鳥居一頼のサロン(2):新潟県聖籠町に集いし“スマイル”の仲間たち

「やんボラフォーラム in せいろう」
新潟市と新発田市の間に挟まれ所に「聖籠町」がある。
2018年10月21日、その町の保健福祉センターに30名ほどの30代の青年たちと町長、そして福祉関係者が集まり、「スマイル20周年の集い」を開いた。
そもそもは1999年2月28日、「やんボラフォーラムinせいろう」~聖籠町中学生ボランティアフォーラム~を開催したことから物語は始まる。
「あなたとわたしのこころのカタチをボランタリーな世界で見つけたい」をテーマに、「あなたは自分の居場所がありますか。あなたはこころから喜び、悔しさに涙したことがありますか。あなたは素直に自分と向き合ったことがありますか。あなたと一緒に、このヤングボランティアフォーラムであなたと友だちの“こころのカタチ”見つけませんか。手をつなぎ合う瞬間に、いつもとは違う輝いた自分を見つけるために」と呼びかけた。
当時町内には、亀代中と聖籠中の2校の中学校があったが、数年後統合されていく。
きっかけは、98年夏休みに「町内の網代浜」(国体のヨット会場にもなっている)の海浜清掃が行われ、2校の生徒がその活動に参加した。ボランティアの楽しさを実感したことで、そのおもいをつなぎ合わせ、ボランティアの魅力を再発見しようと、町社協の若手職員本田恵さんと聖籠中の教諭渋谷哲先生が、「フォーラムの開催」を提案し、参加した中学生が中心となって「実行員会」をつくり、そこに企画運営を委ねたのであった。
「ヤングボランティアフォーラム」は、子どもが主役となって、大人は下支えすることを旨とした実践であり、鳥居は北海道各地で展開していた。98年11月第30回全国ボランティア研究集会北海道大会(JYVA主催、北海道開催事務局長鳥居)の折に、参加した本田さんから相談を受け、その運営のノウハウとボランティア学習としての教育的効果を熱く語った。
フォーラム当日、町内で暮らす障がい者のグループ「杉の子」の仲間たちも参加した。
「私は今までボランティアというのは、人のためや世間のために“何かしてあげる”という感覚があった。でも杉の子とのボランティアを通じて、それは違うんだということを知った。ボランティアは自分が楽しいからするんだ。新しい仲間が出来て、一緒に楽しく話したり活動したり…。私はボランティアに参加したら、必ずまたやりたいと思う。しかも、なんだか人生得したような気になる。ボランティアに参加しなければ、この人たちと一生会えなかったかも知れない。ボランティアはとっても大好きです」と、参加した中学生はボランティアの本質と魅力を率直に語った。
町内には高校がなかった。だから中学を卒業すると仲間はバラバラになってします。こういう仲間がいなくなるのは寂しい。だから、「みんなで考え、みんなでつながろう」と、ボランティアグループ「スマイル」が、自主的に誕生した。
その後、高校を出て大学や専門学校への進学や就職で、多くの仲間は聖籠町を後にした。それでも、駆けつけてくる仲間たちが中心となって、「やんボラフォーラム」や「海浜清掃活動」も継承されていった。そこにはいつも、「ふるさととひと」が大好きな若者たちがいたのだった。

「スマイル20周年の集い」
トークセッションが始まった。
千葉の水産会社に勤める彼は、仕事明け高速道路を走って、深夜実家に着く。家の施錠は唯一トイレの窓が開いていた。大きな図体をくぐらせ、家人を起こすことなく自分の部屋で寝た。朝起きて茶の間に顔を出した途端母親は腰を抜かし、救急車で搬送された。そんな事態を引き起こしながらも、その足で網代浜に向かった。仕事で参加できないときは、代打に母親を立てた。だから一度も「休んではいない」のである。ふるさとの海が本心大好きでそこに集う人たちも大好きな、実直な人柄の男である。いまでは毎年300人以上の人が参加するイベントとなった。
彼女は結婚して新発田市内で新居を構えた。子どもが生まれた。障がいがあった。若い夫婦は悩んだ。聖籠にいる仲間に相談もした。「聖籠においで。その子はみんなで育てようよ」と誘われ、聖籠に戻った。その後も聖籠で生活している。この町は障がい児者にも優しい福祉を進めている町でもあった。そこには、頼りになる仲間がいる。信じる仲間がいて、一緒に悩み喜びを分かちあうことが、全てである。
10年ぶりで出会った幼子は、首が据わらないので特別仕様の車いすのユーザーであった。小学4年生になっていた。言葉は発しないが、眼の動きや表情、ときに声を発することでコミュニケーションを取る。下の子も生まれ、母も父も一層たくましくなった。子どもと共に生きてきた人生に悔いなく、これからも家族の愛情物語を一緒に紡いでいきたいという“しなやかな生き方”に、心からエールをおくった。
国土交通省新潟国道事務所に勤務するメンバーもいる。東日本大震災では直接現地に入り、胆振東部地震では部下を現地に派遣したという。彼の両親は目が不自由である。道路整備を担う彼は、道路のバリアをいかに緩和するかに心を砕く。ボランティアも特に意識したことはなく、気負うことなくただやるべきことをしてきただけと静かに語る。彼の仕事への目的意識や使命感に、「福祉の心」が根づいているのは、彼を育てた両親の仁愛とスマイルの仲間たちとの友情であることを確信した。
集まったスマイルのメンバーにとって、20年という時間はかけがえのないものであったに違いない。すでに家庭を持ち子どもも大きくなって、人生の大事な時期を謳歌しているであろう。まぶしいほど輝きに満ちていた。
これからどう生きるのか、ふるさとでなにが出来るのかを、一人ひとり問われた集いとなった。櫻井君が作詞作曲した「ここから」というふるさとをテーマにした新曲を披露した。最後に、鳥居が当日の朝認めたメッセージ「いのち紡ぐ者たち」を、スマイルの仲間たちやここに集った方々へ贈った。
「次世代へどうつなぐのか」を宿題に出して、新潟空港から帰路についた。

「いのち紡ぐ者たち」

悠久の時空の一瞬に
大宇宙の青き大地に 奇跡のいのち授かりし者たちよ

聖なる森のゆり籠で 
母の慈愛と 父の敬愛を 満身に注がれ 
こころ健やかに 成長した者たちよ 

いま ボランティアという名の下に
ふるさと聖籠に 20年の時を経て集いし者たち

青春の1ページは 幼き仲間とともに 
“人と関わる”ことから 始まった
感動に満ちた「ヤングボランティアフォーラム」
障がいのある者も 老いた者も そうでない者も 男も女も
このまちに生きる者たちが 生きている喜びを 共有したのだ
この地に 脈々と受け継がれてきた 深い慈愛のこころを
このとき 引き渡されたのだと 悟った 
 
この喜びの衝動は 
ふるさと聖籠への愛慕として 自分史に 強く刻んだ 
いま 人生の道半ばに 愛すべき者たちと生きて
故郷への愛を 次の世代へ 引き継ぐ役目を担った

自分史の新たな1ページに 
聖籠の地に生きる 「愛深きひと物語」を 書き記すために
自ら「いのち紡ぐ者」として
切磋琢磨に 今日を 明日を 生きていく覚悟を 表明する

そして
こころ豊かな ボランティアの世界に誘い
20年の間 変わることなく
われら「Smile」に まごころを尽くし続ける 
「Smileの母 本田恵」の 深い慈愛と温情に 
感謝の誠を 捧げたい 

「ありがとう」というおもいを ふるさと聖籠に 満たすことこそ
われら「いのち紡ぐ者たち」の ボランタリーな使命なのだ
だから こころの「聖なるゆり籠」を
いのち果てるまで 揺らし続けたい

[鳥居一頼/2019年4月20日]