書く

文字を 小学校で習った以来
手紙すら書くこともなく
出す相手も いなかった わたし
勉強だって 好きじゃなかったから
本を読むのも 苦手だった
乳飲み子の妹をおぶって 通った学校
勉強に飽きたら
妹を泣かせて 校庭に退避した

年頃になり 口減らしで 隣村の貧しい農家に嫁いだ
山間の小さな村の 村はずれの小さな藁葺き土壁の家
朝から晩まで 野良仕事 子育てに追われる 毎日だった
そんな暮らしに こころがポカっと あいたまま ただ流された
誘われて 村の若妻会に ある晩顔を出した
農家の女も 自分のおもいを溜め込まないで
思ったことを 何でもいいから「書いてみれ」
そこに招かれた「女先生」に言われた

書くこと
考えた事もなかった
書くこと
ひらがなしか 書けなかった
書くこと
そったら時間なんか あるわけなかった

衝動が走った
「書きたい」
理由なんか ない
「書きたい」
暮らしの足しに なるはずない
「書きたい」
見返りなんか 期待もしない
「書きたい」
自分のいまのおもいを ぶつけたい

夜半 子どものちびた鉛筆を 手にした
おそるおそる 思い浮かぶコトバを 書きだした
小学校以来 初めて書いた綴り方
なんだか 嬉しくなった

この紙一枚の世界に 自分の書いたひらがなが 踊っていた
ただそれだけで こころが 休まるように 感じた
この紙一枚の世界に 自分の本音を 吐き出した
ただそれだけで こころが 落ち着いた
この紙一枚の世界に 嫁の過酷な苦しみから 一時(いっとき)逃れられた
ただそれだけで こころが満たされた

この一枚の世界だけが “わたし”という存在を明かす 自己の証明(しるし)
この一枚の世界だけが “わたし”に許された 思考の時間(とき)
この一枚の世界だけが “わたし”のこころを解放した 自由な空間(ばしょ)

「書く」ということ
文字を知った人間の 本質的な行動
それを 阻(はば)むことは 決して許されない
「書く」ということ
誰にも与えられた わき上がってくるおもいの表現方法
それを 拒(こば)むことは 決して許されない
「書く」ということ
社会的身分や血筋家柄 学歴や貧富を越えた 自由意志の世界
それを 否定する人は 
人間辞めなさい

〔鳥居一頼/2019年8月4日〕

※<雑感>(92)鳥居一頼のサロン(9):「書く」/2019年8月4日 を再掲。
※2019年8月16日改訂版。