荒木優太著『これからのエリック・ホッファーのために』を読む―在野研究の魅力と危険性―

〇大学の現状として、入学者数の減少とそれに伴う財政基盤の悪化、国による基盤的経費の削減などが進んでいる。大学全入時代における学生の学力低下が指摘されて久しい。いわゆる「2018年問題」(18歳人口の再減少)も間近に迫ってきている。そういうなかで、大学とそこでの研究と教育は危機的状況にある。大学「教員」に関して言えば、任期制(不安定雇用)の普及・拡大などが図られ、学内行政に忙殺されて研究も教育もままならない。任期制の導入は、教員の流動性を高めて人材交流を促進することになり、それによって教員自身の能力の向上や大学における研究と教育の活性化が図られるはずであった。
〇大学は、研究と教育が一体的・体系的に展開される高等教育機関である。それが近年では、「世界的な学術研究の拠点としての大学」と「実践的な職業教育を担う大学」などの機能別分化が,競争的資金の獲得によって進展しつつある。
〇そういうなかで、大学や研究者の地域志向(地域貢献、地域協働、産学官連携など)も進んでいる。「相互の発展と地域振興のために、幅広い分野で連携する包括的連携協定が大学と地元の〇〇との間で締結された」という情報に接する。それ自体は評価されるところであるが、なかにはその立ち位置や姿勢、思惑などによって名ばかりの協定であったり、地域の住民や関係機関・団体にとっては迷惑なこともある。
〇ところで、筆者(阪野)は以前より、僭越至極ではあるが、「本籍」は福祉教育、「現住所」はその時の勤務先、研究と実践の「フィールド」は地域や地元(吉本哲郎)、と考えてきた。そして、研究のテーマを、福祉教育の「歴史」と「実践」(実践を通しての研究、実践に関する研究)に絞ってきた。それは、研究はその分野やテーマに関する歴史を学ぶことから始まる、という認識に基づいている。また、実践については、実践を通しての研究では「仮説の探索」、実践に関する研究では「仮説の検証」に留意してきた。これら(研究のテーマやアプローチ)を決定づけたのは、大橋謙策の『地域福祉の展開と福祉教育』(全国社会福祉協議会、1986年9月)である。30年も前のことである。そしていま、大橋の愛弟子である原田正樹の『共に生きること 共に学びあうこと―福祉教育が大切にしてきたメッセージ―』(大学図書出版、2009年11月)や『地域福祉の基盤づくり―推進主体の形成―』(中央法規、2014年10月)などから多くを学ぶことができる。筆者にとってこれらは、「幸運な偶然」(山崎亮)の積み重ねである。
〇筆者の手もとには、「研究」の志向やメソドロジー(方法論)に関する本が3冊ある(しかない)。次がそれである。

(1)岩田正美・小林良二・中谷陽明・稲葉昭英編『社会福祉研究法―現実世界に迫る14レッスン―』有斐閣、2006年11月。(以下、「1」と略す。)
(2)岩崎晋也・岩間伸之・原田正樹編『社会福祉研究のフロンティア』有斐閣、2014年10月。(以下、「2」と略す。)
(3)荒木優太『これからのエリック・ホッファーのために―在野研究者の生と心得―』東京書籍、2016年3月。(以下、「3」と略す。)

内容的には、「1」は社会福祉の研究方法、「2」は社会福祉の研究テーマ、「3」は在野研究の列伝、などについて叙述(解説、論評)している。いまの筆者には「3」が興味深い。エリック・ホッファー(Eric Hoffer、1902年~1983年)は、「沖仲仕の哲学者」とも呼ばれた、アメリカの独学の社会哲学者である。
〇「3」は、「大学や研究室や学会の外にもガクモンはある」(3ページ)という問題意識の下で、16人の「在野研究者」の評伝を通して、「在野研究」の意味と心得について説いている。その詳細は原典に譲ることにして、ここでは、とりあえず首肯できる荒木の言説と、40項目におよぶ「在野研究の心得」の項目を紹介しておくことにする。なお、当然のことながら、筆者にとっては首肯しかねる言説や心得もある。荒木が取り上げる「在野研究者」(一般的には「在野の研究者」)とは、大学に所属せず、そこから経済的に自立している者。論文的形式性のある文章を執筆している者。そして故人、である。また、その学問分野は、考古学や民俗学、哲学などの人文・社会科学系を中心に、動物学や植物学にも及ぶ。留意しておきたい

首肯できる言説
〈試行錯誤(トライ&エラー)〉こそが在野という場所で獲得できるもっとも力強い武器であり、〈なりたい〉よりも〈やりたい〉が先行するのが在野研究者第一の資質である。(8ページ)

大学でないから良い、という価値判断は、大学であるから良いという判断の反転にすぎず、所詮同じ土俵に立っている。本物の在野人として独立するには、コンプレックスを克服し、真の意味で大学から自由にならねばならないのではないか。(75ページ)

在野研究者は学術機関に属さない。それ故、専門家のチェックなしに成果を公開していく。お墨付きを拒否し、独自のスタイルで学問をつづけようとするその態度に在野の大きな可能性があることは確かだ。けれども、反面、監視の眼が入らないその空間は、勝手な捏造や放言に支配されてしまう危険性と常に隣り合わせで成立している。(105ページ)

早く研究を始めたとしても、同じく早期に挫折してしまえば、チャンスをものにすることはできないだろう。いつ始めたか、ではなく、いつまでやるか。持続が長ければ長いほど、(様々な人との:阪野)「出会い」を有意義なものにできる確率は高まる。「出会い」のチャンスを、単なるすれ違いに終わらせてはいけない。(117~118ページ)

どんなメディア(発表媒体)で自分の研究を発表していくのかという問題は在野研究者にとって決して看過できない重要なポイントだ。/わざわざ煩雑な既存の媒体に頼らずとも、自分自身で新しいメディアをつくり、そこから研究の成果を発信してしまえばいいではないか。(121、122ページ)

教育とは明らかに、社会と学問をつなぐもっともポピュラーな回路である。ただし、多くの在野研究者がしばしば学校嫌いであったことも急いで付け加えておかねばならない。学校は嫌い、だけど勉強は好き、というタイプだ。/学校から距離のある在野研究者は、その学びの姿勢を通じて、学校的制度化のプロセスに対して批評的になることが期待できる。在野研究者の多くは、学校(学者)が認めてくれるから研究するのではない。やりたい(やるべきだ)から、勝手に勉強し勝手に発表する。(195、196ページ)

在野研究の心得
(1)在野仲間を探そう。(2)資料はできるだけ事前に内容を確かめてから購入すべし。(3)就職先はなるべく研究テーマと近い分野を探すべし。(4)資料へのアクセス経路を自分用に確保しておく。(5)地位を過剰に意識するな(社会的評価を気にするな)。(6)学者の世界の政治を覚悟せよ(政治的な闘争に巻き込まれるな)。(7)家族の理解を得るべし。(8)自分の指針となるオリジナル師匠を持て。(9)コンプレックスを克服せよ(大学から自由になれ)。(10)成果はきちんと形に残せ。(11)周囲に頭がおかしいと思わせる(周囲との余計な関係性を切る)。(12)研究の手助けをしてくれる配偶者を探そう。(13)様々な人とのコネをつくっておくべし。(14)助成金制度を活用しよう。(15)在野では独断が先行しやすい(チェックやアドバイスが必要)。(16)聴講生制度を活用しよう。(17)未開拓の研究テーマを率先してやるべし。(18)論文博士を目指そう。(19)研究は細く長くつづけること。(20)発表に困ったときは自分でメディアをつくってみる。(21)在野に向き不向きの学問がある(理系の学問の在野研究は難しい)。(22)仕事場で研究の話をするのは厳禁。(23)金銭の取り扱いには慎重を期すべし、(24)資料の情報は積極的に他の研究者と共有すべし。(25)メディアと並行してコミュニティもつくろう。(26)平易な表現や文体に努めるべし。(27)複数の職歴も武器になる(研究に役立たない職業経験はない)。(28)自前メディアは類似のメディアと協力体制を調(ととの)えておく。(29)自由に開かれた勉強会を調べて積極的に参加すべし。(30)コミュニティをつくったら定期的に飲み会も開くべし。(31)専門家とコンタクトをとってみよう。(32)地方に留まるからこそできる研究もある。(33)羞恥心は研究者の天敵である(研究者にはフットワークの軽さが求められる)。(34)専門領域に囚(とら)われるな(専門知は同時に視野狭窄につながる)。(35)簡単に自分で自分の限界を設けないこと。(36)日本の外に出ることを検討する。(37)知の翻訳を心がける(外国語への翻訳と専門用語の言い換えに努める)。(38)卑屈になるくらいだったら「文士」(物書き)になれ(自信をもって研究に取り組め。大切なのは研究の中身である)。(39)先行する研究者たちの歴史に学べ。(40)この世界には、いくつもの〈あがき〉方があるじゃないか(在野研究には様々な研究のスタイルや方法がある)。(括弧内は筆者)

〇本稿を草することにしたきっかけは二つある。ひとつは、大学に所属しながら地域福祉の「実践」的研究に取り組むО氏との会話である。いまひとつは、福祉や看護の現場で働きながら「研究」を志している院生との議論である。
〇前者に関しては、大学教員などが地域にかかわった祭に時として、(1)上から目線で政府や行政などの取り組みを批判したり、(2)地域や住民の一部あるいは当面の要求や期待にのみ応えようとしたり、(3)まちづくりの正義のヒーローや救世主になったり、逆に(4)自分の労苦が報われないことで落ち込んだり、(5)住民の誰かを悪者にしたり(あるいは自分が悪者にされたり)することがあるという。一方で、「地域のみんなでまちづくり/こんな面白いことは他にない」(山崎亮)と言われる。それは、住民が主役の共働のまちづくりに関する知的で、創造的な「面白さ」である。こうしたО氏との会話を通して、まちづくりとその実践的「研究」の難しさと面白さ(醍醐味)を改めて再認識することになった。
〇後者に関しては、院生の多くは、組織的な実践活動や個人的な体験活動が展開される「現場」に身を置いている。彼らはまず、その現実や実態にひとつの疑いを差し挟む(「疑念」)。そのうえで、「観察」、「考察」し、「合理的な説明や批判」を試みる。この一連の作業が「研究」である(「1」6ページ)。院生との議論は、「研究とは何か」「研究の問題意識は奈辺にあるか」「現場からの研究をどう進めるか」などから始まる。
〇「3」において荒木は、先達の在野研究者の生涯と業績から、「在野研究の心得」を抽出する。その際、荒木は、「在野研究とは、アカデミズムに対するカウンター(対抗)ではなく、オルタナティブ(選択肢)として存在している」(「3」7ページ)という。そして、「研究」という営為の奥深さを伝えようとする。「3」の意義と面白さはここにある。最後に付記しておきたい。