ほめる

園児が二人 砂場で遊んでいた

保母が 通りかかった
目ざとく見つけた 一人の園児
「先生 これ見て」
手のひらのものを 差し出す
「あら 上手に出来たわね」
その子は その後 同じものを たくさん作った

別の保母が 通りかかった
もう一人の園児が 遠慮深そうに 手のひらのものを 差し出した
保母は 匂いをかぐように 鼻を寄せ
「おいしそうな匂い なんの果物かな?」
その子は その後 これはリンゴ これはモモ これはメロンと
様々な 果物を 作っていった
カタチは よく似た果物だった

ほめるということ
子どもの 感応力を刺激し そばに寄り添い 一緒に楽しむこと
ほめるということ
子どもの 想像力と創作意欲 根気強く取り組む力を 引き出すこと
ほめるということ
子どもが 取り組む姿と その意欲や態度を 認め励ましてあげること
ほめるということ
子どもの 上手い下手とか 誰かと比べるとか そんな不安をとっぱらって 自由に表現する 手助けをしてあげること
ほめるということ
子どもが 自分を誇らしく思うよう“育つ”ために おとなは真剣に自分と向き合うこと

できない できていない
それは
おとなが “ほめる”ということを ほんとは知らないだけなんだ 
おとなが 子どもの感応力を もう感じられなくなっただけなんだ

そんな御託を並べることより 結果をほめれば 子どもは育つんだよ
その思い違いが 子どもの感応力を 見事に台無しにしていく  

〔2019年8月1日書き下ろし。ほめ方を知らない大人たちへのメッセージ〕
 
付記
「THE SENSE OF WONDER(驚くセンス)」
…感性(sensibility )感応力は、もろもろの人や生きもの、それに事物に対して敏感に対応する、ものに驚く、あるいは不思議がる、神秘的なものに驚異を感じる、そういう複雑な感性を、The Sense of Wonder (驚くセンス)と名付ける。
子どもたちは、生まれ出ると、実に敏感に外的世界に対する豊かで新鮮でデリケートな感性=感応力を働きはじめる。これが、実は後に発達する「わきまえる力」の泉です。
…「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない。
…自然の子どもにとってかけがいのない良さは、沈黙の中で感性を刺激し、子どもの内面に豊かな感情を育んでくれます。
「それは何かを教えるためではなく、一緒に楽しむためなのです。」
人間の感性を耕すには相棒が必要です。すべて人間性は人間関係の中で定着するということです。だから、誰かと一緒に自然にふれるということがとても大事なのです。
「知性」とは、ただ孤独に自分の頭のなかに知識を蓄積しておけばよい、ないし”持って(having)” いればよいのではなく、違いを前提として他人と分かり合う知識が、生きてここにある” 身についたものとしてある(being)”ということが大事であり、感応力に支えられた知識を知性というのでしょう。
(『沈黙の春』で1962年の段階から地球汚染の警告を世界に投げかけた「レイチェル・カーソン」の遺稿『驚くセンス』から)