「怒りと希望」:社会に怒りラディカル(徹底的)に抗すること・目の前の一人を慮(おもんぱか)ること・社会的課題をデザインで解き希望に変えること―今中博之著『社会を希望で満たす働きかた』読後メモ―

〇「あなたの『怒り』は何ですか」。この本はこのワンフレーズで始まる。今中博之著『社会を希望で満たす働きかた―ソーシャルデザインという仕事―』(朝日新聞出版、2018年10月。以下[1])がそれである。
〇今中の怒りは、障がい者などの社会的に弱い立場に置かれている人、すなわち「ふつうではないとみなされる人」をさらに痛めつける人や社会のシステムに向けられている。今中は、怒りをつくり出す社会的課題に対峙し、「ソーシャルデザインという仕事」を通して「怒りを希望に変える」「社会を希望で満たす」デザイナーである。今中にあっては、デザインは「整理整頓」(今中のデザインの原点)であり、デザイナーは「社会改良者」「社会活動家」である。デザイナーには、「目の前の一人を慮(おもんぱか)る」(220ページ)、「『なんとなく、分かる』ゆらいだ状態を受け入れる」(113ページ)、「身の丈にあった組織のサイズと、目の届く活動内容にする」(117ページ)、「熱い胸と冷たい頭の態度を身につける」(126ページ)ことなどが必要かつ重要となる。一言をもってすれば、社会に対して“しなやかに したたかに”であろうか。
〇今中の仕事場は、「社会福祉法人 素王会(そおうかい) アトリエ インカーブ」(以下「インカーブ」)である。インカーブは、知的に障がいのあるアーティストと、デザイナーであるスタッフが日常を暮らす場所(「デザイン事務所」)である。そこでは、アーティストによって制作活動が行われ、その(生活)支援活動や環境整備活動がデザイナー(スタッフ)によって展開される。インカーブの運営理念は「閉じながら開く」(48ページ)である。事業の目的は「作品制作をおこなう、知的に障がいのあるアーティストの日常が平安であること、そして彼らの作品に尊厳を取り戻すこと、それに伴って市場で正当な評価を得ること」(137ページ)にある。それ故に、「デザインと福祉」「福祉とアート」「文化と福祉」「市場と福祉」が重視される。
〇今中の人生とインカーブの誕生と展開については、今中博之著『観点変更―なぜ、アトリエ インカーブは生まれたか―』(創元社、2009年9月。以下[2])に詳しい。[2]では例えば、「アートはアカデミズムに犯されず、自らのためにつくりだしたものであり、『創造=オリジナル』である。デザインはその真逆に位置する」(89ページ)。「取材を受けた後、新聞に踊る文言は『頑張っている障害者』や『アートで生きがい作り』、『障害者アート』だった」(144ページ)。「ヒトもモノもコトも、見る角度によって、美しくも、醜(みにく)くも、優しくも、冷たくもなる。ヒトもモノもコトも、見る角度や高さを少しずつコントロールすることができるようになってきた。私はそれを『観点変更』と呼ぶ」(273ページ)。「私は彼らのクリエイティブな能力に心酔してインカーブを立ち上げた。お涙頂戴や見世物小屋として立ち上げたわけではない」(298ページ)、などのフレーズに注目したい。それらは筆者(阪野)に、糸賀一雄の『福祉の思想』(日本放送出版協会、1968年2月)を学生時代に読んだときの感動をよみがえらせる。
〇ここでは、[1]の論考から、福祉教育実践や研究において、筆者が注目あるいは留意したい論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。それは、[1]は「目から鱗(うろこ)」の、福祉教育論の「作品」「テクスト」でもあると評するからである。

アーティストの尊厳と作品の尊厳
(インカーブのアーティストの作品は)初めから評価されたわけではないし、作品が売れたわけでもない。私は「美術館」で展覧会をすべき作品だと思っていたが、美術関係者からは「公民館や市役所のロビー」での展示をすすめられた。バザー商品と同じように展示すれば購入者も現れるかもしれないというアドバイスもいただいた。
一方で、社会福祉関係者からの風当たりも強烈だった。立ち上げてまもないインカーブの事業を講演会で説明したときだった。「あんたらは、障がい者を食い物にしてるだけや。デザインやアートみたいなもんで障がい者が食べていけるわけないやろ。知的障がい者は文句いわへんから、スタッフが好きなことやってるだけやないか」。大阪弁で罵声が浴びせられた。(35ページ)
障がいがあるというだけで彼らの作品をカテゴライズ(分類、区分)し、評価の俎上に載せることをためらったり、市場性があることを認めないのは時代錯誤といえるだろう。(37ページ)
誰もが障がい者の社会参加を当然のことと思えるようになるためには、障がい者もみんなの土俵に上がる必要がある。特別に仕立てられた土俵ではなく、市場というフラットな土俵(現代アートを扱う一般のアート市場:阪野)に上がらなくてはならない。(39ページ)
インカーブやアーティストの矜持(きょうじ。誇り)を守るために、公民館のロビーではなく、お涙ちょうだいの展覧会でもない、作品の尊厳を傷つけない「美術館」で発表し、美術の俎上に載せることを目指したのだ。(42ページ)

デザインとソーシャルデザイン
コトやモノを計画的・意識的につくる行為は確かにデザインである。しかし本来はそれだけではない。つくった先を見据えること、そしてその先の暮らしや環境にも責任を負うことがデザインである。(50ページ)
デザインは、モノの姿や形よりも、「計画」や「意図」にその本質がある。(62ページ)
インカーブのような「障がい者のための社会福祉事業」を興すことも広義のデザインである。(63~64ページ)
ソーシャルデザインとは、「社会的課題を解決」するための、「意図的な企て」を「整理整頓」することで、利益追求を第一義にせず、「社会貢献」をおこなうことだ。ソーシャルデザインの実践は「ソーシャルワーク」を重ね合わせながら考える必要があるため、二つの領域を「行ったり来たり」しながら進めていかなければならない。(58ページ)
ソーシャルデザインは、金もうけを第一義に考えるのではなく、あくまで「生活の困りごと」をデザインの思考や手段を用いて解消することが目的である。その生活は個人のミクロのレベルを起点に考えられる。つまり「市場をつくろう」と思い立つのは、あくまで目の前で「生活の困りごと」を持った個人のためであり、その個人に相対さない限り困りごとの真実は見えてこない。(54ページ)

ソーシャルデザインとコミュニティデザイン
この数年間、ソーシャルデザインと並行して「コミュニティデザイン」という言葉も頻繁に使われるようになった。(中略)ソーシャルデザインは、対象を「目的を一つとしない人々」を含めた集団で、個人から地域、さらに政策や運動などの社会的課題を射程に置く。一方のコミュニティデザインは、「目的を一つとする人々」の共同体で、その社会的課題は、個人から地域までを対象としている。(65ページ)
馴染みのある日本のソーシャルデザイン(「コミュニティデザイン」:阪野)は、過疎化する地方の再生のために、その地域の市民をエンパワーする仕組みや、事業デザインをおこなうことだ。(中略)私が話すソーシャルデザインは、ラディカル(革新的、根源的)で荒唐無稽(こうとうむけい)な物語にうつっているのかもしれない。(160ページ)

ソーシャルデザイナーと「可視化する能力」
ソーシャルデザイナーは、「社会的課題を解決するための意図的な企てを整理整頓する人間」である。彼らに必要とされるのは「社会的課題」を「発見」する能力、その社会的課題を解決するための「バランスの良い」意図的な企て、そして課題を「整理整頓」するときに必要な「狭義のデザイン」能力である。(69~70ページ)
①「社会的課題」を「発見」する能力については、自らの興味と関心、そして怒りが生まれてくる課題を発見してほしい。発見するには、哲学や宗教に裏付けされた思想が必要である。「哲学・宗教抜きのデザインと社会福祉は愛のないセックス」だと言えないだろうか。(70、71ページ)。
②「バランスの良い」意図的な企てについては、両極端な二つの道を否定することから入り、一つの計画を立てること(仏教でいう「中道」)である。(72ページ)
社会的課題にはそれぞれの暗閣(くらやみ)がある。いかんともしがたい状況に出くわすことがある。(中略)その暗闇に分け入るために、ソーシャルデザイナーの覚悟とメンタルのタフさとラフさが要求されている。(73ページ)
③課題を「整理整頓」する能力については、デザイナー独自の能力は、「可視化する能力」である。色や形をつくり、文章を書き、企画書に仕立て、プレゼンテーションをおこない、依頼者・顧客の課題を解決することである。時代が変わってもデザイナーの中核をなす基本のスキルは、可視化する能力につきる。(73~74ページ)

「公と共と私」と「閉じながら開く」
社会を希望で満たしていくために、地域やNPO法人、社会福祉法人は協働すべきである。中でも私は、社会福祉法人を使い倒すことで「公と共と私」をつなぎ直せる可能性にかけてみたい。(139ページ)
現在はおこなっていないが、インカーブの設立当初「見学会」を開いていた。(中略)毎月の見学会には多様な分野から大量の人がインカーブにやってきた。行政は「社会福祉施設は地域に開かれた存在になりましょう」と指導する。その言葉を鵜呑みにした私は、見学会を真面目に開催していた。(142ページ)
そもそもインカーブは、誰を「主体」として仕事をしているのか。それは間違いなく障がいのあるアーティストであり、彼らの制作環境を整えることが第一義である。その主体性を脅やかすモノやコトに抗していくのがわれわれスタッフの仕事であり、ソーシャルデザイン/ソーシャルワークである。開き過ぎれば彼らの精神状態はアップダウンし心の波が立つ。スタッフも見学者へのアテンド(世話、接待)が増え、本来の仕事であるアーティストとの関係が希薄になる。
その後、私がインカーブを「閉じながら開く」組織にしていこうと考えたのは、彼らを慮(おもんぱか)ることができなかった見学会の反省からだった。(143ページ)

「文化芸術の鑑賞」と「価値の高い芸術」
2018年6月7日、文化芸術基本法と障害者基本法の基本的な理念に沿った「障害者による文化芸術活動の推進に関する法律」(通称、障害者文化芸術活動推進法)が衆議院本会議で全会一致で可決・成立した。(中略)私がこの法律で腑に落ちないのは、「文化芸術基本法」の基本理念2条3項で「障害の有無」にかかわらず、「文化芸術を鑑賞」し「参加」「創造」することができるように「環境の整備」を図ると明記されているにもかかわらず、なぜ、新たに法律化する必要があるのか。さらに文化芸術基本法でも踏み込まなかった「芸術上価値が高い」という価値判断は誰がどのようにおこなうのか。美術館に籍を置く多くの学芸員が「障がい者の文化芸術」を大学等で履修した経験が限りなく少なく、研究成果も乏しい中でどのように展示計画を立て、一般市民に普及啓蒙できるのか。また国に貢献する障がい者の作品のみを支援するように感じられるのは、なぜか。特別な法をつくるのではなく、いま起動している「文化芸術基本法」を再改正するべきではなかったか、など言い出せばきりがないのでこのへんでやめとおこう。(152~153ページ)
そもそもこのようなカテゴライズする行為はダイバーシティを掲げる世界の潮流にも反するし、東京2020大会に向かう日本にとっても逆風だと思うのだが。(152ページ)

※ 文化芸術基本法
(基本理念)
第2条 文化芸術に関する施策の推進に当たっては、文化芸術活動を行う者の自主性が十分に尊重されなければならない。
3 文化芸術に関する施策の推進に当たっては、文化芸術を創造し、享受することが人々の生まれながらの権利であることに鑑み、国民がその年齢、障害の有無、経済的な状況又は居住する地域にかかわらず等しく、文化芸術を鑑賞し、これに参加し、又はこれを創造することができるような環境の整備が図られなければならない。
※ 障害者文化芸術活動推進法
(基本理念)
第3条 障害者による文化芸術活動の推進は、次に掲げる事項を旨として行われなければならない。
2 専門的な教育に基づかずに人々が本来有する創造性が発揮された文化芸術の作品が高い評価を受けており、その中心となっているものが障害者による作品であること等を踏まえ、障害者による芸術上価値が高い作品等の創造に対する支援を強化すること。

マイノリティ(少数派)とダイバーシティ(多様性)
私は「デザイナー」の属性と「障がい者」の属性があり、二つを行ったり来たりしながら仕事をしてきた。(214ページ)
「東京2020 Nipponフェスティバル」の「主催プログラム」を検討していた文化・教育委員会の進行台本には、「今中委員には、〈障がいを持つ当事者〉として、また、知的に障がいのある現代アーティストたちの創作活動の支援者として、ご協力いただいた」と記されていた。文章のはじめにある〈障がいを持つ当事者〉である私が、「トークンマイノリティ」だと気づいたのはそのときだった。
トークンは「証拠」という意味で、トークンマイノリティは「お飾りのマイノリティ」ともいわれる。「トークンマイノリティ」ということを否定的に捉えれば、委員会のメンバーにマイノリティ(社会的少数者)の人も含めておけばイメージが良くなるという打算であり、まさにバランスを取るために形ばかりに入れるマイノリティのことだといえる。一方で肯定的に捉えれば、多様な人々の参加によって多様性を実現しているとも、自己と他者のシームレス化(境界線を消すこと)の実現に一役買ったともいえる。(215ページ)
メガネをかけたアスリートはオリンピックに出場し、車椅子に乗るアスリートはパラリンピックに出場すると、われわれは思い込んでいないか。メガネと車椅子が同じ福祉用具なら両者はパラリンピックに出るべきである。メガネがファッションなら、車椅子もファッションである。そうであるなら、オリンピックとパラリンピックは、どちらか一方でいい。メガネも車椅子も有用性という意味では差異はない。(216~217ページ)

〇「怒りは感情的なものではなく、希望を追い求めるがゆえの態度である」(228ページ)。この本の「あとがき」のワンフレーズである。

補遺
〇[1]と[2]に、インカーブの「チーフディレクター」である「神谷梢」のことが記されている。今中は神谷を「福の神」と呼び、「彼女との二人三脚の仕事が始まった」「私の右腕以上の存在となった」([2]103~105ページ)と言う。その神谷が、今中監修の『アトリエ インカーブ―現代アートの魔球―』(創元社、2010年5月。以下[3])」という作品を書いている。[3]では、「インカーブ」「アート」「現代アート」などについて説述されるが、次の三つの文章のみを紹介しておきたい(見出しは筆者)。なお、神谷は、今中が求める「アーティストへの敬意の表明」([1]45ページ)としての、学芸員と社会福祉士の両方の国家資格を持つデザイナー(スタッフ)の一人である。

「インカーブ」
むかし大リーグで内角をえぐる魔球をインカーブと呼んだ。ストレートと変わらない球速で打者の手元で鋭く曲がるパワーカーブ。鞭(むち)のような腕のしなりから放たれた大きく割れるスローカーブ。アトリエ インカーブは二種類のカーブを対機説法(たいきせっぽう。教えをきく人の能力や素質に応じて、理解のゆくように法を説くこと:『広辞苑』等)のごとく使い分けながら、「福祉とアート」の世界で投げ続けてきた。(3ページ)

「これは奇跡ではない」
これは奇跡ではない。普通のこと、当たり前のこと、自然なことと、すこしの、だけどとても素敵な偶然が積み重なってできたのだ。しかし、うがった視線や曇った心で見ていたとしたら、アトリエ インカーブはひとつの奇跡と言えるのかもしれない。(13ページ)

「閉じながら開く」
インカーブの事業は「閉じながら開く」という言葉で言い表される。アーティストたちの制作環境を守るために、外部に対して「閉じ」、日常生活をいっしょに過ごしながら彼らの体調や心の面に目を配る。そしてアーティストが世にでるために、美術館やギャラリーに作品をみてもらうなど「開いて」アウトプットしていく。割合としては「閉じる」が九割、「開く」が一割を心がけている。何よりもアーティスト自身の心身のバランスをとることが大切だからだ。(230ページ)

〇いま筆者は、今中(「アクセル」)と神谷(「ブレーキ」)の「二人三脚」に関して、1977年2月1日に初めて訪問した止揚学園(知的に重い障がいのある人たちの支援施設)のリーダー・福井達雨と園長・面条義清のことを思い出している。当時、「鬼の福井」「仏の面条」と言われていたと記憶する(間違っていたらご容赦願いたい)。その折、福井の逆鱗に触れたことが懐かしい。