T市は、人口約42万人、高齢化率約19%を数える、全国有数の企業城下町である。地域の自治組織や社会資源が整備され、住民の連帯意識や自治意識の高い地区も多い都市(中核市)でもある。そして、「平成の大合併」を経て、以前にも増して豊かな自然や歴史・伝統・文化など多くの地域資源に恵まれた “まち” になっている。
そのT市では、昨年7月から2か年の予定で、行政の「地域福祉計画」と社会福祉協議会(以下、「社協」と略す。)の「地域福祉活動計画」の策定に取り組んでいる。そこでは、二つの計画を一体的、戦略的に策定することとし、同時並行的にその作業が進められている。そして、地域福祉を推進するための基本的理念や目標の同一化を図り、二つの計画が相互に補完し合う関係になることをめざしている。
筆者(阪野)は昨年来、策定委員の末席を汚しながら、策定委員会やワークショップ、住民懇談会などに積極的・主体的に参加し、多くを学んでいる。
行政の地域福祉計画の策定に関しては、これまで、「地域福祉に関する市民アンケート調査」と「地域福祉計画策定に係るワークショップ」が行われた。社協の地域福祉活動計画の策定に関しては、本年の2月を中心に、「第1回/みんなが参加する『地域福祉活動計画』策定のための住民懇談会」が市内の27中学校区ごとに実施されている。
こうした取り組みは、策定のプロセスを重視し、住民参加を促すことを特徴とする地域福祉(活動)計画にあっては、とくに目新しいものではない。そういうなかで、社協では、丁寧に住民懇談会を開催し、それを福祉教育実践のひとつとして位置づけ、今後も計画的・継続的に取り組むことを予定している。それは、地域福祉活動計画の内容の主軸には福祉教育(「市民福祉教育」)を位置づけるべきである、という社協の思いや考えに基づくものである。
筆者は、先日、同じ日に開催されたA地区とO地区の住民懇談会に参加した。人口は、A地区が約8,700人、O地区が約4,000人、高齢化率はともに約34%を数える中山間地である。
住民懇談会は、往々にして行政に対する不平・不満を放談したり、要求・要望を突きつけたりする場になりがちである。それを避けるために、今回の懇談会では、先ず、懇談会開催の「趣旨説明」と地域福祉やまちづくりについての「講話」に40分ほどの時間が割かれている。それを受けて、参加者は、「(1)私が住んでいる “まち” の安全・安心なところ、自慢できるところ」と「(2)普段の暮らしのなかで、私にとっての“心配ごと” “悩みごと” “困りごと”」という二つのテーマをめぐって、それぞれがひとりの住民として、対等・平等な関係や立場で自由に話し合い(対話)を行う。具体的には、社協職員がファシリテーター(推進役)を務め、参加者個々人はKJ法を用いて地域理解・診断を行い、地域の生活問題や福祉課題についてその認識や理解を深めていくことになる。なお、今回の懇談会は、初回であるということから、地元における地域福祉リーダーの育成と彼・彼女らの福祉意識の醸成・高揚を意図して、地域組織・団体の役職者(キー・パーソン)を対象としている。
2時間の懇談会を通じて、(1)のテーマに関しては取り敢えず、A地区では「自然と歴史と文化が豊かで、人と人とのつながりが強く、郷土愛に満ちているまち、A」、O地区では「自然が豊かで、伝統があり、人の気持ちが広く、住民同士が知り合い、触れ合いのあるまち、O」というフレーズが作成された。(2)のテーマに関しては、一面では(1)の裏返しでもあり、A地区・O地区ともに、中山間地ならではの地域の生活問題や福祉課題が抽出・提示された。今後は、(1)(2)に関する住民の “生の声” を、A地区・O地区の地域特性を生かした地域福祉を推進するための基本的理念や目標に昇華・止揚していくことが求められる。とともに、課題解決のための具体的な諸事業・活動が計画化されることになる。そこで、本年の6、7月以降に予定されている2回目の懇談会では、「(3)私が住んでいる “まち” が、こんな “まち” になったらいいな」「(4)(3)を実現するために、私ができること、私たちがしなければならないこと」がテーマとなる。
ところで、A地区の懇談会には、「総合的な学習」の一環として、地元の中学校1年生を代表して5人の生徒が教師に引率されて参加した。当初は1年生全員の参加を計画したが、会場の都合で代表者に限定したということであった。生徒たちは、地元の大人たちに交じって、子どもならではの目線から(1)(2)のテーマをめぐって積極的に意見や考えを述べ、終了時には丁寧な挨拶をして学校に戻っていった。生徒を引率してきた教師もまた話し合いの輪に加わった。席上で筆者は、何故か “すがすがしさ” と “力強さ” を感じたが、それは筆者だけのことではないと思われた。
その日の夜に開催されたO地区の懇談会には、40人余の地元住民が参加した。開催するにあたって、社協支所の職員は、地元の小・中学校に赴き、懇談会への参加を依頼した。その時、教師から返ってきた言葉は、「私の『地元』ではありませんから‥‥‥」というものであった。しかも、全ての学校の教師の回答がそれであったという。O地区の小・中学校に通う生徒は地元の子どもたちである。教育は、一面において、地元の地域生活に学び、地域生活に生かすための営みである。また、教育は、今日においても、「村を捨てる学力」ではなく、「村を育てる学力」(東井義雄、1957年)を身につけるための営みであることが求められる。福祉教育もまた然りである。こう考えたとき、教師の言葉と回答に、虚しさと寂しさを感じ、失望感を禁じえないのは筆者だけであろうか。教師の「地元」はどこにあるのだろうか。まさか20坪の「教室」ではあるまい。そしてまた、学校や教師の回答から、社協支所やその職員の、「地元」に根ざした福祉教育(「市民福祉教育」)に関する考えや姿勢、これまでの取り組みがうかがい知れる。本稿でいいたいのはこの点である。