母が白寿の祝いを前に逝きました。父は国によって殺されました。
父は、3度目の出征を控えて、手足の爪を切って残すことにしました。幼い私には、その意味を理解することはできなかったはずです。
でも、いよいよ父が家を後にするとき、私は、“わら縄“ を張って庭先の門をとざし、「父ちゃん、行かないで!」と泣き叫んだそうです。
戦争に負ける前の冬、軍の司令部に出かけた母が、白い布に包まれた小さな木箱を首から下げて帰ってきました。その木箱にはほんのわずかな爪が入っていました。
母は、がむしゃらに働きました。私も、学校を卒業する前から、母と一緒に泥田に入りました。父が残していった田んぼを守るためにです。
母は、私たちを厳しく育てました。世間の偏見に堪えました。あんなにも強く生きる母の姿をみることは、息子として悲しく、辛いことでした。
母の最期のことばは、「ありがとう。ありがとう。やっとお父さんに会える!」でした。死の間際、頬に一筋の涙が伝わりました。母の顔は穏やかで、嬉しそうでした。
父と母の結婚生活はわずかな年月でしたが、そこには確かな「絆」と深い「愛」がありました。
戦争はむごいものです。
※これは、筆者(阪野)の従兄の話です。安全保障関連法案が衆議院本会議で可決された2015年7月16日の今日、訥々(とつとつ)と語ったあの時の従兄の一言(ひとこと)が思い出され、またも胸に突き刺さります。「戦争はむごいものです」。
※2016年5月2日の今日、久しぶりに従兄と電話で話すことができました。80歳を超えた従兄の話に、以前と変わらない穏やかで強い心を感じることができました。記憶と記録の不確かさや、真に伝えたいことを述べる難しさなどを改めて痛感しながら、「わら縄」の拙文を若干、加筆訂正させていただきました。伝えたいことは変わりません。「戦争はむごいものです」。そして、「愛はつよいものです」。