藤江紀彦「人が育ち、地域をつくる、市民と進める福祉でまちづくり―登別市社協の取り組み―」

(1)登別市の概要

登別市は、北海道の南西部に位置する人口47,795人の都市です。
全国でも有数の知名度・豊富な湯量を誇る「登別温泉」や「カルルス温泉」を擁し、約400万人(平成29年実績)の観光客を迎えています。

温泉地区は、市街地から約8キロ山間にある地域で、人口は758人(人口比1.6%)です。
市街地は、鉄のまち室蘭のベットタウンとして市街化が進んだ地域で、サラリーマンの多いまちです。高齢化率16%の地域から60%台の地域があり、地域で抱えるニーズは異なります。

「地域福祉推進圏域」を小学校区8校区と定めており、市民と共に地域福祉を推進しています。まちの概況はご覧とおりです。

(2)社協事業における福祉教育の位置づけ

私たちは、「福祉教育」を大変重要視しています。
それは、社協の使命が「住民主体」による地域福祉の推進であり、そのためには、多くの市民に福祉に関心を持ってもらい、自分のまちを自分たちの手で良くしていこうとする市民協働の取組みとして進めなければならないからです。

しかしながら、それは容易なことではありません、多くの人は、福祉は障がいのある人や高齢者を助けるもので、自分には関係ないことだと思っています。

差別や偏見、貧困や孤立など、複雑に絡み合った福祉課題は「専門職」だけで解決することはできません。ましてや、人の幸せを「サービス」で満たすことなんかできるわけがありません。そこに気づいてもらわなければなりません。
いや、実は気づいていても、一人ではどうすることもできなし、言ったところで・・と、考えているのかもしれません。

私たちは、市民の福祉の学びを意識した事業展開を通じ、いま、地域で起きている現実を受け止め、その上で、よりよく生きるための手立てを自分たちの問題として考え、行動していく取り組みを進めています。
そのためのキーワードが「福祉教育」であると考えています。

(3)「福祉教育・ボランティア学習」を軸とした 福祉でまちづくりの歩み

これは、これまでの取組みを、年表に落とし込んだものです。

子どもの学び
子どもの福祉の学びを「ボランティア学習」を通して進めてきました。
そのきっかけとなったのは、昭和60年に点字図書室の開設・運営に携わり、点訳や朗読ボランティアの養成、視力障害者協会の活動を支援することになったことです。登別は、開湯160年の歴史ある温泉地があるため鍼灸マッサージを生業とする視力障がいのある方が多く暮らしており、当時は会員が30人以上いて活発に活動されていました。

協会の皆さんと深くかかわる中で、全盲であっても、家事や身の回りのことは自分で行い、人様に迷惑をかけないように一生懸命に生活をされている姿に驚きました。いくら頑張っても「見えない」ことだけはどうしようもないんだよな。決して「可哀そうな人」ではないし、無理・難題を求めているわけではない。普通にここで暮らしていきたいだけなんだよね。でも、なかなか、わかってもらえなくてさ―。当事者のつぶやきです。

幼少の頃、祖母の近所に全盲で盲導犬ユーザーの夫婦が暮らしていました。当時周囲の大人たちから、あそこには「近づくんじゃないよ」、「猛犬注意の貼り紙があるでしょ」と教えられ、近所のお年寄りからは、「めくらはうつるから近寄ったらだめじゃ」とも聞かされていました。
何の疑問も持たず受け流してきたことへの恥ずかしさと申し訳なさを痛感し、障がいや障がい者についてきちんと伝えていかなければない。誤解や偏見のない「正しい理解」を広げる必要性を強く感じました。

昭和63年に学童・生徒ボランティア普及事業の指定を受け、子どもたちと福祉の学びに取り組みことになりました。協会の皆さんやその友人の車いすユーザーの方々にボランティア講師として協力をお願いしたところ、二つ返事で引き受けて頂くことができました。
「見えない」「歩けない」という「ハンディキャップ」があっても、自分らしく、逞しく生活している、その生き様を子どもたちに伝える取り組みを通し、ボランティアは助けるという一方的なことではなく、違いを認め合い、共に生きるという人としての当たり前のことであることを学び合いました。

授業内容については、社協が間に立って、ボランティア講師と担当教諭の話し合いで決めました。「障がいの大変さ」や、ガイドヘルプや車いす等の「介助の方法」を学ばせたい、という要望でした。こちらからは、子どもたちとボランティア講師の出会いの中から、子どもたちが感じたこと、学んだことを、先生も含めてみんなで確かめ合う時間にしませんか、と提案させていただきました。
ガイドヘルプの体験についても、助けるための技術習得ではなく、目の見えない人と仲良くなるための“エチケット講座”として行い、普段から身に着けておくべきマナーとして伝えることにしました。

ある日、ボランティア講師の協会の会長さんが私に嬉しそうに話してくれました。「福祉の授業を始めてから、毎日のように子どもたちから挨拶されるようになり、外出が楽しくて仕方なくなりました」この間も、店の前に自転車が停まっていて立ち往生していたら、気づいた子どもたちが声をかけてくれて、安全なところまで導いてくれました。その子は、福祉の授業を受けた小学5年生の男の子で一緒にいた友達のことも紹介してくれたそうです。「挨拶は、声を掛けたら正面から名前を言って、握手するんだよ」、「盲導犬はハーネスを付けているときは仕事中だから触っちゃいけないんだよ」と、友達に一生懸命も教えてくれて、とても嬉しい気持ちになったそうです。これからも子どもたちと一緒に福祉の授業を頑張りたいと言われました。

ボランティア指定校から始まった「福祉の授業」をきっかけに、平成4年からは、夏休みを利用した宿泊体験学習「ワークキャンプ研修会」に取り組みました。多くの関係者の協力を得て、小学生は「養護老人ホーム」、中学生は「地域に暮らす障がいのある方々との交流」、高校生は「特別養護老人ホーム」をフィールドにした1泊3日の体験プログラムで行いました。

子どもたちが体験から得た感動や心の変容、小さな胸に刻まれた大きな決意は、体験文集や学校や地域で開いた発表会等を通じて、多くの地域関係者や学校関係者に伝えられ、体験学習の大切さ、福祉の学びの重要性が認識されました。
平成5年には、その成果を踏まえ、待望のボランティアセンターを設置できることになり、子どもから大人まで世代を超えたボランティア活動の振興に取り組むことになりました。

子どもたちの豊かな学びを大人の方々にも・・との思いで、市民ボランティア講座を開講しました。「みんなでつくるあったかい街」をテーマに、暮らしの中にある大切な福祉を学び合う体験型研修として全11講座を9か月間で学び合うものです。当時、先駆的な取組まれていた釧路市社協の取組みを参考にさせていただきました。

子どもたちも大人の方々も、福祉の学び合いの中から、仲間意識が生まれ、「何とかしたい」「なんとかしなきゃ」との課題意識をもって、いくつものボランティアサークルが誕生し、そのほとんどが現在でも活動されています。NPO法人として活動している団体もあります。四半世紀前に始めた福祉の学習が今日の登別のボランティア活動の土台となっています。

ワークキャンプ研修会をきっかけに、高校生や学生たちのボランティアサークルも誕生しました。彼らは、「デパートでショッピングしてみたい」や「観覧車に乗ってみたい」といった仲間たちの願いを叶えるためのプロジェクトに取り組みました。

車椅子でJRに乗れるのか、エレベーターはあるか、車いす用のトイレはあるか、横になれる休憩場所はあるか、盲導犬は入れるかなど、仲間の不安や自分たちの疑問を取り除くために、旅程の下見を行い、行った先々の関係者に会って対応策を相談するなどして、自分たちの手で困難をひとつひとつ乗り越えて、プロジェクトの実現に尽くし成し遂げていきました。

大人の学び
ボランティアセンターを担当していて、ボラセンの取組みが、地域の活動と連携できないことにもどかしさを感じるようになりました。それは、ボランティア活動は、福祉センターで行うもので、地域の活動とは違うものだ。と思われているように感じたからです。

ボランティア活動は、志ある人が集い活動するものなので、当然なのかもしれませんが、好きな人だけが行えば良いものではなく、まちを良くする取り組みとして地域に定着させていく必要があると考えていたからです。そうしなければ、無知で無関心、誤解や偏見にまみれた地域は変わらないと思っていたからです。

その頃、平成7年の合併特例法にはじまった「平成の大合併」で、「福祉の切り捨て」を危惧する声が全国各地から聞こえてきました。
役員研修で伺った地域では、合併後の行革という名の事業縮小によって、生活に欠かすことのできない福祉サービスが次々と廃止され、再開を求める住民の声も数の原理で聞き入れられず、不便な生活を強いられている現状を聞かされました。
危機感を覚えた私たちは、暮らしを護るための福祉は、住民の手でつくらなければならない。そのためにも地域が「意志」を持たなければならない。ということを強く感じました。

このような経過を経て、平成14年から、今一度、社協の原点に立ち戻り、住民主体の福祉のまちづくりをどのように進めていくべきかの議論をはじめ、平成17年に登別市地域福祉実践計画(愛称「きずな計画」)の策定がスタートしました。
市民で組織する「福祉のまちづくり推進会」が中心となって、住民座談会やアンケート調査等を通して、地域の福祉課題を住民自らが発見・共有し、課題解決に向けた福祉活動を計画化、策定後は、「きずな推進委員会」として再発足し、計画の推進と進捗管理を担っています。

この私たちの想いを具現化できたのは、ここにおられる鳥居一頼さんのお力添えがあったからであります。構想の段階からご助言いただくだけではなく、当時、小学校の校長として登別に赴任されたことを契機に、一市民として推進会に参加いただき、委員長として登別市民の福祉活動をけん引していただきました。現在も「きずな大使」としてご指導いただいております。

(4)きずな計画策定を通しての“地域づくり”の実践と挑戦

この取り組みの最大のポイントは、住民同士が我がまちに必要な福祉を考え、自らの行動を計画し実践するというもので、社協はその取り組みを全力で支え、共に行動することを内外に宣言することであります。

そのための住民福祉活動の組織化は必須であり、住民同士の繋がりを深め、より強固なものにしていくための地域福祉推進圏域の設定が必要と考えました。
地域住民との度重なる協議によって、5つの中学校区でスタートしましたが、第2期計画では、住民同士が顔の見える関係を大切に、より地域に根差した活動を進めたいとの想いから、圏域を8つの小学校区に細分化するとともに、計画の構成を校区計画と全市計画の二層構造とすることにしました。
また、地域が抱える課題が多様化・複雑化するため校区の取り組みを専門職がサポートする仕組みが必要となり、社会福祉法人や福祉事業所、相談機関等でつくる「専門委員会」も誕生しました。

このように、地域住民が福祉関係者を巻き込み、地域が一体となって「福祉でまちづくり」を進めています。このきずなの推進は、そこに暮らす「地縁的なつながり」から、志を同じくする全ての者が協働して福祉を創りあげていく市民協働の取り組みであることから、住民主体ではなく「市民主体」という表現を用いることにしています。

(5)地域の支え合いを計画化するプロセス

この図は、山積する地域の福祉課題を踏まえ、市民自らが取り組むべき活動を選択し、行動していくためのプロセスをイメージしたものです。

きずな計画は、市民が取り組む市民のための福祉活動計画であります。市民の暮らしを護るために必要な取り組みは、市民自らが選択し取り組みます。地域だけではどうしようもできないことは、社協や専門機関、行政にしっかり対応してもらわなければなりません。公私の役割とその責務を明確にする計画でもあります。

登別社協では、このことをしっかり受け止め、それぞれの校区が大切にする取り組みの支援、地域格差が起きないように全市に普及しなければならない取り組みの推進、そして、地域の課題解決に向けて、従来の福祉の枠を超えた新たな協働の仕組みづくりにもチャレンジしています。

(6)日常的な参加の方法を一般化する

これは、きずな計画を進めるためのアクションプランです。
きずな推進委員会は、計画をつくるだけではなく、市民の手で計画の推進と進捗管理を担っており、長年にわたる試行錯誤のなかから、このようなサイクルが出来上がりました。

全市委員会は、計画推進のための決定機関として、その年の具体的な活動方針や取り組みの評価を行うとともに、各校区の進捗状況を共有する場として開催しています。
リーダー会議は、執行部にあたるもので、8校区と専門委員会の正副リーダーによって随時行われています。
プロジェクトチームは、各期で掲げる重点目標を進めるため、テーマに精通する委員と外部から有識者を招聘し、調査研究や新たな事業の企画に取り組んでいます。

私たちが計画づくりから一貫して大切にしている取組みが二つあります。
その一つは、「まちの小さき声を聴く」ための住民座談会です。各校区で定期的に開催しており、会場づくりから参加案内、当日の進行からまとめに至るまで、委員の皆さんが主体的に取り組んでいます。
そして二つ目は、「きずなシンポジウム」の開催です。前年度の各校区の活動報告と次年度に向けた決意を発信するとともに、きずな活動を全市へ広げるための講演やパネルディスカッション等を行い、市民のさらなる活動喚起に取り組んでいます。

計画策定後13年になりますが、この流れがきずな活動のルーティンとして地域に定着していることは、とても大きな強みになっています。

それは、地域リーダーの皆さんが、この流れを踏まえて、校区委員会を地区連の役員研修に位置付けたり、住民座談会を地域の炊き出し訓練と一緒に開催したり、校区活動の中に「お茶の間会議」と称して、中学生と校区委員の福祉でまちづくりを語り合う授業を行うなど、創意工夫を凝らして数々の取り組みが展開されているからです。

私たちのこの活動に終わりはありません。やり続けなければならない大切な取組ですが、同じ人がいつまでも続けることは不可能です。役員改選、世代交代、新規加入など、様々な人が入れ替わるなかで進めていかなければならないものです。そのためにも、これらの取り組みを地域のルーティンとして習慣化させることで、余計なことを考えずスムーズに次の行動に移せるようになるのだと考えています。

(7)住民座談会を通して育まれた福祉教育①

住民座談会は、市民と共に福祉でまちづくりを行うための必須の取組みとして、計画策定後も、各地域で継続しており、委員の皆さんが地域へ出向き、住民同士ひざを突き合わせてより良い地域をつくるための話し合いを進めています。

いまでこそ、委員自らが先頭に立ち、当たり前のように行われていますが、決して最初から順調にいったわけではありません。
当時、地域の課題は行政が用意する「市政懇談会」で要望するものだと考える人がほとんどで、自分たちが地域のことを話し合うという場ではありませんでした。
不安と戸惑いのスタートではありましたが、生活者の目線で暮らしの困りごとや地域の気になることを話し合うことで、様々な境遇のなかで生活している人のことを知るとともに、その切実な願いは、決して他人事ではなく誰にでも共通することであることに気づくのでした。「ほっとけないよね」、「なんとかしなきゃ」という感情が参加者に芽生えはじめ、その気持ちが「きずな」活動の原動力になっています。

①は、住民座談会において、福祉教育的機能が発揮された事例として紹介しているものです。
私としては、ひとつの小さな地域の中で”地域福祉ガバナンス”が実践された事例であると考えています。当事者一人の声を地域があたたかく受け止め、同じ生活者として暮らしを見つめ直すことから、住民自らの手でとても大切な決断を下されたことに深い感銘を受けました。

美園地区という住民座談会の出来事です。委員の進行により、地域に対する各々の気持ちを話し合っていたところ、車いすユーザーの女性が、町会の文化祭に参加できなかった残念な気持ちを打ち明けました。役員は「ひと声掛けてくれたら迎えに行ってあげたのに・・・」と答えましたが、会館にはスロープがなく、車いすごと持ち上げてもらうことが申し訳なくて言えなかったのです。他にも、下肢障がいのため和式トイレは使えないこと、トイレのないところには不安で行けないという切実な声を聴き、そう指摘されると当たり前のことなのに、周囲の誰もが気づいていなかったことに申し訳なさを感じたそうです。話し合いを続けるうちに、多くの住民が玄関の段差が大変であると感じていることや、和式トイレが辛くて我慢していることがわかり、これは障がいのある人だけの問題ではなく、自分たちの問題として考える必要があることが認識されました。

丁度その年、その町会は創立50周年を迎え、町会としてどういった記念事業を行うべきかの協議が行われていました。盛大な祝賀会や記念誌の発行を訴える声が多い中、座談会に参加した役員からの提案で、会館の玄関スロープの設置と洋式トイレの改修を行うことが決定され、多くの地域住民に喜ばれることになりました。
後日、町会長さんに伺ったところ、最初は大方の役員が反対し、「集会所の改修は行政が行うべきで自分たちの金でやるべきではない」との声が多かったそうです。それでも、大規模改修の順番がいつになるかわからない状況の中、この問題をいつまでも放置していいのか、住民にとって一番有意義なものは何か、広く会員の意見を聞き、幾度もの協議を重ね、町会として決断することができた、と話されました。
このように、一人の小さき声に耳を傾け、心を寄せることによって、地域がより豊かになる選択を行った好事例であると思います。

(8)住民座談会を通して育まれた福祉教育②

②は、福祉教育的機能が発揮され、事業化した事例です。
この地域は、市街地から離れているため買物難民が増え続けています。地域では移動販売車の誘致を試みますが、収益性の乏しい地区にはなかなか来てもらないのが実情です。座談会では、身寄りのない高齢者や自力では外出できない高齢者等から、買い物支援を望む声が多く出されます。「生鮮食品は自分の目で見て買いたい」、「宅配サービスはカタログをみても注文の仕方がわからない」、「タクシーで買い物に行くのは経済的にも負担が大きい」などの切実な声が挙げられます。話し合いの中では、「自家用車で買い物に連れて行ってあげている役員の方もいるようですが、自身も高齢でいつまでも続けられない」、「何とかしたい気持ちはあっても事故や責任問題を考えたら個人では難しい」、「自分の買い物ついでに乗せてあげるのは構わないけど、毎回お礼の品を渡され、かえって負担をかけているのが心苦しい」などの意見も出され、座談会をきっかけに、校区委員会において、支え合う者同士がそれぞれの負担を軽減できる買い物支援の協議が始まりました

校区委員会では、詳しいニーズを知るため町内会の協力を得てヒアリング調査を行い、希望に応えるための支援内容や方法を検討し、必要な協力者の募集、活動に必要な研修会の企画、校区内の自動車整備工場にも協力を求め、送迎車両としてレンタカーの提供を受けるなどして、モデル事業の実施にこぎつけることができました。地域では送迎車両の確保が一番の課題でしたが地域の新たな支え合い活動の創出として民間の助成事業を活用することできたため、費用面の心配もなく取り組むことができました。
そして、1年間にわたるモデル事業の成果をもとに、翌年、対象校区を拡大して地域住民と企業等が連携した買物支援事業の本格実施に結び付くことになりました。

この取組を通して、地域では、暮らしの大変さや苦労を知っているからこそ、「共感同行」する仲間を得た住民は、同じ境遇の人や地域へ目を向けるきっかけになるのだと思います。そういった住民の思いを地域に循環させることで、「市民の地域力」に変換することができると確信しました。

(9)地域の課題を助け合いで解決

きずな計画は1期5か年の計画として、地域をより良くするために市民のための活動を計画しています。
山ほどある地域課題の中から、蔑ろにできない問題、市民が力を合わせて取り組まなければならない課題を抽出して、それを全市共通の重点課題として位置付けています。

市民主体の福祉活動に終わりはありません。自治体の枠組みが変わろうとも、ふだんのくらしのしあわせを求めて、継続していかなければならないものです。普遍的な取組であるからこそ、マンネリ化は大敵です。活動にメリハリをつけることが重要であり、各期の重点課題を掲げることは、新たな取組へのチャレンジと、市民のモチベーション維持に大きく役立っていると考えています。

重点目標は、市民の声を元に、地域の出来事やその時代の流れを捉えたタイムリーなテーマを設定するようにしています。
第1期計画では、社会的孤立の防止と早期発見・早期予防をテーマに仲間づくりと居場所づくりを掲げました。
第2期計画では、登別を襲った暴風雪による大規模停電の経験をもとに災害や緊急時を意識した平時からの支え合い活動の全市展開を掲げました。
第3期計画では、地域で暮らし続けるための生活支援サービスの開発をテーマに現在も新たな活動にチャレンジしています。

この重点目標の取り組みについては、テーマに精通する委員と外部の専門家によるプロジェクトチームを立ち上げ、課題背景の調査・分析を行い、具体的なゴールを設定し、全市展開するための活動プランを企画します。最終案は委員会で全体共有を図り、承認を得たのち事業化していきます。

(10)サロンサポーター制度の創設と第1期重点事業

第1期計画では、住民座談会や全市アンケート調査によって、孤立する高齢者の生活実態が明らかになりました。「何日も会話することがない」、「毎日あてもなく病院の待合室やショッピングセンターで過ごしている」といった孤立する高齢者が多いことに大きな衝撃を受けました。これを受けて、委員会では、重点目標に「仲間づくり」と「居場所づくりを」掲げ、いきいきサロンを広げるためのサポーター制度を創設しました。

当時、サロン活動は全国的にも注目されており、社協としても活動を呼びかけていましたが、一部の町内会しか行われていませんでした。
委員会では、プロジェクトチームを立ち上げ、サロンが広がらない背景を調査するとともに、地域がやる気を起こして、楽しくサロンに取り組むための仕掛けづくりを検討しました。

地域アセスメントの結果、サロン活動に興味・関心を持つ住民は多いのですが、新たな活動に負担を感じる町内会長が多いため、なかなか活動に踏み切れない町内会が多いということがわかりました。
社協では、地域の福祉事業は、そのほとんどが町内会長を窓口にしており、人の配置や活動の集約、活動の困りごと等は、すべて地域任せであり、住民主体という名の「丸投げ」であったことを深く反省することになりました。

プロジェクトチームでは、これらの反省を踏まえ、町内会がサロンを行うという発想ではなく、興味・関心のある人を育て、それぞれの繋がりから生まれる多様な活動を認めながら、その活動を社協職員や専門機関がしっかりとサポートする仕組みとしてスタートしました。

その成果もあって、昨年度実績では、418人のサロンサポーターが、市内各地で45のサロンを運営し、年間3万3千人の市民が参加する取り組みへと拡大しています。

(11)小地域ネットワーク活動推進事業の再構築

第2期の重点目標は、小地域ネットワーク活動の全市展開を掲げました。
登別では、平成24年11月末に爆弾低気圧による暴風雪によって、送電線の鉄塔が倒れて市内全域が四日間にわたる停電に見舞われました。
社協では、復旧まもなく、災害発生時の地域の取組を明らかするため、暴風雪による大規模停電に関する緊急アンケート調査(平成24年12月26日実施)を行いました。

この調査によって、民生委員や町会役員など多くの人が安否確認や生活支援に取り組んだことがわかりましたが、それらの活動は一部の個人的な活動に終始するもので、地域や関係機関との連携がなかったため、支援を求める人への配慮が行き渡らなかったことが判明しました。

委員会では、調査結果を踏まえ、「普段できていないことは、災害や緊急時にはできない」ということ、「見守り活動の目的は、有事の際の命を護ること」など、停電の経験で得た教訓をもとに、プロジェクトチームを立ち上げ、災害や緊急時を意識した平時からの取り組みに向けて協議を始めました。

プロジェクトチームでは、この取り組みを全市に広げるためには、町内会・民生委員・社協・行政の四者が協力して、全市一丸となった登別独自の支え合いの仕組みをつくり、地域住民へ参加を呼び掛ける必要があると考えました。
当時、行政では、避難行動要支援者名簿の作成が義務付けられていましたが、その取り組みは一向に進んでいなかったため、きずな推進委員会から行政に対し福祉台帳と避難行動支援者名簿を集約・統合し、災害時と平常時のたすけあい活動を一体的に行うことを提案し、承認を得ることができました。

きずな推進委員会では、地域住民の福祉意識と防災意識を高めるとともに、自ら地域の支え合い活動に参加を意思表示する仕組みを整えるため、日ごろから見守りや声掛けが必要な世帯を対象に、透明な筒に登別オリジナルの「きずなづくり台帳」をセットにした「きずな安心キット」を町内会の福祉委員を通じて配布することで地域の絆を広げていきました。
こうした取り組みにより、現在78町会(実施率84%)の参加を得て、6,104人の住民が助け合いの仕組みに参加いただいています。
この取り組みは、市民が本気になって行政を動かし、本当の意味での市民協働が実践された事例であると考えています。
ちなみに、室蘭工業大学建築社会基盤計学科の調査・研究論文「登別市大規模停電における自助・共助・公助ネットワークの役割」では、今回の災害では、公助の役割は、他の行政機関との情報の共有や、避難所の設営など限られたものであり、地域住民と行政機関の間で活動を行っていたのは、社会福祉協議会や連合町内会等、共助の範疇で実施していた組織であったことが分かっている。との調査結果が報告されています。

(12)地域拠点丸ごと支え合い事業 ―日々の暮らしを支える”協同の仕組み”づくり チャレンジ !!

これまでの計画策定は、地域の課題把握を主眼とした調査に基づき取り組んできましたが、第3期計画では、地域包括ケアシステムの名のもとに、自助・共助・互助を強化する施策が進められていることを踏まえ、地域を支えている実践者と福祉事業所に焦点を当て、支える側の福祉意識や活動の実態を把握することから取り組むことにしました。

調査の結果、実践者の意見としては、今後地域に必要な取り組みは、買物や外出などの生活支援との回答が最も多く、これらの取り組みは、無償のボランタリーな活動には限界があるので、実費負担を求める活動もやむを得ない。と考える人が多いことがわかりました。これは住民座談会で出された校区の意見と同様の結果であり、地域の支え合いの最前線にいる福祉実践者は、日々地域住民と接することで、ニーズの高い取り組みや地域に不足している取組みを肌で実感していることの表れであり、実費負担の仕組みを視野に入れる必要性を示唆する結果となりました。

更に分析してみると、実費負担程度の有償化の仕組みの中で参加したいと回答した人の割合は、町内会関係者よりも町内会以外の実践者が多いことがわかりました。町内会活動の大変さが表れた結果とも受け取れますが、今後新たな生活支援サービスを構築するにあたっては、町内会関係者や民生委員等といった活動の垣根を取り払い、新たな活動者の発掘を念頭に、サービスを提供する環境や仕組みを作っていく必要があることがわかりました。

一方、福祉事業所の調査結果でも、今後地域に必要な取り組みは、家事援助や移動支援との回答が最も多く、福祉事業者と福祉実践者、それぞれの進むべき方向は合致していることがわかりました。また、7割近くの事業所が、事業所と地域関係者をつなぐ仕組みづくりを社協に求めており、社協が地域と事業所を結び付けていくネットワーカーとしての機能を十分に発揮しなければならないことを改めて確認しました。

社協では、それぞれの校区が日々の暮らしの支え合いに取り組もうとしているなか、その想いを形にして、最初の一歩を踏み出せるように支援するためには、「活動拠点の確保」、「運営体制づくり」、「担い手の発掘・育成」、「活動をサポートする協力体制の確立」、「地域福祉コーディネーターの配置」が必要であると考えました。また、それらの活動は全校区一斉に取り組みことは難しいので、進取的な意欲のある地域から協力体制を整備して、モデル事業から取り組むことにしました。

そこで最初に取り組んだのは、先ほど、住民座談会を通して生まれた福祉教育②で紹介した「移動支援サービスモデル事業」です。
高齢者の買物ニーズを満たすだけでなく、ショッピングセンターの売上貢献にもつながり、きずな活動への理解と協力の輪が広がっていきました。
モデル事業の評価では、継続を希望する高齢者が多く、買物の他にも交流を望む意見が多くありました。活動者の意見としては、活動は楽しいが頻繁になると負担になるため活動者の増員を望む声がありました。またモデル事業の報道を聞いて他校区の高齢者から利用の問い合わせが多かったことから、委員会では、モデル事業の成果を踏まえ、対象校区を拡大し本格実施する方向で検討に入ることになりました。

ショッピングセンターに引き続き対象校区を広げて継続したい意向を伝え、買物に来た高齢者等の交流スペースの確保について相談したところ、きずなの取り組みに共感していただき、空き店舗スペースを無償で提供してくれることになりました。こうして、念願であった活動拠点を確保できたことにより、高齢者の生活を応援する「地域拠点丸ごと支え合い事業」をスタートすることができたのであります。

(13)地域拠点丸ごと支え合い事業 ―幌別、幌別東、幌別西

丸ごと事業は、高齢者等の自立した生活を地域で応援する支え合い事業です。公的サービスの不足を補うための安上がりサービスではないため要介護認定等の有無は問いません。概ね75歳以上の高齢者等で頼れる親族がいない方であれば利用することができます。利用するには月額3千円の会費を負担して、月4回、ショッピングセンターでの買物と介護予防体操等による健康づくり、茶話会や福祉相談を受けることができます。利用中は運営スタッフが付き添っているため、重たい荷物も安心して買物することができます。月に1回昼食交流会が企画されており皆さん楽しみにしています。

運営スタッフは、担い手養成研修を受講した人やこの活動に興味・関心のある人であれば、誰でも登録して活動することができます。話し相手、体操やゲームの進行、買物の付き添い、送迎車両の運転など、自分の得意な部分で役割を見つけて活動しています。

活動を楽しく継続する仕組みの一つとして、丸ごと事業限定のボランティアポイント制度を導入しました。運営スタッフとして活動すると、活動1回につき1ポイントが付与され、貯まったポイントは1ポイントで500円のショッピングセンターの商品券に交換できます。毎月4ポイント、2千円まで交換できるので、最大年間2万4千円相当の商品券と交換できる仕組みとなっています。

私たちは、このボランティアポイントをショッピングセンターの商品券に交換することに協働の意義があると考えています。この事業は、地域住民・社協・協同組合の連携から生まれた取り組みですが、ショッピングセンターの善意の気持ちだけで活動拠点の無償提供を続けることは難しいと思っています。この仕組みによって地域の支え合い活動で生まれたお金を循環させることで、この活動拠点の維持・継続が実現可能になるのではないかと考えました。

手探りの中で丸ごと事業がスタートしたわけですが、取り組みが可視化されることによって他の校区や社会福祉法人から大きな関心が寄せられるようになりました。既に二つの校区から買物支援を検討したいとの意向が示され、地元町内会と連携して社協職員と共にヒアリング調査を始めると、地域の動きに触発されて社会福祉法人も協議の輪に入ってくるなど、地域の機運の少しずつ高まって来ているように感じます。

まだまだ続く険しい道のりではありますが、これからも市民と共に一歩一歩着実に福祉でまちづくりを進めていきたいと思います。

これで発表を終わります。
ご清聴ありがとうございました。