「パーソナル・キャピタル」と「つながりのコミュニティ」、「まち会社」と「事業としてのまちづくり」

▼学校福祉教育と「福祉のまちづくり」
〇先日、久しぶりにS市社協主催の「福祉教育担当教諭連絡会」に参加し、学校や社協の現場実践者とともに、「地域に根ざした福祉教育のねらいと実践」について“学び合う”機会に恵まれた。その連絡会の開催目的の一節は、「誰もが住みよいまちを目指すためには、福祉への理解・関心は必要不可欠なものです。とくに学校と地域が連携した取り組みは、児童生徒が福祉を学び、福祉のまちづくりを担う人づくりにつながる活動です」というものであった。そこから、福祉のまちづくりに向けた「地域福祉教育」の視点や方向性を読み取ることができる。首肯するところである。
〇筆者(阪野)が主催者から依頼されたのは、福祉教育の歴史と理論と実践、そして最近の動向などに関する基礎的・基本的事項についてのレクチャーであった。加えて、具体的な実践事例を紹介することも求められた。その際、宮沢賢治の童話のタイトル(中身ではない)『注文の多い料理店』を思い出した。「注文の多い連絡会」である。その連絡会は、危惧した通り、“一方通行”の、総花的なもので終わった感がある。それはひとえに、筆者の力量不足によるものである。
〇当日のアンケートの回答によると、学校現場の多くの先生方は、具体的な、“生(なま)”の、しかもすぐ“使える”福祉教育プログラム(実践事例)の紹介と説明を求めていた。それは、学校教育における福祉教育の意義や位置づけ、内容や方法などの本質的な問題について、未だに共通認識や定見を持つに至っていないことによる。併せて、学校福祉教育において、その取り組みの主体性や自律性、創意工夫や開拓性などを阻害する反福祉的・反教育的状況が進んでいることに起因する。そう思うのは筆者だけであろうか。ただ、一部の先生の言として、福祉教育は歴史的に形成され、社会的な状況を踏まえた教育活動であるという視点の重要性を再認識することができた、というものがあった。何よりの救いである。福祉教育は歴史的・社会的形成体であり、豊かな地域・社会の未来(あす)を切り開く教育活動である。

▼「パーソナル・キャピタル」と「つながりのコミュニティ」
〇S市社協から帰宅後、佐藤友美子・土井勉・平塚伸治著『つながりのコミュニティ―人と地域が「生きる」かたち―』(岩波書店、2011年8月。以下、「本書」)を再読した。珍しく、本書の帯(おび)が捨てずにとってあった。そのキャッチコピーは、「個人の力が集まる時、何かが始まる」である。また、表紙カバーの裏に記されている「内容紹介」は、次の通りである。「一人ひとりが持てる力を思う存分に発揮し、支えあい、楽しく、共に活き活きと生きる社会は果たして可能なのだろうか。さまざまな現場での活動を紹介しながら、人々が幸福に、心豊かに生きるための道を探る」。
〇本書は先ず、「地域の暮らしをつなぎ支える」(4件)、「地域の魅力をつくる」(3件)、「文化を創造する」(3件)という枠組みのもとに、10件のコミュニティ活動(まちづくり活動)の事例紹介を行う。その事例は、旧来とは違う新味性や、一過性ではなく継続性を念頭においたものである。次に、それぞれの活動を読み解きながら、「人々が幸福に、心豊かに生きるための道を探る」、というかたちで編まれている。これに関して一言すれば、こうした事例紹介は、ある視点やフレームワークに基づいて収集した事例の表面的な特色(個性)を記述するに留まることがある。事例「紹介」といえども可能な限り、その活動の背景や実態・内実に迫り、活動の代表性・典型性や一般化・普遍化などについても言及することが求められる。なお、その点では、ひとつの事例を徹底的に分析・評価し、失敗したことなども含めて余すところなく紹介する方が、現場の活動には真に「役立つ」ように思える。
〇本書で注目される(したい)キーワードのひとつは、「パーソナル・キャピタル」「共立の活動」である。その概念をめぐって佐藤らの言説を紹介することにする。

個人の能力が個人で完結している場合、社会的に大きな活動として広がることはない。キャピタル(資本)という言葉の意味には「剰余価値を生むことによって自己増殖する価値」がある。すなわち、個人の能力が別の個人の能力と結びつき、つながることによって増殖し、一人ひとりの能力を足したもの以上の価値を生み出していく。そんな個人の能力を「パーソナル・キャピタル」と意味付けたい。個人の体験を経て個人の資質として蓄積された資本、様々な能力は誰の目から見ても明らかに見えるものではないだろう。また、「パーソナル・キャピタル」は必ずしも資格のようなものではない。普段あたかも何もないように見えていて、何かのきっかけで顕在化するのが「パーソナル・キャピタル」である。(ⅸ~ⅹページ)

「パーソナル・キャピタル」が集まり、結びつき、つながることによって相乗効果を生み、力を発揮する状況を(中略)「共立」と定義付けた。「共立」はできることを持ち寄り、より高次なレベルの活動をつくり上げるプロセスを指す言葉である。(ⅹページ)

個々人のパーソナル・キャピタル(すなわち、物事を判断する際のモノサシとなる価値判断能力、問題解決に必要な人とのつながり方やコミュニケーション能力、場の設定能力、交渉能力、専門家の活用能力、合意形成能力、起業化力、継続力、持続力、など)をそれぞれ持ち寄り、それを結びつけることで、化学反応が起こり、課題を読み替え、解いていく。協働作業によって、より高次なレベルの活動を作り出し、新しい価値を作り出すプロセスが「共立の活動」である。それは、特別な人のものではなく、小さくても何かを持っていれば、誰にでもできることなのだ。そして、それはいつしか一人を超えて、大きな流れをつくっていく。参画した参加者は「共立の活動」の一部を担っていくことになるのである。(174~175ページ)

〇佐藤らがいう「パーソナル・キャピタル」は、地域・社会における「ちょっとしたつながり」「ゆるやかなつながり」をつくる個人の能力を意味する。それが、より高次なレベルの「つながり」(ソーシャル・キャピタル)や、それに基づくまちづくり活動や運動を創りあげることになる。そこに広がるのが「つながりのコミュニティ」である。言い換えれば、カリスマ性のある特定の「ヒト」に頼った取り組みには“危うさ”がつきまとうが、そのリスクを取り除くのが「つながり」である、ということになる。「地域に根ざした福祉教育」「地域を基盤とした福祉教育」の展開に関して留意すべきところである。

▼「まち会社」と「事業としてのまちづくり」
〇いま、筆者の手もとに、まちビジネス投資家/事業家と称される木下斉(きのした ひとし)が書いた本『稼ぐまちが地方を変える―誰も言わなかった10の鉄則―』(NHK出版、2015年5月)がある。そのブックカバーの裏に記載されている「内容紹介」は、次の通りである。訴求性が高く、興味・関心を呼び起こす。

人口減少社会でも、経営者視点でまちを見直せば地方は再生する! 補助金頼りで利益を生まないスローガンだけの「地方創生」はもう終わった。小さくても確実に稼ぐ「まち会社」をつくり、民間から地域を変えよう! まちおこし業界の風雲児が、心構えから具体的な事業のつくり方、回し方まで、これからの時代を生き抜く「10の鉄則」として初公開。自らまちを変えようとする仲間に向け、想いと智恵のすべてを暴露します。

〇木下は、その本で、地域を活性化するためのまちづくりは「活動」ではなく、「事業」として取り組むことが有効であるとする。そして、「まち会社」(注1、2)が「まちづくり事業」を成功させるための秘訣を「10の鉄則」と「10の覚悟」に纏める。その項目は以下の通りである。

まちづくりを成功させる10の鉄則
①小さく始めよ、②補助金を当てにするな、③「一蓮托生」のパートナーを見つけよう、④「全員の合意」は必要ない、⑤「先回り営業」で確実に回収、⑥「利益率」にとことんこだわれ、⑦「稼ぎ」を流出させるな、⑧「撤退ライン」は最初に決めておけ、⑨最初から専従者を雇うな、⑩「お金」のルールは厳格に(79~153ページ)
まちを変える10の覚悟
①行政に頼らない、②自ら労働力か資金を出す、③「活動」ではなく「事業」としてやる、④論理的に考える、⑤リスクを負う覚悟を持つ、⑥「みんな病」から脱却する、⑦「楽しさ」と利益の両立を、⑧「入れて、回して、絞る」、⑨再投資でまち全体に利益を、⑩10年後を見通せ(198~201ページ)

〇「10の鉄則」と「10の覚悟」は、企業・組織経営やビジネスの観点から纏めたものである。従って、この鉄則と覚悟はそのまま、「福祉のまちづくり」や「つながりのコミュニティ」づくりに通用(通底)するものでもない。とは言え、NPO法人や市民活動団体、地域組織・団体などの事業・活動に関して留意すべき事項や参考となる点を含んでいる。例えば、木下は、覚悟⑧について、「まちの活力を生み出すには、地域外から人や財を入れ、地域内取引で回して、地域から出て行く人や財を絞る。この循環をどう大きくしていけるか、というのを徹底すれば、必ず再生する」(201ページ)。⑨については、「まちづくりに事業として取り組むのは、それで儲けた資金を全て手元にとるのではなく、再投資をして地域で資金を回していくからだ。事業は課題解決方法であり、金儲けの手段ではない。すなわちまちづくり事業団体だけが豊かになっても意味がない」(201ページ)、と説述する。すなわち、まちづくり事業では、「ヒト」「モノ」「カネ」そして「情報」の社会資源(経営資源)をいかにして地域の内外から取り入れ、地域内で好循環させ、その資源や成果(果実)を“単利”ではなく“複利”で拡大させるかが重要なポイントとなる。そこに求められるのは「地域経営」の視点や姿勢である。
〇木下の著書に、『まちで闘う方法論―自己成長なくして、地域再生なし―』(学芸出版社、2016年5月)がある。その本の帯のフレーズは、「中途半端な正義感だけでは、まちを変えることはできない」である。まちをひとつの会社に見立てて経営するという観点で18年間闘い続けてきた木下の言葉は、重い。「福祉のまちづくり」や「つながりのコミュニティ」においても、「中途半端な正義感」は何の役にも立たない。


(1) 「まち会社」といっても一般には馴染みが薄いかもしれません。これは、イベント会社やコンサルタント会社、ましてやボランティア団体等ではありません。まちの不動産オーナーなどと共に設立し、各不動産や店舗の改善を行い、さらにエリアの価値を高めていくという、目的も収益源も、そして顧客もはっきりしたビジネスです。(木下、71ページ)
日本ではまだ、不動産オーナーが中心となってまちづくりを推進する、ということは主流にはなっていません。立ち上がるべき人が立ち上がっていない。(中略)まず不動産オーナーが本気にならなければ、地域はどうにもなりません。外部の人間が(中略)、どんな提案をしようとも、意思決定権は不動産オーナーが握っています。(中略)まちのオーナーシップは、不動産オーナーにあるのです。(木下、76~78ページ)
(2) 「まちづくり会社」をはじめとするさまざまな担い手と行政が連携することで、従来とは異なる新しい発想でまちづくりを進める取り組みが全国各地で実施されている。その概要については取り敢えず、『まちづくり会社等の活動事例集―活動類型別の代表的な30事例の紹介―』(国土交通省都市局まちづくり推進課、2012年3月)が参考になろう。