〇筆者(阪野)の手もとにいま、2冊の本がある。(1)小滝敏之著『縮減社会の地域自治・生活者自治―その時代背景と改革理念―』(第一法規、2016年4月)と(2)山崎亮著『縮充する日本―「参加」が創り出す人口減少社会の希望―』(PHP研究所、2016年11月)である。小滝(千葉経済大学、元官僚)は、「縮減社会」の「地域自治・生活者自治」について、その背景や理念・方策などを幅広い視点で捉え、広範な学問分野の言説を多く引用しながら、歴史的、理論的かつ実証的に論述する。山崎(東北芸術工科大学、コミュニティデザイナー)は、「縮充する社会」をつくるためには、人々の主体的な「参加」が必要不可欠であるとして、「まちづくり」などの8つの分野における「参加」の潮流を、各分野を牽引するリーダーとの対話を通して纏めあげる。「縮充」とは、「人口や税収が縮小しながらも地域の営みや住民の生活が充実したものになっていく」(17~18ページ)ことをいう。
〇以下に、2冊の本から、筆者なりに注目しておきたい論点や言説のいくつかを紹介(引用、抜き書き)することにする。
(1)小滝敏之/「縮減社会」における「地域自治・生活者自治」
生きた人間(実存的人間)の生活世界を考えていくにあたっては、一元論(monism)はもとより、白か黒かというような二元論では割り切れない点が多々あることを銘記しなければならない。二元論的把握を回避しようとするならば、「他律」対「自律」、「統治」対「自治」、「競争」対「協力」というごとき対立図式から、一方的に「自律」や「自治」の優位性を説くのみでは不十分である。最終的には、「他律(ヘテロノミー)」と「自律(オートノミー)」の両立・共存を目指し得る「相互律(アレロノミー)」の観点が必要となってくる。(ⅵ~ⅶページ)/「相互律」は「理屈の上では矛盾しているものが、矛盾し反撥しながらも、互いに他の存在を否定せず、これを承認し合っている」ような状態を指す言葉で、これこそが「実在の論理」である。(54ページ)
「人口減少社会」や「縮小社会」を論じるにあたっては、社会実体の量的側面のみならず質的側面についても目を向けなければならない。/最も危惧すべき質的縮減の側面は、「家族機能の縮減」であり、「地域における共助機能の縮減」であり、「社会的連帯の縮減(低下)」であり、「コミュニティ意識の縮減(薄弱化)」である。(24ページ)
「縮減社会」において設定されるべき「共通価値」(common values:社会の成員により共有される価値規範)は、「ローカリゼーション(地域社会化)」、「共助社会(共に助け合う社会)」、そして「実存的な生活世界におけるコンヴィヴィアリティ(共歓共生:共に歓びをもって生きること)」である。(62ページ)/今後は、「競争原理」とは対極的な「協力原理」に基づく社会システムを再生し強化していかなければならない。その方策の重要な柱が「社会関係資本」すなわち「ソーシャル・キャピタル(social capital)」の形成であり、「市民的共同体」すなわち「シヴィック・コミュニティ(civic community)」の結束強化である。(68ページ)
生活者住民が「共通価値」を実現していく上で必要なのは「生活者自治」である。「生活者自治」とは自治体主体の「地方自治」ではない。行政学的・行政法学的な既成概念としての「住民自治」とも異なり、実存的生活世界を基盤とする生活者住民の固有の自治権に基づく社会的・政治的・経済的営為を指す。人が人を動かすという意味での政治(自治)の主役、自分たちの地域をどうしていくのか、どう変えていくのかを決める主役は、政治家や行政官などではなく、地域社会の生活者住民にほかならない。(125ページ)/都市部であれ農村部であれ、地域で暮らす生活者住民(小さき民)の「内発性と自治」こそが、自らの基盤である地域社会(コミュニティ)を守り育てていく根幹である。(133ページ)
「地方政府とは地域住民である」。それは、地域住民が地方政府の主役であることを意味している。自治体の首長・職員や議員が主役のままで、住民・市民がたまに参加を求められるごとき受動的な「市民参加(citizen participation)」などではなく、住民・市民が自律的に主導する「市民参画(citizen engagement)」が求められている。/「市民参画(シティズン・エンゲイジメント)」というのは、「人びとが、一連の関心と機構とネットワークをもって、討議(deliberation)と共働行動(collective action)のために一緒に参加し、市民的一体性(civic identity)を育成し、統治過程(governance process)に人びとを巻き込むこと」を意味している。(143ページ)
実存的生活世界という場に生きる生活者、すなわち地域社会・近隣社会に生きる住民こそが、「自治生活」の主体として近代システムに振り回されることなく、人間社会に本源的な協同(協働)・連帯・共助の精神を取り戻し、真の自治と新たな生を切り拓いてゆくことができるのである。私たちは、生活する足元の地域社会や共同体に改めて目を向け、連帯・共助の精神を再生・創造していかなければならない。(181ページ)/国(中央政府)であれ自治体(地方政府)であれ「政府」の権限や責務以上に留意しなければならないのは住民自身の責務であり、生活者住民の主体的努力と自治意識である。(188ページ)
(2)山崎亮/「参加」が創り出す「縮充する社会」
人口が減り、少子化と高齢化によって活気を失ったまちが再び元気になるためには、そのまちに暮らす人たちの「参加」が不可欠になる。「参加なくして未来なし」である。(14~15ページ)/「楽しさ」は、参加型社会の重要なキーワードになる。「正しい」だけでは仲間は増えない。どんなに立派な取り組みでも、つまらなければ長続きはしない。活動することに、「楽しさ」を見出せてこそ、参加は市民にとって社会を変革する有効な方法となり得る。その意味で、「楽しさなくして参加なし」である。(36ページ)/「楽しさなくして参加なし」「参加なくして未来なし」を縮めて言えば、「楽しさなくして未来なし」ということになる。つまり、「楽しさ」と「未来」とを結びつけるしくみが「参加」だということになる。(19ページ)
地域をよくするための関わり方には、「物理的介入」と「心理的介入」の2つのアプローチがある。(59ページ)/ハンナ・アレント(1906年10月~1975年12月、ドイツ出身の哲学者:阪野)は、人間の生産的な行為を「労働」「仕事」「活動」の3つに分類した。お金のためではなく、モノを残すためでもなく、自ら主体的にやりたいと感じ、そこに他者が何らかの価値を見出せる行為を「活動」と位置づけた。そして、「活動」に重きが置かれてこそ、豊かな社会はつくられるとアレントは論じている。(61ページ)/「活動」する人たち、もしくは「活動」する意識を持った人たちが「市民」になる。地域をよくするための「心理的介入」(ワークショップなどで住民の生活を意識から変えていこうとする活動)は、「住民」(「一般の人」)を「市民」に変えていく活動をいう。(61~62ページ)/コミュニティデザイナーの仕事は、「住民」の意識が「市民」へと変わるように支援することである。したがって、住民の主体的な変化を促すために介入するのが役目になる。(64ページ)
「参加」には発展性がある。参加することの楽しさを知れば、「参画」する意欲が生まれる。他者がつくった計画に加わることは「参加」だが、計画の策定段階に自ら加わることは「参画」になる。「参画」の動きが活発な分野では、もっと高次元の現象が起こり得る。それが「協働」(コラボレーション)という活動である。(68ページ。図1:67ページ)
行政への住民参加(住民活動の原動力)には、「住民がやりたいこと」「住民ができること」「行政が求めていること」の3つがある。この3つ輪が重なるところに、縮充の時代に求められる「参加」「参画」「協働」のヒントがある。(146ページ。図2:145ページ)/この3つの輪を「自分がやりたいこと」「自分にできること」「社会が求めていること」と書き換えれば、人生を傾けて取り組める活動を探り当てることができるかもしれない。(426ページ)
日本の戦後の社会福祉に欠けていたのは、「わたしたち」にとっての「教育」だった。課題というのは“当事者”の参加なしには解決できない。法律を整えたり、施設をつくったり、お金を与えたりしても、当事者である「わたしたち」に課題を解決する意欲がなければ、社会が豊かになることはない。言い換えれば、当事者が学ぶことによって課題解決の道は開かれる。/これからの地域福祉に必要な知恵を、「わたしたち」は、どこで学ぶのか。現場で学べばいい。地域の活動に参加して、人と人とのつながりのなかで体験し、発見し、感動し、共感しながら知恵を会得(えとく)することに勝る教育はない。(355ページ)
学校や社会教育の現場などの教育の分野がいよいよ参加型に変わろうとしている(アクティブラーニング、コミュニティ・スクール等:阪野)この動きは、あらゆる分野に影響を及ぼし、参加型社会から参画型社会、さらには協働型社会へと発展していく大きな推進力になる可能性がある。いよいよ本丸である。(358~359ページ)
市民参加の形態(「参加した市民の目的意識」)は、おおよそ3つの年代に分けて整理することができる。/(1)戦後から1970年頃までの「第1期」―「不可避的な課題の解決」のための参加:災害や公害などによる人命や健康への深刻な被害、あるいは(市民から見た)政治の暴走といった生活に及ぼす大きな影響をくい止めようとする目的意識。(2)1970年代から1995年頃までの「第2期」―「公共的な課題の解決」のための参加:一億総中流社会や福祉社会が叫ばれるなかで、「住民vs.行政・企業」ではなく、「住民&行政・企業」という視点で都市計画やまちづくりを進めようとする目的意識。(3)1995年以降の「第3期」―「関係性の課題の解決」のための参加:地域のつながりが希薄化するなかで、生活から欠落したコミュニケーションと人間関係の再構築を図ろうとする目的意識。(402~405ページ)/第4期「参加の時代」が2020年から始まるとすれば、その機運はすでに起きつつある。いまわれわれが感じている「新しい参加形態」は、きっと第4期「参加の時代」の胎動なのだろう。(445ページ)
〇以上を端的に纏めると、小滝は、「縮減社会」の「自治」とその役割について地域社会・近隣社会のレベルで捉え、「生活者」の視点に立って言及する。その際、成長・競争の社会理念に対して、共生・共助の地域づくりの理念を提言する。そして、地域の独自性や多様性、生活者住民の主体性や自律性などを重視した「内発的発展(振興)」や「自助努力」、「自治意識」に基づく地域づくり(「自己責任社会」への転換)の必要性を説く。そのためには、著しく低下してきた住民・市民の「公共精神(public spirit)」や「市民精神(civic spirit)」の喚起・向上を図ることが肝要となる(207ページ)、という。改めて確認しておきたい。
〇また、山崎は、日本の人口減少社会の希望は市民の「参加」にある。「縮充する時代の行方には、正確もなければゴールもない。『学び』というインプットと、『活動』というアウトプットを、つねに市民が織り返している状態にこそ大きな意味がある」(440ページ)、という。シンプルであり、それ故に訴求性の高い結論である。留意したい。
〇小滝と山崎の言説は「参加」をキー概念とするが、「つながり」も重要な位置を占めている。その点をめぐって筆者はかつて、次のように述べたことがある。参考に供することとする。
共働活動とは、多様な個人や集団が共生関係を形成し、多面的な相互作用によって社会的統合や融合を達成していく過程で展開される協同活動をいう。市民福祉教育はこうした共働活動を重視する。
住民(メンバー)の共働活動への参加の仕方(姿勢)は、林義樹の「参加の三段階理論」に依拠すると、「参集」→「参与」→「参画」の3つの段階に区分することができる。林によると、参集は、その場に「いあわす」ことであり、活動は個人的で受動的なものにとどまる。参与は、他者と「かかわる」ことであり、活動は集団的で能動的なものとなる。参画は、一定の役割と責任を「にないあう」ことであり、活動は組織的で自省的なものとなる。また、活動は多種多様な人間関係の網の目(コミュニケーション)によって支えられているが、コミュニケーションの過程において伝達される情報は、参集が一方向、参与が双方向、参画が多方向となる。
図3は、林の参加理論を援用しながら、共働活動(相互作用)の諸相について活動の参加姿勢(受動的→能動的→自省的)と参加度(参集→参与→参画)、コミュニケーションの深化の過程(個人的→集団的→組織的)と方向性(一方向→双方向→多方向)、その関わりを座標平面で示したものである。共働活動(相互作用)は、一人ひとりの人間の活動と多くの人々のコミュニケーションとの2つの軸の上に、拡大→深化→高度化と螺旋状に展開される。ここから、活動の参加度やコミュニケーションの深化のレベルに対応して、市民福祉教育実践のねらいや内容、方法などが決定されることになる。(阪野貢『市民福祉教育の探究―歴史・理論・実践―』みらい、2009年10月、81~82ページ)
補遺
(1)「アレロノミー(allelonomie)」について小滝敏之は次のように述べている。
「競争」と「協力(相互扶助)」とを両立させながら「共存」していく両立的観点―「競争」の全面否定ではなく、非情な「優勝劣敗」の原理とは異なる「共存共栄」の原理に通じる途を求める視点―こそ重要というべきであろう。/「アレロノミー」とは、経済学者の難波田春夫が、ギリシャ語由来の「ヘテロノミー(heteronomy)・他律」や「アウトノミー:オートノミー(autonomy)・自律」という概念と対照的な概念用語として造り出した言葉である。(54ページ)
(2)「コンヴィヴィアリティ(conviviality)」について小滝敏之は次のように述べている。
「コンヴィヴィアリティ」という言葉は、もともとイヴァン・イリイチの創り出した造語であり、本書では「共歓共生」ないし「共に歓びをもって生きること」と意訳しているが、「自立共生」、「自律共働」、「共愉」などと訳されることもある。(63ページ)
(3)山崎亮が「対話」した「医療・福祉」分野のインタビュイーは大橋謙策である。山崎は次のように述べている。
大橋さんの言葉を借りれば、福祉事業者や研究者の間で70年代からスローガンのようにいわれていた「福祉のまちづくり」が、90年代から「福祉でまちづくり」へと変わったのである。(331ページ)/大橋さんは、2010年代は「福祉でまちづくり」から「福祉はまちづくり」といわれる時代へと移行したと話していた。(335ページ)