自由民主党の政務調査会が2011年9月に、「チョット待て!!“自治基本条例”~つくるべきかどうか、もう一度考えよう~」という政策パンフレットを出している。それは実に面白いものである。その意味は、人々を信じさせる強いメッセージ性もなく、それ以上に何の理屈もロジックもない、という点においてである。そこでは、多くの人々を信じさせたいという一念で、空虚な言葉が無意味に書き連ねられているだけ、といわざるを得ない。まるで、伝統的な暮らしや文化を過度に重んじる環境のなかで育った“やんちゃ坊主”が、周りのことも考えられずに駄々をこねているようなものである。等閑視してよい代物であるとはいえ、なぜ駄々をこねるのかを考え、その気持ち(内容)を理解することも必要であろう。
周知の通り、自治基本条例は、北海道の「ニセコ町まちづくり基本条例」(2000年12月制定、2001年4月施行、2005年12月第1次改正、2010年3月第2次改正)を嚆矢とし、2013年4月現在、273の市区町村で制定されている。2013年1月現在の全国の市区町村数は1742(東京23区を除くと1719市町村)であるから、およそ16パーセントの地方自治体で制定されていることになる。今後もその数は増えていくものと推測されるが、その背景には地方分権改革の進展がある。また、そうしたなかで、「新しい公共」の創出や「新たな支え合い」の強化が叫ばれ、行政への住民(市民)参加や行政と住民(市民)との協働によるまちづくりの推進が図られていることも、背景のひとつと考えられる。
地方分権改革に関していえば、1993年6月の衆参両議院で採択された「地方分権の推進に関する決議」などを契機として、1995年5月に地方分権推進法(1995年7月施行)が制定された。以後、1999年7月の地方分権一括法(2000年4月施行)や2006年12月の地方分権改革推進法(2007年4月施行)などによって、政府・自民党は、1990年代以降、総合的・計画的な地方分権改革を積極的に推し進めることになる。なかでも、地方分権一括法は、475本の関連法を改正または廃止するもので、この改正によって機関委任事務制度の廃止や、国の地方自治体に対する関与(統制)の見直し、地方自治体への権限の移譲などが図られた。それによって、国と地方自治体の関係は、上下・主従の関係から対等・協力の関係へと変わることになる。要するに、地方分権一括法は、地方自治体に対して、地方分権のための法的根拠・保障を与えたものである、といえる。そして、地方分権の推進に対応すべく、行財政基盤の強化や自治の効率化を目標に、1999年から政府主導で推進されたのがいわゆる「平成の大合併」である。
以上のことを、地方自治体(とくに市町村)のサイドに立って平易に要約すれば、地方自治体は、国(中央政府)から独立した地方政府として、地域のことは地域で決めるという「自己決定・自己責任」の考え方に立って、主体的・自律的な自治体運営(「団体自治」)を図る必要性と重要性が増大した、ということである。また、1993年の国会決議に始まるこれまでの地方分権改革は、地方自治体の権限の拡大、しかも形式的なそれに偏りがちであり、地方自治のもうひとつの要素である「住民自治」(地方自治は、その地方自治体の住民の意思と責任に基づいて行われるべきであるということ)をどのように実現し、その強化を図るかが、2000年代に入って問われるようになった、ということである。これは、国による縦割り・全国画一行政が破綻するとともに、国民愚民観や自治体蔑視意識の変革、いいかえれば住民(市民)や自治体職員の自治意識の拡大が求められることを意味する。さらには、社会、経済、政治、文化などのあらゆる側面でグローバル化が急速に進むなかで、世界に開かれた地域社会の創造や地方自治の展開が欠かせないことになる。こうしたところに、その地域独自の住民自治の仕組みについて定めた自治基本条例制定のひとつの根拠がある。そして、前述のように、北海道ニセコ町の条例がその最初であった、ということである。なお、「自治基本条例」という名称の条例は、東京都杉並区のそれ(2002年12月制定、2003年5月施行)が最初で、その後は「まちづくり条例」よりはむしろ「自治基本条例」の方が多数となっている。
ここで、自己決定・自己責任の考え方に関して加筆しておきたい。そのひとつは、自己決定は、その結果の影響を受ける者が決定を下すべきである。自己決定は最大限、尊重されなければならない。自己決定には自己責任が伴う。ただし、自己責任には限界がある。また、責任を強く求めたり、責任を回避あるいは転嫁することは許されない、ということである。いまひとつは、すべての住民(市民)に自己決定の要求や能力が備わっているわけではない。また、住民(市民)は、すべての問題に対して正しい認識や判断ができ、それに基づく行動がとれるわけではない、ということである。このように考えたときにまず求められるのは、実践や運動としてであれ、制度としてであれ、住民(市民)の「参加」(参集、参与、参画)と「協働」(共働)、それに「学習」(教育)である。そして、それらのための仕掛けと仕組みである。自治基本条例とその制定に関して留意すべき点である。
さて、冒頭に記した自民党のパンフレットは、「自治基本条例の制定そのものに、問題があるわけではありません」としている。それもそのはずである。地方分権改革に積極的に取り組んできたのは、ほかならぬ自民党政府だからである。しかし、パンフレットの表紙では、「注意! 自治基本条例によって、○住民生活に本当に役立つか、○住民間の対立をかえってあおることはないか、○地方行政の仕事を妨げ、議会の否定にならないか、○特定団体に地方行政をコントロールされることはないかなど、注意しなければならない点が多数あります」と記している。一見穏やかないい回しであるが、「本来のあるべき姿とは異なる偏った自治基本条例が増えてきている」として、本文では、自治基本条例の制定をめぐっていくつかの点について批判している。その主な論点は次の3点であろうか。(1) 国→都道府県→市区町村という上下方向(上意下達)に、国が地方自治体を支配・統制する国家統治の考えと、主権には憲法が規定する国民主権と国際社会における国家主権しか存在しないという考えに基づく批判、(2) 外国籍住民や子どもなども意見を表明し、まちづくりに参加する権利が認められることは、過度な権利主張を招き、とりわけ外国籍住民については地方参政権の付与に繋がるのではないかという警戒心、(3) 条例の構成や内容がパターン化しており、それは「国家の概念を否定し、個人やグループの存在と発言に重きを置く」特定の考え方(「イデオロギー」)に基づいた「組織的な動き」によるのではないかという疑心暗鬼。すなわちこれである。(1) については「分権型社会」や「シティズンシップ」、(2) については「意見表明権」や「ソーシャルインクルージョン」、(3) については「直接民主主義」や「熟議と参加のデモクラシー」等々の言葉を思い起こすだけで、反論するには十分である。要するに、パンフレットの内容は「不審」と「不信」(2つの「フシン」)に基づく何ものでもない、と断ぜざるを得ない。
なお、(3) について加筆すると、パンフレットの記述内容は、要するに松下圭一(法政大学名誉教授)の、国家統治を批判する「市民自治」の政治学に異を唱える立場からのものである。すなわち、そこでは、多くの自治基本条例は「市民」中心の「補完性の原理」と「複数(政府)信託論」が反映されており、「国家の否定が根底にある」とする。いうまでもなく、市区町村は都道府県や国の下請け機関ではなく、地方と国の関係は補完性の原理(principle of subsidiarity)に基づくものである。また、議員内閣制と二元代表制という仕組みの違いはあるものの、市民(国民)は国政への信託(the trust of citizen on the government)だけでなく、都道府県や市区町村(首長と議会)に対しても信託(選挙と納税)を行っている。さらに、阪神淡路大震災(1995年1月)を契機に、ボランティアやNPОなどの市民活動が広がりを見せ、地域の課題は住民自らが解決していこうとする意識(地域やまちづくりへの関心、自治意識)が高まっている。それは、東日本大震災(2011年3月)に際して、より顕著になっている。こうしたことだけを考えてみても、パンフレットの内容は、理論的でもまた現実的でもなく、説得力のある論拠が欠けているといわざるを得ない。自治基本条例の動向や内容に批判的見解を展開するパンフレットが発行された後も、例えば2012年4月から2013年4月までの間に、32の市町で自治基本条例が制定・施行されていることはその証左である。
ところで、筆者(阪野)は、昨年の12月から、S市の自治基本条例策定審議会の委員(公募委員)として策定のための審議に参加している。審議会は、公募委員が17名、公共的団体等の推薦による委員が10名、そして学識経験者が3名、計30名の委員で構成されている。これまで、グループ討議を中心にした審議会が5回開催され、筆者はそこから多くの気づきと学びを得ている。まさに、審議への参加の過程が学びの過程である。それらを踏まえた、現段階におけるとりあえずの条例私案の一部を、以下に記すことにする。
なお、審議会ではまだそこまで至っていないが、S市の総合計画と自治基本条例との相互関連性について十分に討議する必要がある。“車の両輪の関係”にある総合計画と自治基本条例が相俟ってはじめて、S市独自の住民自治の仕組みが創設されるのである。留意しておきたい。
1 前文
S市は、日本の○○○に位置し、豊かな自然や積み重ねられた歴史、育まれてきた文化など貴重な地域資源にあふれた、○○○のまちとして発展してきました。
わたしたちは、先人から受け継いだこのまちを次世代に引き継ぐとともに、安全・安心で、より豊かな地域生活を営むことができる持続可能な、しかも世界に開かれたまちを自らの手で創りあげます。
そのためには、年齢や性別、国籍などの違いを問わず、すべての市民一人ひとりの人権を尊 重し、人のつながりと地域の絆を大切にする必要があ ります。また、すべての市民一人ひとりが市政に関心を持ち、まちづくりについての理解を深め、関心を高めるとともに、その取り組みに主体的・積極的に参画することが求められます。それによってはじめて、市民が国際社会と直接向き合い、次世代につなげる「日本一しあわせなまちS市」づくりが可能となります。
わたしたちは、地方自治の本旨にのっとり、S市の自治の基本理念や原則、しくみなどを明らかにし、市民主権と市民自治の実現とその進展をめざすS市の最高規範として、この条例を定めます。
2 総則
(1)目的
この条例は、S市のまちづくりに関する基本的な理念並びに市民、議会及び行政の役割を明らかにすることにより、安全・安心で、豊かな地域生活を営むことができるまちを協働して創りあげ、市民主権の自治を実現することを目的とします。
(2)定義
④まちづくり 安全・安心で、豊かな地域生活を営むことができるように、市民、議会及び行政が取り組む一連の持続的な活動をいいます。
⑤協働 市民、議会及び行政が互いに尊重し、対等・平等な関係で協力及び連携することをいいます。
⑥自治 共生と協働の考え方のもとに市民自らが意思決定し、行動することをいいます。
(3)条例の位置付け
①市民、議会及び行政は、この条例は市の最高規範であることを認識し、この条例を誠実に遵守します。
②議会と行政は、他の条例、規則、計画等の制定及び改廃等にあたっては、この条例の趣旨を最大限に尊重するとともに、整合を図ります。
3 基本原則
市民、議会及び行政は、次の基本原則に従い、まちづくりを推進します。
①市民一人ひとりの基本的人権を最大限に尊重します。
②市民の価値観や生活観の違いを認め合い、対等な関係を築きます。
③相互に情報を積極的に提供し、十分な説明責任を果たし、共有します。
④主体的・自律的な意思と相互理解のもとに参画し、協働します。
⑤家庭・学校・地域の連携による教育力の向上を図ります。
⑥地域の豊かな自然や歴史、文化などの特性を活かします。
⑦平和と安全、そして福祉の新しい文化を創造します。
4 市民の権利と責務等
(1)市民の権利
①市民は、安全・安心で、豊かな地域生活を営む権利を有します。
②市民は、まちづくりに参画する権利を有します。
③市民は、議会及び行政が保有する情報を取得する権利を有します。
④市民は、生涯にわたり学習する権利を有します。
(2)市民の責務
市民は、まちづくりの担い手であることを自覚し、主体的・自律的な活動に取り組む責務を有します。ただし、市民は、活動に取り組まなかったことを理由として不利益を受けることはありません。
(3)事業者の役割
事業者は、社会的責任を自覚し、地域社会の発展に貢献します。
(4)子ども・青年の権利
①子ども・青年は、自分の意見を表明する権利を有します。
②子ども・青年は、まちづくりに参画する権利を有します。
③市民、議会及び行政は、子ども・青年を地域社会の一員として尊重し、その有する権利の実現と擁護を図ります。
○ 市民活動センター
市は、市民が主体的・自律的に、協働して取り組むまちづくりを推進するために、市民活動センターの組織と機能及び活動内容等の整備充実を図ります。
市民活動センターでは、まちづくりに関係する市民や機関・組織・団体等との連携を図り、まちづくりのための、課題に応じたさまざまなプラットホームを形成します。
プラットホームでは、地域の課題についての相互学習や情報の共有、それに解決策・役割分担についての協議などを行い、課題解決を促します。
以上の私案で強調したい点のひとつは、住民(市民)の生涯にわたる学習権を主軸に据え、それを保障するための条件整備に関する内容をも含んだ条例にすべきである、ということである。それは、「まちづくりは人づくり、人づくりは教育づくり」という考えに基づいている。そして、まちづくりの主体形成とそれに基づく課題解決のための重要な拠点のひとつに、「市民活動センター」を位置づけるべきである、ということである。
ところで、これまでに制定された自治基本条例で、住民自治の理念を実質化するための「学習」(市民 (性) 教育、市民福祉教育)について明確に規定したものは、決して多くはない。そういうなかで、例えが次のような規定がある。
伊丹市まちづくり基本条例(2003年10月施行)
(情報の共有)
第6条 市は、市民の知る権利を尊重しなければならない。
(学習の機会の提供その他の支援)
第11条 市は、市民がまちづくりに関し理解を深めるために必要な学習の機会を設けるよう努めるものとする。
岐阜市住民自治基本条例(2007年4月施行)
(市民の権利及び役割)
第6条 市民は、市政に関して知る権利を有するとともに、広くまちづくりに参画する権利を有する。
2 市民は、自らまちづくりに関して学ぶ権利を有する。
新宿区自治基本条例(2011年4月施行)
(区民の権利)
第5条 区民は、区政に関する情報を知る権利を有する。
4 区民は、区の自治の担い手として、生涯にわたり学ぶ権利を有する。
丹波市自治基本条例(2012年4月施行)
(市民の権利)
第5条 市民は、年齢、性別、国籍、障がいのあるなし等にかかわらず一人ひとりが人間として尊重され、また、自治体における主権者として平等に市の施策や地域の自治活動、まちづくりに参加・参画する権利を持っています。
3 市民は、市政に関する情報を知り、これを得る権利を持っています。
4 市民は、自ら主体性を保ち豊かな生活と地域社会へ寄与するために、生涯にわたり学ぶ権利を持っています。
これらの規定からいえることは、学習権の保障には情報の提供と共有が必要である。市民主権・市民自治のまちづくりは、それに参加することのできる条件整備が図られ、参加の機会と手段が豊かであることによってのみ可能である、ということである。
自治基本条例の制定は、市民主権・市民自治を実現するための始めの一歩であり、条例の制定がその終わりではない。すべての住民(市民)が、条例により一層の理解と関心を深め、その必要に応じて改正し、より確かで豊かな条例にしていく。そのためには主体的・自律的な学習(市民 (性) 教育、市民福祉教育)が不可欠となる。いずれにしろ、自治基本条例を活かし、より内実の濃い住民自治の実現を図ることができるか否かは、一に住民(市民)のそれに対する理解と関心、そして参加にかかっているのである。ここで、この点を強調しておきたい。
最後に、「市民主権」について規定する、2、3の自治基本条例を紹介しておくことにする。「市政の主権者」「まちづくりの主体」など、その表現(用語)はまちまちである。
善通寺市自治基本条例(2005年10月施行)
前文
……地方分権時代を迎えた今こそ、市民主権という地方自治の原点に立ち返り、平等に情報を持ち合い、市政に参画することができる仕組みを設けることが必要です。市民、市、市議会はともに力を合わせて明日の善通寺を創造し、この仕組みを次世代に引き継いでいくこととします。……
平塚市自治基本条例(2006年10月施行)
(自治の基本理念)
第4条 市民は、まちづくりの主体です。
2 市政は、主権を有する市民の信託によるもので、議会及び市長はその信託にこたえます。
3 市は、国及び他の自治体と対等な立場で連携し、協力して共通する課題及び広域的な課題の解決を図ります。
多治見市市政基本条例(2007年2月施行)
(市民主権)
第2条 より良い地域社会の形成の主体は、市民です。
2 市民は、市政の主権者であり、より良い地域社会の形成の一部を市に信託します。
3 市民は、市政の主権者として、市の政策を定める権利があり、その利益は、市民が享受します。
参考文献
(1) 松下圭一『市民自治の憲法理論』(岩波新書)岩波書店、1975年。
(2) 松下圭一『日本の自治・分権』(岩波新書)岩波書店、1996年。
(3) 岡崎晴輝「市民自治と自己決定の理念」『政治研究』第52号、九州大学、2005年、1~23ページ。
(4) 中北浩爾「松下圭一と市民主義の成立」『立教法学』第86号、立教大学、2012年、94~108ページ。
付記
本拙稿は当初、「自治基本条例と市民福祉教育―駄々をこねる、やんちゃ坊主の2つの“フシン”―」というタイトルで「雑感」にアッフしようと書き始めましたが、引用の関係でやや長文になったことから、このカテゴリーにアップしました。