毎日が仕事に 忙殺されていた
朝4時から7時までの たった3時間が 自由な時間だった
授業研究や 授業実践のふりかえりも 地道に続けた
朝 玄関口に 子どもたちが待っていた
鍵を開けて 職員室に入る
プリントの印刷が 朝一番の仕事
子どもらは 元気よく飛び出して 朝のランニング
おはようと声をかけ その大きな輪に加わる
子どもとのたわいないおしゃべり 家庭学習ノートの点検とコメント書き
学級通信は 毎日書いた
6時間の授業を終え 明日の授業の準備をする
休む間もなく 放課後は女子ジュニアバレーボール少年団の練習
シーズンの週末は 全道大会の予選や地域の大会が 目白押しだった
胆振管内でも 胆振東部地区でも トップクラスのチームだった
コーチの一般の人も わかりやすく優しく指導した
保護者のサポートも 協力的で熱心だった
バレーの基本技術と基礎体力の育成
スポーツすることの楽しさを学ばすことは
指導の基本中の基本であった
成長期の子どもには 一生を支える身体づくりこそ
少年団活動のあり方だと 常に肝に銘じていた
指導は 時に厳しかったが
子どもたちは 週3回の練習に集中した
だから 決して 弱くはなかった
活動を終え 学校の施錠をして 19時過ぎ帰宅の途につく
残った仕事があれば 教室に戻る
職員室には めったに立ち入らない
同僚に いつ足下をすくわれるかわからない
緊張を自らに強いた 組合員の多い学校だった
非組合員は ひとりだけ
やることすべてが 注視され
失敗すれば蔑まれ つけ込まれ つぶされる
校内の研究授業のふりかえりは
個々の授業力を アップする意欲に欠け いたずらに褒め合うだけ
ダレた 馴れ合いの空気を吸うことは 拒否した
辛辣な授業分析をすることで 自らに対峙した
自己との闘いのステージは そこにもあった
教育実践の質を 自ら貶めるような 恥ずべき実践をしてはならない
「教師でもない」と罵倒された時から 常に戒めとしてきた
妥協を許さない 厳しい生き方を 自己に課し続けた
もちろん 管理職にカバーされなければ きっとへばっていた
いまもシステム手帳に 大事にしまわれている一枚のハガキ
前任校で出会った 当時教頭の水島享一が
開校記念式典に参列し 校長に宛てた礼状を 後日いただいた
「 “小さい力で地球を持ち上げる” 強力な力となって、参列者の胸に熱くしっかりと受け止められていたのではないだろうか…。私はこのとき鳥居さんを想い、偉大な彼に胸をあつくし、その感動は今も持続しています。もちろん歴代の校長、教職員の貢献は高く評価したとしても、彼はまさにその中を一本貫く鋼鉄の支柱的存在だったと、思っています」
まだ教職十年にも満たない 若い教師が取り組んだ
つたないボランティア学習への 最大の賛辞だった
このハガキが 最期のメッセージともなった
教職を退いてもなお 鼓舞し続ける“魂の矜持”である
異動が決まったときに 周りは なぜといぶかった
東京と札幌が近くなる 交通アクセスだけが理由だった
そこには もう一つの仕事があった
4月 学級は持ち上がり 二年目をスタートさせた
家庭訪問週間が始まり 6年生になったしんちゃんの家にお邪魔した
開口一番 母親が告げた
「先生は ぼくらの先生じゃない」
〔2019年10月8日書き下ろし。重く深い意味を噛みしめた子どもからの一言だった。次回その真相を明らかにしたい〕