「こんちは。大家さん、いらっしゃいましたか?」
「おやおや、ようこそ。ようやくお顔が見られた」
「はいはい、たどり着くまで4ヶ月ほどかかってしまい、足もすっかり棒のようになりました」
「なにをおっしゃいます、お丈夫そうな足のどこが棒ですって」
「棒は棒でも、箸にも棒にもかからない話を聞いてもらいたくて、お邪魔しました」
「ここじゃなんですから、上がってください」
「いやいや上がると話が長くなりそうな気がしますんで、今日のところは玄関口で失礼させていただきます」
「そうなら、話とやらをさっそくお聞かせ願いましょうか」
「それがですね、隣の町会でコロナに感染したという方が出ましてね。ご本人は入院されておるんですが、その家族に辛く当たる人が出てきて困ったことになったと、あっしのところに相談ぶってこられた人がこぼすんですよ」
「いまどき世間じゃよく聞く話だね」
「なんでもひどいのが、そこの家の玄関に〈コロナの家・早く出ていけ〉と張り紙までされたっていうから、温厚なあっしでもはらわた煮えくり返りましてね」
「そのお怒りはよくわかりますね。コロナに罹ったのはその人の責任でもありませんし、ましてや家族がそんな目にあう筋合いなんぞ、これっぽっちもありません」
「その町会の人に、それでどうしたんだいって聞いたんですよ。すると、おおよそ誰がやったのか見当はついているんだが、面と向かってものを言うと角も立つし、かといってほっとくこともできずに困ってるんだって、そればっかりで」
「流行病(はやりやまい)は、時が経てば収まりもつくだけけど、今度のは未知のウイルスで移りやすく重くなりやすい。亡くなる人も多いから、不安と言えば不安なんでしょうね」
「そうかといって、罹った人を責めるばかりか家族まで責めようという魂胆が許せない!」
「ひどい世の中になったもんだね。昔から世間は病気を責めるよりも、罹った人にひどい仕打ちをしてきたもんだよ。ハンセン病が治ったにも関わらず、いまも苦しんでおられる方もいらっしゃるというしね。薄情なことでもみんながするから、正しいと思い違いしてやってしまうんだね。
人間ってもんは元来臆病もんだから、コロナに自分や家族が罹らぬように用心にこしたことはないけれど、それが過剰になって相手に屈辱を与えるようなことを平気でするようになるんだね。
それを許しちゃなんないと息巻いて、証拠もないのに、あんたのやってること許せないって直談判するのは無理でしょ」
「そこんところが歯がゆくてたまんなくて、つい大家さんに泣きついた次第です」
「わたしにもいい知恵は思い浮かばないけど、大事なのはそんなことは許さないよっていうメッセージを、どう皆さんに伝えるかっていうところだね」
「そうなんです。不安なのはそいつだけじゃありません。いつなんどき罹るのか神様だってご存じない。もしものときに、理不尽な目にあう怖さや世間体から、お年寄りなんて黙って家に閉じこもってしまうことだってあるでしょう」
「そんなことまで、想像できずに、自分だけよければそれでいいという輩が多くなってきました。そもそもこんな時代だから、人の本性がはっきり見えてきて、ある意味つき合いやすくなったかも知れません」
「そりゃそうですね。そんな人はソーシャルディスタンスを取りゃいいですから」
「社会的距離と心理的距離のダブルでというところですかい。それはそれでまた、世間から疎外するという別の問題になってしまうんじゃないですかね」
「そう考えると、どうしたもんだか一向に埒(らち)があきません」
「まずは、病気について、私らは正しく知っているんだろうか。わかったつもりで暮らしていることがそもそも問題かも知れないね。〈わかってるよ、でも…〉って否定から入ると、突っかかって攻撃的になる。〈わかってるよ、だから…〉って入ると、肯定した上でどうしようかって相談になる」
「なるほど。〈でも〉と〈だから〉の違いで態度が全く逆になるってことですね」
「そこでね、こう考えるのはどうだろう」
「さすが大家さん!」
「わたしはまだ何にも言っちゃいませんよ」
「おっといつもの早とちり。なんせ知恵袋の大家さんのこと、期待ですぐに反応しました」
「困ったお人だ。そう期待されても困るんだが、自分らの町会にコロナの患者さんが出たと知ったなら、こんな近くでも罹る人が出るという恐怖ではなくて、もっと注意しましょうという〈サイン〉が出たと思いましょう。新しい生活様式とか言われて、随分気を遣ってきたにも関わらず、誰もが罹る病気なんだと正しく知ることが、まず第一ですね」
「そうですね。何かやらかす輩は自分勝手な屁理屈付けて、さも正義感ぶっていろいろ悪さするってニュースにも流れていましたけど、結局は怖いもんだから自分の近くにはいてほしくないって、臆病もんの話ですよね」
「怖がることも悪くはない。当たり前の心持ちだね。けど、それを困っている人にぶつけるのはお門違いも甚だしい。だから、サインが出たなら、まず一番心配なのは罹った人の家族でしょって。その家族の心配事を少しでも小さくしてあげることが、ここで暮らすということだし、逃げるわけにもいきません。だから、お互い気まずさを抱えて暮らさなければなりません。
それでも、その気まずさを抱えて生きていくしかないのなら、そのことに気づく人が一人でも二人でもいると、病気で苦しむ人や家族を二重に苦しめることから、少しでも救うことになりはしませんか。お互いに心を和らげることはできませんか。
避けて通ることができないことなら、そんな想像力や行動力がとても必要なことだと思いますね」
「それって、罹った人や家族を恨むのは、所詮は恨む人の人間性に尽きますが、気まずさの元をせめて病気にしておきましょう。気まずいよ、だからこそ一緒に気まずさを抱えて暮らしていきましょうよ。そうすれば、お互い不幸な出来事を少しでも小さくできる。そんな町会をつくるのに、大事なサインを出していただいたということでしょうか」
「そんなところですかね。どっかでまた誰かが罹ったときにも、この教訓を生かしてみんなで支え合っていければ、コロナに打ち勝つ勇気をもらうことになりませんか。
その気まずさが、一緒にそこで人と関わって生きてゆく実感とでもいうんでしょうか、きれいごとでわかったフリをするよりは、気まずくとも何とかしようとあらがうほうが人間くさいかもしれません」
「さすが、亀の甲年の功の大家さん。悪いサイクルはいつでも回せるけれど、その痛みを受けとめて、守ってあげられる町会ならば、罹っても頑張れる気がしますね。悪い噂をばら撒くもんも張り紙するもんも、みんな地域で安心して暮らしたいと思いながらも、やり方が間違っているし、憎しみまで買います。顔をしかめるようなことをするようじゃ、誰からも相手にされず、逆に浮いてしまってまったく逆効果というわけですね。
すんなりとは解決しませんが、悩みを少しずつでもみんなで背負うことで、小さくしてゆくってことですね」
「私らが大事にしたいのは、いまの世だからこその〈人のつながり〉です。そのつながりはほんとにもろいもんです。だから、こんなときにしっかりとつなぎ直さなきゃいけません。そのチャンスがやってきたと、前向きに考えてみたいですね」
「その通りです。いまからひとっ走りしてきます。ありがとうございました。結果はまた電話なりでお伝えします、ごめんください」
「はいはい。気をつけて。相変わらず人のいいお人だ。頑張ってくださいよ」
〔2020年7月2日書き下ろし。地域に罹患者が出ると嫌悪、蔑視、排除などさまざまな悪しき感情が生まれている。大家さんの回答には納得されましたか?〕