〇筆者(阪野)の手もとに、今中博之(社会福祉法人素王会理事長/アトリエ インカーブ クリエイティブディレクター)の新刊本が2冊ある。(1)『かっこいい福祉』(村木厚子との共著。左右社、2019年8月。以下[1])、(2)『共感を超える市場―つながりすぎない社会福祉とアート―』(アトリエ インカーブ編著。ビブリオ インカーブ、2019年9月。以下[2])がそれである。[1]は、今中と村木厚子(元厚生労働事務次官)の対談本である。「自力と他力」「内閉と開放」「市場と制度」などの二項対立的なキーワードを通して、「福祉は何故、低くみられるのか」「福祉をかっこいい業界にするにはどうすべきか」を語り合う(「帯」)。[2]は、今中と松井彰彦(東京大学大学院教授)の講演と対談を中心に編んだものである。そこでは、「共感を求めすぎないこと」「閉じながら“ときどき”開くこと」の重要性を説きながら、「市場×福祉」について論じ合う。
〇[1]における言説のひとつの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
文化の市場性と福祉文化
私は、社会福祉学者の一番ヶ瀬康子氏がいう「福祉の文化化と文化の福祉化」を実践する母体としてアトリエ インカーブ(デザイン事務所)を位置づけています。彼女はそれを「福祉文化」という概念で表現しました。生活の質が問われて久しい昨今、「社会福祉の究極の目的が、自己実現への援助であり、その在り方を追求していくことであるという視点にたつならば、文化をふくみ得ない社会福祉はあり得ないといっても過言ではない」と主張します。私も同感です。ただ、文化の「市場性」については、これまであまり議論が進んでこなかった。今後の課題は、市場性を意識した福祉文化をつくっていくことです。(20ページ)
越せない溝と「かっこいい福祉」
私にとって「かっこいい」とは、クールやスマートではなく、わかりあえないと認めることだったように思います。認めるためには、たくさんの時間が必要です。私の優しさとあなたの優しさは違うってことや、私の怒りとあなたの怒りも違うってこと。共感ができなくても理解できるまで話す、聞く。ながい時間のなかでわかりあえないことがわかるようになってきます。そうして紡がれた幸せを「かっこいい福祉」、その企てを「かっこいい社会福祉」というのだと思います。(197~198ページ)
〇[2]における言説のひとつの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
障がい者の芸術文化活動と「市場の力」
好きな人がいれば手を組めばいいし、嫌いな人なら手を切ればいい。選択肢の多い市場では「差別をしない取引」が可能です。つまり、市場の中には社会的に弱い人だから差別をするという行動規範は薄いのです。ゆえに、しがらみも少ない。だからこそ市場は、国を超えて人と人をつなげていくのです。/問題は、どの程度の市場化(開き方)をするかです。共感的消費者だけにアプローチしていては、広がりません。狭くて逃げ場所のないコミュニティは差別がはびこります。かといって、つながりすぎ、共感を求めすぎては、綻(ほころ)びが出てきます。身の丈にあったいい塩梅(あんばい)。そこがポイントです。/近江商人の理念である「三方よし」(売り手良し、買い手良し、世間良し)の場合のみ取引をすることです。(203~204ページ)
アートを通じた自己実現と相互実現
インカーブでは、社会福祉事業として障がい者の芸術文化活動を進めていくために「閉じながら“ときどき”開く」ことを心がけてきました。(中略)インカーブの事業の目的は、知的に障がいのあるアーティストの日常が作品制作を通して平安であることです。/アートの商業的価値を慮(おもんぱか)ることは、共感を超える市場につながります。その実現のためには、つながりすぎないこと、共感を求め過ぎないことではないでしょうか。(205ページ)
〇以上のメモに関して、若干付言しておきたい。先ず、「市場」についてである。市場は、需要者と供給者が出会い、契約と取引が行われ場である。松井の言によれば、「いろんな人が集まって、一定のルールのもとにお互いにプラスになるように取引する場である」([2]88ページ)。当然、そこでの人間関係は対等である。市場では、この対等な「契約関係」とともに、人と人との「信頼関係」も必要かつ重要となる。信頼関係は、相手との対等な関係を築くための人間関係であるが、それゆえに「倫理性」(「一定のルール」)が要求される。今日の市場経済社会では、契約関係だけでなく、それ以上に信頼関係が重要となる。この点を含意するのが、今中がいう「好きな人がいれば手を組めばいいし、嫌いな人なら手を切ればいい」という言説であろう。しかし、簡単に「嫌いな人なら手を切ればいい」とはいえないのも人間社会である。そこで求められるのは、「仲間をつくる営為であり、(たとえ嫌いであっても・嫌いになっても)仲間外れにしないという行動」である。それを「福祉」と呼んでいい。
〇次に、「共感的消費者」についてである。共感的消費者とは、商品の品質ではなく、「障がい者がつくった」という商品の背景に思い入れをもって購入する人たちをいう(神谷梢[2]6ページ)。「社会福祉の事業者は、『共感的消費者』にアプローチしてきた。ただ、その範囲はとても狭く、見慣れた仲間うちに限られている。共感的消費者だけに依存し続ければ、マーケットは永遠に広がることはない。これが社会福祉の市場化の限界点である」([2]200ページ)と今中はいう。周知の通り、消費には「機能的消費」「記号的消費」「共感的消費」の三つの形態がある。ブランドネームなどの付加価値を消費する記号的消費ではなく、その商品の機能や効用を消費する機能的消費と、その商品への“こだわり”や“想い”に共感して消費する共感的消費が肝要である(ちなみに筆者が運転する車は、単なる移動の手段として考える大衆車であり、絶滅危惧種のマニュアル車、しかも走行距離は15万キロを優に超えている)。
〇いまひとつは、「福祉文化」についてである。前述の一番ヶ瀬がいう「福祉の文化化」に関していえば、それは、社会福祉それ自体をいかに質・量ともに豊かな、文化的なものにしていくか、文化の香りのするグレードの高いものにしていくかということを意味する。そこから、福祉文化とは、日常生活の量的拡大と質的充実を図り、人びとの健康で快適な生活と情感の安定を保証する生活の質としての文化であるといえる。別言すれば、人びとの日常生活に心の潤いや安らぎ(内面的豊かさ)、社会的・経済的・文化的豊かさなどの「平安」をもたらす文化である。そういう福祉文化を創造するためには、人と人との“であい”“ふれあい”“ささえあい”が必要かつ重要となる。
〇こうした「福祉の文化化」をより確かなものにするためには、福祉政策や行政の文化化を図ることが肝要となる。「福祉政策・行政の文化化」のねらいは、住民の参加と合意形成のもとに、障がい者などを含めたすべての住民の主体的・自律的な文化活動の推進を図り、すべての住民が文化を享受し創造するための条件整備や環境醸成をおこなうことにある。
〇「文化の福祉化」に関していえば、文化は人びとの日常的な生活行為のなかに現れ、創られるものである。そこから、障がい者などを含めた、生活主体としてのすべての人が、文化の創造主体であり、活動主体であるといえる。しかし、例えば、芸術文化についていえば、今日においてもまだ、一定の条件に恵まれた一部の人だけのものであるとか、特定の場所や機会にふれるものであるという認識が強い。こうした芸術文化状況の偏りを是正し、とりわけ芸術文化の貧困のもとに置かれてきた障がい者などに対しては、芸術文化を享受する機会の確保・拡充や芸術文化活動(創作活動)への主体的参加を促す環境醸成を図ることが肝要となる。
〇アトリエ インカーブでは、創作活動と日常生活が共存している。作品制作を通して平安(福祉)を追求している。それはまさに「福祉文化」である。その実践は、荒廃したいまの日本社会を変革し、新たな地平を開く視点や力を生み出している。
〇本稿のタイトルに使った「ゆるやかな絆」は、大江健三郎(文)・大江ゆかり(画)の『ゆるやかな絆』(講談社、1996年4月)による。それは、[1]と[2]を読むなかで思い至ったものである。ただし、記号的消費(使用)ではない。
〇なお、「ゆるやかな絆」をめぐって大江は、次のように述べている。僕らは「ゆるやかで、人を束縛するところは少しもなく、その両端にいる同士はお互いにひそかな敬愛の心を抱いているが、それを口にしないまま時が流れて行き、……というような、真の家族についての感情教育を」受けていたのである(講談社文庫、1999年9月、111ページ)。
付記
本稿に関して、<雑感>(73)「怒りと希望」:社会に怒りラディカル(徹底的)に抗すること・目の前の一人を慮(おもんぱか)ること・社会的課題をデザインで解き希望に変えること―今中博之著『社会を希望で満たす働きかた』読後メモ―/2019年1月28日投稿、を参照されたい。