学校の教員を退職して 児童委員になった
問題のある家庭で 育った子どもたちの行く末が
気にかかってしょうがなかった
クラスを持っていたときに とても心配な子がいた
家庭訪問をした
家の中は 掃除もままならない様子で 段ボールが 雑然と積まれていた
食べ残しのカップが 干からびて 部屋の隅にあった
ネズミがいてもおかしくない 家だった
母親は 少し知的な障がいがあるように 思えた
子どもらは 明るく元気ではあったが 学校に着てくる服は 汚れていた
下の女の子は 歯磨きもしていない
学校では 昼食後歯磨きを励行していたが
何度用意してといっても 叶わなかった
歯ブラシを用意して 子どもの歯磨き指導を 校長にお願いした
まわりの子の目もあり 相談したら 二つ返事で引き受けてくれた
父親は 稼ぎがあるのか 経済的には貧しくはない
しかし 家庭環境を考えると 心配の種は尽きない
かといって 特別何かをしなければならないという 状況でもなかった
問題が起きない限り 家庭に入っていくことは なかなか難しい
様子を 見守るほかなかった
児童委員という仕事を 知ったのは
児童委員が 学校によく出入りしていたからだ
校長室に来ては 校長と雑談していた
校長が 子どもの問題を話しながら
もしもの時の 支援の体制を 地域にお願いしていたことを 後で知った
校長室は 地域のサロンのように 地域の人たちが 千客万来やってきた
だから 家庭環境も含めて 地域に子どもの見守りを 頼んでいたという
学校の目の届かないところで 地域の力を借りていたのだ
児童委員は ことのほか気にかけてくれて
特に学校でのいじめを 心配していた
だから 校長も含めて 教員たちは
子どもたちのサインを 見逃さぬよう
校内で いつも情報をやりとりして 事に備えた
問題の芽を 早めに摘むよう 生徒指導にも 力を注いだ
そして 少しでも兆候があると 迅速に対応した
その学校から異動し いつしか退職を迎えた
そのとき 自分がやり残してきたことを 思い返していた
支援の対象にはならない ボーダーの子らを 支えてやれることはないだろうか
一人の教師として 本当に個々の子どもや その家庭と向き合ってきたのだろうか
自分に問いながら
あの校長のように 地域とのパイプを太くすることで
問題を 事前に防ぐことも
そして 起こったときには 地域とともに解決に動くことも
できるのではないか
はたと気づいた
学校と地域をつなぐ パイプ役が必要だと
だから 家庭と子どもを支える 児童委員を 引き受けた
これから 一つひとつ 学ぶことが 子どもを支える力になると 信じたい
児童委員
きっと それが やり残した 最後の仕事になるだろう
〔2019年8月4日書き下ろし。11月民生委員児童委員の研修会で使う資料の一つで未公開。先生の問題が取りざたされる中、こんな先生もいてほしい。いやきっといる〕