妻の旅支度

妻は 脳に腫瘍が見つかり 手術した
余命三年と 宣告された
三年分 千日のカレンダーを 作った

妻は 結婚以来 夫に尽くすことが 本分だった
上げ膳据え膳で 家事を一切担ってきた
だから 夫は何もできない
買い物一つ できない
コーヒーすら 入れられない
ご飯も炊けない ないないないの 出来ない夫

緑内障を患っている夫の片目は もう危ない状況だ
残された夫を 不憫(ふびん)に想い
生かされた時間のすべてを
夫がひとりになっても 困らぬよう
カレンダーに書き込まれた 家事一切の教育プログラム

まず買い物から 始まった
メモを手に スーパーに毎日出かける
これも 妻の戦略だった
健康維持のために 散歩を習慣化した
もう一つ ボランティアを薦めた
小学生相手の将棋クラブを 老人クラブで支援している話を聞いて
夫に仕向けた
そうすれば しばし寂しさを紛らわせることができるだろうと

包丁を片手に野菜を切り 味噌汁づくりを伝授した
妻は美味しいと だされた料理は 笑顔でいただく
これも 料理は人を喜ばせることを伝える 大きな戦略
焼き魚も簡単そうで 目の悪い夫には
ガスレンジの魚焼き器の様子を 判断するのは難しかった
一つひとつ確実に習得するまで 夫も妻に意を汲み 辛抱強く取り組んだ
後片付けが 一番苦手だった
まだ仕事が残っているとおもうと
食後の満喫感が損なわれ こころは重かった

一人前に 家事全般をこなせるまでに 夫は成長した
妻の余命の三年は 幸いなるかな 過ぎていた
神様がくれた お駄賃
しばらく 夫の手料理を味わう 至福のときを謳歌(おうか)した

そして 二年後突然別れが来た
一人で暮らす覚悟を学んだ 妻の最期のレッスン 
しっかりと噛みしめて いまを生きる

〔2019年10月26日書き下ろし。私の先輩のご夫婦の実話です。夫婦愛に感動し、かくありたいと想うこの頃です〕