筆者(阪野)が学外ではじめて愚考を開陳したのは、1982年12月、島根県社協主催の「島根県社会福祉研究指定校連絡会議」であり、その時のテーマは「福祉の心と福祉教育」であった。2013年3月、福井県社協主催の「市町社協ボランティアセンター実践研究会」が開催され、そこで「学校と地域と社協がつながる福祉教育とは」というテーマで管見を述べる機会を得た。これが大学教員としては最後の講演となる。
会議の名称やテーマを一瞥しただけでも、「学校福祉教育」から「地域福祉教育」への転換を読み取ることができる。ちなみに、福井県社協では、1978年度からおよそ30年間にわたって取り組んできた「福祉協力校指定校事業」を、2009年度から「地域ぐるみ福祉教育推進事業」に移行させた。その目的は、「市町社協において、学校を含めたさまざまな社会資源との協働により、地域を基盤として福祉教育の実践を行い、地域福祉の推進を図る」ことにある。また、福井県社協では、2012年度から、「地域見守りフレンズ育み講座」と「地域コミュニティパートナー養成研修」により構成される「地域支え合い体制づくり人材育成事業」を推進している(『月刊福祉』2013年3月号参照)。これも「地域ぐるみ福祉教育推進事業」(地域福祉教育)の一環と考えられる。
福井県社協主催の今回の実践研究会では、いつものことではあるが、筆者にとっても多くの気づきや学びがあった。そのひとつは、「車椅子は乗るものであり、押すものではない」という一言である。
福祉教育実践では、障害や高齢の擬似体験として、車椅子を活用したそれが実施されてきた。そこには最初から、障がい者や高齢者は一方向的な「思いやりの心」をもって対応すべき「弱者」(客体)である、ということが想定されているといってよい。したがってそこでは、障害のない者や若者の優位性が強調され、それを発揮することが期待される。とともに、福祉教育実践に求められるICFの視点が欠落しがちである、ことを意味する。これまでの福祉教育実践では、「思いやりの心」を表すものとして「車椅子を押す」ための知識や方法・技術を学ぶことに偏りがちであった。それはときとして、「思い上がりの心」を抱かせることに繋がった、などというのは言い過ぎであろうか。
車椅子に乗るのは、生活機能の向上を図り、豊かな生活や人生を送ろうとする障がい者や高齢者、そのひと本人(主体)である。それはまた明日の自分でもある。福祉教育実践の展開過程では、障害理解や障がい者理解、障がい者の暮らし理解などを踏まえて、「車椅子は乗るものであり」、そして「車椅子は押すものでもある」という理解と認識を螺旋階段を登るように促し、深めていくことが肝要となる。
なお、場違いな蛇足ではあるが、主体と客体の関係をめぐってボランティアの世界で多用される、動詞に近い文章に、May I help you ? というのがある。「何か手伝いましょうか?」といった意味であろう。その際の主語はあくまでも「I=私」である。したがってそれは、「I=手伝う者」と「you=手伝ってもらう者」という、立場を異にした者の間に上下関係を生ぜしめることにもなる。その関係を乗り越えるためには、お互いのあり様を認知し、共感、理解、受容するための感性(心に感じ取る受動的または能動的・創造的な能力)や思考(頭すなわち理性を働かせて考えること)、そして実践行動(ある考えや価値観に基づいた行為や生き方)、言い換えれば感性的認識、理性的認識、そして実践的認識が求められる。福祉教育が存立し、その内容や方法が問われるところである。