コロナと失業と子どもの貧困

スマホでLINE通話につないだ

「こんばんは」

「いいもんですね。会えなくてもこうして話せるって、スマホに替えてよかった」

「いやまさか大家さんとこうしてつながるなんて思いもしませんでした」

「それもコロナのお陰で東京の孫とも会えずにいたら、娘から盛んにガラ系からスマホにしなさいとやいやの催促で、いやいや替えたんだけれども、写真やら動画やら毎日のように送ってきて、家内もせっせとやりとりしてます。なかなか人と話すことが出来なくなって、少し心配になっていた矢先、こうしてLINEが使えるようになって、あなたともやり取り出来るのは嬉しいですね」

「そういっていただけるだけでも有難いです。なんせ、今夜はちょっとばかり愚痴を聞いていただきたいと思いましてね」

「お珍しいことで。どうなさいました?」

「いえね、この間の土曜日ひと風呂浴びてビールでも呑もうとしたら、ピンポーンって鳴るんで、うちのが出たら、子ども連れの若い女の人が立っていたんで、どうなさいましたって聞いたら、下向いたきり何も答えられずに涙を流すばかりで、うちのも困ってあっしを玄関口に呼んだ次第で」

「それで、どうなさいました」

「玄関口じゃ話にもならないだろうし、ましてや小さい子を連れているんで、ここじゃなんだからと家にあげたんですよ」

「あなたのことだから、親身に事情をお聞きになったのでしょう」

「はい。身も知らない人が突然ピンポン鳴らすなんて、よほどのことがあったんだろうと、少し身構えましたが、お金がなくて困っているって言い出すんですよ」

「なにか差し迫ったわけが、おありだったんですね」

「地域に住んでいるという若い母親と子どもでした。春に民生委員の名簿みたいな広報を全世帯に配ったことがあるんですが、それを捨てずに置いといたらしく、思い出して私のところに出向いたというんです。昼間は人目もあるし働いているかもしれないと思い、コロナ感染のことも重々承知しながら、切羽詰まって押しかけてきてしまって、申し訳ないって言うんですね」

「よほど困られていたんですね」

「母親にすり寄る子どもの不安そうな様子を見ながら、『ぼうやお腹空かしてるだろう。まずは腹ごしらえしてから、相談に乗りましょう』って、うちのがあり合わせのものを出して、遠慮していたけれども、腹は正直でまずは食べてもらいました。少し落ち着いたところで、事情を聞いて、一致も察知も行かなくなって、訪ねてきたっていうんですね」

「その事情ってのは、なんですか」

「夜のお店で働いていたんですが、コロナで営業制限が出て、お客は敬遠して店の金回りも悪くなり、店は解雇するしかなくて失業してしまったというんです。PCR検査も当時受けて陰性だったとのことでした。ただ蓄えも尽きて、子どもも保育園に預けられず、だから仕事もなかなか見つからないという悪循環。先月分の家賃を払ったら、手元に1万円札1枚しか残らなかった。食費も切り詰めて今日まできたけど、このままではアパートを追い出される心配もつのってきた。相談するにもどうしてよいかわからず、そのときに思い出した民生委員なら相談に乗ってくれるかも知れないと、思い切って訪ねてきたというんです」

「いやいや、それは捨て置けないことですね」

「そんなことで、ともかくほっとくわけにもいきませんし、もしなにかあればと胸騒ぎしましてね、手元にあった当座のお金を渡して、月曜日に一緒に役所に行きましょうと約束して送り出したしだいです」

「それで役所はどうされました」

「生活保護の手続きには時間がかかりそうなので、社協の方に相談に行って生活福祉資金(緊急小口資金)を貸してもらおうと思いましたが、社協独自で法外援助資金の貸付もしてるっていうんです。生活資金は多少時間がかかりそうなので、すぐ対応できる法外資金を借りることにしました。どちらも借りられるので、二つの資金の貸付の手続きをして一段落しました。まずはコロナが少しでもおさまると有難いんですが」

「ご苦労さま。そんな事情を抱えながら,女手で一つで子育てしている若い方は多いんでしょうね」

「ほんとうに、コロナできつい生活に陥った人への救済や支援はまだまだ足りないって実感します。GOTOなんてお金のある人のお話で、暮らしのレベルが違います。ただ,今日愚痴をこぼしたいのはそのことじゃないんです」

「それじゃなんですか?」

「その話を民生委員の偉い方にお話ししたら、えらい叱られましてね」

「どうして?」

「民生委員がお金を貸すなんてことは、御法度だっていうんです。お金やものの貸し借りはしてはいけない。相談を受けて役所や社協につなぐのがそもそもの役目であって、それを逸脱しているっていうんです」

「それも確かに一理ある」

「いま食べる物にも事欠いて、小さな子がお腹を空かしているのを、黙って見ていろっていうんですかって反論したんです。ましてや困り果ててやってきた母親を玄関口で帰すなんてできません。子どもに土日何も食べさせずに辛抱させることってできますか?」

「その事情を呑み込んで、お役目を超える判断をされたんですね」

「お役所のように規則を持ち出して、出来る出来ないって線引きするは簡単です。公平さを求められますからね。特別にするにはそれだけの理由がなければならないわけでしょ。それが正しいかどうかは、別の問題ですがね。ただ、人としてほっといてはならないことってありますよね。そうしないで後々後悔することって。後悔したくないからご飯を食べさせたわけじゃないけれど、食べさせなければ生きていけないって思うから、当たり前のことをしただけのことを、規則を持ち出されて施しを与えてはならないって、割り切れますか?」

「あなたの性分じゃ無理ですね」

「頑として規則を破ったことを咎(とが)めるもんで、最後に啖呵を切ってしまいました」

「民生委員なんてこちらから御免被りますって、言ったでしょう」

「ズバリおっしゃるとおりです。ただのお人好しが良心でしたことを、いいの悪いのと言われる筋合いはありません。まずはお叱りを受けご指導もいただきましたが、承服できかねますので、口頭で失礼とは存じますが、辞めさせていただきます」

「それで相手さんは、どうなさった」

「相手もさる者、ムッとした顔をして、私の一存では受理できませんから、預からしてくださいって、言ったきり音沙汰なしです」

「難しいところですね。あなたも正直だから、規則を破ったことを重々承知で、上の人に報告をしたところ、責められた。その責め方に合点がいかない。お腹を空かしている子をほっとけない。尋常ではない事態にどう対処するのが正しいのか。そこですね、判断の分かれるのは。民生委員としての立場で相談を受けた。施しは民生委員ではなくあなたの個人的な配慮。ここに明確な線引きができないところに、ジレンマがあるのでしょう。きっといままでも、あなたのように見捨てておけなくて身銭を切った方もいたことでしょう。そこで誰かが問題にした。だから規則を持ち出して、トラブらないように整理するしかなかったかも知れません。あの人はこうしたけど、この人は冷たくあしらったといった、対応の個人差が生まれることが、組織としては統制が取りにくかったに違いありません。組織と個人という立場による判断の違いが、組織そのものの信用に関わるということもあるのでしょうからね。ただ…」

「ただ、なんですか?」

「あなたのように、民生委員と地域の住民としてのジレンマは、必ず起きているということです。ダブルスタンダード、二重のルールに身を置いている人の避けられない葛藤です。役所は、規則を建前に前払いを食わすことなど大して難しくはない。お上意識が強い分、下々は従順にしていればいいといった支配的な関係がすでに出来上がっているので、反発するにも専門的な知識がないとなかなか攻略できない。ほとんどは、不満を持っていても不公平な目にあっても、泣き寝入りするしかない。これが法で守られている公務員という人たちの一般的な仕事ぶりです。民生委員も特別職の地方公務員という肩書きを与えられているのですから、法で守れられているわけです。だから法を遵守しなければならないという建前は、歴然としてあるわけです」

「大家さん、よくご存じですね。私以上に詳しい」

「いえね、あなたが民生委員になったと聞いて、コロナ禍で家に閉じこもっているだけでは憂鬱になるんで、関心のあることを片っ端から調べてみようと思い、少しかじっただけです。そうでもしないとあなたと話が合わないと思いましてね」

「有難うございます。おっしゃるとおりでそういう立場ですし、個人的な個別支援は原則してはならないと知っています。でもその原則がそもそも曖昧ですよね。例えば、緊急事態にどのように対応するのかも、原則論で言ったら個別に助けには行くなってことでしょ。でも東日本大震災では、多くの民生委員が犠牲になりました。命を助けたいとの思いから当たり前に動いた結果、惨事が起こってしまった。いまじゃ自分の命を最優先にという、教訓を生かして災害時の行動規範も出来ました。原則があっても、我身を顧みず救命に動いていたことは、確かな事実です。命に関わる緊急事態にどのように対処するのか、災害時のルールは出来たとしても,日常的な暮らしの中で起きている子どもの貧困や自殺の問題なんかに、原則論を持ち出して防ぐことが出来るのなら、率先してあっしもやりますよ。でも違うでしょ。できないからどうしょうって悩んでいるんでしょ。コロナだって、沢山の命と暮らしを脅かしているのですから、緊急事態ですよ、いまは」

「その通りですね。個人と組織のことを先にお話したのは、まず筋論を明らかにしておいて、その上で論議しなければ,感情論に流されてしまう。それを避けたかったからです。組織と個人の判断で揺れるというのは、暮らしを営む現場で起きる個々の問題だから、一概に規則で一律に統制することは難しいということは、民生委員の皆さんは承知していることだと思います。そこで個人的判断の許容度を、どれだけ組織として認めることが出来るかどうかですね。個人の裁量でしたときには、その責任の度合いも問われる事になるということでしょ」

「世間で言うところの、面倒見がどこまで許されるかどうかですね」

「ただその女の方は、町内会やご近所との付き合いもきっとなかったのでしょう。だから身近に相談する相手もなく途方に暮れて、知らないあなたのところに、民生委員だからと助けを求めてきたというのがほんとのところですね」

「その通りです。だからあっしも出来ることをしてあげただけのことなんですが、それを頭ごなしに叱責されたことに、どうも合点がいきませんし、この年で一方的に規則を出してきていわれた日には、正直腹が立ちましたね。大人げないといえばそうなんですが、相手の心の痛みに添うばかりでは、腹をこしらえることはできません。決まりは人を助けるためにあるのであって,自分たちを守るだけのもんじゃないと思うのは間違えですか」

「理で諭されるよりも、情にほだされるのが人間です。そこが蔑(ないがし)ろにされてはいけませんね。問題は責任の持ち方でしょう。皆さんが同じことが出来るとは限りません。出来ることと出来ないことがあるとすれば、出来なければやらないというということなのか、出来る人は自己責任でやるということなのか、個人の出来ることを組織としても認めてサポートするということなのか。そのあたりのことが明確にされているかどうかを、皆さんでこれを機会に確かめてみることも大事かも知れません。一方的な叱責には疑問が残ります。その方もいまだ辞任の意向を預かっているところを見ると、迷われているのかもしれません。ただ、自分のせいで辞めることにでもなれば、面子が潰れるとお考えになっているのであれば、組織としては機能不全を起こしています。組織の私物化の一つの表れになっていることが心配です。でもあなたという人材を失いたくないというふうに考えておられるのなら、誰かに相談されている最中かもしれません。そう考えたいですね」

「わかりました。その人の出方次第ですね。どのように対処されるのか、曖昧にはできない問題です。ただあっしは自分のしでかしたことですが、自分の良心には逆らわなかったことだけは、大事にしたいと思います。その上で、皆さんと話し合うことにいたします。まずは声がかかってくるまで、うるかしておくことにいたします」

「相手の方にも、クールダウンは必要です。長くなさってきて、こうあるべきだとかこうしなければならないとか、経験上自分を律してきた方でしょうから。あなたの行動がその方の意に反したのかも知れませんが、まずはお互い謝罪から始まるのではないでしょうか。片意地が邪魔して壁にならないようにしなければなりませんね。それこそが自分を律することに他なりません」

「有難うございました。あっしも少し心持ち楽になりました。どこに問題の根があるのかも見えました。辞めると啖呵を切りましたが、まずは撤回することにします。だって誰かまたピンポン押す人がいるかもしれません。その人のためにも、頑張らなきゃいけませんよね。どこまで務まるかわかりませんが、助けを求めてくる人には、門戸を開けておきたいと思います」

「ほんとにあなたという人は、底抜けにいい人で真っ直ぐですね。どうぞその真っ直ぐさを大事にされて、守るべき人たちのことを、特に子どものことをよろしくお願いします。ありがとうございました。その後どうなったか、また教えてください」

「こちらこそ、気持ちの整理が出来ました。子どもたちもコロナに負けぬよう応援していきます」

〔2020年12月13日書き下ろし。感染状況の数字を出して説明するばかりで、暮らしを追い詰めている実態に即した対策が見えない。特に母子家庭で母親の解雇が厳しい現実を知らせる。地域の民生委員もコロナ禍で活動が制限されるなか奮闘中であることを伝えたい。特に学校も子どもの状況を是非把握して欲しい〕

付記
「今後5年間は子どもの貧困増加」 ユニセフ報告書
【ニューヨーク=共同】国連児童基金(ユニセフ)は10日、日本や欧米諸国など高所得国41カ国で新型コロナウイルス流行の子どもへの経済的影響を分析した報告書を公表。各国政府の支援は不十分で、少なくとも今後5年間は子どもの貧困が増加し、新型コロナ前の水準を上回る状況が続くと予想した。
各国政府が新型コロナ対策として行った財政支出のうち子どもや子育て世帯への支援に充てられたのは2%にすぎないと強調。報告書作成を主導したユニセフ・イノチェンティ研究所のオルセン所長は「学校よりもレストランやバーの再開が優先されてきた」と指摘。最貧困家庭への無条件での所得支援や家賃免除などの施策が必要だと訴えた。
報告書によると、41カ国では今年2~7月、新型コロナ対策に計10.8兆ドル(約1123兆円)が費やされたが、うち約9割が企業向けか企業を通じた経済対策に振り向けられていた。約3分の1の国は明確に子どもの支援を目的とした施策を行わず、学校給食や家族手当などの支援策を行った国でも3カ月ほどの実施にとどまった例が多かった。
報告書は、企業支援の必要性も認める一方、企業偏重の姿勢は「社会的に最も立場の弱い子どもやその家族を排除することにつながる」と危機感を表明した。
ユニセフは各国で広がる休校を巡っても、学校は感染拡大の要因とは言えないとして可能な限り授業を継続するよう呼び掛けている。(日経2020年12月11日)