本稿で紹介する佐賀県鹿島市の「福祉教育条例」(「鹿島市福祉教育に関する条例」、1996年3月25日公布)について知る人は必ずしも多くないであろう。この条例はおそらく他に例のないものである。
福祉教育の条例化をめぐっては、とりわけボランティア論やボランティア学習論に依拠して福祉教育について論ずる場合、疑義を呈することもあろうかと思われる。ボランティア活動が生命とする自発性や主体性に対する侵害や、官製ボランティアの育成と強制・動員に繋がりかねない、というのがそのひとつの論拠であろう。
周知の通り、政府・行政がボランティアの育成・推進に本格的に取り組むのは、1970年代に入ってからである。1971年4月の社会教育審議会答申「急激な社会構造の変化に対処する社会教育のあり方について」、同年12月の中央社会福祉審議会答申「コミュニティ形成と社会福祉」を端緒とする。また、1990年代以降、多くの地方自治体では「福祉のまちづくり条例」の制定に取り組む。その先進的なものに神戸市と兵庫県の条例があるが、その条例から「福祉教育」に関する条文を紹介する。兵庫県の条例では、条文見出しと条文に「福祉教育」の文言があり、しかも独立条文として規定していることが注目される。
神戸市/神戸市民の福祉をまもる条例/1977年1月10日公布
(市民福祉の理解及び福祉活動のための条件整備)
第5条 市は、市民及び事業者が市民福祉に関する正しい理解を深め、又は福祉活動(市民福祉の向上のため、みずからすすんで自己の労力、知識、財産等の提供を行うことをいう。以下同じ。)を行うために必要な条件の整備に努めなければならない。
兵庫県/福祉のまちづくり条例/1992年10月9日公布
(福祉教育の推進)
第8条 県は、高齢者等に対する理解と思いやりのある児童を育成するための福祉教育を推進するものとする。
特定非営利活動促進法(NPO法)が施行されたのは1998年12月である。それ以来、認証を受けたNPО法人は増加を続けている。2013年7月末日現在で、認証法人は4万7,973法人、税制上の優遇措置を受ける認定法人は492法人を数えるに至っている。活動の種類については、2013年3月末日現在の調査(複数回答)によると、「第1号 保健・医療又は福祉の増進を図る活動」(58.1%)、「第2号 社会教育の推進を図る活動」(46.9%)、「第3号 まちづくりの推進を図る活動」(42.8%)が上位を占めている。いうまでもなく、NPO法人は、「新しい公共」の担い手として、市民の社会参加を促し、まちづくりの推進を図るところにその存在意義がある。
筆者(阪野)はかねてより、福祉教育を「福祉文化の創造や福祉によるまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な市民の育成を図るための教育活動」として捉えてきた。とりわけ、「福祉の(による)まちづくり」のための住民主体形成とそのプロセスを重視している。そこで、筆者は、上述の政策動向や関連法・条例の整備状況、そのもとでの市民・住民によるまちづくり活動の現状、さらには市民主権や市民自治が叫ばれる今日的状況などに鑑みて、福祉教育の条例化については条件つきで肯定的に考えたい。その条件のひとつは、条例化に際しての市民の主体的・自律的・能動的な参加(参集、参与、参画)と、条例の制定意義と条文の内容や考え方等についての熟慮と議論である。そして、その過程はそれ自体が福祉教育の実践そのものであり、そこにおいてその真価が問われる、と考えるべきであろう。
以下は、「鹿島市福祉教育に関する条例」の全文である。
佐賀県鹿島市/鹿島市福祉教育に関する条例/1996年3月25日公布
(目的)
第1条 この条例は、全ての市民が福祉に関する制度及び実情を正しく理解し、福祉意識を高めるとともに、市民自ら参加する福祉についての実践活動を行うことにより、福祉教育の推進を図り、もって福祉のまちづくりに寄与することを目的とする。
(市における福祉教育の推進)
第2条 市は、市民に対して生涯にわたる教育の場を通じて福祉教育の推進に努めるものとする。
(福祉団体等における福祉教育の推進)
第3条 市民福祉の向上を目的とする団体(以下「福祉団体」という。)及び福祉施設を経営する者は、その活動を通じて福祉教育を実施するよう努めるものとする。
2 福祉団体及び福祉施設を経営する者は、市及び教育委員会に対し、福祉教育に関する指導又は助言を求めることができる。
(市民の福祉教育への参加)
第4条 市民は、福祉の意義を理解し、福祉活動を実践するために、自主的に学習を行うとともに、福祉教育に積極的に参加するよう努めるものとする。
(学校における福祉教育)
第5条 教育委員会は、児童・生徒に対する福祉教育の充実推進を図るため、すべての小・中学校を福祉教育推進校に指定する。
2 福祉教育推進校は、児童・生徒に対し、計画的に福祉教育、活動の機会を設定し、福祉活動についての理解と関心を深めるよう努めるものとする。
(市民福祉推進委員会)
第6条 市は、福祉教育、活動について調査及び審議するため、市民福祉推進委員会を置くことができる。
(委任)
第7条 この条例の施行に関し必要な事項は、市長が別に定める。
附則
この条例は、平成8年4月1日から施行する。
以下は、鹿島市教育委員会による福祉教育の取り組みである。
鹿島市教育委員会の取組み
1 取組みの経過
(1)平成7年度
平成7年
10月 市長が、福祉教育実施について教育長と会談
12月18日 市長が、市内校長会で構想を説明
平成8年
1月11日 教育長が、市内校長会で実施要項を説明
1月13日 市長・教育長が、中学校PTA役員懇談会で説明
1月19日 教育次長が、総務委員会・民生委員研修会で協力依頼
1月25日 教育長が、県教委・福祉生活部・県社協へ報告・協議
1月30日~3月6日
市長・教育長・教育次長が、市内各小中学校で構想説明・協力依頼
2月7日~9日
教育次長が、各地区の民生児童委員協議会で協力依頼
3月5日 鹿島市福祉教育推進実践校連絡協議会を開催
3月14日 3月定例市議会において「鹿島市福祉教育に関する条例」可決成立
3月26日 教育長が、民生総務委員会で要旨説明・協力依頼(調査依頼)
桑原市長(桑原充彦、1990年5月~2010年5月:阪野)は、官と民が一体になって福祉のまちづくりの中で、特に福祉教育を重視した。鹿島市でも核家族化が進み、独居老人が多くなると同時に、祖父母と同居していない子供が増加してきた。そのような子供は、人間の情緒を育てる「生・老・病・死」に触れることもできない。そこで、お年寄りと接する機会を与えれば、その体験ができるのではないかと考え、教育委員会に提案した。教育長、市内校長会もこれに賛同した。
市長、教育長、教育次長は、市内教職員へ福祉教育の意義の説明とその啓発のために、1月から3月にかけて市内全小中学校を訪問した。また、教育委員会は、関係諸機関とも連携をとった。
平成8年3月14日には、3月定例市議会において「鹿島市福祉教育に関する条例」が可決成立し、正式に福祉教育の推進が決定された。
(2)平成8年度
平成8年
4月15日 教育長が、市内校長会で実施要項を具体的に説明
5月7日 福祉教育実践校連絡協議会開催(ふれあい活動希望結果配布)
5月16日 教育長が、市PTA連合会総会で要旨説明・協力依頼
10月1日 福祉教育実践校連絡協議会開催(中間報告)
12月16日 教育長が、県教委主催の指導主事研修会で福祉教育について講演
平成9年
2月 庶務課次長が、各地区の民生児童委員協議会で希望調査依頼
平成8年度4月から、全小中学校において教育課程の中に福祉教育が位置付けられた。特に、中学校2年生では「ふれあい活動」という老人との日常的福祉実践活動が、民生委員の協力を得て開始された。1班6人程度でグループを作って独居老人や老人のみの世帯を週1回~月1回程度訪問し、話相手、肩もみ、草むしり、ごみ捨て、障子張り、網戸洗い、石運び等を行った。
初年度でいろいろな課題も出てきたが、交流、体験をとおして小中学生が学んだものには計り知れない大きな成果があった。老人からも多くの感謝のおたよりが届いた。
(3)平成9年度
平成9年
5月19日 福祉教育実践校連絡協議会開催(ふれあい活動希望結果配布)
12月1日 福祉教育実践校連絡協議会開催(中間報告)
平成10年
1月13日 福祉教育実践校連絡協議会開催(福祉教育の成果と課題)
1月16日 市報によって、福祉教育の啓発
1月26日 民生総務委員会において、中間報告及び協力依頼
1月27日 第1回福祉教育推進協議会開催
2月9日~12日
各地区の民生児童委員協議会で希望調査依頼
福祉教育が2年目を迎え、各小中学校ともに特色ある取組みが行われてきた。
「ふれあい活動」では、中学生と老人がごく普通にあいさつや声かけができるようになり、地域での温かい雰囲気ができてきたという民生委員からの報告もあった。また、この活動によって、将来の進路をヘルパー志望とする生徒の声もあった。一方、施設との交流も開始された。
しかし、課題も多く出てきた。まず、時間の問題である。生徒達の部活や塾等の都合と老人の都合が合わず、計画がうまくできない。また、ナイフ事件で「中学生は怖い」ので辞退したいということもでてきた。民生委員の方からは、多忙で負担が大きいという課題が出された。
(4)平成10年度
平成10年
4月27日 民生総務委員会において、再度協力依頼
5月26日 福祉教育中学校連絡協議会開催(ふれあい活動希望結果配布)
6月26日 民生総務委員会において、進捗状況報告
7月1日 老人クラブ理事会において、協力依頼
11月25日 民生総務委員会において、中間報告及び意見交換
11月30日 教育長が、東京での「スクールボランティアサミット」において講演
12月7日 老人クラブ理事会において、中間報告及び意見交換
12月9日 市社協と「ネットワーク活動」との連携を検討
平成11年
1月14日 福祉教育実践校連絡協議会開催(福祉教育の成果と課題)
1月16日 市報によって、福祉教育の啓発
1月26日 第2回福祉教育推進協議会開催
3年目を迎え、児童生徒に福祉の心が着実に育ってきた。中学生の殆どが老人との交流を希望し、自分の将来を考えたうえで、何か手助けをしたいと考えている。これは小学校1年から実施している小中一貫の福祉教育の大きな成果である。特に、自発的に近所の老人との交流を考え、生徒自身から「何か手伝うことはありませんか。」と働きかけた。
また、自分の家の祖父母への意識が変わってきた。つまり、近所の独居老人との交流を通して、自分の家の祖父母へ何かしてあげたい、話をしようと気づいてくれたということも出てきた。
2 これからの福祉教育
福祉教育が開始されて3年になるが、少しずつ児童生徒に福祉の心が育ってきたことが大きな成果である。また、地域の中でも、小さいながらも子供達と老人との温かい交流が生まれてきた。また、施設においても、受け入れの協力体制もでき、幅広い活動ができてきた。
これからは、ボランティアの本来の意義である自主性について、児童生徒の自発的、能動的な活動を重視する方向に進めていきたい。また、地域ぐるみの福祉教育の推進を目指したい。そのために、関係諸機関(社協、福祉事務所、区長会、民生児童委員会、老人クラブ連合会、PTA、子供クラブ等)との連携・協力を高めていきたい。
何十年かすれば、この福祉教育を鹿島市民は全員が経験したことになる。長期的視野に立った福祉のまちづくりを進めるうえでも、地道に継続的に進めていきたい。
(1)児童生徒の自発性を重視した福祉教育の推進
(2)広く多様な福祉教育の推進
(3)社協の「ネットワーク活動」及び関連機関との連携による「地域ぐるみの福祉教育」の推進
(4)中学校2年生の「ふれあい活動」の取組み
① 「ふれあい活動(グループ活動)」日常実践活動
② 「隣近所たすけあい活動(ネットワーク活動)」との連携
③ 施設との交流
④ 老人クラブとの交流
⑤ 近所のお年寄りとの交流
⑥ 「いきいきサロン」等 市社協の事業への参加
⑦ 「ふれあいキャンプ」への参加
⑧ 中学校への招待
(鹿島市教育委員会・鹿島市福祉教育推進実践校連絡協議会編『平成10年度 福祉教育推進報告書』鹿島市教育委員会、1999年3月、4~7ページ)