海苔巻き

誕生日の日に 妻が必ず作ってくれる 一番のご馳走
この日 半日がかりで 具材をすべて手作りする
干瓢(かんぴょう)の甘煮 厚焼き卵 椎茸の甘煮 紅生姜 でんぶ 
ゆでほうれんそう(みつばのときも)に しみ豆腐
高価な食材を 使っているわけではない
ただ具材の味は絶妙で その旨さは 格別である

大坂育ちの母は 口もうまかったが 料理もうまかった
貧しくとも 舌は鍛えられた
節目で 母は海苔巻きを よく巻いた 
寿司飯を冷ます手伝いを 団扇(うちわ)を持って買って出る
早く作ってほしいという 魂胆(こんたん)丸出し
きょうだい四人で 息を殺しながら その手元をじっと見つめる
出来上がって おもむろに 包丁で切る母
このときの高揚感を 今も鮮明に覚えている
はっしこを 順番に口に放り込まれる 瞬間の歓び
まるで飢えた雛たちが 親鳥から餌をもらうような そんな騒々しさだ
口に入った 酢飯と甘い具のミックスされたうまみが 海苔に包まれて
口の中一杯に広がる美味しさは 形容しがたい
飲み込むと 四人はすぐに口を開けて 放り込まれるのを待つ
そんな子らを 母の嬉しそうな笑顔が包む

丸いちゃぶ台に並べられるのは きれいにカットされた海苔巻き
与えられた数を 本当に美味しそうに頬ばる きょうだい
それを見守る父と母
仕合わせは 家族と食するところに いつもあった

妻が 海苔巻きを切る横で
争う者がいなくても 幸せそうな顔をして
はっしこ狙いの 老いた男がいる
母から妻へ 伝えられたことへの感謝を味わう 
大切な一日が 静かに過ぎた

〔2019年9月21日書き下ろし。子殺しの事件が後を絶たない。家庭で共に食するささやかな団欒すら失われた殺伐とした風景が目に浮かぶ〕