“いつか来た道”を憂う―「戦時厚生事業」の再考を求めて―

憂うべき事態が進行している。例えば、(1)2004年6月に成立し、同年9月に施行された「国民保護法」(「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」)の規定により、「有事」の際にボランティア活動等が「国民の協力等」の一環として奨励されていること。(2)2013年12月に成立、公布された「特定秘密保護法」(「特定秘密の保護に関する法律」)の規定により、「情報は民主主義の通貨である」(アメリカの社会運動家:ラルフ・ネーダー)、「情報公開がないと民主主義は成立しない」などといわれるなかで、国民の「知る権利」が著しく侵害されかねないこと。そして(3)2014年3月に文部科学大臣が直接、沖縄県の「教科用図書八重山採択地区協議会」(石垣市、竹富町、与那国町)が選定した育鵬社版の中学校公民教科書を採択していない竹富町教育委員会に対して、地方自治法(第245号の5第4項)に基づく「是正の要求」を出したこと、などがそれである。
(1)の国民保護法は、戦後初の「国民保護」と銘打った有事法制である。それは、一瞥する限り、武力攻撃や大規模テロなどの有事を前提にした「国民の保護」のための措置等について規定したものである。しかしその内実は、名称とは裏腹に、「国家の安全」の確保が優先され、また有事における国民の「協力」という名の「動員」や基本的人権の制限あるいは侵害が行われる危険性がある。「自主防災組織及びボランティア」の取り組みを前提とした「国民保護計画」が、既に全ての都道府県やほとんどの市町村で策定されていることを考えると、「国民の自発的な意思にゆだねられる」とされている「協力」が「強制」されることは火を見るより明らかである。「ボランティア」については、その官製的な活動の振興が図られることになり、ボランティアの基本的性格である自主性や主体性が無視あるいは否定されることになる。以下は、国民保護法第4条の規定である。

(国民の協力等)
第4条  国民は、この法律の規定により国民の保護のための措置の実施に関し協力を要請されたときは、必要な協力をするよう努めるものとする。
2  前項の協力は国民の自発的な意思にゆだねられるものであって、その要請に当たって強制にわたることがあってはならない。
3  国及び地方公共団体は、自主防災組織(災害対策基本法 (昭和三十六年法律第二百二十三号)第二条の二第二号 の自主防災組織をいう。以下同じ。)及びボランティアにより行われる国民の保護のための措置に資するための自発的な活動に対し、必要な支援を行うよう努めなければならない。

(2)の特定秘密保護法は、戦後初の包括的な秘密保全法制である。それは、主として次のような条項によって構成・規定されている。①行政機関の長(大臣や官僚など)は、「その漏えいが我が国の安全保障に著しい支障を与えるおそれがあるため、特に秘匿することが必要であるもの」(第3条)を「特定秘密」として指定する。②行政機関の長は、「特定秘密」を扱うことが想定される行政機関の職員や行政機関との契約事業者(民間人)に対して、家族の状況や犯罪・懲戒歴、精神疾患、飲酒についての節度などについて「適正評価」(セキュリティ・クリアランス)を実施する。それは、「その者が特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないことについての評価」(第12条)をいう。③「特定秘密の取扱いの業務に従事する者がその業務により知得した特定秘密を漏らしたとき」(第23条)は、厳しい懲役および罰金に処する、ことなどがそれである。
その内容については、日本弁護士連合会(『秘密保護法とは何か?~その危険性と問題点~』2014年3月)をはじめ多くの機関や団体などによってさまざまな問題点が指摘されている。①特定秘密の範囲が不明確で曖昧であり、過度に広範囲に及んでいる。②国民のプライバシーが侵害され、広範囲の個人情報が収集・管理されかねない。③処罰の範囲が広いために取材・報道の自由が阻害され、国民の「知る権利」が侵害される恐れがある、などがそれである。これらを要すると、特定秘密保護法は国家権力による「監視社会化」(「管理社会化」)を進めるものである、といわざるを得ない。
(3)の文部科学大臣による市町村教育委員会(竹富町教育委員会)への初の教科書是正要求は、教科用図書八重山採択地区協議会が、石垣市の(保守系)首長や教育長の主導により、不透明で、不適切かつ強引な手法によって教科書の採択を答申したことを発端とする。
この是正要求は、元をただせば、「教科書無償措置法」(「義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律」)と「地方教育行政法」(「地方教育行政の組織及び運営に関する法律)」の二つの関連法における規定が矛盾していることによるものである。前者はその第13条第4項で、同じ採択地区内の市町村の教育委員会は、協議して同一の教科書を採択しなければならないと定めている。その一方で、後者はその第23条第1項第6号において、市町村の教育委員会に教科書の採択権があることを認めている。こうした法律の矛盾点が是正されず、これまで放置されてきたことに問題があることはいうまでもない。
周知の通り、「是正要求」は、法的には前述の地方自治法第245条の5第4項の要件を満たすことが求められる。「市町村の事務の処理が法令の規定に違反していると認める場合、又は著しく適正を欠き、かつ、明らかに公益を害していると認める場合において、緊急を要するときその他特に必要があると認めるとき」がそれである。竹富町においては、これらの事態は生じていない、といわれる。また、国の関与は、同法第245条の3第1項の規定に沿うものでなければならない。すなわち、「その目的を達成するために必要な最小限度のものとするとともに、普通地方公共団体の自主性及び自立性に配慮しなければならない」ことになっている。
いわれるように、民主主義教育を推進するためには、教育行政への政治的介入の排除、教育内容の中立性や公正性の確保、教育現場の自主性や自律性の尊重、教育における地方・住民自治と住民参加の保障、などが要請される。
以上の諸点を考え合わせると、今回の是正要求は、一面的な解釈と強権的な振る舞いに基づく、説得力に欠けるものであり、政府の違法行為である。竹富町教育委員会には何ら違法性はない、といえよう。
ここで、育鵬社の中学校公民教科書から、「平和主義」と「公共の福祉」に関する記述を紹介する。

「平和主義」
第二次世界大戦に敗れた日本は、連合国軍によって武装解除され、軍事占領されました。連合国軍は日本に非武装化を強く求め、その趣旨を日本国憲法にも反映させることを要求しました。
このため、国家として国際紛争を解決する手段としての戦争(侵略戦争)を放棄し、戦力を保持しないこと、国の交戦権を認めないことなどを憲法に定め、徹底した平和主義を基本原理とすることにしました。戦後日本が第二次世界大戦によるはかりしれない被害から出発したこともあり、この平和主義は国民にむかえ入れられました。(48ページ) 

「公共の福祉による制限」
憲法は、国民にさまざまな権利や自由を保障していますが、これは私たちに好き勝手なことをするのを許したものではありません。
憲法は、権利の主張、自由の追求が他人への迷惑や、過剰な私利私欲の追求に陥らないように、また社会の秩序を混乱させたり社会全体の利益をそこなわないように戒めています。
憲法に保障された権利と自由は、「国民の不断の努力」(12条)に支えられて行使されなくてはなりません。憲法では、国民はこれらの権利を濫用してはならず、「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任」があると定めています(12条)。(46~47ページ)

以上から、育鵬社版の中学校公民教科書では、「平和主義」について、連合国軍によって押し付けられたものであるといういわゆる「押し付け憲法論」に基づく記述になっているといえる。それは、国家主義的立場に立って、「一面的に過ぎる特異な見解のみを強調している」と指摘されるところでもある。また、「公共の福祉」に関しては、それによる人権の制限やルール・義務を強調した記述になっているといえる。この点に関して、例えば東京書籍版の中学校公民教科書では、次のように記述されている。「何が『公共の福祉』」にあたるのかを政府が一方的に判断して、人々の自由な人権の行使を制限することがあってはなりません。人権が『公共の福祉』によって制限されるといっても、その人権の制限が具体的にどのような公共の利益のためなのか、考えていく必要があります」(53ページ)。特定の歴史観や国家観に偏らないバランスのとれた記述であるといえよう。
このようなことから、育鵬社版の公民教科書は、教科書としての公正性や中立性、適格性に欠けるものであり、政治的手段のひとつとして作成された政治的教科書である。それはまた、教科書検定の公正性や信頼性を厳しく問うことにもなる、などといわざるを得ない(自由法曹団『法律家による「つくる会」系公民教科書(育鵬社・自由社)の検証』2011年、等参照)。
しかし、こうした内容の育鵬社版教科書の採択状況をみると、それは増加傾向にある。民間会社(株式会社学習)による「平成24年度教科書採択一覧表」(中学校:2012年度~2015年度)をみると、全国603の教科書採択地区のうち27地区(4.5%)で育鵬社版公民教科書が採択されている。占有率が最も高いのは東京書籍の323地区、53.6%である。ちなみに、その一覧表では、沖縄県八重山地区(石垣市・八重山郡)は「未決定」と表示されている。
いずれにしろ、文部科学省の竹富町教育委員会に対する教科書是正要求は、育鵬社版公民教科書の採択を強要するものである。国家権力による特定教科書の押しつけは、地域の多様性や学校現場の教師や子どもの自主性を無視したものである。とともに、戦前の国定教科書への回帰を促すものでもある。それは、戦後民主教育の形骸化と破壊に繋がる。育鵬社版公民教科書の採択率(シェア)が伸びていることに併せて、強く認識することが求められるところである。

憂うべき事態が進行している。それは、政府による国家主義的な政策の、強圧的な取り組みに見ることができ、日本国憲法の3大基本原理といわれる「国民主権」(民主主義)、「基本的人権の尊重」(人権保障)、「平和主義」(戦争放棄)の侵害や形骸化に繋がるものである。それについて、「国家主義の復権」や「戦前への回帰」と断ずることはひとまず置くとしても、福祉・教育関係者は大いに関心をもち、発言し、行動しなければならない事態である。

ところで、唐突ではあるが、以上の叙述は、今日的な「憂うべき事態」を「戦時厚生事業」との相関のなかで考えてみたいという筆者(阪野)の漠然としたひとつの思いに基づくものである。
筆者は、古川孝順の「研究者世代論」によると第3世代の最末期に属するのであろうが、当時の学部学生にとっての必読書の一冊は孝橋正一の『全訂・社会事業の基本問題』(ミネルヴァ書房、1962年)であった。周知の通り、孝橋は、マルクス主義(史的唯物論)に立って「社会事業」を資本主義国家による政策として捉えるいわゆる「孝橋理論」を形成し、当時の社会福祉研究を先導したひとりである。孝橋は、その著作のなかで、「世界恐慌・戦時態勢と社会事業」に関して次のように説述している。「1931年の満州事変、1937年の支那事変、そして1941年の第二次世界大戦への突入から敗戦までの過程において、‥‥‥社会事業はファッシズムの侍女として自分自身を位置づけていった。‥‥‥社会事業は厚生事業として、その活動のあらゆる領域で戦時生産力の拡充のために協力し、また戦時態勢と戦争のもたらす被害の後始末にまわった」(290~291ページ)。
社会事業は「ファッシズムの侍女」であり、「戦時態勢と戦争のもたらす被害の後始末にまわった」という孝橋の指摘は、小倉襄二の次のような叙述によって、より明確になる。「戦時厚生政策(戦時厚生事業:筆者)を解明するキイ・ワードは〈統制〉に在る。‥‥‥明治以降、マイナーで体制の日陰に位置を保持して恒に公的救助義務主義を回避しつづけた官治の権力の対極にあった救済―社会事業領域が日本ファシズム体制下の一連の〈統制〉によって天皇赤子論、国体論や大政翼賛の総動員体制のなかに編入、強制されることによって或る種の確たる地歩と、“陽の当る場所”、戦時体制にとって重要な一分肢としての機能を付与されることになった」。「戦時厚生政策はわが国のファシズムの“産物”であった。日本ファシズムは戦時厚生政策の前提である」(小倉襄二『右翼と福祉』法律文化社、2007年、7~8、82ページ)。
なお、ここで、「厚生事業」の理論的指導者であった、同志社大学の竹中勝男の一文(「社会事業に於ける厚生の原理:国民厚生事業序説」『厚生学年報』第1輯、同志社大学厚生学研究室、1942年7月)を紹介(転載)しておくことにする。「戦時厚生事業」は「客観的に外部から社会事業に要請した結果である」という、その論理が展開されている。ちなみに、同志社大学の文学部に「厚生学専攻」が設けられたのは1941年4月からであり、その後、「時代の脚光を背負った領域として厚生学科として残る」ことになる(上野直蔵『同志社百年史』(通史編二)同志社、1979年、1531ページ)。

「社会事業が『厚生』といふ問題を採り上げるやうになつたことは、決して社会事業の本来的内部機構的な発展の結果からでなく、戦時国防国家建設の目的遂行が、客観的に外部から社会事業に要請した結果であると言はねばならない。換言すれば、それは社会事業がその組織化体系化の理論的発展が要求した必然な問題であつたのでもなく、高度国防国家体制の進展に応じて、軍事的、経済的産業的充実整備がそれ自からの進行過程に於て、国民の人口資源、体位保健状態に於て、それらの基底となつている庶民生活の地盤に於て全く新らしい角度と認識目的に立つて採り上げるに至つた課題であつた。換言すれば、それは『要救護性』の戦時的認識であり、それの全体主義的理念に立つた把握であり、その歴史的特殊性を止揚してそれを国民階層一般への相対化に於て変容し、要救護性の庶民的拡がりとそれへの国家的保護対策の確立を前提として把握された『国民的要保護性』であると言ふ事が出来る」(小倉『同上書』、124ページ)。

今日的な「憂うべき事態」について、主権を有する国民の主体的・自律的な意思に基づいた、真の「是正」を図るための方策は何か。いま求められるのは、「戦争責任」や「戦争協力」についての浅薄な議論ではない。「戦時厚生事業についての研究が困難(であり:筆者)、関心をもつ研究者が少ない」(小倉『同上書』、77ページ)といわれるなかで、戦時厚生事業の政策や理論・思想について科学的・体系的に再考することではないか。その際、国家主義を主張するファシズムが忌避したのは、「民主主義」であり、「人権」や「人間の尊厳」などであったことを再認する必要がある。そして何よりも、「憂うべき事態」が強権的に作り出される時流に迎合しない、「批判と抵抗」の姿勢が求められる。本稿で筆者がいいたいのはこれらの点である。「戦時厚生事業」と同じような轍を踏まないためにも。