熟老の断片:無言電話、焼酎と遺影、温泉を楽しむ、本音、養女、野暮用

無言電話

電話のベルが鳴る
受話器をとった
「もしもし もしもし」
「ツー…」
応答もなく いつものいたずらだと思い 電話を切った

受話器の向こうに
老婆が 受話器を握ったまま 電話の前に座っていた
孫の電話番号を思い出しては ダイヤルを回した
でも なにも聞こえてはこなかった
すでに 老婆は 何の音も 感じられなくなっていた

孫は 老婆の死後 はたと気づく
電話の主は もしかして“ばさま”だったかと
不覚の涙が 流れた


焼酎と遺影

じさまが 倒れた
木箱に入った焼酎六本を 枕元に置いた
「これ全部飲み干したら 逝っていいよ」

奇跡的に 回復した
焼酎瓶も 空になっていた

ふと顔を上げると
じさまの「遺影」(いえい)が 画鋲(がびょう)で壁にはられていた
もしもの時の用意に ばさまに預けておいたもの
元気になったじさまが 見つけた

生前に 遺影を飾って悦に入る じさま
慈愛に満ちた表情の 大好きなじさまの一枚だった


温泉を楽しむ

杖をついて 風呂場に向かう
すれ違う人が 道をあける
頭を下げ まずは おか湯をかぶる
杖を置いて ゆっくり熱い湯に入る
フーと 一息深く吐く

周りに 迷惑をかけることを 承知で
大好きな温泉を楽しむ 老い入る姿に
我もまた 行く道だと 教えられた


本音

寺での法要が 終わった 
「早く お迎えきてほしい」
老婆が 玄関口で 訴える
僧侶は 笑顔で見送った

キッキーという 車のブレーキの甲高い音
外で 老婆の罵倒(ばとう)する大声が 響いた
「わしを 殺すつもりかい!」


養女

夫が 45歳で病死した
残された子らを育て 成人させた
彼らも職に就き 家を離れた

頃合いを 見はからうかのように
義母が患い 入退院を繰り返した
仕事を持ちながらの介護は 心身ともに 辛かった
闘病十年 義母は 安らかに旅立った

義父は 葬儀を滞りなく終えた夕方 
夫のきょうだいと わたしを 仏間に呼び
わたしに ねぎらいのことばをかけた
そして 静かに告げた
「養女にする」と


野暮用

「いたかい」
「しばらく顔見せんかったね どうしてたん」
「ちょっと膝が痛くて 歩くのがね」
「まああがって あがって」
「別に用事もあるわけじゃないけど…お邪魔だった?」
「なんも なんも」
「散歩がてら 近くまで来たら なんだか顔を出して見たくなってね」
「みんなも 好き勝手にやってきて ここでおしゃべりしていくわ」

野暮用(やぼよう)の行き先と そこに知ってる人がいて
わけもなく ホッとできるだけのこと 
コミュティって こんな感じ… じゃない?