1%から始まる住民主導の内発的まちづくり―主体者意識に基づく「話し合い」と「学び合い」、そして「地域経営」―

4月下旬、群馬県の伊香保温泉と竹久夢二の記念館、そして栃木県足利市のフラワーパークへの一泊旅行を楽しんだ。/記念館では、夢二の多彩な作品に流れる静寂な空気、100年以上も前のオルゴールが奏でる繊細な音、その世界に没入した。窓の向こうでは、小雨が降る木々のなかで、姿をみせないウグイスが美しくさえずっていた。気がつけば、私は一幅の絵のなかにいた。記念館は、まさに美と癒し、大正ロマンの森であった。/翌日訪れたフラワーパークの藤の花は、ただ一言、圧巻であった。しばらく私は、花と香りの世界を飛翔した。/帰宅すると、注文していた本が届いていた。3年ほど前からの日常の一コマがまた、ぎこちなく回り始めた。

〇「みんなが1%、生き方を変えれば、僕たちの社会も変わっていく。」「100%と比べればほんのわずかな1%が、実は無限大の力を持っている可能性がある。」(鎌田實『1%の力』河出書房新社、2014年9月、9ページ)
▽地域で「事を起こす」にはまず、一人の「1%」が必要である。その一人の「もう1%」、そして「みんなの1%」が積み重ねられることによって、「100%」になる。ときには「100%」を超える。そこに「事が成る」。

〇「住民はまちの主役であっても、まちづくりに関しては素人なのです。」「地域の人たちから必要とされなくなること―それが最終目標なのです。」(山崎亮『ふるさとを元気にする仕事』筑摩書房、2015年11月、171、193ページ)
▽まちづくりはその素人が、いかにしてまちづくりの主体者意識を持ち、知識や技術を習得し活用するかにかかっている。そこに、「コミュニティデザイン」(まちづくりのための手法)のあり方や「コミュニティデザイナー」(専門家)の役割が問われる(注①)。

〇「地域の自立的な総合的発展を目指すためには、各地域が、ビジョンや地域の経営戦略を持って、地域の経営に取り組んでいくことが必要である。」「地域の経営は、地域の発展のために行われる運動であり、協働、連携、マネジメントがキーワードとなる。」(海野進『地域を経営する―ガバメント、ガバナンスからマネジメントへ―』同友館、2009年4月、7、10ページ)
▽地域経営主体(市民、企業、地方自治体など)が連携・協働して「地域の経営」の活動や運動を展開することによって、地域にイノベーション(革新)を起こし、地域の持続可能な発展を促すことができる。

住民主体のまちづくりの実践例のひとつに、鳥取県智頭町と長野県飯田市の取り組みがある。智頭町は、面積の90%以上を山林が占めるという典型的な中山間過疎地域であり、キャッチフレーズは「みどりの風が吹く“疎開”のまち」である。2016年2月1日現在の人口は7,498人、世帯数は2,736世帯、高齢化率は37.6%を数える。飯田市は、人口10万人規模の典型的な地方都市であり、「りんご並木と人形劇のまち」としても知られる。2016年4月末現在の人口は103,762人、世帯数は39,740世帯、高齢化率は30.7%を数える。
智頭町の取り組みは、稀有(けう)な挑戦的実践者と評しうる寺谷篤志(元郵便局長)の「1%」から始まる。そこでは、まちづくり実践の理論化(「思考のデザイン」)の視点である「地域経営」と、地域課題を解決するための実践的な手法である「四面会議システム」(合意形成システム)が注目される。また、「自分をつくる」「まちをつくる」ための学習の場である「杉下村(さんかそん)塾」(1年一回2泊3日×10年)や「耕読(こうどく)会」(40回×10年)の開講、無から有を生み出す、住民主導による地域活性化運動としての「日本・ゼロ分のイチ村おこし運動」(注②)の展開などが特筆される。それらの概要は、寺谷篤志・平塚伸治著/鹿野和彦編著『「地方創生」から「地域経営」へ―まちづくりに求められる思考のデザイン―』(仕事と暮らしの研究所、2015年3月)に纏められている。
飯田市の取り組みは、飯田という10万人規模の地方都市の住民と行政、そして地元企業などのそれぞれの「1%」が織りなす、多様で重層的なネットワークのもとに展開されている。そこでは、まちづくりを担う地域住民や行政職員、地域組織・団体などが「当事者意識」(「主体者意識」)を持ち、対等な立場で「円卓」を囲み、地域のことを語り合い、学び合いながら一緒に「事を進める」という「円卓の地域主義」(roundtable regionalism)が注目される。それは、人口減少・少子化・高齢化・地方消滅などの右肩下がりの時代であっても持続可能な地域は実現できるという、現市長・牧野光朗の信念や市政経営の考え方である。また、牧野は、21世紀の地域づくりは想像力と創造性を巡らせて人の感性に訴えるものであるべきである、という(「デザイン思考的アプローチによる地域づくり」)。それらの理念と具体的な取り組みについては、牧野光朗編著『円卓の地域主義―共創の場づくりから生まれる善い地域とは―』(事業構想大学院大学出版部、2016年2月)に纏められている。
以下に、二冊の本のなかから、注目したい(される)論点や言説のいくつかを紹介することにする。

(1) 寺谷篤志・平塚伸治著/鹿野和彦編著『「地方創生」から「地域経営」へ―まちづくりに求められる思考のデザイン―』仕事と暮らしの研究所、2015年3月
▼地域づくりに求められる「マネジメント」「地域経営」の視点
〇地域社会の「真ん中」に立ち、主体的に地域づくりに参画していく(ためには、中略)自分の中に「よりよく生きたい」というエネルギー、あるいは「このままではだめだ」という危機感が必要になる。そして、そうしたエネルギーや危機意識を引き出すために必要な作業が「学び」であり、「考える」という行為である。それも、どのような視点で物事を見るべきなのか、鳥の眼(全体を俯瞰する)、虫の眼(現場目線)、魚の眼(過去・現在・未来を考える)を駆使して物事の本質を見る眼を養う必要があるだろう。(鹿野、22~24ページ)

〇地域は一人で成り立っているものではない。地域社会を変えるためには、他者から共感を持ってもらい、共に実践してもらうための仕掛けが必要になる。具体的には、他者と共通認識を持つためにコミュニケーション能力や、他者の意欲を喚起するためのプレゼンテーション能力が必要であり、他者と共通の場を作るための仕組みを構築する必要がある。(鹿野、24ページ)

〇地域づくりにおいても、企業が事業を推進するときと同様のマネジメント手法が必要である。(中略)企業マネジメントの基本に目標管理の手法があるが、地域づくりにおいても、目標(地域の課題)を設定(発見)し、それを達成するための計画立案(Plan)―実行(Do)―検証(Check)―改善(Action)を繰り返す仕組みを導入する必要がある。(中略)地域づくりを推進するためには(中略)、「地域マネジメント」「地域経営」の思想とシステムが必要である。(鹿野、24~25ページ)

▼地域経営=地域+ヒト+資源+新視点+技術力+起業家精神+イノベーション力
〇地域経営はヒト、文化、産業、素材、その他、地域に賦存(ふそん)するあらゆる資源の価値を発掘し、総付加価値を引き出す社会的イノベーションと捉えるべきであろう。特にヒトはイノベーションを起こす当事者にもなりえる知識・アイデアとチャレンジ精神を持った人材(財)になりえる一番大切な地域資源である。そのような人材(財)を発見し、育てる息の長い地域共育がその鍵を握っているはずだ。(寺谷、40ページ)

〇地域社会の経営の主宰者は、当然ながらその地に住む住民である。はたして地域の経営者となるべき市民(住民)は、地域の姿を決める重大な問題である地域経営をいつまでも他人事にしておくのか。詰まる所、地域経営の当事者として、お互いが相互にそこに存在する意義が問われなければならない。(中略)
地域経営を身近に引き寄せて言えば、地域における企業経営であり、組織経営であり、集落経営であり、自己経営である。それを我が事として捉え関わる当事者意識が問題となる。具体的に平たい言葉でいえば、地域経営は、その地域、ヒト、資源、新しい視点、技術力、起業家精神、それによるイノベーション力となろう。(寺谷、41ページ)

(2) 牧野光朗著『円卓の地域主義―共創の場づくりから生まれる善い地域とは―』事業構想大学院大学出版部、2016年2月
▼飯田型まちづくりのルール
〇飯田型まちづくりはシンプルなあるルールによって成り立っている(中略)。それは、円卓から始まる共創の場づくりである。(稲葉、82ページ)

▼住民の「当事者意識」と「円卓」
〇ラウンドテーブル(円卓)には意味がある。ここが上座という意識はなく、誰が偉いということでもない。貴賤の差別なくみんなが対等に話し合いをするということだ。ときには専門家にアドバイスを求め、みんなで智恵を出し合い、折り合いをつけながらまちの価値を高めていく。このような行為を私は共創と呼んでいる。共創の場、共創の時間は、共創の志から生じるものであり、その志の源泉は自分たちのことは自分たちでという当事者意識にある。(牧野、159ページ)

〇これまで、職員を含む地域の人々に当事者意識を持って事に取り組んでもらおうと円卓の整備を進めてきた。数々の深化と実践を経て、やっとのことで円卓が自生するようになってきた。議論の場をつくり、当事者意識をもった人々が円卓を囲む。まずは何をするにも円卓の整備を第一に意識してやってきた。そうしたスタイルを人々が知らぬ間に体得し実践をするようになったのだ。
それだけではない。規範や体裁に囚われず、自らの頭で考え行動に移す人が増えてきた。円卓が深化をしてそれぞれの価値を創造するようになった。共創の場が実現したのである。周囲の変化の中でも、とりわけ職員の成長は目を見張るものがあった。(稲葉、137ページ)

〇「円卓の地域主義」は、地域が当事者意識を強く持ってボトムアップで右肩下がりの時代に対応しようとする考え方であり、(中略)自分たちの地域の将来に希望を見出し、自主自発の取り組みを行うための触媒としての機能を発揮するものである。(中略)ボトムアップの社会の構築には、相当の期間が必要である。「円卓の地域主義」とは、国からのトップダウンのやり方や指令で行われるものではない。各地域それぞれが、それぞれの方法で自ら時間をかけて獲得していくものと考えている。(牧野、163ページ)

▼「地育力」による人づくり
〇こうした市民の変化は、丁寧に円卓を整備し深化させていった結果とも言えるが、これまで飯田が行ってきた人材育成の大きな成果とも言える。(中略)飯田では、進学・就職等で一度地域を離れても、将来的に飯田に帰ってきて地域を担う人材として活躍してもらう「人材サイクル」を構築しようとしている。①帰ってきて働くことのできる「産業」をつくり、②帰ってきたいと考えるような「人」を育み、③帰ってくることのできる環境・「まち」をつくる、この3つくりが「人材サイクル」構築の大きな柱である。(稲葉、140ページ)

〇地育力とは、自然や文化、歴史や産業など豊かな飯田の資源を活かして、飯田の価値と独自性に自信と誇りを持つ人を育む力である。こうした力を、行政や教育従事者だけでなく地域一丸となって育んでいこうとしている。地育力による人づくりの実践は多岐にわたる。(中略)公民館活動もその典型であるし、(中略)飯田の市民が小学生から大学生に至るまで、場合によっては大人になっても、地育力による教育を受けることができるようになっている。それらは地域の外側にも開かれている。(中略)外からやってきた人に飯田に触れてもらい、知ってもらう。地域のブランディング(ブランド化:阪野)につながる。市民は来訪者を通して外から見た飯田に向き合い、誇りと自信を獲得していく。(稲葉、140~143ページ)

「超少子高齢・人口減少・多死社会」や「地方消滅」「地方創生」などが叫ばれ、政治の右傾化と経済・社会的課題の深刻化が続いている。そういうなかで、地域の持続可能な発展を実現するために、地域住民や地元企業、行政などの多様な地域経営主体がいかにして主体者意識(当事者意識)と主体者能力(当事者能力)を持ち、連携・協働(共働)するか。そして、自立的かつ自律的な「地域経営」(regional management)の進展を図るか、が厳しく問われている。その際の地域経営の主体化(意識と態度・行動の育成と変革)の取り組みは、地域住民の個人的レベルにとどまらず、組織・団体や地域全体のレベルでのそれが必要かつ重要となる。すなわち、単に地域経営の意識や能力を持った人材を育成・確保し、地域に配置するだけでなく、地域全体としての地域経営の仕組みを構築し、その仕組みによる地域・住民の運動を戦略的・計画的に展開することが肝要となる。そのために必要不可欠なのは、多様で多層な地域経営主体の地域内外にわたる相互交流と情報共有、「話し合い」と「学び合い」であり、それに基づく豊かな知識と確かな技術、地域に対する熱い思いである。そして、それらの根底をなす理念は、「1%」から始まる一人ひとりの住民の「満足」と「楽しさ」、すなわち「しあわせ」である。本稿で言いたいのは以上の点である。


① コミュニティデザインの活動のノウハウを仕事術というかたちで纏めたものに、山崎亮+studio-L『山崎亮とstudio-Lが作った問題解決ノート』(アスコム、2015年12月)がある。
②「日本ゼロ分のイチ村おこし運動」は、日本の典型的な中山間過疎地域である鳥取県智頭町で、1997年度から行われている住民運動である。これは、最小コミュニティ単位である「集落」ごとに、(10年後の:阪野)集落ビジョンを描きそれを実現しようとするものである。ビジョンを描き、智恵やお金を出すのは住民であり、行政は脇役としてサポートするにとどまっている。すなわち、住民主導による徹底したボトムアップの運動である。
ゼロイチ運動は、「0から1、つまり、無から有への第一歩こそ村おこしの精神」との理念から名付けられた。この運動は、「村の誇り(宝)の創造」を目的としており、地域経営(生活や地域文化の再評価を行い、村の付加価値をつける)、交流(村の誇りをつくるために、意図的に外の社会と交流を行う)、住民自治(自分たちが主役になって、自らの第一歩によって村を起こす)という3本の柱がある。(中略)そこには、保守性・閉鎖性・有力者支配という旧来からの地域体質を打破しようという意図が込められている。(杉万俊夫『鳥取県智頭町「日本ゼロ分のイチ村おこし運動」―住民自治システムの内発的創造―』総合研究開発機構、2007年6月、要約、1ページ)
「ゼロ分のイチ」とは、(中略)岡田憲夫(京都大学名誉教授)が考案した標語であり、無から最初のイチを創出すること、すなわち、無限の跳躍を意味している。(高尾知憲・杉万俊夫「住民自治を育む過疎地域活性化運動の10 年―鳥取県智頭町「日本・ゼロ分のイチ村おこし運動」―」『集団力学』第27巻、集団力学研究所、2010年7月、79ページ)
「物言わぬ住民」を好む行政も、「物言わぬ住民と行政の間で利害をとりもつ」ことを存在価値とする町会議員も、ゼロイチ運動の企画を何とか握りつぶそうと最後まで抵抗した。ゼロイチ運動は、「物言わぬ住民」を「物言う住民」に転換する運動だからだ。(高尾知憲・杉万俊夫「同上論文」80ページ)