「現実」と「生活綴方教育」の “いま” を問う―ある若い知人へのメモランダム―

第一次世界大戦後、社会的・経済的混乱や国民生活の疲弊が深刻化するなかで、1930年代に生活綴方教育実践や教育運動が興隆しました。その実践や運動のなかに、福祉教育実践のひとつの側面や要素を見出すことができるのではないか。そんな考え(仮説の設定)のもとに、「生活綴方教育」に少なからぬ関心をもっています。
先日、佐竹直子さんの『獄中メモは問う―作文教育が罪にされた時代―』を読み、北海道綴方教育連盟事件や「治安維持法と綴方教育」への関心を高め、理解を深めることの重大さを再認識しました。
特定秘密保護法の施行をはじめ集団的自衛権の拡大解釈と行使容認、地方自治の精神や原則を無視した国政の専断、そしてメディアへの強圧的な対応や報道への介入等々が進められるなかで、佐竹さんは、「国を挙げて戦争へと突き進み治安維持法に国民が弾圧された時代を、まるで現代が追いかけて再現しているように思えてならない」と述べています。強く同感するところです。北海道綴方教育連盟事件は、「遠い過去の出来事」といい切れず、「歴史は繰り返される」ようです。“不安”を超えて“恐怖”すら覚えます。
生活綴方は、子どもが「現実」の生活と向き合い、その生活について、またその生活を通して感じたり、思ったり、考えたりしたことをありのままに書くことから始まります。それは、子どもを概念的な見方や考え方から解放し、子どもが自分自身と自分を取り巻く地域・社会を見つめ、子どもの豊かな人間性や社会性を育むための教育営為です。そこでは、教師の専門性とそれを裏付ける人間性や価値観が厳しく問われることになります。
そう考えたとき、子どもが向き合う“ナマ”の生活の「現実」をどのように捉えるかが重要な問題として浮上します。
「現実」は、形成され与えられたものであると同時に、常に新しく作り出されていくものです。既成事実として認識されているからといって、その現実を無批判的・盲目的(盲従的)に是認し、受け入れることは避けるべきです。
「現実」は、多様な要因によって構成されており、その要因は複雑に絡み合っています。現実は多様性と多次元性(多層性)を有しており、現実のひとつの側面だけが強調されることがあってはなりません。
「現実」は、その時々の支配権力が選択する方向に沿って形成されます。それに対して、反対派が選択する方向は「観念的」「非現実的」と考えられがちですが、現実を変えるためには、科学的で批判的、自由で民主的な思考や態度・行動が不可欠です。
「現実」についてのこうした考えは、60年以上も前に政治学者の丸山眞男が説いたところによるものです(引用と援用)。詳細は原典に譲ります。いずれにしろ、こんにちの政治的・社会的状況は、極めて憂慮すべき“危機”事態にあるといわざるを得ません。そういうなかで生活綴方教育(作文教育)のあり方を問うとき、「現実」の概念やその特徴について十分に留意したいものです。それはまた、日常的で具体的な地域・社会生活の「現実」と“向かい合い”、地域づくりのための主体形成(成熟した市民の育成)を図る福祉教育(市民福祉教育)にも通じることです。
今回、書きとめたいことは、いま、地域・社会生活の「現実」と向かい合う生活綴方教育(すなわち市民福祉教育)のあり方を厳しく問い、「作文教育が罪にされた時代」を二度とつくらない決意をする必要がある、ということです。


(1) 「叩く。ける。座らせる。おどかす。そのうちに自分も妙な気持になり、『赤く』なっていた」/戦時下に、作文指導に励んだ北海道の教員が次々と治安維持法違反容疑で逮捕された「北海道綴方教育連盟事件」。2013年に見つかった元教員の「獄中メモ」を手がかりに、事件の実像に迫ったルポ。70年余りの時を経て現代に問いかけるものとは―。(佐竹直子『獄中メモは問う―作文教育が罪にされた時代―』北海道新聞社(道新選書47)、2014年12月、帯より)
(2) 北海道綴方教育連盟事件:1940年(昭和15年)11月~翌年4月に、日常生活をありのまま書く綴方教育に取り組んでいた道内の教員らが、「貧困などの課題を与えて児童に資本主義社会の矛盾を自覚させ、階級意識を醸成した」などとして逮捕された弾圧事件。逮捕者は旧内務省「特高月報」によると56人、旧文部省「思想情報」では75人。12人が起訴され、11人が起訴猶予付き懲役刑が確定(1人は公判前に死亡)。後に初代の民選札幌市長となる故高田冨与弁護士が弁護人を務めた。旭川市出身の作家、故三浦綾子さんの長編小説「銃口」の題材になった。/治安維持法:「国体」の変革、私有財産制度の否認を目的とする結社や行動を処罰するため1925年(大正14年)に制定。当初は共産党や革命的労働・農民運動の取り締まりを目的としたが、適用範囲は拡大され、思想・信条や言論の自由を弾圧し、国民生活の監視に猛威を振るった。45年10月に廃止。旧司法省のまとめでは逮捕者は計約7万5千人だが、実際にはこの数倍から数十倍に上ると指摘されている。(「北海道新聞」2013年11月17日朝刊)
(3) 丸山眞男「『現実』主義の陥穽―或る編輯者への手紙―」『世界』第77号、岩波書店、1952年5月、122~130ページ。(陥穽<かんせい>⇒落とし穴、策略。)