相模原やまゆり園事件の裁判始まる
1月9日 社説に見る個々と社会の責任を問う論調
「一人ひとりの、そして社会の深淵のある差別に向き合い、問い続ける」(朝日)
「障害者が地域の一員として暮らせるように社会全体で取り組む必要がある」(毎日)
「決して植松被告も強者ではないのに、弱者の排除に回るのはなぜか、誰もが自問自答しつつ、現代の病理の本質に迫らねばならない」(東京新聞)
「被害者だけではなく、社会全体の意識が問われていると捉えるべきだ。私たち一人一人が差別を生む土壌を変えていく決意が求められよう」(道新)
この世に生を受け 生きていく
一人ひとりのいのちの尊さは
地球の重さに等しい
美しいコトバ
きれいごとの建前論
知ってなおかつ そうあるように
理想の福祉社会を創る努力こそ
いま生かされている者たちの この世の責務
本音と建て前 総論と各論
さもわかったかのように 嘯(うそぶ)くところこそ
糾弾されなければならない
そこには 社会の意識変革をくじき
現状をただ憂うふりをした者たちが 群れ集まる
結果 何もしない 何も起きない 何も変わらない
一人ひとりが 醒めていく
そしてまた 事件が起こり 同じ口調で論じ合う
差別の負のサイクルを 食い止める
そこに 名もなき弱き者たちが
いま 裁きの場に立つ
裁かれるのは 被告だけではない
わたし自身の沈黙と怠慢 そして本音である
〔2020年1月11日書き下ろし。裁判を通して、《わたし》という存在を問われる場をとし考えていきたい〕