現在社会福祉の社会科学は混迷のうちにその理論的責任を放棄しがちである。それに代わって社会福祉の「価値」は一人歩きをし、ある種の無政府状態にある。「福祉の心」等が氾濫し、ソフトな精神が説かれている。戦争前夜や世紀末に、そのような精神は「慰籍」(いしゃ:なぐさめいたわること)にこそなれ、反福祉の対抗力になり得なかったことを、15年戦争で経験したことである。(吉田久一『日本の社会福祉思想』勁草書房、1994年10月、まえがき、ⅲページ)
行政は「思想」や「理論」ではなく、「思想」や「理論」に対して、行政は「禁欲」的でなければならない。社会福祉にあっては、むしろ行政と「思想」は「教育」も含めて、緊張関係が望ましい。(吉田久一『同上書』214ページ)
〇暮れから正月にかけて筆者(阪野)が読んだ本に、三谷尚澄著『哲学しててもいいですか? ―文系学部不要論へのささやかな反論―』(ナカニシヤ出版、2017年3月。以下[1])と広井良典編著『福祉の哲学とは何か―ポスト成長時代の幸福・価値・社会構想―』(ミネルヴァ書房、2017年3月。以下[2])がある。
〇文部科学省によって、「大学改革」という名のもとで、教員養成系・人文社会科学系「学問」の「不要論」がうたわれている。また、「学問」ではなく、「実践力」の養成に特化した職業訓練機関(「専門職大学」)や資格取得機関への転換が図られている。それは、「社会」的要請によるものであるというが、その際の「社会」は(政治に大きな影響力を持つ)「財界」のことを意味する。
〇[1]で三谷はいう。「頼るもののない時代のただなかに、拠って立つべき足場をもたないままに放り出された人間は、どうやって日々をしのいでいけばよいのだろう。(中略)そんなときだからこそ、それほど立派でも力強くもない人間にも届くことのできる倫理の言葉を探しておく必要があるのではないか。そして、その点において、(中略)哲学と呼ばれてきた知的営みがきわめて大きな知的貢献を行なうことができるのではないか」(81~82ページ)。「論理的・批判的に思考する」能力と「箱の外に出て思考する」能力(「異質なもの」や「自分とは違った考え方や意見」に対する「感受性」や「耐性」。さまざまな状況に柔軟に対応するために必要とされる「器量」)の育成(120、151ページ)、「市民的器量(civic virtue)」「哲学の器量を備えた市民」の育成(105、195ページ)などを目的とする教育がこの国の大学から姿を消すことがあってはならない、と。
〇政治と社会の右傾化、福祉の私事化と教育の国家統制が進んでいる。こうした現在の社会情勢のなかで、「いつか来た道」論が唱導される。しかし、その「危機」は、「時代の繰り返し」であり、歴史の繰り返しではない(吉田久一『日本社会事業思想小史―社会事業の成立と挫折―』勁草書房、2015年10月、はしがき、ⅴページ)。新しい歴史をつくるのは、草の根の民主主義であり、歴史的で社会的な内容を失うことのない「市民」による組織的・体系的な活動や運動である。
〇[2]の広井にあっては、「ポスト成長時代」の日本社会は、(a)政府の借金の際限なき累積と将来世代へのツケ回し、(b)人々の「社会的孤立」の高さ(「無言社会」)、の“危機”状況にある。と同時に、「新たなつながり」やネットワーク化を志向する動き(「関係性の進化」「関係性の組み換え」)がみられる。このような状況においてこそ、「人々の行動や判断の導きの糸となるような、新たな価値原理や社会構想が求められている」。いま、「福祉の哲学とは何か」が問われるところである(まえがき、ⅱ~ⅲページ)。なお、[2]では、「福祉」を積極的ないしポジティブな営みとして捉え、「幸福」や「公共性」「宗教」「コミュニティ」「生命」などとの関わりについて多面的・多角的な思考を展開している。それは、これまでの「福祉思想」や「福祉思想研究」とは異なる「新たな視点」からのアプローチであり、「独自の考察と構想」を提起するものでもある。付記しておく。
〇もはや旧聞に属するが、「福祉の思想や哲学」といえば筆者は先ず、「この子らを世の光に」「発達保障」の糸賀一雄と、「ボランティアの互酬性」「コミュニティ重視志向の地域福祉」の阿部志郎を思う。糸賀は、「福祉の実現は、その根底に、福祉の思想をもっている。実現の過程でその思想は常に吟味(ぎんみ)される。(中略)福祉の思想は行動的な実践のなかで、常に吟味され、育つのである」(糸賀一雄『福祉の思想』日本放送出版協会、1968年2月、64ページ)という。阿部は、「福祉の哲学は、机上の理屈や観念ではなく、ニードに直面する人の苦しみを共有し、悩みを分ちあいながら、その人びとのもつ「呻き」(うめき)への応答として深い思索を生みだす努力であるところに特徴がある」(阿部志郎『福祉の哲学』誠信書房、1997年4月、9ページ)と主張する。二人はともに「実践的思想家」であり、それは、先駆的な現場実践(キリスト教福祉実践)を通して形成された幅の広い、奥行きの深い「福祉の思想」であり「福祉の哲学」である。なお、周知のように、「世の光」とは新約聖書(「マタイによる福音書」)の「山上の垂訓(説教)」のひとつである(「あなたがたは世の光である」)。「互酬」とは「贈与と返礼」の社会的相互行為を意味する。
〇本稿では、[1]と[2]を読んだことをきっかけに、糸賀の「この子らを世の光に」という言葉と阿部の「互酬と地域福祉」についての言説を改めて、『福祉の思想』と『福祉の哲学』から確認することにする(抜き書きと要約)。三谷の[1]のタイトルをもじって言えば、「引き続き『福祉教育』してもいいですか?」、そのための「再確認」である。その意図は、旧聞を尋繹(じんえき)して新しきを知る(創る)、にある。
糸賀一雄:「この子らを世の光に」
(精神薄弱児の教育は)彼らについて何を知っているか、彼らにたいして、また、彼らのために何をしてやったかということが問われるのでなく、彼らとともにどういう生きかたをしたかが問われてくるような世界である。(51ページ)
この子らはどんなに重い障害をもっていても、だれととりかえることもできない個性的な自己実現をしているものなのである。人間とうまれて、その人なりの人間となっていくのである。その自己実現こそが創造であり、生産である。私たちのねがいは、重症な障害をもったこの子たちも、立派な生産者であるということを、認めあえる社会をつくろうということである。「この子らに世の光を」あててやろうというあわれみの政策を求めているのではなく、この子らが自ら輝く素材そのものであるから、いよいよみがきをかけて輝かそうというのである。「この子らを世の光に」である。この子らが、うまれながらにしてもっている人格発達の権利を徹底的に保障せねばならぬということなのである。障害をもった子どもたちは、その障害と戦い、障害を克服していく努力のなかに、その人格がゆたかに伸びていく。3才の精神発達でとまっているように見えるひとも、その3才という発達段階の中味が無限に豊かに充実していく生きかたがあると思う。生涯かかっても、その3才を充実させていく値打ちがじゅうぶんにあると思う。(177ページ)
この子たちは、自己実現という生産活動ばかりではなく、もうひとつ別な新しい生産活動をしている。心身障害をもつすべてのひとたちの生産的生活がそこにあるというそのことによって、社会が開眼され、思想の変革までが生産されようとしているということである。ひとがひとを理解するということの深い意味を探究し、その価値にめざめ、理解を中核とした社会形成の理念をめざすならば、それはどんなにありがたいことであろうか。(178ページ)
阿部志郎:「互酬」と地域福祉
哲学という言葉は、「知恵の探求」という意味である。哲学は、答えそのものによってよりも、むしろ問いによって性格づけられる。哲学は学問の一分野であるが、「学問」が「問いを学ぶ」「問われて学ぶ」という字で構成されているのは興味深い。(9ページ)
福祉の哲学とは、福祉とはなにか、福祉はなにを目的とするか、さらに人間の生きる意味はなにか、その生の営みにとって福祉の果たすべき役割はなにかを、根源的かつ総体的に理解することであるが、それには、福祉が投げかける問いを学び、考えることである。それはニードの発する問いかけに耳を傾けることからはじまる。(9ページ)
互酬は、親族・地域共同体を維持するための不可欠な行為で、今でもアジアの共同体は互酬で成り立っている。戦後の日本社会では、共同体は封建遺制として否定され崩壊の途をたどったのに、目標とするコミュニティは未だつくられていない。でも、互酬は生き続ける。香典、香典返し、結婚祝い金、引き出物、中元、歳暮の風習は、ヨーロッパ社会ではまったくみられない。しかし、共同体を維持する機能としての互酬は失われ、かつアジアの互酬を支える宗教性も日本社会にはないのが実態だ。(92ページ)
互酬制と近代型福祉、さらに伝統的ボランティアと有償型サービスとのあいだに深いギャップがあり、ときおり、雑音が聞こえぬわけでもない。アジアの共同体のなかにたくましく息づいている互酬制―分かち合いの相互扶助―に今ひとたび目を向け、そして日本の地域社会の現実を見直したうえで、自立と連帯の福祉社会を創出する発想に切り換えるのが望ましいのではないか。時代とともにニードが変わるから対応が多様化するのは当然である。その態様はどうであれ、住民が福祉を学習し、理解し、実践に参加するまちづくりを推進する必要を痛感せずにはいられない。(126~127ページ)
〇「福祉の思想や哲学」の探究は、実証的・実践的なものでなければならない。それによってその思想や哲学は広め、深められ、また新たな思想や哲学の形成が図られることになる。ここでは、筆者の姿勢が評論家的なそれであることを承知のうえで、糸賀の「この子らを世の光に」に対して伊藤隆二の「この子らは世の光なり」(『この子らは世の光なり』樹心社、1988年9月)、阿部の「ボランティアの互酬性」に対して仁平典宏の「贈与のパラドックス」(『「ボランティア」の誕生と終焉―<贈与のパラドックス>の知識社会学―』名古屋大学出版会、2011年2月)についての言説をメモっておくことにする(抜き書きと要約)。
伊藤隆二:「この子らは世の光なり」
糸賀一雄氏は戦後、最初の公立福祉施設「近江学園」をつくり、この子らの教育福祉に邁進(まいしん)し、ついに「この子らに世の光を」を「この子らを世の光に」に転回させたのである。「この子らを」というとき、われ(または、われわれ)は主体で、「この子ら」は客体になる。主体が客体に働きかけ(あるいは操作し)、「世の光に」まで高めてやるのだという発想には、ある種の傲慢(ごうまん)さがあるし、「この子ら」の本質への誤解がある。また、「この子らを世の光に」というとき、まだこの子らが「世の光」であることを認めていない。そこで教育し、きたえ、みがきをかけて、やっと世の光になりうるのだという見方である。わたくしは、この子らと長く深くかかわっているが、この子らは生まれながらにして「世の光」だと知った。正確にいうと、生まれたときから死ぬときまで、いや死んでもなお世の光でありつづける。「この子らは(そのままで)世の光である」。「この子ら」は主体であって、世を照らしつづけているのである。(223~224ページ)
仁平典宏:「贈与のパラドックス」
阿部志郎も「互酬性」を基盤に据えたボランティア論の担い手の一人である。阿部は1973年の時点では、ボランティアの報酬性を明確に否定していたが、1994年には態度を180度と言ってもいいほど「軟化」させている。彼はまず、共同体や地域社会において不可欠な行為として「互酬性」を取り上げ、「香典―香典返し、結婚祝い金―引き出物、中元、歳暮の風習」を例示する反面、その基盤は失われてきているという。その一方で、新たに登場してきた「相互に有料で利用し、有償でサービスを提供する」「市民参加型福祉サービス」に、「互酬の近代化・組織化」を見る。彼によると、これらは「(1)会員の自主性にもとづく、(2)友愛・協同の思想にたつ、(3)有償とはいえ実費弁償的性質のもので収益を目的としない、(4)グループとして、ボランタリー・アソシエーションの性格を保つ」ことから「広義のボランティアの原則からはずれていない」と述べる。このように、ここで「互酬性」という思想財を獲得することによって、「ボランティア」という言葉は高い汎用可能性を配備することが可能になった。担い手にとって効用があると言えるなら、経験・楽しさ・友達づくり・評価・金銭的対価などを、区別なく堂々と「ボランティア」として肯定できる。<贈与のパラドックス>は、このような形で「解決」されるべきこととなった。(381~382ページ)
〇仁平の「贈与のパラドックス」(paradox:「逆説」「矛盾」)とは、贈与は行為者の真の意図とは別に、交換や見返り、偽善や自己満足などとして外部観察されがちである、という意味であろう。平易に言えば、「贈与の偽善性」「贈与の疑わしさ・怪しさ」である。ボランティアについての言説の歴史は、こうした「贈与のパラドックス」を如何に解決するかの歴史であった、と言ってよい。
〇いま改めて「福祉の哲学」の必要性を強調する一人に、大橋謙策がいる(注①)。大橋は、「住民と行政との関係を上下の関係で捉えるのではなく、住民の自立と連帯を前提にし、対等の立場で問題解決を図る新たな社会哲学、社会システムが求められ、社会福祉のような歴史的に国の『社会の制度』として発展してきたものも従来にない発想が求められている」(大橋謙策『社会福祉入門』放送大学教育振興会、2008年3月、30ページ)として、次の3つの「思想」を取りあげる。併せて、大橋の言説の一部を「再認識」しておくことにする(抜き書きと要約)。
大橋謙策:「博愛」の精神
第1は、フランスの近代市民革命の際にうたわれた「博愛」の思想である(自由と平等を担保する「博愛」)。
第2は、ノーマライゼーションやソーシャルインクルージョンといった思想である(「社会的包摂」)。
第3は、自分たちで相互扶助組織をつくり、対応しようとする考え方である(「協同組合方式」)。(『社会福祉入門』28~30ページ)
内務省官僚・井上友一は、救済事業の精神的関係を強調して風化行政を提唱する。すなわち、救済行政は「風気善導の事、之が神髄」となり、物質的救済=経恤的行政は二の次となる。明治38(1905)年、井上らの提唱により組織された報徳会(二宮尊徳)の「教」の1つに「推譲」(すいじょう)論がある(注②)。その「貯蓄といふことと、公益、慈善といふことをば二宮翁の教では合せて推譲といふ一つの言葉で現はして居ります」とする考えと同じである。風化的救済制度は、社会事業分野だけではなく、報徳会などと結びつきながら、社会教化の役割を担っており、戦前社会教育の理論的支柱でもあった。その後の社会事業の精神性、物質性あるいは社会事業と社会教育における相違分類などに多大な影響を与えた。(大橋謙策『地域福祉の展開と福祉教育』全社協、1986年9月、216~217ページ)
ソーシャルワークを展開する際の価値の1つは、人間性を尊重し、社会正義と公正を守ることであり、人々の自由と平等を保障することであるが、それらを標榜すればするほど、人々が社会的にも、個人的にも“博愛”という社会の神聖な責務を遂行することが求められる。(そのためには)伝統的な意識と行動を尊重しつつも、新たな社会システムに必要な価値、意識として“博愛”の精神の涵養とそれを推進する福祉教育が求められる。(『社会福祉入門』227ページ)
〇大橋はライフワークとして、全国各地で草の根の地域福祉実践の向上に取り組んでいる(「実践的研究」)が、最近の政策動向に関して、「地域福祉が“我が事”になり、その危険性を警鐘すべきである。戦前の歴史を忘れた政策は恐ろしい」という(筆者への書簡)。ここで、社会福祉の「精神性」や福祉思想による「社会教化」について思い起こしておきたい。
〇「博愛」に関しては、とりあえず次の諸点に留意したい。(1)フランス革命は、新興の「ブルジョワジー」(有産階級、中産階級)による革命である。(2)その理念は、「自由、平等、友愛」であり、「自由、平等、博愛」ではない。(3)「自由」は、多様性を保障するが、不平等を生むことにもなる。(4)「平等」は、突き詰めれば全体主義や不自由を生む。(5)「友愛」とは、他者を自分の本当の兄弟のように愛すること(社会秩序)を意味する。(6)「博愛」には、「慈善」と同様に、階級差別的な意味合いがある、などである(注③)。
〇最後に、冒頭に記した福祉思想史研究の第一人者であった吉田久一の次の一節を引いておく。
(私の)半世紀にわたる現場および研究を通じての社会福祉生活の反省と展望は、社会福祉はいつの日も社会科学に信頼を持つこと、社会福祉問題を背負いながら懸命に生きようとしている人間を見失わないこと、の二点に尽きるように思う。(吉田久一『日本社会福祉思想史』(吉田久一著作集1)川島書店、1989年9月、17ページ)
注
①「福祉を哲学する」一人に秋山智久がいる。秋山は、「福祉哲学の必要性」を次の8点に要約している。(1)平和・人権・安全の希求、(2)人間尊重の確認、(3)社会福祉の進む方向の示唆、(4)社会福祉的人間観の確立、(5)「倫理綱領」の検討、(6)実践の価値観の探求、(7)社会福祉利用者の人間としての不幸、人生の不条理の解明、(8)実践の拠り所としての価値観・人生観の提供。これらの必要性は、秋山にあっては、将来より広義の「福祉哲学」が体系化されるときに、その主要な「構成要素」ともなるものである(秋山智久・平塚良子・横山穫『人間福祉の哲学』ミネルヴァ書房、2004年6月、45~47ページ)。
②1906(明治39)年に、半官半民の「報徳会」が結成され、報徳運動が展開された。この運動では、二宮尊徳の報徳思想――「至誠(誠を尽くす)・勤労(よく働く)・分度(身をわきまえる)・推譲(世の中のために尽くす)」に基づいた、主として地主層に対する善導が行われた(阪野貢『市民福祉教育をめぐる断章―過去との対話―』大学図書出版、2011年1月、15ページ)。
③フランス革命の理念は「自由、平等、友愛」である。「自由」は放置すればアナーキズム(無政府主義)に行き着く。「平等」は突き詰めたら全体主義や共産主義になる。「友愛」は友を愛するであり、他の宗教や民族は除外される。「博愛」とは違う(中川淳一郎・適菜収『博愛のすすめ』講談社、2017年6月、35、98ページ)。
付記
2000年9月、首相(森喜朗)の私的諮問機関である「教育改革国民会議」が、その『中間報告―教育を変える17の提案―』で「奉仕活動の義務化」を提案した。その後、例えば、武力攻撃事態等の有事の際の「ボランティア活動」(国民保護法、2004年9月施行)、介護保険制度下における「介護支援ボランティア(有償ボランティア)」(介護保険法、2007年9月運用開始)、軽犯罪者に対する「社会奉仕命令」(法務省法制審議会、2010年2月答申)、更生保護対象者に対する「社会貢献活動(立ち直りを助ける社会のチカラ)」(更生保護法、2015年6月本格実施)などが提言・施策化されている。国によるボランティア政策の動向として、強い「危機」意識をもって、改めて注目しておきたい。
補遺(2018年2月16日)
「大橋謙策:『博愛』の精神」に関して、大橋の「最終講義」からその一節を紹介しておくことにする(大橋謙策「最終講義『社会事業』の復権とコミュニティソーシャルワーク」『日本社会事業大学研究紀要』第57集、2011年2月、26~28ページ。『大橋謙策学長最終講義』日本社会事業大学、2010年3月)。
以下の文中の「ミレーの『落穂拾い』」については、『旧約聖書』の次の聖句を思い出しておきたい。「あなたがたの地の穀物を刈り入れるときは、その刈入れにあたって、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。またあなたの穀物の落ち穂を拾ってはならない。貧しい者と寄留者のために、それを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である」(「レビ記」23章22節)。「あなたが畑で穀物を刈る時、もしその一束を畑におき忘れたならば、それを取りに引き返してはならない。それは寄留の他国人と孤児と寡婦に取らせなければならない。そうすればあなたの神、主はすべてあなたがする事において、あなたを祝福されるであろう」(「申命記」24章19節)。
大きな「2番目」の柱(Ⅱ 戦後社会福祉の展開における制度設計思想上の誤謬・思考の箍)で言いたい戦後の社会福祉を問い直す次のポイントは、自由と平等は教えたけれども、博愛を教えてこなかったということです。われわれは、社会福祉教育において労働経済学的な視点から救貧を捉えて、1601 年以降の救貧制度をずっと教えてきます。しかし、それだけで社会福祉を本当に捉えきれるかという問題があると私は思っています。
フランスは、実は、封建的な身分差別に抵抗して、自由と平等をすべての人に保障しようという思想で市民革命を成し遂げるわけです。そのときに出てくるのは、実は、博愛です。この世に生きとし生けるものの中には、すべて幸福を追求する権利がある。日本国憲法の「憲法13条」で幸福追求権をうたい、「何人もそれを侵してはならない」とうたいました。フランスと同じように、「この世に生きとし生けるものすべての自由と平等を保障する」とうたったわけです。
しかしながら、その崇高な理念はそうだとしても、この世に生きとし生けるものの中には、生まれながらにして労働をする力を持てない者、あるいは生まれながらにしてコミュニケーション手段を十分に持てない者、あるいは生まれながらにして判断する力を十分に持てない者が当然いるわけで、その方々の幸福追求権は誰が代弁するのか、代替するのか。そのアドボカシー機能は何なのかという問題です。
労働経済学の立場から考えると二元論に考えるしかないですし、全ての人の生きる権利、幸福追求権は労働経済学では説明がつかないと考えていました。
アドボカシー機能が社会システムとしてきちんと担保されなければ、自由と平等の思想は生きてこないわけです。ある一定の線以上の人を線引きして、〝ある一定の線以上の人には幸福追求権はあるけど、それ以下の人はだめよ〟と言ったのでは、迫力を欠いてしまうわけです。その自由・平等を求める論理の帰結として、博愛が求められたと私は思っています。
フランス人権宣言あるいは憲法の中で、この博愛という語句・思想は出たり入ったりするほど社会的な位置づけは難しいものです。この博愛という哲学、思想を社会システムにどう落とし込んでいくのか、具現化させるのか。これは大変難しかったと思います。しかし、思想としては自由と平等を標榜する以上、博愛はなければいけなかったと思っています。
フランスの救済事業の歴史研究をずっとやっている方の中に、花園大学の林信明先生あるいは東大の経済学部の中西洋先生がいらっしゃいます。中西洋先生は、『<自由・平等>と≪友愛≫~“市民社会”;その超克の試みと挫折~』(ミネルヴァ書房)という本を書いています。林信明先生は、『フランス社会事業史研究』(ミネルヴァ書房)を書いていますが、いずれの本にしても、「この博愛をどう位置付けるか、大変難しい」と思っているようです。
しかし、私は、この博愛という思想・理念をきちんと受け止めていかないと、こんにち、何となく「ノーマライゼーション」とか、「ソーシャルインクルージョン」という言葉を使っていますが、その原理は何なのか、哲学は何なのかが見えてこないと思っています。
私は、クリスチャンではありませんから、原罪から説き起こすわけにはいきません。仏教徒でもありませんから、慈悲から説き起こすわけにもいきません。もう少し違う視点で考えたときに、フランスの社会を成り立たせる社会哲学として、博愛を位置付けたことの持つ意味を考えてみる必要があると私は思っています。
私は、学部時代、朝日訴訟にかかわってきて、「憲法25 条」の持つ意味はいろいろな意味で重要だということは、嫌というほど学ばせてもらいました。当時、「ジュリスト」、「判例時報」、「法律時報」を使いながら、「憲法25 条」をはじめとした生存権なり社会権の持つ意味は随分学んだつもりでいます。
しかし、ずっと腑に落ちなくて、朝日茂さんの最高裁の判決が出たあとの会合で、私は、〝どうも『25 条』だけでいいんだろうか〟という問題提起をしました。大変若いときにその話をして、当時の社大の先生から随分こっぴどく怒られたのを記憶しています。
しかし、私は、「『25 条』と同時に『13 条』も大事だ」と言ったときに、当時の朝日訴訟の中央対策委員会の事務局長をしていた長宏先生が、〝大橋くん、それは大事なことかもしれない。『13 条』というものにもっと着目しろ〟と応援をもらって、それ以来、私は、めげずに、〝『25 条』からだけ説き起こす社会福祉論はいかがなものであろうか。『25 条』の重要性もさることながら、『13 条』論はいったい何なのか〟と。それが行き着くところは、いわば、フランスの博愛であり、あるいは私がその頃使った「自己実現サービス」という言葉です。
なぜ社会福祉の自立論は狭いのだろう。もっと人間が生きとし生けるものとして、障害を持った人もこの世に生れた以上、自己実現したいという願いを持っているはずではないか。われわれは、1834 年のイギリスのニュー・プアロー(新救貧法)における劣等処遇原則を教えるけれども、日本の中でこの「自己実現」という問題についてどれだけ社会福祉の関係者が論議をしたのかが、どうもそのときからの一貫して悩みでした。
今も悩んでいるわけです。それは、中西洋先生とか、林信明先生のようなフランスの研究の泰斗でさえも十分わからないものを私がわかるとは思えませんけれども、その博愛の持つ意味を考えたいということです。
先ほど、学部時代に習ったコンドルセの名前を出しました。よくわかりませんでしたけれども、コンドルセの(『公教育の原理』(明治図書 松島釣訳))という本を、当時、小川利夫ゼミで読みました。なぜ、「子どもの教育以上に大人の教育を公の金でやるべきだ」と、大人の教育の重要性をコンドルセは指摘したのか。
行き着くところは、結局、博愛という崇高な理念を具現化できるには、〝人間はどうしてもエゴイスティックです。どうしてもわが田に水を引きがちですから〟、そこで〝理性を、社会契約の重要性を大人こそが学ぶべきだ〟とコンドルセはしきりに言うわけです。
私は、やはり生涯学習の原点は、大人たちが社会契約をできる力をもつということだと思います。幸福追求権を認める。その際に、障害を持っている人たちを排除しない。その人たちの権利を代弁し、包み込んでいく。あのジャン=フランソワ・ミレーの「落ち穂拾い」のすばらしい絵がありますが、あれは、まさに博愛の一つの具現的なシステムの現れだと思います。落ち穂を母子家庭の親が拾うという、一つのいわば営みなわけです。われわれは、ミレーの絵を見てそのすばらしさだけに目を奪われますけれども、その背後に持つ、その当時のフランスの思想について、もっと学ばないといけないと考えた次第です。