること。それは個人の思いやりや優しさだけでは解消できないこと。そして、その解消は誰をもより生きやすくすること。/こうした発想の転換をすることで、社会における多様性をめぐる差別や不平等の問題を自分とは関係のない他人ごとであると認識するのではなく、それに関与したり対話しようとしたりする姿勢が育まれていく。構造化の理解は、他の人たちが経験している問題を自分ごととして捉えて、より能動的に関わっていくことを促してくれるのである。(118~119ページ)

共感から共関へ:社会変革にとって重要なのは、単に他者に対する共感力を持つことだけでなく、他者の苦難や生きづらさに自分自身も関与していることを認めることである
差別や生きづらさが社会で構造化されているとすれば、少なくとも同じ社会で生を営んでいる自分もそれに関わっており、不公正に対して異議を唱えて是正する務めがあると自覚することである。他者の苦難や生きづらさを自分ごととして考えるには、それをもたらしている社会のあり方とその変革には、その社会で生きる自分自身も意識する、しないにかかわらず、関わっていることを認識することが欠かせないのである。それは共感力を、誰もが共に関わっているという「共関」意識に結びつけることを意味する。(130ページ)/自分と異なる他者の感情や経験を理解し想像しようとする共感力は大切であるが、それに加えて、歴史的・社会的な文脈の中で構築されてきた他者が被る差別・不平等に対しての、同じ社会の一員である自分の関わりという軸を入れ込むことで、社会で構造化された問題に対する当事者意識とその是正に向けて、自分ごととして継続的に考えていくことを促す共関意識が芽生えてくるのではないか。(131ページ)

連帯から協繋へ:自分の経験とは異なる他者の差別や生きづらさに向き合い、同じではない当事者として支え合うためには、「学びひらき」と緩やかな「協繋」が求められる
社会において知らぬ間に布置されてきた自己と他者の不均衡で分断された関係性に気づき、批判的に向き合い、他者との関係性を自覚的に編み直し、より包含的で対話的な自己と他者の共生のあり方を模索する学びのあり方(プロセス)を「学びひらき」という。この学びひらきは、社会横断的な連帯につながる(136ページ)/(差別や不平等によって)分断化された状況に抗うには、多様な差別や生きづらさの経験をつないで互いの生きやすさを保証し合う在り方を模索する必要がある。(137ページ)/(それは連帯につながるが)連帯というと強い政治的あるいは苦難や利害を共有する集団の団結・結束を思い浮かべるかもしれない。しかし、今より求められているのは多様な生のあり方を肯定して、誰もが=自分も生きやすいように社会のあり方を共に変えていくことに向けた、差異を横断するしなやかな連帯である。(138ページ)/その意味ではむしろ「協繋(きょうけい)」という言い方が適切かもしれない。(中略)協繋は異なる価値観を持つ人々が、社会における不公正や不正義にともに抗うために対等な関係で関わり合うことである。(中略)少なくとも、いかなる差別に対しても理不尽でおかしいと向き合おうとすることである。(138~139ページ)

〇最後に、例によって、以上の言説を「まちづくりと市民福祉教育」に引き寄せて一言しておきたい。ひとつは、「まちづくりと市民福祉教育」の根幹にある「共感」の本質的転換についてである。「まちづくりと市民福祉教育」において、高齢者や障がい者が直面する差別や生きづらさに単に情緒的な「共感」を寄せ、抽象的に「共生」を語るだけでは不十分である。その困難を生み出している社会構造や慣習に対し、無意識のうちに自分自身も加担しているという「当事者性」の自覚こそが不可欠である。こうした「共関(共に、関わり、関心を持つ)」意識を促す教育的営為こそが、岩渕の提唱する「学びひらき」の実践に他ならない。社会構造のなかに自分自身を位置づけ直すことで、高齢者や障がい者と共に社会を変革しようとする能動的な姿勢が初めて立ち現れるのである。
〇いまひとつは、「連帯」の質的転換についてである。「まちづくりと市民福祉教育」において、これまでの連帯は往々にして等質な集団による「同質性の連帯」に留まり、排他的な側面を持っていた(同質性による排除)。また、具体的な実践を伴わないまま、抽象的・理念的に「自立と連帯」のまちづくりについて説くこと(手垢のついたスローガン)に終始してきた感は否めない。今後は、異なる背景を持つ人々が共生する「異質性の連帯」へと、その質的転換を図る必要がある。岩渕が説く「協繋」こそが、異なる価値観を持つ人々が対等に関わり合い、共に社会の不公正に抗う「まちづくり」のための基盤となるのである。

阪野 貢/「5つの物語」再考―「共感の論理」の再構築と「構造変革の教育」への昇華―

〇本稿は、『5つの物語:その思想とメッセージと覚悟―「思いやり教育」から「権利と構造変革の教育」へ―』2025年12月15日/本編、の補遺である。

「共事者」という視点:当事者と傍観者のあいだ
〇人はしばしば、ある事柄に対して当事者か非当事者(部外者、傍観者)かという二項対立に陥りがちである。当事者でなければ口を出してはいけないという自制や、当事者ではないことへの後ろめたさが、人々の関わりを阻害してしまうことも少なくない。小松理虔は、震災の被災地でありながら直接の被害が少なかった福島県いわき市小名浜での出来事や活動から、「中途半端さ」や「共事者」という概念を提唱する。この概念は、特定の専門家や熱心な活動家だけでなく、曖昧な立ち位置にいる多くの市民が「事を共にする」可能性を示唆するものである。自分自身の中途半端さを引き受け、当事者の傍らで関心を寄せ続ける「弱いつながり」こそが、強固な分断を溶かし、多様な人々を結びつける新しいコミュニティ(地域共生社会)の基盤となるのである。ほどよい距離感で関わり続ける「関心の継続」にこそ、新しいコミュニティの可能性があると言えるのである。

「依存」の再定義:依存を豊かにする編集術
〇白石正明や上野千鶴子の言説が示す通り、自立とは「依存先を分散し、豊かにすること」である。これを実現するためには、渡邉雅子が提唱する「多元的思考」を駆使し、現代社会を構成する「経済」「政治」「法技術(法、規範)」「社会」の異なる論理を柔軟に使い分けながら、目の前の困難を個人的な問題から社会的な「編集」(白石)の対象へと転記していく作業が求められる。また、梅川由紀が論じる「ゴミ屋敷問題」にみられるように、社会規範から逸脱した「傾き」を排除せず、その個別の文脈を尊重しながら周りの環境や構成を変える・整えるという作業・行為が肝要となる。そして、小松が説くように、「だれかの悲しみのよそ者」であることを自覚し、その「寄り添えなさ」に向き合いながら細い糸を手繰(たぐ)り寄せるように社会を編み直していくのである。

「共感の論理」の再構築:不可解性の受容
〇奥田知志が提唱する「不可解性」の受容は、他者理解を根底から覆す。人はお互いが「共感不可能」のなかに生きていることを認めることが、真の共生の出発点である。「あなたを完全には理解できないが、共にここにいる」のである。また、小松が説く「共事者」のように、中途半端で曖昧な関わりを許容する緩やかなネットワークを地域に張り巡らすことが肝要となる。このネットワークのなかで、人々は「支援者/被支援者」という二分法的な立場を脱却し、共に事にあたる『共事者』へと変容する。そこでは、「助けること」と「助けられること」が循環し、「受援」が特別な弱さではなく、共生のための作法として共有される。また、渡邉が言う「共感の論理」は、単なる同一化(かわいそうに思うこと)ではなく、相手の背景にある異なる論理を理解しようとする「多元的思考」と表裏一体のものである。それは情動に終わらず、誰もが「助けて」と言い合える社会の土壌を育み、一人ひとりが守られているという確かな安心感へと昇華されるのである。

「構造変革の教育」への昇華:市民福祉教育の視座
〇従来の「福祉教育」は、ともすれば個人の内面や道徳心に訴えかける「思いやり教育」に重きが置かれてきた。しかし、個人の善意のみに依拠するアプローチは、現状の社会構造を温存させ、かえって「助ける側(強者)」と「助けられる側(弱者)」の分断を固定化する危うさを孕んでいる。
〇渡邉が説く「共感的利他主義」(共感に基づく利他主義)は、相手の苦しみや悲しみを「自分ごと」として感じて手を差し伸べる、日本的な倫理観に基づく行動原理である。これは、辺見庸が吐露した「ケアされる側の激しい憤り」とセットで考えられなければならない。「明るいの反対はなーに?」という無邪気な問いかけが、一人の人間の尊厳を「かれらなんか」という枠に押し込める暴力となり得るのである。そこで、辺見がまた指摘した街角の「オババ」に対する無知や無関心を問い直し、不可視化された存在を地域という文脈のなかに再構成(編集)する知性が必要となる。
〇「市民福祉教育」は、単なる「思いやり」や「優しさ」を教えるのではなく、「まち」に暮らす他者の不可侵の尊厳(権利)に触れる際の、震えるような緊張感を教える場であるべきである。すなわち、市民福祉教育は、個人の「弱さ」やさまざまな「依存」を人間存在の普遍的な姿として捉え直す。そして、その条件のままに生きられるよう、白石がいう社会の「分母」(生産性至上主義、自己責任論)を問い直す。そのなかで、新しい価値観を創造する「構造変革の教育」へと昇華させる必要がある。
〇別言すれば、市民福祉教育とは、地域に潜在する「弱さ」を「輝き」に変えるための「社会の編集術」(白石)を習得するプロセスである。 「思いやり」という内面的なアプローチから脱却し、エイジズムや能力主義という社会構造を問い直す権利意識を育むこと。辺見の痛切な叫びや小松の誠実な葛藤を指針として、情動的な「共感」を論理的な「多元的思考」と連携させ、誰もが安心して依存できる「希望のまち(みんながつながるまち)」(奥田)を再設計すること。 「わたしがいる、あなたがいる、なんとかなる」という確信を、個人の心ではなく地域の「構造」のなかに根付かせること。この構造変革こそが「ふだんの くらしの しあわせ」(阪野)を支える土台となる。こういった新たな「視座」を提示することが、「まちづくりと市民福祉教育」の本質であると言えよう。

備考
2026年1月4日、タイトル『5つの物語:その思想とメッセージと覚悟―「思いやり教育」から「権利と構造変革の教育」へ―』を、『草稿「ふだんの くらしの しあわせ」それを編み直す7つの視座―「思いやり教育」から「権利と構造変革の教育」へ―』に変更した。