〇文庫化に際し『アトリエ インカーブ物語』(単行本:今中博之著『観点変更』創元社、2009年9月)を読み終え、一編の「物語」が紡がれるほどの月日が流れたことを目(ま)の当(あ)たりにしています。
〇2002年にアトリエ インカーブ(以下、インカーブ)が立ち上がり、単行本の『観点変更』が刊行されたのが2009年なので、本書にはこれまでのインカーブ物語の前半が記されていることになります。私が今中と出会ったのは、彼のサラリーマン時代終盤のことです。本書にもそのくだりがありますが、最初は今中の個人のデザイン事務所で手伝いをさせてもらうようになったものの、当時私はまだ学生で、今振り返るのも恐ろしいほど何もできないでいました、そして同時に、インカーブの前身である作業所のスタッフになり、以来、社会福祉法人の立ち上げから運営、行政との折衝など、インカーブの黒衣(くろご)的な役どころを担っています。
〇今中は最近、菩薩様(ぼさつさま)のような目をしていると言われたそうです。でも出会った頃は、不動明王のように眼光鋭く、それはそれは厳しかった! 今、愛娘(まなむすめ)のさくらちゃんに目尻を下げっぱなしなところをみると、隔世(かくせい)の感すらあります。
〇今中には何事も「ほどほどで済ませる」ということがありません。今となっては、その厳しさの意味が分かりますが、当時は怒られどおしで、よく泣いて帰っていました。不動明王は人々を叱りつけてでも正しい道へ導こうとしている、だからあんな怒ったお顔をしていると今中に教えられました。怒りの奥にはやさしい眼差(まなざ)しがあります。それは自分の思い通りにならないことへの独りよがりな苛立(いらだ)ちではなく、小さき者、名もなき者を悲しませる理不尽な物事に対する憤(いきどお)りです。人は誰しも善(よ)く見られたいと、自分が怒っている姿をあらわにすることをためらうもの。しかし今中は、その怒りをうやむやに収めるようなことはしません。目を見開いて、相手の目を見て、ちゃんと怒ります。
〇あれから20年近く経った今だからあえてエラそうに言うと、私をはじめとするスタッフがいなければ、今中の思考や企(くわだ)てが体現され、息が吹き込まれることはなかった、はず。そんな自負をもてるほど、それをここに書けるほどに、私は今中に育ててもらったともいえるし、理想郷を実現するためにうまく育て上げられた(丸め込まれた)ともいえます。いずれにせよ今中が思い描いた大きな理想は、一人のものではなく、みんながそれぞれの胸に抱くものになりました。
〇ひとが成熟するというのは、自分が思う時にいつでも大人と子どもを行ったり来たりできることだと、精神科医の言葉だったか、聞いたことがあります。今中のなかには、まさに大人と子どもが同居しているようにみえます。これまで鍛錬(たんれん)されてきた冷静な判断力と事業の後先(あとさき)の展開を見据えながらも、未(いま)だ見ぬ物事を興(おこ)す時には期待に胸を躍(おど)らせているのがわかります。
〇本書を読み進めると、今中は初めから結果を見越して、あるいは確固たる裏づけがあって行動を起こしてきたようにみえますが、私の体験では結果の3割くらいの目処がついたところでスタートを切っています。
〇インカーブが始まって、今中の考えやふるまいが時に周り(特に同業者の方)から反感を買い、軋轢(あつれき)をうむところを見てきました。今中のそれは世の中の理不尽に対する怒りからきているはずなのに、なぜ周りとの衝突がうまれるのでしょう。
〇知的障がいのあるひとがアートの才能を活かして、あるいはアートに親しみながら暮らしてゆきたいと願うなら、それをデザインの力で叶えたいと考えることは、今中にとってごく自然で、その生い立ちからも自身のつよい信念や理想に基づいているようにみえます。一方で、インカーブがスタートした約20年前は、行政や福祉にたずさわるひとにとって、アートやデザインは未知の世界のこととして理解しにくいものであったはずです。
〇よく知らないものを警戒したり排除しようとするのは当然のことなのかもしれません。けれど、今中の思考やインカーブの事業が、正義の押し売りや今中個人の独善的な行いととられるのはとても口惜しい。そう映らないようにするには、うまく言葉で表せないのですが、アクチュアルな(実際の、本当の)肌感覚というのか、思考や企てを体現する行動が「いま」の空気感をまとっていることが大事なような気がしています。その行いが信念に照らして善いことだとしても、「いま」すべきではない社会状況ならブレーキをかける。これまで20年間、私はそんなことを心に砕いてきたように感じるのです。
〇良くも悪くも、私は大人と子どもを行き来できない、ただの大人です。むしろ意図的に、標準的な大人であろうとしていろところもあります。私はインカーブの中にいながらも、意識は一人その輪を抜け出して、いまの世の中の言葉と流れの中で「インカーブ」という存在をとらえようとしています。それは、アーティストとスタッフが、信念や理想の中ではなく、いまこの時を生きているからです。今中のソーシャルデザインの思考に乗っかりながら、アーティストとスタッフを無用な衝突から守る私なりの方法なのだと思います。
〇本書が刊行された今日も、昨日と変わらない「普通なしあわせ」(当たり前のことを当たり前に行えること)がインカーブには満ちています。でも、物語が紡げるほど長く、毎日が「普通なしあわせ」で満たされていることは、「普通」ではなく「奇跡」のようです。
〇静かでおだやかなこの物語の続編が明日からも紡がれることを願います。
※神谷梢「解説 静かでおだやかなこの物語を紡いでゆく」今中博之『アトリエ インカーブ物語―アートと福祉で社会を動かす―』(河出文庫)河出書房新社、2020年7月、288~292ページ。
※神谷梢/かみたに・こずえ/アトリエ インカーブ・チーフディレクター。
※今中博之/いまなか・ひろし/アトリエ インカーブ・クリエイティブディレクター。