「大橋謙策の福祉教育論」カテゴリーアーカイブ

老爺心お節介情報/第72号(2025年7月15日)

「老爺心お節介情報」第72号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

お変わりありませんか。
「老爺心お節介情報」第72号を送ります。
皆様ご自愛ください。

2025年7月15日   大橋 謙策

〇6月末から酷暑が続き、この夏が思いやられると思っていたところ、梅雨の戻りかと思える気候になり、体調管理が難しいこの頃ですが、皆様にはお変わりなくお過ごしでしょうか。
〇7月12日~13日に、高知県黒潮町で第22回四国地域福祉実践セミナー(こんぴらセミナーから通算すると28回目)が開催されました。現地の会場参加者が約400名、オンライン参加者が約100名で、盛会裡に行われました。お馴染みの地域福祉俳句にも投句しました。

黒潮の 藁焼きカツオ 半夏生  兼喬

〇今回の黒潮町での第22回地域福祉実践セミナーで学びたいと思っていた点は、大きく3つありました。
〇第1点は、南海トラフ地震で黒潮町には34メートルの津波が押し寄せるという予測で、その防災政策がどうなっているかという点、第2点目は、黒潮町は人口約9800人の町で、厚生労働省の地域共生政策の一つのモデルとされた全世代対応型の、かつ集い、通い、時には泊まることもできる「小さな拠点」が6つもあり、その実践がどうなっているかということでした。 第3点目は、人口減少、趙高齢化社会、限界集落が進むなかで、子ども・青年が地域にどう関わっているのか、その一環としての子ども民生委員活動の状況を知りたいと考えたことです。
〇2日間に亘る素晴らしい四国地域福祉実践セミナーを開催してくれました黒潮町社会福祉協議会坂本あや会長はじめ黒潮町社会福祉協議会の職員の皆様、また物心両面でセミナーを支えてくれた大西勝也町長はじめ黒潮町の役場の職員の皆様、更には共催団体としてこちらも物心両目に亘って支えてくれた高知県社会福祉協議会の白石研二局長をはじめとした職員の皆様や後援してくださった近隣市町村の社会福祉協議会関係者に対し、心より感謝とお礼を申し上げる次第です。
(2025年7月15日記)

Ⅰ 住民主体の居場所づくり・ふれあいあったかセンターの実践

〇高知県には「ふれあいあったかセンター」が現在55か所ある。この「ふれあいあったかセンター」は、富山県の共生型デイサービスをモデルに、高知型に再編したという。
〇四国地域福祉実践セミナーで、過去に津野町の床鍋地区の廃校の小学校を活用した集い、通い、泊まれる機能をもったセンターの実践や四万十市の大宮地区でのJA撤退後のガソリンスタンド経営、ATMの設置運営の事業などの実践が報告されていたので、筆者は集落活性化事業(集落活性化センター)と「ふれあいあったかセンター」の機能とを同じものと考え、記憶していたようである。確かに当初は、その両者は一体的に考えられ、推進される予定であったが、「ふれあいあったかセンター」の設置が先行し、結果的に各々が別の形態で運営される羽目になった面があるといわれ、納得した。
〇今回のセミナーでは、黒潮町の6か所の「ふれあいあったかセンター」のうち、4か所を運営しているNPO法人しいのみの実践(残りの2か所は黒潮町社会福祉協議会が運営)と佐川町のNPO法人とかの元気村が運営している「ふれあいあったかセンター」の実践が大変参考になった。
〇NPO法人しいのみの実践は、2014年2月6日から開始されている。その実践の信条は①子どもから高齢者、障害者、誰でもオッケー、②365日いつでも地域づくり、人づくりオッケー、③集い、移送支援、買い物代行、子ども食堂、地域食堂、居場所づくり、地域のお祭りの手伝い、歌謡ショーの企画、男の料理教室、手芸などの趣味活動支援、認知症カフェ等地域の中の必要なことが何でもできる素敵な仕組みを掲げている。
〇発表されたNPO法人事務局長の濱村美香さんは、実践の「まとめ」として、ⅰ)「ふれあいあったかセンター」事業の活動は、すべて「人づくり」、「地域づくり」につながっている、ⅱ)“一人の人も取りこぼさない”を守りぬくためには、決まりや制度だけでは限界がある。だから地域が大事。ⅲ)災害時には必ず役に立つつながりができている、ⅳ)取り組んでみて、自分自身が一番つくられた等を挙げていた。
〇NPO法人とかの元気村が運営している「ふれあいあったかセンター」は、黒潮町と同じ2014年から運営開始されている。
〇高知県には、34市町村があるが、2024年度段階で、高知市、香南市、梼原町の3市町にはなく、あとの市町村にはすべて設置されていて現在55か所になっている。個所数は、55か所であるが、各々の「ふれあいあったかセンター」が小地域にブランチを設置しているので、実際の個所数はもっと多いという。
〇現在の「ふれあいあったかセンター」の運営は1か所、ほぼ1500万円の補助で運営されており、その運営費は高知県と設置市町村とが50%づつ支出してくれている。
〇佐川町の人口は、約11000人で高齢化率は41・9%である。佐川町は5つの地区からなりたっていて、「とがの(斗賀野)」地区は、人口2965人で、高齢化率41・2%である。
〇NPO法人とかの元気村は、地区内にあった35団体が協議を重ね、2005年に一つにまとまり、NPO法人とかの元気村をつくった。2017年には、集落活動センターあおぞらが設立され、地域の課題、ニーズに応じて様々な活動に総合的に取り組む地域づくりの拠点になっている。
〇NPO法人とかの元気村が運営している「ふれあいあったかセンター」は、そのような地域住民の地域づくりの流れの一環として、地域住民たちが斗賀野地区にも「ふれあいあったかセンター」が必要ではないかという住民の要望、主体的取り組みの中で設置されたという。
〇佐川町には、5つの地区に各々「ふれあいあったかセンター」が設置されている。
〇「とがのふれあいあったかセンター」は、センターの必須事業として求められている①全世代対応型の集い、②見守り等必要な方への訪問、③生活の困りごとへの生活支援、④日常生活の困りごとの相談、⑤保健・医療・介護などの専門機関へのつなぎの機能の他に、「とがのふれあいあったかセンター」独自の取組としてⅰ)一時的ショートステイ、ⅱ)拠点への送迎の他に、買い物支援や外出支援、ⅲ)保健や医療のミニ講座や地域の文化活動を行っている人を招いての生涯学習、Ⅳ)小学校、幼稚園、保育園などとの交流活動を行っている。
〇生活支援サービスでは、「あったかお助け隊」と呼ばれるボランティアスタッフが約40人登録されていて、有料ではあるが窓ふき、換気扇の掃除、草刈り等もする。それらのニーズを把握するために、民生委員を中心に“あったか利用者独居・高齢者世帯、障害者へのニーズ調査”を訪問で行い、必要に応じていろいろな機関へつないでいる。これらの活動には、子どもや学生も参加しているという。また、高知大学とも連携して、学生たちが参加しているという。2024年度には、「あったかお助け隊」活動に93人が参加してくれた。
〇「とがのふれあいあったかセンター」の目指す姿は、「ともに支えあいながら誰もが排除されることなく、安心して自分らしく暮らせる地域づくり」、「一人ひとりが、住み慣れた大好きなこの地域で、生きがいややりがいを感じ、つながり支え合いながら暮らせる地域づくりを目指します」である。今まさに求められている「地域共生社会」の構築に向けた実践は素晴らしいものであった。
〇高知県の「ふれあいあったかセンター」の実践は、本当に素晴らしいもので、全国の人口減少地域、超高齢化社会地域、限界集落の関係者に是非学んで欲しいと思った。黒潮町の大西勝也町長が“黒潮町の福祉を日本一にする”と言う発言が納得できる実践、町政が黒潮町で実感できた。
〇今、全国の市町村、地区集落で、地域づくりの担い手がおらず、自治会活動も停滞し、まさに“限界集落”という集落機能が崩壊寸前になってきている。
〇そのような中、総務省は「地域づくり協議会」の政策を打ち出し、自然発生的に成立してきた町内会や自治会機能を再編成しようとしている。
〇黒潮町のセミナーの前日、筆者は香川県丸亀市社会福祉協議会に招聘されて、丸亀市飯山南コミュニティセンター協議会の実践を見聞きすることができた。
〇丸亀市社会福祉協議会は、4年前から市民向けに社会福祉協議会の活動報告会を開催しており、その講師、アドバイザーを筆者が務めてきた。それは、丸亀市社会福祉協議会の業務を理事会、評議員会で承認されればいいというものではなく、住民から会費を頂いているのだから、住民の皆様に直接社会福祉協議会活動を報告し、理解、評価して頂き機会として4年前に始められた。
〇他方、丸亀市社会福祉協議会は、地域福祉担当職員と訪問介護等介護担当職員で「地域担当制」を敷いて、市内17地区(地域包括支援センターは市直営で5か所)毎に活動を展開している。各地区担当職員は、各地区の民生委員協議会の会合やコミュニティセンターの会合、行事に参加し、潜在化しがちな住民のニーズを発見したり、関係者とともに相談や支援の活動を展開している。
〇そのような関わりもあり、この7月11日に飯山南コミュニティセンター協議会の活動と丸亀市社会福祉協議会の飯山南地区担当職員の活動報告が行われた。
〇飯山南コミュニティセンター協議会は、総務省の「地域づくり協議会」の活動であるが、高知県黒潮町や佐川町の「ふれあいあったかセンター」と同じ様な活動を展開している。
〇飯山南地区は、人口約6000人弱である。この地区には、大化の改新で作られた口分田の条里制がきれいに残っている地域である。水害ハザートマップのために空撮された写真には物の見事に一辺110m(1丁)の四角い条理が映し出されている。この地域には、飛鳥時代か奈良時代初期に作られたという「法勲寺」後もあり、歴史を感じさせる地域である。
〇飯山南コミュニティ協議会には、総務環境美化部、ふれあい交流部、防災部、福祉部、文化育成部、健康スポーツ部、実行委員会(法の郷ふれあいまつり、広報委員会)が設置されている。職員は非常勤も含めて4名が勤務している。人件費補助は、人口割によって違うが、コミュニティセンターの指定管理料として、2025年度は市から年間約1600万円が支給され、そのほとんどが人件費として支出されている。
〇飯山南コミュニティ協議会の活動は、現在「法の郷第4次まちづくり計画―みんなで育てる住みよいまち法の郷―」に基づき運営されている。活動費の予算規模は市からの補助金約370万円を含めた年570万円ほどで運営されている
〇飯山南コミュニティセンターは、「予約なしで、いつでもおしゃべりができる居場所づくり」、「セルフコーヒーメーカーで挽きたてのコーヒーが飲める」をモットーに、地域食堂、絵本の読み聞かせをしているライブラリー、高齢者等移動手段支援事業、避難行動要支援者避難訓練等の活動を展開している。更には、30分500円の有料ではあるが草抜き、ゴミ出し、散髪、ちょっとした大工仕事等の住民参加型の生活支援サービスをしているし、その他、農繁期の忙しい時の農村食堂や夏休み子ども学習支援食堂などのユニークな活動もしている。
〇飯山南コミュニティ講義会の広報誌は、全国公民館報コンクールで金賞、特別賞を受賞するなど高い評価を得ている広報誌であるが、モットーは“現在の地域課題を提起し、知ってもらう”で、自治会未加入世帯にも情報発信をしている。
〇黒潮町、佐川町、飯山南コミュニティ協議会の実践を見聞きして、筆者は戦後初期の公民館活動を思い浮かべた。
〇戦後初期に、文部省公民課長、社会教育課長を歴任し、文部次官通牒「公民館の設置運営について」(昭和21年7月5日、発社第122号、各地方長官あて)について深く関わり、かつ1946年に『公民館の建設ー新しい町村の文化施設』を上梓している寺中作雄が考えた公民館は社会教育の機関であり、社交娯楽の機関であり、自治振興の機関であり、産業振興の機関であり、青年養成機関であるといった多面的な機能を持った文化施設である。
〇寺中作雄が考えた公民館の事業は町村の特殊性や町村民の要望に応じて決定される事で、必ずしも画一的にすべきものではないが、一応の形態としては,教養部、図書部、産業部、集会部が考えられ、其の他必要に応じて、体育部や社会事業部や保健部等の設置が考えられるとしている。
〇また、公民館の維持に関わる経費は、一般町村費及び寄付金によるものを原則としているが、公民館維持会を設立して、公民館に積極的な熱意を持った篤志家の支持を得る事も一法であり、その際には町村の一般会計とは切り離して、特別会計にすることが必要であるとも述べている。
〇更には、公民館の組織運営は最も自治的な機関であり、全町村民から選ばれる公民館委員会によって全町村民の参加と支持によって為される。・・町村自体が自治体であり、公選町村長によって運営されるものであるが、其の自治行政が法規に制約されて不円滑不活発に陥りがちな現在、公民館は或る程度法規の制約からも自由に、官憲の監督からも解放されて、純粋に自治的に運営されることによって、町村民に対し「真の自治とは何ぞや」との観念を正しく誘導し、町村自治に新しい血を通わしめ、爽快な涼風を吹き送る役目を担当するものである“と、一種の”自治的な原始社会“ともいえるコミューンのような思想、哲学を掲げている。
〇ところで、文部次官通牒「公民館の設置運営について」は昭和21年7月5日に発出されているが、同じ昭和21年12月18日付で「公民館経営と生活保護法施行の保護施設との関連について」が各地方局長あてに、文部省社会教育局長、厚生省社会局長の連名で発出されている。
〇その通知では、公民館で宿所を提供する事業や託児事業、授産事業を行うことができるし、その際の費用は生活保護法に基づき国が費用の10分の8、都道府県が10分の1を負担するとも述べている。
〇また、公民館運営委員と民生委員とは協力して社会事業と社会教育との緊密な関連を図るよう配慮することが明記されている。

註1 『社会教育法解説』及び『公民館の建設』は、1995年に国土社から現代教育101選の一つとして、寺中作雄著『社会教育法解説 公民館の建設』として復刻されている。
註2 大阪府の方面委員制度を大阪府の林市蔵知事とともに1918年に創設した小河滋次郎は“救貧は教育であり、対象者の自信、自助、自尊の精神を傷つけざるとともに、彼らの市民として、公民として、国民の一人としての人格を尊重保全し、救済の必要なからしむべく、一日も早く自ら其の運命を回転向上するに至らしめんことを努むる”のが、救貧事業の使命であり、本領であると述べている。(『社会事業研究』第10巻8号、大正11(1922)年)
註3 大阪府の副知事、知事を務めた中川和雄は、1926年京都市生まれ、東京大学法学部卒業後、厚生省に入省し、社会福祉事業法の制定に関わる。その後、1957年に大阪府に出向し、1983年副知事、1991年~95年に知事を務める。中川和雄は、戦前の社会事業には精神性と物質性の両側面があったが、戦後GHQの指示もあり、社会事業の精神性は文部省に移管され、厚生省は物質的支援のみに限定させられたと筆者に話をしてくれた。
物質的援助は、生活困窮者及び生活のしづらさを抱えている人の生活技術能力や家政管理能力などの自活能力が高い時には有効であるが、様々な社会生活上のぜい弱性を抱えている人(ヴァルネラビリティを有する人)には、物質的援助だけでは問題解決につながらない。今日の生活困窮者自立生活支援法に基づく伴走型の生活支援の必要性はまさにそのことを示している。
しかしながら、公民館は1949年に制定された社会教育法により、社会教育機関としての位置に矮小化されていく。
戦前の雑誌「社会事業」等で論陣を張った牧賢一(西窓セツルメントの主事も歴任)は、戦後の全国社会福祉協議会で事務局長、常務理事などを務めるが、その牧賢一が昭和28(1953)年に著した『社会福祉協議会読本』(中央法規出版)の中で、「公民館の目的は教育活動であり、それは個人の人格の完成とその能力の育成である。しかるに、社会福祉協議会は「地域社会の完成」を目的とする。しかし、協議会と公民館とは、いろいろ違う点があるけれども、その目的及び活動において切り離すことができない密接な関連を持っている」と述べ、なぜなら、本来公民館の仕事は社会事業の領域で長い歴史をもっているセツルメント事業(隣保事業)から変形したものである。そのセツルメント事業が終戦後経費の関係で非常に不振な状態におちいったときに、文部省が公民館という形で法的裏付けをもって打ち出したので、これが社会事業ではなく社会教育事業ということになったわけである。
したがって、「公民館が社会福祉協議会がやろうとしていることまで含めて、申し分のない活動をしているなら、そこに重ねて協議会をつくることは不要である」が、実際の公民館があるべき姿になっていないので、自分たちは社会福祉協議会を作ったとしている。
同じような論説は、『公民館日報第38号』(昭和26年10月)にも掲載されている。そこでは、「最近、社会福祉協議会が町村に設置されることになって、人の面や、仕事の面で公民館とかち合うことになって困るという事情を福祉協議会の側からも、公民館の側からも訴えてきている。・・・要はその地域が明るく住みよくなればいいわけで、それがどのような形で行われようと問題ではないと思う。・・・社会教育ということは、結局我々が営む社会生活を改善し、進歩させるための機能ということができる。・・社会改良のための諸条件である政治や産業等と結びつきながら、これらを教材として人間の形成を通じて社会形成を行うところに社会教育の仕事がある」と述べている。

Ⅱ 潮町の防災教育と避難タワーでの取り組み

〇南海トラフ地震で、34・4mの津波(最大震度7、沿岸に津波が到達する時間2分)という内閣府の発表が2012年3月31日に出されたことを踏まえ黒潮町では、防災教育、防災活動が活発である。
〇黒潮町では、地域担当する職員と住民によるワークショップや避難道の点検、避難訓練等を行っている。避難行動要支援者等には、自力避難の可否、避難先への到達所要時間、避難方法、自宅の耐震性や家具転倒防止策の状況、連絡先などを記入してもらい、それを基に町、社会福祉協議会、ふれあいあったかセンターが災害時要配慮者への支援体制と其の調整を行っている。地域調整会議では、①顔の見える関係づくり、②福祉専門職の参加、③地域全体の避難ルールと整合性を持たせるために、地区防災計画との整合性を重視している。そのようなことを踏まえて、視覚障害者の「お試し避難訓練」や在宅医療機器使用者の避難訓練、高校生と行う地区避難訓練等行っている。高校生と行う避難訓練では、「逃げトレ」アプリを使用し、各地点の津波到達時間をシュミレーションしている。この高校生と行う地区避難訓練は、普段避難訓練に消極的な人たちを誘い出すのに成功している。宮崎県日向沖の地震の際の「南海トラフ地震に関する臨時情報」が出されて以降、車いすの障害者も避難タワーに車いすで上る訓練をしたり、福祉避難所「高齢者生活支援センターこぶし」の開設を要請し、事前の「おためし避難」が重要だということも認識できた。
〇防災教育と福祉教育を兼ねて、小学生には通学路などの危険個所の発見や地域で暮らす人を知ろうということで「まち歩きと危険個所の発見」のプログラム、中学生には自宅までの津波到達予想時間の視えるかをしてお知らせするプログラムをもって高齢者宅を訪問するプログラム、高校生は避難所での要配慮者への対応訓練、避難所開設運営訓練などを行った。
〇黒潮町には、6つの津波避難タワーが設置されている。その中で、最後に設置され、最も高い津波避難タワーが黒潮町の浜地区(合併前の佐賀町浜地区)の避難タワーで、18mの津波が想定されている地区である。この浜地区には、浜地区を囲む高台に避難場所が5か所設置されているが、この避難タワーは町中に設置されている。この避難タワーには、230人の避難者が想定されており、それら避難者のために必要な様々な災害用備品が備蓄されている。マット、テント、充電器、水、簡易トイレ、紙パンツ等住民の知恵、要望で準備されたもので、そのすべてが行政の補助金で購入、用意されたものではなく、河内香自主防災会長をはじめとした地域住民の努力で準備されたものも多い。
〇この避難タワーを上るのには階段とスロープを使って上ることになっている。津波の大きな衝撃にも耐えるようこのタワーを守るための衝撃防止の柱も備えられているし、屋上にはヘリコプターがホバリングしながら緊急搬送できる設備も備えられている。
〇自主防災会の河内香会長たちは、「防災かかりがま士の会」という、積極的にお節介をして防災を進め、避難活動を誘導する会を作り活動している。
〇黒潮町は、多様な防災プログラム(防災学習プログラム、防災缶詰プログラム、地域防災実感プログラム、佐賀地区津波避難タワー見学会、宿泊型夜間避難訓練プログラム)を開発し、町内外の人への防災教育を展開している。
〇今回のセミナーでは、この他、今治市の山林火災への取組も報告された。

Ⅲ 子ども民生委員活動と福祉教育

〇筆者は、1980年代に福祉教育が必要とされる背景、要因の第1に“子ども・青年の発達の歪み”を挙げている。
〇イギリスでは、アレック・ディクソンによるコミュニティボランティア協会が1962年に創設され、青少年のボランティア活動を推奨をしている。その背景には、1963年に出されたイギリス中央教育審議会の答申「HALF OUR FUTURE」と題する報告書がだされ、未来を担う若者、青年の半分の成長がゆがんでいるというショッキングなレポートがあった。アレック・ディクソンは、若者、青年の発達を取り戻すために、コミュニティに入り、高齢者等を訪問し、何かお手伝いすることがあるかどうかのニーズ調査を行い、それに応じるボランティア活動をすることが必要であると訴えた。
〇日本の福祉教育は、1970年前後に第2の波を迎えるが、それは1970年に日本がの高齢化社会になったことを踏まえたもので、その対策的意味合いもあって、その必要性が説かれた。
〇しかしながら、筆者は日本でもイギリスと同じような子ども・青年の発達の歪みが指摘され始めていた時期なので、子ども・青年の発達を保証する機会として福祉教育の推進をするべきであると提唱してきた(1978年には久徳重盛が『人間形成障害病』を上梓。筆者は1970年に青年の中に「まあね族」と「べつに族」が登場し、社会関係、人間関係が希薄化、あるいは持てない青年が登場してきている問題を指摘)。
〇子ども民生委員活動は、戦後、徳島県民生委員連盟の常務理事をしていた平岡國市が西祖谷山村で実践したのが発祥とされている。
〇現在は、日開野博先生によれば、天草市社会福祉協議会、倉敷市社会福祉協議会、土佐清水市社会福祉協議会、徳島県石井町で行われており、かつ徳島県民生児童委員協議会が毎年県内の3~5所を指定し、補助金を5万円ほど出して活動を鵜維新しているとのことです。
〇今回のセミナーでは、土佐清水市の子ども民生員活動が報告された。
〇土佐清水市は、2012年に人口が15961人であったのが、2025年には11418人となり、4543人の人口減少であった。高齢化率は逆に39・3%だったものが52・2%となり、15歳未満の子どもの数は1440人だったのが、672人に減少している。したがって、小学校数も8校から3校(2026度には2校)になる。中学校は5校だったのが1校になった。このような状況の中、一人暮らし高齢者は2421人に増大している。
〇土佐清水市社会福祉協議会では、行政と協働して、地域福祉計画づくりで市内8~10か所で住民座談会を開催、区長、民生委員児童委員、地域福祉協力員等との小地域での情報交換会を市内50地区で開催、地域住民支え合い事業を旧中学校区(市内5地区)で年間4~5回を目途に実施するなど、地域住民のニーズ把握に努めてきた。
〇子ども民生員活動は、“高齢者とふれあいたい”、“民生委員の仕事を知ってほしい”という小学校の校長や主任児童委員の発案で始められた。
〇子ども民生委員活動を始めるに当たっては、社会福祉協議会職員や民生児童委員が先生になり、福祉について学び、その後小学校管内の地区民生児童委員から小学校の児童への委嘱がおこなわれ、「子ども民生委員証」が手渡しで交付される。
〇土佐清水市子ども民生委員は、民生児童委員信条と同じように信条を持っている。信条は、①わたしたちは、地域の人に、笑顔で明るく、心をこめて元気よくあいさつします、②わたしたちは、地域の民生委員、児童委員の皆さんと協力して、地域の人たちとすすんで交流します、③わたしたちは、地域の人たちや友だちに愛情をもって接します、④わたしたちは、ありがとうの感謝の気持ちを忘れず、地域を大切にしますの4か条からなっている。
〇子ども民生委員は、この信条に基づき、高齢者宅を訪問したり、生き生きサロンを訪問して楽器演奏や歌の披露、レクリエーションなどを行ったり、会食をともにしている。その他、子ども目線での防災マップを作製したりもしている。
〇このような活動を通して、子ども目線で、地域で気づいたことを大人や地域に発信したりしている。他方、高齢者宅を訪問した際などに会話が続かない自分を自己覚知したり、相手の目を見て話すことの必要性を確認したり、話題や話し方の工夫をする必要性に気がつくなど自分自身の成長につながることを実感している。これこそ、子ども・青年の成長に必要な福祉教育の成果であり、高齢者等から「ありがとう」との言葉をもらって自己肯定感の高揚につながる実践となっている。
(2025年7月15日記)

 

老爺心お節介情報/第71号(2025年6月24日)

「老爺心お節介情報」第71号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

皆さまお変わりなくお過ごしでしょうか。
「老爺心お節介情報」第71号を送ります。ご笑覧下さい。
6月28日~29日の日本地域福祉学会武庫川大学大会に参加します。
皆様とお会いできるといいですね。
くれぐれもご自愛の上、ご活躍下さい。

2025年6月24日   大橋 謙策

〇皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。
〇我が家の庭は、植木が繁茂しはじめ、私が出来るところは剪定をしていますが、手に負えないところは“庭師”に入ってもらうことにしています。我が家が頼んでいる“庭師”は、京都の庭園づくりなどで修業した人で、我が家の庭を落葉樹と石畳と石灯篭、蹲、竹垣で、ちょっとした京都風庭園に衣替えしてくれました。書斎に座り、コーヒーを飲みながら庭を眺めるのはちょっとした至福の時です。“庭師”は、樹木の性質をよく知っていて、剪定もただ刈り込めばいいというものではないこと等、まるで“樹木と会話”しているが如く、剪定を進める姿は、やはりその道のプロだと感嘆しながら作業を垣間見ています。
〇4月、5月に行った家の中の断捨離も一段落しました。だいぶすっきりして、また新たな気持ちで生活が出来そうです。ちょっと前までは捨てられなかったものが、80歳を過ぎてからは、惜しげもなく捨てられる心境に我ながら驚いています。それだけ先行きを感じるのでしょうか。
〇5月、6月は各種団体の理事会、評議員会の季節です。私も“終活”に向けて、後任に譲れるところはお願いしています。その一環ではありませんが、3年前から後任を探していた(公財)テクノエイド協会の理事長職の後任がようやく見つかり、各種手続きも終わり、5月27日の理事会、6月20日の評議員会の議決を経て、6月20日付けで退任しました。2011年7月から2025年6月までの14年間務めさせて頂きました。
〇(公財)テクノエイド協会の理事長職は、1986年の(公財)テクノエイド協会創設時以来、厚生省の元局長クラスのポストでしたが、私が就任した2011年は、当時の民主党政権下において、いわゆる“事業仕分け”が行われ、かつ公益法人改革が進み、“瓢箪から駒”の類で私が理事長に選ばれました。
〇就任当時、畏友の白沢正和さんに“大橋さん、(公財)テクノエイド協会理事長職は黒塗り車付き、秘書付き、高給取りのポスト”ですかと尋ねられたが、残念ながらそのような恩典はなく、非常勤の、出勤ごとの日当が支払われるポストでした。日本社会事業大学の清瀬移転でお世話になった旧厚生省社会局の旧知の人からの依頼でもあり、就任しました。
〇一方で、(公財)テクノエイド協会の理事長職に就くことに、ある意味、とてもいいチャンスを与えて頂いたと喜びました。それというのも、WHO(世界保健機構)のICF(国際生活機能分類)を日本語版に訳するワーキンググループの仕事を仰せつかったこともあり、かつ1960年代から救貧的福祉サービスの提供でなく、福祉サービスを必要としている人々の自己実現、幸福追求を図ることが社会福祉の目的であると考えてきた私にとって、福祉機器の利活用を促進するという(公財)テクノエイド協会の業務は、社会福祉界と福祉機器の開発、普及を図る関係者との“橋渡し”ができ、日本の社会福祉の考え方の改革に少しは貢献できるという思いと願いがあったからです。
(2025年6月24日記)

Ⅰ ICFの視点でケアマネジメントの方法を活用したソーシャルワーク

〇WHOのICFの考えを厚生労働省が翻訳し、日本での普及促進を図ろうとした2000年代初頭に、畏友白澤政和さんと、これからの社会福祉研究、実践は「ICFの視点でケアマネジメントの方法を活用したソーシャルワーク」という考え方で進めなければならないと話し合ったことがある。
〇ICFの視点でケアマネジメントの方法を活用したソーシャルワークの考え方については、拙著『地域福祉とは何かの』の第1編第2部「地域での自立生活を支えるICFの視点に基づくケアマネジメント及び福祉機器活用によるソーシャルケア(ソーシャルワーク・ケアワーク)」に詳しく述べてありますのでご参照ください。
〇なお、私が理事長就任後初めての“福祉用具とICFとソーシャルワーク”とのテーマで講演をしたのが2012年11月であるが、そのレジュメを記録として再掲しておく。



Ⅱ 本の紹介

➀郷 仙太郎著『小説 後藤新平』学陽書房、1997年
〇本書の著者である「郷信太郎」は、ペンネームで、本名は東京都副知事を務められた青山佾氏である(青山佾氏は、東京都23区の公選区長として中野区の革新区政を促進された青山良道氏のご子息である)。

#1960年代から、東京都では23区の区長公選の運動が活発になり、口調は公選となった。時を同じくして、中野区を中心の教育委員会の教育委員の公選を求める運動も活発になっていた。
他方、1989年に公表された「人間性の回復の場――コミュニティ構想」では、麗しきコミュニティ作りが言われるようになり、岡村重夫先生も田端輝美先生も、奥田道大コミュニティ理論を援用して地域福祉論を展開していたが、私は「コミュニティ構想」は「自治権」亡き、住民参加で非常に危険だろ継承する論文をかいた。当時、経済同友会は「1970年代の社会問題対策思案」をだしていて、その中で、祷民活動を誘導、水路づけるのはソーシャルワーカーであると述べており、そのことへも反論した論文
きれいごとではなく、「住民自治」とは何を基盤に、どのような権限が住民にあるのかをきちんと整理した上で使わなければならない。

〇青山佾氏は、東京都の管理職でありながら、『上杉鷹山』などの本を執筆した故童門冬二に倣ったのかは知らないが、青山佾氏も東京都政策報道室長時代にこの本を書いた。
〇私はその当時、東京都福祉局、衛生局の仕事を多く手掛けていた縁で青山氏から恵贈された。恵贈された際にすぐ読んだものの、そのまま2階の納戸の書棚に収めままであった。4月、5月の断捨離の際に、この本を見つけ改めて読み直した。
〇というのも、戦前の社会事業研究の上で忘れてはならない人物の一人が後藤新平で、医師として公衆衛生に博識を持っており、その視点で台湾総督府の民生長官や東京市長、内務大臣を歴任し、公衆衛生、都市計画を推進した人物だからである。
〇戦前の社会事業は、社会政策がいまだ未分化であったせいもあるが、貧困をもたらす要因として、ベヴァリッジの5つの巨人悪ではないが、上下水道の整備や保健衛生はとても重要な分野として認識されていた。長谷川良信が『社会事業とは何ぞや』で整理しているように、生活困窮と公衆衛生、都市計画(住宅政策)などとは密接なかかわりがあり、重要な政策課題であった。後藤新平は、100年前の関東大震災からの復旧、復興にも大きな力を発揮している。
〇時代は変わり、社会政策は体系化されてきたものの、その縦割り行政の弊害が明らかになり、改めて“大所高所”からの住民の生活の向上に向けた取り組みの必要性が、とりわけ人口減少、労働力不足、超高齢化社会の進展の中で問われている。
〇過疎地の人口減少、超高齢化で呻吟している地方自治体にあっては、改めて後藤新平が志したような「福祉はまちづくり」の哲学が求められているのではないか。再読しての感想である。

②菊池新一著『遠野カッパの独り言』無明舎出版、2025年6月
〇著者の菊池新一氏は、遠野市が1990年に老人保健福祉計画を策定するときからの畏友である。
〇菊池新一氏(当時、遠野市係長)が、遠野市の老人保健福祉計画の策定アドバイザーを依頼に来た時、私は生意気にも、お飾りの、アリバイ作りのアドバイザーなら引き受けないといった。というのも、私の地域福祉研究・実践の研究スタイルは{バッテリー型の研究方法}だったので、その地域の地域づくりに責任をもって、長くかかわらないと地域づくりはできず、ありきたりの形での形式的な各種委員やアドバイザーをやりたくないと思っていたからである。
〇遠野市は、1991年3月に老人保健福祉計画ではなく、地域福祉計画の老人保健福祉編として「遠野ハートフルプラン」を策定した(遠野市の地域福祉計画づくりは『21世紀型トータルケアシステムの創造―遠野ハートフルプランの展開』万葉舎、2002年9月に詳しいので参照)。
〇遠野市の計画づくりでは、計画づくりのプロセスゴールの一つである住民座談会を68か所で行った。また、リレーションシップゴールとして市議会議員研修を3回行った。市議会議員の調査研究の一環としての研修で、はじめて「福祉のまちづくり」ではなく、「福祉でまちづくり」の必要性を提唱した。
〇『遠野カッパの独り言』には、そんなこともエピソードとして紹介されている。
〇『遠野カッパの独り言』は、菊池新一氏の遠野市役所時代とその後の認定特定非営利法人遠野山・里・暮らしネットワークの活動が紹介されている。菊池新一氏のアイデア溢れる地域づくりの実践にはただただ敬服するばかりである。これこそ地域づくりの醍醐味、楽しさだとおもえると同時に、このような構想、実践が全国各地で必要とされていることを実感する。
〇ここ、数年、長野県の人口減少、超高齢化の小規模市町村の地域福祉のあり方について考える機会が長野県社会福祉協議会から与えられているが、長野県社会福祉協議会の職員たちにとって、この本は必読の書であると思った。
〇それにしても、このような素晴らしい活動、実践を展開できる人に、1990年時に大変失礼な言い方をしたものであると反省をしている。それらの経緯は、本書で「O先生」として紹介されている。
〇本書を読んで、菊池新一氏の考え方、発想は私と非常によく似ていると思った。また、菊池新一氏はコミュニティデザイナーを標榜している山崎亮氏ともよく似ていると感じた。

➂藤原正範著『罪を犯した人々を支えるー刑事司法と福祉のはざまで』岩波新書、2024年4月
〇日本福祉大学は、1980年代から「司法福祉」を大切にしてきた大学で、山口幸雄先生、加藤幸雄先生等家庭裁判所の調査官だった方々が教員として採用されてきた。本書の著者である藤原正範氏も同じ系列の教員である。
〇藤原正範氏は、日本福祉大学ソーシャルインクルージョン研究センターの研究者たちと日本学術振興会の科学研究費に採択されたテーマで協働研究を進め、その研究成果をこの本で取り上げている。その内容は、実際の公判を傍聴しながら、司法福祉について論究している内容である。
〇本書を読んで考えさせられたことは、「更生とは、裁判の結果送り込まれる刑事施設で自分を見つめ直し人間性を回復することだという言説はフィクションである。人の立ち直りは自分自身を大切にしたいと思うことが出発点である。刑事司法手続きの中に、人を大切にする気持ちを育む機能は内包されていない」(P77)、「私は、犯罪を生み出すのは社会であり、社会の傷として犯罪が生み出されると考えている。この考え方に反発する人は多い。犯罪の責任は本人にある。第一に、本人に責任を負わせる。それができないならば家族が責任を持つべきである。そんな考えが社会にまん延している。私は、こんなふうに思うのだ。罪を犯すのは、そこに至るまでの人生の中でさまざまな事情からうまく生きることができなかった人たちである。そのさまざまな事情の中にある社会の責任は決して小さなものではない」(P203)、「刑事裁判への社会福祉士の関与について、バラ色のイメージを大きく振り撒くことは慎みたい。その活動で罪を犯した人々の地域社会への移行や定着が以前より円滑になるとは思うが、その結果、犯罪者は立ち直れるのか、犯罪被害者は救われるのか、犯罪のために生じた社会の傷を癒すことができるのか、ひいては犯罪の少ない社会に近づくことができるのかと問われると、犯罪はそんなに柔に解決できる社会問題ではないと答えるしかないだろう」(P204)という論述である。
(2025年6月24日記)

老爺心お節介情報/第70号(2025年5月10日)

「老爺心お節介情報」第70号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

お変わりありませんか。
「老爺心お節介情報」第70号を送ります。
ご活用ください。

2025年5月10日  大橋 謙策

〇皆さんお変わりありませんか。
〇季節の移ろいは早いものですね。我が家の庭に咲く花も、今は、てっせん、三寸あやめ、シャリンバイ、アッツ桜、スズラン、二人静が咲いています。庭の小さな畑では、早くもさやえんどうの収穫ができるようになりました。
〇このゴールデンウィークは、娘夫妻に手伝ってもらいながら、“老い支度”の断捨離をしました。過日から行っていた私の書斎に続いて、妻の居室の断捨離、物置の断捨離と、今更ながらよくぞ品物が詰まっているものだと感心してしまいました。出てくる子どもや孫のおもちゃ、品物、写真に目を留めては思い出話が続き、作業は捗りません。それでも“老い支度”への覚悟は妻共々意識でき、断捨離の必要性を自覚しました。
〇断捨離にともない、自分の“実際生活に必要な文化的教養”の低さに我ながら愕然としています。今まで、家事全般を妻に任せていた生活でしたので、“スーパーでの買い物の仕方”“消火器の処分のしかた”、“燃えないゴミの分別基準”、“お風呂場のカビの落とし方”、“詰まった台所の水道の対応策”等々、細々とした知識と技術のなさに情けなくなっています。〇各地の社会福祉協議会の実践の中で、“ごみ屋敷”問題が出てきますが、年老いた一人暮らしでは本当に対応が大変だということを実感する日々です。
〇今号の「老爺心お節介情報」は、この間に読んだ本の書評ではなく、本を読んでの随想を書かせて頂きました。
(2025年5月10日記)

<本を読んでの随想>

① 『過疎地域の福祉革命』(安田由加里著、幻冬舎、2024年12月、900円)

〇長野県社会福祉協議会が主催している「人口減少、超高齢化社会、限界集落の小規模市町村における地域福祉実践のあり方」について、ここ2~3年考える機会が与えられている。そのテーマにピッタリの本『過疎地域の福祉革命』が刊行された。
〇この本は、兵庫県赤穂郡上郡町という全国743あるという「消滅市町村」の一つであり、かつ総務省が過疎地として指定している885市町村の一つである町での実践の取組である。上郡町は人口約1万3000人弱で、高齢化率は40%を超えている。
〇上記の長野県の人口2000人以下の市町村に比べ、人口もまだ多く、地域資源もまだそれなりにある地域での実践であるが、何としても本のタイトルに魅せられた。
〇実践の内容は、町外からの移住者である著者(看護師)が5年前に訪問看護事業所を立ち上げ、共感する介護支援専門員、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士等リハ職、看護職、介護職が連携して地域での自立生活を支援している実践である。
〇5年前に立ち上げた事業所は、現在職員が30人規模に成長している。この事業所が取り組んだ介護予防の取組が功をなして、上郡町の介護費が2000万円削減できたという。
〇以前照会した福山市の鞆の浦地区の実践と同じように、民間事業所が柔軟な取り組みを行い、住民のニーズに応え、住民が主体的に地域課題に気づき、解決に取り組む実践は素晴らしいものである。
〇ただ、筆者としては“福祉革命”というタイトルから、新たなシステムが構築されたのかと期待していたが、それは残念ながらなかった。
〇筆者は、過疎地の地域福祉は、看護小規模多機能施設を中核として、訪問看護、訪問介護、訪問リハビリ、在宅医療診療所の医師などの専門職が連携して対応できれば、かなりの過疎地でも地域自立生活支援が可能になると提言してきた。
〇また、過疎地では、住民の年金受給額の総額と保健・医療・福祉・介護サービスに従事している人の給与の総額を合算させてみると大変な規模になっていて、それらが事実上その地域の経済を支えていることにもっと着目して、「福祉はまちづくり」という哲学で、地方自治体経営を推進していくことが重要であると提言してきた。
〇そんなことも含めて考えてきた私とって、本のタイトルにある“福祉革命”がもっと論じられているのかと思ったが、残念ながら、内容はそうではなかった。

② 『地域社会におけるウエルビーイングの構築―社会教育と福祉の対話』(松田武雄著、福村出版、2023年、3900円)

〇筆者は、「社会教育と地域福祉の学際的研究」を60年間行ってきたので、この本のタイトルに魅せられて購入し、読んだ。
〇著者の松田武雄先生は、名古屋大学教育学部出身で、筆者と同じ小川利夫先生を恩師として仰いでいる。したがって、筆者と同じように「社会教育と社会福祉の学際研究」に関心を寄せ、研究されることは不思議ではない。しかしながら、松田武雄先生のお名前および勤務先はそれなりに存じ上げていたが、著書を読むのは初めてである。それというのも、松田武雄先生は、筆者より10歳くらい若く、日本社会教育学会で久しく交わる機会もなかったからであるし、松田武雄先生の若いころの研究は、日本における社会教育成立史研究だったということもあるのかもしれない。
〇筆者は、拙著『地域福祉とは何か』のなかで、“他方、社会教育学会、社会教育政策においては、東京大学や名古屋大学の社会教育関係講座の主任教授の方々が社会教育と地域福祉と題する著作を上梓する状況であり、かつ文部科学省も「地域学校協働事業」を政策の重要な柱にする状況である”」ののべ、例えばとして松田武雄先生の『社会教育と福祉と地域づくりをつなぐ』(大学教育出版、2019年)を紹介している(拙著『地域福祉とは何か』はじめにP4参照)。
〇ところで、著者と筆者の共通の恩師である小川利夫先生が「教育と社会教育の関係」、「教育と福祉の谷間」の問題について体系的に研究したのが、この分野の研究としては実質的に嚆矢である。
〇小川利夫先生は、「教育と福祉の関り」の「今後の課題」として3点挙げている(①いわゆる児童保護をめぐる問題、いいかえるなら教育における国民的最低限保障をめぐる問題、②セツルメントをめぐる問題、いいかえるなら働く国民大衆の生活と教育に関わる問題、③いわゆるコミュニティ・オーガニゼションをめぐる問題、いいかえるなら井上友一にその一つの「原型」がみられる「自治民育」の歴史的、今日的課題(小川利夫著『社会教育研究40年』P110、小川利夫社会教育論集第8巻、亜紀書房、1992年2月)。しかしながら、小川利夫先生は①の問題に研究を焦点化させていく。
〇筆者の「教育と社会福祉」の学際的研究は、1960年代では夜間中学生やへき地教育、あるいは児童養護施設の児童の教育、さらには生活困窮者世帯の教育扶助と教育補助問題などについて行っていた。
〇しかしながら、恩師が研究課題に挙げていながら未だ手つかずの分野に取り組み恩師との研究の違いを出すことと、江口英一先生の低所得階層の生活保護世帯への転落を防ぐためには、地方自治体ごとに対人福祉サービスを整備する必要性があるという指摘や、岡村重夫先生の“新しい社会福祉の考え方としての地域福祉”という論説に影響を受けて、“社会教育と地域福祉の学際的研究”を研究課題とすることにした。
〇その成人を中心にした「教育と福祉」、地域を基盤としている「社会教育と地域福祉」の学際的研究の課題として、①地域福祉の主体形成と社会教育、②ノーマライゼーション思想の具現化に関わる福祉教育と社会教育、③高齢者のいきがい、健康増進、社会参加促進と社会教育、④退職前労働者における老後生活設計イメージ作りと社会教育、⑤外国人の福祉と社会教育、⑥国際ボランティア活動のすすめと社会教育、⑦貧困の世代継承と社会教育、⑨コミュニティワークの方法と社会教育を挙げた(拙稿「『硯滴』に学ぶー不肖の弟子の戯言と思い」小川利夫著『社会教育研究40年』所収、亜紀書房、1992年)。
〇松田武雄先生は、小川利夫先生が日本社会事業大学の教員になって、間もない1962年に執筆した「わが国社会事業理論における社会教育観の系譜――その『位置づけ』に関する考察」(日本社会事業大学紀要『社会事業の諸問題』第10集、後の1989年に上梓した『教育福祉問題の基本問題』に収録、改題して「歴史的課題としての社会福祉教育論」、筆者は日本社会事業大学紀要『社会事業の諸問題』第10集を読んで、この論文に触発されて研究者の道を志す)の改題後の『教育福祉問題の基本問題』の中の章のタイトルとして使われた「社会福祉教育」という用語を使用して、そこに従来の「福祉教育論」とは違う視点、領域を見出そうとされている。
〇小川利夫先生は、「心のリハビリ通信」第6号(1998年)の中でも、“私は、日社大時代いらい、社会福祉教育的な考察を手掛けてきたのは”と述べ、ある意味“気軽に”「社会福祉教育」という用語を使用している。

〇松田武雄先生は、「教育と福祉の関り」、「社会教育と福祉の関り」について以下のように論述している。

① 学校教育と社会教育が合わせて福祉とつながり、総称して教育福祉論ということができるのであり、大人も含めた幅広い学習権、社会権の実現を目指すことができる(同書P25)
② 社会教育と地域福祉を統合した社会教育福祉は、学校教育以上に福祉的性格の強い地域づくりへと展開している(同書P26)
たとえば、島根県松江市では、地区公民館の中に地区社会福祉協議会が設置され、社会教育活動と地域福祉活動とが一体となった住民主体の活動が行われている(同書P26)
③ 教育福祉論はもともと学校教育と福祉の「谷間」の問題として提起されたが、社会教育と福祉が結びつくことによって、社会教育福祉として地域づくりへと展開していく(同書P26)
④ 地域におい社会教育福祉を構想する際には、かつてのような行政依存ではなく、住民自治によるコミュニティ・ガバナンスの構築がその基盤となる。したがって、コミュニティ・ガバナンスを視野に入れ、社会教育と福祉とを統合した社会教育福祉という領域を構想して、現代のリスク社会、貧困社会に抗することができるような社会教育(社会教育福祉)のシステムを構築することがどのように可能なのか、という課題が登場する(同書P37)
⑤ ちなみに私は、社会教育福祉を「コミュニティにおける社会教育と福祉の融合も
しくは統合」と説明している。「融合」は社会教育福祉を機能論的に把握しようとしたものであり、「統合」はそれを構造的に把握しようとしたものである(同書P68)
⑥ 福祉の視点からすると、社会教育の目的は、学習・文化・地域活動を中心とする人間活動を通した福祉(well-being=福祉)の実現であるということもできよう。個人とコミュニティ・地域社会に福祉を実現していくために、学習・文化活動と地域活動を通した自律的な自己形成がおこなわれ、かつ個人および集団によるそのような活動に狭義の福祉活動が関わっているのであり、これらを統合して社会教育(社会教育福祉)と考えたい(同書P87)

〇筆者がこの本を読んで物足りなさを感じた点は以下の通りである。

〇ⅰ)著者は、「社会福祉」ではなく、「福祉」との対話と表題で掲げているが、その「福祉」は広井良典さんの福祉の捉え方を引用して、well―being=福祉という意味合いで使っている。それでいて、社会教育の目的もwell―being=福祉であると言っているのでは、本のタイトルの「社会教育と福祉の対話」という意味が明らかにならない。
〇筆者自身、「社会福祉」を憲法第25条から説き起こすのではなく、憲法第13条も法源として位置づける必要があり、かつ社会福祉の目的は福祉サービス利用者の“最低限度の生活保障”ではなく、幸福追求、自己実現を図ることであると1970年代から述べているので、著者が「福祉」をwell―beingと考えることには異論はない。
〇しかしながら、著者は上記の⑥のところで、「狭義の福祉活動」という“古めかしい”用語の使い方をしていることには疑問を感じる。
〇社会福祉学界では、“広義の福祉と狭義の福祉”、“社会福祉と福祉”という用語を巡って歴史的に論争してきたことを考えると、著者の社会福祉認識は浅すぎて、自分の都合の良い使い方をしているといわざるを得ない。(医療・保健・介護・福祉の連携などという場合には、「社会福祉」を短く、省略して「福祉」という言い方はされる。筆者も、このような場合にはそういう使い方をしているが、基本的には『社会福祉』と「福祉」とは使い分けている)。
〇ⅱ)もう一つの点は、地域づくりを念頭においていながら、本の著者が使う「福祉」という用語、論述の中に「地域福祉」の考え方やそれとの関りがほとんど出てこない。
〇今や、社会福祉政策においても、社会福祉実践においても「地域福祉」が主流になっている状況の中で、“大人”を中心にした「社会教育福祉」と言っておきながら「地域福祉」との関りがほとんど論述されていないのはなぜなのだろうか
〇ⅲ)社会教育福祉の例として、島根県松江市の事例(上記の②)を度々挙げているが、この松江市のシステムは、筆者が1990年ころから、松江市社会福祉協議会からの招聘を受け、3~4年間、校区毎の地域づくり、公民館連絡協議会との連携、松江市の地域福祉計画及び地域福祉活動計画づくりなどにおいて社会福祉協議会並びに行政に提言し、システム化されたもので、そうした経緯をこの本の著者は学んでいないのではないか(筆者は、松江市との「関係人口」を継続するのが難しくなり、同志社大学の上野谷加代子先生に松江市との「関係人口」による支援を引き継いで頂いた。この間の活動の成果は『松江市の地域福祉計画―住民の主体形成とコミュニティソーシャルワークの展開』(上野谷加代子・杉崎千洋・松端克文編著、ミネルヴァ書房、2006年9月)に詳しいので参照されたい。筆者も第1章「21世紀型社会システムづくりと地域福祉―福祉文化と地域福祉計画」という拙
稿を掲載している)。
〇松江市の公民館は、戦後の早い時期に文部省で主任社会教育までされた藤原英夫先生(島根県職員から文部省へ転籍。のちに甲南女子大学学長。島根県出身、松江市在住)の影響もあって、松江市では小学校区ごとに公立公民館が設置されていた。その公民館には既に保健師が配置されていた。一方、公民館には地区社会福祉協議会の事務局も置かれていた(昭和30年代後半から50年代後半にかけて設置)。
〇筆者は、長野県下伊那地域での実習体験から、この公民館にある地区社会福祉協議会の機能を活性化し、コミュニティソーシャルワーク機能を発揮できるようにした保健、社会教育、社会福祉が連携して地域づくりを進めた方がいいと判断し、公民館連絡協議会や行政にも働きかけてきた。その結果、1997年度より、各公民館に地域保健福祉推進員が配置され、かつ公民館長が地区社会福祉協議会の会長を兼ねることで、住民の主体形成とコミュニティソーシャルワーク機能とが一体的に行われるようになった。
〇松江市のこのような保健・福祉・教育を小学校区毎に一体的に展開する松江市のシステムは松江市の「関係人口」と地域とが一緒に作り上げたものである。
〇この本の著者はアクションリサーチの重要性を指摘しているが、そうだとすれば地域の現象、事象を皮相的に紹介するのではなく、アクションリサーチとしての「関係人口」と地域との関りをもっと本質的に深める考察をして欲しかった。
〇筆者のように「バッテリー型研究」方法で、各地のシステムづくりをしてきたものには、著者のこのような記述、研究方法には疑問が残る。ただし、著者は、沖縄県や長野県松本市では、地域との「関係人口」としてのつながりをもって活動していることは評価したい。

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。 この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。

阪野貢先生のブログには、「大橋謙策の福祉教育論」というコーナーがあり、その「アーカイブ(1)・著書」の中に、阪野貢先生が編集された「大橋謙策の電子書籍」があります。ご参照ください。

第1巻「四国お遍路紀行・熊野古道紀行―歩き来て自然と生きる意味を知る―」
第2巻「老爺心お節介情報―お変わりなくお過ごしでしょうか―」
第3巻「地域福祉と福祉教育―鼎談と講演―」
第4巻「異端から正統へ・50年の闘い―「バッテリー型研究」方法の体系化―」
第5巻「研修・講演録―地域福祉の過去から未来へ―」
第6巻「経歴と研究業績―地域福祉実践・研究の系譜―」
第7巻「福祉でまちづくり―支え合う地域福祉実践―」
第8巻「大橋謙策若き日の論考―地域福祉論の「原点」を探る―」
別  巻「地域包括ケア・介護・CSW・潮流と展望―理論と実践―」
ブックレット「社会福祉従事者の社会福祉観と虐待問題」

大橋謙策/大橋ブックレット 社会福祉従事者の社会福祉観と虐待問題

 


 

はじめに

〇日本社会事業大学同窓会北海道支部より、「北海道において保育所、高齢者福祉施設、障害者福祉施設等で虐待問題が起きている。ついては、同窓会支部の機関紙である『アガペ』において、『社会福祉と人権』というテーマで特集を組み、取り組みたい」ので、私にも「社会福祉と人権―社会福祉の今後―」と題して寄稿してほしい、との要請があった。
とても大事な課題であり、私なりに思うところを書かせて頂きたいと思った。しかしながら、大学教員退任後、社会福祉に関わる事象、事案、研究を網羅的に、かつ継続的にウオッチングしていないので、十分ご期待に沿えるかわからないが、本稿を書かせていただいている。そういう意味では、学術論文というより、エッセイ風な論考と捉えて頂きたい。
〇社会福祉実践現場などにおける虐待の問題は、法的には、①身体的虐待、②性的虐待、 ③経済的虐待、④ネグレクト、⑤心理的虐待に分類される。その虐待は現象的には職員一人一人の資質の問題として捉えられる。しかしながら、その背景にある社会構造としては、ケアの考え方、日本人の人権感覚、社会福祉従事者の人権感覚、社会福祉法人の経営・運営の在り方等、その背景と構造の分析は単純ではない。
〇筆者としては、それらの背景も含めて、以下のように論稿を構成したいと思っている。1回の寄稿では終わらないので、その旨ご了承頂きたい。

① 日本国民の文化と福祉文化――私が50年間闘ってきた「社会福祉通説」の問題
② 憲法第25条に基づくケア観と憲法第13条に基づくケア観の相違
③ 福祉サービスを必要としている人の「社会生活モデル」に基づくアセスメントと医学モデルに基づくアセスメント
④ 福祉サービスを必要としている人のナラティブ(物語)を基底とした「求めと必要と合意」に基づく支援方針の作成(ICFの視点と福祉機器の利活用)
⑤ 入所型施設の運営・経営理念、方針と提供されるサービス
⑥ 勤務先の“劣悪な労働環境”とキャリアパス等の職員資質向上の取り組み

Ⅰ 日本国民の文化と福祉文化――筆者が50年間闘ってきた「社会福祉通説」の問題

〇筆者は、高校時代に島木健作の『生活の探求』を読んで、日本社会事業大学への進学を決めた。高校の教師や親類縁者からは、なぜ日本社会事業大学のようなところを選択するのかと“奇人・変人”扱いであった。
〇そのような環境の下での日本社会事業大学での学習であったが、授業内容は必ずしも筆者が望んでいたこととは違っていた。その大きな要因が、アメリカからの“直輸入”的社会福祉方法論を“金科玉条”のごとく位置づけることと、「福祉六法」に基づくサービスの提供であった。
〇その当時の社会福祉方法論は、アメリカで1930年代に確立した考え方であり、WASP(ホワイト、アングロサクソン、プロテスタント)の文化を基底として成立してきた考え方、方法論であり、精神医学、心理学にかなり影響された考え方であった。
〇そのような中、筆者は日本の文化、風土に即した社会福祉の考え方、方法論があるのではないかと考え呻吟する。
〇当時、一番ケ瀬康子先生が「福祉文化」という用語を使用していくつか論文を書いており、自分の研究の方向もその方向ではないかと考え、“文化論”について研究したが、奥が深く、かつ掴まえ所がなく、その研究を中断した。

註1:一番ケ瀬康子先生は、1989年に「福祉文化学会」を創立している。
註2:筆者は、2005年に「わが国におけるソーシャルワークの理論化を求めて」(『ソーシャルワーク研究』31巻第1号)を書き、中根千枝の「タテ社会論」、
阿部謹也の「世間体文化論」等を援用して、日本のソーシャルワークの理論化を論証した。

〇この日本文化は根が深く、簡単に因果関係を証明できないので、研究は中断したが、常に頭にこびりついて離れない。
〇日本では、子育てする際の文化として、“禁止と命令”によって、枠にはめようとする文化がある。常に、集団的価値観が尊重され、同調志向が強く、“逸脱”したものを排除、蔑視する傾向が強い。これは、学校教育における画一的教育方法であるベル・ランカスター方式の影響でもある。是非、『6か国転校生―ナージャの発見』(集英社)を読んでほしい。
〇そのような中、筆者は、戦前の社会事業理論における精神性と物質性に関する研究を行い、そのあり方を問うことが日本の社会福祉実践、研究を変えることになると確信していく。
〇結果として、筆者は地域福祉と社会教育の連携、学際研究に関心を寄せるようになり、その実践のフィールドを公民館や社会福祉協議会に求めていくことになる。
〇ところで、筆者は自分自身としては社会福祉の研究者であり、それを岡村重夫が提唱した “社会福祉の新しい考え方としての地域福祉“(岡村重夫説・1970年)という考え方に依拠して展開しようと考えていたが、そのような筆者の研究姿勢は、多くの社会福祉学研究者には理解されず、日本社会事業大学の教員からも、”大橋謙策は社会福祉研究のプロパーではない“という批判、評価を受けた。また、日本社会事業大学の清瀬移転に際し、大学院創設の文部省への申請書を審査した某有名大学の某教授も”あなたの論文は社会福祉の論文ではない“という評価を下した。
〇そのような中、筆者は、従来の社会福祉通説とは異なる新しい社会福祉実践、社会福祉学研究を求めて、社会福祉学界への抵抗の地域福祉研究50年を送ることになる。
〇その既存の社会福祉通説への批判と新たな社会福祉実践、社会福祉研究の論題は以下の通りであった。

ⅰ) 大河内一男の労働経済学(「我が国における社会事業の現状と将来について」昭和13年論文)を基盤とする社会福祉研究への批判
ⅱ) 社会権的生存権保障としての憲法第25条の「ウエルフェアー」から、憲法第13条に基づく幸福追求、自己実現支援の「ウエルビーイング」への転換(1973年論文)――障害者の学習・文化・スポーツの保障、「快・不快」を基底としたケア観、
ⅲ) 属性分野で細分化された福祉サービス、福祉行政の再編成と地域自立生活支援
ⅳ) 社会福祉施設中心主義と施設の社会化、地域化論(「施設の社会化と福祉実践」(日本社会福祉学会紀要『社会福祉学』第19号所収、1978年論文)
ⅴ)社会福祉の国家責任論オンリーではなく、社会保険の国家責任論と対人福祉サービスの市町村責任論との分離
ⅵ) 社会福祉の行政責任論ではなく、経済的給付、システムづくりにおける行政責任と地域自立生活支援における住民との協働による対人援助――べヴァリッジの第3レポートの位置、1601年「Statute Charitable Uses」研究、憲法第89条の桎梏からの脱却、2008年「地域における「新たな支えあい」を求めて」(厚労省研究会報告書―2016年地域共生社会政策の前史になる報告書)
ⅶ)社会事業における精神性と物質性――戦後の社会福祉は物質的対応で解決できると考えてきたことの誤謬――「救済の精神は精神の救済」(小河滋次郎、戦前方面委員の理念)

〇筆者は、1984年に書いた論文で、社会福祉研究者、社会教育研究者は“出されてきた政策には敏感であるが、政策を出さざるを得ない背景には鈍感である“と述べ、住民のニーズに即応したサービスの提供、地域づくりの必要性を説いている。
〇それは、対人援助として社会福祉を提供する際に、かつ地域づくりを展開する際における住民参加と住民のニーズを基点に考えるということである。
〇従来の社会福祉行政には、住民参加の規定もなければ、住民の相談、ニーズを「社会福祉六法体制」の基準に該当するかどうかで判定することや、措置行政の枠組みの中でサービスを提供すれば良いという考え方に対する批判でもあった。
〇そのような中、1970年代に、なぜ市町村社会福祉行政は計画行政でないのか、また、地方自治体の社会福祉施設整備計画がないのかを問い、市町村ごとに社会福祉計画を立案する必要性を説いた。
〇1980年には「ボランティア活動の構造」という図を示し、一般的隣近所の紐帯を強める地域づくり活動、地域にいる福祉サービス利用者を支える地域づくり、それらを社会福祉計画策定により解決していくという「自立と連帯に基づく社会・地域づくりのボランティア活動の構造」という図を作成した。
〇児童福祉法には市町村に児童福祉審議会を設置することが「できる」規定があり、かつ、民生委員法第24条に規定される意見具申権という規定、考え方を基に、当時、いくつかの自治体において、住民参加を保証する「社会福祉審議会」、「地域福祉審議会」の設置を求める提案をしている。

註3:東京都狛江市は、住民参加を規定した「市民福祉委員会」を条例で1994年に設置している。同じ頃、東京都目黒区でも「地域保健福祉審議会」が設置された。筆者の地元の稲城市では1980年代初めに「社会福祉委員会」を設置するが行政による要綱設置であった。東京都豊島区でも要綱設置であった。

〇このような住民参加による、住民のニーズに対応したサービスの提供という考え方が、多くの社会福祉行政、社会福祉従事者に共有されていれば、少なくとも“虐待”が起きる社会的背景、構造は違ってくる。
〇しかしながら、現実は、そのような住民のニーズに応えて、住民参加で社会福祉施設が作られたわけでなく、かつ、その社会福祉施設は措置行政によって、長らくサービス利用者を“収容保護する”という構造のなかで、“閉ざされた空間”に置いて福祉サービスが提供されるという構造の中で“虐待”事案として発生する。
〇社会福祉施設が、1978年に書いた論文のように、地域に開かれ、地域住民の共同利用施設として位置づけられ、運営、経営されているならば、“虐待”という事案は少しは防げるのではないだろうか。

Ⅱ 憲法第13条及び「快・不快」を基底としたケア観と「社会福祉観の貧困」、「人間観の貧困」「貧困観の貧困」「生活観の貧困」

〇筆者は、日本社会事業大学の講義で、よく「社会福祉観の貧困」「人間観の貧困」「貧困観の貧困」「生活観の貧困」という用語を使用して講義をしてきた。
〇それは、社会福祉を志している学生が陥り易い社会福祉観を問い直す作業過程として、その用語を使ってきた。
〇筆者は、社会福祉を憲法第25条からだけ説き起こすのではなく、それとともに憲法第13条からも説き起こすべきだと1960年代末から言ってきたし、論文にも書いてきた。
〇憲法第25条の社会権的生存権の規定は、人類が歴史的に獲得してきた権利であり、国民のセーフティネット機能として重要であることは重々分かったうえで、それだけだと提供される社会福祉サービスがちまちました“最低限度の生活保障”の域を出ないことになるし、その反動として、社会福祉サービスを提供する側のパターナリズムが避けられないと考えてきたからである。
〇それらのことを実感する機会はいくつもあるが、その一つは1970年に女子栄養大学に助手として採用され、勤務し始めて改めて痛感したし、同じく1970年から始めた聖心女子大学の非常勤講師の勤務からも痛感させられた。
〇女子栄養大学では、昼食を大学の食堂で摂るのだけれど、その食堂はキャフェテリア方式で、自分の好み、自分の懐具合、自分が食べたい分量を自分で考えるという“主体性”が常に求められる。
〇当時の社会福祉施設の食事は盛っ切りで、自分(福祉サービス利用者)の主体的選択の余地はなく、かつ食器も割れない食器で供されていた。日常生活における食事の持つ意味、食事に伴う生活文化などを女子栄養大学でいろいろ教わった。
〇当時、島根県出雲市の長浜和光園がバイキング方式の食事を提供し始めていて、社会福祉施設における食事に関わる問題の重要性を随分と学ばせてもらった。食事を通して学ぶ食文化、食事の場における会話、食事を作る生活技術など日常生活における食事の持つ意味は大きい。女子栄養大学では、当時核家族化が進む中での“子どもの孤食”の問題が大きく取り上げられていた。
〇筆者は、当時の女子栄養大学で社会福祉の科目を受講している学生に、夏休みの宿題として、社会福祉施設を訪問し、その施設の食事の実態を分析するレポート課題を出した。そのレポートに書かれた当時の分析と今日とを比較出来たらとても良かったと思うのだけれど、そのレポートは女子栄養大学を退職した際に、廃棄処分してしまったことが残念である。
〇他方、聖心女子大学でも社会福祉の科目を教えていたが、同じように夏休みの宿題として、社会福祉施設を訪問してボランティア活動を行い、学生なりの社会福祉施設の評価を求めるレポートを課した。その際、学生から質問があった。訪ねる社会福祉施設は日本の社会福祉施設でなければ駄目かという質問である。その学生は、夏休みに入ると同時に、父母がいる海外へ行くという。その海外の社会福祉施設の訪問記でもいいのかという質問であった。そのような境遇の学生が数人いた。日本と海外の社会福祉施設との比較が図らずも行うことができた。社会福祉施設を取り巻く福祉文化の違いを期せずして学生同士で論議できたことはおもしろかった。
〇1992年、筆者は日本社会事業大学の長期在外研究が認められ、イギリスに半年間滞在した。それも、筆者はロンドン大学などへの派遣ではなく、自由にさせて頂いた。
〇筆者は、ロンドンのケンジントン&チェルシー区に滞在し、区内にあるホスピスやボランティアセンターなどに出入りさせてもらった。ホスピスでは、余命いくばくもない人々が、私が訪問する度に、私に向かって“エンジョイしているか”と尋ねられる日々であった。そのホスピスでは、余命いくばくもないのに、ドリンキングパーティもあり、かつ犬のボランティアも登録されていて連れてこられたり、浴室にはカラフルな壁画が描かれていたりという福祉文化の違いを様々な形で私に問いかけてきた。
〇筆者は、憲法第13条に基づく社会福祉観を考える場合、生活上の様々な事象に対し「快・不快」を基底として、生活を楽しむ、生活を再創造するというリクリエーションが大切ではないかと考え、1980年代後半に、日本社会事業大学の故垣内芳子先生や日本レクリエーション協会の園田碩哉さん、千葉和夫さん(のちに日本社会事業大学の教員)、淑徳短期大学の木谷宜弘先生(元全社協ボランティア活動振興センター長)等と“社会福祉における文化の問題、レクリエーションの位置”について研究を行った。社会福祉施設の食事、社会福祉施設のインテリア、社会福祉施設職員のユニフォーム、行動規範などについて調査研究を行った。その結果は、1989年4月に『福祉レクリエーションの実践』(ぎょうせい)として上梓された。その『福祉レクリエーションの実践』には、筆者が日本社会事業大学研究紀要第34集に寄稿した「社会福祉思想・法理念にみるレクリエーションの位置」と題する論文が収録されている。
〇その論文では、ⅰ)社会福祉とレクリエーション、ⅱ)レクリエーションの捉え方の視角、ⅲ)西洋の社会福祉思想とレクリエーション及び娯楽、ⅳ)日本における社会福祉思想にみるレクリエーション及び娯楽、ⅴ)社会福祉六法の目的と生活観、ⅵ)施設最低基準にみる生活観、ⅶ)在宅生活自立援助ネットワークの構成要件、ⅷ)在宅福祉サービスの供給方法と施設整備の在り方について論述している。
〇この論文では、権田保之助の社会事業や娯楽の捉え方を踏まえつつ、如何に社会福祉法の目的が狭隘であるかを論述した。と同時に、入所型社会福祉施設のサービスを分解して、地域で住民の必要と求めに応じてサービスパッケージをすれば、社会福祉施設の位置と役割が変わることを指摘している(当時はケアマネジメントという用語は使われてなく、筆者は必要なサービスをパッケージして提供するという意味でサービスパッケージという用語を使用していた)。
〇1996年に総理府の社会保障審議会が社会保障の捉え方を見直し、事実上福祉サービスを必要としている人のその人らしさを支えるサービスに転換させる勧告を出す。憲法第25条に基づく“最低限度の生活保障”への偏りを反省し、事実上憲法第13条を法源とする社会保障、社会福祉への転換が求められた。
〇しかしながら、相も変わらず社会福祉分野では、“上から目線のサービスを提供してあげる”という考え方や姿勢が蔓延っているし、生活を楽しく、明るく、楽しむ自立生活支援にはなっていない。
〇社会福祉分野では、故一番ケ瀬康子先生等が「福祉文化学会」を設立し、社会福祉サービスの考え方や社会福祉における文化性について研究を推進してきたが、その研究枠組みは必ずしも私の先の論文の枠組みとは同じではない。
〇他方、1970年代から播磨靖男さんたちのわたぼうしコンサートを始めとして、社会福祉の枠にとらわれない障害者文化の向上に貢献する実践があるが、それらがどれだけ社会福祉分野に影響を与えて、社会福祉の質を変えたかは定かでない。
〇個々人の福祉サービスを必要としている人の「快・不快」を基にしたケアの提供を考えたならば、従来の入所型社会福祉施設で行ってきたケアが、いかにケアする側の論理、都合で提供されているかが分かるであろう。
〇日本人の文化と社会福祉との関りについては、本連載第1回でも書いたが、社会福祉関係者もケア提供者も、福祉サービスを必要としている人を「枠組み」に当てはめ、その「枠組み」の中の人間は同じだという“錯覚”にも似た“思い入れ”で対応し、「枠組み」の中の人、一人ひとりを丁寧に見て、その人の“思い”や“願い”をきちんとアセスメントしようとしない「文化」を持っている。
〇障害者といっても、障害の状態、障害の種類によっては全然違うし、障害者の中の発達障害者を見ても、その行動様式、“こだわり”は全部違うといってよい。なのに、それらの人々を一括りにして対応しようとするケア観が蔓延っている。
〇人間を見るのに、「枠組み」からのみ見たり、レッテルを貼ってみる人間観を変え、一人ひとり異なる存在であり、その異なる存在を受容し、関係性を豊かに持てるようにしていかないとケアの現場だけで問題を解決できると思うのは誤りだとさえいえる。
〇虐待の背景、深層心理には、日本人が陥っているその人のおかれている属性や枠組みから人間を捉える抜きがたい文化がある。
〇このような日本人が“身に着けている文化”を払しょくし、新しい人間観の基でのケア観を構築していくことが“急げば回れ”の諺ではないが重要である。そのため、小さい時からの、多分化を学び、一人一人のナラティブを尊重する福祉教育の実践の推進が求められている。

Ⅲ 情感的ケア観からアセスメントに基づく科学的ケア観への転換―「求めと必要と合意」に基づく支援

〇日本の医療の発展の要因の一つは、症状、病変の事象から、それがどこに起因するのかを診断する検査技術の発展が大きく貢献してきたと筆者は考えている。かつては、脈を取ったり、へらで舌の状態を観察したり、聴診器で心臓の鼓動や呼吸を確認するといった診断法が、今ではレントゲン、尿検査、血液検査、MRI、CTスキャナーといった検査機器の開発により、症状、病変の診断は特段に向上してきている。それらの検査を担う検査技師の養成、資格まで確立してきている。
〇かつて、巷で言い交された“あのやぶ医者は!”といった言葉は今日では死語になっている。
〇それに比して、社会福祉分野では、長らく中央集権的機関委任事務体制のもとで、サービス利用者が行政により認定され、その人たちが行政の委任を受けた措置施設で生活を送ることを前提に、その人のADL(日常自立生活能力)が低くければ、それを補完する“世話”として三大介護と呼ばれる排せつ介助支援、食事摂取支援、入浴介助支援が展開されてきた。
〇そこでは、措置されたサービスを必要としている人の生活を向上させるために、何をするべきか、何に気を付けるべきかの診断という発想は事実上なかったといっても過言ではない。
〇1971年の「社会福祉施設緊急整備計画」の中では、それら福祉サービスを必要としている人々を施設に“収容保護”し、いわゆる“最低限度の生活を保障すればいい”という考えで貫かれていたといっても過言ではないであろう。
〇1971年以降の「入所型社会福祉施設中心の時代」においては、ある意味、措置された福祉サービスを必要としている人の生活を“丸ごと抱え込んで支援する”という発想のもとに、その利用者の個々の差異には着目せず、同じ生活リズムで、集団的に生活を“させる”というケアを提供する職員側の立場、視点からの対応の仕方で済まされてきた。
〇しかしながら、1990年の社会福祉八法改正“により、在宅福祉サービスが法定化され、かつ地方分権の下で中央集権的機関委任事務体制の改革が求められるようになると、状況は変わる。
〇在宅福祉サービスを利用している人は、一人ひとり生活環境も違うし、行動様式も異なるし、同一空間で集団生活をしているわけではない。それだけに、在宅福祉サービスを利用している人の支援には個々人の生活状況や本人の希望を尊重したサービスの提供が求められるようになる。
〇筆者は、1987年に書いた論文「社会福祉思想・法理念におけるレクリエーションの位置」(日本社会事業大学研究紀要第34集所収、1988年刊)において、入所型施設で提供しているサービスの分節化と構造化の必要性を提起した。それは福祉サービスを必要としている人の状況に応じて分節化させたサービスの中から必要なものを選択し、パッケージ化(当時、ケアマネジメントという用語はなかった)させれば画一的なサービス提供にもならず、かつ在宅福祉サービスの個々人の状況に対応できるということを提起した。

註1: 拙著『地域福祉とは何か――哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク』(中央法規出版、2022年4月刊、P32参照)

〇このことを進めるためには、福祉サービスを必要としている人は何を望んでいるのかその人の希望、願い、思いをきちんと受け止めなければならないし、同時に福祉サービスを必要としている人にケア・支援を行う専門職が、その人にはどういうサービスが必要であるかを診断したうえで支援する必要があることも提起した。
〇筆者の言い方で言えば、福祉サービスを必要としている人の求め、希望と専門職が生活支援上必要と考えることを出し合い、両者の合意で在宅福祉サービスの提供を考えていくという「求めと必要と合意」に基づく支援のあり方である。
〇ところで、福祉サービスを必要としている人々への支援において、よほど気を付けないと無意識のうちに“上から目線”の世話をしてあげるというパターナリズムになりがちになる。
〇福祉サービスを必要としている人はさまざまな心身機能の障害や生活上の機能障害において要介護、要支援の状態に陥っているので、ついつい福祉サービス従事者はその機能障害を改善、補完するために“いいことをしてあげる”という意識になりがちである。それは、一見“善意”に満ちた行為として考えられがちであるが、福祉サービスを必要としている人の意思や主体性を尊重しての“誠意”ある行為といえるのであろうか。
〇また、福祉サービスを必要としている人で家族と同居している場合には、福祉サービスを必要としている人本人の意思よりも、同居している家族が家族自身の“思い”、“願い”を福祉サービス従事者に話され、その家族の希望が優先され、ややもすると福祉サービスを必要としている本人の意向や意思は無視されがちになる。
〇ましてや、福祉サービスを必要としている人は、日常的に同居している家族に普段から迷惑をかけているからという“負い目”もあり、家族に遠慮して、自分の意向、意思を表明しない場合が多々ある。
〇日本の戦後の社会保障・社会福祉制度設計は、家族がおり、家族が“助け合う”ことを当たり前のように前提として設計されてきたために、福祉サービスを必要としている人本人の意思や希望は家族の前では搔き消されてしまいがちであった。
〇イギリスのブラッドショウは1970年代に、住民の抱える生活上のニーズを4つに類型化(①本人から表明されたニーズ、②住民は生活上の不安や不満、生活のしづらさを抱えているが表明されていないニーズ、③住民自身は気が付いていないし、表明もしていないが専門職が気づき、必要だと考えられるニーズ、④社会的にすでにニーズとして把握され、対応策が考えられているニーズ)した。
〇この類型化されたニーズにおいて、日本の社会福祉分野において気を付けなければならないニーズ把握の問題は、②の住民が生活上様々なニーズがあるにも関わらず気が付いていないか、自覚しておらず、表明されていないニーズである。
〇日本の“世間体の文化”、“忖度の文化”、”もの言わぬ文化”に馴染んで生活してきた国民は、自らの意思を表明することや自らの希望や願いを表明することに多くの人が躊躇してしまう。したがって、本人が自分の意見や気持ちを表明しないのだからニーズがないのだろうと解釈するととんでもない間違いを起こすことにもなりかねない。それらのニーズは潜在化しがちで、対応が遅れることになる。
〇一方、専門職が気づき、必要と判断するニーズにおいても、社会生活モデルに基づくアセスメントやナラティブに基づく支援方針の立案が的確に行われていればいいが、上記したようなパターナリズムでのアプローチをしている場合には専門職の判断が必ずしも妥当であると言えない場合が生じてくる。
〇イギリスでは、1990年の法律により、福祉サービスを提供する際には、その援助方針やケアプラン及び日常生活のスケジュール等を事前に本人に提示し、本人の理解を踏まえて提供することが求められるようになったが、2005年の「意思決定能力法」ではよりその考え方を重視するように法定化された。
〇日本の民法の成年後見制度や社会福祉法の日常生活自立支援事業が福祉サービスを必要としている人が自ら意思決定できないことを判定するということを前提にして制度設計されているのと違い、イギリスの「意思決定能力法」は日本と逆の立場を取っている。
〇「意思決定能力法」は①知的障害者、精神障害者、認知症を有する高齢者、高次脳機能障害を負った人々を問わず、すべての人には判断能力があるとする「判断能力存在の推定」原則を出発としており、②この法律は他者の意思決定に関与する人々の権限について定める法律ではなく、意思決定に困難を有する人々の支援のされ方について定める法律であるとしている。その上で、③「意思決定」とは、(イ)自分の置かれた状況を客観的に認識して意思決定を行う必要性を理解し、(ロ)そうした状況に関連する情報を理解、保持、比較、活用して 、(ハ)何をどうしたいか、どうすべきかについて、自分の意思を決めることを意味する。したがって、結果としての「決定」ではなく、「決定するという行為」そのものが着目される。意思決定を他者の支援を借りながら「支援された意思決定」の概念であるとしている。
〇日本だと、“安易に”、あの人は判断能力がないから、脆弱だから“その意思を代行してあげる”ということになりかねない。言語表現能力や他の意思表明方法を十分に駆使できない障害児・者の方でも、自分の気持ちの良い状態には〟“快”の表情を示すし、気持ち悪ければ“不快”の表現ができる。福祉サービス従事者は安易に“意思決定の代行”をするのではなく、常に福祉サービスを必要としている人本人の意思、求めていることを把握することに努める必要がある。
〇その上で、本人が自覚できていない人、食わず嫌いでサービス利用の意向を持てていない人に対し、専門職としてはニーズを科学的に分析・診断・評価し、必要と判断したサービスを説明し、その上で、両者の考え方、プランのあり方を出し合って、両者の合意に基づいて援助方針、ケアプランを作成することが求められている。

註2:菅冨美枝「自己決定を支援する法制度・支援者を支援する法制度――イギリス2005年意思決定能力法からの示唆―」法政大学大原社会問題研究所雑誌No822、2010年8月所収)参照

Ⅳ ナラティブ(人生の物語)を大切にした支援―福祉サービスを必要としている人のアセスメントを「医学モデル」から「社会生活モデル」へー

〇筆者は、1970年頃から、社会福祉学研究、社会福祉実践において労働経済学を理論的支柱にした経済的貧困に対する金銭給付と憲法第25条に基づく最低限度の生活保障の考え方では国民が抱える生活問題の解決ができず、新たな社会福祉の考え方が必要であると考え、提唱してきた。
〇筆者が考える社会福祉とは、その人が願うその人らしさの自立生活が何らかの事由によって阻害、停滞、不足、欠損している状況に対して関わり、その阻害、停滞、不足、欠損の要因を除去し、その人の幸福追求、自己実現を図れるように対人援助することだと考えた。
〇その場合の“自立生活”とは、古来から“人間とは何か?”と問われてきた課題を基に6つの要件(ⅰ)労働的・経済的自立、ⅱ)精神的・文化的自立、ⅲ)身体的・健康的自立、ⅳ)生活技術的・家政管理的自立、ⅴ)社会関係的・人間関係的自立、ⅵ)政治的・契約的自立)があると考えた。
〇と同時に、それらの6つの「自立生活」の要件の根底ともいえる、その人の生きる意欲、生きる希望を尊重し、その人に寄り添いながら、その人が望むナラティブ(人生の物語)を一緒に紡ぐ支援だと考えてきた。
〇戦前の生活困窮者を支援する用語に「社会事業」という用語がある。この「社会事業」には、積極的側面と消極的側面とがあるといわれており、その両者を統合的に提供することの重要性が指摘されていた。積極的側面とは、その人の生きる意欲、希望を引き出し支えることで、消極的側面は生活の困窮を軽減するための物質的援助のことを指していた。消極的側面は、気を付けないと“人間をスポイルする”危険性があることも懸念されていた。
〇現在の民生委員制度の原型である大阪府の方面委員制度を1918年に大阪で創設した小河滋次郎は、“その人を救済する精神は、その人の精神を救済することである“として、「社会事業」における積極的側面を重視した。しかしながら、戦後の生活困窮者を支援する「社会福祉」は積極的側面を実質的に“忘却”してしまい、物質的援助をすれば問題解決ができると考えてきた。
〇憲法第25条の最低限度の生活保障では消極的側面の対応でよかったのかもしれないが、憲法第13条に基づく幸福追求の支援ということでは、高齢者のケアであれ、障害者のケアであれ、生活困窮者の支援であれ、その人が送りたい“人生”、その人が願う希望をいかに聞き出し、その人の生きる意欲、生きる希望を支え、伴走的に支援していくことが求められる。
〇従来の社会福祉学研究や社会福祉実践では、「療育」、「家族療法」、「機能回復訓練」などの用語が使われており、その人らしさの生活を尊重し、支援するということよりも、ややもすると専門職的立場からのパターナリズム的に“治療・療”し、“問題解決”を図るという目線に陥りがちであった。
〇また 従来の社会福祉学や社会福祉実践では、よくアブラハム・マズローの「欲求階梯説」が使われが、この考え方も気を付けないといけない。
〇アブラハム・マズローがいう生理的欲求、安全の欲求、愛情と所属の欲求、自尊と承認の欲求、自己実現の欲求の6つの欲求の項目の意味は重要であるが、それらの項目において、下位の欲求が満たされたら上位の欲求が生じるという“欲求階梯説”はどうみてもおかしい。人間には、自ら身体的自立がままならず、他人のケアを必要としている人であっても、当然その人が願うナラティブ(人生の物語)があり、それを自己実現したいはずである。
〇その際、福祉サービスを必要としている人自らが自分の希望、欲求を表出できるとは限らない。福祉サービスを必要としている人の中には、さまざまなヴァルネラビリティ(社会生活上のさまざまな脆弱性)を抱えている人がおり、自らの願いや希望を表出できない人がいる。更には、障害を持って生まれてきたことで、多様な社会体験の機会に恵まれず、一種の“食わず嫌い”の状況で、何を望んだらいいのかも分からない人という生活上の“第2次障害”ともいえる状況に陥っている人もいる。このような人々の場合には、その人の“意思を形成する”ことに関わる支援も必要になってくる。
〇日本の社会福祉関係者の中には、1981年に世界保健機関で制定されたICIDH(国際障害分類)に基づくアセスメントを無意識に、いまだ利活用している人がいる。
〇ICIDHは、その人の心身機能に障害があるかどうかを診断し、その人の心身機能の障害がその人の能力不全をもたらし、ひいてはそのことがその人の社会生活上において不利をもたらすというImpairment――Disability――Handicapの関係を直線的に描くもので、心身機能の不全を診断することを基底とする「医学モデル」と呼ばれるものである。
〇この「医学モデル」は、ある意味わかりやすい構造になっているので、今でも多くの社会福祉関係の底層の心理として位置づいてしまっているが、これによる支援は機能障害を直すか、直せないまでもそれを補完するというレベルの支援になってしまう。
〇WHOは2001年にICF(国際生活機能分類)を発出し、ICIDHからICFへの転換を求めた。
〇ICFは、福祉サービスを必要としている人の生活環境を変えれば、従来のICIDHでは機能障害によりできないと思われていたことができるかもしれないので、その福祉サービスを必要としている人の“最低限度の生活保障”という考え方でなく、福祉サービスを必要としている人の生活環境を変えて、その人の自己実現を図る支援への転換を求めたものである。
〇ICFの考え方と昨今の急速な福祉機器の開発により、福祉現場は急速に変わらざるを得ない。介護ロボットや障害者のコミュニケーションを保障する福祉機器の導入如何では、従来の障害児・者、高齢者などの福祉サービスを必要としている人への支援のあり方は全く違うものになってしまう。
〇このような背景も踏まえて、筆者は従来の「医学モデル」に基づく診断(アセスメント)ではなく、社会生活上に必要な機能があるかないかを基に診断する「社会生活モデル」に基づくアセスメントの必要性を提起している。
〇「社会生活モデルに基づくアセスメントシート」の図の表頭の大項目に基づきアセスメントを行うことが、ケアの科学化には必須である。
〇今日のように、福祉機器の開発やICT、IoTが急速に進展している状況の下では、福祉サービスを必要としている本人は福祉機器を使ったら自分の生活がどのように変容するのかのイマジネーション(想像性)をもてない人がいる。そのような人々に対し、イマジネーションがもてるようにし、新たな人生を作り出すクリエーション(創造性)機能も重要な支援となる。
〇従来の社会福祉実践は、福祉サービスを必要としている人の「できないことに着目し、できないことを補完・補填する目的で、してあげるケア観」に陥りがちであった。幸福追求、自己実現を図るケア観に立つと、福祉サービスを必要とする人の「できることを発見し、それを励ますケア観」が重要になる。
〇今の社会福祉実践には、その人の生育歴におけるナラティブ(narrative:身の上話、経験などに関する物語)に着目し、その人が望む人生を創り上げることに寄り添い、支援することが求められている。

〇今まで3回に亘り、「虐待問題」が起きる根源的背景として、あるいは深層心理として持っている日本国民が有している文化的要因と社会福祉観、人間観について論述したうえで、ケア観の検討並びに画一的ケア観から個別支援におけるアセスメントとそれに基づくケアの必要性について述べてきた。
〇今回は、それらを踏まえて、虐待の定義、現状について整理した上で、今後の「虐待問題」の検討すべき課題を提示したい。

Ⅴ 虐待防止の法的定義と類型及び現状

〇虐待の問題は、子ども分野、障害者分野、高齢者分野において、共通する部分もあれば、異なる部分もあるので、虐待の法的定義とその類型及び状況については分野ごとに整理することとしたい。

① 高齢者分野における法的定義と虐待の類型及び現状
〇高齢者分野における虐待に関する法律は、2005年に制定された「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援などに関する法律」(以下「高齢者虐待防止法」という)がある。
〇その法律では、高齢者虐待の類型及び養護の定義を以下のように定めている。

ⅰ 虐待の種類  身体的虐待、介護・世話の放棄・放任、心理的虐待、性的虐
待、経済的虐待
ⅱ)高齢者とは65歳以上の者をいう
ⅲ 「養護者」とは、高齢者を現に養護する者であって養介護施設従事者等以外
の者をいう
ⅳ)養介護施設従事者とは、介護保険法、老人福祉法等における業務に従事する者

〇高齢者虐待の状況は、厚生労働省が公表した令和4年度(2021年度)の「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律に基づく対応状況などに関する調査結果」を基にした。ここでは、気になる項目を中心に抜粋しているので、詳しくはその調査を参照願いたい。
〇養介護施設従事者等による高齢者虐待の相談・通報件数と虐待件数の推移ば、2022年度において相談件数は2795件(虐待と判断された件数は856件)で、前年度比16・9%の増となっている。
〇「高齢者虐待防止法」が制定された翌年の通報件数が273件(虐待と判断された件数54件)であったことを考えるとその増加件数は約10倍で、高齢化率の増加を考えたとしても、かつ「高齢者虐待防止法」の周知度が高まったとしても大幅な伸びとなっている。
〇他方、養護者による虐待についてみると、2022年度の通報件数は38291件(虐待と判断された件数16669件)で、前年度比5・3%の増となっている。
〇「高齢者虐待防止法」が制定された翌年の通報件数が18390件(虐待と判断された件数12569件)と比較しても増大している。
〇ただし、養介護施設従事者等による高齢者虐待の相談・通報件数と虐待件数の増大が約10倍なのに対し、養護者による虐待の通報件数では約2倍(虐待と判断された件数では約1・3倍)なので、如何に養介護施設従事者等による高齢者虐待が増大していることが見て取れる。
〇虐待が起きた養介護施設の種類別では、「特別養護老人ホーム」が最も多く、274件(32・0%)、次いで「有料老人ホーム」が221件(25・8%)、「認知症対応型共同生活介護(グループホーム)」が102件(11・9%)、「介護老人保健施設」が90件(10・5%)となっている。
〇虐待の内容は、養介護施設従事者によるものでは、「身体的虐待」が810人(57・6%)、次いで「心理的虐待」が464人(33・0%)、「介護等放棄」が326人(23・2%)であった。
〇虐待を受けた高齢者像では、認知症高齢者で身体的虐待を受けている人が多い。
〇養護者による虐待では、虐待の発生要因(複数回答)としては「認知症の症状」が9430件(56・6%)、虐待者の「介護疲れ・介護ストレス」が9038件(54・%)、「理解力の不足や低下」が7983件(47・9%)、「知識や情報の不足」が7949件(47・7%)、「精神状態が安定していない」が7840件(47・0%)、「被虐待者との虐待発生までの人間関係」が7748件(46・5%)であった。
〇養護者の虐待の内容(複数回答)は、「身体的虐待」が11167人(65・3%)、次いで「心理的虐待」が6660人(39・0%)、「介護等放棄」が3370人(19・7%)、「経済的虐待」が2540人(14・9%)であった。
〇被虐待高齢者の「認知症の程度」と「虐待種別」との関係では、被虐待高齢者に重度の認知症がある場合には「介護等放棄」、「経済的虐待」をうける割合が高く、軽度の認知症の場合には「身体的虐待」、「心理的虐待」が高い傾向がみられた。

②  障害者分野における法的定義と虐待の類型及び現状
〇障害者分野における虐待に関する法律は、2011年に制定された「障害者虐待の防止、障害者の養護者に対する支援等に関する法律」(以下「障害者虐待防止法」という)がある。
〇と同時に、国連が制定した「障害者権利条約」(2008年発効)を日本政府が2014年に批准したことを受けて、2011年に障害者基本法が改正され、「障害に基づくあらゆる形態の差別の禁止」が盛り込まれたことを受けて、その規定を具現化する「障害者差別解消法」が制定されていることも併行的に考えなければならない。
〇「障害者虐待防止法」では、障害者虐待の類型及び養護の定義を以下のように定めている。

ⅰ)「障害者」とは、身体・知的・精神障害その他の心身機能の障害がある者であ
って、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活・社会生活に相当な制限を
受ける状態にあるものをいう。
ⅱ)「障害者虐待」とは、ⅰ)養護者による障害者虐待、ⅱ)障害者福祉施設従事者等による障害者虐待、ⅲ)使用者による障害者虐待をいう。
ⅲ)障害者虐待の類型は、イ)身体的虐待、ロ)放棄・放置、ハ)心理的虐待、
ニ)性的虐待、ホ)経済的虐待の5つとしている。

〇障害者虐待の現状については2024年3月5日に行われた第140回の社会保障審議会障害者部会に報告された「障害者虐待事例への対応状況調査結果等について」に基づき明らかにしたい。
〇2022年度の養護者による障害者虐待の相談・通報件数は8650件で、2021年度より約1300件増加している。
〇「障害者虐待防止法」は2011年に成立しているが、その翌年の2012年度の相談・通報件数が3260件なので、約10年間で約2・6倍に増加している。
〇相談・通報件数のうち、虐待と判断された件数は2022年度で2123件、これも2012年度に比べると1・6倍になっている。
〇相談・通報者は、警察が51%、本人13%、施設・事業所の職員が11%、相談支援専門員が11%である。
〇虐待行為の類型では、身体的虐待が69%、心理的虐待が32%、経済的虐待が17%、放棄・放置が11%、性的虐待が3%である。
〇障害者福祉施設従事者等による障害者虐待は、2022年度が4104件で、前年度より1・28倍増加している。
〇そのうち、虐待判断件数は956件で、前年度比1・37倍である。
〇相談・通報者は、当該施設・事業所その他の職員が16%、設置者・管理者が15%、本人が16%、家族・親族が11%となっている。
〇虐待行為の類型は、身体的虐待52%、心理的虐待46%、性的虐待14%、放棄・放置が10%、経済的虐待が5%である。
〇被虐待者の障害種別では、知的障害が73%、身体障害が21%、精神障害が16%で、行動障害を伴うものでは34%になっている。
〇障害者分野の虐待問題では、他の高齢者や児童とは異なる“障害者を雇用している使用者”による虐待問題がある。
〇障害者虐待との通報・届け出があった事業所は、厚生労働省雇用環境・均等局総務課労働紛争処理業務室の調査報告によれば、2021年度で1230件(都道府県からの報告197件、労働局などへの相談880件、その他労働局等の発見153件)であった。
〇通報・届出の対象となった障害者数は1431人であり、障害種別では、精神障害が37・8%、知的障害が32・3%、身体障害が19・1%、発達障害が7・1%となっている。
〇虐待行為の類型では、経済的虐待が47・5%、心理的虐待が37・8%、身体的虐待が8・3%、放置等による虐待が4・4%、性的虐待が1・9%となっている。
〇虐待の相談・通報があった件数のうち、虐待と認められた障害者数は、2021年度502人であった。
〇就労形態別では、パート等が46・4%、正社員32・9%、期間契約社員3・8%などとなっている。
〇障害者虐待を行った使用者の内訳では、事業主85・8%、所属の上司12・2%となっている。
〇虐待が認められた事業所の業種では、製造業25・5%、医療・福祉が22・7%、卸売業・小売業が11・2%、宿泊業・飲食サービス業が6・6%、建設業が5・9%となっている。
〇事業所の規模別では、5~29人規模の事業所が49・2%、30~49人規模が16・8%、5人未満が13.5%で、50~99人規模で6・9%、100~299人規模で3・8%となっている

③  児童分野における法的定義と虐待の類型及び現状
〇児童分野における虐待に関する法律は、2000年に制定された「児童虐待の防止等に関する法律」(以下「児童虐待防止法」という)がある。
〇児童分野における虐待については、1933年に「旧児童虐待防止法」が制定されていたが、これは戦後1947年に児童福祉法が制定されたことに伴い廃止されている。しかしながら、1990年代に入り、急速に児童虐待が増加したことに伴い、新しく「児童虐待防止法が」が制定されることになった。
〇「児童虐待防止法」では、児童の虐待の定義及び類型について以下のように定めている。

ⅰ)児童虐待の定義――「児童虐待」とは、保護者(親権を行う者、未成年後見人その他の者で、児童を現に監護するもの
ⅱ)児童虐待の類型――身体的虐待、性的虐待、保護者としての監護の放棄・放任、心理的虐待

〇令和4年度(2022年度)中に、全国232か所の児童相談所が児童虐待相談として対応した件数は219170件だった。
〇筆者が日本社会事業大学の在外研究制度で、長期にイギリスに滞在したのは1992年であったが、当時イギリスの虐待件数は1990年当時約36000件だった。
〇しかしながら、イギリスの児童虐待の状況から考えて、日本でも家族形態の変容、地域における児童健全育成力の低下等から、急速に児童問題が深刻化し、児童虐待が増えると考え、筆者は全社協の全国民生児童委員協議会の企画委員会の委員長として、民生委員が児童委員を兼ねるだけでは対応できないと考えて、児童問題を主管、主務とする児童委員制度を創設すべきとの提案をした。その提案は厚生省に受け入れられ、1994年度から「主任児童委員制度」が始まる。
〇と同時に、筆者は東京都児童福祉審議会の専門部会長として、当時東京都にある12か所の児童相談所とは別に、都内各区市町村に最低1か所の「子ども家庭支援センター」を設置し、保健師、保育士、社会福祉士を配置して、子ども・家庭への相談支援を行うこと、しかもそれはアウトリーチ型の地域組織化を想定して行うことなどの提案をし、専門部会で承認され、東京都に建議した。その建議は受け入れられ、東京都全区市町村に58か所の「子ども家庭支援センター」が設置された。
〇この二つの提案は、イギリスでの在外研究制度の成果であり、日本でも急速に児童虐待への対応を図るべきとの提案であったが、当時の児童福祉研究者や児童福祉行政の関係者たちの反応は、従来の児童相談所体制でいいとする反応であった。
〇児童虐待は、筆者の想定した通り、1990年度には1101件で、その後2000年度には17725件、2010年度には56384件、2020年度では205044件と急増している。
〇2022年度の児童虐待の219170件の内容別件数は、「身体的虐待」が51679件(23・6%)、「ネグレクト」が35556件(16・2%)、「性的虐待」が2451件(1・1%)、「心理的虐待」が129484件(59・1%)となっている。
〇児童相談所に寄せられた虐待相談の相談経路は、2022年度では警察等が最も多く、112965件(51・5%)、次いで近隣・知人が24174件(11・0%)、家族・親戚が18436件(8・4%)、学校が14987件(6・8%)となっている。
〇児童虐待による死亡事件も2022年度では45件、51人が亡くなっている。子どもを巻き込んだ心中事件も37件、47人が亡くなっている。
〇虐待を行っている人の類型では、実母が38224件(57・3%)、実父が19311件(29・0%)、実父以外の父が4140件(6・2%)となっている。
〇虐待を受けた子どもの年齢別では、小学生が最も多く、23488件(35・2%)、次いで3歳~学齢前が16505件(24・7%)、0歳~3歳未満12503件(18・8%)、中学生9404件(14・1%)となっている。
〇児童分野における虐待発生の要因として、厚生労働省はⅰ)子どもの状況――発達・発育、健康状態・身体状況、情緒の安定性、問題行動、基本的な生活習慣、関係性、ⅱ)養育者の状況――健康状態等、性格的傾向、日常的世話の状況、養育能力等、子どもへの思い・態度、問題認識・問題対処能力、ⅲ)養育環境――夫婦・家族関係、家族形態の変化を挙げている。

Ⅵ 虐待の現状から抽出して論議すべき課題

〇このように「虐待問題」と一言で言っても、高齢者分野、障害者分野、児童分野といった多岐に亘っており、それを総括りして論議することは困難である。
〇強いて言えば、日本の「家」意識、画一的集団生活からの“逸脱者”への罰の意識、上意下達の命令体質がもたらす“複合的表出”の結果としての「虐待」と言えるのではないか。
〇とりわけ、日本の戦後の社会保障、社会福祉は、戦前の「家」制度の名残をとどめており、家族の扶養、家族の介護を家族間の情愛の感情、親密圏域の自然発生的ケア観を前提として構築されている。
〇社会福祉従事者もその呪縛から解放されておらず、家族を前提としたケア方針の立案をしがちであり、福祉サービス利用者を一個の独立した個人として捉え、その個人の幸福追求、自己実現を支援する役割を社会福祉関係者が担うという崇高な理念、人間像を描けないままに業務に従事していること、それらの職員を雇用する社会福祉法人などの組織自体も上記の理念を明確に持たないままの経営、運営に陥っているのではないかと思っている。
〇上記した虐待の現状について、再度まとめるとともに、今後検討する論議すべき課題との関係で、重要だと思われることを再掲しておきたい。

① 養介護施設従事者等による高齢者虐待の相談・通報件数と虐待件数の増大が約10倍なのに対し、養護者による虐待の通報件数では約2倍(虐待と判断された件数では約1・3倍)なので、如何に養介護施設従事者等による高齢者虐待が増大していることが見て取れる。
② 虐待を受けた高齢者像では、認知症高齢者で身体的虐待を受けている人が多い。
③ 高齢者の養護者による虐待では、虐待の発生要因(複数回答)としては「認知症の症状」が9430件(56・6%)、虐待者の「介護疲れ・介護ストレス」が9038件(54・“%)、「理解力の不足や低下」が7983件(47・9%)、「知識や情報の不足」が7949件(47・7%)、「精神状態が安定していない」が7840件(47・0%)、「被虐待者との虐待発生までの人間関係」が7748件(46・5%)であった。
④  2022年度の養護者による障害者虐待の相談・通報件数は8650件で、2021年度より約1300件増加している。「障害者虐待防止法」は2011年に成立しているが、その翌年の2012年度の相談・通報件数が3260件なので、約10年間で約2・6倍に増加している。
⑤ 被虐待者の障害種別では、知的障害が73%、身体障害が21%、精神障害が16%で、行動障害を伴うものでは34%になっている。
⑥ 障害者分野の虐待問題では、他の高齢者や児童とは異なる“障害者を雇用している使用者”による虐待問題がある。
就労形態別では、パート等が46・4%、正社員32・9%、期間契約社員3・8%などとなっている。
事業所の規模別では、5~29人規模の事業所が49・2%、30~49人規模が16・8%、5人未満が13.5%で、50~99人規模で6・9%、100~299人規模で3・8%となっている
⑦ 児童虐待による死亡事件も2022年度では45件、51人が亡くなっている。子どもを巻き込んだ心中事件も37件、47人が亡くなっている。
虐待を行っている人の類型では、実母が38224件(57・3%)、実父が19
311件(29・0%)、実父以外の父が4140件(6・2%)となっている。
日本では、いまだ「子どもの発見」が不十分で、子どもは親の付属物として捉え、
子どもを親の意向に従わせる「命令と禁止」での子育てが払しょくできていない。

〇これらの「虐待の現状」から考えて、検討すべき課題は以下の通りである。

ⅰ)家族による親密圏域のケアを当たり前の前提として、公共圏域のケアの整備が十分でない問題。
この問題の中には、相談できる「福祉アクセシビリティ」の問題や介護支援専門員、障害者相談支援員のケア観の問題がある。
また、ケアをしている家族の社会福祉制度を活用する受援力、地域福祉サービス利用主体の形成が不十分の問題もある。
ⅱ)養介護者が集積している社会福祉法人などのサービス供給組織の経営理念、運営方針等にケアのあり方、サービス利用者の尊厳の保持が具体的に明記され、それが常に研修等を通じて確認できているかどうかの問題―社会福祉現場に関わる動機、モチベーションとその内省、外化の機会の有無とアンガーマネジメントの研修。
ⅲ)機関委任事務体制下では行政による措置施設職員の研修がおこなわれていたが、2000年以降は、社会福祉職員の研修は行政的には対応できておらず、個々のサービス供給組織により行われている。
しかも、メンター制度やOJTの機能はほとんどなく、入職後から独任官的に職務を任せられ、体系的な研修を通して、自らの実践を振り返り、検証する機会を持てていない。
とりわけ小規模のサービス供給事業組織がそうである。
ⅳ)上記ⅱ)の問題とも関わるが、従事者が安心してケアに従事できるかどうか、職場環境の整備との関係の問題と同時に、きちんとしたケア観を有している人を採用し、キャリアップについて見通しがもてる人事政策があるかどうかの問題。
ⅴ)日常的に地域で障害者等とふれあい、その人の人格を尊重する機会である福祉教育の実践が地域、学校において行われているかの問題―人間の理解は頭での言語能力での理解だけでなく、福祉サービスを必要としている人との切り結びが重要。

〇虐待が起きている現場の状況は様々であり、その「違い」を捨象して、共通の統一的見解を示すことは容易ではない。
〇しかも、今までも述べてきたように、日本人が有している国民的文化がもたらす人権感覚の低さ、多様性を認める認識の低さ等の、国民の深層心理、底流にある意識との関りを抜きにして語れない部分が多分にあるが、ここではそれを踏まえた上で、今後虐待問題を検討するに際しての課題について論述しておきたい。
〇筆者は、連載の第4回の最後において、下記のような問題があることを指摘した。
〇それは、以下の通りである。最終回の今号では、これらについて論述したい。

ⅰ)家族による親密圏域のケアを当たり前の前提として、公共圏域のケアの整備が十分でない問題。
この問題の中には、相談できる「福祉アクセシビリティ」の問題や介護支援専門員、障害者相談支援員のケア観の問題がある。
また、ケアをしている家族の社会福祉制度を活用する受援力、地域福祉サービス利用主体の形成が不十分という問題もある。
ⅱ)養介護者が集積している社会福祉法人などのサービス供給組織の経営理念、運営方針等においてケアのあり方、サービス利用者の尊厳の保持が具体的に明記され、それが常に研修等を通じて確認できているかどうかの問題―社会福祉現場に関わる動機、モチベーションとその内省、外化の機会の有無とアンガーマネジメントの研修。
ⅲ)機関委任事務体制下では行政による措置施設職員の研修がおこなわれていたが、2000年以降は、社会福祉職員の研修は行政的には対応できておらず、個々のサービス供給組織により行われている。
しかも、メンター制度やOJTの機能はほとんどなく、入職後から独任官的に職務を任せられ、体系的な研修を通して、自らの実践を振り返り、検証する機会を持てていない。とりわけ小規模のサービス供給事業組織がそうである。
ⅳ)上記ⅱ)の問題とも関わるが、従事者が安心してケアに従事できるかどうか、職場環境の整備との関係の問題と同時に、きちんとしたケア観を有している人を採用し、キャリアアップについて見通しがもてる人事政策があるかどうかの問題。
ⅴ)日常的に地域で障害者等とふれあい、その人の人格を尊重する機会である福祉教育の実践が地域、学校において行われているかの問題―人間の理解は頭での言語能力での理解だけでなく、福祉サービスを必要としている人との切り結びを通して体感的に学ぶことが重要。

Ⅶ 家族を“含み財産”とする社会福祉制度の破綻と「福祉アクセシビリティ」のいい「総合相談窓口」、「まるごと相談窓口」の設置及び福祉教育の推進

〇戦後日本の社会福祉制度は、家族を“含み財産”として位置づけ、家族の介護、養育を前提にして制度設計されてきた。
〇しかしながら、1960年代の高度経済成長政策の下、急速に産業構造の転換が行われ、工業化、都市化、核家族化が進み、家族の、地域の介護力、養育力はぜい弱化していった。
〇そのことについては、拙稿「高度成長と地域福祉問題―地域福祉の主体形成と住民参加」(吉田久一編『社会福祉の形成と課題』19811年、所収)に論述してあるので参照して欲しい。
〇ところで、筆者が地域福祉と社会教育との学際的研究において、より明確に地方自治体における地域福祉とそれを可能ならしめる地域づくりを社会教育と地域福祉の有機的関りのもとで行おうと考えるようになったのは、江口英一先生が1986年に書いた「日本における社会保障の課題」という論文に触発されてからである。
〇社会教育はもともと地方分権を前提にして理論構築や実践が展開されていたが、社会福祉の分野における地方自治体の位置というものは必ずしも明確でなく、“福祉国家体制”という名のもとに、常に中央集権的機関委任事務の下で社会福祉行政は進められてきた。社会保障の一環である社会保険は国レベルで検討される政策であることは理解できるが、社会保障の一環である対人援助としての社会福祉は地域で生活している住民の身近な地方自治体の政策として論議されるものだと筆者は考えてきた。
〇それは経済的給付とちがって、対人援助としての社会福祉は、地域性、地域の生活環境に左右される部分が多く、全国一律のサービス提供、対人援助にはなじまないと考えてきたからである。
〇江口英一先生は、先の論文で、地域住民の生活は大変不安定で、生活上のちょっとした事故でも住民の25%が生活保護世帯に転落する可能性を有していて、それを防ぐためには地方自治体ごとの福祉サービスの整備が必要であるとその論文で説かれていた。
〇筆者はこの論文に勇気づけられ、この論文に依拠しながら、どうしたら地域住民の生活を守り、安定させる福祉サービスの整備のあり方、提供のシステムができるかを考えてきたのが筆者の地域福祉研究60年であった。
〇その中の理論的、実践的課題の一つが「福祉アクセシビリティ」の問題である。それは住民の生活の安定を守る地方自治体の福祉サービスの整備量もさることながら、住民からみた「福祉アクセシビリティ」が大きな問題だと考えたからである。
〇「福祉アクセシビリティ」とは、距離的に近いという問題、公共交通機関の利便性、たらい回しをされない、ワンストップの相談の総合性、心理的、手続き面での受容性などが大きいと考えたからである。
〇1970年ごろ、国民の社会福祉認識は、社会福祉を利用する人、必要としている人は、ある意味で「自業自得」であり、福祉サービスを利用することは個人にとっても、家族・親類縁者にとっても”恥”とする意識が強かった。
〇このような福祉サービスを必要としていながら、福祉サービスの相談窓口が“縁遠かった“住民は、誰にも相談できず、ストレスを貯めこみ、ネグレクトするとか、心理的虐待、身体的虐待に走っていったことは想像に難くない。
〇住民の身近なところで、心理的負担もなく、相談しやすい環境があったならば、利用できる福祉サービスがある、なしに関わらず、住民は自ら抱える辛さ、悩み等を「外化」でき、虐待に走る度合いが減ったのではないだろうか。
〇今、地域共生社会政策の下で、包括的支援体制、重層的支援体制整備の必要性が謳われているが、1990年までの中央集権的機関委任事務体制の下では、「社会福祉六法体制」に基づく縦割り福祉行政が行われていて、「福祉アクセシビリティ」のいい世帯・家族全体を支援する総合相談窓口はなかった。
〇筆者は1990年に東京都狛江市、東京都目黒区、岩手県遠野市などにおいて、縦割り福祉行政の弊害を除去し、住民にとって「福祉アクセシビリティ」のいい福祉行政システムを構築してきた。
〇このような「福祉アクセシビリティ」の良さに加えて、職員によるアウトリーチ型問題発見と支援とが行われたならば、養護者の虐待の動向は違っていたのではないだろうか。
〇日本の社会福祉・社会保障は、相も変わらず“家族の介護力、養育力”に依存する“家族”を含み財産とする発想が色濃く残っている。
〇今こそ、市町村において包括的・重層的支援システムを構築し、コミュニティソーシャルワーク機能を発揮できるシステムの構築とそれを担当できる職員の養成が喫緊の課題である。
〇今や、単身者社会であり、家族に頼らない、「福祉アクセシビリティ」のいい、生活に関わる「総合相談窓口」や「まるごと相談窓口」を地域に構築することが必要である。
〇と同時に、住民の社会福祉に関する知識の向上、社会福祉制度の理解を深め、国民が戦前からの「家制度」に基づく「家意識」を変容させ、家族に頼らない、公共圏域の社会サービスを利用するのが当たり前と思える住民の福祉サービス利用の受援力を高める福祉教育の推進がますます重要になってきている。

Ⅷ 介護問題が集積している社会福祉法人の理念、経営方針と虐待問題

〇連載の第4回目で述べたが、厚生労働省の調査によれば、障害者施設や通所サービ
スなどの従事者から障害者が虐待を受けた件数は、2023年度、5618件で前年度比約37%増加している(ちなみに、家族などの養護者から虐待を受けた障害者は2285件、前年比7・8%増であった)。
〇介護施設の職員らによる高齢者への虐待は1123件(前年度比31・2%増)で、2006年度調査開始以来の最多となった。家族などの養護者による虐待は17100件(前年度比2・6%増)であった。
〇このような状況を踏まえ、社会福祉施設、福祉サービス事業所での虐待をなくすためには以下のような取り組みが必要ではないか。

ⅰ)社会福祉法人の設立理念、経営方針における人間性、個人の尊厳を謳う個別ケアが明確化されているか
〇日本の社会福祉施設は、中央集権的機関委任事務が少なくとも1990年まで、あるいは2000年まで続いていたこともあり、福祉サービスを必要としている人、福祉サービスを利用している人のアセスメントが事実上できていなかった。
〇福祉サービスを必要としている人を行政がサービス利用の要件に合致しているかどうかを判断し、社会福祉施設・社会福祉法人はその行政に措置された人を受け入れ、サービスを提供していたために、入所型施設などにおいては、三大介護と言われる食事、排せつ、入浴がどれだけ“自立”しているかというADLの評価が中心であった。
〇医療の世界では、ついこの間まで“やぶ医者”という言葉が住民の間で使われていたが、いまやその用語は“死語”になっている。それは、医療の世界では、聴診器だけでなく、レントゲン、MRI、CTスキャナー、血液検査などの診断技法が格段に進展し、患者の病変の診断と治療との関係性が格段に向上したからである。
〇ところが、社会福祉界は未だ福祉サービスを必要としている人が何につまずき、何が生活のしづらさを生み出す要因なのか、本人は何を希望し、どういう生活を送りたいと願っているのかなどの「社会生活モデル」に基づくアセスメント技法が確立していない。何となく社会福祉士、介護福祉士などの資格を有している人が“情感的に”判断しているという“やぶソーシャルワーカー”が沢山いる。
〇それは、福祉サービスを必要としている人が現に制度化されているサービスを利用できる要件に合致するかどうかという仕事の仕方をしてきた中央集権的機関委任事務体質の福祉文化を見直すことなく、無意識のうちにそれを引きずってきているからである。
〇また、社会福祉法人は行政から措置された人に対する“最低限度の生活保障”をしてあげるという目線になりがちで、結果として法令による措置施設の施設最低基準に基づき集団的、画一的ケアを実施してきたのではないだろうか。
〇2000年以降、福祉サービス利用が契約で行われるようになった際に、従来の支援方針、ケア観を見直し、福祉サービスを必要としている人、利用している人と福祉サービスを提供する側とが相対契約をする制度に変わったことに伴い、その際に、どれだけの社会福祉法人、社会福祉施設がその相対契約に相応しい福祉サービス利用者、福祉サービスを必要としている人の個々の状況に見合ったアセスメントと援助方針を確立することを明確にできたであろうか。
〇筆者が考えるのに、現象的には社会福祉法人も社会福祉施設も個人の尊厳、人間性の尊重を謡いながら、実質的には個々人の状況を丁寧にアセスメントするという福祉文化が確立できていなかったのではないか。
〇その点で、筆者が注目しているのは、2002年の老人福祉施設最低基準が改訂され、ユニットケアが出されてくる中で、一般社団法人日本ユニットケア推進センターが進めている、限りなく個別ケアの具現化の取り組みである(拙編著『ユニットケアの哲学と実践』日本医療企画、2019年)。
〇一般社団法人日本ユニットケア推進センターが進めている個別ケアの実践は、同じ厚生労働省が定めた基準である老人福祉施設最低基準に則りながら、個別ケアを確立できており、かつ職員の離職率も低く、利用者からの評価も高いことを考えると全国的に展開できないことではない。要は、社会福祉法人の経営理念、実践哲学がそのことを明かにできているかどうかの問題である。

ⅱ)市町村における福祉サービス事業所職員の研修の体系化はされているだろうか
〇中央集権的機関委任事務体制時代にあっては、行政がサービス提供を社会福祉法人に委託していたこともあって、各都道府県が社会福祉研修センターを設置し、社会福祉法人、社会福祉施設の職員に対する研修がそれなりに整えられていた。
〇しかしながら、2000年の介護保険、2005年の障害者総合支援法以降、福祉サービス利用は行政の措置から、福祉サービスを必要としている人と福祉サービス事業者との間の契約に変わったこともあり、各都道府県の社会福祉研修センターの役割は大きく変わり、筆者が観る限りにおいて各都道府県の社会福祉職員に対する研修機能は大幅に低下していると言わざるを得ない。
〇ある意味、職員の研修は、各福祉サービス事業者の任意となり、行政は各サービス事業者のサービス管理者の資格、研修を規制化させることで、職員のサービスの質の担保を図る仕組みへと変更した。
〇したがって、福祉サービス事業所で働く職員、社会福祉法人、社会福祉施設で働く職員の研修は、いわば無秩序状態になっている。
〇このような状況のなかで、小さな規模の事業所の職員はほとんど研修を受けることもできなければ、自前で研修をすると言うことも容易ではなくなってきている
〇先に挙げた事業所の虐待件数についても、事業所の規模や事業所内での研修の有無などについて丁寧に分析する必要があるが、ここでは触れない。ただし、福祉サービス事業所の規模別・虐待種別事業所数の調査によれば、規模が5~29人の規模の事業所が虐待件数全体の49・2%、30~49人規模が16・8%、5人未満が13・5%であり、逆に300人以上の規模では1・0%であることを考えると事業所の規模ごとにおける職員研修のあり方との関係があることは想像に難くない(「令和3年度使用者による障害者虐待の状況」調査)。
〇他方、1990年以降、地方分権化が進み、国や県は市町村への指導を直接的にはできず、専門的助言の域を超えることができなくなった。その上に、市町村は各分野ごとの福祉計画の“上位計画”として「地域福祉計画」を位置づけている。しかしながら、この市町村ごとの「地域福祉計画」を見る限り、市町村内の福祉サービスに従事する職員の研修の必要性を掲げている「地域福祉計画」は皆無に近い。
〇今や、一部の大手を除くと福祉サービス事業所、社会福祉法人の職員の研修システムはとても不十分だと言わざるを得ない。
〇しかしながら、福祉サービスは国民にとって欠かせないサービスであり、かつサービス利用費がいわば公定価格で縛られてはいるものの、逆の意味では“安定”していることもあり、いわゆる市場ベースの“競争原理”は働きにくい状況である。
〇ならば、サービス管理者の資格、研修のみならず、市町村福祉行政による市町村内の社会福祉職員の研修を整備し、職員の資質向上を図るべきなのではないだろうか。
〇2011年の「地方分権一括法」で、市域内だけの住民を対象に福祉サービスを提供している社会福祉法人の許認可権は市長が有することになったし、その後介護保険サービスの許認可権も町村長にまで移譲されたことを考えると、市町村レベルでの域内の福祉サービス従事者への研修システムの構築は市町村行政が責任をもって行うべきではないだろうか。
〇このような職員の研修システムの構築をしないでおいて、事業所における虐待を取り締まるという姿勢だけでは問題解決につながらない。

ⅲ)社会福祉学の構造と国家資格養成課程における実践力習得の課題
〇社会福祉学の構造は、①社会福祉の目的、理念に関わる哲学、②福祉サービスを必要としている人の生活のしづらさ、生活問題をアセスメントし、構造的に分析する分析科学、③福祉サービスを必要としている人の問題を解決するための援助方針の立案、活用できる福祉サービスの利用計画、活用できる福祉サービスがなければ、新しい問題解決プログラムを作成するとか、新しい福祉サービスを開発するなどの設計科学、④立案された援助方針、ケアプランに基づき具体的な対人援助の実践を展開する実践科学。この実践科学は、設計されたプラン通りに実施すればいいというものではなく、福祉サービスを必要としている人の日々の変化を見据え、実践者がその状況に合わせ、設計されたプラン、対人援助を微調整していく必要性がある。⑤実践を展開した後、福祉サービス利用者の「快・不快」を基底とした満足度や設計されたケアプランの妥当性などについての評価、振り返りを図る評価科学の5つの要素からなる統合科学である。
〇この統合科学という考え方は、戦前に確立されてき旧帝国大学の講座制の学問体系にはない、新しい学問の考え方であり、日本学術会議が2003年以降打ち出している考え方である。
〇社会福祉分野は、従来「学問」ではなく、「論」の域を出ていないと学術界では言われてきたが、日本学術会議の提案による「統合科学」という視点、枠組みを考えるならば、社会福祉はまさにぴったりの「統合科学」である。この「統合科学」という考え方の提唱もあって、社会福祉学は2003年度から日本学術振興会の科学研究費の細目として「社会福祉学」が位置づけられ、文字通り日本の学問体系において「社会福祉学」が認証された。
〇しかしながら、統合科学としての「社会福祉学」における個々の要因、要素の実践、研究の科学化は未だ道遠しの状況である。
〇第1には、援助方針を立てる基になるアセスメントが十分確立されていない。相も変わらず医学モデルに基づく“治療”、“療育”という考え方が強く、「社会生活モデル」に基づく、その人の自己実現を図るという発想が十分でない。そのことは先に述べた中央集権的機関委任事務体制の文化的名残りであり、かつ憲法第25条に基づく最低限度の生活保障を保証してあげるというパターナリズムを払しょくできていないからである。
〇今や、ICF(国際生活機能分類)の考え方に基づき、福祉機器等を活用してその人の生活環境を改善したらどうなるかという視点からのアセスメントも重要になってきている。
〇第2には、社会福祉の実践現場は、施設最低基準などの制約があり、ややもすると新人職員と言えども“一人前”の扱いを受けて、勤務シフトに配属され、事実上OJT―オン・ザ・ジョブ・トレーニング(職場での実務を通じて知識やスキルを習得させる育成方法)が実施されてない。
〇また、同じような理由から職員の資質を向上させる一つの方法であるメンター制度(経験豊富な先輩社員・メンター・が後輩シャインのキャリア形成や悩み解決法をサポートする社内制度)なども導入されていないのが大方である。
〇今日では、社会福祉士、介護福祉士の国家資格が出来てから約40年近くの歴史を経て、多くの社会福祉従事者が資格を有する時代になってきている。
〇先に述べた虐待事案において、国家資格の有資格者が虐待を起こしているのか、それとも資格を有していない人が虐待を起こしているのかの分析まではしきれていない(障害者分野では、虐待を起こした職員の就労形態別調査では、正社員、パート等において虐待がおこされていて、派遣労働者等の件数は少ない。しかしながら、国家資格の有無による虐待件数の調査は見当たらなかった。高齢者分野においてもこの項目は見当たらなかった)。
〇資格を有していない人が虐待問題を起こしていてもしょうがないという訳ではないが、資格を有している人でも虐待を起こしているかもしれないという問題点をここでは指摘しておきたい。
〇つまり、現在の国家資格は、社会福祉制度などに関わる座学で学べる部分と実習によって習得できる部分で教育課程は構成されているが、筆者は圧倒的に実習が少ないと考えている。
〇社会福祉士の国家資格の受験資格を得られる通信制の養成機関では、出題科目である講義科目についての履修は求められず、相談援助に関する演習と実習が課せられている。
〇この考え方は、講義科目は当然国家試験に出題されるので、その理解の程度を計ることは国家試験で行えばいいのであり、その国家試験をクリアできなければ合格できないので、それで一種のスクリーニングが行われているという考え方である。
〇しかしながら、相談援助に関する技術は演習で身に着けなければ習得できないので、必修にすると言う考え方だった。当時の厚生労働省の高官はそのことを明言していた。
〇そうだとすると、社会福祉系大学などの養成校の通学生の講義科目についても同じことがいえるので、もっと選択の幅を増やして、負担を軽減し、その分演習や実習によって、座学で得られない実践力の取得に努めるべきではないか。
〇同じようなことは、社会福祉職員研修においてもいえることで、知識の量を増やす、新しい知見を身に着けることを目的とした講義を聞くという承り研修はe-ラーニングでも行うことができるので、対面での座学研修は少なくし、その分事例に基づき、その事例で起きた現象がどのような要因から出されてきたのかをアセスメントし、其の問題を解決する援助方針を立て、どのようなサービス、どのような支援を行うべきかのケアプランを作成するアクティブラーニングを質量ともに増やすことが必要ではないか。それを行わない限り、“知識はあるけれど、対応ができない”という状況はなくならないし、国家資格を有していても虐待事案を起こすことになる。
〇ただ、このような事例に基づきコンサルテーションを行える大学の教員がどれだけいるかが大きな問題である。
〇第3には、医学部の入試において面接が重要な位置と役割を担ってきていることが評価されている。
〇社会福祉系大学において、社会福祉従事者の個人的資質を問う受験生の面接を行って、ソーシャルワーカー、ケアワーカーとしての適性を弁えるという取り組みをしている大学がどれだけあるのだろうか。
〇日本社会事業大学でも、面接を実施して社会福祉従事者としての資質を見抜くという課題は大きな問題であった。かつては、受験生全員の面接が行われていたが、大学経営と受験生の増大という課題の前に面接は受験科目から姿を消した。今、思い起せば、対人に関わることは受験における面接が無くなっただけでなく、新入生のオリエンテーションキャンプ、3年次進学時のインテグレーションキャンプといい、対人関係を培う行事はカリキュラムから姿を消している。ソーシャルワーク関係の教員がその重要性を指摘し、順守することができず、教員の負担軽減という名の下で姿を消している。このような状況で、学生はソーシャルワーク機能に必要な実践力を高めることができるのであろうか。
〇職員の個人的資質の面で言えば、怒りやすい、すぐ切れるとか言った問題は、全体の問題でもあると同時に、すぐれて個人的資質の問題でもあるので、アンガーマネージメントの研修を受けるとか、コーチングを受ける機会を増やすとかして、職員本人の思ったこと、感じたこと、悩んだことを「外化」する機会や「内省」の機会を持つことも重要である。

ⅳ)社会福祉施設最低基準等の見直しと福祉機器を利活用した職員の負担軽減、利用者のQOLの向上
〇虐待の問題は、福祉サービス利用者に対するケアワーカーやソーシャルワーカーの配置基準が劣悪であるからとか、労働条件が悪いから起きるというという労働環境劣悪説を唱える人もいるが、事柄はそう単純なものではない。
〇しかしながら、十分な労働環境が保障されず、気持ちの余裕もなくなり、身体的にも疲労が蓄積されている時に、虐待が起きやすいことは想像するのに難くない。
〇虐待案件の調査でそのような視点での分析が今後必要になるのではないか。しかし、ここではそれについては触れない。
〇虐待の問題と職員の労働環境の悪さとの直接的相関性をいうことは簡単にはできないが、先に述べたように「ユニットケア」で「個別ケア」を徹底している社会福祉施設ではサービス利用者も家族も大変評価していること、並びにその「ユニットケア」で働いている職員の離職率が全介護事業所や全国社会福祉施設経営者協議会に加盟している事業所と比較して、離職率が特段に低い事を考えると、それは社会福祉施設最低基準に問題があるというより、先述したような施設の経営方針等に由来していると考えるのが妥当であろう。
〇とはいうものの、社会福祉施設最低基準が見直され、福祉サービス利用者の空間的生活環境の整備が整えられ、集団的、画一的ケアの提供ではなく、サービス利用者の生活リズムに合わせた支援が可能となるような社会福祉施設最低基準の見直しは確かに今後必要であろう。
〇現在、厚生労働省は高齢者分野での介護ロボット、見守りセンサー等のICTや福祉機器を活用しての「介護労働生産性向上センター」を設置する政策を進めていると同時に、「LIFE」といった介護現場のデータ化によるケアの科学化を進めている。
〇他方、障害者分野でもICTを活用した「障害者ICTサポートセンター」を設置して、障害者本人の生活の利便性を高めると同時に、社会福祉職員の負担軽減を図っている。
〇これら福祉機器の利活用は、職員の負担軽減のみならず、利用者のQOLの向上にも連動している重要な取り組みである。
〇しかし、それ以上に重要なのは、介護ロボットの利活用もさることながら、介護現場に介護リフトを導入することである。人力による抱え上げをするのではなく、介護リフトを利活用することによって、福祉サービス利用者の不安感は軽減するし、職員の腰痛予防にもなる。結果的に利用者と職員との会話の時間も増えるということも考えると、社会福祉施設最低基準の人員配置基準の見直しのみならず、従来の人力による介護をするという福祉文化を変えることが、今最も重要な取り組み課題である。

(注記)
本連載は、日本社会事業大学同窓会北海道支部の求めに応じて執筆したものである。連載は、「老爺心お節介情報」第51号、第52号、第59号、第61号、第66号が初出である。


 

大橋ブックレット
社会福祉従事者の社会福祉観と虐待問題

発 行:2025年5月8日
著 者:大橋謙策
発行者:田村禎章、三ツ石行宏
発行所:市民福祉教育研究所

 


 

大橋謙策/大橋謙策研究 第7巻:福祉でまちづくり

 


 

目  次

Ⅰ 大橋謙策監修『安らぎの田舎(さと)の道標(みちしるべ)‥‥‥2
―島根県瑞穂町  未来家族ネットワークの創造―』(抜粋)

Ⅱ 全社協・福祉教育研究委員会『福祉教育の理念と実践の構造
―福祉教育のあり方とその推進を考える―』(抜粋)‥‥‥47

Ⅲ 全社協・福祉教育研究委員会『学校外における福祉教育のあり方と
推進』(抜粋)‥‥‥69

Ⅳ 全社協・ボランティア基本問題研究委員会『ボランティアの基本理念と
ボランティアセンターの役割
―ボランティア活動のあり方とその推進の方向―』‥‥‥112

Ⅴ 全社協・福祉教育活動事例評価検討会『地域に広がる福祉教育活動事例集
―福祉教育の考え方と実践方法・先進的事例に学ぶ―』(抜粋 )‥‥‥132

Ⅵ 大橋謙策「地域福祉実践の神髄―福祉教育・ニーズ対応型福祉サービスの
開発・コミュニティソーシャルワーク―」‥‥‥142

 


Ⅰ   大橋謙策監修、澤田隆之・日高政恵共著

安らぎの田舎(さと)の道標(みちしるべ)
――島根県瑞穂町  未来家族ネットワークの創造―

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1 大橋謙策/『安らぎの田舎の道標』発刊に寄せて

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2 大橋謙策・澤田隆之・日高政恵/鼎談・瑞穂が目指す21世紀の福祉

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3 参考資料


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備考:瑞穂町は、島根県の中西部に位置し、広島県境に接した中国山地の町である。2004年10月、合併により邑南町(おおなんちょう)となった。
出典:大橋謙策監修、澤田隆之・日高政恵共著『安らぎの田舎(さと)の道標(みちしるべ)―島根県瑞穂町  未来家族ネットワークの創造―』万葉舎、2000年8月、6~11、175~255ページ。

 


Ⅱ   全社協・福祉教育研究委員会

福祉教育の理念と実践の構造(抜粋)
――福祉教育のあり方とその推進を考える―

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出典:全社協・福祉教育研究委員会『福祉教育の理念と実践の構造―福祉教育のあり方とその推進を考える―』(福祉教育研究委員会中間報告)全社協・全国ボランティア活動振興センター、1981年11月、1~22ページ。

 


Ⅲ  全社協・福祉教育研究委員会

学校外における福祉教育のあり方と推進(抜粋)

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Ⅰ 生涯教育と福祉教育

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第1章 家庭教育と福祉教育

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第2章 社会教育と福祉教育

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出典:全社協・福祉教育研究委員会『学校外における福祉教育のあり方と推進』(中間報告)全社協・全国ボランティア活動振興センター、1983年9月、1~44ページ。

 


Ⅳ   全社協・ボランティア基本問題研究委員会

ボランティアの基本理念と
ボランティアセンターの役割

―ボランティア活動のあり方とその推進の方向―

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出典:全社協・ボランティア基本問題研究委員会『ボランティアの基本理念とボランティアセンターの役割―ボランティア活動のあり方とその推進の方向―』全社協・全国ボランティア活動振興センター、1980年7月、1~20ページ。

 


Ⅴ   全社協・福祉教育活動事例評価検討会

地域に広がる福祉教育活動事例集(抜粋)
―福祉教育の考え方と実践方法・先進的事例に学ぶ―

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出典:全社協・福祉教育活動事例評価検討会『福祉教育モデル事例集 地域に広がる福祉教育活動事例集―福祉教育の考え方と実践方法・先進的事例に学ぶ―』全社協・全国ボランティア活動振興センター、1996年3月、はしがき、目次、83~87ページ。

 


Ⅵ 大橋謙策

地域福祉実践の神髄
―福祉教育・ニーズ対応型福祉サービスの開発・コミュニティソーシャルワーク―

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出典:『大橋謙策主要論文集(2013年~2018年)』大橋ゼミ45周年ホームカミングデー実行委員会、2018年10月、113~126ページ。

 


 

大橋謙策研究 第7巻
福祉でまちづくり―支え合う地域福祉実践―

発 行:2025年5月7日
著 者:大橋謙策
発行者:田村禎章、三ツ石行宏
発行所:市民福祉教育研究所

 


 

老爺心お節介情報/第69号(2025年4月29日)

「老爺心お節介情報」第69号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

お変わりありませんか。
「老爺心お節介情報」第69号を送ります。
是非、5月17日に行われる石川県社会福祉協議会主催の
シンポジュウムに参加してください。
金沢駅前の「金沢ホテル」で、午後1時、開催です。
詳しいことは石川県社会福祉協議会へお問い合わせください。

2025年4月29日   大橋 謙策

〇皆さんお変わりありませんか。
〇春の季節はいいですね。我が家の庭では、ピンクと赤の牡丹が咲き誇っていましたが、それも終わり、今は、こでまり、シャガ、紫蘭が咲いています。シャガ、紫蘭はあまり魅力的な花だとは思っていなかったのですが、切って家に飾って、間近でよく見ると可憐な、とても魅力的な花だったことに今更ながら驚かされています。
〇我が家の庭の“猫の額”ほどの畑に、さやえんどう、シシトウ、キュウリ、ナス、トマトの苗を各4本づつ作付けしました。毎日、その成長を見るのが楽しみです。
〇毎年4月は各地の研修もなくのんびりしているのですが、今年は書斎の断捨離を始めました。2つあった書庫は既に断捨離をし、大方の本は東北福祉大学大学院の「大橋文庫」に寄贈しました。書斎にあった本は、自分の執筆に欠かせない本と断捨離をするのが忍び難い本が残っていました。その書斎の書棚に会った本をいよいよ断捨離することにしました。
自分の研究者としての人生が終わり、断筆しろと言われているようでとても辛い作業でしたが、思い切ってしました。書棚はガラガラで、残りは自分が書いた本が残っているだけです。
〇「老爺心お節介情報」第69号は、来る5月17日に行われる、石川県社会福祉協議会主催の「能登半島地震、集中豪雨の被災者支援から社会福祉関係者は何を学ぶか」のシンポジュウムのコーディネーターとして、社会福祉協議会が運営する新たな「災害福祉支援ネットワーク」がこれから考えておかなければならない「検討課題」(未定稿)について掲載しました。
〇もう一つは、6月28日から開催される日本地域福祉学会・武庫川女子大学大会において、上野谷加代子先生とトークセッションをする機会が与えられました。「次世代を担う地域福祉研究者、実践家に何を学び、何を継承して欲しいか」について話をしようと思っています。
〇二つとも未定稿で、これから関係者の意見を聞きながら推敲しますが、皆さんの興味、関心を呼び起こし、これらの集い、大会に参加して欲しいと思い、未定稿ながら「老爺心お節介情報」第69号を発刊、配信します。
(2025年4月29日記)


老爺心お節介情報/第68号(2025年4月6日)

「老爺心お節介情報」第68号

〇皆さんお変わりありませんか。
〇我が家の庭は、朱海棠、ミツバツツジが満開です。春はいいですね。
〇皆さんは、新年度を迎えられ、新たな気持ちで仕事に向かわれていることと思います。人事異動があった方は、差し支えなければお教えください。
〇「老爺心お節介情報」第68号は、36年振りに訪ねた下伊那、飯田で学んだことです。
(2025年4月4日記)

Ⅰ 地域づくりの基本は「選択的土着民」の形成と「第3の分権化」

(1)人口減少、超高齢化社会、財政力が弱い町村の地域福祉を考える『南信州地域福祉・連携推進の集い』に参加して
〇3月25日に行われた長野県社会福祉協議会主催の『南信州地域福祉・連携推進の集い』に参加してきました。
〇南信州とは、静岡県とに隣接する売木村(人口497人、高齢化率46・6%、財政力指数0・11)、天龍村(1000人、高齢化率61・7%、財政力指数0・16)、阿南町(3825人、高齢化率39・0%、財政力指数0・18)、泰阜村(1385人、高齢化率43・3%、財政力指数0・15)、下条村(3288人、高齢化率37・0%、財政力指数0・23)の5ケ町村を指しています。
〇この5ケ町村は、人口の少ない小規模町村のみならず、超高齢化社会になっているうえに、町村の財政力指数がいずれも低く、自治体経営自体が厳しい状況に陥っています。
〇今回の取り組みは、昨年度から始まった木曽郡6町村の社会福祉協議会連携事業の第2弾として、南信州5町村でも連携を深めようと実施されました。
〇仕掛け人、コーディネーターはNPO法人はなぶさ学園理事長の木下英幸さんです。 はなぶさ学園は、NPO法人のフットワークの良さを発揮し、下伊那郡松川町の重層的支援体制整備事業の「参加支援」等を受託し、取り組んでくれています。
〇今回は、長野県社会福祉協議会が山梨県社会福祉協議会とジョイントして、「休眠預金事業」の助成事業にトライし、「人口減少・過疎化・超高齢化の小規模町村における地域福祉・連携推進のあり方」のテーマが採択され、その一環で今回の事業は取り組まれました。
〇参加者は50名弱でしたが、オンラインでの参加もあり、かつ遠くは塩尻市からも参加してくれ、嬉しい集いになりました。詳しい報告書は、後日長野県社会福祉協議会から出されると思います。
〇『南信州地域福祉・連携推進の集い』では、小規模町村であればあるほど、社会福祉の分野での「縦割り福祉」を無くし、地域共生社会政策が求めているような全世代対応型の福祉サービスの提供、農福連携、工福連携も含めた「福祉は地域づくり」という考え方が必要で、そのためには施設経営の社会福祉法人、社会福祉協議会が一体的に、オール福祉という視点で取り組む必要があること、個々の町村だけでなく、圏域を拡大して連携社会福祉法人の考え方を導入することの必要性を述べました。それらの拠点に施設経営の社会福祉法人が地域貢献事業を発展させて取り組みを進めること、行政と社会福祉協議会が協働して重層的支援体制整備事業を推進する必要性があることを述べました。
〇その上で、島根県海士町(人口2200人、高齢化率39・9%)の社会福祉協議会が中心になって、施設経営の二つの社会福祉法人と町社会福祉協議会が合併した実践(「月刊福祉」2025年4月号の片桐一彦論文参照)や『過疎地域の福祉革命』(安田由加里著、幻冬舎)を紹介しました。
〇私にとって、今回の飯田市訪問は、36年ぐらい前に、飯田市の社会福祉大会に招聘された際に訪れて以来ということで、本当に久しぶりの訪問でした。

(2)“私の地域福祉実践・研究の心のふるさと”阿智村の住民主体の地域づくり
〇私にとって飯田・下伊那地域は“私の地域福祉実践・研究の心のふるさと”なのです。
〇私は、社会教育法第3条の“実際生活に即する文化的教養”を高める社会教育の実践こそが大切で、それには地域住民の問題発見・問題解決型共同学習の実践による地域づくり、社会教育の振興が大切だと教わり、そこに地域福祉と社会教育との学際研究の糸口を見出しました。
〇私が、市町村の地域福祉計画策定における住民座談会の開催を大事にし、そこで明らかになった住民のニーズを基に、新しい福祉サービスの開発、福祉サービス供給システムの構築の必要性を指摘してきたことは下伊那から学んだものです。更に、私が地域福祉の4つの主体形成の必要性を指摘していることも下伊那から学んだことです。
〇1966年2月に、私(当時日本社会事業大学の学部3年生)は、恩師の小川利夫先生が阿智村で講演される機会に帯同し、阿智村の公民館主事であった岡庭一雄さんの家に寄宿させて頂いて、社会教育実習、社会福祉実習をさせて頂きました。寒い地域なので、私はアノラック姿で役場に出勤したら、教育長に怒られ、急遽、岡庭一雄さんの背広を借りて、実習をすることになりました。
〇実習中に参加した下伊那郡阿智村での住民集会は、岡庭公民館主事、園原保健師、生活改良普及員(名前を忘れました)と私のように福祉を学び、社会教育との学際研究・実践を志す学生の4人で地域に入りました。その時の経験が“私の地域福祉実践・研究の心のふるさと”なのです。その時の住民の生活の厳しさ、日常生活とその意識を変えることの難しさ、住民の生活の厳しい状況の社会構造、在宅の障害者の生活実態などについて私はいろいろ考える機会を与えて頂きました。
〇ちなみに、その時の実習は、阿智村に続いて喬木村、松川町の実習と続きます。喬木村では、当時進められていた長野県の小渋川開発に関する住民の学習に供するため、「公民館報喬木」に土地収用法の解説を分かりやすく書けといわれ、法学を専門に学んだものでないにも関わらず執筆したことを覚えています。
〇また、松川町では、全国的に有名になり、その後、全国の保健師が松川町詣でをする“聖地”になった「松川町健康学習の集い」の第1回に参加した思い出があります。それは“風が吹けば桶屋が儲かる”との例えとよく似ていて、松川町で①子ども虫歯が多い、②親が袋菓子をまるごと与えている、③なぜ親が袋菓子をまるごと与えているかというと、親は果樹栽培に忙しく、子どもの世話が十分できないといった生活実態を明らかにし、住民がどうしたらいいのかを考える集いでした。その頃、“農家の嫁を9時に寝かせる”運動にも取り組んでいました。
〇この後、私は長野県茅野市、中野市、須坂市、山ノ内町等、当時東京大学教育学部を卒業し、長野県の市町に就職し、社会教育活動に邁進している先輩たちを訪ね歩きました。山ノ内町では、柄沢社会教育主事が運転するバイクの後ろに乗り、寒風吹きすさぶ夜、リンゴ畑の中を走り、青年たちの学習会に参加したりしました。その時は、小学校の部屋で寄宿させて頂き、とても寒い夜を過ごしたことも楽しい思い出に残っています。
〇このような実習を可能にさせてくれたのは、長野県社会教育主事たちのネットワークがあったからであり、中でも東京大学教育学部の宮原誠一研究室の先輩達のお陰です。この場を借りて、改めて60年前の恩義に厚く感謝とお礼を申し上げます。
〇と同時に、恩師の小川利夫先生のお陰でもあります。小川利夫先生は,箴言として「人の幸せ、それは人と人とのふれあいの豊かさと深さにある」(1993年2月20日)と述べているように、人と人とのつながりを大切にし、手帳にはがきを挟んでおいて、旅先からでもせっせと手紙を書いて出している先生でした。実践者を組織化し、研究者を組織化することを常に心がけている先生で、私が提唱してきた「実践家と研究者のバッテリー型研究方法」は小川利夫先生に大きな影響を受けています。
〇小川利夫先生は、阿智村でも名古屋大学社会教育研究室を中軸にした「生涯学習セミナー」を開催しています。
〇小川利夫先生は、自分の名刺に“大橋謙策君をよろしく頼む”と一筆書きし、印鑑を押してくれて、これをもってどこそこの誰々を訪ねろと何枚も名刺を持たせてくれました。いわば、“通行手形”のようなもので、それがあったために、見ず知らずの私を多くの先輩たちが受け入れてくれた訳です。そんな小川利夫先生を研究者として見習おうと努めてきましたが、いまだ足元にも及ばない状況です。
〇今回の訪問では、喬木村の実習で寄宿させて頂いた喬木村阿島の曹洞宗の淵静寺に寄り、お世話になった小原玄祐さん(喬木村の社会教育主事でもあった)、小原道子さん夫妻の墓参をさせて頂きました。
〇阿智村では、岡庭一雄さんの家にお邪魔し、お世話になったお母さまの仏壇にお線香をあげさせて頂き、昔のご恩に感謝とお礼を捧げさせて頂きました。
〇その後、岡村一雄さんの車で村内を案内して頂きながら、阿智村の地域づくりについていろいろお話を伺いました。
〇岡庭一雄さんは、私の一年先輩で、1942年生まれです。私と境遇がよく似ており、1944年に御父上が出征し、戦死されています。私は1943年10月生まれで、父は1944年の5月に出征し、シベリア抑留中に病死しました。そんなこともあり、私は岡庭一雄さんにとても親しみを感じていました。
〇私が阿智村で実習させて頂いた時、岡庭さんは公民館主事で、その後阿智村の社会教育係長、商工観光課長、建設課長、環境水道課長を経て1997年12月に退職し、翌年の1998年2月に行われた村長選挙に青年層から担ぎ出されて当選。村長を4期務められました。
〇岡庭村政の理念を私なりに一言でいうならば「住民主体の地域づくりを行政が支える」というもので、行政と住民の協働という考え方よりも、一歩先を行った住民自治の村政といってよいと思います。
〇それは、1967年から続けられている「阿智村社会教育研究集会」の伝統が基盤となっています。「阿智村社会教育研究集会」は、「地域の子育て」、「健康づくり」、「福祉」、「地域と産業」、「自然・歴史・文化」等の分科会が開設され、住民自身の手で内容の企画、当日の進行・記録まで行われる住民主体の集会です。これらの阿智村の社会教育振興には、私の恩師である小川利夫先生が深く関わっています。
〇この方式は、「社会教育研究全国集会」の阿智村版で、私などもそれに学び1970年代に東京都稲城市で同じようなセミナーを開催してきました。28回続けてきた日本地域福祉研究所の全国地域福祉実践研究セミナーや26回になった四国地域福祉実践研究セミナーもこの手作りの、住民主体で運営される「社会教育研究全国集会」に学んだものです。
〇「阿智村社会教育研究集会」で、住民たちが地域の問題を出し合い、論議し、その改善、改革を図る力を身に着ける活動を継続していけているということが、阿智村村政の底流にあるということをしっかりと見据えなければならないとつくづく思いました。
〇私が4つの地域福祉の主体形成(①地域福祉実践の主体形成、②地域福祉サービス利用の主体形成、③地域福祉計画策定の主体形成、④社会保険契約の主体形成)の重要性を1970年代末に指摘し、そのための福祉教育の必要性をのべたのも、同じ考え方です。
〇これらの社会教育の振興に尽力した公民館主事、社会教育主事の集団が当時下伊那地域にあり、喬木村の島田修一社会教育主事(後に東京大学教育学部助手、中央大学教授)や松川町の松下拡社会教育主事等下伊那・飯田地区の社会教育関係職員が、自分たちのあるべき姿を求めて、「下伊那テーゼ」と呼ばれる社会教育主事、公民館主事の行動規範を作成します。岡庭一雄さんはそれらの集団の仲間と切磋琢磨し、住民自治と社会教育の重要性に目覚めていったのだと思います。
〇阿智村では、従来の自然発生的町内会(集落)ではなく、住民主体で地域づくりを担ってもらうことを目的に、平成10年から新たな自治会を組織することを住民に要請してきました。自治会には、自治会ごとに5か年間の地区計画(地域づくり計画)を作ってもらい、各地区の特色を活かした住民主体の地域づくりを推進しています。行政は、「自治会活動支援金」制度を作り、自治会活動の活性化を支援しています。
〇私は1990年代初頭に、東京都社会福祉審議会で「第3の分権化」の必要性を提起し、答申に盛り込まれています。「第3の分権化」とは、国から都道府県(第1の分権化)、都道府県から市町村(第2の分権化)、市町村から地域住民組織への分権化(第3の分権化)であり、社会福祉分野における住民主体の地域づくりの必要性と重要性を指摘しました。
〇この「第3の分権化」構想は、市町村に公民館を設置する際に、中央公民館構想で行くのか、自律した、各々の地区が独立した地区公民館構想で行くのかという論議を1970年代初頭に、私自身が住んでいる東京都稲城市の社会教育委員として論議した時からの課題、構想でした。
〇また、1970年代から、私は幾度となくデンマーク、スウェーデンに調査研究に行き、対人福祉サービスを住民のニーズに対応して、きめ細かく提供するために、市町村の中を分権化して、地区毎に権限を与えてサービスを提供しているシステムを見聞し、日本の在宅福祉サービスを展開する上ではこの「第3の分権化」が必要であると温めていた構想でした。そこでは、デンマークの生活支援法やスウェーデンの社会サービス法が大変参考になりました。
〇ところで、 阿智村の住民主体の地域づくりを最も具現化している方式が、平成13年度(2001年度)から進められている「阿智村むらづくり委員会事業」だと思います。
〇「村づくり委員会事業」は、阿智村の協働活動推進課の予算事業で、5人以上の村民が集まって行う自主的な村づくりの活動です。補助金は原則10万円以内ですが、研修に必要な講師の旅費、講師の謝金、参考図書代、印刷製本費などに支出可能で、補助決定の決裁権は村長ではなく、協働活動推進課の課長決済で行われています。岡庭さん曰く、村長決済だと、どうしても政治がらみになりかねないので、課長決済にしたということです。
〇この「村づくり委員会事業」は、今まで18団体が助成を受け、活動を展開してきているという。代表的な事例としては、平成13年(2001年)に養護学校(当時)の在学生の親たちが中心となって「通所施設を考える会」を発足させ、それがのちに「村づくり委員会事業」に採択され、検討を重ね、2005年社会福祉法人「夢のつばさ」が開設されます。現在では、グループホーム、地域活動支援センター、多機能型事業所、移動支援事業等の7つの拠点事業所でサービスを提供しています。阿智村の障害者の概況は身体障害者手帳所持者約500人、療育手帳所持者約50名、精神保健福祉手帳所持者約20名となっており、社会福祉法人「夢のつばさ」が多機能型事業所を経営していることもあり、阿智村での大きな拠り所になっています。
〇また、「村づくり委員会事業」の一つとして、「図書館づくり委員会」があります。この委員会は、以前から住民が読み聞かせ活動をしていたこともあり、「村づくり委員会事業」として最初に認定された委員会です。結果的に、中央公民館を改修し、その中に図書館を建設することになりました。「村づくり委員会事業」のメンバーであった住民が図書館司書の資格を取得し、現在図書館に勤めているといいます。
〇このように、阿智村の「村づくり委員会事業」は、静岡県掛川市の榛村純一市長が1970年代に提唱した「選択的土着民」の形成を行っており、住民主体の村づくりに大きく貢献をしてきたと言える。
〇阿智村の村づくりに大きく関わった小川利夫先生は、常に「福祉は教育の母体であり、教育は福祉の結晶である。社会教育は教育と福祉、福祉と教育を結ぶものである」、(1993年2月19日)と言い続けてきましたが、その考え方が実証された阿智村の実践と言えます(岡庭一雄、細山俊男、辻浩編『自治が育つ学びと協働 南信州・阿智村』自治体研究社、2018年2月参照)。

Ⅱ 閑話

〇去る3月29日~30日に、子どもたちが企画して、私たち夫妻の「金婚式」と「傘寿の祝い」を湯河原温泉の創業80年の宿でしてくれました。紫色の被りものとちゃんちゃんこを着せられ、写真を撮りました。
〇新型コロナで延び延びになっていた「金婚式」と孫たちの受験等もあって「傘寿の祝い」も延期されていました。「還暦の祝い」も湯河原温泉、「古希の祝い」も湯河原温泉で、宿は各々違いましたが、何か奇しくも同じ湯河原温泉で行われました。
〇部屋から眺める、苔むした庭には樹齢100年の梅の古木があり、梅の花は終わっていましたが、温泉の湯舟からの桜と利休梅の花が丁度見頃でした。温泉と美味しい料理に舌鼓を打ち、満たされた旅行を楽しみました。
〇帰路、熱海のMOA美術館に寄り、歌川広重の浮世絵を心置きなく見ることができました。まさに至福の時でした。
(2025年4月4日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。

阪野貢先生のブログには、「大橋謙策の福祉教育論」というコーナーがあり、その「アーカイブ(1)著書」の中に、阪野貢先生が編集された「大橋謙策の電子書籍」(『大橋謙策研究』)があります。ご参照ください。
第1巻「四国お遍路紀行・熊野古道紀行―歩き来て自然と生きる意味を知るー」
第2巻「老爺心お節介情報―お変わりなくお過ごしでしょうかー」
第3巻「地域福祉と福祉教育―鼎談と講演―」
第4巻「異端から正統へ・50年の闘いー「バッテリー型研究」方法の体系化―」
第5巻「研修・講演録―地域福祉の過去から未来へ―」
第6巻「経歴と研究業績―地域福祉実践・研究の系譜―」

老爺心お節介情報/臨時特別号(2025年4月26日)

「老爺心お節介情報」臨時特別号

日本地域福祉研究所の皆様
「老爺心お節介情報」読者の皆様

日本地域福祉研究所が日韓交流を深めようと韓国での第1回セミナーを開催したのが1996年です。それ以降、6 回に亘り、韓国各地でセミナーをやってきました。

今年は、日韓国交回復60周年、「村山談話」が発出されて30周年です。

これを記念し、かつ拙著『地域福祉とは何か』の韓国版翻訳が、金玄勲さん(ソウル市社会福祉協議会会長)及び崔太子さんの努力で完成しましたので、その出版記念会も兼ねて、下記の通り、日韓地域福祉関係者交流をしようとの企画が進んでいます。

私も今回が最後の訪韓になるかもしれないので、韓国の関係者との旧交を温めるのを楽しみにしています。

お忙しい皆様ですので、とりあえず日程だけでもお知らせしておいた方がいいかと思い連絡致します。

私は、820日にソウル入りし、23日帰国の予定で計画を立てたいと思っています。

一、 日韓地域福祉関係者交流の集い

二、2025年8月21日(木)

三、場所、ソウル

大橋謙策/大橋謙策研究 別巻:地域包括ケア・介護・CSWの潮流と展望

 


 

目   次

地域福祉からみる社会福祉法人の可能性‥‥‥2
―コミュニティソーシャルワークの可能性を考える―

ICFの視点に基づくケアマネジメントと福祉用具の活用‥‥‥18

社会福祉学研究シラバス‥‥‥24
―社会福祉学の性格及び構造と社会福祉教育・研究の課題―

社会サービスと社会福祉との関連について‥‥‥29

デンマークのケアマネージメント・システムと
サービス利用者の自己決定の原則‥‥‥45

イギリスの民間社会福祉活動(研究ノート)‥‥‥72

学校教育と地域福祉―福祉の視点から学校を問う―‥‥‥83

ソーシャルワークの挑戦と対応‥‥‥93
―アジア太平洋地域における新しいパラダイムの開発―

コミュニティケアとソーシャルワーカーの専門性‥‥‥102

市町村における地域福祉の展開と子育て支援のあり方‥‥‥120
―保育所の今後の課題―

ソーシャルワーク:発展のための触媒‥‥‥127

地域トータルケアと国際的ヒューマンセキュリティー‥‥‥132
―ソーシャルワーク教育を中心にして―

地域で社会福祉をどう育てるか‥‥‥137

博愛の精神に基づく寄付の文化の醸成‥‥‥149
―共同募金60周年と今後の展望―

憲法25条と博愛―社会福祉とは何かを悩んで30年―‥‥‥155

地方分権化におけるまちづくりと社会教育委員の役割‥‥‥156

地域福祉の主体形成と社会教育‥‥‥162

地域福祉の展開と社会教育‥‥‥169

ICFの視点を踏まえたケアマネジメントと福祉用具の普及‥‥‥177

戦後社会福祉学界を牽引した巨頭逝く‥‥‥183
―仲村優一先生、三浦文夫先生の逝去を悼む―

21世紀型トータルケアシステムの創造と地域福祉‥‥‥185

1


地域福祉からみる社会福祉法人の可能性

―コミュニティソーシャルワークの可能性を考える―


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出典:『平成25年度 かながわライフサポート事業報告書』神奈川県社会福祉協議会、2014年10月、31~46ページ。

 


ICFの視点に基づく
ケアマネジメントと福祉用具の活用


18


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22


23


出典:『日本生活支援工学会誌』第13巻第2号、日本生活支援工学会、2013年12月、3~8ページ。

 


社会福祉学研究シラバス

―社会福祉学の性格及び構造と社会福祉教育・研究の課題―


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出典:東北福祉大学大学院総合福祉学研究科シラバス(2014年版)。

 


社会サービスと社会福との関連について


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出典:『25年のあゆみ―日本社会事業大学大橋ゼミ―』日本社会事業大学大橋ゼミホームカミングデー実行委員会、1999年11月、25~32ページ。

 


デンマークのケアマーネジメン・システムと
サービス利用者の自己決定の原則


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出典:『25年のあゆみ―日本社会事業大学大橋ゼミ―』日本社会事業大学大橋ゼミホームカミングデー実行委員会、1999年11月、36~49ページ。

 


イギリスの民間社会福祉活動(研究ノート)


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出典:『25年のあゆみ―日本社会事業大学大橋ゼミ―』日本社会事業大学大橋ゼミホームカミングデー実行委員会、1999年11月、50~55ページ。

 


学校教育と地域福祉

―福祉の視点から学校を問う―



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91


92


出典:『地域福祉研究』No.20、日本生命済生会福祉事業部、1992年5月、33~42ページ。

 


ソーシャルワークの挑戦と対応

―アジア太平洋地域における新しいパラダイムの開発―


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100


101


出典:『35年のあゆみ―日本社会事業大学大橋ゼミ―』日本社会事業大学大橋ゼミホームカミングデー実行委員会、2008年10月、56~64ページ。

 


コミュニティケアとソーシャルワーカーの専門性


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出典:『社会福祉の新たな地平と日本社会事業大学 資料集第2巻』日本社会事業大学学生課、発行年不明、11~28ページ。

 


市町村における地域福祉の展開と子育て支援のあり方

―保育所の今後の課題―


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122


123


124


125


126


出典:『保育年報(2006)』全国社会福祉協議会、2006年7月、9~15ページ。
『社会福祉の新たな地平と日本社会事業大学 資料集第2巻』日本社会事業大学学生課、発行年不明、31~37ページ。

 


ソーシャルワーク:発展のための触媒


127


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129


130



131


出典:『社会福祉の新たな地平と日本社会事業大学 資料集第2巻』日本社会事業大学学生課、発行年不明、53~57ページ。

 


地域トータルケアと国際的ヒューマンセキュリティー

―ソーシャルワーク教育を中心にして―


132


133


134


135


136


出典:『学術の動向』第12巻第10号、財団法人日本学術協力財団、2007年10月、66~70ページ。
『社会福祉の新たな地平と日本社会事業大学 資料集第2巻』日本社会事業大学学生課、発行年不明、61~65ページ。

 


地域で社会福祉をどう育てるか


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146


147


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出典:『日本ソーシャルワーカー協会会報』第50号(通巻第100号)、特定非営利活動法人日本ソーシャルワーカー協会、2007年8月。
『社会福祉の新たな地平と日本社会事業大学 資料集第2巻』日本社会事業大学学生課、発行年不明、67~78ページ。

 


博愛の精神に基づく寄付の文化の醸成

―共同募金60周年と今後の展望―


149


150


151


152


153


154


出典:『月刊福祉』第89巻第12号、全国社会福祉協議会、2006年11月、12~17ページ。
『社会福祉の新たな地平と日本社会事業大学 資料集第2巻』日本社会事業大学学生課、発行年不明、85~90ページ。

 


憲法25条と博愛

―社会福祉とは何かを悩んで30年―


 

155


出典:『黎明会だより』第95号、黎明会、2006年10月。
『社会福祉の新たな地平と日本社会事業大学 資料集第2巻』日本社会事業大学学生課、発行年不明、94ページ。

 


地方分権化におけるまちづくりと
社会教育委員の役割


156


157


158


159


160


161


出典:『社会教育』通巻第719号、財団法人全日本社会教育連合会、2006年5月、8~13ページ。
『社会福祉の新たな地平と日本社会事業大学 資料集第2巻』日本社会事業大学学生課、発行年不明、101~106ページ。

 


地域福祉の主体形成と社会教育


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165


166


167


168


出典:『月刊福祉』第60巻第10号、全国社会福祉協議会、1977年10月、106~112ページ。

 


地域福祉の展開と社会教育


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172


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174


175


176


出典:『月刊社会教育』第35巻第10号、旬報社、1991年10月、6~13ページ。

 


ICFの視点を踏まえた
ケアマネジメントと福祉用具の普及


177



178


179


180


181


182


出典:『福祉介護』第5巻第6号、日本工業出版、2012年6月、1~6ページ。

 


戦後社会福祉学界を牽引した巨頭逝く

―仲村優一先生、三浦文夫先生の逝去を悼む―


183


184


出典:『月刊福祉』第99巻第3号、全国社会福祉協議会、2016年2月、98~99ページ。

 


21世紀型トータルケアシステムの創造と地域福祉


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出典:日本地域福祉研究所監修、大橋謙策ほか編『21世紀型トータルケアシステムの創造―遠野ハートフルプランの展開―』万葉舎、2002年9月、1~56ページ。

 


 

大橋謙策研究 別巻
地域包括ケア・介護・CSWの潮流と展望―理論と実践―

発 行:2025年4月25日
著 者:大橋謙策
発行者:田村禎章、三ツ石行宏
発行所:市民福祉教育研究所

 


老爺心お節介情報/第67号(2025年3月17日)

「老爺心お節介情報」第67号

域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

お変わりありませんか。
「老爺心お節介情報」第67号を送ります。
能登半島地震支援特集です。
皆さまご自愛ください。

2025年3月17日  大橋 謙策

〇皆さんお変わりありませんか。我が家の庭では、梅が咲き終わり、今は山茱萸、沈丁花、ミツバツツジ,水仙、春蘭が咲き、花盛りの春になりました。散歩に良く行く、近くの公園では、ハクモクレン、桜も満開です。
〇3月11日から14日まで、能登半島地震の被災者支援の状況を調べるため、前回行けなかった輪島市、能登町、志賀町を主に廻ってきました。それは後述しますが、まずは 旧聞になりますが、話題提供二題。
(2025年3月16日記)

Ⅰ 金沢市社会福祉協議会創設70周年記念行事に参加――善隣館を訪問

〇私は2月2日に行われた「金沢市社会福祉協議会創設70周年記念祝賀会」に招聘され、記念講演をしてきました。
〇その折に、昭和9年に当時の方面委員により第1号が設立された「善隣館」を見学したいと思い、訪問させて頂きました。
〇「善隣館」は金沢市の方面委員が大阪での実践を視察調査し、昭和9年に方面委員であった安藤謙治、荒崎良道、浦上太吉郎らが中心になって作られた地域福祉活動の拠点であり、保育所、授産事業等を展開した。「善隣館」は、多い時で19か所が設立され、現在は11館が活動を展開している。
〇金沢市の「善隣館」は戦後公民館がつくられてくる中で、社会教育活動は衰退し、社会福祉事業に特化されていく。宮崎県都城市の自治公民館は、住民が財源も含めて負担し、文字通りコミュニティセンター機能を有している住民が運営する公民館であるが、「善隣館」は、篤志家である方面委員が設立し、地域のコミュニティセンターとして活動を展開してきた。戦後は維持が困難となり、社会福祉法人されて、社会福祉事業を展開していくことになる(この「善隣館」については、全国社会福祉協議会出版部から『小地域福祉活動の歴史・金沢善隣館の過去・現在・未来』(阿部志郎他著、1993年)が出版されている)。
〇私は以前にも別の善隣館を訪問させて頂いたが、今回は社会福祉法人小立野善隣館子ども園を訪問させて頂いた。
〇小立野善隣館は、加賀藩の菩提寺並びに将軍徳川家の位牌寺として栄えた由緒ある浄土宗・如来寺の住職・吉田善堂氏が、方面委員に就任している際の昭和15年10月に設立したものである。小立野善隣館は隣保館、診療所、保育園を経営してきました。
〇第3代目理事長の吉田昭生長老と話をしていて、“世間はとても狭い”ものであり、“縁によって結ばれているものである”とつくづく思わさせられた。
〇というのも、吉田昭生長老の弟さんが、氷見市の小境にある浄土宗のお寺・大栄寺の住職・故吉田昭寿さんだということが分ったからである。
〇吉田昭寿さんは、氷見市民生・児童委員協議会の会長の他、富山県民生・児童委員協議会の会長、全国民生・児童委員協議会副会長、氷見市社会福祉協議会の副会長を歴任され、浄土宗の教務部長もされた富山県における重鎮でした。私は、氷見市の社会福祉行政、氷見市社会福祉協議会のアドバイザーを長く勤めていた縁もあり、大変お世話になった方でした。
〇その方が、如来寺の吉田長老の弟さんと分かり、本当に驚きました。世間とは本当に狭いものだと襟を正しました。
〇小立野隣保館は、現在社会福祉法人の資格を得て、高齢者のデイサービスと放課後デイサービスを実施して経営を成り立たせている。戦後、各地の隣保館が経営的に維持するのが厳しくなり、保育所等を経営して対応してきているが、地域のコミュニティセンター機能はそれなりに意識されて取り組まれている。
〇吉田昭生長老の妹の啓子さんが園長している小立野善隣館子ども園の保育方針と保育環境には大変感動した。
〇吉田啓子園長が北欧を視察して、その考え方を導入したものだということであるが、1つには遊具が大変工夫されていた。その代表がハンモックである。また、2つには高価だっただろうと推察されるが、家具が木目の美しい木材で作られており、部屋全体が木材の優しさに包まれている。3つ目には、調理場がガラス張りで、園児たちが調理している様子を見ることができる。自分たちの食べ物がどのようにして作られているかということを知ることはとても大切である、4つ目には、野外の遊具が冒険的で、子どもたちをわくわくさせるような遊具が備えられている。5つ目には一斉保育でなく、異年齢集団での保育も考えられており、とても感心した、
〇私自身、幼稚園の副園長を、非常勤ではあったが、5年間勤めて、それなりの保育観を持っているが、まったく同感できる保育所であった。
〇後日談になるが、後述する3月11日から前回訪問できなかった能登半島地震の被災地輪島市、能登町、七尾市、志賀町を訪問したが、その折の3月13日に、吉田昭寿さんの娘さんが嫁いでいる、能登町にある数馬酒造(日本酒「竹葉」を出している。とても美味しいお酒です)を訪ね、娘さんの数馬浩子さんにお会いしてきた。とても素敵な令夫人です。)

Ⅱ 「いしかわソーシャルワーカー連絡会」で災害ソーシャルワークを考える

〇2025年2月1日に石川県社会福祉協議会と「いしかわソーシャルワーカー連絡会」の共催で、令和6年度地域共生セミナー『災害ソーシャルワークから地域共生社会を描く』が開催され、私も講演しました。
〇「いしかわソーシャルワーカー連絡会」は、石川県介護福祉士会、石川県介護支援専門員協会、石川県相談支援専門員協会、石川県精神保健福祉士会、石川県医療ソーシャルワーカー協会、石川県社会福祉士会の6団体で構成されている組織です。都道府県単位で、社会福祉関係専門職が横につながり、活動することは素晴らしいことです。
〇筆者は、日本学術会議の幹事をしている時に、日本のソーシャルワーク系の専門職団体とケアワーク系の専門職団体とが連携して全国協議会を持つべきだと考え提唱しました。その会議には、社会福祉学の研究をしている学会とソーシャルワーク教育、ケアワーク教育をしている日本社会事業学校連盟(当時)や日本介護福祉士養成校協議会も加わって、社会福祉専門職の養成、任用、研修をトータルで論議をしていくことが社会福祉専門職の地位を高めると同時に国民のQOLを高めることになると考えました。
〇結果的に関連する17団体が加盟してくれ、「ソーシャルケアサービス従事者研究協議会」が設立されました。
〇この組織は2000年5月に発足し、初代代表には仲村優一先生に就いて頂きました(第2代代表は大橋謙策、第3代代表は白澤政和)。
〇なぜ、このような組織を立ち上げたかというと、1990年に在宅福祉サービスが法定化され、1990年代に在宅福祉サービスの整備が進むと同時に、その利用者も増大していました。2000年に実施される介護保険制度では、施設福祉サービスと在宅福祉サービスとは2本立ての制度設計になりました。
〇施設福祉サービス利用者は、サービスが“まるめ”で提供されるので、利用者の個別のサービスについて「求めと必要と合意」に基づいてケアマネジメントが行われることはさほど重視されません。
〇ところが、在宅福祉サービスでは、どのサービスが必要なのか、利用者はどういうサービスを希望しているのかという「求めと必要と合意」に基づくケアマネジメントがとても重要になります。
〇また、施設福祉サービスでは、利用者は買い物をほとんどしないで済みますし、ゴミ出しを考えずに生活しています。夜間等の緊急時でも宿直職員が対応してくれます。
〇ところが、在宅福祉サービスではそれらの生活機能を誰が担ってくれるのか、それらのサービスはケアワーカーによる三大介護だけでは問題解決できません。そこでは、在宅福祉サービスを必要としている人の生き方、生きる希望、近隣関係、家族関係等を含めた生活支援のソーシャルワーク機能が必要になります。
〇1987年に「社会福祉士及び介護福祉士法」が成立した際には、福祉サービスはほぼ施設福祉サービスだけであり、そこではケアワーカーの養成・供給の問題は喫緊の課題でした。しかしながら、ソーシャルワーク機能の必要性についての認識は厚生省(当時)をはじめ、左程高くありませんでした。一部、社会福祉系大学の教員、研究者が声高にその必要性を述べていたに過ぎませんでした。
〇先に述べたように、1990年代の在宅福祉サービスの整備が増大してくるなかで、認知症高齢者、精神障害者、発達障害者などの生活のしづらさを抱えている人々がそれらの在宅福祉サービスを利用して在宅生活を送ることを希望し、利用が増大してくると核家族化の進展もともなって、ますますケアワークとソーシャルワークとの有機的提供が求められるようになってきました。
〇先の「ソーシャルケアサービス従事者研究協議会」を設立するに際して、その組織の名称をどうするかを主に仲村優一先生、田端光美先生と論議をし、一つは“ヒューマンケア”、もう一つは“ソーシャルケア”が候補に挙がりました。“ヒューマンケア”という名称は主にアメリカで使われており、“ソーシャルケア”は主にイギリスで使われていました。
〇結果的には、イギリスで1998年に設立されたソーシャルケア総合協議会(GSCC)が決め手になり、先の「ソーシャルケアサービス従事者研究協議会」の設立になりました。

(註)「ソーシャルケア」:イギリスでは、1970年に制定された「地方自治体社会サービス法」を担うべきソーシャルワーカーを養成するに当たって、従来の属性分野ごとのソーシャルワーク教育ではなく、ジェネリックアプローチができるソーシャルワーク養成・研修機関が必要だとして中央ソーシャルワーク教育研修協議会(CCETSW)を設立する。その後、「ケア基準法」(2000年)の制定との関わりで、中央ソーシャルワーク教育研修協議会(CCETSW)は1998年に廃止され、ケアワークの質の向上を目指すとともに、それを包含する形で、ソーシャルケア総合協議会(GSCC)を設置する。「ケア基準法は」は、ソーシャルケアの質を改善する根拠法である。ソーシャルケア総合協議会(GSCC)は、①専門ソーシャルワーカーの養成基準の責任、②ソーシャルケアサービス利用者の保護レベルの向上などを担う(『イギリス地域福祉の形成と展開』田端光美著、有斐閣、2003年参照)。日本では、アメリカ型の個人に焦点化させたヒューマンケアではなく、社会生活を支援することに焦点化させたイギリス型の動向を踏まえ、イギリスのGSCCと同じような理念を掲げて、2000年にソーシャルワークの専門職団体、ソーシャルワーク教育の団体、ケアワークの専門職団体、ケアワーク教育の養成団体が一堂に会して「ソーシャルケアサービス従事者研究協議会」が設立された(初代代表仲村優一、2代目代表大橋謙策、3代目代表白澤正和)。
(参考文献)
1,『イギリス地域福祉の形成と展開』田端光美著、有斐閣、2003年
2,「英国ソーシャルケアの市場化とその課題」正野良幸著、「京都女子大学生活福祉学科紀要 第11号」、2015年2月
3,「イギリスにおけるソーシャルワーカーの継続的能力・職能開発に関する一考察」白旗希実子著、東北公益文科大学、「産業教育学研究」第46巻第2号、2016年7月
4,「イギリスの社会的ケアに係る自治体評価と事業者評価の動向――ケアの質の合意及びアウンタビリティのメカニズムの視点からーー」長澤紀美子緒、「高知県立大学紀要 社会福祉学部編 第69号」、2019年12月
5、「英国の民間健康保険と高齢者ケアサービスーNHSとSocial Careが包含されている英国のヘルスケアシステムの特徴――」小林篤著、「損保ジャパン日本興亜総研レポートVol、74」、2021年3月

〇「いしかわソーシャルワーカー連絡会」のように、都道府県単位で“ソーシャルケア”の団体を組織してくれているのは、2003年に設立された「栃木県ソーシャルケア協議会」があり、先ごろ20周年行事が行われ、その際に作成された報告書が市販されている。
〇筆者は、その「いしかわソーシャルワーカー連絡会」で各団体の能登半島地震災害支援の報告を聞いた後、講演させて頂いたが、その冒頭で以下の3点を前提にして話をさせて頂いた。
① ・社会福祉制度の枠の中で、制度化されたサービスを利用して支援するのは、ソーシャルワークなのであろうか
・社会福祉士の資格を有している人が、生活のしづらさを抱えている人を支援するのはソーシャルワークなのだろうか、また、その人をソーシャルワーカーというのだろうか
② ・在宅福祉サービスを基盤とした地域福祉実践にはソーシャルワークとケアワークを有機的に提供するソーシャルケアという考え方が重要―2000年ソーシャルケアサービス従事者研究協議会、2003年栃木県ソーシャルケア協議会発足
③ ・社会福祉関係者、とりわけ社会福祉協議会関係者はボランティア活動というと、社会福祉協議会の“専売特許”と考えてこなかったであろうか。あの東京都のボランティア活動センターも、「ボランティア・市民活動センター」と衣替えし、保健福祉局からの補助金ではなく、生活文化局からの補助金で運営されているー能登半島地震・能登集中豪雨の支援における技能ボランティアの位置と活躍をどう見るか

〇ここで、考えて欲しいと思ったのは、社会福祉関係者が災害支援の活動について、それが“素朴に”ソーシャルワークだと考えていることである。社会福祉士等の資格を有している人が活動を行えば、それはソーシャルワークなのだと思っていることへの警鐘である。
〇筆者は、1970年代から、ケースワーク等を研究している社会福祉方法論研究の大学教員が、社会福祉職員として活動している人を気軽に“ソーシャルワーカー”と呼んでいることに相当の抵抗感を覚えた。その人が行っている活動、行動を見ているととても私の考え方ではソーシャルワーカーとは呼べないし、呼びたくないと思ってきた。
〇そんな経緯もあり、筆者は1980年代末から“ソーシャルワーク機能を最も具現化している人がソーシャルワーカーである“という言い方を使ってきた。保健師もソーシャルワーク機能を業務でしているし、弁護士もそうだし、教師もソーシャルワーク機能を展開している。
〇そのような中で、最もソーシャルワーク機能を具現化し、その活動においてソーシャルワーク機能を意識している人をソーシャルワーカーと呼びたいし、其の機能、活動している人が社会福祉士であって欲しいと願い、その実現に努力してきたつもりである。
〇だとすれば、能登半島地震の被災者支援において、「いしかわソーシャルワーカー連絡会」の構成団体の人々はソーシャルケア、ソーシャルワークをどれだけ意識して活動を展開してきたのかを考えて欲しいという思いで冒頭に述べさせて頂いた。
〇被災者支援という“極限状況”の中で頑張っていることには敬意を表し、感謝はするけれども、そこまでいわないと、災害被災者支援のあり方を考える社会福祉専門職団体としては物足りない。
〇社会福祉専門職団体が、ソーシャルケア、ソーシャルワーク機能を意識化して、その機能を具現化させる、その積み重ねが、国民からの信頼とソーシャルケア、ソーシャルワークの専門職としての位置を構築できるのではないか。
〇そのような視点から、社会福祉専門職の方々がどれだけ災害被災者支援においてソーシャルワーク機能を意識したかを私なりに提示させて頂いて講演をした。まさに、NHKの番組「チコちゃんに叱られる」ではないが、社会福祉専門職の人々に〝喝“を入れて、”ボート生きてんじゃねーよ“と訴えたかったからである。
〇講演内容は、以下の柱で行った。
ⅰ)災害対策基本法、災害救助法における救命・救急とソーシャルワーク支援との区別化
ⅱ)被災後のステージ毎に変容する生活課題、生活のしづらさへのソーシャルワーク支援
ⅲ)被災による生活変容の課題とソーシャルワーク機能
ⅳ)災害対策基本法に基づく「避難行動要支援者」名簿作成と災害支援ソーシャルワーク
ⅴ)災害被災者支援のソーシャルワークと地域包括ケアシステムの構築

Ⅲ 能登半島地震・能登集中豪雨被災者支援から何を学ぶか

〇3月11日から14日まで、前回の訪問で行けなかった輪島市、能登町、志賀町を中心に再度、社会福祉関係者が今回の災害支援から何を学ぶべきかということを目的に訪問させて頂いた。
〇今回の訪問も石川県社会福祉協議会の茂尾亜紀さんと村田明日香さん(七尾市中島町出身の被災者、中島町は仲代達也氏が主宰する無名塾が上演する観劇堂があるところ)にコーディネート及び運転をして頂き、多くの関係者に会えた。この紙上を借りて厚く感謝とお礼を申し上げたい。

(1)七尾市の和倉温泉の被害――産業連関経済の危機
〇3月11日、七尾市の和倉温泉の被害状況を確認してから奥能登へ入ろうということで、和倉温泉街を牽引してきた加賀屋旅館へ行った。
〇和倉温泉街は、星野リゾートとか協立リゾートとか、全国的に展開している外部資本を入れずに頑張ってきた街で、そのリーダーが加賀屋旅館であった。
〇加賀屋旅館は、七尾湾にせり出した形で立地しているのが、ある意味売りであったが、今回の能登半島地震では、その護岸部分が約1メートル近く沈下していて、建物の被害には厳しいものがあるのではないかと外から見て推察した。被災後1年以上経つが、営業を再開できているところは僅かで、地域経済の今後が懸念される。
〇和倉温泉街は旅館業を中心に回っている地域であり、旅館で使用するリネン関係の企業、旅館で働く仲居さんたちでにぎわう美容院、旅行に来られたお客さん目当てのかまぼこ、水産物などのお土産さん等産業連関表で能登半島地震の被災状況を明らかにしていくことも、社会福祉関係者は知っておくべき内容であろう。

(註)「産業連関表」とは、総務省が統計として出しているもので、我が国の経済構造を総体的に明らかにするとともに、経済波及効果分析や各種経済指標の基準改定を行う際の基礎資料となる。ある1つの産業部門は、他の産業部門から原材料や燃料などを購入し、これを加工して別の財・サービスを生産し、さらにそれを別の産業部門に対して販売する。購入した産業部門は、それらを原材料として、また別の財・サービスを生産する。このような財・サービスの「購入―生産―販売」という連鎖的つながりを表したのが産業連関表である(総務省)。

(2) 穴水町の「平和子ども園」の自主避難所開設・実践の素晴らしさ
〇穴水町にある「平和子ども園」は、被災の翌日の1月2日から自主避難所を開設した(園長は輪島市門前町に自宅があり、そこで被災。「平和子ども園」までは通常車で15分)。
〇ども連れの家族を主な対象に声を掛け、33人(1歳3か月の乳児入れて未就学児4名、小学生7名、中学生1名、高校生1名、大人が20名)が6室の保育室を利用して避難生活をした。延べ74人の避難者が利用した。中には、88歳の認知症の車いす生活の高齢者も家族ともども受け入れて生活をして頂いたという。また、大学受験の高校生には、特別室を作り、受験勉強してもらったという。その受験生は無事入試センター試験に受かり、志望校へ進学できたという。
〇当時「平和子ども園」には、災害備蓄用品が毛布20枚、サーモマット3枚、水2リットル、ペットボトル60本、簡易トイレ(使い捨て500回分)、運動用マット10枚、アルコール消毒液、お米、菓子類、折りたたみ椅子などもあった。水道は断水していたが、電気が通電していたし、Wi-Fiも使えたので自由に使って頂いたという。
〇1月3日には行政からカップ麺15,パン25個の支援があった他、他の家族や出入りの業者からの支援もあった。1月4日には、有難いことに、北海道の胆振地震で被災された
経験を持つ「リズム学園」が大量の物資をもって、救援に駆けつけてくれたという。
〇自衛隊による救援は1月5日には始まったが、自衛隊の入浴が1月7日に始まる前の1月6日には、子ども園にあるシャワー室を活用し、お湯をガスコンロ2台使って沸かし、体を拭いてもらって、大喜びされたという。
〇食事は、子ども園の厨房を使って、調理師の免許を持つ副園長(園長夫人)が避難者の食事をすべて作ったという。ある時、避難者が食事を一緒に作ると申し出てくれたが、副園長は“保育園の厨房は子どもの健康と衛生を守る砦、聖域なので、他の人は入らないでください”と言って、一人で食事の準備をしてくれたという。その食事内容は、避難所生活では考えられない、コロッケ、親子丼、牛丼、ちらし寿司、シュウマイ、出し巻き卵などが供されていた。
〇行政や他の機関から寄せられる情報はすべて掲示板に貼るなどして公開にしたし、自主避難所でありながら、行政と交渉して指定避難所と同じ扱いをしてもらった。なんと、避難生活中に、避難者と2回も飲み会をしたという。他の避難所では考えられない運営がされていた。
〇「平和子ども園」の園長であり、自主避難所を開設した日吉輝幸さんは、自主避難所を開設するかどうか随分葛藤したという。
〇結果的に、自主避難所を開設したのは、2017年度から石川県社会福祉協議会のモデル事業として、穴水町内の7社会福祉法人が協議会を作り、地域貢献活動していたことと祖母の代から保育所を開設し、地域づくりを志してきたDNAのなせる業かもしれないという。
〇「平和子ども園」は、そもそも昭和14年に瑞源寺保育所として創設されている(戦後、昭和28年に穴水第1平和保育園として認可)。
〇吉輝幸園長の祖母は曹洞宗瑞源寺の住職夫人で、方面委員に就任していた。当時、女性の方面委員は珍しいが、夫である瑞源寺住職が町長をされていたこともあったのか、方面委員になっている。当時の石川県の方面委員は金沢市の善隣館を設立し、保育所や診療所を開設しているなどの活動が活発に展開されていた時代であり、それに影響を受けたのか、「平和子ども園」の前身は昭和14年に設立されている。日吉輝幸園長は瑞源寺の三男に生れ、兄は住職をされている。そのような家系のDNAが自主避難所開設に向かわせたともいえる。
〇他方、2017年度から進められている社会福祉法人の地域貢献活動のなかで、地域共生社会の実現を訴えてきたこともあって、自主避難所開設に踏み切らせたのかもしれないという。
〇日吉輝幸園長が講演用にまとめたレジュメ、スライドには『令和6年能登半島地震 被災で見えた園の存在意義と役割――地域共生社会の担い手としてー』と書いてあるのを見ても、社会福祉法人としての責務、理念を大事にして開設されたことが伺える。

(3)穴水町におけるNPO法人のボランティア活動の広がりと活躍
〇穴水町には多数のボランティア団体が被災者支援の活動に関わってくれている。後述するレスキューストックヤードやADRAをはじめ、名古屋ボランティアネット、藤田医科大学、東京アクションプラン、JVOAD、真如園サーブ等が支援に関わってくれている。
「老爺心お節介情報」第63号で紹介した国際NGO・ADRAの小出一博さんもその一人である。
〇国際NGO・ADRAはキリスト教のセブンスデー・アドベンチスト教会を設立母体としており、世界120支部を有している大きな国際NGOである。日本では、認定NPO法人ADRA・Japanとして認定されており、宗教法人セブンスデー・アドベンチスト教団の総務部長である柴田俊生氏が理事長を務めている。ADRAの名称は、Adventist Development and Relief Agencyの頭文字からとられている。
〇穴水町での支援では、主に技術系ニーズに対応するボランティア活動を展開してくれている。
〇他方、穴水町に2007年の能登半島地震の際に、穴水町社会福祉協議会「災害ボランティアセンター」支援、「避難所対応・家の相談会」開催などの支援を行ってきた「認定NPO法人レスキューストックヤード」の活動も大きな支援となっている。
〇「認定NPO法人レスキューストックヤード」は、代表をしている栗田暢之氏が、名古屋大学職員として、阪神淡路大震災に際し、1500人の学生ボランティアのコーディネートをした経験から、1995年7月に立ち上がった「震災から学ぶボランティアネットの会」が前身で、2002年に「NPO法人レスキューストックヤード」として設立された。「認定NPO法人レスキューストックヤード」は、「老爺心お節介情報」第63号で紹介した穴水町災害ボランティアセンターの組織図の中の生活支援ニーズに対応したボランティア活動を展開してくれている。
〇能登半島地震支援のNPO法人等のボランティア団体の受け入れ、調整は石川県災害対策ボランティア本部(石川県女性活躍・県民協働課)に対し、NPO法人レスキューストックヤードは県と連繋して活動をしている団体、個人であることを示す「災害ボランティア支援車両」というステッカーや名札・腕章の貸与をお願いしている。これはとても重要なことで、ボランティア活動だから自由にと言っても住民は今日の特殊詐欺が起こる状況の中ではなかなか訪問してくるボランティアを信用することができない。
〇ボランティア活動だから自由にということではなく、行政や社会福祉協議会との連携の中で活動して欲しいが、行政も社会福祉協議会もボランティア活動やNPO法人の活動実態を必ずしも全体的に把握できていない。これからは、ボランティア活動を規制、制約するわけではないが、一定のルール化が求められているのではないか。
〇「認定NPO法人レスキューストックヤード」は、生活支援の活動として、避難所のトイレ・寝床の生活環境整備、栄養のバランスや温食を考えた炊き出し、在宅避難者の困りごとニーズ調査やサロン開催などの活動を行っている。
〇「認定NPO法人レスキューストックヤード」の代表者である栗田暢之さんは、内閣府が2022年度から設置した「避難生活支援・防災人材育成エコシステムの構築に向けた具体化検討会」の座長もしており、「中長期支援に向けた避難所生活環境アセスメントシート」も開発、運用している。
〇このようなNPO法人の災害支援の状況をみていると、社会福祉協議会がいまだ「災害ボランティアセンター」の設置、運用していることが、如何に時代遅れであるか分かるし、いつまでも“ボランティアセンター”の活動でいいのかと言いたくなる。最近では、「災害福祉支援ボランティアセンター」と名称を変えてきているが、その内容が今一つはっきりしない。
〇社会福祉協議会は、災害被災者支援のソーシャルワーク機能を具現化できるシステムと能力を身に着けるべきである。 そのことを意識しないで、「DWAT」の活動に流れることは慎まなければならない。
〇国は、被災者支援の制度として、「被災高齢者等把握事業」を特定非常災害の場合には国の補助金10分の10の補助率で行っており、介護支援専門員などの職能団体から派遣された専門職により、災害救助法の適用から概ね3か月以内の間で、集中的に被災高齢者等の実態把握を求めている。その事業の中には①戸別訪問に基づく専門的な生活支援等の助言の実施、②その他被災者の状態悪化の防止を図るため、被災高齢者等の把握と一体的に行うことが効果的な取組として実施主体が認めた事業が挙げられており、これらの事業にどう社会福祉協議会が関わり、ソーシャルワーク機能を発揮できるかが問われていると言わざるを得ない。
〇また、国は「被災者見守り・相談支援等事業」を特定非常災害の場合には10分の10の補助率で実施している。これは、いわゆる「地域支え合いセンター」と呼ばれるもので、多くの場合、社会福祉協議会が受託している。この事業の支援対象者は災害救助法に基づく応急仮設住宅への入居者とされているが、在宅であっても災害を要因として孤立する恐れがある者を支援対象者に含めて差支えないとされている。
〇この「被災者見守り・相談支援等事業」は、事業実施期間中に、可能な限り一般施策による支援での対応を検討するとともに、本事業終了後の支援体制構築のため、民生委員・児童委員による見守りや生活困窮者自立支援制度などによる支援など、一般施策による支援へ移行していくことを十分に検討することとされている。
〇まさに、これこそ、社会福祉協議会が平時から行っておかなければならに活動であり、よりその機能を発揮するためにも、重層的支援体制整備事業を被災市町村は積極的に受託していくべきである。

(註)「認定NPO法人レスキューストックヤード」に関する情報は、代表の栗田暢之さんから国際NGO・ADRAの小出一博さんを通じて頂いたもので、この紙上を借りてお礼を申し上げる次第である。

〇ちなみに、珠洲市でボランティア活動を展開してくれたNPOは、技術系で災害救援レスキューアシスト、チームふじさん、愛・知・人(ブルーシート張り)、ピースボート災害支援センター、日本財団、DRT JAPAN(電気関係)、DEF TOKYO(電気関係)、ボウサリング(子ども支援)等があり、生活支援や保健・医療関係では日本レスキュー協会、ピースウィンズ・ジャパン、弘生福祉会、鳥越福祉会、すず椿、ひのきしんセンター等が支援に参加している。
〇この他、石川県精神保健福祉士協会、日本医療ソーシャルワーカー協会、石川県社会福祉士会、介護支援専門員協会、相談支援専門員協会、日本災害看護学会等の専門職団体、学会の関係者も支援に入っている。 更には、DWATの支援も含めて、介護福祉士会も支援してくれている。
〇このように、今や災害支援のボランティア活動は社会福祉協議会だけを見ていればいいというものではなく、多様な組織が支援に入ってくれている。しかしながら、それらの全体を俯瞰し、調整するプラットホーム機能が必ずしもできていない。福祉避難所や在宅の被災者支援においては、行政と社会福祉協議会がそれなりにプラットホーム機能を持てているが、施設関係まで含めると全体像が必ずしも見えていないのが現状ではないだろうか。能登町でも、重機を活用しての技術ボランティア団体「OPEN JAPAN」が頑張っているというので訪ねたが、代表の肥田さんは大船渡山林火災に駆けつけたということで会えず、話を聞けなかった。

(註)一般社団法人OPEN JAPANは、旧ボランティア支援ベース絆で、阪神淡路大震災や東日本大震災のボランティア支援で集まった仲間が立ち上げ、2012年3月11日に名称をOPEN JAPANに変更し、活動を続けている。代表は吉沢武彦さんで、吉沢さんは日本カーシェアリング協会にも所属している。

(4)輪島市における助け合いセンター(「被災者見守り・相談支援等事業」の活動)
〇輪島市社会福祉協議会では、「輪島市災害たすけあいセンター見守り・相談支援班」の活動を主にお聞きした。
〇「輪島市災害たすけあいセンター見守り・相談支援」事業は、上述したように国の制度である「被災者見守り・相談支援等事業」に基づくもので、輪島市社会福祉協議会は在宅の被災者支援、仮設住宅入居者への支援は社会福祉法人佛子園とJOKAとのジョイントとして、社会福祉法人佛子園の「輪島カブーレ」が請け負っている(この件については後述)。
〇「輪島市災害たすけあいセンター見守り・相談支援事業」は、令和6年度の6月から開始されるが、予算は1億70万円である(ちなみに、令和7年度は1億1700万円を要求)。この予算は、厚生労働省の生活困窮社会福祉支援事業の予算の中から出されており、補助率は10分の10の事業である。
〇「たすけあいセンター」で働く人は上は77歳、下は50歳で平均年齢65・4歳の30名が働いている。センターの副センター長であり、入職24年のベテラン保健師でもある大下百合香さんがリーダーとして牽引してくれている。
〇「輪島市災害たすけあいセンター見守り・相談支援班」では、令和6年10月から「あいちゃん通信」(現在第8号まで発行)を出して、戸別配布している。仮設住宅は自分たちの所管ではないが、同じ輪島市民なので、「輪島カブーレ」を通して配布している。
〇この「あいちゃん通信」を発行するに当たって中心になってくれている職員が、山路健造さんで、海外協力隊の経験を持ち、佐賀県でNPO地球市民の会に参加してきた、元西日本新聞の記者である。佐賀県では、在留外国人支援の活動をしていたという。その山路さんが、輪島市でのボランティア活動が一段落した機会に輪島市社会福祉協議会の「たすけあいセンター」職員として、応募してくれたとのこと。
〇「あいちゃん通信」を読んでいると、災害で汚れた写真の洗浄、ペットとの生活のサポートなどの紹介の他、令和6年度の4月6月までに1万2千世帯を超える家庭を訪問調査したとか、石川県内の福祉専門職団体による3096件の被災状況等の確認、“定期的通う場”がなく、孤立しがちでサロン開催の必要性、あるいは市内の介護サービス提供の状況の情報提供等、被災者の生活のしづらさ、困りごと、生活支援等がこの紙面を通じてわかり、とてもいい情報誌である。このような情報誌は、平時においても日常的に欲しいなと思いました。

(5)「輪島カブーレ」の「ごちゃまぜ福祉実践」と被災者支援
〇社会福祉法人佛子園の理事長である雄谷良成さんの「ごちゃまぜ福祉実践」は、『ソーシャルイノベーション』(雄谷良成監修、竹本鉄雄著、ダイヤモンド社、2018年9月)がわかりやすいので参照して欲しい。
〇「輪島カブーレ」は輪島市内で、歩ける範囲の地域において、空き家等を譲りうけ、それらの家屋をリノベーションして、ごちゃまぜの実践ができるエリアを創出している。現在、障害者向けの短期入居住宅、障害者向けのグループホーム、サービス付き高齢者向け住宅を始め、地域の人も利用できるウェルネス、障害者の就労継続支援A型事業所としてのそばや「やぶかぶれ」、ゲストハウス等12事業所を展開している。その中でも重要な役割を果たしているのが、地下1165メートルから湧き出る温泉「三の湯」と「七ノ湯」である。ここはまさに地域住民の“浮世風呂”で、コミュニティ形成の中核的雄施設である。「輪島カブーレ」のある地域の住民は入浴料がただで入れる温泉で、地域住民である証の木札が壁にかかっていて、住民は入浴する時にはそれを裏返して入るのだという。住民は、温泉に浸かった後、そばやである「やぶかぶれ」で昼食を摂ったり、ビールを飲んだりしている。私もそこで地ビール・ヴァイツェンを飲み、おそばを頂いたがとても美味しかったし、同じカウンターの隣に座っている人と気軽に話が出来る、まさに地域の居場所、拠り所になっている。
〇この「輪島カブーレ」が被災したこともあって、雄谷良成さんが会長をしている青年海外協力隊のOB・OGで組織されているJOCAが支援に入ってくれた。そこは、単なるボランティア活動としてではなく、JOCAの会員を社会福祉法人佛子園の職員として“出向”させるという形態で支援に入った。したがって、輪島市の復興事業に関わる事業を社会福祉法人佛子園が受託し、その事業は本来の職員だけではできないので、JOCAの会員が“出向”職員として担うという形式をとった。
我々に会ってくれた堀田直揮さんは、広島県のJOCAX3で勤務していたが、JOCAの災害復興担当の理事でもあるので、「輪島カブーレ」の災害に関わる責任者として活動をしている。

(註) JOCAとは、公益社団法人青年海外協力協会(Japan Overseas Cooperative
Association)の頭文字を取った略称である。本部は長野県駒ケ根市にあり、そこでは就労継続支援A型等の事業を展開している。JOCAは、JOCA東北、JOCAX3(広島県安芸太田町),JOCA南部(鳥取県
南部町)などに支部があり、社会福祉事業を展開している。多くの場合、多機能型の事業所を展開している。今回の能登支援では、これらで働いている職員がローテーションを組んで、「輪島カブーレ」及び輪島市支援に入ってくれた。JOCAは1983年12月に設立され、2012年2月に公益社団法人に移行。代表理事は雄谷良成氏である。

〇「輪島カブーレ」は、地域住民の拠り所である温泉をいち早く復活させた。温泉はくみ上げられたが、水道が出ず、熱い風呂にペットボトルを浮かべるなどして冷まし、住民の利用に供することができた。普段から「輪島カブーレ」のある地域住民と密接な、良好な関係を築いていたことが大きな力を発揮し、後片付けなども住民の方々が協力してくれた。
〇「輪島カブーレ」は、現在輪島市から委託を受けて、仮設住宅に住んでいる方々の見守り、生活支援、相談活動を展開している。
〇社会福祉法人佛子園は、2026年に輪島市内に6か所のコミュニティセンターを開設する。従来の集会機能だけでなく、相談機能、運動施設、食事処、銭湯なども併設されている施設である。社会福祉法人佛子園は、従来新しい事業を展開するときには、「福祉医療機構」の貸付を利用していたが、今では民間の金融機関の貸付も利用しながら事業展開しているという。この面でも、大いに学ぶべき点がある。

(6) ”孤立“した輪島市門前町の「生きる力」
〇「輪島カブーレ」の堀田直揮さんと話をしている際に、東日本大震災の際に、当時宮城県社会福祉協議会の職員で、石巻市支援で大きな働きをしてくれた北川進さん(現・日本社会事業大学専門職大学院教員)が輪島市門前町に3月17日の週に入るのだということが分り、電話して状況を聞くと、門前町に日本社会事業大学の卒業生の松下明さんがいて、輪島市門前町支所の地域支援係の担当しているという。松下さんは、能登半島地震発災後から日本社会事業大学の伝手で北川進さんと電話での相談をしていたことが判明した。
〇松下明さんに電話をすると支所にいるというので、急遽訪ねることにした。
〇前回の門前町訪問では、総持寺の被害状況をお聞きする程度だったので、予定を変更して行くことにした。
〇輪島市から門前町へ行く国道はトンネルが土砂で埋まり通行できないという。遠回りをする時間的余裕もないので、山越えの旧道を行くことにしたが、それも陥没したりしていて、一車線しかなく、工事関係者には驚かされたが、運転手の村田明日香さんが頑張って連れて行ってくれた。
〇門前町は、地震災害で輪島市本庁との行き来が十分できないため、門前町独自に災害被災者支援をせざるを得なくなり、支所の職員のご苦労は大変なものであったという。しかも、高齢化率が64・5%と非常に高い状況ではあったが、門前町はコミュニティの力がいまだ豊かにあり、その力で頑張ってこられたという。したがって、避難所も仮設住宅もできるだけコミュニティの力が発揮できるよう意識して取り組んできたという。現在、仮設住宅に入居している人は1292人で、門前町の人口が4276人であるから、約30%の人が仮設住宅生活ということになる。
〇災害復興支援で、とりわけ意識したのは、コミュニティの力を削がないように、仮設住宅を設置し、入居してもらっているが、その上で仮設住宅団地毎に、入居している人々で仮設住宅団地自治会を作ってもらうよう働き掛け、現在10仮設住宅団地のうち9地区で仮設住宅自治会が結成されたという。
〇生活支援面では、高齢化率が高いこと、外からの支援が難しい状況の中で、イオンリテールやまんぷく丸、Aコープでの移動販売を利用しやすいように、販売ルート、販売時間を表にして配布したり、おでかけバス、愛のリバスの運行時間を曜日ごとに分かる票にして配布している。
〇また、地域にある社会資源が門前町のどこの地区に何があるかを一覧表にしている。理美容院はどこの地区で開業しているとか、日用品はどこの地区で買えるとか、医療、歯科はどこで受診できるかなど、住民が生活する上で必要な情報を門前町支所では的確に、多面的に情報提供している。
〇門前町でも海岸隆起が激しいというので、江戸時代の北前船の寄港地で栄えた「天領黒島」を見学したが、4メートルの隆起で港は使えない状況であった。本当に自然の力のすさまじさを目の当たりした。

(7)志賀町地域支え合いセンターと生活支援相談員の研修
〇志賀町は旧志賀町(どちらかと言えば農村地域)と旧富来町(どちらかと言えば漁業経済地域)が合併した町である。志賀原発は旧志賀町にあるが、能登半島地震では被害がなかった(現在運転中止中)。
〇志賀町の仮設住宅は10箇所で、トレーラーハウスや木造りの仮設住宅、ムービングハウスという仮説住宅も設置されており、349人が入居している。
〇志賀町には社会福祉協議会に「志賀町地域支え合いセンター」が設置されており、主任生活支援相談員2名と生活支援相談員14名が配属されている。
〇志賀町社会福祉協議会を訪ねたら、生活支援相談員の方々が待機していて、研修をしてくれという話になった。皆さん、社会福祉を学んだ人々でないので、家庭訪問は住民の生活の仕方、生活の匂い等住民のニーズキャッチの最前線なのだから頑張って欲しい旨のはなしをした。住民の生活相談窓口を設置して、住民が来所するのを待つのではなく、家庭訪問して、住民のニーズを把握することが重要であること、仮設住宅でのサロンの運営などにあっては、住民の興味、関心が違うので場所は狭いかもしれないが、プログラムは画一的なものにしないことと、一斉に同じものをしてもらうことをできるだけ避けて欲しい旨の話をした。
〇志賀町の西方沖では、今でも余震が続いており、原発に影響するような第地震にならなければいいがという心配をされていた。
(2025年3月16日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
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