批判的思考と市民福祉教育

市民福祉教育の具体的展開においては、問題発見・解決型学習が必要であり、その過程に参加(参集→参与→参画)することを通して実践的思考と批判的思考、そして科学的・論理的・合理的思考を育て、鍛えることが重要となる。なかでも、「批判的思考」(critical thinking)は創造的思考(creative thinking)の構成要素であり、必要条件となる。いずれにしろ、これらの思考に基づいてはじめて福祉文化の創造や福祉の(による)まちづくりの方向性を見いだすことが可能となる。
『批判的思考力を育む―学士力と社会人基礎力の基盤形成―』(楠見孝・子安増生・道田泰司編、有斐閣、2011年9月刊)と題する本がある。編者のひとりである楠見孝(京都大学)は、『書斎の窓』(2012年1・2月号、№611、有斐閣、2012年1月)で、本書の発刊によせて次のように解説している(59ページ)。

本書が主張したこと(の一つ目:阪野)は、日本の文化に根ざした批判的思考です。それは他者への配慮や協調的な理解や問題解決を志向した批判的思考です。すなわち、第一に、相手の立場に立って、相手の発言に耳を傾けること、第二に、相手を攻撃するためではなく、自分の理解を深め、自分の考えが正しいのかを吟味するために問いを出すこと、第三に、対立がある場合には、相手も自分も満足できるような解決策を見いだそうと努力することです。そして最終的には、自分の価値観や信念に基づいて行動することです。このように日本語の「批判的思考」に新たな豊かな意味を持たせたいというのが私たちの主張です。二つ目は、批判的思考における内省的思考の重視です。認知心理学の研究では、人の認知のバイアス(偏り)が数多く指摘されています。すなわち、相手を攻撃するのではなく、自分の認識にバイアスが生じうることに自覚的になり、バイアスが生じていないかを内省することが批判的思考の大事な側面だからです。私たちの目的は、家庭や学校や職場を批判的思考が出来る場にすることです。

楠見はまた、『同上書』で「批判的思考の態度」について次の6点を提唱し、その態度を備えることの必要性や重要性を説いている(11ページ)。 (1)熟慮的態度 : 情報を鵜呑みにせず、じっくり立ち止まって考える態度。 (2)探究心 :  さまざまな情報や知識、選択肢を求めようとする主体的な態度。 (3)開かれた心 :  自分の知っていることが有限であることを自覚し、異なる意見・価値観や文化の存在を理解し、それらに関心をもつ態度。 (4)客観性 : 主観にとらわれず客観的に公正にものごとを見ようとする態度。 (5)証拠の重視 : 信頼できる情報源を利用し、明確な証拠や理由を求め、それらに基づいた判断をおこなおうとする態度。 (6)論理的思考への自覚 : 論理的思考の重要性を認識し、自分自身が論理的な思考を自覚的に活用しようとする態度。すなわちこれである。
楠見は、「内省」(reflection)なかでも成人期の学習における、批判的思考に基づく「内省」について、次のように述べている(231ページ)。

成人は、仕事における複雑で変化する状況に対応し、内省しながら柔軟に対応をする内省的実践(リフレクティブ・プラクティス:reflective practice)が必要である。内省的実践とは、実践を進めながら、意識的・体系的に状況や経験を振り返り、行動を適切に調整して、批判的洞察を深めることである。さらに、内省を伴うよく考えられた練習は熟達化を促進する。内省には、振り返り的省察として、体験を解釈して深い洞察を得ることと、見通し的省察として、のちの実践の可能性について考えを深めることがある。
職場において知識やスキルは、個人の力だけで獲得されるものではなく、先輩・同僚など周囲の人との相互関係を築くなかで獲得され、その関係の編み目のなかで発揮されるものである。したがって、批判的思考を実践するには、職場が批判的なコミュニティであることが重要である。批判的なコミュニティとは内省に基づく質問、証拠に基づく議論、そして反論が奨励される社会(共同体)のことをさす(下線は阪野)。

以上の説述は、子どもから大人まで、そして福祉サービスの必要者や利用者などを含めたすべての地域住民に対する市民福祉教育についても通ずるものである。福祉教育の体験学習には、内省すなわち「振り返り的省察」と「見通し的省察」が必要かつ重要となる。筆者(阪野)はかねてより、福祉教育の体験学習に関して、「学び」→「気づき」→「ふりかえり」→「変わり」→「動く」という循環過程を通して、その深化・変容を図る必要性や重要性について指摘してきた。思い起こしたい。また、豊かで確かな市民福祉教育を推進するためには、地域コミュニティにおいて問題発見・解決型学習を進めるなかで懐疑的・批判的思考をよしとして受け入れ、その育成や発揮を支える環境醸成や条件整備を図ることが肝要となる。とりわけ学校における市民福祉教育については、従来から、ある一面では古くて狭い「福祉」や「福祉観」を「詰め込み」「刷り込む」教育(学習)に偏っていることを抜本的に改革・改善する必要がある。この点についても留意したい。