鳥居一頼のサロン(8):「福祉の授業の醍醐味」

「福祉の授業の醍醐味」

福祉の授業を終えて 校長室に戻った
校長は ソファに座ったまま 一言も発しなかった
沈黙が しばらく続く
耐えかねて 一緒に参観した教員が 口を開いた
「校長先生 そうですよね!」
校長は ただうなずいた
「どうしたんですか?」
「あの子らが 一人ひとり 自分の意見を発表するのを 初めて聞いたんです」

6年生45人との授業は 約束事が二つあった
ひとつは 
意見のある子は 挙手せず 必ず立つこと
自分の意見を聞いてほしいという 意思表示のカタチ
だから立つ
ふたつに ある子の発言を受けて 「同じです」という言葉を 禁句にしたこと
「同じです」と答えた子どもに 
「君の言葉で 言ってごらん」と促すと
少し意味が違った言葉が 返ってくる
「ほら 友だちとは少し違うね まったく同じではないね 
まったく同じには 決してならないんだ 
それが 人とは違う“きみ”である ということなんだよ」
子どもは 嬉しそうに 笑顔を見せた

そこから 子どもらは「自分の言葉」で 話さなくてはならなくなった
質問した
全員が立つまで 待った
見ている教員らは いぶかる
最後の一人が 不安げに立った

さあ 答えよう
順番に 自分の言葉で 答えていく
自分の番が終わると 緊張感から解放されてか ほっとため息を吐く
順番が進むにつれ 言葉につまりながらも 発言は続く 
前の子が何を言ったのかを 頭の中で反芻(はんすう)しながら 言い終える
残り十余人 山場を迎えた
「これから発表する子は 大変だね
だって みんなが言葉を 出し尽くしてしまった後に 
どんな言葉を使ったらいいのか すごく悩んじゃうね
最初に考えていた 自分の言葉を使われてしまったら 
また別の言葉で 考えなくてはならない
今まで発表してきた子よりも 
頭の中のコンピュータが ものすごい勢いで高速回転して 
言葉を探しているんだ 
すごいだろう 
だから がんばれって 応援してあげて」

その瞬間 自分の番が終わって ホッとした子どもたちの 目の色が変わった
「自分の言葉で話す」 
その大変さと面白さを 教室のみんなで 初めて味わう喜び
もがきながらも 言葉を生み出す苦しみを 共有した瞬間だった
最後のひとりの発表が終わると
期せずして 歓喜の拍手が起こった
やり遂げたという 充実感と満足感が 笑顔になって 教室を満たした
 
「あの6年生は 自分の意見を 自分から進んで発表する子どもたちでは ないんです」
何度も うなずく校長
「一人ひとりが 真剣に言葉を探しながら 自分の意見を堂々と発表したんですね」
強く うなずく校長
「僕ら教員が 打ちのめされた授業だったんです」
下を向いて うなずくしかない校長

子どもたちは 「自分の意見を持てず 進んで発表できない子」だと
烙印(らくいん)を押されたまま 6年間 学校に通ってきた
そう勝手に思い込んだ 教員集団は 子どもたちを洗脳(せんのう)し 
“出来ない子”のイメージを 植え付けてきた
だから 自信なげに 誰かに追従し 周りに調子を合わせる  
みんなと“同じです”が いつも逃げ道となり 卒業のときを 迎えていた

きょうの日が 子ども自身も教員も 変えた
取り返しのつかない “思い違い”をしていたことを 初めて知らされたのだ
そこには 彼らが求めてきた“子ども”たちが 実在していたのだった
予想外の展開は 教員の思惑(おもわく)から外れ
“以外だ”と いままで片付けてきた 教員の思い上がりや思い違いに 
気づかせるのは 容易なことではない
でも 子どもらは いとも簡単に 集団でやってのけた
自分にも仲間にも そして教員にも ポジティブな言動で 
見事に 他人(ひと)とは違う“わたし”であることを 意思表示したのだ 

教室での同調圧力が 子どもを圧迫し 
どれだけ その成長を阻害(そがい)してきたことか
子どもを理解するチャンスを 
どれだけ 見逃してきたことか
教員も子どもも その思い込みを変える機会を 
どれだけ 放棄(ほうき)してきたことか
子どもが身につけた能力や態度を引き出すことに 
どれだけ 手抜きしてきたことか
子どもに 負のレッテルを貼って 貶(おとし)めてきたことへの 深い悔恨(かいこん)
それが 重い沈黙の理由だった 

教員が思い込む その頑(かたく)なさを 打破しなければ 
子どもは いつまでも 彼らの思惑の中でしか 生きられない
彼らこそが 意識を変えなければならない存在そのもの
子どもと向き合うということは 
子どもの多様な有り様を共に見て 理解し合うということ
そこに 陶冶(とうや)の正否が 問われるのだ

なぜ 一期一会の「福祉の授業」で 子どもらは 躍動したのか
授業は 子どもらのおもいを そのままただ受けとめただけ
そこに生まれたのは “信じ合う”という空気
だから 意思表示することが 素直に面白いと感じる
自己肯定感が 仲間と共有された結果
彼らの思考と判断と行動を縛ってきた“しがらみ”から 自らを解き放った 
授業という枠組みの中で機能してきた “評価される発言”という苦痛ではなく 
自由で豊かな発想を 自らの言葉で語る喜びを 彼らは深く味わったのだ 

もしも この機会がなかったら…
彼らは 誤解されたままの 子どもたちであったに違いない
学び合うことの喜びを知ることなく “生きる”ということは 
悲劇でしかない

福祉の授業の醍醐味(だいごみ)は 
人間教師としての 「共育への道」を 探求すること
それは 
子どもが魅了(みりょう)される 学びの世界へと導く 道程となる

〔鳥居一頼/2019年7月12日〕