地域との連携強化の旗印の下
福祉の授業で 市民がゲストで呼ばれ ある学校に行った
廊下ですれ違う教員たちは 怪訝(けげん)そうな目線を送って
立ち止まることなく 挨拶もそこそこに 通り過ぎる
時には 声も出さず黙礼もせず すれ違う
先に挨拶の声がけをするのは
いつも ボランティアのゲストたち
授業がはじまるまで 職員室の隅のソファーで待機する
担任が迎えに来て 教室に出向いた
ただそれだけのことだった
校長からの ねぎらいのことばはなかった
そもそも 授業に顔を出すことも しなかった
校長室に通されるのは 学習支援の市民ではなかった
校長室に通されるのは 地域の有力者や 社会的地位のある人だった
そこで 茶菓子の接待を受け 歓談する
もちろん 校長は授業も参観
終わると 校長は謝辞を述べ見送る
市民ゲストは 後でそっと聞かされた
同じ待遇をしてほしいと 願っているのではない
ただ 学習支援の訪問活動している市内の学校で
教員の挨拶の違いが こうもあるのかと驚いた
その違いは 校長のゲストへの待遇のあり方を範として
訪問客に 差別化を促しているだけのことだった
市民ゲストは この学校が なぜ評判が悪いのかを知った
福祉の授業をしても 教員が後ろから監視の目を光らせる
質問に挙手することもなく 指名すると自信なげに答える
校内の空気は 殺伐とし 息苦しさを覚えた
この学校に閉じ込められている子どもたちの 苦痛を感じた
だからこそ この学校には市民の目が必要だ
ボランティア仲間にも この学校への学習支援を頼もう
いま学校と地域が求める 地域連携というならば
この学校こそ 連携強化の対象だと 仲間に伝えよう
一人でも多くの市民が 関わることで
学校の体質が改善され 子どもたちが学びやすくなるだろう
そう信じて 一市民(いちしみん)として動きだそう
それが ボランティアの「心・意気」だと 合点が行った
〔2019年9月30日書き下ろし。学校に特定の市民が参画する制度を進めているが、日常的に市民が学校に関わることで、子どもたちが守られる。閉鎖的な体質が改善されないのは、市民の受け入れを拒むことにある〕