ふくしを詩う/鳥居一頼


ほころびを繕う

人は人によって 傷つく
ちょっとした 言葉のあやでも 
簡単に 傷つく

傷つきやすいのでは ない
人は 誰でも 傷つくのだ
傷つかないように 傷つけないように
絶えず 相手との距離をはかって 暮らす

小さなほころびは すぐに広がり 傷となる
だから ほころぶと 
すぐ繕(つくろ)わなければ 仕合わせは 続かない

気配り 心配り 目配り
その気配を察して 未然にほころびを防ぐ

なんという 気苦労か
なんという 徒労の連続か 
それが 世間に生きると いうことなのか
疲れ果て うとましく感じたそのとき はたと気づく

わたしもまた 鬱陶(うっとう)しく 煩(わずら)わしいという
世間の しがらみの中で
こころある人の
気配り 心配り 目配り によって
生かされていることを

逃げ出すことのできない 時空間に囚(とら)われた時代を
生きるしかないのなら
せめて こころのほころびを
慰藉(いしゃ)の手を持つ
あなたと
繕いながら 生きてみたい

 
群像~昭和・平成・令和を生きる人たち~

敗戦後 みんながみんな 貧しかった
北海道には 新しい住民もやってきた
樺太や満州からの引き揚げ者 親類を頼って身を寄せていた人もいた
厩に 家族身を寄せ合って 畑を手伝い わずかな食べ物をもらった
夏は ヤブ蚊にさいなまれ 冬は 身を切る寒さを耐えしのいだ
空襲で街を焼かれ いのちからがら 身一つで
新天地を求めて 来た人たちもいた
そこは 決して地味の良いところではない
開拓は 辛酸(しんさん)をなめる連続だった

北海道は 開拓以来 人はみな自然災害の脅威(きょうい)と闘い続けてきた
戦後も 貧しい暮らし向きは相変わらずだったが 
軍隊に 子どもをとられることはなくなった
兵隊も憲兵もいなくなり 
警察や役所が 思想や行動を弾圧・統制する力が弱まった
地域での お互いの監視や密告 ”非国民”となじりあうこともなくなった
平和が訪れたのだ

農家や漁師 炭鉱夫 工員は 強いきずなで結ばれ 厳しい労働にも耐えていた
あらゆる職場で 必死になって 男も女も 子どもも よく働いた
「からっぽやみ」(役立たず)と 大人に怒鳴られながら
仕事を要領よくこなすことを 子どもらは身をもって学んで育っていった

貧しいがゆえに 子だくさんでもあった
学校の教科書は 下の子はお下がり
上の子は下のきょうだいのために 汚さぬよう使わなければならない
だから 勉強しなかったと うそぶく
教室は 大勢の子どもでぎゅうぎゅう詰めだった
学校の勉強だけでいっぱいだったから 宿題は苦痛そのもの
日暮れまで 遊びほうけるのが 一番だった

近所も 子どもらで溢れていた
舗装(ほそう)されていない広い道路は 遊び場と化した
三角ベースボール 石蹴り かくれんぼ 鬼ごっこ 縄跳び パッチにビー玉 
だから余計に 雨の日は恨めしい 
狭い家で遊ぶのは つまらなかった
ただ 大相撲だけは ラジオから流れる中継に 一喜一憂した

裸電球が照らす下 丸いちゃぶ台を囲んだ
手垢(てあか)と鼻水で汚れた袖(そで)をまくって 
ひと皿に盛られたおかずの取り合いをする
笑い転げながら 喧嘩(けんか)しながら 子どもらは無性に明るい
叱りたしなめ、そして笑う母親の甲高い声が 狭い部屋に響く 
焼酎を美味そうに飲む 父親の満足そうな顔
ごくありふれた 家族団欒(かぞくだんらん)の風景だった
貧しさは それに抗(あらが)い立ち向かう 家族のきずなを強くした
卑劣で卑屈な自分を卑下する つまらないねたみ根性は 根絶やしにされていく
弱いがゆえに 助け合うことで生まれる 家族愛に包まれていた少年時代
ちいさな倖(しあわ)せを 分かちあう喜びで こころは満たされていった

子どもの成長が 親の生きがいだった
戦前戦中 学校に行きたくとも行けなかった親たちは 我が子の教育に 熱心だった
小学校では伸び伸びと遊んでいた子どもらも 中学ではテスト勉強に追われた
過酷な受験競争の まっただ中に放り込まれた
中学を卒業してすぐふるさとを出て 都会に集団就職する友だちを見送った
高校を卒業してすぐふるさとを出て 都会に就職する友だちを見送った
大学に進学するのは ほんの一握り 卒業後都会に出て行った
ふるさとに残った人たちが 踏ん張って 踏ん張って ふるさとを守り 育てた

高校や大学に進学した子どもらの 学費を稼ぐために 親たちはより働いた
景気がよくなり 暮らし向きも少しずつよくなっていった
子どもが いっちょ前(一人前)になっていくときに こう諭(さと)した
「親の面倒を見ることを考えずに 自分の好きなことに一生懸命頑張んなさい」
親もまだ若かった
親の言葉に背中を押された
高度経済成長という時代は 多くの若者を ふるさとから切り離し遠ざけていった
子どもらは かの地で家庭を持ち 住み暮らし 子育てした
そこが ふるさととなった

数十年後 老いた父母は 厳しい老後の暮らしを迎えていた
子どもらの多くは 父母のいるふるさとへ戻ることは なかった
子を送り出した 律儀(りちぎ)な父母たちは 
ふるさとを継承してきた 一人ひとりでもあった
決して 弱音を人前で吐くことはない
人の世話を焼いてきた人は 自分が人の世話になることを よしとはしない
子どもに迷惑をかけることは すまないと 自責の念にかられる
だから 倒れるまで 助けてとは 言わない 言えない
それが 貧しい時代を生き抜いてきた 父母の世代の生き方であり誇りだった 
最後の最後まで 生きることをあきらめない 生命力に溢れた世代でもあるのだ

ふるさとで懸命に働き 子育てして 社会に送り出した人たち
ふるさとの地で 老いてもなお暮らし続けることを覚悟した人たち
ふるさとの自然とひとのぬくもりを 大事に慈(いつく)しんできた人たち
ふるさとに 生きる希望と生きがいを 見出してきた人たち
ふるさとから 人生と愛郷心を 授けられた人たち
そして ふるさとで生きる覚悟をした 次世代の若き人たち
ふるさとの地で 子育てすることを選んだ かけがえのない若き人たち
さまざまな人が 出会いと別れを繰り返し 複雑に絡み合う
ふるさとの ”人生交差点”は いまだ往来(おうらい)が絶えない

いま ふるさとで 生き暮らした先代たちが 老いていく
当たり前の世代交代に 戸惑うことなく 先代の意志を継ぎ 
倒れそうな人を 支えていくことを決心した
一日でも長く ふるさとの我が家で暮らし続けるための手助けを そのおもいを
次の世代に手渡していくために ”ここで動く人”たち

いま ふるさとで 若き人たちが 子育てに奮闘する
子育てに悩み苦しんだ先に 咲きほころぶ喜びが 訪れることを願って
決してひとりぼっちには しない なってほしくない
そばに寄り添ってあげられるだけかもしれないけれど
でも 明日への夢を 希望にかえてあげたいと ”ここで動く人”たち

お節介かも知れない
けれど 手を握り返してくれたら 力を貸したい
だから「私の役目」を知り ただそうするだけ
困っている人を 助けてと声に出せない人を
そのままほっておくことは 私にはできない
「そんな薄情(はくじょう)な人間にはなりたくない!」 
私の中の ”わたし”が 叫ぶ

その声に突き動かされたように
同じおもいを持つ仲間に支えられ
きょうも 明るく笑顔で 心配事の「御用聞き」
私のボランタリーな活動が 始まる
   
いままでここで頑張ってきたんだから 
一人で悩まず 少し肩の力を抜いて 一緒に考えましょう
別れ際「ありがとう 頼むね」って 声がけする
「頼むね」って 一体なにを頼まれたの?
一瞬 戸惑うあなた
ただ人は何かを頼まれたことで 一方的な弱者の立場から 逃れられる
人は「からっぽやみ」になることを 恐れる
世間に顔向けできる 心くばりのキーワード「頼むね」 
その人にも 大事な「役目」を持って生きている証のことば

少し前向きに ”いま”を あなたと生きたい
それが このまちで生き暮らす 
わたしのちいさな願いなのだと 得心(とくしん)がいった 
だから 自分に「頼むね」って いつも声がけしながら
あなたと 向き合う

 
助かるわ

夫婦二人のところに
精米した新米が たんと送られてきた
すぐには食べきれんから ご近所さんに ちょっとお裾分け
「お米嬉しい 助かるわ」
「なんもさ うちも助かるんだから」

買い物の帰りに 町会の人の車に 乗っけてもらった
小雨がぱらついてきて 荷物もあったから
「助かったわ」
「なんもさ 雨の中 ほっとかれんからね」

家のもんが だれもいなくて ひとりでいたら
突然胸が苦しくなって 消防に電話した
「助けて!」
サイレンならして 救急車が飛んできた
したら 隣の奥さんが 駆けつけて来て
「大丈夫?」っていいながら 病院まで付き添ってくれた
「本当に助かったわ」って こころから感謝したら
「お互い様だよ」って 返ってきた

「助けて!」って 相手に負担をかけると 知っているから
なかなか 言いだせないことば
「助かるわ」って すぐに出てくる 感謝のことば

「助かるわ」「助かったわ」ということばは
他人(ひと)とのかかわりを 和ませる
そのかかわりの さりげなさが
いざというときに「助けて」って すぐに伝えることばに変わる

だから 「助かるわ」「助かったわ」は
お互いの助け合いや支え合いを 身近に感じることばとなる
そのこころは あなたを信じ 分かち合いから生まれ 育まれて さらに豊かになる

それは 一人ひとりに宿る こころの風景そのもの
わたしのまちの 「愛ことば」
「助かるわ」「助かったわ」「なんもさ」「お互い様」
愛ことばの往来が
わたしのまちを ぬくもりあるまちへと 突き動かす

 
義理を果たす

87歳のばーさまは 14、5年前に 連れ合いが死んでから
あの家で 気丈に独り暮らしをしていたんだよ。
子どもらは 村を出ていって 家さ帰ってくることは 滅多にない。
でも若いときから よく村のために尽くしてくれた夫婦だった。
お人好しで 何でも二つ返事で引き受けてくれたもんだよ。

身体が動いて元気なときは 若妻会だといって
サロンに 歩いてよく通ってきてた。
昔話に花を咲かせていたり ゲームや体操したりして
楽しそうに身体を動かしてさ みんなと笑っていたっけ。

小さな畑さこしらえて 一人ではもうこれっくらいが丁度いいって
毎日飽きずに 畑仕事をしていたっけ。
冬支度にかかる頃には 畑の始末も上手かったね。
裏山から薪さ背負ってきては まてい(丁寧)に軒下に積んでいた。
そうなんだ 灯油は 銭っこかかるっていってね
薪ストーブ焚いていたんだわ。
薪はそれでも 知り合いに頼んで割ってもらってたね。

年金だって 月たった3~4万円だったよ。
だから よく辛抱していたね。
明るい人だったから 愚痴ってるのを あんまり聞いたことなかったけど
一度 ぽつんと しゃべったことがあったわ。

「義理は欠けないね」
「どうしたの?」
「いやいや また世話になった人が 亡くなったって知らせがきて
 香典包まねばなんないのさ」
「物入りだね」
「うんだ。この歳になると 世話をかけた人がみんな先に死んでいく。
 じさまの葬式もみんなにお世話になって出させてもらったしね。
 じさまの親戚やわしの親戚 知り合いや隣近所にも ずいぶん世話になってきた。
 恩のある人もまだまだいる。
 だけど そろそろお迎えのくる歳に みんななってきたんだわ。
 わしより若く亡くなった人もいてね。長生きすればするほど、見送らねばなんない。
 知らせがくるたんびに 義理欠くわけにはいかないしょ」
「それは大変だね」
「浮世の義理さ欠いて あの世さ行ったときに じさまに会わせる顔がない。
 死んでまでも肩身の狭い思いさ かけたくないしょ。
 これがわしの最後のお勤めなんや」
と寂しげに笑った。

よほど やりくりが苦しかったのかも知れない。
年に十度ほど 香典を包むという。
葬儀には出ることは出来ないが 香典だけは欠かさない。
いままでお世話になった恩返しに 香典を包む。
義理を果たすことで 報われると信じている。
暮らし向きは厳しいけれども 自分が辛抱することで 義理を果たそうとする気概。
世間に後ろ指を指されぬよう じさまにあの世でよくやったと褒めてもらえるよう
世間の習わしのなかで 懸命に生きてきたのだ。

務めを終えた その安らかな表情に 南無阿弥陀仏と唱え 合掌した。
夫婦の今生での義理を欠くことなく 浄土へと旅立った。
村の会館での葬儀のおかげで みんな最期の別れもできた。

喪主の子も 老齢期を迎えていた。
母親が この村に残した人とのぬくもりを きっと感じていたであろう。
その義理を果たすことはできないと 親不孝を恥じ入るかもしれない。
失って初めて知らされる 母の温情と恩情が漂う しめやかな葬儀となった。

 
小さな希望のともしびをかかげてください

地域に住む ひとり暮らしの老婦人を 訪れた
若いときには みんなお世話になった
「何か変わったことはない?」
なにか言いかけて 飲み込まれることば
「なんかあった?」
「ううん」
息を吐くように もれた短いおと
「何か心配事?」
「何にもないよ、大丈夫!」
静かに微笑みながら きっぱり答えた
とりとめもないおしゃべりをしながら 
いつもの様子に安堵して おいとまをする
見送る気配を感じて 振り向いた
玄関口で 深くうなずきながら 手を振ってくれた

日々の暮らし向きは 決してゆるくはないはず
そのことを ひとつもこぼすさず 
微塵(みじん)にもみせず いつも毅然としていた
静かな佇(たたず)まいの中に 
ふと その人の存在の重さを感じた 

「大丈夫」
毎日 自分に言い聞かせるように
今日も地域で ひとりで暮らすことを確かめる 自問自答
きっと 
困っていること してほしいこと 不安なこと ばかりだろう
耳をそばだてても 躊躇(ちゅうちょ)して話さない
人に頼ることに 姑息(こそく)な自分を 恥じ入るのか
いま甘えたら 耐えていたものが
堰(せき)を切ったように 一斉に吹き出して
取り返しがつかなくなる
恐れているのは 依存心と無気力感
そして世間体
だから 誰にも迷惑をかけぬよう 
微笑みに 不安を閉じ込めて そこに生きる

厳しい世の中の 冷たい風が吹くたびに
こえぬよう ひたすら耐える
弱き者たちが いつの世でも 忍従を 強いられる
それが 長寿社会を謳(うた)ってきた 日本の末路となった
でも 屈しない 屈してはならない
気負わず したたかに 生きていく
それが 市井(ちまた)の「民の才覚力」だ

「おばちゃん 遠慮せず もう少し迷惑をかけてください」  
私のこれから行く道に 
おばちゃんが 世の中の風に翻弄(ほんろう)されながらも
かかげる小さな灯火(ともしび)が ゆるがない希望の道しるべとなるのだ
だから 明日もまた会いに行こう
「大丈夫?」 
「うん なんともないさ」
「がまんしないでね」
「あんたが 会いに来るから 大丈夫!」

 
わたしがここで暮らす理由(わけ)

いやな予感が 当たった
暴風雨の夜 
突然テレビの画面が消えて 真っ暗になった

停電は 
闇夜(やみよ)に ひとり放り出された気分
懐中電灯が もの悲しく 闇を射る

突然 どんどんどんと 強く戸を叩く音と 怒鳴り声
雨風の音に 逆らいながら
「おばちゃん、大丈夫かい! ここから逃げるぞ!」
慌てて戸を開ける
「どうした!」
「裏の川があふれるかもしんねえ。急いで逃げるぞ!」
手荷物を抱えて 降りしきる豪雨の中 車に乗った

眠れぬ朝が 静かに明けた
家は 無事だった
ほっとして 張り詰めていたこころが 緩(ゆる)んだ
「大丈夫?」と 隣の嫁さんが 声をかけてくれた

誰か彼かに 気遣ってもらいながら 今日も無事だった
仕合わせは きっと こんな暮らしの中にある
一人暮らしだけど ひとりぼっちではない

電気は まだ通じない
でも 
他人(ひと)との こころの通じ合いが 
わたしの暮らしを さりげなく 支える

だから 決めた
もう少し 甘えようと 
できれば ここで … いのち尽きたい
きっと おもいが叶うと信じて 
今日を生きる

 
看取る

86の男が この夏 老衰で逝った
死の宣告を受けて1年半 長らえた
医師は なにかの時は電話を寄こすよう 指示した
家族も 承知して 看取られた

ここは 知的障がい者の更正施設
老男は ここで 長年暮らしていた
老人施設に移すことも 考えた
環境の大きな変化は 老男の余命を縮める
医師と家族と相談し 施設で看取ると 覚悟を決めた

障がい者施設は 介護施設ではない
それでもなお かけがいのない存在として その人の尊厳性を護りたい
その人がその人らしく 暮らし 生きて 死ぬ
当たり前の人生を ここで全うすることを 優先した

地方の施設は 慢性的な人材不足に あえいでいる
ここも 職員不足は 深刻だった
さらに 50人の居住者の高齢化は 容赦ない
それでも 看取ることを決めた
予備軍は すでに二人いる
これからも 増えていくだろう
だからいま 看取りの体制とノウハウを 学ばなければならない

障がい者の 社会的自立が重視され
施設からの地域へと 国は奨励した
地域にグループホームをつくり 収容しただけのことだった
障がい者の雇用先は 地方であればあるほど 皆無なのだ
どんな自立が あるというのか
地域環境や就労保障を 未整備なままに捨て置いて 
霞ヶ関の美しい理念が 一人歩きする

仕事もなく ホームで暇を持てあます 怠惰な日々
施設にいれば 一員としてできることもあった
老いると グループホームから 追い出されるのか
特養ホームに入ることは できるのだろうか
課題 未解決のまま 積み上げられていくだけ
障がい者の家族も ともに老いていく
最期を 誰が看取るのか 
置いていく者 置かれていく者の 心配の種は尽きない

だから 看取りを決心した
最期まで 面倒をみることで 家族も安心した
厳しい職員体制のなか 職員の合意と協力を得なければならない
勤務内容は もっとしんどくなるはずだ
高齢者施設ではない
だから 介護するための設備はない
バリアのある暮らしに慣れているとはいえ 安全への対策には 限界がある
批判を承知で 取り組んだ
職員を 福祉人として さらには人間として成長させる
教育機会とも とらえ直した
一人体制の宿直 不安を抱えての巡視
日中は 職員の接遇が 優しさを育む

知的障がい者施設が 高齢者を抱え出しても 国は何も手当しない
介護保険のサービスを 施設が提供することはできない
デイサービスは 外部に依頼するしかない
高齢者を抱えていく 知的障がい者施設の
これからのビジョンを いま打ち立てなければ
路頭に迷う当事者と 家族が生まれる
経営の視点から 介護保険事業所を立ち上げ 
高齢者介護に対応することも 想定しなければならない
だから 職員の就労意欲を喚起し 
現場発信を尊重した 取り組みが求められる
出来ること 出来ないことを ふり分けしながら
まずは出来ることから していかなければ 前には進めない
覚悟を決めた男は そうつぶやいた

看取りは 課題提起の一里塚
看取った施設の 誇りとなった
老衰した男の葬儀は 施設でしめやかに執り行われた 

 
書く

文字を 小学校で習った以来
手紙すら書くこともなく
出す相手も いなかった わたし
勉強だって 好きじゃなかったから
本を読むのも 苦手だった
乳飲み子の妹をおぶって 通った学校
勉強に飽きたら
妹を泣かせて 校庭に退避した

年頃になり 口減らしで 隣村の貧しい農家に嫁いだ
山間の小さな村の 村はずれの小さな藁葺き土壁の家
朝から晩まで 野良仕事 子育てに追われる 毎日だった
そんな暮らしに こころがポカっと あいたまま ただ流された
誘われて 村の若妻会に ある晩顔を出した
農家の女も 自分のおもいを溜め込まないで
思ったことを 何でもいいから「書いてみれ」
そこに招かれた「女先生」に言われた

書くこと
考えた事もなかった
書くこと
ひらがなしか 書けなかった
書くこと
そったら時間なんか あるわけなかった

衝動が走った
「書きたい」
理由なんか ない
「書きたい」
暮らしの足しに なるはずない
「書きたい」
見返りなんか 期待もしない
「書きたい」
自分のいまのおもいを ぶつけたい

夜半 子どものちびた鉛筆を 手にした
おそるおそる 思い浮かぶコトバを 書きだした
小学校以来 初めて書いた綴り方
なんだか 嬉しくなった

この紙一枚の世界に 自分の書いたひらがなが 踊っていた
ただそれだけで こころが 休まるように 感じた
この紙一枚の世界に 自分の本音を 吐き出した
ただそれだけで こころが 落ち着いた
この紙一枚の世界に 嫁の過酷な苦しみから 一時(いっとき)逃れられた
ただそれだけで こころが満たされた

この一枚の世界だけが “わたし”という存在を明かす 自己の証明(しるし)
この一枚の世界だけが “わたし”に許された 思考の時間(とき)
この一枚の世界だけが “わたし”のこころを解放した 自由な空間(ばしょ)

「書く」ということ
文字を知った人間の 本質的な行動
それを 阻(はば)むことは 決して許されない
「書く」ということ
誰にも与えられた わき上がってくるおもいの表現方法
それを 拒(こば)むことは 決して許されない
「書く」ということ
社会的身分や血筋家柄 学歴や貧富を越えた 自由意志の世界
それを 否定する人は 
人間辞めなさい