利他主義のあり方を問う:その「推進と懐疑」「誠意と傲慢」―ウィリアム・マッカスキル著『〈効果的な利他主義〉宣言!』とウィリアム・イースタリー著『傲慢な援助』の読後メモ―

「災害支援に寄付してはならない」「寄付するために働く」という考え方。
「プランナーによる援助は発展をもたらさない」「サーチャーによる現場実践が成果を生み出す」という事実。

〇(学校)福祉教育においては相変わらず、「収集・募金活動」「訪問・交流活動」「清掃・美化活動」の“3大活動”や「疑似体験」「技術・技能の習得」「施設訪問(慰問)」の“3大プログラム”を中心にした体験活動が実施・展開されている。そのうちの例えば募金・寄付活動については、その心情や思想が超歴史的に語られ(「善意」や「助け合い」が強調され)、募金・寄付者や募金・寄付額の多寡が問われがちである。効果的な募金の方法や寄付金の使い道について、無関心であることが多い。また寄付先については、ユニセフや共同募金会、日本赤十字社などの「大きな」組織・団体や、「安心な」地元の社会福祉協議会や社会福祉施設になりがちでもある。
〇日本には寄付の文化がないと言われてきた。しかし、阪神・淡路大震災(1995年1月)や東日本大震災(2011年3月)などを契機に、寄付やボランティア・市民活動などについての意識や環境(政策・制度等)は変わったと評される。そんななかで、寄付が求められる厳しい現実の分析や、寄付についての歴史的・社会的認識が問われなければならない。本稿を草することにした筆者(阪野)のひとつの思いである。
〇筆者の手もとに、ウィリアム・マッカスキル(William MacAskill、イギリス)著/千葉敏生訳『〈効果的な利他主義〉宣言!―慈善活動への科学的アプローチ―』(みすず書房、2018年11月)という本がある。その原著のタイトルは、“Doing Good Better”(『よいことを、よりよく行う』2015年)である。ひとことで言えば本書は、「効果的な利他主義」の手引書(ガイドブック)である。
〇「効果的な利他主義」(effective altruism)は、単なる感情によって、また自己満足や売名のために寄付や慈善活動を行うのではなく、本当の意味で人々の役に立つ・利益になるための「最高の活動」をいう。しかも、その活動に対して科学的・合理的なアプローチを取り入れ、客観的な証拠や入念な推論、そして便益の数値化を重視する。本書ではしばしば、「質調整生存率」(QALY/Quality-adjusted Life Year/「命を救う」(寿命を延ばす)ことと「生活の質」〈QOL/Quality of life〉を向上させることのふたつをまとめた指標)や「幸福調整生存率(WALY/Well-being-adjusted Life Year/離婚や失業などによって変化する幸福度の指標)が使われる(その内容については原典にあたっていただきたい)。
〇以下に、マッカスキルが説く論点や言説のうちから、筆者が留意したいいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「効果的な利他主義」とは何か
「利他主義」という言葉は、単純にほかの人々の生活を向上させるという意味だ。利他主義には自己犠牲がつきものだと考える人々も多いけれど、自分自身の快適な生活を維持しつつ相手にとってよいことができるなら、それに越したことはない。(中略)「効果的」という言葉は、手持ちの資源でできるかぎりのよいことを行なうという意味だ。効果的な利他主義では、単に世界をよりよくするとか、ある程度よいことを行なうのではなく、できるかぎりの影響を及ぼそうとする。(中略)ある行動が「効果的」かどうかを判断するには、どの行動がどの行動よりも優れているかを理解しなければならない。その目的は、(中略)よいことをする最善の方法を明らかにし、その行動を最優先することにある。(13ページ)

最高の慈善プログラム
私たちは平均的に有効なだけのプログラムに寄付する必要はない。最高のプログラムだけを選りすぐって支援すれば、桁違いによいことができる。(中略)人々の役に立つという点でいえば、お金を効率的に使うのと、ものすごく効率的に使うのとの差は大きい。だから、「このプログラムはお金の効率的な使い方か?」ではなく、「このプログラムはお金の最高の使い方か?」と問うことが大事なのだ。(52~53ページ)

自然災害と慈善活動
慈善活動という点でいえば、ほとんどの人は直感に従い、昔から続いている問題よりも新しい出来事に反応してしまう。自然災害への反応はそのもっとも際立った事例のひとつだ。災害が発生すると、私たちの脳の感情中枢が燃え上がり、「緊急事態だ!」と判断する。私たちは病気、貧困、迫害のような日常的な緊急事態に慣れきっているので、常に緊急事態が起きていることを忘れてしまう。自然災害は劇的で新しい出来事なので、私たちの心をより大きく揺さぶる。その結果、私たちはそれをほかより重大で注目すべき災害だと誤解してしまうのだ。
あるニュースに心を打たれ、助けを差し伸べたいと思ったとしても、その衝動をぐっと抑えるほうがおそらく賢明だろう。あなたと同じように寄付しようとしている人はたくさいいるからだ。(中略)もちろん、自然災害が発生したときに湧き上がる感情を行動に結びつけるのはいいことだ。ただし、そんなときはふと立ち止まって、同じような災害が常に起こっていることを思い出し、もっとも注目を集めている災害ではなく、あなたのお金をもっとも役立てられる場所へと寄付することを考えてほしい。(62~63ページ)

「寄付するために稼ぐ」
寄付するために稼ぐというのは、まさしくその言葉どおりの行動だ。あなたが仕事を通じて及ぼす直接的な影響を最大化しようとするのではなくて、もっと多く寄付できるよう稼ぎを増やし、日々の仕事ではなく寄付を通じて人々の生活を向上させようとするのだ。ほとんどの人は「影響力のある」キャリアを選ぼうとするとき、この選択肢を検討しない。しかし、時間とお金はふつう交換可能だ。お金で人々の時間を買えるし、あなたの時間を使えばお金を稼げる。なので、仕事自体を通じて直接人々の役に立つキャリアだけが最高のキャリアだと決めつける道理はない。本気で世の中のためによいことをしようと思うなら、「寄付するために稼ぐ」という道も検討するべきた。(80ページ)

「効果的な利他主義」の考え方のチェックリスト
寄付や慈善活動は「どうすれば最大限の影響を及ぼせるか?」を考えるためのフレームワークやチェックポイントを提供する。
――「効果的な利他主義」にとって重要な疑問(質問)
①何人がどれくらいの利益を得るか?/②これはあなたにできるもっとも効果的な活動か?/③この分野は見過ごされているか?/④この行動を取らなければどうなるか?/⑤成功の確率は? 成功した場合の見返りは?
――どの慈善団体に寄付するべきか?
①この慈善団体の活動内容は?/②各プログラムの費用対効果は?/③各プログラムが有効であることを裏づける証拠の信憑性(しんぴょうせい)は?/④各プログラムはどれくらい適切に実施されているか?/その慈善団体は追加の資金を必要としているか?
――どのキャリアをめざすべきか?
①私とこの仕事との個人的な相性は?/②この仕事を通じて私が及ぼせる影響は?/③この仕事は私の将来的な影響力にとってどれだけプラスになるか?
――どの活動分野に取り組むべきか?
①規模。/②解決可能性。/③見過ごされている度合い。/④個人的な相性。(215~219ページ)

「効果的な利他主義者」になるためのアイデア
効果的な利他主義の考え方を取れ入れれば、一人ひとりがとてつもなくよいことをする力を手に入れられる。(中略)「効果的な利他主義者」になるためのアイデアをいくつか紹介する。
①定期的に寄付する習慣をつける。/②効果的な利他主義の考え方を人生に取り入れるためのプランを立てる。/③効果的な利他主義のコミュニティに加わる。/④効果的な利他主義を広める。(207~209ページ)

〇マッカスキルは、次のように述べている。「援助はせいぜい効果がなく、下手をすれば害を及ぼすという考え方を広めたウィリアム・イースタリー(William Easterly、アメリカ)の著書は、国際的な援助活動は時間と労力のムダだと考える懐疑派たちにとってのバイブルとなった」(45ページ)。イースタリーの原著のタイトルは、“The White Man’s Burden”(『白人の責務』2006年)であり、翻訳本のタイトルは『傲慢な援助』(小浜裕久・織井啓介・冨田陽子訳、東洋経済新報社、2009年9月)である。ひとことで言えば本書は、本当に有効な援助とは何か、を問う論争の書である。以下に、イースタリーの言説の一部を紹介する(抜き書きと要約)。
〇イースタリーにあっては、世界には2種類の「貧困の悲劇」がある。ひとつは貧困が人々を苦しめているという悲劇(「第1の悲劇」)であり、いまひとつは莫大な援助をつぎ込みながらも貧困はなくなっていないという悲劇(「第2の悲劇」)である。「第1の悲劇」については、多くの人が声を大にして語り、それなりの援助活動を行っている。しかし、「第2の悲劇」について語る人は多くない。「第1の悲劇」を少しでも改善するためには、先進国の人々は「第2の悲劇」について認識すべきである。世界の貧困問題を解決するためには、先進国が巨額の援助をする「壮大な計画」(ビッグ・プラン)を実施することではなく、その計画を改革あるいは廃止し、援助資金がそれを本当に必要とする貧しい人々に届くようにすることが必要である(6~8ページ)。
〇イースタリーは、貧困問題の援助者像について、「プランナー」(Planners)と「サーチャー」(Searchers)を対照的に提示する。プランナーは、貧しい人々の個人的なインセンティブ(誘因)や行動様式を考慮せず、援助現場から離れたところで世界レベルの政策や枠組みを策定し、トップダウン型で問題解決を図ろうとする援助者である。サーチャーは、援助現場の人々の近くに身を置いて、個々の実情やニーズを把握し、ボトムアップ型で課題の解決策を探ろうとする援助者である。プランナーは、「飢餓との戦い」「貧困の終焉」などの美しい目標を立てるが、その実現に責任を負わない。サーチャーは、フィードバック(結果・成果による改良・調整)とアカウンタビリティ(説明責任)を重視し、個別の援助行動に責任を負う(8~11、22~24ページ)。
〇ここで、イースタリーの次の主張をメモっておくことにする。

◍世界が直面する複雑な諸問題を、ユートピア的な援助計画で解決できるなどと多くの人々が考え違いをしているという現実こそ、援助が抱える最大の問題である。(424ページ)
◍援助で貧困を終わらせることはできない。自由市場における個人や企業のダイナミズム(活力)に基づいた途上国自身の手による開発努力こそが、貧困に終止符を打てるのだ。経済発展そのものを援助で実現しようなどという幻想を捨てるなら、貧しい人々が困っている個別の問題解決において、今以上に援助できることがあるだろう。(425ページ)
◍プランはダメだ。プランではなく、途上国の実情に詳しいサーチャーに援助を任せ、施策の効果を実験的に把握し、援助がどうしたら貧しい人々の役に立つかは、貧しいは人々が一番よく知っているから、彼らからのフィードバックを参考にして援助を進めるべきだ。(426ページ)
◍貧しい人々を助けたいと思うなら以下のことを実践しよう。
① 援助に従事する者は、貧しい人々の生活をよくするために自分は個別の分野で何ができるかを明らかにしておくべきである。
② 自分のできる分野の過去の経験に基づいて、どうすればうまくいくかを探求しなくてはならない。
③ いろいろ調べた結果に基づいて実験をしてみよう。
④ 目標とされる人々からのフィードバックと科学的方法に基づいてきちんと評価すべきである。
⑤ 成果が出た時は評価し、失敗した時はペナルティがなくてはならない。うまくいくプロジェクトには予算をたくさんつけ、ダメなプロジェクトの予算は減らすべきだ。援助をする組織は、自分たちのやり方がいいのだと言うことが分かるようにすべきである。
⑥ ⑤のインセンティブをきちんと確立すればステップ④が繰り返される。もしうまくいかないと、⑤のインセンティブ構造にしたがって援助の担当者はステップ①に戻る。もし失敗が続けば、新しい専門家を探さなくてはならない。(441~442ページ)
◍先進国の人であれ、途上国の人であれ、貧しい人のことを考えている人には、誰でも役割がある。(中略)あなたがもし援助に関わっているなら、ユートピア的目標を捨て、貧しい人々を助けるには何ができるかを考えてほしい。貧しい人々を支援する仕事に従事していないとしても、一市民として、援助は貧しい人々に届かないことには意味がないと声を上げることはできるだろう。(443、444ページ)

〇マッカスキルとイースタリーの言説は刺激的である。視野を広げ、視点を変えることができる。また、新たな寄付や援助活動の潮流(トレンド)を生み出すものとして興味深い。ただ、マッカスキルの功利主義の立場やイースタリーの二項対立的な思考については、全面的に首肯できるものでもない。過剰な現場主義は、無軌道な暴走や非合理的な思考をもたらす危険性がある。そこで、現場のニーズに真に応えるためには、利他的行動をめぐる感情(「心」)と理性(「頭」)を如何に組み合わせるか、プランナー的なやり方とサーチャー的なやり方を如何に有機化し共働性を高めるか、などが問われることになる。また、プランナー的なやり方を如何にしてサーチャー的なやり方にシフトするかも重要な課題となる。曽野綾子は「ODA(Official Development Assistance、政府開発援助)として供与される資金のかなりの部分が相手国の指導者の懐(ふところ)に入ると考えるのが普通」(「訳者あとがき」『傲慢な援助』448ページ)だと言う。付記しておきたい。