自死からの目覚め

死に神に取り憑かれていると 51歳の彼は語り出した
発病以来20年間 鬱病の病歴を持つ
いま通院している精神科の医者と ウマが合いそうと笑う
投薬される鬱症状を コントロールする抗鬱薬が合うという
ただ副作用で 記憶力集中力は落ち 過眠の傾向もある
いまでも薬は手離せないが 現在減薬中だという

合わないとどうなるかって?
やばいでしょう
自死願望が強くなるんだよ

意識しないときに 死にたい気持ちに突然襲われた
準備をした
生命保険 家の権利書を 妻名義に変えた
「もういいかな」
自宅で自死を図った

幸い妻に発見され 妻により心肺蘇生が施された
1週間後、病院のベッドで覚醒した。
「生きている 申し訳ない」と泣いた
自死から目覚め 死んだときが寿命だという死生観を抱き
自分には まだやるべき事があるから 生かされたのだと考えた

いまでも不安発作が起こる
自死願望が 甦る瞬間だ
それを避けるために 好きな音楽を聴く
やさしめの曲や少しノリのいい曲 
落ちているテンションを高揚させる曲もいい
ユーチューブで映像を通して流れる曲も 気持ちを和らげる
アル中ではないが 昼酒も飲む
家の近くのコンビニで 酎ハイを買って そこで飲む
飲みたいときに 我慢しないで飲むことは
自己解放することになるって 言い訳しておこう
店の人も事情を知っていて よくしてくれる

仕事?
一度一般の会社に勤めたが プレッシャーを感じて 無理だとわかった
いまは 手を抜きたいときに抜けられる職場にいる
病んでるときには そっとしてもらう
仕事を任せてもらうこともあり 自己肯定感情が湧き
受け入れられたという喜びも湧く
ただ給料は、雀の涙ほど
でもいまは 仕事のメリハリのバランスをどうとるのか 課題も生まれた
タイトな仕事のときには 仲間の下支えができるようになったことが 素直に嬉しい

その不安発作の間隔が 少しでも長くなることで
死に神との 長い闘いの果てにある
「超越」へと続く道程となることを
こころから祈り 話を終えた

※実存哲学では、実存することは現存の自己を越えることでありそれを超越と呼ぶ。

〔2019年4月初稿。6月北海道民生児童委員連盟主催の現任研修で発表する〕

解説
深い悩みの淵へのアプローチ
自死の問題は深刻である。その原因も多様であり、 家族すらその兆候(サイン)を見逃し、自責の念にかられることも多々ある。
なぜそうしようとしたのかは「鬱状態」に陥ったときであり、問題は「鬱」という疾病から回復できなかったことにも起因する。そもそも「鬱」という病気そのものを精神疾患として一括りに診断を下すことはできない。発症原因や症状が個々違うからである。
なぜ鬱になったのか、ならぬようにすることが予防策とは言い切れない。その要因は現代社会にはどこにでもあり、人間関係による「強いストレス」を感じて、精神疾患を患っている人が少なくないからである。
出会った時には、まだ20代後半の若者だった。仕事のできる男だった。几帳面、責任感が強く、頑張るマンで、温厚で人のいいやつだった。5年間毎月200時間余の残業をこなしていた。異動で別の部署に配属になった。前の部署での実績は全く考慮されず、管理職は適切な指示や指導を怠り、数ヶ月放置された。ネグレクトを受けた結果、睡眠障害が起こった。それをきっかけに鬱病を発症。休職を余儀なくされ自宅に引き籠もった。その後入院加療したが回復に至らず、解雇された。社会的な役割を喪失したことで襲ってきた「自己喪失感」。深くて辛く、役立たずという強烈な失墜感。自己否定の悪しきマイナス思考のサイクルから逃れられなくなり、自己卑下し自己犠牲を強いた。
そして、深い悩みの淵から「死に神」が現れ、自死へと誘った。