『まちづくりの哲学』という本:「キキカン」と「希望」―読後メモ―

近所に住むおじいちゃんが入院された。「にわか百姓」の私に、いつも優しくまた丁寧に、農作業を指南してくれた方である。早速お見舞いに伺ったが、一週間ほどたってご子息からお礼の連絡が入った。電話で、である。

我が家には2002年3月生まれの犬(柴犬)がいる。目が見えず、耳も聞こえず、認知症の症状が顕著にみられる。ある夜、大きな声で鳴き始めた。すぐに対応したが、近所からお叱りの連絡が入った。深夜23時30分、無言電話で、であ。

私は昨年、地元の老人クラブの役員を仰せつかった。ある役員との連絡は、時にはメールで行うことがあった。いま思えば、その時の話題は少々厄介なものばかりであった。メールは、お互いの「繋がり」を深化させない、「摩擦」を避けるためのツールとして活用されたのだろうか。

〇「まちづくり」について語るとき、「遠くの親戚より近くの他人」や「向こう三軒両隣り」の日頃の付き合いとそれによる見守り活動や支え合い活動の必要性が指摘される。また、近隣住民の日常の挨拶や立ち話から始まるが、住民相互の直接的な「対話」や対面的な「熟議」によるまちづくりの意義や重要性について述べられる。上記の話は、それらに関する、筆者(阪野)が暮らす田舎町でのひとつの現実である。
〇以前にも増して、住民の個人主義的傾向が強まるなかで、匿名性の高まりと人間関係の希薄化が進んでいる。また、無関心層やフリーライダー(対価を払わず便益を享受する人)が増えている。そういうなかで、新旧住民や世代間にさまざまな葛藤や軋轢が生じ、(地縁)共同体的紐帯の弱体化が深刻な問題になっている。「まちづくり」や「コミュニティ再生」の難しさを感じざるを得ない。
〇さて、筆者(阪野)の手もとにいま、『まちづくりの哲学』という本が2冊ある。アーク都市塾企画/戸沼幸市編著『まちづくりの哲学』彰国社、1991年12月(以下[1])と代官山ステキなまちづくり協議会企画・編集/蓑原敬・宮台真司著『まちづくりの哲学―都市計画が語らなかった「場所」と「世界」―』ミネルヴァ書房、2016年6月(以下[2])である。
〇「アーク都市塾」(現「アカデミーヒルズ」)は、1988年9月に設立された民間の成人向け教育施設である。[1]は、その「塾」で開催された「まちづくりの哲学ラボ」(アドバイザー・戸沼幸市早大教授)における議論の成果を纏めたものである。そこでは、「都市のユーザーとしての生活者の視点」から社会的事象の傾向や背景を把握・分析し、それを通して「まちづくり」について多角的かつ平易に論じている。その際の基本的な考え方のひとつは、「まちづくりは生活の作法づくり」(15~20ページ)である。以下では、「キキカンと生活者によるまちづくり」に関する言説をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「キキカン」からのまちづくり
「まちづくり」への強いきっかけづくりには、大ざっぱにみて「喜楽美」と「哀怒醜」のようなポジィティブとネガティブの感性の両面のベクトルが有効に思える。
この二つの感性ベクトルを一つにまとめた表現が、「キキカン」(嬉々感と危機感の同時表現)という概念である。
単純に「胸の躍るように楽しいこと、美しいこと」(嬉々感)なら、誰でも強く魅(ひ)かれるし、逆に「不当に醜いこと、怒りや不安をおぼえること」(危機感)なら早急に対策を練ろうとするのは、当然である。であれば、この「嬉々感と危機感」を生活環境の中から発見する活動が、「まちづくり」の第一歩であると言える。すなわちこうした一人一人の素朴な思い・感性・執着心の振向けの作法が、今後の都市環境の行方を握っている鍵とも考えられる。(216~217ページ)

生活者による現代版「まちづくり」
生活者による現代的(版)「まちづくり」とは、居住者の立場から一歩踏み出し、もっと幅広い生活範囲の環境に視野を広げたときに発見する様々なキキカン(嬉々感と危機感)をテコに、理性的なプロセスに基づく共同作業を経て、因果関係を明らかにし、建設的に問題解決を図る環境創造活動である。(231ページ)

〇「代官山ステキなまちづくり協議会」は、2006年5月に設置認定された、東京の渋谷区まちづくり条例に基づく「まちづくり協議会」のひとつである。[2]は、その協議会が2011年に開催したセミナー「まちづくりの哲学」の一環として企画・実施された対談を纏めたものである。対談者は、都市計画界の重鎮である蓑原敬(みのはら けい)と、稀代の社会学者と評される宮台真司(みやだい しんじ)である。
〇その対談は、「よいまちとは何か」「どうすればよいまちは作れるのか」「なぜよいまちを求めるのか」(ⅰページ)という三つの素朴な疑問や、「未来への渇望が“希望”と呼べるのなら、まちづくりとは“まち”に“希望”を刻印する営み」(ⅵページ)であるという理念(根本的な考え方)などをベースに展開される。そして、「まちづくり」をめぐる豊富で高尚な知識や見識に基づく対談を通して、人間の幸福や生きる意味を考える。とりわけ、宮台の読書体験(膨大な知識の量と質)には圧倒される。また、個人的体験の開陳や社会風俗や事件に対する鋭い分析も興味深い。以下では、「我田引水」的な「つまみ食い」と評されることを承知のうえで、論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「微熱感」と「生き物としての場所」
街とは、建物や街路などの空間的配置だけでなく、そこを行き交う人々の内面をも含んだ、生き物のようなもの(「生き物としての場所」)である。1990年代初めの渋谷には、街全体に「微熱感」があった。分かりやすい言葉で言えば、「この街にいれば、何かができる」という感覚(「魅力」)である。当時の渋谷は、女子高校生を中心とする若者たちにとって、普段緊張を強いられ“演技”をしている家や学校や地元とは違う、「素」の自分に戻れる「解放区」「居場所」であった。(宮台:15、17ページ)
 
まちづくりと「機能的に空白の場所」
まちが計画的に作られていくと、すべての場所に目的が割り振られてしまい、その目的に従って生活することが命じられ、まちに拘束されているという感じがする。(代官山ステキなまちづくり協議会 野口浩平:ⅲ、24ページ)
1990年代半ばに「屋上論」を展開した。なぜ学校の屋上には不良や今で言うひきこもりが滞留していたのか。「機能的に空白の場所」だからである。廊下は「歩く場所」。校庭は「運動する場所」。教室は「学ぶ場所」。でも屋上にはそうした機能が割り振られていない。だから「何かをする人」でいる必要がなくなって、解放されるのである。
機能を割り振られた場所を、機能的に空白の場所へと差し戻す「屋上化」は、<我有化>(固有化、自己化、自分のものとすること)の一種である。(宮台:24~25ページ)

IT化と「感情の劣化」
インターネット元年である1995年から2010年頃までは、ネットの良さは「誰にでも開かれていること」「誰とでも繋がれること」だとされた。そのお蔭で、「新しい政治参加」「新しいコミュニティ形成」に役立つのだと喧伝された。昨今は一転。ネットが「誰にでも開かれている」からこそ政治もコミュニティも<感情の劣化>に見舞われがちになった。また、ネットが「同じ穴の狢(ムジナ)」(同類の悪党)だけが集う<劣化空間>を提供したり、(ゲートを設けて出入りを制限する)<見えないゲーテッドコミュニティ化>つまり<見えない化>が進むようになった。ネットは、「見たいものだけ見て、見たくないものは見ない」という、さもしく浅ましき営みに帰結しがちである(宮台:51、54、57ページ)
「感情の劣化」とは、真理の獲得よりも、感情の発露が優先される態勢である。それは、「感情を制御できずに<表現>よりも<表出>に固着した状態」とも言える。ちなみに、<表現>の成否は相手を意図通りに動かせたか否かで決まり、<表出>の成否は気分がスッキリしたか否かで決まる。(宮台:58ページ)

コミュニティ再生とファシリテーター
対人ネットワークが空洞化してしまった現在、コミュニティ再生のための処方箋は、エリート論でもソーシャル・キャピタル論でもなく、「熟議論」である。ただしそれは、皆で話し合えばいいという議論ではなく、熟議論の半分はファシリテーター論である。ファシリテーターが従来のエリートと決定的に違うのは、人々が「自分たちで決めた」という感覚を失わない範囲で座まわしをすることである。(宮台:130~131ページ)
ファシリテーターは「依らしむべし、知らしむべからず」(「為政者は人民を施政に従わせることはできるが、その理由を理解させることは難しい」)の対極である。ファシリテーターには、知識や教養もさりながら、場の感情的配置やダイナミクスへの敏感さが必要である。なぜなら、これが正しいという内容的介入ではなく、「声のデカイ極端者」が場の空気を支配できないように、不完全情報を可能な限り完全化したり、発言機会をコントロールしたりする役目を果たす存在だからである。(宮台:131ページ)

「感情の教育」と「ななめの関係」
コミュニティ再生には、優秀な座回し役・呼び掛け役・巻き込み役を果たすことができるファシリテーターを養成することが必要である。そのためには、<感情の教育>が必須となる。しかしそれを国民全体のものとして構想すると、全体主義に陥ることになる。また、現在の教育人材を前提にすると、公的に制度化することは不可能である。そこで、顔が見えるコミュニティで、人格的信頼を基盤にした子どもの<感情の教育>に乗り出すしかない。(宮台:135ページ)
しかも、「何がいい人生なのか」「何がいい社会なのか」という価値への言及(価値教育)が不可欠となる。その価値を埋め込むのは、教育したがる大人を一部に含んだ子どもの「成育環境の全体」である。そのなかで例えば、親子という「縦の関係」よりは、井戸端や縁側の話とも関係するが、親戚や近所の大人との「ななめの関係」で「価値の伝承」を図ることが大切になる。(宮台:136、138~139ページ)

〇宮台がいう「感情の教育」は、道徳教育やそれを基盤とした「心の教育」などにかかわることから、慎重に取り組むことが求められる。それは、個人の主体性や自律性を軽視あるいは無視したり、現在の政治・経済・社会の状況や情勢を無批判的・肯定的に捉え、個人の社会への順応や適応を重視するもの(偏狭な「社会化」)であってはならない。「感情の教育」に求められるのは、「コミュニティの再生や創造」に向けた批判性や創造性、革新性である。
〇地域貢献活動と学習活動を通して市民性を育むサービス・ラーニング、学校・保護者・地域住民が連携・協働して進めるコミュニティ・スクール、地域課題の発見・解決に向けた能動的学修のアクティブ・ラーニング、そして「我が事・丸ごと」の「地域共生社会」の実現。いままさに、「体験学習」と「共生社会」の時代であり、「地域ファースト」と「一億総活躍社会」(皆が包摂され活躍できる全員参加型社会)の時代である。しかしそれは、政府・行政主導の、学校や地域に対する「強制」や「動員」あるいは「下請け」や「丸投げ」であってはならない。「まちづくりの哲学」の構築が求められるところである。外発的で他律的・依存的な、しかも哲学のない「まちづくり」は地域を亡ぼす。それは、「市民福祉教育」においても然りである。
〇なお、筆者は、「まちづくり」と言うと山崎亮と田村明を思い起こす。山崎は、全国各地で、「自立的共同体」づくりを支援する「コミュニティデザイナー」として活躍している。田村は、総合性や文化性のある都市計画づくりをめざして、平仮名の「まちづくり」を提唱した「都市プランナー」であった。[2]で、宮台は山崎について、蓑原は田村についてそれぞれ言及している。留意しておきたい(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

山崎亮と「コミュニティデザイン」
行政が山崎亮を呼ぶ目的は明白である。一口で言えば、地域住民にとって自治体行政が持つ意味を一変させること。「金を持ってこい」「予算を組んで何とかしろ」と政治家や行政に要求するかわりに、「邪魔しないでくれ」「自分たちの自立的活動をサポートする枠組みやインフラを整えろ」と要求するように、変える。とはいえ、霞が関エリートや自治体エリートには、山崎亮的なコミュニケーションをする能力も機会もない。
行政が「個人を」サポートして共同体を空洞化させるのでなく、行政が「(個人を包摂する)共同体を」サポートする。「弱者への再配分」から「(参加と包摂に向けた)動機づけへの再配分」へのシフトである。行政の山崎亮支援はこれである。(宮台:144ページ)

田村明と「まちづくり」
総合的な都市計画ではなく、法定外の協議型・参加型の都市計画が平仮名のまちづくりの代名詞になってしまっている。
平仮名のまちづくりが独立してしまうと、漢字の都市計画とは切れてしまい、補助金も使えないし、使えても微々たるものしか出してもらえない。国の縦割り組織との対立や国法の解釈をめぐる厳しい領域には立ち入らない、弥縫的なことになる。与えられた枠のなかで、自分たちが活動できる領域のみで行動して、それで「やれた。やれた。成果だ。成果だ」と言う。平仮名の共同体のスケールのまちづくりと、漢字の権力的なガバナンスが避けられない都市計画をトータルに考えるべきである。(蓑原:198~199ページ)

付記
この<世界>は、低迷し、奥深い混沌が支配している。そこから脱出し、幸せを追求する一つの道筋として、広い意味での「まちづくり」がある。その道筋は、「都市計画」や狭い「まちづくり」の障壁を超えて、自然生態系と折り合いながら、人のつながりを再構築しながら、身の回りの生活環境を立て直す行動に僕らを誘っている。(蓑原:363~364ページ、抜き書き)