福祉教育にかかわっておよそOO年が過ぎ去りました。昨今の厳しい環境変化によるのでしょうか、元気がでません。進むべき方向も見失いがちで、ときには後ろに追いやられそうです。
福祉教育の指定校制度のもとでは、学校の求めに応じて車椅子を貸し出したり、疑似体験のお手伝いをしたりと、それなりに忙しくしていました。
地域を基盤とした福祉教育の時代を迎え、学校指定から地域指定になりましたが、一面では学校とのかかわりが希薄になったような気がします。
そういうなかで、学校の先生に加えて、地域の誰を福祉教育の主要な担い手として位置づけ、その育成・確保を図ればいいのか。課題山積です。
学校に丸投げしていた福祉教育を、今度は地区社協や地元の関係組織・団体などに丸投げする、という訳にはいきません。それは、社協自らが機能不全を起こし、存在そのものを否定することに繋がるからです。
振り返れば、
1970年代は、全社協などが中心になって「福祉教育の啓発・普及」が図られました。「学童・生徒のボランティア活動普及事業」が始まったのは1977年でした。
1980年代は、福祉教育実践の全国的な展開を背景に、全社協や各地で「福祉教育の理論的整理」が行われました。福祉教育のひとつの羅針盤を得ることができました。
1990年代は、学校を中心にした「福祉教育実践の具体的推進」が図られました。その後は、学校外にも広がっていきました。
2000年代は、地域福祉の主流化の進展やICFの視点の導入などにより、「福祉教育実践の新しい展開と質の問い直し」が行われました。
2010年代は、社会的包摂の理念の普及や東日本大震災を契機に、コミュニティへの関心が高まり、「コミュニティ再生と福祉教育」のあり方が問われています。
福祉教育のこうした変遷を大胆にいえば、
「教育と福祉」→「学校教育と福祉教育」→「学校外教育と福祉教育」→「地域福祉と福祉教育」→「まちづくりと福祉教育」、ということになるでしょうか。
「教育と福祉」の時代には、多くの分野の専門知識や経験などを持ち寄って、「ヒトを育て、まちを創る」という大きな夢と熱い思いを語り合ったものです。そこには、みんな違う“強い香り”がありました。
「地域福祉と福祉教育」の時代になると、崇高な理念や思想が強調されるあまり、何かがこぼれ落ち、何かに矮小化されているようです。そこには、みんな同じ“程よい香り”しかありません。
全社協が1996年に纏めた『地域に広がる福祉教育活動事例集―福祉教育の考え方と実践方法・先進的事例に学ぶ―』を読み返したいと思うところです。画期をなす実践から、いま改めて学ぶべきです。
福祉教育に、口当たりのいい言葉はいりません。必要なのは、厳しい現実と闘っている地域や住民の「ありのままの姿」です。
福祉教育に、ゲーム感覚で楽しんでいるだけの体験活動はいりません。必要なのは、実態をえぐり出し、問題の「本質に迫る学習」です。
福祉教育は、住民自らが、自分らしく・したたかに・しなやかに「生き抜く力」を育むための営みです。
福祉教育は、住民による、住民のための、快適な生活環境や豊かな福祉文化の「まちづくり」を志向するものです。
市民主権や市民自治の確立が求められるいま、改めて福祉教育の重要性と難しさを痛感しています。