まっすぐな まなざし
まっすぐな まなざしを
まごころいっぱいの
きみのこころに 思いっきりあつく向けよ
まっすぐな まなざしを
きみを愛(いと)しむ
かけがいのないひとたちに ただひたむきに向けよ
まっすぐな まなざしを
この世界に生きる
すべてのいのちを やさしく抱きしめるように向けよ
まっすぐな まなざしを
時に くじけそうになり あきらめかける
きみの弱さや言いわけとの 静かな語らいに向けよ
まっすぐな まなざしを
こんなひとになりたい
こんなことをしたい
そんな憧憬(あこがれ)に しなやかに向けよ
そして
まっすぐに
まなざしを
未来のきみに 向けよ
きみが生きる 未知なる世界に
希望(のぞみ)高く したたかに向けよ
めんこいしょ
ぐずって 泣きそう
泣き顔がはじけ 泣き声が発せられるこの一瞬
顔を崩して こぼれる涙顔
めんこいしょ
つぶらな瞳と にらめっこ
ジッと顔を見てて 泣くかなと思ったこの一瞬
ニコッと まさかのほほえみ返し
めんこいしょ
おいでをすると ためらいがちに
ゆっくり両手を伸ばして からだを預けたこの一瞬
やわらかな 匂い立つ顔
めんこいしょ
スプーンを自分で持つと 強情(ごうじょう)はって
口のまわりに たくさん散らかすこの一瞬
してやったりと にたり顔
めんこいしょ
ことばにならない 声を出し
指さす方に 目を向かせ
おぼしきおもちゃを 差し出すこの一瞬
いやいやと かぶりをふる不満顔
めんこいしょ
素っ裸 湯船で
お湯と戯れて おいたをするこの一瞬
満面の笑みをうかべる 赤ら顔
めんこいしょ
めんこくて めんこくて
ただただ めんこくて
包み込まれる いのちのぬくもり
めんこくて めんこくて
ただただ ありがとう
包み込む 二人の深い慈しみ
いのちの限り 共に歩まん
ありがとう
“ありがとう”って 言うと
どうして こころが あったかくなるのかな
どうして うれしく なっちゃうのかな
どうして 笑顔に なっちゃうのかな
どうして しあわせな 気分になるのかな
“ありがとう”って 言われると
どうして こころが あったかくなるのかな
どうして うれしく なっちゃうのかな
どうして 笑顔に なっちゃうのかな
どうして しあわせな 気分になれるのかな
“ありがとう”
知らない人でも
知ってる人でも
だれもが 笑顔になれる 魔法の呪文(じゅもん)
二人の間に あっという間に しあわせの橋をかけてしまう
“ありがとう”
素直に言えたなら
ひとは 憎み合うこともない
ひとは ののしり合うこともない
ひとは 恨み合うこともない
ひとは 殴り合うことは 決してない
だれもが 小さな思い合いをする 魔法の呪文
二人の間に あっという間に いさかいのこころを消してしまう
“ありがとう”
感謝の気持ちを表すコトバ
それは
“わたし”が いまここに 生きている喜びを 表すコトバ
生まれてきて よかったと 誰かに伝える コトバ
これからも たくさんのあったかい手で たくさんの思い合いのこころで
“わたし”を支えて はげましてくれる コトバ
“ありがとう”
ただそれだけで
ひとは こころ豊かに 生かされる
不思議な 不思議な 魔法の呪文
いい子ぶる
「ごめん」って ちゃんとあやまろう
わるいことしたんでしょう
「ごめん」って そんなあやまりかたなら
この子は 許してくれないよ
「ごめん」って そんなあやまりかたってあるの
ちゃんと頭さげて
「ごめん」って そんななげやりな言い方あるの
ちっとも悪かったっていう気持ち伝わってこないよ
ねえ 「ごめん」って ちゃんとあやまっているから
許してあげてね
この子に もうしないって「やくそく」させるから
いつも“この子 助けてあげて”と 先生は目で訴える
おれさ 本当ははずかしいんだ
いつもさ わるさして あやまってばっかり
いいかげん じぶんでも はらが立つけど
それでも 「やっちゃった!」って
でもさ、いつもこんなふうにあやまって
許してもらうと かんたんに悪いことが 帳消しになってしまう
たまには 自分からあやまりを入れて
先生の点数稼ぎもしておかなくちゃいけないんだ
あやまるって たいしたことないんだよ
そのときだけ すこしだけがまんする
なにをって はずかしいって気持ちをさ がまんする
おれだって 笑われたらはずかしいし
こんちくしょうって ときどき切れる
あやまって ゆるしてもらえば こっちのもんだ
またやっちゃうね
これぐらいじゃ ちっともこりないよ
おちょくるって けっこうおもしろい
あいつをおこらせて
顔を真っ赤にしたり 泣いたり わめいたりさせるのって
ゆかいだね
だから なんどでも やってしまう
おれの楽しみのひとつを なくするわけにはいかない
おれ こんどのことだって 悪いことしたなんて これぽっちも感じていない
だから しぶしぶ あやまる 「ごめん」
それでも いままでみんな許してくれた
だから こんども大丈夫!
このくらいなら 親には告げ口されない
しんどいのは 親が知ってしまう前に
“いいわけ”を考えなきゃいけないこと
なんぼおれだって 親には“いい顔”していたいから
あんたのうそっぱっちの「ごめん」なんて もういらない
「またやる」って顔に書いてある
その目を見るのも もういや
先生も あやまればおしまいって顔しているから たよりにならない
だから さっさと済ませてしまいたい
ただそれだけ
「同じクラスの 友だちでしょう」っていわれても
ちっとも ピンとこない
きらいな人と 友だちになんかなれない
いじわるな人が 友だちっておかしいよね
大人は そんな人とは つきあわないでしょう
どうして 無理して“友だちごっこ”しなきゃいけないの
好きで同じ学年やクラスになったわけじゃない
わたしがあいつに 悪さをしたわけでもない
でも どうしてあいつの勝手気ままなわがままを がまんしなきゃいけないの
痛い目にあっても 「ごめん」の一言で どうして許さなければならないの
いつも「芝居」をさせられている気分
そこでは ものわかりのいい“いい子”になっているだけ
“いい子”にならないと わたしが“いけずな子”って思われる
おとなは 子どもの気持ちが知りたいっていうけど「無理!」
きょうもまたいやな思いをさせられても “いい子”ぶらなきゃいけない
だって そうしないと あいつと同じに見られてしまう
あいつはへらへら笑いながら こりずに同じことをしてくる
そんなの わかっていながら このくりかえし
やられたあとに あやまったって なにが変わるっていうの
いやな気持ちが その一言でふっきれて なくなってしまうとでもいうの
魔法の呪文(じゅもん)「ごめん」
もうなんの効力もない まっぴらごめん
自分の気持ちに うそつけない
もうあいつの「ごめん」なんか
こっちから「ごめん」だ
こんどやったら もう許さない
私だけじゃない あいつにやられて泣いてる子
たくさんいるんだから
ただ心配かけたくないって
やられてもみんな口をつぐんでいるだけ
「そのくらいのこと なんでもない」
「あなたが がまんしなさい」
「いつか あの子もよくなるから」
おとなは 子どもに言い聞かせる
だけど いつになったら 正直に自分の気持ちをぶつけられるの
一度なら 「なんともない」ってふっきれるけど
何度もされたら がまんなんかできやしない
それでも おとなは さも私の痛みをわかったようなふりをしながら
「許してあげて」と やさしい声でせまってくる
その声に さからえない
でも わたしは こんなになやんで苦しんでいるんだよ
いい子だって 思われたいから
「いいよ」って 自分にうそをつく
こんなの もういやだ うんざりだ
これって わたしの悪いこころなの
そうやって自分を責めて またいい子ぶる
それをぬけぬけと
「あやまったから許される」なんて 単純に思い込んでいる
あいつもおとなも 許せない
そんな言葉や態度で すますことなんてできない
「いいよ」っていったけど
そうしないと なかなか帰してくれないから しかたなかった
こころの中は 怒りでいっぱい
こんどやったら もう許さない 許せない
わたしを 甘くみないで
平気な顔をしていたけれど
おこれば あいつと同じになるからがまんした
いつまで このがまんが続くのだろう
いやだ いやだ もういやだ
あいつの顔なんか 二度ともう見たくもない
わたしは悪くはないのに なんで“なみだ”が出てくるの
くやしい!
“なみだ”なんか見せたくない
わたし 弱虫じゃないもん
でも みんなにそう思われているあいつって
たいへんだな
いっつも だれかに刃向かっていくエネルギー
疲れることを知らない とほうもない反抗のエネルギー
わたしにはない
そこはすごいと へんに感心する
でも なんであんなに こころがねじきれてしまっているのかな
ひとりぼっちに またなっちゃった
だあれも あいつのこころは わからない
だあれも あいつの苦しさは わからない
あいつが 一番自分のことが わからない
だから よけいに苦しいのかも しれない
あいつは ああやって悪さを続けることしか
みんなの注目を集めることが できなくなった
こころもあたまも 悪さにしかまわらなくなった
あいつを こころのかよった子にしたいという
みんなの思いは いつか むなしくしぼんでいく
いつも うらぎられるから
だから だあれも もう信じない
そして ひとりぼっちで 悲しい子になった
叫んでも だあれも こたえてくれない
だあれも もうあいつのそばにはいないから ひとりぼっち
暗闇に ぽつんと ただいるだけ
いつか みんなの記憶からも うすれていく
「あんな子 いたっけな」
そうならぬよう
あんた
すなおに
こころから「ごめん」って
いってみて
そしたら すこしだけ 信じてあげてもいい
大丈夫だよ~こころを痛めた子どもたちへのメッセージ~
もうふりかえらない
ふりかえって そこに何があるというの
過ぎた時間の断片のかけらに
一体きみは 何を見つけ出そうというの
苦痛と悔しさ、そして悲しみのいっぱいつまった こころのアルバムに
顔を埋めているのは 自ら悲劇のヒロインを 演じているだけ
そこから 心躍る何かが 生まれるというの
いつまでも 過去を抱え込んでいるだけでは
この先に続く 長い未来を 捨てることになるんじゃないの
きみは 過去に固執(こだわる)ことで
未来に 不安を引きずって生きるっていうの
でも 考えてみてよ
たかだか 15年の人生
その ごくごく短い時間にこだわり続けることに
どんな価値があるっていうの
今日 きっぱりと「さよなら」して
きみの明日に向かって しっかり顔を上げてみないかい
きみの そのこころと身体を支える足を 一歩前に踏み出してみようよ
大丈夫!
きみはひとりではない ひとりぼっちではない
ここには きみと同じように 辛い過去を背負った仲間もいる
その子らを 支え励まし続け 寄り添ってきた先生(おとな)もいる
大丈夫!
きみを慈しむ 家族がいる
きみが幸せになることを あったかく見守り願う家族がいる
大丈夫!
きみの未来は きみの手の中にある
あきらめない めげない へこたれない
心の痛みのわかるきみだからこそ 本物のやさしさを 強さに変えられる
それが 未来を切り拓く 戦う力となる
大丈夫!
ひとりで悩むことはない
この学校は きみのとっておきの居場所
きみが望めば きみ自身を自ら変えられる そう信じよう
今日からの新たな世界と時間は いまきみのものになる
だから“笑顔”で 仲間と一緒に前に進んでみないかい
きみなら きっとできる
大丈夫 自分を信じて…
大丈夫 きみなら きっとできる
15歳、いまここに立つ~旅立ちの青春賛歌~
時は満ちた
真っ正面から 自らの持てる力で
困難に ぶつかっていくしかない
真っ直ぐな道が ここに開かれた
いま ここでたじろいでしまったら
後悔することは 自明の理
海を見よう あの広い海原の
遠くに続く 見果てぬ未来に 希望の旗を翻(ひるがえ)し
後ろを 決してふり向かず 勇気の帆を張ろう
しっかりと 心意気高く 風をつかまえよう
容赦(ようしゃ)なく 照りつける太陽に 身を焼きながらも じっと耐え
うねる大波には 逆らわずに 慌てず静かに 身を委ねる
偽言(ぎごん)や 悪口(あっこう)には 惑わされず ぶれない自分を見出すために
世の中という大海に 君の小舟を 漕ぎ出すしかないのだ
有為無常(ういむじょう)の この世であるからこそ
我を制し 世情の疎(うと)ましさを 笑顔いっぱいに引き受けながら
痛快に 人生の航海に挑む決意を示そう
昂然(こうぜん)として 勇気の帆を張ろう
生まれた証しを この世に記すための 旅が いまここに始まる
福祉の授業の醍醐味
福祉の授業を終えて 校長室に戻った
校長は ソファに座ったまま 一言も発しなかった
沈黙が しばらく続く
耐えかねて 一緒に参観した教員が 口を開いた
「校長先生 そうですよね!」
校長は ただうなずいた
「どうしたんですか?」
「あの子らが 一人ひとり 自分の意見を発表するのを 初めて聞いたんです」
6年生45人との授業は 約束事が二つあった
ひとつは
意見のある子は 挙手せず 必ず立つこと
自分の意見を聞いてほしいという 意思表示のカタチ
だから立つ
ふたつに ある子の発言を受けて 「同じです」という言葉を 禁句にしたこと
「同じです」と答えた子どもに
「君の言葉で 言ってごらん」と促すと
少し意味が違った言葉が 返ってくる
「ほら 友だちとは少し違うね まったく同じではないね
まったく同じには 決してならないんだ
それが 人とは違う“きみ”である ということなんだよ」
子どもは 嬉しそうに 笑顔を見せた
そこから 子どもらは「自分の言葉」で 話さなくてはならなくなった
質問した
全員が立つまで 待った
見ている教員らは いぶかる
最後の一人が 不安げに立った
さあ 答えよう
順番に 自分の言葉で 答えていく
自分の番が終わると 緊張感から解放されてか ほっとため息を吐く
順番が進むにつれ 言葉につまりながらも 発言は続く
前の子が何を言ったのかを 頭の中で反芻(はんすう)しながら 言い終える
残り十余人 山場を迎えた
「これから発表する子は 大変だね
だって みんなが言葉を 出し尽くしてしまった後に
どんな言葉を使ったらいいのか すごく悩んじゃうね
最初に考えていた 自分の言葉を使われてしまったら
また別の言葉で 考えなくてはならない
今まで発表してきた子よりも
頭の中のコンピュータが ものすごい勢いで高速回転して
言葉を探しているんだ
すごいだろう
だから がんばれって 応援してあげて」
その瞬間 自分の番が終わって ホッとした子どもたちの 目の色が変わった
「自分の言葉で話す」
その大変さと面白さを 教室のみんなで 初めて味わう喜び
もがきながらも 言葉を生み出す苦しみを 共有した瞬間だった
最後のひとりの発表が終わると
期せずして 歓喜の拍手が起こった
やり遂げたという 充実感と満足感が 笑顔になって 教室を満たした
「あの6年生は 自分の意見を 自分から進んで発表する子どもたちでは ないんです」
何度も うなずく校長
「一人ひとりが 真剣に言葉を探しながら 自分の意見を堂々と発表したんですね」
強く うなずく校長
「僕ら教員が 打ちのめされた授業だったんです」
下を向いて うなずくしかない校長
子どもたちは 「自分の意見を持てず 進んで発表できない子」だと
烙印(らくいん)を押されたまま 6年間 学校に通ってきた
そう勝手に思い込んだ 教員集団は 子どもたちを洗脳(せんのう)し
“出来ない子”のイメージを 植え付けてきた
だから 自信なげに 誰かに追従し 周りに調子を合わせる
みんなと“同じです”が いつも逃げ道となり 卒業のときを 迎えていた
きょうの日が 子ども自身も教員も 変えた
取り返しのつかない “思い違い”をしていたことを 初めて知らされたのだ
そこには 彼らが求めてきた“子ども”たちが 実在していたのだった
予想外の展開は 教員の思惑(おもわく)から外れ
“以外だ”と いままで片付けてきた 教員の思い上がりや思い違いに
気づかせるのは 容易なことではない
でも 子どもらは いとも簡単に 集団でやってのけた
自分にも仲間にも そして教員にも ポジティブな言動で
見事に 他人(ひと)とは違う“わたし”であることを 意思表示したのだ
教室での同調圧力が 子どもを圧迫し
どれだけ その成長を阻害(そがい)してきたことか
子どもを理解するチャンスを
どれだけ 見逃してきたことか
教員も子どもも その思い込みを変える機会を
どれだけ 放棄(ほうき)してきたことか
子どもが身につけた能力や態度を引き出すことに
どれだけ 手抜きしてきたことか
子どもに 負のレッテルを貼って 貶(おとし)めてきたことへの 深い悔恨(かいこん)
それが 重い沈黙の理由だった
教員が思い込む その頑(かたく)なさを 打破しなければ
子どもは いつまでも 彼らの思惑の中でしか 生きられない
彼らこそが 意識を変えなければならない存在そのもの
子どもと向き合うということは
子どもの多様な有り様を共に見て 理解し合うということ
そこに 陶冶(とうや)の正否が 問われるのだ
なぜ 一期一会の「福祉の授業」で 子どもらは 躍動したのか
授業は 子どもらのおもいを そのままただ受けとめただけ
そこに生まれたのは “信じ合う”という空気
だから 意思表示することが 素直に面白いと感じる
自己肯定感が 仲間と共有された結果
彼らの思考と判断と行動を縛ってきた“しがらみ”から 自らを解き放った
授業という枠組みの中で機能してきた “評価される発言”という苦痛ではなく
自由で豊かな発想を 自らの言葉で語る喜びを 彼らは深く味わったのだ
もしも この機会がなかったら…
彼らは 誤解されたままの 子どもたちであったに違いない
学び合うことの喜びを知ることなく “生きる”ということは
悲劇でしかない
福祉の授業の醍醐味(だいごみ)は
人間教師としての 「共育への道」を 探求すること
それは
子どもが魅了(みりょう)される 学びの世界へと導く 道程となる
きょうという日
にがてなこと
やりたくないこと
あきらめたこと
いやでにげだしたこと
とちゅうで なげだしたこと
あとでしようと ほったらかしたこと
それは みんな ほんとは しなきゃいけないこと
しなきゃいけないって おもっていたことばかり
きょう しなければならないことを
さきのばしに したことで
またきょうの日を むかえた
そして きょうの日も なにもしないで またすぎる
いつも いつでもやれるんだと
あんじを かけていた
いいわけだけが うまくなった
そして いつのまにか あたりまえに しなくなった
だから きのうも きょうも あしたも なんにもかわらない
なにもやっても むだだと
さもさも わかったようなふりをして
なんにもかんがえない なんにもしない なんにもかわらない
“わたし”
このままずっと こうしていたら どうなるんだろう?
とつぜん そんな気もちに おそわれた
なんだか あたまも こころも からっぽになったような気分
それが 生きてるってこと?
そんな“わたし”に ようやくいやけがさしはじめた
するか しないか かんがえてきめるのは “わたし”
“ない ない ない”という
こころのからを わらなきゃいけないって 気づいたら
むずかしくかんがえないで こころのままに ちょこっとうごいてみよう
いままでとは ちょっとちがった“こころの景色”が 見られるかも……
そこにきっと 信じられそうな“わたし”が 見つかるかも……しれない
えっ! だれかが“わたし”の手をにぎった!?