改めて、田村明を読む―「まちづくり3部作」について―

〇筆者(阪野)の手もとに、鈴木伸治編『今、田村明を読む―田村明著作選集―』(春風社、2016年4月)がある。本書には、田村明(1926年~2010年)の環境開発センター・横浜市役所時代(1963年~1968年、1968年~1981年)の「初期の論考」から、都市やまちづくりについての「思考の軌跡」をたどることができる8編が収録されている。
〇田村は、都市計画・都市政策の実践者・改革者であり、「(実践的)都市プランナー」「地域(政策)プランナー」「自治体プランナー」などと言われた。また、「まちづくり」という言葉を一般に広めたことでも知られる(1ページ)。鈴木によると、「田村が我が国の都市計画に遺した功績は、主に横浜市における実践と、法政大学に移って以降の『まちづくり』を世に広める活動の2つに分けられる」(27ページ)。
〇田村の著作に「まちづくり3部作」と呼ばれるものがある。(1)『まちづくりの発想』(1987年12月)、(2)『まちづくりの実践』(1999年5月)、(3)『まちづくりと景観』(2005年12月)、がそれである。いずれも岩波新書として刊行されたものであるが、そのねらいは、「まちづくり」の思想の普及啓発と全国におけるの実践の紹介にあった。鈴木が、「田村はまちづくりや自治のあり方を説いて回る伝道師のような存在でもあった」(24ページ)と評するところでもある。ただ、「3部作」は内容的には、単なる啓蒙書に留まるものではなく、学術的な専門書である。
〇本稿では、鈴木の編著をきっかけに再読した「3部作」のなかから、再認したい田村の言説の一部を紹介することにする(抜き書きと要約)。言うまでもなく、田村が思考と実践を重ねた時代背景や政治的・社会的状況は、現在では大きく変わっている。こんにち、貧困と格差が拡大し、不安感や閉塞感が漂うなかで、「地方創生」「一億総活躍」「人づくり革命」などのスローガンが声高に叫ばれている。そうした「今、田村明を読む」のは、田村の「まちづくり」の思想と実践から改めて何を学びなおし、何が「使える」かを探ることでもある。

■ 『まちづくりの発想』
まちづくりの構造
「まちづくり」とは、一定の地域に住む人々が、自分たちの生活を支え、便利に、より人間らしく生活してゆくための共同の場を如何につくるかということである。その共同の場こそが「まち」である。(52~53ページ)
共同の場(「まち」)とは、目に見える広場や美しい町並みもあるし、共同で利用できる上下水や街路などの施設もある。さらに、地域に住む人々が互いに知らない間でも守ってゆけるルールや意識も、見えない共同の場といえるだろう。(53ページ)
「つくる」とは、新しくつくるだけではなく、風土と歴史の上に立ってこれを修復したり、守ることも含まれる。「つくる」対象としては、(1)モノづくり、(2)シゴトづくり、(3)クラシづくり、(4)シクミづくり、(5)ルールづくり、(6)ヒトづくり、そして(7)コトおこし(イベントを起こす)、の7つをあげることができる。(54ページ)
「つくる」には、「見えるまちづくり」と「見えないまちづくり」の両面があり、それらが不即不離(ふそくふり。つかずはなれず)で働くのが、まちづくりである。また、「つくる」には、逆に「つくらない」こと、「つくらせない」こともふくめておきたい。無用な開発を抑制したり、自然を保全したり、歴史的な遺産を破壊しないようにするということも必要である。(87ページ)

まちづくりの基本理念
「まち」とは市民全体が共有のものとして自覚でき、共同に利用、活用できる場の総称である。「まちづくり」とはその共同の場を、市民が共同してつくりあげてゆくことである。
共同の場とは、(1)共同空間、(2)共同施設、(3)共同システム、(4)共同サービス、(5)共同イベント、(6)共同文化、などの総称である。
これらの共同の場をつくり、働かせてゆくことが「まちづくり」の目標であり、それには次のような基本理念をもってのぞむことが必要である。
(1)トータルの理念―まちは、個々ばらばらでなく、全体としてひとつである。
(2)システムの理念―まちは、複雑な要素が相互に絡みあい関係しあっている。
(3)共有環境の理念―まちは、市民の共有の空間であり環境である。
(4)市民共用・共益の理念―まちは、特定の人々のためではなく、市民全体に利用され、その共同利益のためにある。
(5)市民共存・共生の理念―まちは、多数の異なる人々が矛盾をもちつつも、互いの相違を認めあって生活する場である。
(6)市民協働・共責の理念―まちは、一人の手ではなく、市民の共同作業により、共同責任でつくられるものである。
(7)市民共感・共愛の理念―まちは、市民が共通した誇りと愛情をもてるものである。
(8)相互交流の理念―まちは、市民相互はもちろん、他の多くの人々、外国の人々を含めた交流の場である。
(9)内発性の理念―まちは、他からの強制ではなく、市民や自治体の自発的な発想と行動を主力にしてつくられるものである。(121~122ページ)

まちづくりの基本的発想
「まちづくり」は、「まちづくりの基本理念」を具体化し、次のような6つの基本的な発想に立っている。
(1)人間環境の思想
都市づくりや地域開発を、巨大な物としてではなく、まず生物としての人間の環境としてとらえ、都市や地域を人間にとってより望ましいトータルな環境(自然環境と人工環境)として創造してゆくべきだという考えである。人工環境も、巨大で機能だけを充たすものであってはならない。美しさや魅力、たのしさ、おもしろさ、安らぎといったものも必要である。(124~125、128ページ)
(2)市民自治の思想
ただ市民が集まって意見をいうとか、市民の意見を行政が吸(す)いとるというだけでは、ばらばらの矛盾した意見や思いつきの羅列に終わる。それらの市民の意見や行動がまとまった市民共通のものとなるのが、市民自治の考えである。それには、市民にせよ自治体行政にせよ、総合的なチエと行動力をもった人々と、その人々が働けるシクミが必要である。(139~140ページ)
(3)総合的主体性の思想
「まちづくり」は、自治体や公的機関、民間企業、市民などによってばらばらに行なわれてきたものを明確な目標の下に結集させ、「まち」が主体となって総合性を発揮しようという考えである。自治体がまちを全部つくることはできないし、そんなことはできるはずがない。まちは多くの主体が協働し、共同の責任でつくってゆくものである。(140、141ページ)
(4)地域個性確立の思想
各地にはそれぞれの個性があり、そこに歴史があり、多くの固有な地方文化を育ててきた。「まちづくり」は、自分の足もとの地域を見直し、そこから地域の特性を引きだし、これを広い未来的視野に立ってて伸ばし育てることである。「まち」の風土と歴史から、その地にふさわしい個性を見付けだし、また創造してゆくことである。(145、151ページ)
(5)継続的創造性の思想
「まちづくり」とは息の長い、未来に向けての作業である。「まちづくり」という考えは、単発的で短期的な物の考え方ではなく、長期にわたり、終りのないものである。だから夢がある。それは、新しい価値を将来に向かって創りだしてゆく作業である。まちづくりは、未来に向けた創造である。(152、154ページ)
(6)実践の思想
「まちづくり」は、たんなる観念やヴィジョンに終わらせるものではない。時間をかけても実践してゆくものである。「まちづくり」の思想は、あくまでも実践に方向性を与え、その力になり支えとなるものである。「まちづくり」は未来につながる今日に生き、今日の行動の中に未来を生みださなくてはならない。(158、159ページ)

まちづくりと地域経営
「まちづくり」「地域づくり」は、地域内にある土地、金、物、そして人やチエを生かし、組合わせながら、長い目で見て、暮しやすい、住みやすい場をつくることである。それは、地域資源を活用して目標を達成しようという一種の経営である。地域の土地や資源は限られているから、一時的に利用して効率がよければよいというのではない。長期性、未来性の見地からみた経営であり、短期の効率性ではなく、長期の効果性に重点をおく経営でなければならない。
長期的でトータルな地域全体の発展に目を向けなければならない。そして、地域全体を公平な目でとらえ、永続的に市民全体の代表として考えられる自治体が、地域経営の責任をもつべきであろう。自治体にとっての「まちづくり」は、ここでいう意味の地域経営である。(176、177ページ)

■ 『まちづくりの実践』
まちづくりの意味
平仮名の「まちづくり」は、従来の価値観を変える挑戦をしようというものである。「まちづくり」の用語は、次のような意味をもっている。(1)官主導から市民主導へ。(2)ハードだけでなくソフトを含めた総合的な「まち」へ。(3個性的で主体性ある「まち」へ。(4)すべての人々が安心して生活できる人間尊重の「住むに値する」まちへ。(5)マチ社会とその仕組みづくり。(6)「まちづくり」を担うヒトづくり。(7)環境的に良質なストックとなる積み上げ。(8)小さな身近な次元の「まち」に目をむける。(9)広域的に考え、世界の「まち」と繋がる。(10)理念や建前だけでなく実践的なものへ、である。「まちづくり」とは、これらの全部が関係しあっていて、その全体を含む意味である。
なお、10項目中の(5)「マチ社会とその仕組みづくり」は、異質で多様な価値観をもつ人々が、互いに個性や自由を尊重しながら、その相違を超えて結合できる新しい社会(「マチ」)と仕組みをつくるのも、「まちづくり」の重要な目的である。(7)「環境的に良質なストックとなる積み上げ」は、使い捨てのフロー(流れ。流入と流出)中心システムではなく、限られた環境資源を有効に回して、継続的に使えるよい蓄積を積みあげてゆけるシステムに変えるのが「まちづくり」である、と言う意味である。(33~37ページ)。

まちづくりの実践の意味
「まちづくりの実践」とは、行動を通じて環境を意識的に変化させることである。「まちづくり」の実践の基本には「理念」や「理想」がある。それが「現実」と食い違うときに、現実を理念に近づけるようにする行動の全体が実践である。理念とか理想をもたない場合には、どんなに大きな事業でも、既定路線上の機械的な「実行」に過ぎない。(41ページ)
また、混迷を深める時代(現代社会)において、「まちづくりの実践」は次のような意味をもつ。(1)自己中心主義からの脱皮。(2)国際性を育てる。(3)人間環境を守り育てる。(4)人生を豊かにする。(5)新しい自由な人間の結びと出会いの場をつくる。(6)未来と対話する、である。
なお、以上のうち、(1)「自己中心主義からの脱皮」は、「まちづくりの実践」は、身近な自然や人間への関わりと、その思いやりから始まる。人と自然、人とモノ、人と人との関係を見直すことである。(6)「未来と対話する」は、「まちづくりの実践」は過去から未来への時間のなかの現在として行われるものである。一人の小さな人間も、「まちづくり」を通じて、心は空間的にも時間的にも無限に広がることができるし、そのなかに自分の小さな位置を発見することもできる、と言う意味である。(200~206ページ)

■ 『まちづくりと景観』
景観の特性
景観は「まちづくり」の入り口であり、結果でもある。景観の主体は生活者である市民である。景観は市民の協働の作品である。景観は歴史的な存在であると同時に、現在の社会の状態をそのまま反映している。景観は自然を加工し、人工物を加えた総合的な姿として示される。景観はそれぞれの地域の個性である。景観はコミュニティのつながりを保つ手段にもなる。「景観」とは、「地表のあるまとまった地域をトータルに捉えた認識像」である。(33、34、85、93、105、112、119、216ページ)

景観づくりの原則
都市景観は、自覚ある市民が思いをこめて協働し、長年にわたってつくりあげていく作品である。次の留意点は、「美しい都市景観づくりのための19原則」である。(1)自然の地形を尊重し、できるだけ生かしていく。(2)特色ある自然の山・川・海・湖などを極力意識的に見せる。(3)連続した時間の証明者である歴史的遺産を尊重し、現代に生かす。(4)都市を拡散させないで、できるだけコンパクトにして、豊かな田園を保持する。(5)都市の上空は市民総有の空間としてコントロールする。(6)都市を一望で捉えられる眺望点を確保し、市民が都市の実感をもてるようにする。(7)協働作品としての都市景観に、個性ある統一性を求める。(8)統一を乱さない範囲の多様性を奨励し尊重する。(9)道路は人間のためにあることを確認し、歩行者空間を拡大する。(10)都市のシンボルをつくり、市民が一致できる共感点を育てる。(11)都市に潤いとくつろぎを増やすため、緑と花と水場を増やす。(12)「まち」に優れたアートやデザインされたストリート・ファニチュア(街具。ベンチ、標識、バス停など)を置く。(13)地域の素材をできるだけ使い、地域の色彩を見つける。(14)地域にふぐわない不良物を排除し、その侵入を防ぐ。(15)人々が楽しく安心して動き、憩う場を作り、市民の交流を深める。(16)都市を舞台にして、伝統の祭り、魅力的な新しいイベントを繰り広げる。(17)日常生活の中で、市民の愛情ある手がいつも加えられていること。(18)ヒトやモノへの人々の優しい気持ちを育てる。(19)子供のときから老人まで「まち」への関心を深める教育・学習を行う、である。
以上の原則を実現するには、地域を総合的に運営できる①「市民の政府」(自治体を変革して「市民の事務局」に変え、さらに進めて「市民の政府」にしていく必要がある。141ページ)の存在と、②市民が協働作品をつくっていく総合的なシステムとルールが必要だが、そんと言っても、③市民の「まち」への思いが大前提になる。(218~222ページ)

〇田村によると、平仮名の「まちづくり」という用語は、1970年代後半(昭和50年代)になって一般化してきた。それは、「ハード」と「ソフト」の両面を含む総合的な「市民的な用語」であるが、「まちづくり」にはもうひとつ「時間の軸」がある。時間軸は、過去が現在を通して未来を求めていくものである(『実践』ページ)。すなわち、「まちづくり」は、今日の「場」における地道な作業(実践)の積み上げを必要とするが、「夢」のある未来を実現するための行為であり、運動である。「まちづくり」には未来を夢みるロマンがある(『発想』3ページ)。
〇これからの「まちづくり」の課題は、「人が住むに値する場」(「共同の場」)を如何に創り、長期にわたって継続的に維持するかである。そのためには、「まちづくり」の主体である子どもから大人までの実践的な「市民」をはじめ、「まちづくり」の専門家や現場のリーダーを如何に育てるか(「ヒトづくり」)が問われることになる。その際の「市民」は、「自主的に自治をつくる人」「自覚と責任ある市民」を言う。
〇「まちづくりの実践」とは、ヒトが自分以外の外部のヒトやモノなどに対して働きかけて行うものであり、「人間環境」を意識的に変化させることである。すなわち、「まちづくり」は、自然やヒトやモノを相手にする「他者実現」である(『実践』205ページ)。「まちづくり」のプランナー(専門家)は、建築家のように作品を残すことを目的にしていない。皆の力が結集して動いていることと、結果としてよい「まち」が形成されるようにするのが、その仕事である(『実践』174ページ)。
〇そして、「まちの景観」は、「まちづくり」の入り口であり、結果でもある。「景観」は市民の協働作品であり、コミュニティのつながりを保つ手段にもなる。美しい景観は、「人間らしく生き生きと、誇りをもって生きてゆくためのものである」(『景観』227ページ)。
〇以上を要するに、田村の言説は、「まちづくり」のプランナーとしての豊富な経験(横浜市における行政経験)と全国各地の実践例の検証に基づいた、帰納的で未来志向型の思考によるものである。とともに、多様な地域現場の歴史的風土や文化を踏まえた、総合的な発想による、市民主導・市民主体の「まちづくり」論である。それは、地方自治(「市民の政府」)の問題として論じられる。また、「まちづくり」は「ヒトづくり」であることを含意する。改めて再認識しておきたい。
〇なお、田村は『まちづくりの実践』において、「『まちづくり』の動態的構造」の模式図(158ページ)を示している。そして、「『まちづくり』には、市民が主導し協働して行うルートが重要である」。「行政の都合による市民参加は、『みせかけ』あるいは『「宥(なだ)めすかし』という意味になりかねない」。「市民協働の動きが活性化することは、市民が市民としての自覚をもって自治体を他治体から本来の市民政府へと変えてゆく動きになろう」。「市民政府は、市民参加の到達点でもある」、と説述する(158~159ページ)。それらを参考に、「まちづくりと市民参加」の「動態的な構造」に関する管見を「模式化」して図示しておくことにする(図1)。

付記
(1) 冒頭に記した鈴木伸治編『今、田村明を読む』のなかに、「計画行政における市民参加」と題する論文(日本都市計画学会『都市計画』第72号、1972年9月、6~16ページ)が収録されている(127~150ページ)。「市民参加」については、アメリカの社会学者であるS.R.アーンスタインが1969 年に発表した8つの「市民参加の階梯」(図2)が有名である。年代的にはそれを参考にしていると思われるが、田村は、「市民参加の9段階」(図3)を提示している(138ページ)。

(2) 筆者(阪野)の手もとに、田村明著『都市プランナー 田村明の闘い―横浜〈市民の政府〉をめざして―』(学芸出版社、2006年12月)がある。
「大都市のなかで最も優れた都市デザインでしられる横浜市。今から40年前、その礎を築いた男がいた。量のみを求める建設行政、あと先を考えない開発優先、中央官庁のタテワリ支配に反旗を翻し、地域や市民の立場に立った市民の政府としての自治体、ハードもソフトも、便利さも美しさも考えるまちづくりをめざした闘いの記録」(学芸出版社)である。その男が、革新市長・飛鳥田一雄のもとで辣腕(らつわん)を発揮した田村明である。本書から、地方自治と「まちづくり」のひとつの原点を見出すことができる。
「横浜市はいつから独立国になったのかね」「憲法(宅地開発の憲法のような「宅地開発要綱」)をつくったそうじゃないか」「そんなに言うこと聞かないなら、補助金はやらないぞ」(152~154ページ)。国(建設省、現在の国土交通省)の役人の言である。それに対して、田村が国との交渉のなかでよく使ったセリフは、「そんなことを言っても市民が黙っていない」(370ページ)であったと言う。生々しい。
(3) 田村の言説のひとつに、「市民の政府」論がある。それを纏めた一冊が『「市民の政府」論―「都市の時代」の自治体学―』(生活社、2006年8月)である。国による「官治」「集権」の自治体運営とは対極の、市民自身が主体となる真の地方自治の有り様(ありよう)を論じている。
周知のとおり、2000年4月から「地方分権一括法」が施行され、国と地方の関係は「上下・主従」の関係から「対等・協力」の関係に再編された。また、北海道ニセコ町の「まちづくり基本条例」(2001年4月1日施行)を嚆矢として、2006年4月1日現在、64の市町村(全市町村1,820の3.5%)で「自治体(まち)の憲法」としての「自治基本条例」が制定・施行されている(2016年10月10日現在では、全市町村1,718の21.0%にあたる361市町村で制定・施行されている)。こうした状況下で、田村にあっては、「市民の政府」について認識する市民も自治体関係者もごく少なく、現在の自治体はまだ「市民の政府」と言えるものではない。
以下に、田村の言説の一部を紹介しておくことにする。なお、「市民政府」ではなく、「市民の政府」と「の」を強調するのは、市民自身が自治体を自分のモノと思えるようにするためである。
 
 「市民の」政府とは、一口で言えば、「政府が市民の所有物である」という意味だ。国の下請け機関や出先機関ではなく、市民が自立して自分の政府をつくり、自ら所有するということを意味する。(74ページ)

 「市民の政府」の必要条件は、まずは、市民も自治体もその自覚を持つことである。
 「市民の政府」の十分条件には、次の3つがある。
 ① 外部条件  中央統制や関与の排除、財政自主権の確立
 ② 内部条件  市民の参画、情報の公開、説明責任の遂行、政策立案の自主的能力
 ③ 市民条件  市民の信頼、共同意識、市民としての自己責任(75ページ)

 「市民の政府」は、かつての民衆を支配した「お上」の対極にある。混乱する地域と孤立化した人間を支えるには欠かせない、ヒトのココロを優先させる地域経営の装置である。真の人間性と英知による「民治」の「市民の政府」が期待される。(86ページ)