今日、市民性(市民としての資質と能力)を育成するための教育(シティズンシップ教育、市民性教育、市民性形成)は、2006〈平成18〉年度に東京都品川区の小・中学校に一貫教育カリキュラムとして導入された「市民科」をはじめ、全国のあちこちで注目すべき取り組みがなされている。その実践動向を一瞥すると、そこで使用される市民性という用語は多義的であり、その意味するところは多様なものとなっている。
2006〈平成18〉年3月、経済産業省が『シティズンシップ教育と経済社会での人々の活躍についての研究会報告書』(以下、報告書)を出している。報告書では、わが国におけるシティズンシップ教育の全体的な枠組みとその普及に向けた具体的なプログラム内容が提示されているが、市民性については次のように定義している。すなわち、シティズンシップとは、「多様な価値観や文化で構成される社会において、個人が自己を守り、自己実現を図るとともに、よりよい社会の実現に寄与するという目的のために、社会の意思決定や運営の過程において、個人としての権利と義務を行使し、多様な関係者と積極的に(アクティブに)関わろうとする資質」をいう。そのうえで、その報告書の概要をまとめた『シティズンシップ教育宣言』(パンフレット)においては、シティズンシップ教育とは「市民一人ひとりが、社会の一員として、地域や社会での課題を見つけ、その解決やサービス提供に関する企画・検討、決定、実施、評価の過程に関わることによって、急速に変革する社会の中でも、自分を守ると同時に他者との適切な関係を築き、職に就いて豊かな生活を送り、個性を発揮し、自己実現を行い、さらによりよい社会づくりに関わるために必要な能力を身につけること」を目的にした教育である、とされている。
また、報告書は、シティズンシップが発揮される分野として、次の3つの活動分野を想定している。(1)「公的・共同的な活動」(市民の多様なニーズや社会的な課題へ対応するために、市民一人ひとりが自分たちの意思に基づいて、関係者と協力して取り組む活動)、(2)「政治活動」(司法・立法過程や政策決定過程等に積極的に関与・参画し、政策に自分たちの意思を反映しようとする活動)、(3)「経済活動」(社会が必要とする商品やサービスの生産・提供に参加したり、アクティブな消費者として、社会全体にとってプラスと考えられる消費・生活行動を実現する活動)、がそれである。そして、シティズンシップを発揮するために必要な能力を「意識」「知識」「スキル」の3つに分類して示している。
シティズンシップ教育は、国家や社会にとって都合のよい、無批判・無抵抗の体制依存的市民を育成するものではない。それは、市民「参加」という名の「動員」や、行政の「下請け」化、「補完」化を促すものではない。また、官製的なボランティア・市民活動の振興、いわんや奉仕活動の義務化の推進を図るものではない。それは、市民一人ひとりが個人としての権利と義務を行使し、主体的・自律的な個人が自分の意思決定に基づいて社会的・政治的・経済的分野で能動的・積極的に行動する、時には多数派の決定に対する市民的不服従や良心的拒否を許容する成熟した市民社会の形成を志向する教育である。そのために必要となる能力が意識、知識、スキルである。
こうしたシティズンシップ教育、すなわち市民的資質・能力の育成は、福祉文化の創造や福祉のまちづくりの主体形成を図る市民福祉教育とかさなり合い、参考にすべき点が多い。シティズンシップ教育の一環としての市民福祉教育の展開のあり方や方向性について追究する必要がある。それは、福祉教育の実践と研究にとって喫緊の課題である。
市民福祉教育とりわけ学校福祉教育においては、これまで、訪問・交流活動、収集・募金活動、清掃・美化活動の「3大体験活動」や、高齢や障がいの疑似体験、手話や点字の学習、施設訪問(慰問)の「3大プログラム」などを中心にその実践活動が展開されてきた。しかもその際、その活動が観念的・精神的なものにとどまったり、活動そのものが目的化したり、さらには福祉教育の目的やねらいから遊離した福祉教育活動のゲーム化が進み、アイスブレイクどまりの実践活動の展開がしばしばみられるといってもよい。厳しい生活を強いられている地域住民が抱える社会福祉問題を素材にし、その解決に向けた実践活動を展開する市民福祉教育にとって、最も自戒すべきところである。3大体験活動や3大プログラムを止揚した、市民性育成のための新たなプログラム開発が強く求められる。その際、重要になるのは、民主的な参加と徹底した討議に基づくとともに、子ども・青年の発達段階に応じた系統的・計画的・継続的な市民性育成のためのそれである。
(阪野貢『市民福祉教育をめぐる断章』大学図書出版、2011年、47~50ページ)