筆者(阪野)は、放送大学教養学部の学生(選科履修生)である。授業には放送授業と面接授業、それにインターネット配信によるオンライン授業の3通りがあるが、もっぱらオンライン授業を受講している。ただ、その態度は褒められたものではない。半日で5、6回分の授業を視聴したり、履修登録科目以外の人文系や自然系の科目や大学院授業科目も多く視聴している。その結果、気がつけば登録した2科目4単位が修得できず、2015年度継続入学の手続きを取ることになった。
先日、「死生学入門」の15回分を一気に聴取した。そのうち、8回目の井出訓(いで・さとし)先生による「老いと死」は、その目標にかなう授業であり、前期高齢者の筆者にとっては多少なりとも興味や関心を呼び起こすものであった。「老いとともに人は肉体的な衰えを自覚し、死に対する覚悟と準備を求められる。いっぽうで老いはエリクソンが指摘したとおり、発達の最終段階としての成熟と完成に至るプロセスであり、英知という肯定的な意味を獲得しうる段階でもある。こうした老年期を生きる人々が、目の前に迫る死とどのように向き合い、何を想い、いかなる最期を迎えているのか。超高齢社会を迎えた日本社会における老いの現状をふまえつつ、老いという生の成熟と、死という生の完成について考えてみたい」というのがシラバスに記された授業内容である。
講義は、深沢七郎の『楢山節考』の一節の紹介から始まった。辰平が年老いた母おりんを背板に乗せて真冬の楢山へ捨てに行く。その帰り道、雪が舞い始める。辰平は、おりんの運の良さを告げ、「『おっかあ、ふんとに雪が降ったなァ』と叫び終ると脱兎のように駆けて山を降(くだ)った」という場面である。こうした姥捨て(棄老)は、村という社会の権力構造によって高齢者が排除され、村という社会を維持するために「弱者」を犠牲にするという“排除と差別”にほかならない。
日本は、本格的な超少子高齢・人口減少・多死社会を迎える。そういうなかで、「2025年問題」が声高に叫ばれている。「老人漂流社会“老後破産”」が深刻な状況になっている。要介護者や認知症高齢者などへの対応も後手に回っている。これらは、筆者自身の老いにかかわる問題である。またこれらから、姥捨ては形を変えて社会的・制度的に進行しており、それは伝説や小説の世界だけの風習ではない、と思えてならない。経済の効率性や生産性の回復・向上を図り、社会の一員としての社会的責任や社会貢献を果たすことが強く求められる今日の日本社会において、である。ここで、労働力の態様という観点から、高齢者を「衰退した労働力」と規定した一番ヶ瀬康子(いちばんがせ・やすこ)先生の所説を思い起こす。
授業の後半部分では、井出先生の師でありメンター(指導者)であった、看護学を専門とする中島紀恵子(なかじま・きえこ)先生へのインタビューが紹介された。中島先生の、「高齢当事者」(後期高齢者)の目線から語られる「老いと死」から多くを学んだ。中島先生の、「老いについては、死の側から生きるプロセスをみる、死から生命(いのち)を照らすという感覚がつきまとう。」「高齢者には悲哀をともなって世話になる覚悟が必要であり、依存することも自立のうちである」等々の話は意味深い。
そして、井出先生の「老いと死」のまとめは、次のようであった。「自分らしく老い、自分らしく死ぬとはどのように生き抜くことであるのか。それは、今まで自分が生きてきたように生き、そして老い、死んでいくことでしかない。」「『死生学』という視点から老いと死とを考える時、死とは何かという問いよりも、いかに老いという最後の時間を生き抜くかという、生の在り方に対する問いに軸足が置かれているべき」である、というのがそれである。
授業内容の詳細についてはひとまず置くとして、井出先生の授業による筆者の気づきや学びはおおむね以上のようなものである。ここで、宗教学者の山折哲雄(やまおり・てつお)先生の一文を想起する。
「戦後の日本の教育の主軸は、まず第一に生きる力を養うことでした。死をネガティブなものとして正面から向き合うことをしなくなってしまった。それは教育界のみならず、経済界・産業界もそうですし、宗教界までもがそうでした。気がついてみれば、生きる力一本槍で、二言目には共生、共生と言って、死という問題を真っ向から取り上げなくなった。
生きる力イデオロギーと共生大合唱の二本立てによって、いつのまにか日本人は死と向かい合う態度を忘れてしまったと言えるでしょう。
しかし冷静に考えれば、死を知ることで生の意味が本当に理解できるのであって、生きることばかり強調しても、そもそもそのこと自体に説得力がない。生きる力を磨きたいのであれば、死ぬことの意味も知っておかなければならない。」(『「始末」ということ』角川学芸出版、2011年、78ページ)
「きちんと『死』について教えない限り本当の『生きる力』は身につかないと思います。(中略)『共に生きる』という口当たりのよい言葉だけ掲げて、『共に死ぬ』ということはほとんど言わない。死んでいくときは『ひとり』、ということもあいまいになっている。(中略)すべての人間がひとりで死ぬ運命の中に投げ出されている。だから『共に死ぬ』ということになります。『共に死ぬ』すなわち『共死』とはそういう意味なのです。共に生きる者たちは当然共に死ぬ者でもある。」(『わたしが死について語るなら』ポプラ社、2010年、53~54ページ)
要するに、子どもの生活や意識、学校教育などにおいて、抽象的・理念的に「生」が語られ、「死」が遠ざけられてきた。死を見つめることによってこそ生の意味を知ることができる、というのであろう。加筆すれば、死のとらえ方には、自分自身の死(「一人称の死」)と、自分自身と関係性をもつ人の死(「二人称の死」)、そして関係性をもたない人の死(「三人称の死」)の3つがあるといわれる。死すなわち生について議論する際には、客観的で冷静な三人称の死だけでなく、むしろ一人称や二人称の視点が必要かつ重要となる。それによって、より確かな死生観や人生観の育成を図ることができるのである。
ところで、学校における福祉教育ではこれまで、高齢の疑似体験や高齢者への思いやり、そして「共に生きる」ということが強調されてきた。その際、老いについての理解を十全に行ってきたか。死そのものに向き合い、また向かい合ってきたかというと、“否”と答えざるを得ないのではないか。場合によっては、意図的に避けてきたといえなくもない。
そこで、例によって唐突の感は免れないが、本稿で筆者がいいたいのは、「デス・エデュケーション」(death education)の一環としての市民福祉教育の推進を図る必要がある、ということである。しかも、それは、子どもに対する教育営為にとどまらず、一般成人を対象にした福祉教育としての展開がより一層求められる。さらに、上述の中島先生の様にとはいわない(いかない)までも、老いと死について自分の思いや考えなどをその人らしく、その人なりに具体的に言語化できる高齢者の主体形成を図ることが肝要となる、ということである。それは、福祉教育の客体としての高齢者を解放し、高齢者をその主体に位置づけることを意味する。そこに、自立性と自律性、そして個性をもつ高齢者の姿を見出すことになる。
市民福祉教育は、デス・エデュケーションと連携していく間口と奥行きをもっている。
注
(1)石丸昌彦編著『死生学入門』放送大学教育振興会、2014年。
(2)一番ヶ瀬康子『社会福祉事業概論』誠信書房、1964年。
(3)「デス・エデュケーションは単なる『死についての教育』にとどまるものではなく、『死の準備教育』あるいは『死を見すえて日常の生を生きるための教育』である」(竹田純郎・森秀樹編『<死生学>入門』ナカニシヤ出版、1997年、197ページ)。
付記
日本の政治はいま、「戦争のできる国」づくりを進め、翼賛体制の構築を促している。戦争は犯罪であり、生きることと老いることを許さない死そのものである。こんなことに思いを致しながら本稿を草したことを、敢えて付記しておきたい。