遡上する鮭

犠牲となられた多くの御霊に哀悼の意を表します

報道された陸前高田の復興写真に見入った
冷たい海風は 防波堤を越え吹きすさぶ
十年の時を経てもなお 潮の香を運ぶ
奇跡の一本松は レプリカと化してなお風を受け立つ

3年前 山を崩し旧市街地にかさ上げの土を運んだ跡にいた
ニュータウンが造成され 小学校も開校した
山の上から眺望すると 川を越えた旧市街地は 
整備された道路が 区分けするように走っていた

復興のしるしに建てた 商業施設とその周辺だけは
街を形づくるが 賑わいにはほど遠かった
いまもなお 造成した6割近くが空き地だという
それでも 4割は戻ってきたのは事実だ

全国の地方のまちは 収縮を加速している
三千人のまちで 1年で百人近い年寄りが逝く
高齢化率の高い地域は 確実に多死時代を迎えている
最期を全うする静かな闘いが 日常となった

被災地の多くのまちで 帰郷を断念した人の無念が残された
災害前に戻すことは 叶わない夢想となっていった
でも 故郷の地で生き暮らすと頑張ってきた人たちがいる
まちづくりに必要なのは 若者・余所者・バカ者だという
いまその人たちがリーダーとなって まちづくりを引っ張る

復興のまちづくりのひとモデルこそ
これからの地方のあるべき姿となる
少子高齢化が進展する時代に 団塊の世代はその役目を終えてゆく
まちも国も縮んでゆくその過程の中で 
復興のまちづくりの担い手たちが挑む 熱い故郷づくりこそが
明日の地域や日本のあるべき姿を 指し示してくれるものと信じる

十年は 節目であり通過点にしか過ぎない
哀傷の念を抑えながらも 命の輝きと人のつながりの豊かさを学んだ
「負けないぞ!」 
その強い意思こそ 分かちあいたい
空き地の広さを論ずることよりも
人の心の空き地を 人の心で埋めてゆくことこそ
人が生きるに値する 故郷づくりとなるだろう
そんな余所者が 我が故郷で担うべき課題をいまも探る

震災の年の秋
大船渡の片田舎の漁村で見た
故郷に戻る小川を遡上する鮭の姿に
長い旅路の果てに死力を尽くして
次代を残すことに全力で挑む姿に
東北の被災地の復興に いまも果敢に取り組む
多くの人たちの姿が 重なって見えてきた

〔2021年3月9日書き下ろし。十年の間、被災地を三度訪問した。多くの方が語るなかで、何をか云わん。そう思いつつ書かざるを得なかった〕