「事例紹介」の罠:「失敗事例」から学ぶことの重要性―畑村洋太郎著『失敗学のすすめ』再読メモ―

〇「アクティブ・ラーニング」(Active learning)の推進が国の教育政策の重要課題となっています。それはいま、批判的な論及がほとんどないまま、流行(はや)りや大騒ぎ(空騒ぎ)になっている感すらあります。
〇アクティブ・ラーニングは、「課題の発見・解決に向けた主体的・協働的な学び」「能動的学修」などと言われる学習形態(学習・指導方法)です。大学教育ではその質的転換に向けた方策として既に導入され推進が図られていますが、小・中・高等学校でも学習指導要領の改訂を経て、2020年度から順次取り入れられます。そういうなかで、福祉教育に関わる実践者や研究者にあっては、その是非の評価は別にして、関心事のひとつになっています。そして今後、福祉教育におけるアクティブ・ラーニングの「事例紹介」や、教材やプログラムなどの研究・開発が進められることになると思われます。
〇小・中・高等学校へのアクティブ・ラーニングの導入については、(1)能動的な学習への参加をはじめ体験活動や「言語活動の充実」(現行学習指導要領)などの「教育内容の改善」に新規性がない、(2)「教科等の目標や大まかな教育内容」(教育課程の基準)の規定を超えて、国家権力による「教育方法」への関与の拡大・強化が図られる、などと評することができます。また、(3)「生きる力」「ゆとり教育」の焼き直しであり、同じ轍を踏まないという保証はない、(4)体系的な知識の学習が軽視されるいわゆる「はいまわる経験主義」に陥らないとも限らない、(5)能動的学修についての教師や生徒の認識や姿勢・能力、学校や地域の支援体制に問題(不備、不足)があり、形骸化する恐れなしとしない。さらに、(6)生徒(学習者)の「能動性」(activity)や「能動的であること」(activeness)、学習を促進する「主体性」や「当事者意識」(責任意識に通じる)などの重要概念の定義や説明が未だ不十分である、(7)生徒の能動性や協働性などを客観的に評価することは難しく、「学修成果」を多元的・多角的に評価するための項目や基準、方法(「パフォーマンス評価」〈注①〉等)などについての研究・開発が進んでいない、などを指摘することもできます。
〇これらについての検討は別の機会に譲るとして、本稿では、「事例紹介」特に「失敗事例」の紹介に関してひとつの言説をメモることにします。そのねらいは、福祉教育におけるアクティブ・ラーニングの実践事例の紹介やプログラムの提案のあり方について考える際の視点や留意点などを理解することにあります。
〇周知の通り、福祉教育に関してはこれまで、多くの実践事例が収集・紹介され、その分析・検討を通して経験の知識化や実践の理論化が進められてきました。その際、その事例の多くはいわゆる「成功事例」であり、その裏(陰)に存在する多様な「失敗事例」については無関心だったり軽視したりする傾向がありました。
〇確かに成功事例の分析・検討は、成功の要因や条件、法則などの抽出を通して、成功の再現を促します。ただ、過去の成功事例を単になぞるだけでは、いわゆる先行事例の後追いに過ぎず、実践のマニュアル化や定型化を進めることになります。それはまた、実践者や研究者の思考停止を招きかねません。失敗事例の分析・検討については、失敗の防止や回避を図るためだけではなく、新たな成功を生み出すための積極性や探求性が求められます。「成功の鍵」は成功事例のなかにあります。また、「失敗は成功のもと」という格言があります。成功事例とともに、失敗事例も重要視する必要があります。
〇筆者(阪野)の手もとに、「失敗学」の提唱者である畑村洋太郎の本が4冊あります。
(1)畑村洋太郎『失敗学のすすめ』講談社、2000年11月(以下、[1]と略す)。
(2)畑村洋太郎『図解雑学 失敗学』ナツメ社、2006年8月(以下、[2]と略す)。
(3)畑村洋太郎『決定版 失敗学の法則』文藝春秋、2002年5月。
(4)畑村洋太郎『「想定外」を想定せよ!―失敗学からの提言―』NHK出版、2011年8月、
がそれです。以下に、15年以上も前に書かれた本ですが、「強烈なメッセージを日本社会に与えた歴史的書物である点において、本書は名著である」(educate.co.jp|失敗学のすすめ)と評される[1]と、それをわかりやすく解説した[2]から畑村の言説の要点を引用・抜き書きすることにします。

◆「失敗学」における「失敗」
失敗学では、「人間が関わって行うひとつの行為が、はじめに定めた目的を達成できないこと」を失敗と呼ぶことにします。別の表現を使えば、「人間が関わってひとつの行為を行ったとき、望ましくない、予期せぬ結果が生じること」とすることもできます。「人間が関わっている」と「望ましくない結果」のふたつがキーワードです。([1]21~22ページ)

◆「失敗学」における基本的姿勢
「失敗学」における基本的姿勢は、私たちの身近で繰り返される失敗を否定的にとらえるのではなく、むしろプラス面に着目してこれを有効利用しようという点にあります。
つまり、失敗の特性を理解し、不必要な失敗を繰り返さないとともに、失敗からその人を成長させる新たな知識を学ぼうというのが「失敗学」の趣旨なのです。別のいい方をすれば、マイナスイメージがつきまとう失敗を忌み嫌わずに直視することで、失敗を新たな創造というプラス方向に転じさせて活用しようというのが「失敗学」の目指すべき姿です。([1]23~24ページ)

◆失敗体験による応用力の育成
吸収した知識を本当に身につけるためには、体感・実感がともなった体験学習が必要で、失敗することを厭(いと)わず、失敗体験を積極的に活用する必要があります。
これは、子どもの教育全般などにもそのままいえます。「こうすれば失敗しない、こうすれば成功する」「これはダメ、あれはダメ」という教育方法では、やはり知識の表面的な理解しかできません。そこに欠落している深い理解なしには応用力は身につかないのです。無駄を省いた合理的学習法は好んで使われているものの、その弱点についてあらためて考え直す必要があります。([1]26~27ページ)

◆失敗の現れ方と原因の階層性
まわりに与える影響の大小などを考慮すると、ひとつの失敗の原因はいくつもの要因が重なっており、それらの要因には階層性があります。図1は、失敗の現われ方の階層性と同時に、失敗原因にも同じような階層性があることを表しています。
ピラミッドの一番底辺にあるのは、日常的に繰り返されているごく小さな失敗の原因です。無知、不注意、不順守、誤判断、検討不足という言葉が並んでいますが、要するに手順ミスや思いちがいなど、失敗者個人に責任があるケースです。
実際の失敗は、ひとつの要因だけで起こることはほとんどなく、いくつかの要因が複雑に絡んで人々にとって好ましくない形で現れるのです。
図1の中間から上に向かって存在する失敗原因には、組織運営不良、企業経営不良、行政・政治の怠慢、社会システム不適合、未知への遭遇などがあります。ピラミッドの底辺は個人の責任に帰すべきものですが、上へいけばいくほど失敗原因は社会性を帯びてきます。また同時に失敗の規模、与える影響も大きくなります。([1]52~53ページ、[2]18~19ページ)
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◆「よい失敗」と「悪い失敗」
失敗には、「許される失敗」と、「許されない失敗」があります。それは、「よい失敗」と「悪い失敗」という言葉に置き換えることができます。
失敗の階層図の中で、ピラミッドの頂点にある未知への遭遇という部分だけが下から切り離されています。「よい失敗」は、この未知への遭遇の中に含まれるもので、細心の注意を払って対処しようにも防ぎようのない失敗を指します。([1]55ページ)
もうひとつの「よい失敗」は、「個人にとっての未知」への遭遇です。個人が成長する過程で必ず通らなければならない、あるいは体験しておいたほうが後々のためになるという失敗です。([2]20ページ)
人間の成長は、失敗なしに語ることはできません。成長の陰には必ず小さな失敗経験があり、これを繰り返しながらひとつひとつの経験を知識として自分のものにしていきます。さらに小さな失敗から得た知識が次の大きな失敗を起こさないための軌道修正の働きをし、さらには次の成功へと転化していきます。([1]56ページ)
「悪い失敗」は、いわゆる不注意や誤判断などの単純ミスが原因で何度も繰り返される失敗です。無意味に被害を大きくして自分やまわりに多大な迷惑をかけるのが常です。そのようなことを繰り返しているうちに、いたずらに失敗を重ねる悪癖を身につけることにもなりかねません。([2]20ページ)
また失敗の階層図でいえば、中層以上の組織不良から社会システムの不適合までのものは、いずれも「悪い失敗」といえます。([1]58ページ)

◆失敗原因の分類
失敗の原因を分類すると、次の10の項目に大別することができます。
(1)無知―失敗の予防策や解決法が世の中にすでに知られているにもかかわらず、本人の不勉強によって起こす失敗です。
(2)不注意―十分注意していれば問題がないのに、これを怠ったがために起こってしまう失敗です。
(3)手順の不順守―決められた約束事を守らなかったために起こる失敗です。
(4)誤判断―状況を正しくとらえなかったり、状況は正しくとらえたものの判断のまちがいをおかしたりすることから起こる失敗です。
(5)調査・検討の不足―判断する人が、当然知っていなければならない知識や情報を持っていないために起きる失敗や、十分な検討を行わないために生じる失敗です。
(6)制約条件の変化―なにかをつくり出したり、あるいは企画するとき、必ずあらかじめある種の制約条件を想定してことを始めます。そのとき、はじめに想定した制約条件が時間の経過とともに変わり、そのために思ってもみなかった形で起こる失敗です。
(7)企画不良―企画ないし、計画そのものに問題がある失敗です。
(8)価値観不良―自分ないし自分の組織の価値観が、まわりと食いちがっているときに起きる失敗です。
(9)組織運営不良―組織自体が、きちんと物事を進めるだけの能力を有していないために起きる失敗です。
(10)未知―世の中の誰もが、その現象とそれにいたる原因を知らないために起こる失敗です。([1]59~64ページ、[2]26~31ページ)

◆失敗情報の性質
ある失敗を次の失敗の防止や成功の種(たね)に結びつけるには、失敗が起きるにいたった原因や経過などを正しく分析した上で知識化して、誰もが使える知識として第三者に情報伝達することが重要なポイントになります。他人の失敗のみならず、自分の失敗体験から何かを学ぶときにもそのままいえることで、失敗情報を知識化することは、いわば「失敗学」の大きな柱のひとつです。
ところが、困ったことに、失敗情報には知識化を阻害する様々な性質があります。([1]78ページ)
(1)失敗情報は伝わりにくく、時間が経つと減衰する
失敗はマイナスのイメージの側面が強いため、失敗情報は時間の経過につれ、または関係部署などいくつかの経路を通って伝達するごとに、急激に減衰する。([2]46ページ)
(2)失敗情報は隠れたがる
人間の心理として、失敗はつい隠したくなるもので、失敗情報は人に知られたり表に出たりすることを極端に嫌う。
(3)失敗情報は単純化したがる
失敗情報が伝達経路をたどっていくとき、その経過や原因がひとつやふたつのフレーズに集約され、極めて単純な形でしか伝わらない。
(4)失敗原因は変わりたがる
失敗が構造的・組織的なものであっても、個人のミスとして問題を収めようとしたり、それに関わる人たちの利害によって失敗情報が意図的に歪曲化されることがある。
(5)失敗は神話化しやすい
悲劇的な物語性のある失敗情報は、一面的な見方に偏ってしまい、神話化して多くの人に伝わる傾向にある。
(6)失敗情報はローカル化しやすい
ひとつの場所で起こった失敗は、ほかの場所へは容易に伝わらない。それとほぼ同じ原理で、失敗情報は組織内の横方向にも縦(上下)方向にも伝わりにくい。([1]79~93ページ、[2]46~53ページ)

◆主観的失敗情報と客観的失敗情報
他人の失敗に学び、そこから新しいなにかを生み出そうと考えたときに、まず人が知りたいのは、誰に責任があったかということより、失敗したその人がどんなことを考え、どんな気持ちでいたかという、第一人称で語られる生々しい話です。ときとして、この中には外部の人からはうかがい知ることのできない真の失敗原因が隠されていることもあります。だから当事者に自由な気持ちで失敗を語らせることは、失敗情報を伝える上でたいへん重要なポイントになります。([1]94~95ページ)
客観的な情報は、一見すると優れたものに見えますが、経験者と同じ立場の人が見ても、残念ながらそこから新しい何かを生み出すまでにはいたりません。 
いわゆる事件や事故の報告書は、多くの場合、客観的な立場で全体を見ることができる第三者によって作成されます。そのせいか、どこか批判めいた論調であったり、糾弾するような調子になりがちです。ときには、当事者にその記述が委ねられるケースがあるものの、その際は「客観性」という名のもとで無味乾燥なものになりがちです。([1]97ページ)

◆失敗情報の伝達
ひとつの失敗から教訓を学び、これを未来の失敗防止に生かしたり創造の種(たね)にしたりするには、ひとつには失敗を事象から総括まで脈絡をつけて記述すること、もうひとつは失敗を「知識化」する作業が必要です。知識化とは、起こってしまった失敗を自分および他人が将来使える知識にまとめることで、失敗情報の正しい伝達には不可欠なことがらです。([1]98ページ)
失敗を知識化するための出発点となる「記述」は、文字どおり失敗経験を記述するという意味です。そのとき、「事象」「経過」「原因(推定原因)」「対処」「総括」などの項目ごとに書き表すと、問題が整理されて失敗の中身もクリアになります。([1]100ページ)
「事象」は、どんな失敗が起こったか、それがどのように表に現れたかを記述する。「経過」は、どのように失敗が時間の経過とともに進行したのか、ポイントになる部分をできるだけ詳しく記述する。「原因」は、失敗を起こしたその時点で考えついた推定原因を記述する。後で真の原因が明らかになった場合は追記する。「対処」は、失敗に際してどんなことをしたかという対処(応急措置)について記述する。失敗が発生する以前に行った対処(措置)もあれば記述する。「総括」は、その失敗がどんな内容のものだったかを記述する。失敗の直接の原因だけでなく、その失敗を誘発する組織としての問題点、あるいは精神的問題など、全体を総括しなければわからないものをあぶり出し、記述する。
そして、「知識化」は、失敗を分析・検討した結果、その失敗からなにを学ぶのかを抽出し、今後に繰り返さないための知識や教訓について記述する。
なお、失敗から何かを学ぼうとする人、いいかえればこの記述を読む人にとってみれば、以上の6項目のほかに、その事象が起こった全体の「背景」(失敗発生の間接的な要因となった各種背景について記述する)が知りたくなることが多々起こります。([1]101~112ページ、[2]56~61ページ)

〇畑村の言説でとりわけ注目したいのは、「失敗の階層性」と失敗「経験の知識化」です。これは「成功」にも通底する考え方です。また、「事例」は、実施時の事象や状況をイメージ化することができますが、成功の実践事例といえどもそれが紹介された分だけ鮮度は落ちてしまいます。実践のマニュアル化や形骸化を生まない“真の成功”のためには、失敗事例を積極的に取り上げ、失敗と真正面から向き合い、失敗に学び失敗を活かすことが肝要となります。「失敗は成功の母」(エディソン)「失敗こそが創造を生む」(畑村)。福祉教育の「事例紹介」に関して、本稿で強調したいのはこの点です。


①「パフォーマンス評価」とは、一般的には、習得した知識や技能(スキル)を使いこなす(活用・応用・総合する)能力を評価することであり、学習成果をレポートの作成や口頭発表、身体表現などによって「見える化」し、その「作品(パフォーマンス)」に基づいて思考力・判断力・表現力などについて評価する方法である、と言えます。
パフォーマンス評価については、現行の『小・中・高等学校学習指導要領解説 総合的な学習の時間編』(文部科学省、2008年6月、2008年7月、2009年7月)でもふれられています。また、中央教育審議会教育課程部会が「児童生徒の学習評価の在り方について(報告)」(2010 年3 月24 日)において、「評価規準や評価方法については,近年諸外国においても様々な研究や取組が行われて(いる)」として、次のように言及(脚注)しています。
「思考力・判断力・表現力等を評価するに当たって,『パフォーマンス評価』に取り組んでいる例も見られる。パフォーマンス評価とは,様々な学習活動の部分的な評価や実技の評価をするという単純なものから,レポートの作成や口頭発表等により評価するという複雑なものまでを意味している。または,それら筆記と実演を組み合わせたプロジェクトを通じて評価を行うことを指す場合もある。」

付記
アクティブ・ラーニングの失敗事例に関して、中部地域大学グループ・東海Aチーム編『アクティブラーニング失敗事例ハンドブック~産業界ニーズ事業・成果報告~』一粒書房、2014年11月、があります。付記しておきます。
下の図は、アクティブ・ラーニングの失敗事例調査に基づく「アクティブ・ラーニング失敗原因マンダラ」(『同報告』5~6ページ)です。
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