群像~昭和・平成・令和を生きる人たち

敗戦後 みんながみんな 貧しかった
北海道には 新しい住民もやってきた
樺太や満州からの引き揚げ者 親類を頼って身を寄せていた人もいた
厩に 家族身を寄せ合って 畑を手伝い わずかな食べ物をもらった
夏は ヤブ蚊にさいなまれ 冬は 身を切る寒さを耐えしのいだ
空襲で街を焼かれ いのちからがら 身一つで
新天地を求めて 来た人たちもいた
そこは 決して地味の良いところではない
開拓は 辛酸(しんさん)をなめる連続だった

北海道は 開拓以来 人はみな自然災害の脅威(きょうい)と闘い続けてきた
戦後も 貧しい暮らし向きは相変わらずだったが 
軍隊に 子どもをとられることはなくなった
兵隊も憲兵もいなくなり 
警察や役所が 思想や行動を弾圧・統制する力が弱まった
地域での お互いの監視や密告 ”非国民”となじりあうこともなくなった
平和が訪れたのだ

農家や漁師 炭鉱夫 工員は 強いきずなで結ばれ 厳しい労働にも耐えていた
あらゆる職場で 必死になって 男も女も 子どもも よく働いた
「からっぽやみ」(役立たず)と 大人に怒鳴られながら
仕事を要領よくこなすことを 子どもらは身をもって学んで育っていった

貧しいがゆえに 子だくさんでもあった
学校の教科書は 下の子はお下がり
上の子は下のきょうだいのために 汚さぬよう使わなければならない
だから 勉強しなかったと うそぶく
教室は 大勢の子どもでぎゅうぎゅう詰めだった
学校の勉強だけでいっぱいだったから 宿題は苦痛そのもの
日暮れまで 遊びほうけるのが 一番だった

近所も 子どもらで溢れていた
舗装(ほそう)されていない広い道路は 遊び場と化した
三角ベースボール 石蹴り かくれんぼ 鬼ごっこ 縄跳び パッチにビー玉 
だから余計に 雨の日は恨めしい 
狭い家で遊ぶのは つまらなかった
ただ 大相撲だけは ラジオから流れる中継に 一喜一憂した

裸電球が照らす下 丸いちゃぶ台を囲んだ
手垢(てあか)と鼻水で汚れた袖(そで)をまくって 
ひと皿に盛られたおかずの取り合いをする
笑い転げながら 喧嘩(けんか)しながら 子どもらは無性に明るい
叱りたしなめ、そして笑う母親の甲高い声が 狭い部屋に響く 
焼酎を美味そうに飲む 父親の満足そうな顔
ごくありふれた 家族団欒(かぞくだんらん)の風景だった
貧しさは それに抗(あらが)い立ち向かう 家族のきずなを強くした
卑劣で卑屈な自分を卑下する つまらないねたみ根性は 根絶やしにされていく
弱いがゆえに 助け合うことで生まれる 家族愛に包まれていた少年時代
ちいさな倖(しあわ)せを 分かちあう喜びで こころは満たされていった

子どもの成長が 親の生きがいだった
戦前戦中 学校に行きたくとも行けなかった親たちは 我が子の教育に 熱心だった
小学校では伸び伸びと遊んでいた子どもらも 中学ではテスト勉強に追われた
過酷な受験競争の まっただ中に放り込まれた
中学を卒業してすぐふるさとを出て 都会に集団就職する友だちを見送った
高校を卒業してすぐふるさとを出て 都会に就職する友だちを見送った
大学に進学するのは ほんの一握り 卒業後都会に出て行った
ふるさとに残った人たちが 踏ん張って 踏ん張って ふるさとを守り 育てた

高校や大学に進学した子どもらの 学費を稼ぐために 親たちはより働いた
景気がよくなり 暮らし向きも少しずつよくなっていった
子どもが いっちょ前(一人前)になっていくときに こう諭(さと)した
「親の面倒を見ることを考えずに 自分の好きなことに一生懸命頑張んなさい」
親もまだ若かった
親の言葉に背中を押された
高度経済成長という時代は 多くの若者を ふるさとから切り離し遠ざけていった
子どもらは かの地で家庭を持ち 住み暮らし 子育てした
そこが ふるさととなった

数十年後 老いた父母は 厳しい老後の暮らしを迎えていた
子どもらの多くは 父母のいるふるさとへ戻ることは なかった
子を送り出した 律儀(りちぎ)な父母たちは 
ふるさとを継承してきた 一人ひとりでもあった
決して 弱音を人前で吐くことはない
人の世話を焼いてきた人は 自分が人の世話になることを よしとはしない
子どもに迷惑をかけることは すまないと 自責の念にかられる
だから 倒れるまで 助けてとは 言わない 言えない
それが 貧しい時代を生き抜いてきた 父母の世代の生き方であり誇りだった
最後の最後まで 生きることをあきらめない 生命力に溢れた世代でもあるのだ

ふるさとで懸命に働き 子育てして 社会に送り出した人たち
ふるさとの地で 老いてもなお暮らし続けることを覚悟した人たち
ふるさとの自然とひとのぬくもりを 大事に慈(いつく)しんできた人たち
ふるさとに 生きる希望と生きがいを 見出してきた人たち
ふるさとから 人生と愛郷心を 授けられた人たち
そして ふるさとで生きる覚悟をした 次世代の若き人たち
ふるさとの地で 子育てすることを選んだ かけがえのない若き人たち
さまざまな人が 出会いと別れを繰り返し 複雑に絡み合う
ふるさとの ”人生交差点”は いまだ往来(おうらい)が絶えない

いま ふるさとで 生き暮らした先代たちが 老いていく
当たり前の世代交代に 戸惑うことなく 先代の意志を継ぎ 
倒れそうな人を 支えていくことを決心した
一日でも長く ふるさとの我が家で暮らし続けるための手助けを そのおもいを
次の世代に手渡していくために ”ここで動く人”たち

いま ふるさとで 若き人たちが 子育てに奮闘する
子育てに悩み苦しんだ先に 咲きほころぶ喜びが 訪れることを願って
決してひとりぼっちには しない なってほしくない
そばに寄り添ってあげられるだけかもしれないけれど
でも 明日への夢を 希望にかえてあげたいと ”ここで動く人”たち

お節介かも知れない
けれど 手を握り返してくれたら 力を貸したい
だから「私の役目」を知り ただそうするだけ
困っている人を 助けてと声に出せない人を
そのままほっておくことは 私にはできない
「そんな薄情(はくじょう)な人間にはなりたくない!」 
私の中の ”わたし”が 叫ぶ

その声に突き動かされたように
同じおもいを持つ仲間に支えられ
きょうも 明るく笑顔で 心配事の「御用聞き」
私のボランタリーな活動が 始まる   

いままでここで頑張ってきたんだから 
一人で悩まず 少し肩の力を抜いて 一緒に考えましょう
別れ際「ありがとう 頼むね」って 声がけする
「頼むね」って 一体なにを頼まれたの?
一瞬 戸惑うあなた
ただ人は何かを頼まれたことで 一方的な弱者の立場から 逃れられる
人は「からっぽやみ」になることを 恐れる
世間に顔向けできる 心くばりのキーワード「頼むね」 
その人にも 大事な「役目」を持って生きている証のことば

少し前向きに ”いま”を あなたと生きたい
それが このまちで生き暮らす 
わたしのちいさな願いなのだと 得心(とくしん)がいった 
だから 自分に「頼むね」って いつも声がけしながら
あなたと 向き合う