1954年5月9日に日本社会福祉学会が創立された。翌1955年5月5日、学会から独立分離して、日本社会事業学校連盟が結成された。
日本社会事業学校連盟は、1971年8月23、24日の両日、私立学校教職員組合愛知会館(名古屋市)で、「社会福祉教育の現状と問題点」をテーマに「(第1回)社会福祉教育セミナー」を開催した。会長・仲村優一は、「セミナー報告」(1972年11月1日)の挨拶文のなかで次のように述べている。ちなみに、そのセミナーでは、第1日目の午前、二葉学園・村岡末広が現場の立場、日本福祉大学・高島進が大学の立場からそれぞれ「問題提起」をし、午後は関西学院大学・岡村重夫が「社会福祉教育の現状と問題点」について、主として大学の社会福祉学科のカリキュラムを中心に「基調講演」を行っている。そのあとは、第2日目にかけて分科会と全体会がもたれている。
本連盟としては、以前に一度若林前会長の時にカリキュラム問題をとりあげて2日がかりのセミナーをしたことがあるので、今回のセミナーは第2回ということになると思う。
とにかく、加盟校から自由に参加していただいて、大学問題が厳しく問われている今日の状況下における社会福祉系大学が当面している問題を、ザックバランに出しあって討議してみようというのが、今回のセミナーのねらいであった。(以下、略)
その後、社会福祉教育セミナーは、毎年継続的に開催された。第6回のそれは、1976年11月21、22日の両日、湯河原厚生年金会館(神奈川県湯河原町)で「今日の社会状況に社会福祉教育はいかに応えるか」という主題のもとに開催された。そこでは、1976年11月8日に発表された中央社会福祉審議会の意見具申「社会福祉教育のあり方について」を検討するという課題も含められていたことから、各分科会では個別のテーマを設定せず、主題に基づいて討議された。そういうなかで、第2分科会では、井岡勉(同志社大学)によって、「住民福祉教育の課題」について「問題提起」された。以下に紹介するのは、井岡のそれ(以下、「井岡報告」という。)と、高森敬久(愛知県立大学)による「討議要約」である。なお、会長・松本武子は、「セミナー報告書」(1977年3月31日)の「はしがき」のなかで次のように述べている。
語り明かしたのち、あるいはわれわれは社会福祉教育のあり方に共通なものを見出し得ないかもしれない。それならばわれわれは何故共通であり得ないかを明確化し、互いに彼我の別を理解し協調し合おうではないか。まさに社会福祉教育セミナーの意義はここにあろうと思う。多様化し変動する今日社会にあっては、価値観の多様性への寛容さをもちながら、ゴールをともにすることに努力しようではないか。(以下、略)
第2分科会・問題提起/住民福祉教育の課題/井岡勉(同志社大学)
Ⅰ 今日の社会状況
1973年秋の石油ショックを契機として、日本経済が深刻なスタグフレーション状況に陥って以来、地域住民の労働と生活上には困難の度合いが強まっている。とりわけ貧困・低所得階層を中心とする社会的生活障害の担い手たちは、緊迫した生活危機・破綻の状況に追い込まれている。
こうしたなかで、雇用保障、賃金・労働条件の改善、社会保障、一般公共施策の拡充強化とならんで、社会福祉に対する社会的要求が増大して来ざるをえない。しかしこれに対して、減速経済、財政危機を理由とする「福祉見直し論」、「高福祉高負担論」が政府・財界筋から強く打ち出されている。それは、住民運動、世論、地方自治体によって前進を見せ始めた権利としての社会福祉を後退させ、実際には低福祉高負担をはかりながら、自助と相互扶助の社会福祉に転嫁しようとするものである。
最近とくに目立つ動きは、異常なまでの地域福祉ブームである。この地域福祉は、70年前後から官製コミュニティづくりが活発化するとともに、その枠組のなかに社会福祉が位置づけられ、両者の結合領域としてにわかに強調され始めた。地域福祉のなかでも、施設処遇否定のトーンにおいて在宅者福祉ないしコミュニティ・ケアが提唱され、地域組織化の目標とされるに至った。このことは、客観的には官製コミュニティづくりにみられる住民運動対策と地域再編成への政策的要請に地域福祉もまた一定の役割を担い、モダンな装いで安上がりの福祉を方向づけるものといわねばならない。かくて加えて昨今は、減速経済、財政危機下の「福祉見直し論」、「高福祉高負担論」の強調、自助と相互扶助の精神に依拠した「日本型福祉社会」を志向する「生涯設計計画」の提起という状況にあって、地域福祉が異常な期待のされ方をしている。
すなわち、福祉施策拡充の意義を事実上軽視する方向での精神主義の強調、「福祉のこころ論」の喧伝、相互扶助の助長、官製ボランティアの組織化等の傾向がそれである。
こうした上からの地域福祉を貫く支配と効率の論理を明らかにし、これに対応して生活と連帯の論理に立つ住民の側からの地域福祉を構築していくことが課題となっている。
Ⅱ 住民福祉教育の現状
地域福祉の強調とともに、近年地域住民に対する社会福祉教育、略して住民福祉教育が重視され、取組まれてきている。住民福祉教育の意義については後述するので、まず社協などの住民福祉教育の現状について、断片的であるが、みうけられる傾向、問題点を指摘しておきたい。
社協などの住民福祉教育は、一応社会福祉に対する住民の関心、理解を深めさせ、住民参加をよびおこす意図で試みられているようであるが、問題はそれが何を対象として、いかなる視点、方向づけと内容・方法でもって行なわれているのか、ということであろう。
社協の展開する住民福祉教育の状況に関して詳しいデータはないが、全社協の「昭和50年度市区町村社協基本調査」によれば、これに類する項目として「研修会・講座・大会等」があり、それらをともかく開催した社協は平均63.0%という状況である。それも法人化の有無や市・区・町・村各レベル別では大きな格差があり、最高は法人村社協で平均96.2%、最低は未法人村社協で平均42.9%に過ぎない。
住民福祉教育プログラムの対象、種類についても審かではないが、一般にみうけられるものを例示すれば、福祉教育普及校の指定、一般住民むけの社会福祉講座、ボランティア・スクール、民生委員研修、老人大学などが試みられているようである。
住民福祉教育の基調としてみうけられる特徴的な傾向は、精神主義(善意、福祉のこころ、たすけあい、物質より精神が大切などを強調)、あるいは機能・技術主義(ハウ・トウもの)、両者の結合が支配的であって、科学的社会認識と民主主義重視の方向づけ(社会問題対策としての社会福祉、権利保障、運動視点など)が欠落しがちなことである。こうした傾向は、狭義の住民福祉教育プラグラムにかぎらず、調査・広報活動、諸会合・行事その他社協活動の全過程を通じた教育的機能として現象している。
この傾向の反映でもあろうか、社協の住民福祉教育において従来から主要な対象となってきた民生委員の社会福祉意識は、一般住民と比べても落差があり、精神主義的傾斜から脱けきれていない(別表1参照)。
この傾向は、民生委員の生活保護観として、権利としてのとらえ方についての拒絶反応がおおむね過半数をこえていることと対応しているといえよう(別表2参照)。
日常的に社会福祉活動にかかわっている民生委員にしてこの程度であって(民生委員ゆえにというべきかもしれないが)、いかに近代的・民主的な住民福祉教育が徹底していないかを物語っているといえよう。一般住民に至ってはなおさら、昨今の「福祉」というコトバの氾濫にもかかわらず、社会福祉について正しい情報が知らされていないし、その学習権が十分保障されているとはいい難い。とりわけ、貧困・低所得者をはじめ社会福祉対象者への住民福祉教育の機会がほとんど欠落していることは大きな問題点である。
Ⅲ 今後の課題
住民福祉教育をめぐる今後の課題としては、まず第一にその近代的・民主的あり方としての基本的視点を確立することである。その内容としては、つぎの5点の確認が必要であろう。
①住民福祉教育の意義は、住民相互の自己教育活動として展開されるところにある。
②住民福祉教育の目的は、住民が地域・自治体の主権者として社会福祉施策を自らの意思と要求にもとづいてコントロールし、これを権利として享受することにより、人間としての最低限の生活を維持し、自己実現をはかっていくためのものであること。
③住民福祉教育の主体は住民自身であり、その対象もまた彼ら自身であること。
④行政は住民の福祉教育権を保障し、その条件整備を行なう責任を負っていること。
⑤社協など民間団体が住民福祉教育を行なう場合、とくに住民相互の自己教育活動としての性格を厳守すること。
第二には、戦後わが国社会福祉の歴史的課題であった筈の社会福祉の民主化を地域レベルから実現していくために、住民福祉教育における精神主義的傾斜や機能・技術主義を克服して遅れている社会福祉問題・政策についての科学的認識、権利保障の視点に立つ民主主義的社会福祉観に高めていくこと、そのための系統的な住民福祉教育プログラムを展開することが望まれる。
第三には、住民相互の自己教育といっても、そこに運動がなければ結局与える住民福祉教育に終ることから、域福祉要求の組織化・運動化の全過程と有機的に結びついた住民福祉教育の展開が重要である。そのなかには、①住民による調査活動(地域福祉課題の顕在化・明確化と相互確認)、②広報による問題提起、世論喚起(社会福祉問題・政策動向についての常時的情報提供を含む)、③社会福祉についての学習活動の組織化、④対策行動計画、行動の組織化、評価における実践的教育機能の導入・結合、などが含まれよう。
第四には、これまで欠落しがちであった対象者集団の住民福祉教育に力を入れることである。それは、従来の与えられた社会福祉から、対象者集団自らが相互自己教育を通じて、権利としての社会福祉を掌握し、その活用により自己実現を促進する運動過程と結びつけて展開される必要がある。そのためには、①社会福祉施設・サービスの周知徹底、②権利としての活用働きかけ、③活用しやすい条件づくり(活用の拒絶反応や地域の偏見除去)、④対象者集団の仲間づくりと結びついた権利行使、学習活動の場づくり、⑤対象者集団自らの問題対策行動の展開・対象者集団とボランティア・一般住民との相互連帯支援(障害者の住みよい街づくりなど)、等々の推進を要しよう。
第五には、社会教育との連携を強め、社会教育としての住民福祉教育を推進していくことである。
さいごに、住民福祉教育に対する(福祉系)大学の役割にふれておこう。大学においては、自由でアカデミックな研究教育を通じて、広い科学的視野と民主的センスを身につけた良識ある住民・専門家として、学生が自己実現していくための社会福祉教育が準備され、展開される必要がある。また国民に聞かれた(開かれた:阪野)大学として、住民福祉教育の基地的な役割を果たさねばならない。こうして今日、大学における社会福祉教育をめぐって、住民福祉教育の視点からあらためて問い直してみる必要があるのではないかと考えられる。
第2分科会・討議要約/住民福祉教育は如何にあるべきか/高森敬久(愛知県立大学)
本分科会では社会福祉教育をめぐる諸問題の内で、とくに大学外における教育、すなわち住民を対象とした社会福祉教育をとりあげその内容や今後の在り方について検討した。
先づ(先ず:阪野)、現在各地で実施されている各種住民福祉教育の内容や方法からそれらの問題点が指摘された。ここでは地域的相互扶助主義、精神主義的福祉論の展開、即戦力的安直な技術主義、人間関係や家族関係の調整といった対症療法的な視点が強調され、社会問題に起因する諸問題の因果関係的把握が欠落していること。
さらにその結果として、権利保障運動意識の発展していこうとする住民の側の自主的な活動の芽をつみとってしまうおそれのあること、精神主義や技術主義は自己利益への関心をたかめることにはなっても、地域における施設受容に否定的に機能せざるを得ないこと、またこうした中での住民福祉教育では公的な責任を問うという問題意識は生まれないこと、住民の学習権を保障しようとする姿勢が一部の行政を除き、各自治体行政には殆んどみられないこと等の問題が指摘された。
こうした現状における住民福祉教育の新しい視点は、住民相互の自己教育としての福祉教育的運動の展開の必要性をふまえた学習と運動の結合による自主的福祉教育の展開をめざすべきこと、権利としての社会福祉を明確にするために社会科学的視点を住民福祉教育にとり入れること、与える福祉から権利として獲得する福祉の確立のために住民福祉教育は系統的な学習プログラムをもたなければならないこと、またこうした学習権の保障のために、制度、組織、資源などの条件整備、情報の提供、学習集団の組織化等の整備が求められていることである。
次に住民福祉教育の担い手の問題であるが、社協はその担い手の一つとして重要な部分を占めるものと考えられる。しかし現状の社協の場では権利としての社会福祉の確立は困難である。むしろ住民福祉教育にも公教育的視点が確立されなければならないとすれば、社会教育が住民福祉教育の担い手とならなければならないであろう。
以上の問題提起をうけて本部会での討論は先づ(先ず:阪野)社協の把握する市民層と社教の把握する市民層には大きなgapeがあるのではないか、したがってそのgapeを埋める方向を持たなければならない。即ちその具体的な方法として、一定所得以下のニードへの対応と、一定所得以上のニードへの対応を福祉教育の展開過程においても考慮する必要があることである。
次に住民福祉教育の担い手が学習者自身であるということは極めて妥当な方向性を持つものと思われるが、しかしたとえその教育主体、学習主体が住民であるとしても、学習の場をどのように確立するのかという論点が不明確ではなかろうか。とくに住民福祉教育においては「心の福祉論」や技術論的福祉教育には熱心であるだけに社会福祉行政に権利視点を明確にした教育を期待することは確かに困難である。さらにこうした限界は社会教育行政の側面にもみられるのである。また住民サイドにおいても住民自身の自己教育のための方法や資源をもち得ない状況があり、こうした中での住民の自己学習的住民福祉教育の確立はきわめてむつかしいのではないか。
さらに住民の自己教育論におけるこのような限界については、たとえば住民運動のどのような点が住民自身の社会認識の発展を促したかといった問題にもみられるように、一般に日本人には社会的認識の概念や意識が欠落しているので、我々はこれらを住民福祉教育の中でどう乗り越えてゆくかという問題もあろう。
また、この事と関連して“福祉の権利”という概念は日本人に非常になじみにくい。周知のように我国では西欧的な市民社会の経験は経ていないので“権利”ということばを正しく理解することが出来ない。権利という言葉をとくに使わなくても我国には昔から人間を大切にするという伝統はあったと思われる。社会福祉の教育では理解ではなく納得であり、得心させることが目標である。
この他、井岡報告においては必ずしも地域福祉の内容が具体的に示されなかったが厚生省的認識における地域福祉―在宅者の福祉対策を中心とした安上り福祉に対してはより明確な批判視点をもつべきであるといったことも強調された。
<出席者>(アイウエオ順)
井岡勉(同志社大学)、一柳豊勝(同朋大学)、上田千秋(仏教大学)、越智猛大(東北福祉大学)、菊地正治(西九州大学)、高森敬久(愛知県立大学)、土井洋一(大正大学)、原田克己(淑徳大学)、船曳宏保(福岡県社会保育短期大学)、本出祐之(関西学院大学)、待井和江(大阪社会事業短期大学)、松本武子(日本女子大学)、吉田卓司(四国学院大学)
(『昭和51年度・第6回社会福祉教育セミナー報告書―今日の社会状況に社会福祉教育はいかに応えるか―』日本社会事業学校連盟、1977年3月、53~58ページ)
周知の通り、2000年4月から施行された「地方分権一括法」等により、地方分権改革の推進が図られている。そこでは、中央と地方の関係が「上下・主従」の関係から「対等・協力」の関係へと改められ、市民主権・市民自治の実現に向けた行政運営や公私協働(「共働」)の取り組みが求められている。しかし、最近では、「地方創生」を掲げる国によって、地方の民意を無視して“上から目線”で、“粛々”とコトが進められ、地方自治を侵害しかねない政治状況が展開されている。それは、住民相互、住民と行政、地方と国などによる熟慮と討議の民主主義のあり方が厳しく問われていることを意味する。地方創生は、地元住民や地方自治体が自ら主導する“地域づくり”とその担い手を育成する“教育づくり”を進め、それを国が支えることから始まる。
そう考えるとき、本稿で紹介した40年近く前の「井岡報告」は、いま一度深く読み込む必要がある。また、井岡がいう住民福祉教育の視点や論点は、こんにちの「地方消滅の罠」(山下祐介)についての議論や平和・環境・福祉・教育などをめぐる危機的状況においてこそ、必要かつ重要なものである。さらに、井岡が指摘した住民福祉教育の「今後の課題」は、その多くが未だに「今後の課題」として残されている、といえよう。
こんにち、「国民の命と暮らしを守るため」という名目のもとに、「飽くなき市場原理主義の追求」とそれに基づく「地方の切り捨て」や「戦争のできる国づくり」が進んでいる。ここで、あえて“平和”について付言すれば、最近多用される「積極的平和主義」とは、本来は、軍事力を背景にした平和ではなく、人権や福祉が保障された状態を志向する立場をいう(「消極的平和」とは戦争や紛争のない状態をいう)。住民福祉教育は、そうした本来の意味での積極的平和主義に依拠した、住民による主体的・自律的な地域・社会づくりをめざすものである。それが真に豊かな国づくりにつながる。住民福祉教育(「市民福祉教育」)の探究を図るに際して常に、強く留意すべき点である。重ねて強調しておきたい。
注
(1) 日本社会福祉学会と日本社会事業学校連盟のあゆみについては、次の文献を参照されたい。
日本社会福祉学会編『社会福祉学研究の50年―日本社会福祉学会のあゆみ―』ミネルヴァ書房、2004年10月。
一番ヶ瀬康子/大友信勝 日本社会事業学校連盟編『戦後社会福祉教育の五十年』ミネルヴァ書房、1998年11月。
(2) 日本社会事業学校連盟は、2003年12月3日付けで、文部科学大臣より「社団法人日本社会福祉教育学校連盟」として設置認可された。それに先立つ同年9月21日に、新潟コンベンションセンター:朱鷺メッセ(新潟市)で「社団法人日本社会福祉教育学校連盟設立総会」が開催され、「設立趣意書」のなかで次のように述べられた。「任意団体日本社会事業学校連盟を発展解消し、新たな加盟校の責務と自律と自助努力をもって、まず小・中・高等学校における福祉教育や一般市民を対象とする生涯教育における社会福祉教育の啓蒙・普及への貢献が必要とされる」。それを受けて、2004年度以降、「社会福祉専門教育委員会」(委員長・米本秀仁)の「小委員会」として新たに設置された「小中高教育部会」(部会長・田村真広)を中心に、「学校教育・生涯教育等における社会福祉教育の啓発・普及活動」(「定款」第4条第1項第1号)が展開されることになる。