ソーシャル・キャピタルと市民福祉教育

わが国はいま、それまでの「国家と企業の時代から、地域と市民の時代へ」という激動の時代(ステージ)にある。具体的には、1980年代以降の「大きな政府から小さな政府へ」「ガバメントからガバナンスへ」という趨勢のなかで、1990年代以降、地方分権の推進に関する国会決議(1993〈平成5〉年6月)に基づく地方分権改革、それに続く民主党政権(2009〈平成21〉年9月~)下における地域主権改革の推進が図られている。とともに、「旧来のボランティア活動から、『新しい公共』を支えるNPOやボランティアなどの市民活動へ」という動きが活発化している。それは、1995〈平成7〉年の阪神・淡路大震災と「ボランティア元年」、1998〈平成10〉年の特定非営利活動促進法、そして2011〈平成23〉年の東日本大震災と「コミュニティ再生元年」(牧里毎治)などがひとつのきっかけになっていることは周知の通りである。そういうなかで、わが国では、2000年代に入ってソーシャル・キャピタル(social capital、社会関係資本。以下、「SC」と略す)についての研究が盛んに行われるようになっている。ちなみに、世界では、SCについての研究は、1990年代後半頃から急速に多方面で注目を集めるようになる。
SCの研究については、アメリカの政治学者ロバート・D・パットナム(Robert D.Putnam)のそれがよく知られている。パットナムは、1993年に出版した『哲学する民主主義』(河田潤一訳、NTT出版、2001年。原題 Making Democracy Work )において、SCを次のように定義した。「調整された諸活動を活発にすることによって社会の効率性を改善できる、信頼、規範、ネットワークといった社会組織の特徴」(河田訳、206~207ページ)、がそれである。要するに、SCは、人々の協調行動を活発にすることによって、社会の効率を高める働きをする社会的な関係をいう。そして、その内実・構成要素は「信頼」「規範」「ネットワーク」の3つである。そして、パットナムはいう。「信頼、規範、ネットワークのような社会資本の一つの特色は、普通は私的財である通常資本とは違い、普通は公共財である点である」(211ページ)。
「信頼」(trust)は、自発的な協調行動を生み出す源であり、SCの本質的な要素であるとされる。その信頼は、自分が個人的に知っている範囲の人々に対する信頼と、知らない人を含む一般的な人々に対する信頼とでは、信頼の性質は大きく異なる。パットナムが重視するのは、前者のパーソナルな信頼(personal trust)ではなく、後者の一般的信頼(generalized trust)である。小規模で緊密に結びついた前近代的なコミュニティにおいてはパーソナルな信頼だけでも足りるが、大規模で複雑化した現代社会においては、あまりよく知らない人同士の相互作用が圧倒的に多くなるため、知らない人を含んだ薄い信頼すなわち「一般的信頼」の方がより広い協調行動を促進することにつながり、SCの形成に役立つとしている。
「規範」(norm)は、「~べきである」と表現することのできるもので、法規範や、道徳や倫理、ルールや慣習などの社会規範がその典型である。パットナムは、さまざまな規範のなかでも、「互酬性の規範」(norms of reciprocity)を特に重視している。互酬性とは、相互依存的な利益の交換を意味するが、それは、「均衡のとれた互酬性」(同等価値の利益を同時に交換することを示す)と「一般化された互酬性」(現時点では一方的な、あるいは不均衡を欠く交換でも、将来的にはいま与えられた利益は均衡のとれた交換になるという相互期待を基にした交換の持続的な関係のことを示す)に分類される。パットナムが重視するのは、前者の均衡のとれた互酬性ではなく、後者の一般化された互酬性である。一般化された互酬性は、短期的には相手の利益になるようにという愛他主義に基づき、長期的には当事者全員の効用を高めるだろうという利己心に基づいており、利己心と連帯の調和に役立つとされる。
「ネットワーク」(network)には、職場内の上司と部下の関係などの「垂直的なネットワーク」と、合唱団や協同組合などの「水平的なネットワーク」がある。パットナムは、水平的かつ多様な人々を含むネットワークこそがSCを構成すると考える。そして、家族や親族を超えた幅広い「弱い紐帯」を重視し、そのなかでも特に「直接顔を合わせるネットワーク」が重要であるとする。
以上のように、パットナムが重視するSCの内実・構成要素は、「一般的信頼」、「一般化された互酬性の規範」、「水平性と多様性のある市民社会のネットワーク」、この3つである。また、パットナムは、「ネットワーク」が「信頼」や「互酬性の規範」を生み、「互酬性の規範」や「ネットワーク」から社会的な「信頼」が生まれるというように、互いに他者を増加・強化させる関係にあることも指摘する。
パットナムの言説から筆者(阪野)は、SCを、人々の協調行動を活発にするネットワーク(社会的つながり)と、そこから生まれる互酬性の規範(お互いさまの支え合い)一般的な人々に対する信頼感である、と理解したい。SCが多く蓄積されている地域・社会では豊かなネットワークのもとに人々の協調行動が起こりやすく、人々は互いに信頼しあい、互いに支え合って、地域・社会の発展を促す、という論理である。いろいろな人々同士が社会的に、豊かにつながり(ネットワーク)、それに基づいて互いに信頼しあい(信頼)、“お互いさま”という想いから互いに支え合うこと(互酬性の規範)によって地域・社会の諸問題が解決され、より良い統治が進み、豊かな地域・社会が創り出されるのである。
わが国のSC研究において注目すべき論者のひとりに坂本治也(さかもとはるや、関西大学)がいる。氏の近著『ソーシャル・キャピタルと活動する市民―新時代日本の市民政治―』(有斐閣、2010年)から、重要な言説の一部を以下に紹介する。
本書ではとくに断りがないかぎり、ソーシャル・キャピタルを「人々の間の自発的協調関係の成立をより促進する、市民社会の水平的ネットワーク、一般的信頼、一般化された互酬性の規範」の意味で用いることにする(63ページ)。
本書は、パットナムの分析枠組みを援用しながら、日本の地方政府の統治パフォーマンス(performance 遂行能力:阪野)とソーシャル・キャピタルの関係を、…(中略)…計量分析を通じて明らかにすることを試みた。分析の結果、都道府県と市区いずれのレベルにおいても、ソーシャル・キャピタルが統治パフォーマンスを高める効果は確認されなかった(215ページ)。
ソーシャル・キャピタルの統治パフォーマンスを高める効果というのは、従来想定されていたほど強くもなければ重要でもない可能性がある。このことは既存のソーシャル・キャピタル論に対する重大な問題提起として一定の意義があろう(219ページ)。
統治パフォーマンスに有意なプラスの影響を与える唯一の媒介変数は、「活動する市民」が果たす「政治エリート(首長と議会議員:阪野)に対する適切な支持・批判・要求・監視の機能」であるシビック・パワーであることが確認された。そしてシビック・パワーは、一般市民ではなく、「自らが定義する特定の『公益』の増進をめざし、異議申し立て、政治エリートの監視、啓発活動、公論喚起などの手段を通じて、政治機構の外側から政策過程に何らかの影響を与えようとする組織化された市民団体などで活動する運動家・活動家」である市民エリートによって担われていることが明らかとなった(215ページ)。
本書は市民や市民社会組織が果たす「政治エリートに対する適切な支持・批判・要求・監視の機能」であるシビック・パワーの重要性を説くものであった。つまり、政府の統治パフォーマンスを高め、より良き統治を実現するためには、「協調する市民」や「協働する市民」に加えて、政府を監視・批判する「活動する市民」の存在が必要不可欠なのである
近年の日本ではソーシャル・キャピタル論や協働論が大きな注目を集める中で、「協調する市民」や「協働する市民」の重要性ばかりに研究関心が集中するあまり、「活動する市民」の重要性は…(中略)…等閑に付されるか、場合によっては円滑な政策立案・実施を阻害するものとして否定的に描かれることが多い。…(中略)…本書の知見は往々にして見過ごされがちであった「活動する市民」の重要性に光を当てるものとして、一定の価値を有するといえよう(219~220ページ。下線は阪野)。
筆者(坂本)は、より良き統治を実現するうえで、「活動する市民」の存在だけが重要だと主張したいわけではない。「協調する市民」や「協働する市民」の存在も同じように重要であると考えている。…(中略)…筆者が「活動する市民」の重要性を強調するのは、あくまでそれが現状では看過され過ぎていると考えるためであり、政府を監視・批判する市民が際限なく増加していくことが望ましいと考えているわけではない。いい換えれば、「活動する市民」の存在は、より良く統治の必要条件ではあるものの、十分条件ではないのである(221ページ)。
すなわちこれである。また、坂本は『同上書』で、政治エリート(地方政府の政治エリートは首長と地方議会議員である)に対して「批判的(critical)かつ活動的(active)な態度・行動を有する市民」を「活動する市民」と呼ぶ(131ページ)。そして、「活動する市民」が果たす「政治エリートに対する適切な支持、批判、要求、監視の機能」のことを「シビック・パワー(civic power)」と呼ぶ(136ページ)。換言すれば、政治エリートに対して適切な支持、批判、要求、監視を行う市民の力をシビック・パワー(坂本の造語)と呼ぶのである。さらに、坂本にあっては、「政治エリートに対する適切な支持、批判、要求、監視の機能」を担う存在として、「一般市民(ordinary citizen)」と「市民エリート(civic elite)」の2通りが考えられる(136ページ)。市民エリートは、一般市民のなかの一部であるが、具体的には市民運動、オンブズマン運動、住民運動、消費者運動、環境運動、女性運動などの諸組織・団体に属する運動家・活動家を念頭に置いている(137ページ)。
以上を要するに、SC論の中心には、人々の「個人的つながり」、あるいは「社会的ネットワーク」は価値のある財産(「公共財」)である、という前提が据えられている。これは、イギリスのことわざである「(大切なのは)何を知っているかでなく、誰を知っているかだ」(It is not what you know but who you know )に通ずるものでもある、といえよう。
さて、SCと市民福祉教育の関係について論ずる場合、先ずは、SCの形成にとって市民福祉教育はどのような役割を果たすのか、市民福祉教育の展開にとってSCはどのような意味をもつのか、ということが問われよう。
SCの醸成・蓄積・向上によって人々のつながりや社会的ネットワークが豊かに構築されるところでは、人々の、福祉の(による)まちづくりやそのための市民福祉教育への関心や理解、参加はその度合いを高める。また、福祉の(による)まちづくりや市民福祉教育への関わりが高い人々は、パーソナルネットワーク(個人を中心とした他者とのネットワーク)や社会的ネットワークとの親和性や価値を高め、SCの蓄積・向上を促すことになる。
この点に関して、坂本のいう「一般市民」に対するそれとともに、「市民エリート」の育成・確保、すなわち「シビック・パワー」の育成・向上を図るための市民福祉教育のあり方が問われることに留意したい。
地域に根ざした、地域ぐるみの豊かな市民福祉教育の実践はSCを形成する。豊かなSCの蓄積は、より豊かな市民福祉教育の推進につながる。換言すれば、SCは市民福祉教育を推進するためのひとつの資源であり、またSCを醸成するプロセスは市民福祉教育の推進のプロセスの一部でもある、といえよう。その点において、市民福祉教育の進展の度合いは、SCのひとつの指標になり得るといってよい。
SCと市民福祉教育の関係は相乗的に互いを促進しあう関係(好循環関係)になり得るが、場合によってはその関係性がマイナスに機能することもある。例えば、前近代的な小地域において、人々の旧来のつながりが強いところでは、福祉の(による)まちづくりやそのための市民福祉教育の関心や理解、参加は抑制される。情報提供や意見交換、社会参加活動が普段のインフォーマルな関係のなかで事象的にはスムーズに行われるがゆえに、それがかえって計画的な福祉の(による)まちづくり施策の推進や系統的な市民福祉教育の展開などについての認識や理解を鈍らせることになるのである。
SCは、それ自体の醸成・蓄積を図るための取り組みのなかから形成されるものではない。それは、人々が抱える生活問題やその重要な一部分である社会福祉問題の解決を図り、福祉の(による)まちづくりを進める取り組みを通して、統治パフォーマンス(遂行能力)を高め、より良き統治を実現するその過程のなかから生まれるものである。