からかいの笑い
最初に誰が発したのか
クラスに伝染した
見下した笑い
誰かは分かっている
クラスの空気になった
調子こいた笑い
あいつらしかいない
クラスは無視した
つられた笑い
そうしなければいけないような
クラスはそのとき一体化した
笑われるのはいつものこと
それでも顔を上げた
誰かはそれすら笑いネタにした
クラスはそれに同調した
笑われることは許せなかった
だから声を出した
誰かは笑いで断ち切った
クラスはそれを黙認した
笑われることは苦痛だった
ひとり口を塞いだ
誰かは笑いながらいじめた
クラスはそれを傍観した
乾いた笑いは牙をむいた
心を嘖(さいな)む笑いとなった
自己否定に誘(いざな)う笑いとなった
クラスはひとり以外居心地がよかった
教師は 笑いを止めることはなかった
14歳の死に
クラスが流した涙は
忘れたい過去の ワンシーン
10年後 涙は乾いているだろうか
〔2020年11月11日書き下ろし。いじめで自死した少年たちの無念を想像した。変わらねばならぬ大人とは誰か。大人は「自分は違う」と教壇に立つ〕
付記
笑い声で消されたクリスマスの物語 命絶った中3のメモ
川崎市で10年前、14歳だった男子生徒がいじめを苦に自死した。…自死の調査に当たった渡邉信二さん(54)が同市教育委員会で指導主事をしていた2010年6月7日。市立中学3年生だった篠原真矢(まさや)さんが自死した。4人の同級生によるいじめが原因だった。いじめを受けていた友だちをかばったことで、真矢さんも2年生の頃から標的にされた。たたかれたり蹴られたり、ズボンを下ろされたり。修学旅行から戻った翌日の代休日、自宅で命を絶った。
家族に宛てた遺書には感謝の言葉のほかに、友だちを守れなかった悔しさが記されていた。「俺は、『困っている人を助ける・人の役に立ち優しくする』 それだけを目標に生きてきました。でも、現実は人に迷惑ばかりかけ……」
学校側が設けた調査委員会を担当した渡邉さんは、120人を超す生徒・教師から聞き取りをした。そのうち同級生の一人が、真矢さんが2年生だった09年12月の国語の授業の「3分スピーチ」でのことを話してくれた。真矢さんはこの時、自作の「クリスマスの物語」という話をした。こんなあらすじだった。
16歳の兄と10歳の弟は両親に先立たれ、兄は弟を養うために働いていた。食べるのがやっとの生活の中、兄は子守歌を知らない弟のために命を削ってまでお金をため、オルゴールを買う。クリスマスの日、弟はクリスマスプレゼントと、兄の死に気づいた…。
終盤、真矢さんは「当たり前の日常がどんなに心温まることか、それを感じて下さい」と呼びかけようとしていた。だが、話を最後まで語れなかった。教室では笑いが起きていた。いじられキャラとして扱われていたせいなのか、話の内容そっちのけで。真矢さんは語るのをやめた。席に戻る途中、「これやるよ」と物語のメモを同級生に渡した。同級生はそれを大切にとっていた。…
あの日、教室で起きた笑いについて「周りの子は、とにかく笑えばその場を生きていけるみたいなところがあった。つられて笑っちゃうみたいな、何だかよくわからない笑い」と指摘。いじめやモラルの低下が起きている学級は「変な同調性が進んでいる」とし、教師らに向けて「教育とは『おや待てよ』という引っかかる感受性を作ること。生徒に変わることばかり求めてはダメで、まずは大人が変わらないと」と語り、異変に気づく感覚を鈍らせないよう求めた。
…母親の真紀さん(54)は、真矢さんが守ろうとした友だちから聞いた言葉を紹介した。
「色んないじめを受けたけど、一番つらかったのは、授業中に僕が発言するとき、加害生徒たちがからかったり冷やかしたりして、それを周りの友だちがクスクス笑ったこと。何よりつらかったのは、それを先生が止めてくれなかったことでした」(朝日新聞2020年11月11日)